【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】
毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。
【はじめに】
3月20日の春季彼岸中日法要の後、初めて檀家の娘(35歳)さんが、旦那(41歳)さんを連れてお寺(納骨堂参り)に。「住職さん、ほら、8月12日が予定日(初産)」とお腹を指さして。「ほう、どっちや」と聞くと「産医は初め、男の子と言ったのに。女の子なんだって。まあ、どっちでもいいんだけどね」「そうか。それにしても、優しそうな旦那さんやな」「うん、優しいよ」「許してくれる人がいるから、人間関係が成り立っておるというを、忘れちゃあかんぞ」と言うと、娘さんは苦笑いを、旦那さんは下を向いて、笑みを。
この檀家の娘さんが「住職もご存じの様に、私って、物凄いわがままでしょ」「そやな」「あっさりと認めんでよ。しっかり子供を育てる事が、私に出来ますかね」と。「大丈夫だよ。君よりも、もっとわがまま(英国では、3歳の子を『デビルエイジ』と表現)が世に出てくるから。自分のわがままなんぞに、構っとる暇なんてないよ。しっかりとした親に、子供(赤子)から育ててもらえるから、心配せんでもよか」と。
令和 7 年 4 月分 金剛寺住職短文法話集
金剛寺ブログ :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808
金剛寺ツイッター :https://twitter.com/kongouji093
金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/
金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?
【本文】
今から10年程前、拙僧がSNS に法話の投稿を始めて間もなしの頃、その法話を読まれたという初老の男性が匿名で「親の遺骨を海水浴場にばら撒いたが、それがどうした」と長々文句の電話を掛けてこられまして。対し拙僧、その初老男性に「身分を明らかにせず、陰口を叩くは、SNS の中だけにされたらどないですか。電話までしてきて、文句を言うなら、どこの、何の、誰がしを名乗って、面と向かって話をされたらどげんですか。小学生の頃『意見のある人は手を挙げて、名乗ってから発言をしてください』と先生から教わりませんでしたか。連絡をくれたら待っておりますので、どうぞ、お寺(北九州市)の方へ、お越しくださいませ」と。
1週間後、その男性が事前連絡もなく、関西から突然お寺へ。拙僧は1年365日、外出布教のない日は1日もないので、ほんと、こういう訪問は非常に困るんですよね。その日、偶々偶然に居合わせたは、この初老男性との縁があった、という事なんでしょうな。お寺へ来るや否や、電話での文句と全く同じ内容を捲し立てて拙僧に。文句の内容を掻い摘んで言いますと『親らしい事を何もやっていない父親を、葬式もせず、火葬場で遺骨にして、海水浴場に捨てたのが、何が悪い』という自分の正当性を延々と。その間、拙僧は一言も返さず、黙ってその話を。その状況を『糠に釘』とでも思われたのか「もう、ええわい」と舌打ちをして帰ろうとしたので、拙僧「ちょっと、待ちんさいや。3時間も、4時間も、拙僧を拘束しておいて、言いたい放題言って、どこかスッキリした様な顔をしてくさ、お布施の1つも置いて帰らんのかいな」と投げ掛けると、口元を捻じ曲げて「幾ら置いていけばいいんだ」と返されたので「1000円」と答えると、気の抜けた声で「おっ、おう、1000円やな、ほら」とテーブルに裸銭を、トン、と音を立てて置き、初老の男性は下山して行かれました。
