毎月の法話

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

3月20日の春季彼岸中日法要の後、初めて檀家の娘(35歳)さんが、旦那(41歳)さんを連れてお寺(納骨堂参り)に。「住職さん、ほら、8月12日が予定日(初産)」とお腹を指さして。「ほう、どっちや」と聞くと「産医は初め、男の子と言ったのに。女の子なんだって。まあ、どっちでもいいんだけどね」「そうか。それにしても、優しそうな旦那さんやな」「うん、優しいよ」「許してくれる人がいるから、人間関係が成り立っておるというを、忘れちゃあかんぞ」と言うと、娘さんは苦笑いを、旦那さんは下を向いて、笑みを。

この檀家の娘さんが「住職もご存じの様に、私って、物凄いわがままでしょ」「そやな」「あっさりと認めんでよ。しっかり子供を育てる事が、私に出来ますかね」と。「大丈夫だよ。君よりも、もっとわがまま(英国では、3歳の子を『デビルエイジ』と表現)が世に出てくるから。自分のわがままなんぞに、構っとる暇なんてないよ。しっかりとした親に、子供(赤子)から育ててもらえるから、心配せんでもよか」と。


          令和 7 年 4 月分 金剛寺住職短文法話集

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【本文】

今から10年程前、拙僧がSNS に法話の投稿を始めて間もなしの頃、その法話を読まれたという初老の男性が匿名で「親の遺骨を海水浴場にばら撒いたが、それがどうした」と長々文句の電話を掛けてこられまして。対し拙僧、その初老男性に「身分を明らかにせず、陰口を叩くは、SNS の中だけにされたらどないですか。電話までしてきて、文句を言うなら、どこの、何の、誰がしを名乗って、面と向かって話をされたらどげんですか。小学生の頃『意見のある人は手を挙げて、名乗ってから発言をしてください』と先生から教わりませんでしたか。連絡をくれたら待っておりますので、どうぞ、お寺(北九州市)の方へ、お越しくださいませ」と。

1週間後、その男性が事前連絡もなく、関西から突然お寺へ。拙僧は1年365日、外出布教のない日は1日もないので、ほんと、こういう訪問は非常に困るんですよね。その日、偶々偶然に居合わせたは、この初老男性との縁があった、という事なんでしょうな。お寺へ来るや否や、電話での文句と全く同じ内容を捲し立てて拙僧に。文句の内容を掻い摘んで言いますと『親らしい事を何もやっていない父親を、葬式もせず、火葬場で遺骨にして、海水浴場に捨てたのが、何が悪い』という自分の正当性を延々と。その間、拙僧は一言も返さず、黙ってその話を。その状況を『糠に釘』とでも思われたのか「もう、ええわい」と舌打ちをして帰ろうとしたので、拙僧「ちょっと、待ちんさいや。3時間も、4時間も、拙僧を拘束しておいて、言いたい放題言って、どこかスッキリした様な顔をしてくさ、お布施の1つも置いて帰らんのかいな」と投げ掛けると、口元を捻じ曲げて「幾ら置いていけばいいんだ」と返されたので「1000円」と答えると、気の抜けた声で「おっ、おう、1000円やな、ほら」とテーブルに裸銭を、トン、と音を立てて置き、初老の男性は下山して行かれました。

その1週間後、また、その初老男性が連絡もよこさず、お寺へ。その日も偶々、拙僧はお寺に。この初老の男性には余程、会わなきゃならん縁があるんでしょうかね。その日の男性は、以前とは打って変わって、礼儀正しい姿勢で拙僧に話を。「この前の話ですが、住職、私自身の事情(感情)だけで、父親の葬儀もせず、遺骨を海水浴場に投げ捨てたんです。実は、この話は2年前の事だったのですが、それより後、子供達から距離を置かれる様になり『俺の気持ちなど、何もわからんくせに、こいつらは』とイラついていたところに、住職の『散骨とは、名ばかり。聞こえはいいですが、あれは海に捨ててるんでっせ』の法話に縁があって、気持ちをぶつけるところがなかったので、つい、住職に噛み付いたという次第でして」と。続けて、その初老男性が「ほんと、申し訳ありませんでした。住職に噛み付いていた数時間の間、住職が黙って聞いてくれていた事で、途中で何度も『父親にもそれなりの事情があったは、知ってただろ。遺骨を人が踏み付ける海水浴場にばら撒くは、あまりにも可哀想だという事を、お前もわかっていたはずだ』と、自分自身の心に言い聞かせる瞬間が、何度も、何度もありました。住職のところから帰って1週間、ずっとその事で自分なりに反省をしておりました。しかし、現在も尚、子供達からは、一定の距離を置かれている状態でして。非常識な事をやったんだから、仕方がないのですが。これが、非常に辛くて、ですね。何か、子供達との間を改善する手立てはないでしょうか」と。

対し、拙僧「あなたの父親とあなたの関係は、子供達には知らない世界の話ですもんね。子供達にとっては『大好きな爺ちゃんに、こんな仕打ちをした』という事実だけが残っているだけで。投げ捨ててしまった遺骨を今更、拾い集めるは到底無理な話ですが、投げ捨てたピンポイントの場所(海辺)の砂をひと摘み、喉仏を入れる小さな骨壷に入れて、納骨堂か、お墓に納めてみては如何ですか。菩提寺(先祖を供養しているお寺、自分達の葬儀をしてくれるお寺)は、ありますか」と問うと、初老男性が「はい、あります。父の時は不義理を致しましたが」「そこのご住職に、その一連の話をして、改めて葬儀(密葬)をして頂き、お父さんの戒名を授けてもらって下さい。参列は家族と親しい親族、お父さんと所縁(ゆかり)の深い友人、知人だけでいいですから。今、あなたに出来る事は、これだけです。これで、子供達の心がどう変わるかは、子供達次第ですけどね」「わかりました。本当は気になっていた事(父親の葬式、供養)なので、そうしてみます」と初老の男性が。1ヶ月後、その初老男性、今度は連絡をよこしてから、お寺に。そして拙僧に「有難うございました。無事に父の葬儀(密葬)と納骨(拾ってきた浜辺の砂)が終わりました。浜辺の砂(遺骨の代わり)については、住職(拙僧)に教えてもらった通り、菩提寺のご住職さんにその事を説明し、骨壷の中にある遺骨が砂である事の訳を、わが家の過去帳に記載してもらいました。これで、後世の子孫も『何故、骨壷に砂』の理由が納得出来ると思います。一連の流れ(私達親子が不和になった経緯も含)を話した事で、子供達との距離も随分縮まりました。考えてみたら、住職(拙僧)に文句を言いに行った事が、この様な縁に繋がるとは、ほんと、縁というは有り難く、不思議なもんですね。本当はあの時、住職(拙僧)に文句を言いに行こうか、行くまいか、迷ったんですけどね。どう考えても、ただの八つ当たりですから。が、言いに行った事が、今となっては正解となりました。『虫の声』とは、こういう事を言うんでしょうかね。本当に、有難うございました」と、この初老の男性が。

このご縁により10年近く、この世に存命の間は、この初老男性、遠方からわざわざ定期的(年2回程)にわが寺へ足を運んで来られました。拙僧とは信仰の話は一切せず、意味のない馬鹿話をする為だけに。縁というは、ほんと、異なもの味なもの、ですよね。この初老の男性が亡くなられたは、子供さん達がわざわざ関西から足を運んで知らせてくれました。その折に「10年前にご住職のところへ行ってから、父はガラッと変わりました。早くお礼に、と思っておりましたが、ご住職と父のご縁の関係に割って入るはよくないと考え、今日まで控えておりました。本当に有難うございました。骨壺内の砂(祖父の遺骨代わり)の事ですが、50年後、100年後の子孫達が見た時に『その時の感情だけで散骨すれば、後々に、こうしなければならなくなる』という子孫達の良き教訓になるとなると思います。本当に有難うございました」と。この初老男性は、しっかりと子供さん達を育てられていたんだな、と思いました。因みに、拙僧の法話を読んだ人達が、年間に何人かですが「親の遺骨を散骨(海に捨てる)にした事を今、非常に後悔しています」といった連絡が、時折入ってきます。

余談ですが、この手の話(散骨)は何度かSNSで投稿させて頂きましたが、その度に必ず数人ですが「私も親の遺骨を海に散骨したが、後悔など全くしてない。皆が皆、後悔してると勝手に決め付けるな」と的外れな、明後日の方角から噛み付いてくる人達が。この法話のどこをどう読んだら、そんな理解になるのか、と。

最後に、先日、この様な話が読者の女性(母親)から入ってきました。その母親が「息子が大学(有名大学)を中退し 、俺の夢は『ああじゃ、こうじゃ』と自分が共感(心地よい)出来る本ばかりを読んで、理想ばかり吠えまくるので、堪り兼ねて、住職さんの言葉を借り、息子に『文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる。建設的意見のない文句、講釈は、雑音でしかない』と言ってやりました。情報過多の時代背景から、頭でっかちになって、自分が知ってる事だけが正解、と言わんばかりに捲くし立ててくる。経験なき知識ばかりが身に付いて、ほんと『ただの物知りさん』ですよ。この『勉強だけは出来るんだが』の典型息子に、怒りもマックスになり『本の中だけで、生きてんじゃねえよ。さっさと社会に出ろや』と言ってしまいました。講釈言いの息子が、初めて閉口しました。すいません、言葉が汚くて。結局のところ、親がこんな風に育てたんですけどね」と。「そんな激しい言葉を、拙僧が法話で書きましたかね」と返すと「書かれてましたよ。家に篭りっぱなしで、全く外へ出ず、本ばかりを読み漁っている物書き(小説家)志望の青年に、以前、住職が放った言葉です。まあ、私ほど激しい言葉遣いではなかったですが」と。よっぽど、腹が立ったんでしょうね、この読者のお母さんは。


          令和 7 年 4 月分  金剛寺住職 臨時法話

昨年の秋に拙僧、ある団体で講演をさせてもらいましたが、その講演に参加していた女子高生(優秀校)から、連合で電話がありまして。彼女達曰く「住職は私達女子高生(約40人)に、少子化がもたらす様々な問題を指摘してくれましたが、その話を聞いていて、かなりの友人達が『早く、若い内に、結婚をしなきゃ』と心を動かされました」と。その電話の中の1人が「実は住職さんのお話の中で、私の心に響いた事が2つあって、その1つは『一概には言えないが、育てられた経験しかない者、育てた経験のない者は、いつまで経っても、大人になってない様に感じる。子育てというは、1に我慢、2に我慢。子供が成長するを、ひたすらに待つが、親の仕事。その間に親も、子供からしっかりと育てられていく。常日頃は、その差(育てた経験のある者、ない者)は、殆どわからないが、腹を立てた時の怒り方が、育てられた経験しかない者は、子供と変わらん怒り方をする』と住職が。その言葉を聞いた時、親戚の叔父や叔母の事が脳裏に。父には独身の弟、妹が2人、母には、独身の姉が1人。当に、住職が言われる通り、独身の叔父、叔母は、腹の立て方が当に、子供の怒り方のそれ。私も結婚せず、子供を育てるという経験をしなかったら、ああなるのかな、と思ったら、ゾッとしました」と。

続けて、この女子高生が「今1つの衝撃は、子供を授かる話です。女性は生涯の卵の数が決められており、卵の数が年齢を増すごとに、急降下で落ちていく(出生児200万個、思春期30万個、25歳前後10万個、35歳前後5万個)という話です。また昨今は、第一子を産む平均年齢が、31歳であるという事。4組に1組が、ドクターの力を借りて、不妊の治療や検査を。不妊治療の検査で、問題は女性の方ばかりでなく、男性の精子が極端に少ない事が問題、というケースも少なからずあるという事。また、凍結卵子を解凍し、顕微授精が成功する確率は、非常に低い(ある年は、29%であったと)という事(詳細は、ググって)。凍結した時の年齢が、35歳以下と、35歳以上では、極端に差が出るという事も。この凍結保存方法ですが、私は『赤ちゃんは、この方法をとれば、絶対にできる』という認識でしたので、かなり衝撃的な数値でした」と。更に、この女子高生が「日本国(政治家さん達)は『少子化、少子化』と騒ぎ立てる前に、中学で、高校で、この数値を絡めて、現実の話をしてもらいたい。恐らく、この現実を皆、知らないと思う。そりゃ、中には『私は結婚する気もないし、子供も欲しいとは思わない』という生徒も一定数はいるでしょうが、住職がSNS内の様々な法話の中で度々『今、正解と思っている事も、時間が経ち、知識、知恵、経験が増していけば、自ずとその正解も変わっていく。10年経てば、人の考え方は変わる』と。この度の講演でも住職さんは『結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳には、いかんのだよ』と真剣に私達に話をしてくれました。ことごとく、つくづく、考えさせられました。ただ、1つだけ、国に対して文句があるんですよね」と。「何よ」と返すと「不妊治療に掛かる金額があまりに高額、という事です。『子供を産みましょう』と広く投げ掛けるのなら、国は、この不妊治療代を低額(無償)にしろよ、と。そう思わないですか、住職さん」と。最後に、この女子高生達が「だけど、住職さんは、勇気ありますよね、この時代にこんな話(結婚、出産)を。下手したら、袋叩きになるのに」と。

【結婚、離婚、年金の話】

数日前にもまた、知人の奥様(60歳)が「住職さん、もう我慢出来ない。同じ部屋で同じ空気を吸ってると思っただけで、耐えられない。夫(60歳)が定年と同時に、協議離婚します」とお寺に来て拙僧に。この話を持ってきたは、これで何度目かな。対し拙僧、この奥様に「どうしようもなく、感情が抑えられないと言うのなら、仕方がないですので、止めはしませんけど。まあ、こんな話が以前にありましたので、聞くだけでも聞いてみてください。嘗て、檀家の80代母親が、あなたと同じ思いのわが娘(50代)に対し『離婚してスッキリするんなら、私は止めはしないが。旦那の定年後に財産を分け合って離婚するなら、退職金やら、共有財産やら、等分されてお金は入ってくるが。お前の旦那なら等分しても2000万円以上は、恐らく旦那の手元に残るやろ。その旦那が死んだ時、その遺産が残る事になるが、離婚をしてたらお前には1円も入ってこない。お前のその『固い決意』とやらに、2000万円もの価値があるというんかい。私の周囲を見渡した時、特にお金に関しては、老後は旦那の方は何とかやっていけてるが、奥さんの方は皆、お金に苦労してる人が多い。年金にしても、お前の旦那は高給取りだから、離婚せずにいたら、旦那が死んでも3分の2という年金が入ってくる事になるが、お前のその『固い決意』とやらに、その年金を捨てるほどの価値があるというんかい。パートで手に出来る金額じゃないぞ。お金、お金と連呼すれば、いやらしく聞こえるかもしれんが、特に老後においては、お金というは非常に大事になってくる。嘗て、徳川家康公が、太閤(秀吉公)とは長生きが勝負と決めておった、と言われたとか、言われなかったとか。お前も根性入れて、離婚なんて馬鹿な事を考えず、長生きで勝負をせいよ。30年以上も我慢して旦那を支えてきたのに、ここでケツを割って、その財産を全て棒に振る気かい。旦那の事を、あれば便利な家財道具(掃除機、洗濯機、など)の1つ、と思えばよかろうもん。それでわが心と折り合いを付けて、もう少し辛抱してみたらどうだ』と、この80代母親は、わが娘に言ったんだって」と。

この話を黙って聞いていた、この離婚相談に来られた知人の奥様が「家の中にある家財道具の1つと思え、ですか。そう考えたら、少しは我慢が出来そうな気もしますね。しかし、この話の80代のお母様(婆様)ですが、凄い人ですね」と。「うん、凄い御仁だよ。まあ、あなたも、もう少し考えてみなっせ。ここまで長年我慢してきたんだから、これまでの我慢を無駄にしなさんな。あるご夫婦なんぞは、70歳を超えて奥様の方が『もう辛抱ならん』と離婚したんだけど、その奥様が『なんか、昔の勢い(偉そうな態度)がなくなって、夫が可哀想で、哀れで』と、相変わらず文句を言いながらも最期を迎えるまで、ご主人の世話(介護含む)をされましたばい。拙僧から見たら、あなたもその様に旦那の世話をしていきそうなタイプと思いますが。この80代の母親が述べた遺産相続の話ですが、制度の理解はともかくとして『わが娘に離婚をさせたくない』の一心で、この様な話を方便を交えて、わが娘に」と拙僧、離婚相談に来られた知人の奥様に、この様なお話を。

