令和6年9月分 金剛寺住職法話集

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞスルーして下さいませ。

【はじめに】

先月は、パリでオリンピックが。陸上のリレーを家内と見ていた時、拙僧が「何万年も昔から、母が子を産み、産んでもらったその子が大人になって、また、子を産みと、1人が1人に1つの命を延々と途切れさす事なく、バトンタッチしてきてくれたお陰で、自分達は今、ここに命を。先祖には、感謝せにゃならんよな」と。対し、家内が「陸上のリレーを見ていると、バトンを受け取った選手は、一生懸命に自分の順番を走ってるよね。親から命のバトンをもらった私達は『よし、今度は私の番だ』と一生懸命に人生を走って、わが子にそのバトンを渡せる事が出来ましたかね。なんか、こういう姿(懸命に走っている陸上選手)を見ていると、考えさせられますよね」と。職業柄(寺院勤め)ですかね。どうしても夫婦でこんな会話になります。


【1日の投稿法話の本文に入ります】

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【本文】

さて、先月の事ですが、20代の檀家若者が「住職さん、地縛霊って、ほんとに存在するの」と。「地縛霊ってか、また、妙な話を振ってきたな。この時期(盂蘭盆月)になると、決まってこの手の話が。先を話してみな」と拙僧。対し、若者が「ある家に60代の夫婦が2人で住んでいて、度々浴槽の底に足跡が付くので気味悪がって。それも決まって左足だけが。自分達の足跡かも、と思ったが、主人の足のサイズは26センチで、奥様は22、5センチだから、21、5センチの足跡は、この夫婦のものではないと。気持ちが悪いので、有名な霊媒師に尋ねてみたら『その家の近所を彷徨(さまよ)っている地縛霊が、その家を選んで住み着いたんだ』と言われたんだって。そんな事って、本当にあるんですか、住職」と、興味津々の顔で拙僧に。

対し、拙僧「浴槽の底に付くという地縛霊の足跡が、21、5センチだったの」と尋ねると「はい。そうらしいです」「ほう、そうなんだ。普通に考えたらくさ、生足の裏を定規で測る様な人は、まずもっていないから、奥様の22、5センチは恐らく、靴のサイズの事を言ってるんじゃないかな。という事は、その浴槽の底の足跡は、奥様のものと考えて間違いないじゃろ」と。「じゃ、何故、ご主人の足跡は付かず、奥様の足跡(21、5センチ)だけ、それも左足の跡だけ残ってるの」と。「奥様は常に、風呂の湯を抜いた後に、右足から先に浴槽から出るが習慣じゃないの。それと、ご主人よりも奥様の方が、油足だったって事じゃないのかな」と返すと、檀家若者は暫く沈黙して「この話ですけど、実はですね、テレビの番組で取り上げられていたものなんですよ。その道に明るい専門家が詳しく検証した結果、住職と同じ見解を出してました」と。

対し「何だ、お前さん、拙僧を試したんかい。ところで、そのテレビ番組は『地縛霊だ』と言った霊媒師を番組に呼んでたかい」と尋ねると「いや、呼んでなかった」「そうか、呼んでなかったか」「その番組の最後にお笑いの加藤浩次さんが『テレビの中で、こんな幽霊騒動を企画する度に、芸能人だけが、ギャーギャーと騒ぐのは、もうやめようよ。また、やっとるわい、と視聴者から白い目で見られるから』と言ってました」「そうだね、今は様々、検証が出来る時代だもんな。心霊写真といわれる物も、プロのカメラマンさんなら、簡単に心霊写真らしき物を撮れるそうだよ。光の屈折を利用して、この位置で、このタイミングで、シャッターを切ったら、その周辺にいる人達をカメラの中に、写し込む事が出来るんだって。まあ、そんな事が解明されてきたこんな時代になっても、一定数はこの様な話(幽霊、悪霊、祟った)が好きなマニアは、存在し続けるだろうけど。信仰は特別なものではない。特別なものにしている者がいるだけ、だもんな。ところでだが、君は、そっち側(悪い事が起こったら、何でもかんでも先祖、精霊のせいにする)のタイプの人間だったかな」「いえいえ」と。