その1週間後、また、その初老男性が連絡もよこさず、お寺へ。その日も偶々、拙僧はお寺に。この初老の男性には余程、会わなきゃならん縁があるんでしょうかね。その日の男性は、以前とは打って変わって、礼儀正しい姿勢で拙僧に話を。「この前の話ですが、住職、私自身の事情(感情)だけで、父親の葬儀もせず、遺骨を海水浴場に投げ捨てたんです。実は、この話は2年前の事だったのですが、それより後、子供達から距離を置かれる様になり『俺の気持ちなど、何もわからんくせに、こいつらは』とイラついていたところに、住職の『散骨とは、名ばかり。聞こえはいいですが、あれは海に捨ててるんでっせ』の法話に縁があって、気持ちをぶつけるところがなかったので、つい、住職に噛み付いたという次第でして」と。続けて、その初老男性が「ほんと、申し訳ありませんでした。住職に噛み付いていた数時間の間、住職が黙って聞いてくれていた事で、途中で何度も『父親にもそれなりの事情があったは、知ってただろ。遺骨を人が踏み付ける海水浴場にばら撒くは、あまりにも可哀想だという事を、お前もわかっていたはずだ』と、自分自身の心に言い聞かせる瞬間が、何度も、何度もありました。住職のところから帰って1週間、ずっとその事で自分なりに反省をしておりました。しかし、現在も尚、子供達からは、一定の距離を置かれている状態でして。非常識な事をやったんだから、仕方がないのですが。これが、非常に辛くて、ですね。何か、子供達との間を改善する手立てはないでしょうか」と。
対し、拙僧「あなたの父親とあなたの関係は、子供達には知らない世界の話ですもんね。子供達にとっては『大好きな爺ちゃんに、こんな仕打ちをした』という事実だけが残っているだけで。投げ捨ててしまった遺骨を今更、拾い集めるは到底無理な話ですが、投げ捨てたピンポイントの場所(海辺)の砂をひと摘み、喉仏を入れる小さな骨壷に入れて、納骨堂か、お墓に納めてみては如何ですか。菩提寺(先祖を供養しているお寺、自分達の葬儀をしてくれるお寺)は、ありますか」と問うと、初老男性が「はい、あります。父の時は不義理を致しましたが」「そこのご住職に、その一連の話をして、改めて葬儀(密葬)をして頂き、お父さんの戒名を授けてもらって下さい。参列は家族と親しい親族、お父さんと所縁(ゆかり)の深い友人、知人だけでいいですから。今、あなたに出来る事は、これだけです。これで、子供達の心がどう変わるかは、子供達次第ですけどね」「わかりました。本当は気になっていた事(父親の葬式、供養)なので、そうしてみます」と初老の男性が。1ヶ月後、その初老男性、今度は連絡をよこしてから、お寺に。そして拙僧に「有難うございました。無事に父の葬儀(密葬)と納骨(拾ってきた浜辺の砂)が終わりました。浜辺の砂(遺骨の代わり)については、住職(拙僧)に教えてもらった通り、菩提寺のご住職さんにその事を説明し、骨壷の中にある遺骨が砂である事の訳を、わが家の過去帳に記載してもらいました。これで、後世の子孫も『何故、骨壷に砂』の理由が納得出来ると思います。一連の流れ(私達親子が不和になった経緯も含)を話した事で、子供達との距離も随分縮まりました。考えてみたら、住職(拙僧)に文句を言いに行った事が、この様な縁に繋がるとは、ほんと、縁というは有り難く、不思議なもんですね。本当はあの時、住職(拙僧)に文句を言いに行こうか、行くまいか、迷ったんですけどね。どう考えても、ただの八つ当たりですから。が、言いに行った事が、今となっては正解となりました。『虫の声』とは、こういう事を言うんでしょうかね。本当に、有難うございました」と、この初老の男性が。