さて、付け加え話ですが、この檀家の母親(80代)ですが、度々拙僧に「住職さん、年金の事なんだけどさ、夫は満額貰えて、奥さんはその額の3分の2というは、どう考えても納得がいかんのだよね。夫が長年に渡って会社に貢献が出来てきたも、夫の働きで会社が利益を上げて国にお金(税金)が入ったも、その夫が気持ちよく、元気に働ける様に家庭を守ってきた奥さんの働き(支え)があっての事でしょ。住職が法話で『専業主婦が交通事故で入院を。加害者に、1日9800円×入院日数を支払え、と、どこぞの地裁が言いおった』と。つまり、専業主婦の月給は、約30万円相当という事でしょ。この金額が高いか、低いかは、人それぞれ、その見解は違うだろうけど」と。更に、この80代母親が「考えてみなされ、旦那が会社で日中働いている間、奥さんも日中、家事、育児を懸命にやっとる。旦那は家に帰ってきたら、ゆったりと出来ようが、奥さんの方といえば、そこから旦那の世話という残業が始まる。そう考えたら国は、3分の2(夫死後、奥さんに入る年金額)なんてせっこい事を言わずに、奥さんにも夫と同様に、夫死後には満額の年金を支払えよ、と思う。夫が死んだ後、せいぜい支給するは10年前後でしょ。満額が支払われるとなれば、これを放棄するは、実に勿体無い話だから、離婚も減少するかもしれんし、離婚減少(両親揃い踏み)の中で子供が育てられるケースが増えれば、結婚に対する印象が変わり、結婚する子供も増えるかもしれないし、そうなれば少子化の問題、財政の問題(子供が国にもたらす利益)にも、好影響をもたらす事になるやもしれん。そう思わんね、住職」と。対し「まあ、そうだね」と返事を濁すと「わかっとるよ、1人、1人が各々個別の事情(夫婦関係)を抱えとるぐらい。昨今は、自分はこうだ、自分はこうだ、と自分の事情が正解(模範)と言わんばかりに、他の見解に文句を言ってくる人がいるからね」と。まあ、しかし、女性は現実的ですね。特に、婆様は。

拙僧の知人社長の中には数人ですが「家を守ってくれている人がいるからこそ、夫は会社で思う存分働く事が出来、会社や国に利益を齎してくれている」と内助の功に感謝して、社員の奥様の誕生日の日に、社長が贈り物や家族旅行のプレゼントを。星野仙一さんも監督時代、選手の奥様達に、そうした事をされていたと。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

大学時代に拙僧、何とも口の多い友人がいて、2人で度々通っていた京都の蕎麦屋さんがあって、営業時間がまちまちで、ほぼ、2、3時間の営業。ある日、友人が「いいよな、この蕎麦屋。2、3時間だけ仕事するだけで、飯が食えていけるんだから」と。対し、拙僧「あのな、お前さん。俺(拙僧)な、毎朝7時にバイトに出かけるんだが、その時、バイクで蕎麦屋さんの前を通るんだよ。月に数度だが、蕎麦屋の大将が仕事している姿を目にするんだよな。その時間から働いているとしたら、午後2時まで営業し、後片付けまで入れたら、10時間以上だぞ。氷山も見えている部分は、約2割か3割ほど。7割(開店するための準備)は、海の中だよ。自分が見えている部分だけを『それが全て』と決め付て、人を評価しちゃあかんよ。判断が鈍る事になるぞ』と友人に注意した事がありましたね。近頃(昨今)巷に起こっている正義感の暴走、誹謗中傷を見てると、この氷山の一角だけを見て、騒ぎ立ててる人が多い様に思われますよね。

【1日の投稿法話の本文に入ります】

令和 7 年 3 月分 金剛寺住職短文法話集

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【本文】

2005年(平成17年)3月20日、午前10時53分に発生した福岡西方沖地震は、春の彼岸中日法要開始の5分前の事でしたね。法要準備を整え、拙僧、本堂脇の客殿に控えていると、地面から「ゴー」という低い音が。洞海湾沿いの製鉄所で何か事故でもあったのかな、と思った瞬間、大きな揺れが突然に。咄嗟に、2年前に他界していた父(金剛寺先代)に「親父、ここにおらっしゃる参拝中の檀家さん達を死なすなよ」と必死に心の中で。石段(130段)下で駐車場の係をしていた人達(檀家男性)が「駐車中の車が波打って、上を見上げるとくさ、お寺の本堂が大きく揺れて、倒れりゃせんかと心配したわ」と。ところが、法要のため本堂内にいた檀家の爺様、婆様達は、そりゃもう落ち着いたもんで「住職よ、ここ(わが寺)で死ねたら、本望たい」と。

それから2年後、2007年(平成19年)7月16日に発生した、新潟県中上越沖地震の時ですが、テレビ局が福岡西方沖地震の時に被災した小学生達に「当時、全国の学校から届けられた支援物資ですが、有難かったですか」とインタビューを。問われた小学生達は、暫く無言で渋い顔をしておりましたが、重い口を開いて「今だから言いますが、届けられた支援物資の中には、使い古した汚れた服、汚れた下着、ボロボロの靴。使えそうにない短い鉛筆、消しゴムなど。お気持ちは勿論、有難かったですよ。でも、僕達は被災者であって、乞食じゃない。あなた達なら使いますか、この様な物を。僕達はこの様な物、新潟には絶対に送りません」と。このテレビ放送を見ていた拙僧の子供(当時高校生)が「父さん、全国の学校から届けられたこの支援物資だけど、梱包したのは間違いなく、先生と保護者達だよね。その時、何とも思わなかったんだろうか」と。この時(当時)、この被災した子供達の率直な意見に対し、SNS 内やその他方々で文句を言った人達が。何にでも文句を言ってくる人、噛み付いてくる人は、一定数はおりますもんな。「今は、そこじゃないだろ」と思いますけどね。

わが寺の檀家さんには、海上保安庁に勤務されてる方が数人おられまして、その方々が「住職、この被災(福岡西方沖地震)した子供達が訴えた事だが、本当の事だよ。支援物資を運んだも、仕分けしたも、自分達だったからね。『こりゃ、流石に使えんだろ』と思える物は、結構に多かったんだよな。『これは使える物、これは使えない物』と整理するだけでも、相当の時間と労力と費用(ゴミ処理料金)が掛かる。送って頂くのは、大変有り難い事なんだが、時間と労力を他の事(撤去作業など)に使いたいので、願わくば、支援金にして頂いた方が非常に助かるんだよね。被災地でいる物(不足している物、今、必要な物)は、被災地で(私達で)買い揃えますので。住職が時折、法話の中で、自分にとって『必要のない物、捨てる物、処分したい物』を分け与えるを、施しとは言わない、と。ほんと、そうだと思う。少しでもいいから『自分が被災者だったら』という気持ちになってもらえたら、と思います。勿論、大半は、そんな心の人ばかりだとは、思いますけどね」と。

さて、今月の3月20日は11時から、春の彼岸中日法要が。檀家さんがこぞって参拝されてきます。先祖の供養というは、産んでもらって、育ててもらって、お世話になってきた人達へのご恩返しにて。この受けたご恩ですが、自分の命が続く限り、消える事はありません。昨年の春の事ですが、檀家さんの家に彼岸の仏壇参りに伺うと、そこの家の高校生男子から「住職さん、彼岸って『彼の岸(かのきし、あの世)』っていう意味なんだろ。ほんとに『あの世』ってあるのかな。俺ね、絶対にあってほしいんだよな。死んだら終わりだなんて、哀し過ぎるでしょ。夢も希望もないもの(死)に向かって今、俺は生きてるなんて思ったら、やりきれんわ。絶対にある(あの世)よね、住職さん」と、この子が拙僧に。「絶対かどうかは、死んだ事がないからわからんが、ある(あの世が)と信じた方が、寂しくないし、夢も希望も膨らむだろ。拙僧も必ずあると信じてるよ。先に旅立った祖父母、父母、叔父叔母、知人、友人にも会いたいし、何より、向こうでもまた、妻と一緒に暮らしたいからね」と。余談ですが、わが寺では、春、秋の彼岸の法要には、常に手作りバザー(被災地支援の為)を。檀家さん達が手作りの惣菜や手作りの小物などを持ち寄って、それを若い人達が売り子になって、ご参拝者の方々に。売上金(全額)はこの度は、金沢に送らせて頂くと、係の人が言っておられましたね。

因みに、今年は3月23日をもって、7日間の春季の彼岸期間が終了致しますが、彼岸とは『彼の地(岸)』と言って『極楽浄土』の事を指します。彼岸の期間は、ご先祖様の供養は勿論の事、他には、私達が極楽浄土へ向かう為の修行の期間という意味合いもありまして。中日を挟んで、前半3日は、布施(ふせ、施しの心を持つ事)、持戒(じかい、戒律を守り、自己反省を)、忍辱(にんにく、忍耐の心を持つ)の修行(自己確認)を。後半3日は、精進(しょうじん、努力の実践)、禅定(ぜんじょう、精神を統一する)、智慧(ちえ、知恵を会得し、命のなんたるかを悟る)の修行(自己確認)を。まあ、これは、あの世(彼の地)があろうと、なかろうと、持っておかにゃならん、心の作用ですが。今日までの振り返りをこの期間に為し、自分の人生を見つめ直してみよ、という事。まあ、偶には、住職らしい話も、やらないとですな。

さて、昨年の事ですが、檀家の娘(40歳)さんが、お彼岸の納骨堂参りに。その時、拙僧に「私の実家は今、父が亡くなり、母だけですが、母(現在、肺癌で余命1年)が他界した後、実家の仏壇を嫁ぎ先の家に持って来るっていうのは、可能ですか。子供は私1人しかいないので」と。対し拙僧「ご主人さんが了承すれば、いいと思いますが、早かれ遅かれ、永代供養にしてお寺に預ける事になりますよね。『立つ鳥跡を濁さず』ですね。子供達、孫達に、母親の実家まで延々と世話させ続けるは、あかんかな。その為の永代供養(この先は永代に、お寺にお任せする)です。あなたの実家と同じ様な家庭事情の家で、納骨堂を実家の仏壇にしている家が、わが寺では数家(仏壇位牌を納骨堂に。投稿写真参照)ありますよ」「えっ、そんな事が出来るんですか」と。「わが寺では、その様にしてあげてるよ。あなたが歳をとって、そろそろ嫁ぎ先の家から、実家の仏壇をお寺に預けようかな、と思われたら言ってきてください。そうしてあげますから。これから先は、結婚をしてない人が数多におらっしゃるから、こういう形になる家が、少なからず増えてくるかもしれないですね」と。

【余談】

昨年の暮れは、仙台で檀家82歳男性の葬儀をさせてもらいました。仙台のどこかのお寺さんに頼むという手もあるのに、わが寺が菩提寺という事で、わざわざ北九州の拙僧を呼んでくれました。ほんと、有難い事ですよね。因みに、檀家は宮城以外にも、大阪、愛知、神奈川、千葉にも。拙僧は高い所が苦手なので、如何に遠方でも、移動は全て新幹線です。小倉を10時頃の新幹線に乗れば、18時過ぎには仙台に着きますので、通夜の時間には十分に間に合います。何の問題もない。葬儀の後、奥様に「位牌は、夫婦位牌(めおといはい)にしましょうね」と持ちかけると「え〜、死んだ先まで、横に並ばないといけないの」と心にもない事を。「気心がわかっているから、楽でしょ。未来永劫の話なんだから。ご主人の戒名は、名前の『好(このむ)』を貰いましたよ。ご主人のご両親は恐らく、命名する際に『魅力的な人間に育ってくれる様に』との思いで、この『好』という漢字を選ばれたんではないかな、と推察します。実際、そんな人間に成長し、人情に厚い人生を過ごされましたもんね、ご主人さんは。そういう意味合いから『淳』の漢字を使い『〇〇院〇〇好淳居士位』と。先で奥様が他界した時には、お2人の遺骨を粉砕機にかけて粉状態にしましょうね。1つの骨壷に十分納まるから、寂しくない様に、その様にしましょう」と言うと、また「え〜」と嬉しそうに、心にもない声を。昨今、わが寺の檀家さん、特に旦那さんの方が、夫婦位牌、夫婦骨壺、を望まれる人が多くなってきましたね。やはり、奥さんというは、特別な存在なんでしょうな。拙僧も「天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿」ですもんね。

令和 7 年 3 月分  金剛寺住職 臨時法話

嘗て、北九州において、高校球児だった檀家男性(現在51歳)が拙僧に「住職は1992年の第74回全国高校野球選手権大会での2回戦、明徳義塾高等学校(高知県)対 星稜高等学校(石川県)の試合であった、松井秀喜さんへの5打席連続敬遠を覚えてますか」と。「どうしたの、今頃」「いや、テレビで松井さんを見てね、当時の事が脳裏に」「勿論、覚えてるよ。拙僧はその時、30歳だったもんな。マスコミが大いに騒ぎ立て『勝利至上主義』の物議が社会現象になったもんね。爆破予告まで出て、大変な騒ぎになったもんな。高校野球において、これほど真っ二つに意見が分かれた事例は、そう多くはなかったんじゃないかな。どちら(敬遠賛成、反対)の意見が正しいかなんて、それこそ、真剣勝負をしている当人さん達にしか、判断出来ないんじゃないかな。そういえば、確か、この大会(43年前)から、甲子園のラッキーゾーンが撤去されたんだよね」と。対し、檀家男性が「住職さんは当時、5打席連続敬遠は、認める派、認めない派、どっち側でしたか」と。「そうか、君は当時、松井さんと同じ年で、高校球児だったもんね。そうだね、どちらかと言うと、拙僧は認める派かな。その高校(明徳義塾)がどこに目標を置いていたか、だよね。あくまでも『優勝』というものに目標を置いていたのか、1試合でも多く試合をして、ベンチの選手を全員、甲子園に出場させてあげたかったのか、その時のチーム事情があったのか。負けたら即、引き上げの甲子園だもんね。甲子園出場の切符を勝ち取るまでに、地区予選において、どんなドラマがその高校(明徳義塾)にあったかなんて、部外者には全くわからん事でしょ」と。

続けて拙僧「その場だけの状況(5打席連続敬遠)を見て、部外者が是非の判断をするは、あまりにも軽々かな。人がそう動くからには、そう動くだけの理由が、必ずあるもの。43年前にSNSなんてものがなくて、本当によかったと思うよ。昨今の様に『正義感が暴走』出来るツールがあったら、相手投手(同高校、同高校球児達)は、どれだけ誹謗中傷を世間から浴びせ掛けられた事か、最悪の事態(人生ストップ)まで起こっていたかも。考えただけで、ぞっとするわ。それに対して松井秀喜さんはその後『5打席連続敬遠された、という事実に相応しい選手になろう』と心に誓ったそうだもんね。もちろん、この2人(松井秀喜さんと相手投手)、後に再会し、この事について談笑したそうだよ」と。

すると、檀家男性が「住職さん、この私との会話をSNSに投稿したら、昔の事とは言え、蒸し返されて、袋叩きに合うんじゃないの。昨今は、人を陥れる情報に飢えてる時代だから」と。対し、拙僧「その言葉だが、昨今、よく使われる言葉だよね。だけど、大丈夫だと思うよ。このあなたとの会話だけど、結構教訓も詰まってるし、懐かしむ人達もおられるだろうから。NHKの朝ドラ『おしん』が再放送されても、炎上なんてしてないでしょ。今現在にリアルタイムで放送されたら『おしん』なんて、間違いなく大炎上も大炎上だよ。再放送(昔の物)なら騒がず、静観して見る事が出来るなら、今現在リアルタイムのドラマも、その心で見りゃいいものを、と思うけどね。だから『拙僧は、松井秀喜さんの5回連続敬遠は、認める派でっせ』と言っても、43年前の事だから、文句言ってくる人など、恐らくいないでしょ。それにしても、この松井さんへの敬遠ですが、当に、球史に残るものになってるよね。ほとほと凄い選手だと思うよ」と。

続けて拙僧、この檀家男性に「凄い選手といえば、松井秀喜さんより1学年上には、イチロー選手がいるよね。イチローさんは、愛工大名電で2度、甲子園へ出場されているもんね。そのイチローさんにおいては、こんな話が。自分のせいで敗戦した時、宿泊所の玄関で座り込んで泣いていると『人間は負ける事で、力を付けていくんだよ』と声を掛けてくれた人がいたと。それが横綱の曙さんであったという事だもんね。徳川家康公が『勝つ事ばかりを知り、負ける事を知らざれば、その害、わが身に及ぶ。及ばざるは、過ぎたるより、勝れり』と後世に教訓を。愛知県出身の家康公の言葉というが、また、縁を感じるよね」と。因みに、イチローさんですが、ドラフトの指名は、4位であったと。信じ難いでしょ。他にも、工藤公康さんはドラフト6位、掛布雅之選手もドラフト6位、金本知憲選手はドラフト4位と。叩き上げから球史に名を残したは、他にも少なからず。イチローさんが「夢や目標を達成するには、1つしか方法はない。小さな事を積み重ねること」と。確かに、そうですね。人は自分がしてきた事、やってきた事が、今ここにある結果(答)ですもんな。