更に、この若者に「人の思い違い(勝手な判断)といえば、こんな話もあるんだよ。『夜の蜘蛛は、親に似ていても殺せ。朝の蜘蛛は、鬼に似ていても殺すな』という言葉(迷信)が。この言葉の意味するところは簡単なんだよ。夜の蜘蛛は、抜き足差し足忍び足で、夜に侵入してくる泥棒さんに似てるから、殺せと。が、どこかの田舎町で見たな、『泥棒の昼寝は昔の事』という看板を。朝の蜘蛛は、巣を作っていく様が繁栄を象徴しているから、殺すなと。これに対し、恐らく蜘蛛さん達は『おいおい、勘弁してくれよ。人間の勝手な思い込みで、殺したり、殺さなかったり。朝出ようが、夜出ようが、あんた達(人間)の前に出てきているのは、同じ俺(蜘蛛)なんだよ』と、わが勝手に良し悪しを決め付け、命まで奪おうとしてくる人間に、呆れ返っているだろうね」と。

更に続けて「蜘蛛といえば、数年前だったか、檀家の子供ちゃんに『ほら、あそこに大きな蜘蛛の巣が。真ん中に大きな蜘蛛さんもいるな。あれを見て諺(言葉)か何かが、頭に浮かばないかい』と難しい質問をした事が。通常ならだよ、こんな難しい問い掛けを子供にはしないよ。が、この子(女の子)は大変利発な子で、本も沢山読んでる様だし、親の教育も多方面(五科目に拘らず)から。どんな答えを出してくるか、楽しみでね。すると、結構に時間を費やした後、この子が『果報は寝て待て、かな』と。対し拙僧『やっぱ、君は、視点、思考が違うよな』と驚いた。『これ以上、出来ない程の努力をして、後は、天命を待つ』が、この諺の本来の意味だもんね。この子には、この説明はしなかった。する必要がなかったからね」と、この20代檀家若者に。

因みに、蜘蛛といえば、こんな話もありましたね。檀家で幼稚園の先生(現在71歳、当時57歳)をしていた女性が拙僧に「蜘蛛の巣に捕まっていた蝶々を『あら、可哀想』と逃してやると、幼稚園児(男の子)から『蜘蛛が可哀想じゃないか。蜘蛛だってご飯が必要なのに』と注意をされ、ハッ、とさせられました。『蝶々は綺麗、可愛い、良いもの。蜘蛛は醜い、怖い、悪いもの』といつの間にか、勝手にその様な判断を、私は。そうですよね。この蜘蛛が命尽きるまで、餌を与え続けるという責任を、私達が負える事など出来ませんもんね、住職」と。対し、拙僧「そうだね。これは、人間の親子の関係にも、通じるところがありそうだね」「幼稚園で勤めておりますと、子供から教えられる事って、結構に沢山あるんですよね」と猛省されていました。

ついでにもう1つ。檀家の社長が「住職よ、先日な、同系列の社長とゴルフへ行った時、バンカー内で蛇がカラスに襲われているのを見て、思わず咄嗟の判断で、クラブを振り回してカラスを追い払ったんだが、2人して顔を見合わせて『これって、正解だったのかな』と。この出来事の少し前に『幼稚園の先生が、蜘蛛の巣に掛かっていた蝶々を助けて、園児に怒られた』という話を住職から聞かされていたのに。咄嗟にその様な対応を。人の上に立つ自分達が、その場の個人的感情で動く様では、先が思いやられるわい」と猛省を。

【余談】

知人の子供さんから、知人女性が95歳で他界、と連絡が。その女性のご主人は今年、25回忌だったと。その女性は老衰だったそうだが、ご主人はお酒の飲み過ぎが原因で、肝硬変から肝癌に。今でも鮮明に思い出す。ご主人の母親、姉、弟から、酷い仕打ちを受けたこの女性を、死後に包み込んだご主人の粋な計らいを。