このご縁により10年近く、この世に存命の間は、この初老男性、遠方からわざわざ定期的(年2回程)にわが寺へ足を運んで来られました。拙僧とは信仰の話は一切せず、意味のない馬鹿話をする為だけに。縁というは、ほんと、異なもの味なもの、ですよね。この初老の男性が亡くなられたは、子供さん達がわざわざ関西から足を運んで知らせてくれました。その折に「10年前にご住職のところへ行ってから、父はガラッと変わりました。早くお礼に、と思っておりましたが、ご住職と父のご縁の関係に割って入るはよくないと考え、今日まで控えておりました。本当に有難うございました。骨壺内の砂(祖父の遺骨代わり)の事ですが、50年後、100年後の子孫達が見た時に『その時の感情だけで散骨すれば、後々に、こうしなければならなくなる』という子孫達の良き教訓になるとなると思います。本当に有難うございました」と。この初老男性は、しっかりと子供さん達を育てられていたんだな、と思いました。因みに、拙僧の法話を読んだ人達が、年間に何人かですが「親の遺骨を散骨(海に捨てる)にした事を今、非常に後悔しています」といった連絡が、時折入ってきます。
余談ですが、この手の話(散骨)は何度かSNSで投稿させて頂きましたが、その度に必ず数人ですが「私も親の遺骨を海に散骨したが、後悔など全くしてない。皆が皆、後悔してると勝手に決め付けるな」と的外れな、明後日の方角から噛み付いてくる人達が。この法話のどこをどう読んだら、そんな理解になるのか、と。
最後に、先日、この様な話が読者の女性(母親)から入ってきました。その母親が「息子が大学(有名大学)を中退し 、俺の夢は『ああじゃ、こうじゃ』と自分が共感(心地よい)出来る本ばかりを読んで、理想ばかり吠えまくるので、堪り兼ねて、住職さんの言葉を借り、息子に『文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる。建設的意見のない文句、講釈は、雑音でしかない』と言ってやりました。情報過多の時代背景から、頭でっかちになって、自分が知ってる事だけが正解、と言わんばかりに捲くし立ててくる。経験なき知識ばかりが身に付いて、ほんと『ただの物知りさん』ですよ。この『勉強だけは出来るんだが』の典型息子に、怒りもマックスになり『本の中だけで、生きてんじゃねえよ。さっさと社会に出ろや』と言ってしまいました。講釈言いの息子が、初めて閉口しました。すいません、言葉が汚くて。結局のところ、親がこんな風に育てたんですけどね」と。「そんな激しい言葉を、拙僧が法話で書きましたかね」と返すと「書かれてましたよ。家に篭りっぱなしで、全く外へ出ず、本ばかりを読み漁っている物書き(小説家)志望の青年に、以前、住職が放った言葉です。まあ、私ほど激しい言葉遣いではなかったですが」と。よっぽど、腹が立ったんでしょうね、この読者のお母さんは。
令和 7 年 4 月分 金剛寺住職 臨時法話
昨年の秋に拙僧、ある団体で講演をさせてもらいましたが、その講演に参加していた女子高生(優秀校)から、連合で電話がありまして。彼女達曰く「住職は私達女子高生(約40人)に、少子化がもたらす様々な問題を指摘してくれましたが、その話を聞いていて、かなりの友人達が『早く、若い内に、結婚をしなきゃ』と心を動かされました」と。その電話の中の1人が「実は住職さんのお話の中で、私の心に響いた事が2つあって、その1つは『一概には言えないが、育てられた経験しかない者、育てた経験のない者は、いつまで経っても、大人になってない様に感じる。子育てというは、1に我慢、2に我慢。子供が成長するを、ひたすらに待つが、親の仕事。その間に親も、子供からしっかりと育てられていく。常日頃は、その差(育てた経験のある者、ない者)は、殆どわからないが、腹を立てた時の怒り方が、育てられた経験しかない者は、子供と変わらん怒り方をする』と住職が。その言葉を聞いた時、親戚の叔父や叔母の事が脳裏に。父には独身の弟、妹が2人、母には、独身の姉が1人。当に、住職が言われる通り、独身の叔父、叔母は、腹の立て方が当に、子供の怒り方のそれ。私も結婚せず、子供を育てるという経験をしなかったら、ああなるのかな、と思ったら、ゾッとしました」と。