今1つ、凄いと言えば、野球選手ではないですが、米国の映画俳優シルベスタースタローンさんですかね。拙僧の好きな俳優さんの1人ですが、自分の愛犬を売らなければならない程、お金がない困窮時代に、ボクサーの映画を世に出したいと脚本を書き、映画界に持ち込むと、その筋の人達から注目を浴びたと。だが「主役は自分がしたい」のスタローンさんの要望に対し、プロデューサーから「主役は有名俳優を使うので、諦めてくれ」と大金を積まれたが、断固としてそれを拒否し、主役として成功を掴み取り、現在の地位を手にする事に。案外にプロの人達が否定(シルベスタースタローンさんが主役ではヒットしない)するものが、成功するものって多いですよね。寺尾聰さんの『ルビーの指環』などもその1つで「こんなお経みたいな歌、売れませんよ」とその筋のプロの人達から。が、その結果は、みなさんもご存知の通りですもんね。ほんと、犬も歩かにゃ、棒にも当たらん、ですわな。何でもがそうですが、否定から入ったら、得るものはないですよね。まず動いてみよ、ですよね。拙僧は映画『ロッキー』も当然好きですけど、歳を取られてから、燻し銀の老俳優さん達を集めて制作されたアクション映画(エクスペンダブルズなど)の方が、どちらかと言えば好きですかな。70歳を超えてのあのアクションシーンですが、常日頃、どれだけ体作りに努力をされているんでしょうね。並大抵の努力ではないと思いますよ。70歳半ばの矢沢永吉さんも、小田和正さんも然りです。それを考えたら、拙僧はまだまだ、63歳にて。人間は死ぬまで、生きとかにゃならん。どう生き抜くか、大いにその参考になる人達ですね。

【おまけ】

時折、読者の女性達、檀家や知人の若夫婦達から「子育てで、気を付ける事は、何かありますか」と問われる事があるんですが、その問い掛けに拙僧「短所を抑え過ぎたら、長所までも萎みますよ。その短所、長所も親の主観による勝手な決め付けでしょ。正論(自分勝手な正論)を押し付け過ぎたら、優しさが欠けますばい。そうなると、家庭の中がギスギス、ギクシャクして、気まずい雰囲気になるので、気を付けましょうね」と問い掛けをしてくる人達には、その様に話をしております。昨今の日本国内が当に、こんな状態ですもんな。世相の流れが家庭の中にも浸透してきて、ほんとこの国は今、正義感の暴走状態にて」と。また、この問い掛け者達には拙僧、次の様な話も付け加えて、話をさせてもらっています。「その昔、敵対する2国があって、一方の国が敵国の麦畑に毒麦の苗を植えた。その情報を掴んだ国の重臣達が王様に『家臣達に、毒麦の苗を探しだせ、と命令して、すぐに抜き取らせますので』と進言すると、王様が『いや、麦が成長するまで待て。今の時点で抜き取れば、良い麦までも抜き取る事になりかねん』と重臣達を止めたそうですよ」と。この話は、子育ての相談に来た若い夫婦達には、結構参考になるみたいですね。時間をじっくりと掛けた方が良いもの、時間を掛けず、即座に動いた方が良いもの、その見極めが大事である、というを考える参考にしておられるみたいです。

すると、この上記法話を見た読者女性が「この王様の様な冷静な判断の出来る人達が増えたら、もう少しは、昨今のギスギスした社会が回避出来るのではないか、と思うのですが。住職さんが1ヶ月程前に投稿された法話の中で『清廉潔白で人畜無害、真面目ではあるが、仕事の出来ない政治家さんと、破天荒で英雄色を好み、豪快、横柄ではあるが、仕事の出来る政治家さんと、さて、どちらのタイプが政治家として国民の益になりますか』との問い掛けをされてましたよね。その時、私、一応考えたのですが、仕事が出来る政治家さんを個人的なスキャンダルで失うは、あまりにも勿体無いかな、と。政治家さんが浮気、不倫したからとて、私達国民の生活には何の影響もない話にて。が、如何に人畜無害で真面目でも、政治手腕がないは、私達国民にとっては、不利益でしかない。仕事と個人の問題を、ごっちゃにしたらあかん。糞も味噌もごっちゃにしたら、それこそ住職が言われる『短所を抑え付け過ぎたら、長所までも萎んでしまう』という事に、なり兼ねないですよね」と。

次回の投稿法話は、3月5日になります。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

わが寺(金剛寺)では、子供達や会社員の人達が参拝できる様に、毎年2月の第一日曜日(今年は明日、2月2日)に節分法要を勤めさせて頂いております。撒かれる豆の中には、お菓子類や柔らかい餅などもあり、子供達も大人も、大いに楽しい時間を過ごします。お接待は、1年間の健康を願って『大根炊き』が振る舞われます。特に今年は巳年にて、蛇がお仕えする『弁財天(七福神唯一の女性の神)』さんを、45年振りに社(やしろ)の中から本堂へとお迎えして、参拝者さん達には、ご神体に触れて頂きながら、願いを掛けてもらいます。蛇は脱皮しながら成長していく生き物にて、よって、今年(巳年)は『成長と繁栄』の年。参拝者さん達には、向上を願う趣旨全般、子孫繁栄、家紋反映、事業繁栄、商売繁盛、学業上達、開運上昇、金運上昇、人生開花など、しっかりと弁財手さんにお願いしてくださいと。願う事により「よし、これで弁財天さん、きっと、後押しをしてくれるだろう」という期待感が、免疫を向上させ、やる気と努力に拍車を。

特に、各法要に参拝してきた子供達には拙僧「願いを持たなきゃ、願いが叶う事はないよ。夢を持たなきゃ、夢が叶う事はないよ。だけど、なんぼ、神仏にお願いしても、一生懸命に努力をしなきゃ、夢も願いも叶うなんて事はないよ。種は撒かなきゃ、芽は出らん。犬も歩かにゃ、棒にも当たらん。牡丹餅も、自ら作って棚の上において置かにゃ、落ちてくる事はない。いいかい、常に自分の心に『まず、動け』と発破を掛けなきゃ」と。添付写真は、わが寺の弁財天(水の神)さん。45年ぶりの衣装替えを。

【1日の投稿法話の本文に入ります】

令和 7 年 2 月分 金剛寺住職短文法話集

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【本文】

昨今、また、檀家、知人、拙僧の法話読者から、若者(小、中、高、大、から、30代まで)の引き篭もりや、自死の相談を受ける事が多くなってきました。その要因は様々なれど、拙僧が受けた相談の範疇では、その生い立ち(家庭環境、親子不和)が子供達の将来に、大きく影響(自死の回避、自死の決行)を及ぼしている様に見受けられます。そこで今日の法話は、『子供に関する相談(自殺防止)を受けた折に、親御さんに対し助言した『自殺防止となるやもしれない言葉』を紹介させて頂こうと思います。何かしらの参考になりますれば。

【責任を全て自分以外に押し付けるタイプの親御さんに】

「子供が物心付いて、最初に人間の理不尽(夫婦喧嘩、嘘、偽り、誤魔化し、人の悪口、噂話、誹謗中傷)を目にするは、親の言動からですばい。国や社会に文句ばかり言わず、親はまず、自らの姿勢に目を向けないとあかん。子供に見せたくないテレビ番組で『8時だよ、全員集合』や『俺たち、ひょうきん族』や『クレヨンしんちゃん』などが、子供に悪影響を、と敵視されておりますが、テレビ番組だけを叩いてもね。1歩外へ出たら、世の中は理不尽な事ばかり。子供達が社会において見聞きしてきた様々な不条理を、濾過する事が出来る家庭を構築する事が、まずもってやらなきゃならんこと。それこそが、親の役目ですばい」と。

【自分の子供時代を棚に上げるタイプの親御さんに】

「子供の言動に対し、頭ごなしに怒らず、何故そうしたのか、何故そうなったのかを、しっかりと聞いてあげて、アドバイスをしてあげてくださいな。されば、自分で解決出来ない重荷を背負った時には、必ず親に相談をしてきますから。大人であれ、子供であれ、嘘をつくは、我が身を守る為にて。嘘を付く必要のない家庭環境を親が構築すれば、子供は嘘を付く必要がないので、嘘を付かなくなりますよ。正論を押し付け過ぎたら、優しさが欠けますばい。失敗を許してくれない社会(家庭)は、自由な社会(家庭)とは言えない。失敗を許してくれる社会(家庭)を、自由な社会(家庭)と言うんですよ」と。

【自分の子供に限って、というタイプの親御さんに】

「お寺の法要に子供達を連れて来てください。馬鹿話や面白い教訓話をして、お寺というものに子供達を溶け込ませますから。困った事が起こったら『あの住職なら聞いてくれるかしれない』と、お寺が子供達の心の拠り所に。自殺防止は、話を聞いてくれる大人を何人持っているか、が鍵となるようですよ。拙僧の経験の範疇では、相談をしてくる子供は『まだ死にたくない』の心があるから、死を選択する事はありません。死ぬ事を既に決めている子供は、邪魔をされたくないから、決行するその日まで、誰にもわからない様に明るく振る舞っております。過去に実行(自死)された子供さんは、スマホの中にも、その痕跡(友人との会話にも)は残されていませんでした(警察の調査)。わが寺でも、子供の自殺は数人おります。その数人の大半が、自殺の原因は、いじめや友人関係、進学問題ではなく、親子関係のもつれ、でしたよ」と。

【真剣に子供さんと向き合わないタイプの親御さんに】

「幼い頃から子供は『何故、何故』と親に疑問を投げ掛けてきます。子供が幼い頃は、親の方も丁寧に聞いてあげて、しっかりと答えてあげておりますが、何年もそれが続いてくると、段々と煩わしくなっていき、適当に相手をする様に。子供の方は、5歳、7歳、9歳と、年齢が上がっていく程に、切実な問題(勉強や人間関係、社会に対する疑問など)に変わってきているのに。いつの頃からか子供は『この人に話をしても』と、親に対し不信感を抱く様に。1度子供が親に対し、そんなレッテルを貼ったら、なかなか改善するは難しい。以前、子供さんから不信感を持たれ、落胆する親御さんに『今は、親から心が離れていても、本当に困った時には、子供が本当に頼れるは、やはり親だけです。数年後、頼ろうと思って振り返った時、不信感を抱いていた頃の変わらぬ親がそこにいたら、子供は頼ろうとはしませんよ。親から心が離れていても、子供は社会に揉まれ、成長をしていっております。親も子供と一緒に、成長していってください』とその親御さんに」と。

【何故、そうなっていったかを理解しようとしないタイプの親御さんに】

「暴走族の最盛期は、全国に約5万人も。が、昨今は、全国に約6千人程に減少を。そうなっていったは、個人主義が主流となり、徒党を組むのが煩わしくなった様で。世にいう『不良』と言われる子供達は、寂しい家庭の子供が大半であると。わが寺の檀家を見ても、大半はそれに同じでしたね。暴走族以外でも、徒党を組むを嫌がらなかった時代は、心を病んだ(寂しい環境)若者達が、身を寄せる場所(暴走族など)があった。つまり、死ぬ事以外に、選択肢(場所)があったという事です。暴走族という媒体は、そんな寂しい子供達が身を置ける場所であった、という事でしょうな。暴走族を肯定する訳ではありませんが、若者達にとっては、自分の逃げ場所でもあったという事にて。40年以上前、不良と言われた拙僧の友人達を見ても、そうであった様な気がします。若気の至りは、若い時の心の吐口だったのかな」と。

過去に何人かですが「私の子供は、大人しくて、素直で、親に逆らう事を一切しない、非常に良い子なんですよ」という勘違いの親御さんを相手をした事がありましたが、ある日突然、痛手(大反抗)を味わう事になり、拙僧へ相談にお寺へ。その親御さん達に拙僧「親に対し、わがままを言う、反抗をするが、子供にて。それをやりながら、子供は成長していきます。それをしないという事は、親に気を遣って生活をしていると、何故に気付かなかったのですか。15歳になっていきなり、暴れだす子なんていないですよ」と、子供の微妙な変化に気付かない親御さんに注意をした事が。この手の家庭は、檀家の中にも結構に多いかな。

【18歳自死者の葬式で】

会葬者(自死者の友人の保護者達含む)に向けて拙僧「自ら命を絶った者は『地獄に堕ちて未来永劫に成仏出来ない』と巷では、そんな話が真(まこと)しやかに。この話は方便(嘘)にて。元禄16年(1703年)、近松門左衛門が曽根崎心中を発表した時、世間で心中沙汰が流行を。それを止める為に『自死は地獄行き』と方便を使い、連鎖を阻止しようとしたが始まり。それが功を奏し、ある程度、自死を食い止める事が。方便(嘘)とはいえ、自死防止にそれなりの成果を上げられた事により、それが現在にまで残っているだけですよ」と。続けて、拙僧「事故死であれ、災害死であれ、病死であれ、老衰死であれ、突然死であれ、自死であれ、人間の命は、寿命にて。亡くなり方によって死後世界の環境(地獄、極楽)が決まるとは、人間が勝手に決め付けた事にて。哀しく旅立って逝かれた人に、更に、追い打ちを掛ける様な、根拠なき言葉を投げ掛けるは、やめた方がいい。最期がこうだったからといって、この子の人生の全てを否定する様な事を言うは、思うは、あまりにも可哀想過ぎる。この子も18年間、この子なりに一生懸命に生きてきたんだから。保護者の皆さん、決して他人事とは思わないでくださいね。あなた達の子供さんは、今、生きとりまっせ。しっかり、我が子と向き合っていきましょう。しっかり、会話をしていきましょうね」と、会葬者の皆さんに。

上記の葬式での法話は、この18歳で自死された子供さんの親御さんから「私達の様な思いをするは、私達だけでたくさんです。子供の友人の保護者さん達に、それなりのお話をしてあげてください」との依頼を受けて拙僧、その様なお話を会葬者さん達にさせてもらいました。


令和 7 年 2 月分  金剛寺住職 臨時法話

昨今は、自死や引き籠りの問題以外にも、ニート(20代から40代の働かない男女)に関する相談も急激に増加をしてまいりまして、拙僧がこれまでに相談を受けてきた、狭い範疇での事例ですが、そうなった要因(ニートになった)であろう、と思われるものを箇条書きにして、今回は紹介をさせて頂きます。これは100に満たない事例(拙僧が受けた相談)ですので、参考に出来るものだけを、参考にして頂けたらと思います。幼児、小学生を子供に持つ檀家の親御さん達には、今の内に、と事あるごとに、下記の話をさせて頂いております。

【要因1】

親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事かな。子供は、親が育てただけしか、育っておりませんもんね。「鳶(トンビ)が鷹(タカ)を産む」という言葉がありますが、鳶(トンビ)は鷹(タカ)は産みません。蛙の子は、やはり、蛙です。ただ、子供本人の努力で、鷹(タカ)のような鳶(トンビ)が育つ事はありますが。子供は、親の所有物ではありません。人はその土地を縁にして生まれてくる事から「あなた(神、氏神)の子供を私に育てさせてください」と願いを掛けて授かったもの。よって、七五三詣りに赴くは「3歳まで、5歳まで、7歳まで、あなたの子供をこの様に育てました」と氏神さんへ披露に行かせてもらう行事にて。そして、披露の最後が20歳の成人式。この時「この人間(親)に、この子を預けて正解だったのかな」と神さんに思われん様にしなきゃならんですよね。どんな子であろうとも「この人間(親)なら、この子は育てられる」と、期待されて渡されたのですから。

【要因2】

その筋の専門家が、物心が付いた頃から、義務教育(15歳)までの育ちを基礎として、16歳から20歳の間で、人間の人格が確立していくと。が、この国の教育形態を見ていると、学校でも塾でも、先生の指示(言われるまま、されるまま)の下(もと)で勉強を。家に帰っても、先生の指示の下(出された宿題、課題)で勉強を。いつ、自主的に勉強するのか。指示され続けて(小、中、高)12年。出来上がった人間は『指示待ち人間』に。結果、自主的に動くを求められる社会に馴染めず、就職してもすぐに離職を。こんな子が過去に何人、親に連れられて拙僧のところへ相談に来た事か。その相談に来た大半が、男性(息子)にて。勿論、世の中はそんな子供達ばかりではないですよ。しっかりしている子は、しっかりしております。知識は学問から、その知識を活かす知恵は、経験からしか身に付きませんもんね。経験なき知識の持ち主は、ただの『物知りさん』でしかない。ただの『物知りさん』では、実践の役には立ち難い。過去に、この『ただの物知りさん』が、物知りを盾に拙僧の前で、経験なき見地から親に的外れの文句、講釈を浴びせ掛けた事が。対し拙僧、余りの言い分に堪り兼ね、その物知り息子に「読んできた本の中だけで、生きてんじゃねえよ。動きもせん、仕事もせん、君が出来るは、勉強(五科目)だけか」と。その言葉が効いたのか、悔しかったのか、その息子、今ではガラッと変貌を。

【要因3】

育てられた経験しかない者、育てた経験のない者は、どうしても大人になりきっていない様に見受けられます。子供を育てるというは、自我(親自身)を抑え、子供が成長するまで『我慢、待つ事』にて。また、親は『子供を育てている』と思っている様ですが、親も『子供から育ててもらっている』というを自覚せにゃならん。この相互(相関)関係を経験していない人は、やはり、大人になりきってない様に思われますね。少し昔は、就職して仕事に慣れてきたら、結婚して家庭を持て、と上司から。これは、家庭を守り、子供を育てるというを経験せずば、部下を育てる事(会社存続の為の後継者育成)が出来ないからと。因みに、企業の平均寿命は、1980年代は、約30年であったと。2017年には、約23年という事。様々色々要因はありましょうが、人材育成不備(人材不足)も、その原因の1つなのかな。