小学校の先生をしていたご主人の母親は、息子の嫁さんが家政科卒業という事が気に入らず、長年に渡り、散々嫌味を。が、ご主人は一切仲立ちをせず、毎日、深酒、午前0時を回ってからの帰宅。それが原因で肝臓癌を患い、70歳で他界を。葬式の時、ご主人の母親と義理の姉、弟から「あんたは本来、他人。土地家屋の権利証と預金を全部持ってこい」と。が、いつ名義を切り換えていたのか、土地家屋、預金通帳の名義が全て、その知人の名前に変更が。更にご主人は、司法書士を通して、公正証書を作成し、全財産を奥さんに。それ以後、ご主人の家族とは全くの疎遠に。その知人女性が「住職さん。夫は1度も、夫の家族との間に立ってはくれませんでしたが、それは、立ったら余計に私が虐められると、そう思っていたのかもしれませんね。また、恐らく夫は自分の死後、自分の家族から私が、財産全てを奪われるを予想して、前もって対処してくれていたんだと。今思えば、結婚前にはそんなに飲んでいなかったお酒を、結婚後は浴びる様に。最も辛かったは、夫だったのかもしれませんね」と。ご主人の葬式の数年後、ご主人の母親が『子供達から捨てられて老人ホームに』という噂が風の便りで、その知人の耳に。可哀想に思った知人は、毎日老人ホームへ。が、通っていた数年間というは、この義母からずっと罵声を。それでも通って来るその知人に、老人ホームの理事長さんが「こんなに毎日来られるのなら、ここで働いたらどうですか」と。義母が他界した後、その知人が拙僧に「義母は、私に優しい言葉を一言もくれませんでしたが、この老人ホームの仕事を与えてくれました。義母の死後も数年、そのホームで仕事が出来た事に、義母には感謝を」と。『あの女性(その知人)が、亡くなられたのか』と拙僧、感慨深い思いに。


令和 6 年 9 月分  金剛寺住職 臨時法話


檀家さんの従姉妹(いとこ)の友人の友人という女性から「井戸を埋めたいから水神上げ(お祓い)をして下さい」との依頼が拙僧に。檀家さんが言われるには、その従姉妹の友人の友人(女性)は「そんな事、せんでええ」と。が、土木業者社長さんが「絶対にお祓いをしてもらってくれ。そうじゃないと仕事は受けない」と釘を刺され、仕方なくお祓いが出来る人を探し回って、拙僧にまで辿り着き、お願いに来られたみたいで。現地に伺うと、その女性が(依頼主)いて「土木の社長さんがここまで嫌がるは、やはり、祟られるからですか」と拙僧に。対し「水神さんは、祟りゃせんよ。失礼な事を言いなんな。社長さんは恐らく『100年以上も井戸の水を使ってきて、先祖代々に渡り、命を保たせて頂いてきたのに、有難うございました、と御礼報謝もせず、必要がなくなったからと、簡単に埋めてしまうんかい。あかんじゃろ、人の礼儀として』と言いたかったんじゃないのかな。土木の社長さん達の大半は、こういう恩義に厚い人って、結構に多いですよ。水でも火でも、10日も無けりゃ、人間は生きられんでしょ。だから、昔の人達は『水や火には、神が宿っておられる』と後世の人達に言い伝えて、粗末に扱わない様にしてきたんじゃないのかな」と拙僧、この女性(水神上げの依頼者)に。更に拙僧、この女性に「土地祓い、地鎮祭も同じ事だよ。依頼者の半数は『この土地ですが、悪霊はいませんか、変な死に方をした人はいませんか』とか、拙僧に。知らんがな、そんなこと。こんな狭い国なのに、人が死んでない土地なんぞ、あるもんか。京都四条河原町は、坂本龍馬さんと中岡慎太郎さんが、切り殺された場所だが、現在も、えろう栄えてまんがな。京都の人達は死人を忌み嫌わず、先人達の功績によって、私達は今、ここに住む事が出来ていると感謝してるんじゃないの。因みに、寺院が多い都道府県は、1位は愛知県、2位は大阪府、3位は兵庫県、4位は滋賀県、5位は京都府、東京都は7位。つまり、戦(いくさ)が多かった場所が、上位を占めてるでしょ。戦(いくさ)で亡くなった人達を供養する為なんだよ。この上位の都道府県内で『人が死んでない土地は、どこかないですか』なんて言おうもんなら『アホか、そんな土地などあるかい』と言われまっせ」と。