続けて、この女子高生が「今1つの衝撃は、子供を授かる話です。女性は生涯の卵の数が決められており、卵の数が年齢を増すごとに、急降下で落ちていく(出生児200万個、思春期30万個、25歳前後10万個、35歳前後5万個)という話です。また昨今は、第一子を産む平均年齢が、31歳であるという事。4組に1組が、ドクターの力を借りて、不妊の治療や検査を。不妊治療の検査で、問題は女性の方ばかりでなく、男性の精子が極端に少ない事が問題、というケースも少なからずあるという事。また、凍結卵子を解凍し、顕微授精が成功する確率は、非常に低い(ある年は、29%であったと)という事(詳細は、ググって)。凍結した時の年齢が、35歳以下と、35歳以上では、極端に差が出るという事も。この凍結保存方法ですが、私は『赤ちゃんは、この方法をとれば、絶対にできる』という認識でしたので、かなり衝撃的な数値でした」と。更に、この女子高生が「日本国(政治家さん達)は『少子化、少子化』と騒ぎ立てる前に、中学で、高校で、この数値を絡めて、現実の話をしてもらいたい。恐らく、この現実を皆、知らないと思う。そりゃ、中には『私は結婚する気もないし、子供も欲しいとは思わない』という生徒も一定数はいるでしょうが、住職がSNS内の様々な法話の中で度々『今、正解と思っている事も、時間が経ち、知識、知恵、経験が増していけば、自ずとその正解も変わっていく。10年経てば、人の考え方は変わる』と。この度の講演でも住職さんは『結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳には、いかんのだよ』と真剣に私達に話をしてくれました。ことごとく、つくづく、考えさせられました。ただ、1つだけ、国に対して文句があるんですよね」と。「何よ」と返すと「不妊治療に掛かる金額があまりに高額、という事です。『子供を産みましょう』と広く投げ掛けるのなら、国は、この不妊治療代を低額(無償)にしろよ、と。そう思わないですか、住職さん」と。最後に、この女子高生達が「だけど、住職さんは、勇気ありますよね、この時代にこんな話(結婚、出産)を。下手したら、袋叩きになるのに」と。
【結婚、離婚、年金の話】
数日前にもまた、知人の奥様(60歳)が「住職さん、もう我慢出来ない。同じ部屋で同じ空気を吸ってると思っただけで、耐えられない。夫(60歳)が定年と同時に、協議離婚します」とお寺に来て拙僧に。この話を持ってきたは、これで何度目かな。対し拙僧、この奥様に「どうしようもなく、感情が抑えられないと言うのなら、仕方がないですので、止めはしませんけど。まあ、こんな話が以前にありましたので、聞くだけでも聞いてみてください。嘗て、檀家の80代母親が、あなたと同じ思いのわが娘(50代)に対し『離婚してスッキリするんなら、私は止めはしないが。旦那の定年後に財産を分け合って離婚するなら、退職金やら、共有財産やら、等分されてお金は入ってくるが。お前の旦那なら等分しても2000万円以上は、恐らく旦那の手元に残るやろ。その旦那が死んだ時、その遺産が残る事になるが、離婚をしてたらお前には1円も入ってこない。お前のその『固い決意』とやらに、2000万円もの価値があるというんかい。私の周囲を見渡した時、特にお金に関しては、老後は旦那の方は何とかやっていけてるが、奥さんの方は皆、お金に苦労してる人が多い。年金にしても、お前の旦那は高給取りだから、離婚せずにいたら、旦那が死んでも3分の2という年金が入ってくる事になるが、お前のその『固い決意』とやらに、その年金を捨てるほどの価値があるというんかい。パートで手に出来る金額じゃないぞ。お金、お金と連呼すれば、いやらしく聞こえるかもしれんが、特に老後においては、お金というは非常に大事になってくる。嘗て、徳川家康公が、太閤(秀吉公)とは長生きが勝負と決めておった、と言われたとか、言われなかったとか。お前も根性入れて、離婚なんて馬鹿な事を考えず、長生きで勝負をせいよ。30年以上も我慢して旦那を支えてきたのに、ここでケツを割って、その財産を全て棒に振る気かい。旦那の事を、あれば便利な家財道具(掃除機、洗濯機、など)の1つ、と思えばよかろうもん。それでわが心と折り合いを付けて、もう少し辛抱してみたらどうだ』と、この80代母親は、わが娘に言ったんだって」と。