【要因4】

10年程前の6月、7月の2ヶ月間に、来寺された日は別々ですが、次から次と20人以上、それも30代の男性(就職して、すぐ離職)ばかりが母親に連れられて、人生相談(人間関係の不和、絡れ)に拙僧のお寺へ。その男性(息子)達に、そうなった理由(経緯)を引き出そうと話し掛けていると、横から母親が度々口出しを。「今、息子さんに尋ねていますので、宜しいですかね」と何度注意しても、母親が横から息子の言葉を遮ってまで、口出しを。拙僧、とうとう堪り兼ねて「お母さん、あなた、少し黙らんですか。拙僧はこの子に聞いとる。息子さんがこうなった理由がよくわかる」と過干渉の母親達に。男性(息子)達に「君が拙僧に、本気で相談したいなら、今度は1人で来なさい」と全員に。その後に来たは、2人。その2人は今でも時折、自分の家族(妻子)を連れてお寺に来ては、拙僧と馬鹿話や四方山話を。

【要因5】

ここでは、親の子育ての事例を1つ。先頃亡くなられた、歌手の谷村新司さんは、父親が衣類関係の会社の社長だったと。生前、テレビ番組で谷村さんが「アリスの稼ぎが大きくなっていき、その勢いで事務所の社長が米国に投資(進出)を。が、それが大きく失敗し、大きな負債を。私たちアリスもその煽りを受け、半年から1年程、給料なしで仕事をする有様。あまりに生活が苦しくなったので、関西にいる親のところへ。少し加勢(生活費)してもらおうと、父親にその事(会社の危機)を話すと『そうか、それは大変だな。まあ、頑張れ』の言葉だけ、1円の援助もありませんでした。その時の父親の厳しい突き放しがあったればこそ、今の私があると思います」と言われておりましたね。子供が可愛いくない親なんて、どこにおりまっしょうや。が、ここぞの時に親は『心の中に鬼1匹』を飼う事が出来るかどうかが、大きな分かれ道になるでしょうね。

【最後に】

わが寺の本堂内には、鬼子母神の社(やしろ)が。その社の屋根には、三猿が。三猿(見猿、言わ猿、聞か猿)の極意とは「見てはならん、見なきゃならん。言うてはならん、言わにゃならん。聞いてはならん、聞かにゃならん」の判断にて。この判断は、結構に難しい。般若心経の文言の中に「眼耳鼻舌身意」という六文字が。意味は「見たいものだけ見る目なんていらない。聞きたい事だけ聞く耳なんていらない。言いたい事だけ言う口なんて必要ない。この世の中、したい事だけすれば、それで事が済むんかい。よくよく考えな」というもの。人間関係というは全て、割り切れんものを無理矢理割り切って、わが心と折り合いを付けていく事ですもんね。

子育てといえば、先日、こんな話が檀家さんから。その檀家女性が「住職さん、これは、知人から聞いた話なんですが、その知人(女性)が、ある家族の話を私に。その話とは、こうです。そこの子供(30代男性)が、こんな事を言ったそうなんです。『親が100歳まで生きると仮定するだろ。そう考えたら俺は、親が定年するまでは、親の給料で飯を食っていけるという事になる。親の定年後は、親が死ぬまで、親の年金で飯を食っていける事になる。俺が70歳までは、これで何とかなる。残りの70歳以降は、贅沢な事を望まなきゃ、生活保護で死ぬまで飯を食っていける。全くもって、この国は天国だぜ。日本に生まれてきてよかったわい』と。働ける頑丈な体を持っていながら、ただの怠け者だよ。これって、どう思いますか、住職さんは」と。続けて、この檀家女性が「実は住職(拙僧)、私の親戚の中にも、こんな『寄生虫予備軍』が1人、いるんだよね、男性(高学歴ニート)だけど。住職は、この様な話(寄生虫予備軍の存在)を耳にした事がありますか」と。「似た様な話は、何度か聞いた事もあるし、相談を受けた事もあるかな。これからは、人間100年時代になるらしいが『結婚もしない、子供もいない。寄生虫で生きていく』が増加していくとなると、その内に尻窄みとなって、国も、各々の家庭も『長者三代続かず、をまっしぐら』という事になっていくんだろうね。拙僧の知人の中にも、お寺の檀家さんの中にも、この様な家庭、徐々に増えてきたかな。『そうすりゃ、そうなる。そうなっていってるのに、まだ、そうするか』だよね。過保護、過干渉が作り出した、世の中の流れ(世相)だね」と。

次回の投稿法話は、2月5日になります。

【臨時法話】 初夢のはなし。

昨日、2日に、檀家さんの家族が納骨堂参りに。「正月の三ヶ日は、お盆の三ヶ日と同じですよ」と常々法話で言っておりますので、檀家さん達は皆、納骨堂参りに。参拝してきた中学生男子が「住職は、初夢を見ましたか。縁起の良い夢と言われているは『一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)』なんでしょ。僕は初夢を見れなかったんですよね」と残念そうに。対し、拙僧「初夢と言われる基準は色々あってな、今年に入って、君が初めて見た夢が、君にとっての初夢だよ。半月先になろうが、1ヶ月先になろうが」と。

続けて拙僧「ところで『一富士二鷹三茄子、の続きがあるを、君は知ってるか」と問うと「知らない。続きって、何なの」と。「それは『四扇五煙草六座頭(しおうごたばころくざとう)』と続くんだよ。富士は『無事』と掛けて、富士を見上げて運気上昇と。鷹は『高い』と掛けて、鋭い爪でチャンス(可能性)を掴み取ると。茄子は『成す』と掛けて、価値の高い実りある物を得ると。扇は縁起の良い小道具で末広がりを意味し、煙草は煙が上昇する事から運気上昇と、座頭は毛がない事から『怪我なし』と掛けて、家内安全を意味してるんだと」「へえ、そうなんだ。他に縁起の良い夢ってあるの」と。

対し拙僧「そうだね、金運、繁栄に恵まれると言われる『蛇』の夢とか。今年(巳年)がそうだが、蛇は脱皮しながら成長していくだろ。『日が昇る』夢は運気上昇とか、『うんこ(大便)』の夢は運が付く、金運上昇とか。そうたい、拙僧の初夢は、これだったな。夢の中に横綱旭富士さん(63代、昭和35年生まれ)が出てきて『住職、尻から背中に掛けて、うんこが着いちゃった。すまんが、洗ってくれまいか』と横綱が。見たら、見事にうんこがべっとり。拙僧は大半が、夢とわかった上で夢を見てるから『何で拙僧が、うんこなんか』と思いながら洗ってると『そうか、うんこか。何か良い事があるかもしれん』と夢の中で、欲ったらしい事を考えながら洗ってあげたが、拙僧の初夢だったな。他にも『火事』の夢も縁起の良い夢と言ってたよ。炎が強いほど、運気上昇(繁栄)と。そんなところかな」と。すると「じゃ、僕も今年の初夢は『うんこ』の夢を見る。見れる様に、毎日『うんこ』の事を考える」と。「そうか、頑張れ」と拙僧、この檀家中学生男子に。

最後に拙僧「まあ、何にしても、夢に拘る必要はないわな。『幻想を楽しむ』という程度でいいと思うよ。元来、この『一富士二鷹三茄子』というのも、江戸幕府を開かれた徳川家康公が、風景では富士山、趣味では鷹狩り、食材では茄子(なす)が、事のほか好きだった事が、元になったという説もあるもんね。自らで作って、棚の上に牡丹餅を置いておかねば、落ちてくる事はない。何もせずに、運を待っていても来ない。自らの努力で運を開かせな」と拙僧、この中学生男子に。

【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が。何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。

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拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。

次回の投稿法話は、1月5日になります。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、宜しくお付き合いのほど、お願い申しあげます。

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

今年、令和7年の巳年は、「成長と変革」の年と。蛇は、脱皮を繰り返し、成長していく事から、繁栄の象徴として崇(あが)められ、仏教の守護人である「弁財天」の使者としての役割を担い、特に、白蛇は「弁財天」の化身とされております。。努力をしただけの実りがある年、と言われておりますので、まあ、それを信じて、開運、もろもろの繁栄を、自力で引き寄せましょう。

【1日の投稿法話の本文に入ります】

令和 7 年 1 月分 金剛寺住職短文法話集

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読者が「住職さんは、霊魂は存在すると思いますか」と。「存在するとは思うよ。自然の流れとして、どこからか来たのなら、どこからかに帰るはず」と。「確証はありますか」「ないよ、そんなもの。死んだ事がないから、会った事もない」「じゃ、霊魂は存在してるんじゃないかな、と思われる理由は何ですか」と。対し「そうだね、21年前に、父(金剛寺先代)が他界(7月8日)を。その翌年の1月初旬、わが寺の女性僧侶(当時72歳)の夢の中に父が現れ『英照(拙僧の僧名)が疲れとる。自分で解決出来る案件ならば、相談に行くな。あいつの体を少し休ませろ』と。女性僧侶はその夢の事を気にして、わざわざお寺まで来て、拙僧にその夢の話を。確かに、疲れてはいたが、そこまでの事ではないかな、と。ところが、その数日後から、10日の間に13人連続して檀家が他界を。葬式、初七日の取り上げ法事を終えて、お寺に帰宅中、携帯電話に『別の檀家さんが他界』との知らせが。その足で即、その他界された檀家さんの枕経へ。このパターンが3回連続と、あとは個別で次々に。女性僧侶の夢の中で父が『英照(拙僧)が疲れとる』と言ったは、この事か、と。間違いなく偶然ではあろうが、偶然(夢の話)とはいえ、死んでからも尚、親は子供の心配をしてくれてるのかな、と感謝したよね」と。

この読者が「他にも霊魂の存在を感じた事例は、何かありましたか」と。「霊魂の存在、という話ではないが、これもまた、夢の中の話だよ。夢に父が出て来て、さっぱり訳のわからん場面を拙僧に見せたんだよ。拙僧は、夢とわかった上で、夢を見ている事が多い。夢の中の父に『何なのよ、この夢は。何が言いたいの』と尋ねても、一切無言。数日後、初めて参拝して来られた相談者の話を聞いていると『あれ、この話、どっかで触れた事があるな。そうだ、この相談の案件は、夢の中で父が見せてくれたものだ』と。これもまた偶然だとは思うが、不思議な事もあるもんだな、と思ったよ」「やっぱ、先祖って存在してるんですかね」と、この読者が。対し「それはどうかはわからんが、先祖は存在する、と信じた方が心強いし、何かと安心かもね」と。

更に、この読者が「他には」と。「将来、拙僧はわが寺に、三重塔(供養塔)を建てるのが夢でね。わが寺の宮大工棟梁(現在99歳)と度々、その夢物語の様な話をして、2人で楽しんでる。ある日、夢の中にまた、父が現れ『清水寺の三重塔を見て来い』と。夢の話ばかりで、ごめんね。別に、夢の中の父の言葉があったから行った、という訳ではないが『久し振りだから、行くか』と、棟梁と2人で京都の清水寺へ。清水の舞台から南側を見下ろすと、三重塔(日本1小さい重要文化財)が青色シートに包まれ、一般参拝者は見れない状態に。棟梁が『英照(拙僧の僧名)さん。あれでは見る事は出来んぞ』と。拙僧、心の中で『何や、親父(拙僧父)。夢とはいえ、清水寺に行って来いと言ったくせに。まあ、でも、父は生前、行動を起こしもせず、諦めるな、と常々言ってたもんな』と。そこで拙僧『とにかく、近くまで行こう』と棟梁に。行くと、シートは完全防備、入れる隙間なし。が、シートの中から作業中の音が耳に。拙僧、無理矢理にシートを掻い潜り、音がする上の方に向かって『棟梁、棟梁』と大声で。すると、上から『誰や。一般の人間は、中に入ったらいかんぞ』と。『わかっとる、とにかく、降りて来てくれませんか』と。降りて来られた棟梁に、ここに来た理由を説明すると『お前さん達は、運がいいな。この三重塔は600年振りの解体修理や。今、丁度、文化財の最高責任者(役所の人)が上に来ているから、許可を取ってこい。京都の文化財は、京都の宮大工しか扱えん。わし以外の宮大工だったら、絶対に見せてはもらえん。おまえさん達は、縁があるんだろうな』と。ほんとに、ついてたよ」と拙僧、この読者に。「住職の父上(先祖)のお導きですかね」「さあ、それは、どうだろ。これも単なる偶然じゃないかな」と。

話は変わりますが、昨年、拙僧父の時代から35年以上、安全祈願に伺っていた会社の会長(現社長の父上)さんが他界されました。安全祈願とは、勿論『作業の安全』の事ですが、メインは『従業員一同の身体健全、無病息災、家庭円満』にて。会長さんが「従業員が健康で、彼らの家庭が円満であったら、事業繁栄など願わなくても、自ずとそうなる」と。

この様な考え方を持って、拙僧に月初め、現地(事務所、作業場)祈願を依頼している会社は、数社あります。この会長さんが他界された、次の月の1日、その会社に安全祈願へ伺うと、現社長(50代息子)さんが「実は住職(拙僧の事)さん、今年(昨年の事)の2月頃ですが『あと1ヶ月で、この会社も倒産だな』と追い込まれていまして。だが、父が創業したこの会社を、父が存命の内に潰す訳にはいかないと思い、メインバンクに頼んで、借金返済を少し待ってもらう事に。が、融資の方は、といえば、全くその気がなかった様で、わが社の倒産を見込んで『いつ、掛けた梯子を外そうか』の時期を見計らっていた様子で。住職は、ここの会社がこんな状況であるを、薄々気付いておられたんでしょ。昨年の暮れ、住職は『人間は死ぬまでは、生きとかにゃならん。会社も潰れるまでは、踏ん張らにゃならん。生活が掛かっている従業員の為にも』なる言葉を私に、そう言われたんですよ。その時、私が若い時(当時35歳)に、住職(拙僧の事)に言われた『犬も歩かにゃ、棒にも当たらん』の言葉が脳裏を過ぎりまして『メインバンクが塩対応で動いてくれんのなら、熊本工場(支店)近くの小さな地方銀行に、土地活用(熊本工場の1万数千坪)の話を持っていこう』と即、行動を。結果、その地方バンクさんが興味を示してくれて、わが社の意向を文章にして広域に公布を。すると2月の1ヶ月の間に、熊本の半導体関連で広大な更地を必要(作業員の住居、資材置き場など)とする40社以上が名乗りを挙げてくれました。3月末に倒産確実だったわが社が、僅か1ヶ月の間で、地獄から極楽、とまでは言いませんが、好転を。月極め賃貸で契約(月、数百万円)をしてくれた企業があり、どうにか一息つく事が出来ました。何の前触れもなく、いきなりのこの様なご縁が。正直、面食らっております」と拙僧に。

対し、拙僧「紀元前後に実在した、南インド地方の高僧が『この世の中は、縁で繋がっていないものは、何1つない。偶然というは、人間が言った言葉である』という言葉を。『縁』というは、網の目の様な物でね、正直に真面目に懸命に生きていたら、その噂(評価)が網の目を辿って、方々に流れていく。そして、その時期が来たら、その噂(あなたの人となり)を聞き知っていた人達(縁)が、物凄い勢いで網の目を辿って、社長さん、あなたの元へ。『何の前触れもなく』と、あなたはおっしゃったが、前触れの元は、あなたが徐々に築き上げてきたもの。全く縁のないものが、あなたのところへ届いた訳じゃないですばい。その網の目も、自分の生き方次第では、どんどんと広がっていく。人間は『今の自分を苦しめているも、喜ばせているも、過去の自分の行い。先の自分を苦しめていくも、喜ばせていくも、これからの自分の行い』ですもんな。自らが牡丹餅を作って棚に上げておかにゃ、落ちてくる事もないし、種も蒔いておかねば、芽が出てくる事は、ないですもんね」と。

更に、この社長さんに「世に『捨てる神あれば、拾う神あり』なる言葉が。その『神(人)』の心をどう動かすかは、自分の行い次第にて。また『正直者が馬鹿を見る』という言葉も。いやいや、人を支えているは、人にて。最後に土俵の上に立っているは、やはり、正直者ですばい。勿論、何にでも、例外というのはありますが。社長の会社の従業員の人達も、決してその目は節穴ではないはず。会社が倒産寸前だろう事は、肌で感じていたはず。なのに、1人も辞めず、黙って黙々と働いてくれてたんでしょ。会長さん、社長さんへの恩義を裏切らずに。網の目上に流れているあなたの会社の噂(評価)の中には、当然の事ながら、会長(現社長の父上)さんの生き様(築き上げてきたもの)も、従業員さん達の仕事に対する姿勢も、含まれているはず。みんなして乗り越えたこの度の峠ですもんね。この事を決して忘れちゃならんですわな。まあ、あなた(現社長)の事だから、忘れないとは思いますが」と。この会社の会長さんと現社長さんの生き様は、度々、檀家の若者達に人生の例題として話をする事があります。「自分の為だけに努力をしている者は、自分が努力をしただけしか、実りはない。給料を貰っての仕事なら、誰だってやる。何の損得も考えず、駆け引き無しに、人の為に動いてごらん。ここぞ、という時には、何処からともなく、救いの手がやってくるよ」と拙僧、檀家、知人の若者達には常に、その様に。