続けて拙僧、この女性(依頼者)に「地鎮祭を行う理由は、その土地の氏神さん、水の水神さん、火の荒神さん、そして、嘗て、この土地で懸命に生きて、死んでいった人達に『この度、この土地で生活をさせてもらう者です。どうか、宜しくお願い致します』と挨拶をするが、地鎮祭の主旨なんだよ。自分がお金を出して買ったんだから、自分の物と思うは大間違い。自分の物じゃないから、あの世に逝く時に、この世に置いていかにゃならん。お金も、宝石も、伴侶も、子供も、自分の体もまた然り。全てが借り物にて。借り物だったら、大事に扱い、返す時には『有難うございました』と礼を述べるは、当然の事でしょ。昨今、この国は、当たり前の事が、当たり前に出来なくなってきている。その結果、親の遺体を病院に置き捨てたり、遺骨を生ごみ置き場に捨て置きしたり、我が子を平気で虐待したり、殺したり、捨てたりと、鬼畜の様な諸行を。水は必ず、高い所から、低い所へと、流れていきまっせ、躾(しつけ)はするものじゃない、躾は見せるもの、ですばい。受け継がれてきた物を、自分の代で閉ざしてしまったら、子孫へは流れていかず、とんでもない世の中に。もう、そんな世の中になっている気配がするが。水神上げというは、お祓いというよりも、御礼報謝だよ」と拙僧、重ねてこの女性に。

井戸と言えば、度々登場しますが、わが爺様の話を1つ。ある知人社長が「住職(拙僧)よ。最新機器を使って水脈を探し、井戸を掘ったんだが、何度掘っても水脈に当たらん。何か良い知恵はないか」と。「迷信めいた方法なら、わが爺様に聞いた事があるが、聞きたいですか」「おう、聞かせてくれや」と。「日中快晴の日の夜に、漆塗りの重箱を、掘りたいと思う場所に、逆さにして何箇所か置いてみて下さい。次の日の早朝、重箱の内側に水滴が着いていたら、その下には水脈がある、と爺様が言ってましたけどね」と、その社長に。すると数日後、その社長から「あの方法で水が出た。凄いぞ、住職」とえろう喜んで。「わが爺様の受け売りですよ。へえ、ほんとに水が出たんだ。偶然とはいえ、昔の知恵はやっぱ、凄いですね」と。昔ながら、と言えば、こんな話も。1週間前から一昨日まで、家族で四国巡拝した折に、最後に泊まった遍路宿の女将さんが「住職さん。国や保健所から『ああしろ、こうしろ』と、お金が掛かる事(改築)ばかり注文がきて、多くの遍路宿(熟練宿)が、お金の用意が出来ずに廃業を余儀なく。特に、高知県は次々と廃業に追い込まれ、泊まる場所(遍路宿)がなくて、お遍路さん達が非常に難儀をしておられます。何でもがそうですが、現場を知らない上の人達が、庶民の足を止める様な事をして回って。『経済を回さにゃならん』と言いながら、自分達で経済を止める様な政策を。これ、どう思いますか、住職さん」と。「嘗て、映画『踊る大捜査線』で織田裕二さんが言い放った『事件は会議室で起こってるんじゃない。事件は現場で起こってるんだ』という社会風刺の台詞がありましたよね。国や役所の人は、皆が皆、とまでは言いませんが『本の中だけで生きてんじゃねえよ(経験少なきに加え、マニュアル通り)』っていう人、結構に多いんですよね」と返すと、遍路宿の女将さんが「まったく、その通りだと思います。あの人達は、結局は他人事ですもんね。何も理解してないから、的外れの指摘ばかりして」と悔やんで拙僧に。