この話を黙って聞いていた、この離婚相談に来られた知人の奥様が「家の中にある家財道具の1つと思え、ですか。そう考えたら、少しは我慢が出来そうな気もしますね。しかし、この話の80代のお母様(婆様)ですが、凄い人ですね」と。「うん、凄い御仁だよ。まあ、あなたも、もう少し考えてみなっせ。ここまで長年我慢してきたんだから、これまでの我慢を無駄にしなさんな。あるご夫婦なんぞは、70歳を超えて奥様の方が『もう辛抱ならん』と離婚したんだけど、その奥様が『なんか、昔の勢い(偉そうな態度)がなくなって、夫が可哀想で、哀れで』と、相変わらず文句を言いながらも最期を迎えるまで、ご主人の世話(介護含む)をされましたばい。拙僧から見たら、あなたもその様に旦那の世話をしていきそうなタイプと思いますが。この80代の母親が述べた遺産相続の話ですが、制度の理解はともかくとして『わが娘に離婚をさせたくない』の一心で、この様な話を方便を交えて、わが娘に」と拙僧、離婚相談に来られた知人の奥様に、この様なお話を。
さて、付け加え話ですが、この檀家の母親(80代)ですが、度々拙僧に「住職さん、年金の事なんだけどさ、夫は満額貰えて、奥さんはその額の3分の2というは、どう考えても納得がいかんのだよね。夫が長年に渡って会社に貢献が出来てきたも、夫の働きで会社が利益を上げて国にお金(税金)が入ったも、その夫が気持ちよく、元気に働ける様に家庭を守ってきた奥さんの働き(支え)があっての事でしょ。住職が法話で『専業主婦が交通事故で入院を。加害者に、1日9800円×入院日数を支払え、と、どこぞの地裁が言いおった』と。つまり、専業主婦の月給は、約30万円相当という事でしょ。この金額が高いか、低いかは、人それぞれ、その見解は違うだろうけど」と。更に、この80代母親が「考えてみなされ、旦那が会社で日中働いている間、奥さんも日中、家事、育児を懸命にやっとる。旦那は家に帰ってきたら、ゆったりと出来ようが、奥さんの方といえば、そこから旦那の世話という残業が始まる。そう考えたら国は、3分の2(夫死後、奥さんに入る年金額)なんてせっこい事を言わずに、奥さんにも夫と同様に、夫死後には満額の年金を支払えよ、と思う。夫が死んだ後、せいぜい支給するは10年前後でしょ。満額が支払われるとなれば、これを放棄するは、実に勿体無い話だから、離婚も減少するかもしれんし、離婚減少(両親揃い踏み)の中で子供が育てられるケースが増えれば、結婚に対する印象が変わり、結婚する子供も増えるかもしれないし、そうなれば少子化の問題、財政の問題(子供が国にもたらす利益)にも、好影響をもたらす事になるやもしれん。そう思わんね、住職」と。対し「まあ、そうだね」と返事を濁すと「わかっとるよ、1人、1人が各々個別の事情(夫婦関係)を抱えとるぐらい。昨今は、自分はこうだ、自分はこうだ、と自分の事情が正解(模範)と言わんばかりに、他の見解に文句を言ってくる人がいるからね」と。まあ、しかし、女性は現実的ですね。特に、婆様は。
拙僧の知人社長の中には数人ですが「家を守ってくれている人がいるからこそ、夫は会社で思う存分働く事が出来、会社や国に利益を齎してくれている」と内助の功に感謝して、社員の奥様の誕生日の日に、社長が贈り物や家族旅行のプレゼントを。星野仙一さんも監督時代、選手の奥様達に、そうした事をされていたと。