令和 7 年 1 月分  金剛寺住職 臨時法話


檀家の高校生が「住職は、華岡青洲っていう人、知ってますか」と。「知ってるよ。確か、15年程前、NHK で『華岡青洲の妻』というドラマがあったよね」「僕ね、それを最近見たんだ。それを見て、医者の職業っていいな、と。感銘を受けた場面は、青洲さんの妹が乳癌になって、紀州(和歌山県)で最も腕のある名医と言われていた兄の青洲さんに、切開手術を懇願するが、研究に没頭していた麻酔薬が、まだ完成しておらず、手術が出来ずに妹さんは死去したと。その時『人が病気で死ぬのは、いつも、医術が至らないからだ』と言った場面。住職が時々法話の中で、知人医師が『病気は気から、じゃないから、我々の仕事があるんだ』と言われていた、とか、『医者は助かる人間しか、助ける事は出来ん。助からない人間を助ける事は出来んのだ』と言われていた、とか。そんな言葉を聞いた時、大変な仕事だけど、やり甲斐のある仕事だな、といつも思ってたんだ」と。

そう話す高校生に拙僧「知人のその医師はこんな事も言われていたんだよ。『人の命を救っているは、医者だけではない。どの職業(専業主婦も含)の人も、人の命を支えてくれている。医者だけが特別、だと勘違いしてはならん』と。ある時、檀家の男性が(60代)がこの医師に『暴飲暴食、酒、煙草、止める気はない。あんたはプロだろ。俺の体を治してくれればそれでいいんだ』と。対し『あんたは私に何を期待しとるんだ。やりたい放題やって、体を治せだと。酒や煙草、暴飲暴食をやめる気になってから、出直して来い』とこの男性に。お寺でもそうだよ。浪費、浮気、ルーズと利己主義を貫き、散々人に迷惑を掛けておりながら、神仏には『幸せにして下さい』と願う人達が一定数はおらっしゃる。神仏も呆れて『わしらにいったい何を期待しとるんだ。人は自分がやってきた事だけが、今の結果(答)だわい』と言われとりゃせんかな。この知人医師の所へは、檀家さんを相当数行かせたが、もう、この世にはおらっしゃれん。頭の低い、人情み溢れる人だったよな」と。

続けて拙僧、この高校生に「華岡青洲(1760年〜1835年)さんといえば、世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術に成功した人だもんね。麻酔薬というは、紀元前から存在していたらしいが、効き目が弱くて、副作用が酷かったらしいもんな。青洲さんが麻酔薬の研究で注目したのは、チョウセンアダガオ(曼荼羅華)だったと。鎮痛、麻酔効果があるが、毒性が強いので処方を謝れば、人を死なす恐れがあったと。動物実験を何度も繰り返して、動物では成功したんだが、あとは人間に通じるか、だったんだと。そこに『私の体を実験に使ってください』と名乗り出たが、清州さんの奥さんだったと。それが元で晩年、奥さんは失明されたそうだけどね。何でもがそうだが、1つの物を成功させる為には、何かしらの犠牲が伴うよね。いつの世も、そういった事情を知らない周囲は、その場の結果だけを見て、大騒ぎして、何じゃ、かんじゃ、と責め立ててくるけどな」と。

続けて拙僧、その高校生に「そうした家族の犠牲によって、遂に麻酔薬『通仙散』というが完成を。そして、1804年10月に、世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術を成功させたと」「だけど、住職、摘出手術の成功はしたけど、その女性は助かったのかな」と高校生が。「転移、または再発、って事かい。その事までは、知らんな。だけど、西洋で初めて麻酔による手術が成功したは、青洲さんの手術の42年後だった、というから、青洲さんの功績は非常に大きいよね。その後、青洲さんは、乳癌だけでなく、弾丸摘出、痔瘻、膀胱結石、白内障、舌癌、動脈瘤、結核性腫瘍、顔面整形、腦水腫の手術も、やったらしいよ」と拙僧。「それって、200年以上前の事なんでしょ」「そうなんだよ、これは200年以上も前の話なんだよ」「青洲さんが現在に存在していたら、どんなものを残していったんでしょうね。調べられる道具が、数多にあるから」と高校生が。

最後に、この高校生に「拙僧はこれまでに、1000人以上の葬儀と、その数倍の人間の『生き死に』に関わってきたが、その中の1例だけどね、あるご主人(当時80代)が他界する1ヶ月程前、奥様のいる前で拙僧(当時40代)に『住職よ、俺が死んだら、形だけの葬式はしてもいいが、浄土へは送るな。この家で家内が死ぬまで付き添って、一緒に浄土へ逝きたい。その時、一緒(夫婦共)に葬式をしてくれ』と。続けて奥様に向かって『どこにも行かん。ここにおる。が、言葉を掛けても、物は言わんぞ』と。すると奥様が『それは、一休宗純さんの言われた言葉ですよ』と微笑みながら、ご主人に言われていたな」と。この檀家の高校生との会話は、昨年の拙僧の誕生日、4月12日(拙僧62歳)の夕方、わが寺の本堂前で交わされたものですが、この高校生が帰り際に「住職さん、お大師さん(修行大師、石造)の後方の藤の花だけど、綺麗ですね」と。「そうだな。ところで君は、こんな詩を知ってるかい。『下がるほど、人の見あぐる藤の花』という言葉だが」と尋ねると「いいえ、知りません。どんな意味ですか」と。「藤の花は下がれば、下がるほど、人が『綺麗な花ですね』と見上げるだろ。その様に、人間も謙虚な人ほど、頭を下げるから、周りの人達から『この人は素晴らしい、立派な人だ』と敬われる。医者を目指すなら、そんなお医者さんにならにゃあかんよ」と、この高校生に。

【おまけ】

昨年の11月、京都へ仕事で伺った折、時間が許しましたので、久し振りに家内と大原の寂光院(聖徳太子が父君用明天皇の菩提を弔う為に建てられたお寺)に参拝しました。このお寺は、平成12年(2000年)5月の夜中、放火(油が検出)によって、見るも無惨に全焼を。今だに犯人は捕まっていない、との事ですもんね。このお寺は天台宗の尼寺で、平清盛公の娘さんである建礼門院徳子さん所縁のお寺。壇ノ浦でご子息安徳天皇と共に入水自殺を。が、徳子さんは敵(源氏側)に助けられて一命を。その後は、安徳天皇と平家一門を弔いながら、余生をこの寂光院で過ごされたとの事にて。だが、何の恨みかは知らないが、平家物語にも登場するこの名刹に火を。そうあってほしいの願いだが「よくもわが娘のお寺に、火を付けおったな」と既に、平清盛公からその犯人、鉄槌を喰らっておるんじゃないのかな。人の目は誤魔化せても、自分の心を誤魔化す事は、出来ないですもんね。悪い事をした、という心は生涯付き纏う事になる。それこそが、清盛公の鉄槌かな。

罰(バチ)といえば、こんな話がありますよね。弟子が師匠の山岡鉄舟に「神仏の罰(バチ)とは、本当にあるのですか」と尋ねてきた。「どういう事か」と問い返すと「罰(バチ)というは、本当に当たるものなのかなと、この1年間、神社の鳥居に小便を掛け続けましたが、一向に罰(バチ)など当たりませんでした」と答えると、山岡鉄舟が弟子に「もう既に、お前には罰(バチ)が当たっておるわ」と。「えっ、どんな罰ですか」と聞き返すと「そんな事(鳥居に小便掛け)をしても、恥ずかしいと思わない心になっておるが、既に、神仏の罰(バチ)が当たっておる、という証拠だ」と。拙僧も含め、この言葉(そんな事をしても、恥ずかしいと思わない心)に当てはまる、身に覚えがある、そんな人って世の中には、結構に多いかもしれませんね。

家内と2人で、寂光院の本堂に座り『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き、盛者必衰の理』をしみじみ味わっておりますと、そこに60代ぐらいかな、観光客らしきご夫婦が参拝して来て、本堂に足を踏み入れるや否や、旦那さんの方が「何だ、この寺の回廊(1メートル程の高さ蟻あり)は。落ちたらどうするんだ、大怪我するぞ。手すり(欄干)ぐらい付けておけよ」と、やや大きめの声で文句を。すると、奥様の方が旦那さんを白けた目で睨みつけ「落ちない様に気を付ければ、済む事でしょ。文句を言えば、何にでも対応してくれると思いなさんな。こんなに長い間、回廊に手すりが付いてないという事は、誰も落ちてない、という事なんじゃないの。危険だと思えば皆、それなりに気を付けるわよ」と小さな声で一喝された。この奥様の言葉は、言いたい放題文句を言う、今の日本の縮図を、見せ付けられている様な気がしましたね。この奥様の言葉は、寂光院に漂う清々しい空気と共に、拙僧夫婦の心をスッキリさせてくれましたな。

次回の投稿法話は、1月5日になります。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

今月12月は、師走。「坊主(師)が走り回る」と、何のこっちゃ。正月様、つまり、歳徳神(その家の集合霊、ご先祖さん達)が帰って来られるから。これは、ハロウィンと同じ意味。それで坊主が「先祖さんが帰って来られるぞ、お迎えの準備は整っとるかい」と叫んで走り回っている。お盆の三が日と正月の三が日は、同じ意味にて。されど正月の場合、先祖さん達が里帰りすると、鍵が掛かっていて誰もおらん。肩を落として、玄関先に皆で座り込んんで「今年もおらんかったな。今年は何処に行ったんじゃろ。去年はハワイじゃったが」と先祖さん達が話している声が、何となくですが、聞こえてきそうです。

今年も1年間、お付き合い下さいまして有難うございました。どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。

【1日の投稿法話の本文に入ります】

令和 6 年 12 月分 金剛寺住職短文法話集

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わが寺の檀家さんではないが、年に数回「仏壇参りに来い」と連絡してくる婆様(現在90歳)がいて、その婆様にこの度、半年振りに呼び出され、仏壇参りに伺うと、拙僧は1度も面識がなかったご主人(行年94歳)が他界されていた。家に伺うと即、婆様が「住職よ、こん奴(ご主人の事)は、成仏出来とんのじゃろうか」と。「なんよ、いきなり」「こん奴は、わしを70年も苦しめてきたんじゃ。電球1つ変えん。風呂1つ洗わん。働いたお金は家に入れん。生活費は全て、わしの内職で補ってきたんじゃ。自分だけ刺身(高級魚)を買うて来て、自分だけで食って、子供にもやらん。夜中に会社の若いのを何人も連れて来て、わしに飯を用意させ、泊まらせて、朝飯まで。そんな事が度々じゃ。『人間的に申し分ない』からと、親の持って来た縁談で、結婚式当日に初めて顔を合わせた結婚だったんじゃが、結婚した途端に、本性を剥き出しにしてきおった。こん奴が地獄に堕ちんで、誰が堕ちるんや。地獄に堕ちとるはずや。どうや、住職。成仏なんかしてなかろうが」と。

対し、拙僧「なんな、婆様、ご主人さんが地獄に堕ちとるのを、望んどるんかいな。婆様の若い時代は、家父長制度の申し子みたいな身勝手長男は、あっちこっちに存在しとったろ。床の間に飾られて、大事に大事に育てられりゃ、そりゃ、そうなるわな。だけんどくさ、そのご主人がいたからこそ、可愛い子供や孫にも恵まれたんでしょ。その孫夫婦がこの度、一緒に住んでくれると言ってくれてるんでしょ。ご主人さんも、それなりのものを婆様に残してくれてはるがな。文句言う割には、ほれ、仏壇横の鴨居にご主人の写真を飾っとるじゃないの」と。「ああ、これかい。そうたい、こん奴たい」と指差して「子供達が飾れ、と言うんで仕方なくそうしとるだけたい」「その子供達は、どう言ってんの」「子供らは『お母さんが散々苦労してきたは、私達(俺達)が十分に知ってるから、もうその辺で勘弁してやんないや、親父さんを』と言っとる。ところで住職よ、今年、あん奴(ご主人)が死んだから、門松、しめ縄、鏡餅は、供えたらあかんのじゃろ」と。

対し拙僧「誰がそんな事を言ったの」「あっちこっちと信仰をかじっちょる連中が、そう言いよるわい」「そうね、じゃ、まず、基本的な話からしようかね。正月とは、正月様(歳徳神)をお迎えするもの。この正月様とは、その家のご先祖の集合霊のこと。その集合霊の中に、ご主人は今年、新人として先祖の仲間入りをしんさった。また、正月三ヶ日は、お盆の三ヶ日と同じ意味で、ご先祖さん達に『あなた達の里はここだよ』と知らせる『門松』も、ご先祖さん達に『子孫の心を引き締めて下さい』と頼む『しめ縄』も、ご先祖さん達に『一緒に雑煮を食べましょう』と直会(なおらえ)に使う『鏡餅』も、先祖を出迎える為のお供物なんだ。何の出迎えの用意もせず、先祖を迎え入れたら、古参の先祖達が新人のご主人に『お前(亡きご主人)のせいで、わしら(古参の先祖達)まで寂しい正月を迎えにゃならん。それでなくても、子孫はハワイやら、何やらに出かけ、里帰りしても誰もおらず、寂しい正月を迎える事が多くなったのに、お供えまでなくなったら、虚しくなるばかりじゃ。お前は里帰りせず、浄土におっとけ』と、のけ者にされるで。そんな事になったら、如何に憎っくきご主人さんでも、さすがに可哀想でしょ」と。

すると、婆様が「あん奴の居る場所は、浄土じゃなくて、地獄じゃ」「まあ、どこでもいいがな。可哀想に変わりはないがな」と。「だけどよ、住職。この辺の地域では、不幸があった家が門松、しめ縄をやってたら『見てんない、あの家を。家族の者が亡くなったというに、祝いの門松を立てとるぞ』と陰口を叩く者が多いんじゃ」と。「知識がない者の言う事なんか、ほっときない。まあ、それでも『その人達に悪口を言わせるが忍びない』と思うなら、門松、しめ縄はやめて、家の中のお供物だけにしたらよか。何もしないは、ご先祖さん達があまりにも可哀想やで。因みにな、婆様よ。友引の日の葬式は避けるという風習も同じ事。そんな事、仏教界では何も言っとらん。悪霊や先祖の祟りが大好きな国民だもんね、日本人は。友引の日に千人の葬式をしたら、誰か千人連れて逝かれるんかい。そんな馬鹿な話があろうかいな。死んだ途端に故人を化け物扱いは、あかんで。生きていた時と同じ様に付き合ってやらんと。『会葬者の中に友引葬儀を嫌う人達がいるので、その人達に申し訳ないから』で、その友引の日を外すというは、ありとは思うが」と。

続けて拙僧「他にも『お墓に行くから、塩をくれ』とお寺に言って来る者も。理由を尋ねると『取り憑かれると嫌だから』と。対し、拙僧『まもなくあんたも、あの中(お墓)に入るんや。塩を撒かれて『こっちに来んな』と言われたら、悲しくないかい。自分がされて嫌な事はしなさんな』とその人達には注意をしてるんだけどね。だいたいくさ、人の死を『不幸』って、なんだい。人の寿命には、祝いに使う『寿(ことぶき)』という字が使われてまんがな。葬式は基本、御礼報謝の法要だよ。この世の役目を務め上げた人に「ご苦労様でした。お世話になりました。後は、私達におまかせを」と故人の旅立ちを労う『人間の卒業式』ばい。『死』というものを勝手に、忌み嫌う対象にしたらあかんで」「そやな、意見、ごもっともばい」「おっ、やっと、ご主人を許す気になった様やな」「はっ、それとこれとは、話は別や。が、供養だけはしてやろうかいの、仕方ないけん」と。

これは余談ですが、2010年7月29日に、東京都足立区に住む1899年生まれの111歳男性の白骨死体が見つかったのを機に、実際の生死確認が取れなくなっている人が、多数存在している事が判明したんだと。その中には、年金給付の不正受給や死体遺棄などの問題も発覚したんだって。2010年の厚生労働省サンプル調査で、85歳以上の年金受給者の内、約3%に不正受給の疑いがあったと。凄いのになったら、江戸時代生まれの150歳という人もいたと(事例は多数、他はググってみてください)。安否確認を家族が拒否をしたら、行政は為す術がないのが、現状なんだって。拙僧の周囲においては、10年前に初めて某病院の看護師さん達から、病院で他界した親の遺体の受け取りを『要らん』と言って拒否する子供がいる、と聞いてはいたが、昨年の9月に福岡県、山口県、佐賀県内の全ての病院、老人ホームに、テレビ放映による法話(現在はその法話が、各病院の教材に)をさせてもらったのですが、それを担当してくれた人達の中に、10年前のその看護師さんがおられて「あれから、どうなりましたか」と尋ねると「病院での親の遺体の置き捨ては、あの頃(10年前)の比じゃありません」という回答が。