四国霊場第21番札所『太龍寺』の下にあった『龍山荘』という遍路宿が。数年前、宿主の親父さんが「国から『ああしろ、こうしろ』と言ってきたが、数千万円の改築費用なんて、そうそう出せるもんじゃない」と泣く泣く、長い、長い間続けてきた実績ある遍路宿の廃業を決意。ご飯も美味しく、味わいのある、温かい雰囲気の遍路宿だったのに、何とも残念でならないですね。現在は既に、廃業を。萩原健一(ショーケン)さんは3度、歩き遍路をされた時、必ずこの宿に1泊の足休めを。宿泊した時の写真が、宿の鴨居に何枚も飾られていましたね。こんな事で、本当にいいんだろうか。日本の伝統、文化が、なくなっていきまっせ。

読者の女性(40代)が「住職の一昨日(上記))の法話ですが、『水神さんの祟り』って、本当にあるんですか。拝み屋(僧侶)さんにそう言われた、という人を何人か、知ってるんですが。住職さん(拙僧)は『神や先祖が祟るなどと、失礼な事を言いなんな』と法話の中で言われておられましたが」と。対し拙僧、この読者の女性に「日本三大怨霊という言葉を聞いた事がありますか。その3人の中にですね、菅原道真公がおられるんですが。左遷先(福岡太宰府)で他界後、京都で天変地異や疫病、道真公を左遷させた人達が次々に、落雷に当たったり等で、変死を。『道真公の祟りじゃ』と恐れた京都の人達が、御霊を鎮(しず)めるため、北野天満宮で道真公を神(天神様)として祀った。太宰府天満宮では、学業の神として。だけどね、天変地異も、疫病も、人の死も、自然の流れだよ。明治時代の教育者、森信三さんが『出会う人(もの)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』とその様に。それこそ、拙僧が度々法話で言っておりますが『出会うは、運命。出会ってからは、努力。乗り越えさせてもらった最後には、感謝』ですよ。それにしても、人間の都合で『神』にされたり、『怨霊』にされたりと、道真公も、なんともまあ、忙しいこって」と。更に、この読者女性に「加えて、道真公が京都に住んでいた時の桑原地区(現在は京都御所南の丸太町通の道路上、投稿添付写真)だけが、落雷の被害がなかった為、余計に『道真公の祟り』と思われる結果に。今現在も、落雷が起こる度に『おお、くわばら、くわばら』と呪文の様に唱えて『被害が自分に及ばない様に』と願う人が偶におられる様で。さて、水神さんの祟りの件ですが、一昨日の法話の中で拙僧『水も火も10日も無けりゃ、人間は生きていくに困難でしょ。水の神、火の神がいると昔の人達が設定したは、粗末にしない為の方便』とその様に。『神』と付けば、拝み屋さんは『祟りの対象、お金儲けの対象』に、し易いですもんな」「そういう事ですか」と。

最後に、この読者女性が「ところで住職さん、太宰府天満宮に受験合格祈願に行ったら、やっぱ、ご利益はあるんですかね」と。「合格出来る定員は、決まってるからね。全員を合格させる事は、神でも無理だわな。ご利益があるとしたら、頑張りに応じたものになると思うよ。勉強もしないで、遊んでばかりで、合格だけを願ったって、そりゃ、無理でしょ。嘗て『暴飲暴食、酒、煙草を止めるつもりはない。あんたは、俺の病気だけを治せば、それでいいんだ』と主治医に悪態ついて『私にいったい、何を期待しとるんだ。暴飲暴食、酒、煙草を止める気になってから、出直して来い』と怒られた60代の檀家男性がいたもんな」「そういう事ですよね。住職がいつも法話で『人間は今日まで、自分がしてきただけが、今ここにある答え』と。息子にもそう言います」と。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。