いやはや、ですばい。令和4年度の児童相談所による児童虐待相談件数は、この国は約22万件もあるげな。令和3年度より約1万1千件増加し、過去最高だったと。妻の妹が住むロンドン(在住25年)では、3歳の子供と一緒に風呂に入っていると、性的暴行を疑われて、近所から警察に通報されるとの事。拙僧妻の妹も1度、家の中に警察が容赦なしにドカドカ乗り込んできたが、妹が日本人と知って、引いていったと。日本の習慣を周知しているんだろうね。日本も『ここまで(英国の様に)しろ』とは言いませんが、行政にもある程度の権限を与える事も、必要な時代に入ってきた様な気がしますよね。

これは「おまけ」ですが、偶に、読者の方から「住職は長い法話が多いですが、字数はどのくらいなんですか」との質問を受ける事が。対し「SNSに投稿初期の2、3年は、ツイッターの140字だけでした。大半の読者は、140字の中に隠れている含み言葉を、しっかり読み取ってくれていました。中には『住職の法話は、140字の俳句ですね』と言ってくれた読者さんも。が、読者さんが増えるに連れ、明後日の方向から的外れの指摘をされる人が徐々に。そこで『わかりやすい法話にしなければ』と変えていったが、現在のこの字数に。法話作成の経緯は、まずメモに書いて、ブログに投稿するんですが、ブログは30000字が限度ですので、5日ごとに投稿しておりますから、4日間で書いてるは、400字詰原稿用紙で70枚前後ですかね。そのブログから、Facebook、Instagram、X に同じ法話を飛ばしています」と。「10年間も続けてですか。よくそんなにネタがありますね」「拙僧の祖父母、檀家のご老人達の経験、教訓話が8割以上です。聞かしていただいた話をアレンジして書いています。個人情報がダダ漏れしない様に。拙僧個人だけでは、10年間で3000話は無理ですよ。ご老人達の経験話は、後世の人達にとって必ず、宝になりますもんね」と。


令和 6 年 12 月分  金剛寺住職 臨時法話


方々(法話読者、檀家、知人)から拙僧に「10月27日の衆議院選挙に向けて、各局番組で党首討論会が。その討論の中には、核廃絶の話も。しかし、世界において核廃絶が本当に出来ると、心の底から、夢物語でなく、党首の人達は『出来る』と本心から思ってるんでしょうか。2023年1月の時点で、世界の核兵器保有数は、米国が5244、ロシアが5889、英国225、仏国290、中国410、インド164、パキスタン170、イスラエル90、北朝鮮30、合計12512発も。保有国がこれを手放すとは、到底考えられないのですが。1994年1月に、ウクライナは核兵器を全て放棄、軍備も縮小を。もし保有国のままだったら、この度、ロシアは攻めて来れたかな。中国を見ても、北朝鮮を見ても、やりたか放題やれてるは、核を保有しているという強みがあるからじゃないかな。抑止力の威力を身をもって感じている保有国が、核を手放すなんて。住職は、この核廃絶の議論について、どう思われてますか」と。

対し、拙僧「以前ですね、檀家の中学生男子が『僕の友人には柔道、空手などの有段者が何人かいるが、その友人は皆、優しくて、穏やかなんだ。自分が強いとわかってるからかな、自分から喧嘩を売る様な事はしない。所謂、不良少年といわれる人達も、その有段者達に喧嘩を売る事は絶対にない。そりゃそうだよね、勝ち目がないんだもん。抑止力っていうのは、そういう事でしょ。こっちからは手は出さんが、手を出してきたら、容赦なくやるぞ。やり返す力は持ってるぞ』と。核兵器廃絶の話が出た時、こんな例え話をその中学生が拙僧に。子供達も国の平和には、関心があるみたいですよ」と。

続けて拙僧、この人達に「例えば米国は、銃社会であるが故に毎年、多くの銃による殺人(犠牲者)が。アメリカの国民は、約3億3千万人。対し、アメリカ国内に流通している銃の数は、4億3千万丁との事。毎年、約4万人が銃の犠牲となっている状況下で、米国政府が『銃を持つを違法とする。全て回収する』と法律を作ったからとて、国民は正直に、素直に、それに従うかな。皆、隠し持つんじゃないのかな。銃のある、なしは、自分の命に直(ちょく)で関わる問題だからね。禁酒法時代においても、アル•カポネさんが暗黒街で暗躍しとりましたがな」と。「そうですよね。日本人(日本国)は、そんな切実な環境下で生活している訳ではないから、米国の銃社会に対し、能天気な、無責任な正論を言いたい放題に」と。

対し拙僧「核兵器なんて、全廃した方がいいに決まっとる。が、今ある物を、1度手に入れた物を、そう簡単には。銃に限らず、核兵器に限らず、全ての関係には、需要と供給というものが存在しますからね。仮に、核兵器全廃が国連で決議採択されたとしても、保有国は間違いなく隠し持つでしょうね。国の存亡と国民の命に直結する話ですから。人間社会は根底に欲があるから、大なり小なり世の中は『狐と狸の化かし合い』になる。人間を最も殺している生物は『蚊』で、人間を殺している2番手は『人間』という事ですもんな。その環境下で、どう工夫して生きていくかを考えていくしかない。国家と国家の間の問題は、個人と個人の間の問題の様にはいかない。背負ってるものが違い過ぎる」と。

更に拙僧、この核廃絶問題を問うてくる人達に「この様な話(核保有)は、何度か法話に投稿しましたが、その度に正論を捲し上げてくる人達が、どこからともなく降って湧いて出てきます。その人達に『では、核廃絶が出来る具体策を、教えて下さいませんか』と問い返すと『あちゃ、しまった。火に油を注いじまったか』と思える程の、更なる正論の綺麗事嵐が拙僧に。その人達の『綺麗事の嵐』を聞いていると、結局『そうあってほしい』と思うだけで、核廃絶の具体策など、何も持ってない」と。

対し、この人達が「という事はですよ、住職、『核を撃たせない為には、核を持て。これが最も核戦争が起こらない方策なり』という事になりますよね。それが、不本意であろうと、なかろうと。これまでの戦争の歴史を見てみると、それが現実ですよね。広島、長崎以来、1発も落ちてないのをみても、人間は確実に『核は恐怖』という認識にて。つまり、持っているだけで抑止力と。そう考えると、保有国が核兵器を放棄するなんて事は、到底あり得ない。人間はそれほど人間を信用してないですよね」「世界中、みんな仲良し、他国を攻める国なんてない、と断言出来るのなら、軍隊を持つ必要なんてないでしょうが。ウクライナでも、中東でも、今現在において、何千、何万という一般人が犠牲に。この現実に対し、日本はどう向き合うのかな。人間は1度死んだら、2度と生き返ってはこれないからね」と。

更に拙僧「いじめもなくならない、盗みもなくならない、人殺しもなくならない、詐欺もなくならない、誹謗中傷もなくならない。人間が1人生まれてきたら、同時に1つの欲もまた、世に出てくる。未来永劫にこの繰り返し。毎年、16歳になる少年が出てくるから、バイクの暴走族は無くならないでしょ。『じゃ、免許を与えなきゃいい』という人達もおりますが、無免許で乗るだけですよ。『じゃ、バイクをこの世から消せばいい』と。そんな話でもないでしょ。全盛期は全国で5万人いた暴走族が、昨今は5千人にまで減ったそうですが。石川五右衛門さんが時世で『浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』と言われたこの言葉は真理にて。核問題も、人間が存在する以上、永遠の課題でしょうね。兎に角、政治はシーソーの様なもの。どちらかが上がれば、どちらかは下がる。皆が皆、納得出来る様な法案など1つもない。このシーソーのバランスを取るが、政治家さん達の仕事にて。我々庶民が出来る事は、このバランスを取る事が出来る政治家さんを見極め、選挙で選ぶ事ぐらいかな」と。

これは余談ですが、拙僧の法話読者の若者が「玉木雄一郎代表の不倫記事が出ましたね。それも、目はゆらゆらしていましたが『事実です』と、あっさり認めましたね。ほんとこのタイミングで、笑わしてくれはりますな、世の中を。でも、何か、あからさまな『玉木潰し、国民民主党潰し』の匂いがするんですが、住職はこれ、どう思いますか」と。対し、拙僧「人が動けば、必ず白波が立つもの。隠し通せるものなど、何1つもないもんね。後々に必ず結果が出るから。禁煙パイポのCMで『私はこれ(小指を立てて)で、会社を辞めました』の有名な台詞が。40年前のCMだが、この道ばかりは、どうしようもないのかな。政治家さんの浮気、不倫、と聞くと、どうしても頭に思い浮かぶ人物がいるんだよね。鳩山一郎(第52、53、54代内閣総理大臣)さんの盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者で『ヤジ将軍』などの異名を取った、三木武吉(みきぶきち、1950年代活躍、三木武夫さんとは縁戚関係なし)さんという政治家さんなんですがね。この話を初めて聞いた時は、腹抱えて笑ったわ。『英雄色を好む』の言葉を実証した人、の印象が強いかな」と。

続けて拙僧、その若者に「昭和27年の衆議院議員総選挙の時に、選挙中の立会演説会で対立候補の福家俊一(ふけとしいち)さんという人から『ある有力候補は事もあろうに、愛人を4人も持っている。こんな人間が国政に関係する資格があるのか』と批判したと。ところが、次に演壇に立った三木武吉さんは『私の前に立った、フケ(=福家)ば飛ぶ様な候補者が申した『ある有力候補』とは、不肖この三木武吉の事であります。なるべくなら、皆さんの貴重なる一票は、先の無力候補(福家さん)に投ぜられるより、本人も認めておられる『有力候補』たるこの私に、と、三木は考えます。なお、正確を期さねばならんので、さきの無力候補(福家さん)の数字的間違いを、ここで訂正しておきます。私には、愛人が4人あると申されたが、事実は5人であります。『5』を『4』などと、小学生でも数え損なわない数字を。無力候補は恥とすべきであります。但し、この5人の女性達は、今日ではいずれも老女と相成り、ある意味においては役には立ちませぬ。が、これを捨て去る如き不人情は、三木武吉には出来ませんから、皆々今日も私が養っております』と愛人の存在をあっさり認め、聴衆の爆笑と拍手を呼んだそうだよ。この選挙では三木さんがトップ当選を果たし、福家(ふけ)さんは最下位で落選したんだと。まあ、この三木武吉さんの愛人問題の是非は兎も角、読者の方々には怒られるかもしれませんが、浮気、不倫は、当人同士と家族の問題で、世間にとっては、暇つぶしのネタでしかない。政治の仕事をしっかりやってもらえたら、それでいいかな、と拙僧の個人的意見ですけどね」と。

すると、この読者若者が「私も個人的には、そう思いますね。叩かれて埃の出ない人間なんて、恐らく、誰1人もいないでしょ。如何に清廉潔白、超真面目でも、政治の仕事が出来ないでは、国(国民)にとっては、残念でしかない。今度の選挙の敗北に自民党の一部の人達が『責任をとれ』と石破さんに辞任を迫っているとか聞きましたが、米国の大統領が決まった矢先に、日本はお家騒動をおっ始めるんかい。恥ずかしいったらありゃしない。『今、やるこっちゃないだろ。足の引っ張り合いをするより、やらなきゃならん事が山ほどあるだろうに。何か、悠長な事ばっかり言ってますよね、この国の政治家さん達は』と思いますが、どうですか、住職は。因みに、住職はどんな基準で投票を」と。

対し拙僧「基本、過度の文句言い、講釈言い、人の悪口言い、揚げ足取りは、避けてる。聞いていて、ヘキヘキする。戦国時代の誰だったかな、ある武将が『趣味や服装を見れば、その人間の心根がよくわかる。その最たるものが、言葉遣いである』と言い切りおった。確かに、自分の好きなものしか趣味にはならないし、好きな服しか着ないですもんね。更に、心にあるものしか、口からは出てこない。心の中にないものは、口から出てくる事はないですもんな。だから、あんまり人の悪口や嫌味などを言い過ぎると『私はこんな人間である』と世間に向かって、自分で自分の事を暴露してるに同じ。立候補者さん達は、ここは気を付けた方がいいかも。あまり他党の批判を言い過ぎると、折角良か政策案を持ってても『私の政治における仕事は、文句を言う事と揚げ足取りである』と言ってる様にしか聞こえない。勿体無いよね」と、この読者の人達に。

最後の最後に、この読者の人達が「住職は、将来において、核戦争は起こると思いますか」と。「ロシアはウクライナに対し、核兵器をチラつかせましたが、実際は脅し止まり。世界は今、三竦み(さんすくみ)。蛇はナメクジを怖がり、ナメクジは蛙を怖がり、蛙は蛇を怖がる。よって三者共に動きがとれない状態。核兵器が無かったら、戦争になるかもしれないが、核兵器があるが為に、そう簡単に大きな戦争には。そう考えると、米国の存在は大きいと言えますよね」と。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

昨日(10月31日)は、年に1度の御礼報謝で宮崎県の生目神社へ。11月末には、高野山へ御礼報謝に。宿泊はいつも別格本山大圓院さまに。夕食後にご住職の藤田先生と必ず、1、2時間程お話を。それがとても楽しみで。しかしながら、人というは本当に勝手なもので、叶えてもらいたい願いがあれば、1000キロ先の神社仏閣までも足を運ぶが、願いが叶った途端「御礼報謝に行ってきましたか」と問うと「遠いですから」と。例え願いが叶わなかったとしても「お願いに行かれたんでしょ。なら、報告と共に、お礼に行かなきゃ。もし依頼相手が人間だったら『なんという礼儀知らずや』と、次の助けはないですばい」と注意する事が度々。お守りもお札も、全て1年ものです。頼みっぱなしはあかん。年に1度は、けじめを付けなきゃ。お守りやお札を受けた神社仏閣へ足を運び、御礼報謝をした後、また新たに受けて帰るが常識です。その受けた日を忘れない様に、年の初めの正月か、自分の誕生日になど、特別な日をその日に当てると、忘れる事は少ないかと。

【1日の投稿法話の本文に入ります】

令和 6 年 11 月分 金剛寺住職短文法話集

読者の若者(10代男性、社会人)が「SNSの中で、自民党総裁選の真っ只中『誰が選ばれると思いますか』の質問に住職は『石破さんかな』と答えて、方々から『何でや、あんな信用出来ん人間を』と散々文句を言われてましたけど、何故、石破さんが選ばれると、そう思ったんですか」と問い掛けが。対し拙僧「誰になると思うか、と問われたから、そう答えただけ。石破さんを推しているとは、一言も言ってないのにな。結構『アンチ石破』さん達から反論が。『そんなに嫌われてるんだ、石破さんは』と驚いたよ。自民党の総裁だが、拙僧は、石破さんを本命に、高市さんか、林さんになるのかな、と予想していたけどね。そう思ったは、ちょっと話は逸れるけど、選挙の時、定期的に次の様な問い掛けを受ける事があるんだよ。『2世議員が出馬する事に、文句を付けるつもりはないんですが、親の地盤まで受け継ぐは、どう考えても不公平だと思いませんか。これから政界に打って出ようとする優秀な人間(才能ある者)を、潰す事になりかねないでしょ。親の地盤以外の場所から出馬せよ、と党がその様に規定すれば済む事ですもんね。そう思いませんか、住職は』という声が。拙僧の周りでは結構、こういう意見を持ってる人が多いんだよね」「私もそう思いますよ」と、この読者の若者も。

続けて、拙僧「確かにそうした意見は、至極真っ当な意見だとは思うが、でも、そう簡単な話ではないかもしれないよ。代議士を選ぶのは、地元を愛している、地元を活性化してほしい、と願う地元有権者の人達でしょ。人間は大なり小なり『自分にとって都合が良いか、悪いか。自分にとって利潤があるか、ないか』で、その是非を判断するからね。『当選後は即、力を発揮してもらわにゃ困る。我々は今現在の生活(おまんま)が大変なんだ』と思っている人達が、有権者さんだもんね。『この人は初出馬(政治経験なし)だが、有能な、優秀な人材だから、長い目で育ててやってください』なんて事を言われてもくさ、『そんな悠長な事を言ってる暇はない。同じ初出馬なら、代議士の2世の方が、学力が、能力が、優秀であろうがなかろうが、蛙の子は蛙、少なくとも親の仕事(背中)を長年、身近で見てきた分だけ、政治手腕(実践)に期待が出来る』と、特に地元有力者さん達(有権者)がそう思うは、至極当然の流れにて。つまり『門前の小僧、習わぬ経を読む』という事だね。

更に続けて拙僧「確かに、君の言う様に不公平だよ。が、その不公平をブチ破って、2世を蹴散らしてこそ、じゃないかな。が、2世を蹴散らして議席を勝ち取った人間も、何期か当選したら、将来は、自分にも2世というものが。この地盤問題は、政治家だけの問題ではない。地元有権者の欲も絡んでくるから、そう簡単に片付く問題ではないと思うよ。地盤を受け継いだ田中真紀子さんの例を出したら悪いが、2012年、68歳の時、田中王国と言われた新潟5区から出馬して、落選されたでしょ。親の威光があっても、大臣にまで上り詰めた人でも、落選する時は、落選する。落選の陰に何があったかは、知らないけどね。理想は、確かに一律公平だけど、その公平の土壌が確立されてない以上、ぐだぐだ文句言っても始まらん。その状況下で戦うしかない。因みに、嘗て、郵政民営化を争点に小泉純一郎元総理が、小泉チルドレンを各地の地盤に落下傘部隊として投入。83人もの新人を当選させたが、現在はその大半が姿を消したと。そう考えるとね、地元に根付くというは、そう簡単な話ではないのかな、と思うよ」と。すると、この若者が「なるほど、そういう事か、住職が『総裁は、石破さんかな』と思った理由は。つまり消去法、それ(即戦力)だったんですね」と。

対し拙僧「国内政治だけなら、どこの党がトップに立っても、誰が自民党総裁(総理)になっても、ある程度は無難に熟すだろうけど、こと、外交ばっかりは」と返すと「そうか、問題は外交ですもんね。総理になった途端、海千山千の諸国元首と対峙する事に。そう考えたら人選が、絞られるといえば、絞られますよね。だけど、石破さん、なんやらかんやらで、今、クソ味噌に。聞こえてくるは、嫌味ばっかりで、聞いていてヘキヘキする。まだ始まったばっかりだっていうのに。まるで、文句言いの人達は、日本が悪い方に向かうのを、望んでいるかの様な物言いですもんね。子供達もその様子を見てるっちゅうねん。仮に失敗したとて、日本が潰れる訳じゃあるまいし。現に、これまで誰が総理になっても、この国は潰れてないし。ほんと、しばらくの間は、黙って見とれや、と思いますよね」と。

最後に拙僧、この読者(男性、社会人)に「歴史を見ても、もし、もう少し早く生まれていたならば、もし、信長公、秀吉公、家康公がこの世にいなかったならば、天下を狙えただろう武将は、何人も。また、もし、もう少し都(京)に近い所に領土があったならば、上杉謙信公、武田信玄公は、天下人になれたやも。が、この『もし』は、残念ながら、この天下人と言われた人達以外の諸公には、与えてもらえなかった『もし』だもんね。秀吉公が『天下人は、天が決める』と言われたとか、言われなかったとか、これは、とても意味深い言葉だと思うよ。天下人には手が届かなかったものの、力ある諸大名は皆、自分の持ち場、持ち場で、それなりの成果を上げ、後世に名を残しておられるがな」と。それに対し、この若者が「という事は、この度は、石破さんに白羽の矢が立った、という事なんですね」「と、思うよ。ただ、歴史の中では『豊臣家を滅ぼす為だけに、この世に出てきた』とか『天は時折、それに相応しくない人物に、天下の流れを委ねる事がある』とか、酷い言葉を投げられた小早川秀秋公(関ヶ原で裏切り)の例も。そう言われない様に、頑張らないといけないよね、石破さんは」と。

続けて拙僧「文句を言っても、どうにもならん社会の仕組みに、文句を言ってもどうにもならん。自分に与えられた環境を、どう活かすかを考えた方がいい。関ヶ原の後、120万石から30万石に減らされた上杉家を、家老の直江兼続公は、家来の給料を一律3分の1に減らし、誰1人リストラせず、家臣(武士)に百姓をさせ、60万石まで石高を増やしたは有名な話。この時の兼続公の政策を、江戸時代中期ごろ、上杉家中興の祖と言われた上杉鷹山公がそれを手本にして、上杉家を立て直したとの事。この時、鷹山公が言われた『為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり』は、あまりにも有名な言葉。世の中を自分の思い通りに作り上げたい、と思うのなら、2世がどうのこうの、地盤がどうのこうの、と妬む前に、自分がやれる事を精一杯やって、頭(トップ)を取るしかない。拙僧が若い頃にね、父(先代)から1度だけ、こんな言葉を言われた事があったんだよ。『茶の道具、あるならあるで、茶を立てよ。ないならないで、茶を立てよ』とね」「どういう意味ですか」「ここまでの拙僧との会話から、意味は自分で考えな」と。

更に続けて拙僧、この読者若者に「大正2年生まれで、多くの奉公人さんを雇っていた海沿いの、大きな庄屋の娘であった女性は、4歳の時に両親を海難事故で1度に亡くし、その歳で丁稚奉公に。その12年後、奉公先の家の息子(拙僧の爺様)と結婚を。第二次世界大戦時に満州に渡り、5人の子供を育てあげ、帰国後は、夫(拙僧の爺様)が起業した会社と、息子(拙僧の父)が住職で座るお寺を支えた。60歳の時、長年の無理が祟って脳内出血で倒れ、左半身が不随に。医師から『2度と左半身は動かん』と言われながらも、懸命にリハビリ(わが寺の本堂を這って、お百度参り)を繰り返し、何とか歩けるまでに回復を。その後は、身体不自由な状態でお寺の炊事(法要での檀家の接待)を、他界する82の歳まで勤め上げた。これは、母親なき拙僧を育ててくれた婆様の話にて」と。

続けて拙僧「この婆様には拙僧、幼い頃から事あるごとに『博(拙僧)ちゃん、文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとるんだよ。建設的な意見を持たない、自分から動こうとはしない、ただの文句言いの文句は、雑音でしかない。特殊技能を必要とする仕事以外は、人が出来ている仕事は、必ず自分にも出来る。そこには上手、下手があるだけ。その上手、下手も、時間と周囲の支えが解決してくれる。将来、親になったら、これは覚えときな。躾(しつけ)はするものじゃないよ、躾(しつけ)は見せるものだよ。親は、まず動け、だよ』と度々拙僧に。波乱万丈の人生を歩んできた婆様の言葉だったから、拙僧にとっては、何よりも説得力があった。今日、君と会話した内容は、政界だけの話じゃない。どの分野の仕事(生き方)にも当てはまるもの。だけどくさ、君がこんな質問をぶつけてくれたお陰で、10日前に石破さんの話を書いた時の様に『石破バッシング』がまた、わっさわっさ、と拙僧のところに、やってくるんだろうな。が、しかし、バッシングする人が多いという事はくさ、期待してる人もそれなりに、おらっしゃるという事、かもしれないよね」と。

この法話は、10月中旬に書いたものです。10月27日の衆議院総選挙がどのような結果になろうとも、石破総理はそれを受け止めて、工夫して、前へ前へと進んでいくしかないですもんね。真言宗の理趣経の内容を簡単に説明すれば「やってくる縁は全て受け入れよ。それを超えた先に、何故にこの縁が私にやってきたのか、その理由が悟れる」と。石破さんだけではなく、私達も、ですね。


令和 6 年 11 月分  金剛寺住職 臨時法話

現在、日本には、約77000の寺院があり、その内の約20000寺院以上が既に、廃寺(住職不在)になっているとの事にて。そう遠くない将来には、その廃寺になる寺院が50000ヶ寺に達すると言われております。廃寺になる理由は様々あれど、以下に記載のものも、その要因の1つにて。

他宗の20代、30代の後継者さん達から拙僧、随分と相談を受けてまいりましたが、彼らが訴えるには「檀家さん達は、自分達の用事(葬式、相談など)がある時には『あれをしろ、これをしろ、どうにかしてくれ』と困った時だけの神頼みの様にお寺を使い回して。が、例えば、納骨堂修理などで寄付をお願いすると『我れ、関せず』と言わんばかりに知らん顔して横を。自分達のご先祖さんが眠っておられるのに。納骨堂は、購入のマンションと同義でしょ。加入者さん達が協力して修理を施していくが筋なのに。私達はこんな自分勝手な人達(非協力的な檀家)を、相手にしなければいけないのですか」と悔やんで拙僧に、その胸の内を。

ある宗団では、年収ですよ、10万円以下の寺院が10%で、年収50万円以下の寺院が40%であると。住職の給料、生活費どころか、お寺の水道光熱費、修繕代などの維持費にもならんと。『坊主丸儲け』といわれる寺院は、実際は、ほんの僅かの僅か、ですもんね。そこが目立ち過ぎてる事で、寺院全体がそんな印象(坊主丸儲け)に。拙僧の知っている他宗寺院(滋賀県)のご住職(80代)さんは「檀家さんが野菜やお米を持って来てくれた時だけ、人並みのご飯が食べられる。2日、3日、食べられない事も常にある」と言われておりました。こんな状況なら、潰れるお寺が出てきても当然ですよね。日本の寺院は今、大変な状況下にあります。後継者といわれる若者達は皆、生活が成り立たず、子供が育てられず、お寺を後継出来ずに、泣く泣く職種替えを。

話を戻しますが、その後継者さん達曰く「全国の廃寺(住職不在)になった寺院には当然、境内地の中にお墓や納骨堂があるところも。先祖に思いのない人達は、そのまま遺骨を放置し、納骨堂もお寺と共に朽ち果てていくもまた、よし、と。先祖に思いのある人達は、新たな寺院で納骨堂契約をするという事になりますが、初めから菩提寺に対し、協力的であったなら、新たな寺院で納骨堂を多額のお金を出して、契約する事もなかったろうに、と思うんですけどね。今、私のお寺の納骨堂に眠っておられる先祖さん達ですが、何の罪もない事は知っております。だけど、これ程までに檀家さん達が非協力的では、お寺の維持も生活も、成り立たないんです」と。

続けて、後継者さん達が「昨今は『寺院(その家の葬式、年忌法要を勤めてくれる菩提寺の事)など要らん。菩提寺が潰れようが、どうなろうが、知った事か。俺にとっては、なんの影響もないわい』という人達が増加を。ご住職(拙僧の事)の法話の中にある様に、病院に親の亡骸を貰い受けに行かない子供や、遺骨を火葬場に置き捨てて帰る子供、骨壷を野原や電車の中、生ゴミ置き場に捨てる子供など、私の周囲(地域)にもそんな事が起こっていると耳に入ってます。そこまではなくても、骨壷を押し入れの中に長年放置している家も。が、いつまでも、そのまま放置しておく訳にはいかないので、いずれはお墓か納骨堂に、となるのですが。まあ、でも、こんな人達は遺骨を海にでも持って行って、投げ捨てて来るんでしょうが。実際にそうする家も結構にあると聞きました。その様な家は、大半が家庭崩壊をしておるようですね。『ご先祖さんのバチが当たった』という事ではなく『躾(しつけ)はするものではなく、躾は見せるもの』ですので、親のその様な言動を見て育った子供や孫が、親の様な感謝の出来ない人間に育ち上がり、いつしか家庭が感謝の心を持たない人達(自分勝手)の集合体に。よって、自ずと自然崩壊の方向へと。勿論、そんな家ばかりじゃないですよ。ちゃんとした檀家もわが寺には、少なからずあります」と。

更に続けて、後継者さん達が拙僧に「住職(拙僧の事)のお寺の檀家さん達は、どうですか」と。「そうだね。わが金剛寺でも一昨年、水害で納骨堂がやられ、修理の為にご寄付をお願いさせて頂いたが、大半の納骨堂契約者さん達は、協力をしてくれましたが、知らん顔をされた契約者さんも、何家かはあったかな」と。「そうですか。住職(拙僧)のお寺でも、その様な檀家さんはおらっしゃるんですね。ところで、納骨堂の掃除なんかは、住職(拙僧)のお寺では、どうされておられるんですか」と。「毎朝(1年中)5時から、拙僧と息子達で境内と納骨堂を2時間ほど、掃除をさせてもらっていますが、11月の最後の日曜日に行われている『すす払い』の時には、納骨堂の契約者さん達に『せめて年に1度くらいは、納骨堂の掃除に来て下さい。ご自分達の大事な先祖が永眠されている場所なんですから。お墓を持っている人達は、年の初めの1月、春の彼岸、お盆、秋の彼岸、年の納めの12月には、御礼報謝として掃除に行かれているでしょ。納骨堂は、お寺が掃除するからしなくていいや、じゃないですよ』と、その様に言っております。勿論、その日に用事がある人や、体調不良(病気など)の人、ご老人達には、無理は言いませんが。聞くところによると、お寺さんによっては『納骨堂は、加入者であるあなた達が掃除をするが、当然の事でしょ』と、お寺側が全く掃除をしない寺院もあるとの事。まあ、それはそれでどうなの、とは思いますけどね。何か、様々、歯車が噛み合ってない様な感じがします」と。

続けて拙僧、この他宗後継者さん達に「わが金剛寺では、大半の檀家さん達は、多分に協力をしてくれておりますので、今のところはまだ、お寺の存続に関しては大丈夫ですが、世相の流れに飲み込まれないとは、言い切れませんよね。先日、ある知人の中学生が、亡くなった祖父に対する両親の扱い方を見て『住職さん、人間は死んだらゴミ捨てか』と言い放った言葉は衝撃的でしたね。実際に金剛寺でも昨今『年忌法要はしない。葬儀はしない』と言ってこられた檀家さんが、数家ありましてね。しかしながら、わが寺では納骨堂の契約書の中に『わが寺の納骨堂は、要らない物を捨てる場所に非ず。納骨堂を姥捨山状態にしたり、維持費未支払い、年忌法要拒否など、その様にされる檀家様は、退堂して頂きます』との条文が記されてありまして、契約者は皆、その契約書に署名捺印をされて、わが寺の納骨堂に」と。続けて拙僧「大半の納骨堂契約者様は、ご先祖さんを大事にされておられますが、そうでない契約者様には、個別に対面させて頂き、次の様な話をその檀家さん達にはさせてもらい、今後の身の振り方(菩提寺を変える)を決めて頂いております」と、他州の後継者さん達に。

規定を守れない納骨堂契約檀家さん達に拙僧「以前ですね、他寺の檀家さんが『私の家の菩提寺は、3月の納骨堂参りで牡丹餅をお供えして帰ったら、8月のお盆の時には、その牡丹餅がカビだらけで、そのままそこに放置状態。こんなお寺をどう思いますか』と拙僧に愚痴を言いに来られまして。対し、その人に『それはお寺さんは、あかんよね。だが、あなたも、あなただよ。3月から8月まで、1度も納骨堂に足を運ばなかったの』と返すと、気まずそうにしておられましたよ。世の中にはですね、枕経にも通夜にも来ず、テープのお経を聞かせるお寺(住職)さんもあるとの事。葬式の時には、儀式後に法話もせず、お経を相手にぶつけて終わり、さっさと帰る『ドッチボール住職』もいるとの事。枕経、通夜、葬儀で、最も大事なのは、枕経にて。ご臨終と言われて、約8時間は耳が聞こえているは、検証済み。この枕経は『あなたは人間を卒業したんだよ。彼の地に向かう心構えを』と故人に向けて言い聞かせるが、枕経にて。通夜、葬儀は、故人に向けての御礼報謝の勤めにて。この様に供養を重視してない、いい加減なお寺は世の中には結構ありますから、構いませんので、どうぞ、そういうお寺に移って下さいませ』と、年忌法要をしたくない、と申し入れてきたわが寺の檀家さん達には、その様に拙僧、言っております」と。

すると、この後継者さん達が「厳しいですね、住職は」と。返して、後継者さん達に「だけどね、その様ないい加減な檀家さんは、それほど問題ではないんですよ。本当に問題なのは、真面目な檀家さん側の方でね。『なんだ金剛寺は、年忌法要などしなくていいだろ、と申し入れたら、簡単にそれを了承する様な、そんないい加減なお寺だったんかい。将来、私達の子孫がそんな事(年忌法要などしたくない)を言ってきたら、それを簡単に了承して、私達はほったらかされるんかい。そんな住職のお寺に、大事な先祖を私達は預けているんかい』と、こうなるが最もまずい。寺院の存亡にまで影響してきますからね。それに、やはり、親や先祖を大事にしない家を見ておりますと、あなた達(他宗の後継者さん)の言われる通り、感謝という心がないもんで、家庭崩壊の方向にジワジワと、向かっておる様に見受けられます。そうさせない為にも、厳しくしている面もあるといえば、あるのかな。親や先祖を大事にしない昨今の世の中の傾向、止めなきゃね」と、他宗の後継者さん達と話を。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

昨日(10月31日)は、年に1度の御礼報謝で宮崎県の生目神社へ。11月末には、高野山へ御礼報謝に。宿泊はいつも別格本山大圓院さまに。夕食後にご住職の藤田先生と必ず、1、2時間程お話を。それがとても楽しみで。しかしながら、人というは本当に勝手なもので、叶えてもらいたい願いがあれば、1000キロ先の神社仏閣までも足を運ぶが、願いが叶った途端「御礼報謝に行ってきましたか」と問うと「遠いですから」と。例え願いが叶わなかったとしても「お願いに行かれたんでしょ。なら、報告と共に、お礼に行かなきゃ。もし依頼相手が人間だったら『なんという礼儀知らずや』と、次の助けはないですばい」と注意する事が度々。お守りもお札も、全て1年ものです。頼みっぱなしはあかん。年に1度は、けじめを付けなきゃ。お守りやお札を受けた神社仏閣へ足を運び、御礼報謝をした後、また新たに受けて帰るが常識です。その受けた日を忘れない様に、年の初めの正月か、自分の誕生日になど、特別な日をその日に当てると、忘れる事は少ないかと。


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令和 6 年 11 月分 金剛寺住職短文法話集

読者の若者(10代男性、社会人)が「SNSの中で、自民党総裁選の真っ只中『誰が選ばれると思いますか』の質問に住職は『石破さんかな』と答えて、方々から『何でや、あんな信用出来ん人間を』と散々文句を言われてましたけど、何故、石破さんが選ばれると、そう思ったんですか」と問い掛けが。対し拙僧「誰になると思うか、と問われたから、そう答えただけ。石破さんを推しているとは、一言も言ってないのにな。結構『アンチ石破』さん達から反論が。『そんなに嫌われてるんだ、石破さんは』と驚いたよ。自民党の総裁だが、拙僧は、石破さんを本命に、高市さんか、林さんになるのかな、と予想していたけどね。そう思ったは、ちょっと話は逸れるけど、選挙の時、定期的に次の様な問い掛けを受ける事があるんだよ。『2世議員が出馬する事に、文句を付けるつもりはないんですが、親の地盤まで受け継ぐは、どう考えても不公平だと思いませんか。これから政界に打って出ようとする優秀な人間(才能ある者)を、潰す事になりかねないでしょ。親の地盤以外の場所から出馬せよ、と党がその様に規定すれば済む事ですもんね。そう思いませんか、住職は』という声が。拙僧の周りでは結構、こういう意見を持ってる人が多いんだよね」「私もそう思いますよ」と、この読者の若者も。

続けて、拙僧「確かにそうした意見は、至極真っ当な意見だとは思うが、でも、そう簡単な話ではないかもしれないよ。代議士を選ぶのは、地元を愛している、地元を活性化してほしい、と願う地元有権者の人達でしょ。人間は大なり小なり『自分にとって都合が良いか、悪いか。自分にとって利潤があるか、ないか』で、その是非を判断するからね。『当選後は即、力を発揮してもらわにゃ困る。我々は今現在の生活(おまんま)が大変なんだ』と思っている人達が、有権者さんだもんね。『この人は初出馬(政治経験なし)だが、有能な、優秀な人材だから、長い目で育ててやってください』なんて事を言われてもくさ、『そんな悠長な事を言ってる暇はない。同じ初出馬なら、代議士の2世の方が、学力が、能力が、優秀であろうがなかろうが、蛙の子は蛙、少なくとも親の仕事(背中)を長年、身近で見てきた分だけ、政治手腕(実践)に期待が出来る』と、特に地元有力者さん達(有権者)がそう思うは、至極当然の流れにて。つまり『門前の小僧、習わぬ経を読む』という事だね。

更に続けて拙僧「確かに、君の言う様に不公平だよ。が、その不公平をブチ破って、2世を蹴散らしてこそ、じゃないかな。が、2世を蹴散らして議席を勝ち取った人間も、何期か当選したら、将来は、自分にも2世というものが。この地盤問題は、政治家だけの問題ではない。地元有権者の欲も絡んでくるから、そう簡単に片付く問題ではないと思うよ。地盤を受け継いだ田中真紀子さんの例を出したら悪いが、2012年、68歳の時、田中王国と言われた新潟5区から出馬して、落選されたでしょ。親の威光があっても、大臣にまで上り詰めた人でも、落選する時は、落選する。落選の陰に何があったかは、知らないけどね。理想は、確かに一律公平だけど、その公平の土壌が確立されてない以上、ぐだぐだ文句言っても始まらん。その状況下で戦うしかない。因みに、嘗て、郵政民営化を争点に小泉純一郎元総理が、小泉チルドレンを各地の地盤に落下傘部隊として投入。83人もの新人を当選させたが、現在はその大半が姿を消したと。そう考えるとね、地元に根付くというは、そう簡単な話ではないのかな、と思うよ」と。

すると、この若者が「なるほど、そういう事か、住職が『総裁は、石破さんかな』と思った理由は。つまり消去法、それ(即戦力)だったんですね」と。対し拙僧「国内政治だけなら、どこの党がトップに立っても、誰が自民党総裁(総理)になっても、ある程度は無難に熟すだろうけど、こと、外交ばっかりは」と返すと「そうか、問題は外交ですもんね。総理になった途端、海千山千の諸国元首と対峙する事に。そう考えたら人選が、絞られるといえば、絞られますよね。だけど、石破さん、なんやらかんやらで、今、クソ味噌に。聞こえてくるは、嫌味ばっかりで、聞いていてヘキヘキする。まだ始まったばっかりだっていうのに。まるで、文句言いの人達は、日本が悪い方に向かうのを、望んでいるかの様な物言いですもんね。子供達もその様子を見てるっちゅうねん。仮に失敗したとて、日本が潰れる訳じゃあるまいし。現に、これまで誰が総理になっても、この国は潰れてないし。ほんと、しばらくの間は、黙って見とれや、と思いますよね」と。

最後に拙僧、この読者(男性、社会人)に「歴史を見ても、もし、もう少し早く生まれていたならば、もし、信長公、秀吉公、家康公がこの世にいなかったならば、天下を狙えただろう武将は、何人も。また、もし、もう少し都(京)に近い所に領土があったならば、上杉謙信公、武田信玄公は、天下人になれたやも。が、この『もし』は、残念ながら、この天下人と言われた人達以外の諸公には、与えてもらえなかった『もし』だもんね。秀吉公が『天下人は、天が決める』と言われたとか、言われなかったとか、これは、とても意味深い言葉だと思うよ。天下人には手が届かなかったものの、力ある諸大名は皆、自分の持ち場、持ち場で、それなりの成果を上げ、後世に名を残しておられるがな」と。それに対し、この若者が「という事は、この度は、石破さんに白羽の矢が立った、という事なんですね」「と、思うよ。ただ、歴史の中では『豊臣家を滅ぼす為だけに、この世に出てきた』とか『天は時折、それに相応しくない人物に、天下の流れを委ねる事がある』とか、酷い言葉を投げられた小早川秀秋公(関ヶ原で裏切り)の例も。そう言われない様に、頑張らないといけないよね、石破さんは」と。

続けて拙僧「文句を言っても、どうにもならん社会の仕組みに、文句を言ってもどうにもならん。自分に与えられた環境を、どう活かすかを考えた方がいい。関ヶ原の後、120万石から30万石に減らされた上杉家を、家老の直江兼続公は、家来の給料を一律3分の1に減らし、誰1人リストラせず、家臣(武士)に百姓をさせ、60万石まで石高を増やしたは有名な話。この時の兼続公の政策を、江戸時代中期ごろ、上杉家中興の祖と言われた上杉鷹山公がそれを手本にして、上杉家を立て直したとの事。この時、鷹山公が言われた『為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり』は、あまりにも有名な言葉。世の中を自分の思い通りに作り上げたい、と思うのなら、2世がどうのこうの、地盤がどうのこうの、と妬む前に、自分がやれる事を精一杯やって、頭(トップ)を取るしかない。拙僧が若い頃にね、父(先代)から1度だけ、こんな言葉を言われた事があったんだよ。『茶の道具、あるならあるで、茶を立てよ。ないならないで、茶を立てよ』とね」「どういう意味ですか」「ここまでの拙僧との会話から、意味は自分で考えな」と。

更に続けて拙僧、この読者若者に「大正2年生まれで、多くの奉公人さんを雇っていた海沿いの、大きな庄屋の娘であった女性は、4歳の時に両親を海難事故で1度に亡くし、その歳で丁稚奉公に。その12年後、奉公先の家の息子(拙僧の爺様)と結婚を。第二次世界大戦時に満州に渡り、5人の子供を育てあげ、帰国後は、夫(拙僧の爺様)が起業した会社と、息子(拙僧の父)が住職で座るお寺を支えた。60歳の時、長年の無理が祟って脳内出血で倒れ、左半身が不随に。医師から『2度と左半身は動かん』と言われながらも、懸命にリハビリ(わが寺の本堂を這って、お百度参り)を繰り返し、何とか歩けるまでに回復を。その後は、身体不自由な状態でお寺の炊事(法要での檀家の接待)を、他界する82の歳まで勤め上げた。これは、母親なき拙僧を育ててくれた婆様の話にて」と。

続けて拙僧「この婆様には拙僧、幼い頃から事あるごとに『博(拙僧)ちゃん、文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとるんだよ。建設的な意見を持たない、自分から動こうとはしない、ただの文句言いの文句は、雑音でしかない。特殊技能を必要とする仕事以外は、人が出来ている仕事は、必ず自分にも出来る。そこには上手、下手があるだけ。その上手、下手も、時間と周囲の支えが解決してくれる。将来、親になったら、これは覚えときな。躾(しつけ)はするものじゃないよ、躾(しつけ)は見せるものだよ。親は、まず動け、だよ』と度々拙僧に。波乱万丈の人生を歩んできた婆様の言葉だったから、拙僧にとっては、何よりも説得力があった。今日、君と会話した内容は、政界だけの話じゃない。どの分野の仕事(生き方)にも当てはまるもの。だけどくさ、君がこんな質問をぶつけてくれたお陰で、10日前に石破さんの話を書いた時の様に『石破バッシング』がまた、わっさわっさ、と拙僧のところに、やってくるんだろうな。が、しかし、バッシングする人が多いという事はくさ、期待してる人もそれなりに、おらっしゃるという事、かもしれないよね」と。

この法話は、10月中旬に書いたものです。10月27日の衆議院総選挙がどのような結果になろうとも、石破総理はそれを受け止めて、工夫して、前へ前へと進んでいくしかないですもんね。真言宗の理趣経の内容を簡単に説明すれば「やってくる縁は全て受け入れよ。それを超えた先に、何故にこの縁が私にやってきたのか、その理由が悟れる」と。石破さんだけではなく、私達も、ですね。


令和 6 年 11 月分  金剛寺住職 臨時法話

現在、日本には、約77000の寺院があり、その内の約20000寺院以上が既に、廃寺(住職不在)になっているとの事にて。そう遠くない将来には、その廃寺になる寺院が50000ヶ寺に達すると言われております。廃寺になる理由は様々あれど、以下に記載のものも、その要因の1つにて。

他宗の20代、30代の後継者さん達から拙僧、随分と相談を受けてまいりましたが、彼らが訴えるには「檀家さん達は、自分達の用事(葬式、相談など)がある時には『あれをしろ、これをしろ、どうにかしてくれ』と困った時だけの神頼みの様にお寺を使い回して。が、例えば、納骨堂修理などで寄付をお願いすると『我れ、関せず』と言わんばかりに知らん顔して横を。自分達のご先祖さんが眠っておられるのに。納骨堂は、購入のマンションと同義でしょ。加入者さん達が協力して修理を施していくが筋なのに。私達はこんな自分勝手な人達(非協力的な檀家)を、相手にしなければいけないのですか」と悔やんで拙僧に、その胸の内を。

ある宗団では、年収ですよ、10万円以下の寺院が10%で、年収50万円以下の寺院が40%であると。住職の給料、生活費どころか、お寺の水道光熱費、修繕代などの維持費にもならんと。『坊主丸儲け』といわれる寺院は、実際は、ほんの僅かの僅か、ですもんね。そこが目立ち過ぎてる事で、寺院全体がそんな印象(坊主丸儲け)に。拙僧の知っている他宗寺院(滋賀県)のご住職(80代)さんは「檀家さんが野菜やお米を持って来てくれた時だけ、人並みのご飯が食べられる。2日、3日、食べられない事も常にある」と言われておりました。こんな状況なら、潰れるお寺が出てきても当然ですよね。日本の寺院は今、大変な状況下にあります。後継者といわれる若者達は皆、生活が成り立たず、子供が育てられず、お寺を後継出来ずに、泣く泣く職種替えを。

話を戻しますが、その後継者さん達曰く「全国の廃寺(住職不在)になった寺院には当然、境内地の中にお墓や納骨堂があるところも。先祖に思いのない人達は、そのまま遺骨を放置し、納骨堂もお寺と共に朽ち果てていくもまた、よし、と。先祖に思いのある人達は、新たな寺院で納骨堂契約をするという事になりますが、初めから菩提寺に対し、協力的であったなら、新たな寺院で納骨堂を多額のお金を出して、契約する事もなかったろうに、と思うんですけどね。今、私のお寺の納骨堂に眠っておられる先祖さん達ですが、何の罪もない事は知っております。だけど、これ程までに檀家さん達が非協力的では、お寺の維持も生活も、成り立たないんです」と。

続けて、後継者さん達が「昨今は『寺院(その家の葬式、年忌法要を勤めてくれる菩提寺の事)など要らん。菩提寺が潰れようが、どうなろうが、知った事か。俺にとっては、なんの影響もないわい』という人達が増加を。ご住職(拙僧の事)の法話の中にある様に、病院に親の亡骸を貰い受けに行かない子供や、遺骨を火葬場に置き捨てて帰る子供、骨壷を野原や電車の中、生ゴミ置き場に捨てる子供など、私の周囲(地域)にもそんな事が起こっていると耳に入ってます。そこまではなくても、骨壷を押し入れの中に長年放置している家も。が、いつまでも、そのまま放置しておく訳にはいかないので、いずれはお墓か納骨堂に、となるのですが。まあ、でも、こんな人達は遺骨を海にでも持って行って、投げ捨てて来るんでしょうが。実際にそうする家も結構にあると聞きました。その様な家は、大半が家庭崩壊をしておるようですね。『ご先祖さんのバチが当たった』という事ではなく『躾(しつけ)はするものではなく、躾は見せるもの』ですので、親のその様な言動を見て育った子供や孫が、親の様な感謝の出来ない人間に育ち上がり、いつしか家庭が感謝の心を持たない人達(自分勝手)の集合体に。よって、自ずと自然崩壊の方向へと。勿論、そんな家ばかりじゃないですよ。ちゃんとした檀家もわが寺には、少なからずあります」と。

更に続けて、後継者さん達が拙僧に「住職(拙僧の事)のお寺の檀家さん達は、どうですか」と。「そうだね。わが金剛寺でも一昨年、水害で納骨堂がやられ、修理の為にご寄付をお願いさせて頂いたが、大半の納骨堂契約者さん達は、協力をしてくれましたが、知らん顔をされた契約者さんも、何家かはあったかな」と。「そうですか。住職(拙僧)のお寺でも、その様な檀家さんはおらっしゃるんですね。ところで、納骨堂の掃除なんかは、住職(拙僧)のお寺では、どうされておられるんですか」と。「毎朝(1年中)5時から、拙僧と息子達で境内と納骨堂を2時間ほど、掃除をさせてもらっていますが、11月の最後の日曜日に行われている『すす払い』の時には、納骨堂の契約者さん達に『せめて年に1度くらいは、納骨堂の掃除に来て下さい。ご自分達の大事な先祖が永眠されている場所なんですから。お墓を持っている人達は、年の初めの1月、春の彼岸、お盆、秋の彼岸、年の納めの12月には、御礼報謝として掃除に行かれているでしょ。納骨堂は、お寺が掃除するからしなくていいや、じゃないですよ』と、その様に言っております。勿論、その日に用事がある人や、体調不良(病気など)の人、ご老人達には、無理は言いませんが。聞くところによると、お寺さんによっては『納骨堂は、加入者であるあなた達が掃除をするが、当然の事でしょ』と、お寺側が全く掃除をしない寺院もあるとの事。まあ、それはそれでどうなの、とは思いますけどね。何か、様々、歯車が噛み合ってない様な感じがします」と。

続けて拙僧、この他宗後継者さん達に「わが金剛寺では、大半の檀家さん達は、多分に協力をしてくれておりますので、今のところはまだ、お寺の存続に関しては大丈夫ですが、世相の流れに飲み込まれないとは、言い切れませんよね。先日、ある知人の中学生が、亡くなった祖父に対する両親の扱い方を見て『住職さん、人間は死んだらゴミ捨てか』と言い放った言葉は衝撃的でしたね。実際に金剛寺でも昨今『年忌法要はしない。葬儀はしない』と言ってこられた檀家さんが、数家ありましてね。しかしながら、わが寺では納骨堂の契約書の中に『わが寺の納骨堂は、要らない物を捨てる場所に非ず。納骨堂を姥捨山状態にしたり、維持費未支払い、年忌法要拒否など、その様にされる檀家様は、退堂して頂きます』との条文が記されてありまして、契約者は皆、その契約書に署名捺印をされて、わが寺の納骨堂に」と。続けて拙僧「大半の納骨堂契約者様は、ご先祖さんを大事にされておられますが、そうでない契約者様には、個別に対面させて頂き、次の様な話をその檀家さん達にはさせてもらい、今後の身の振り方(菩提寺を変える)を決めて頂いております」と、他州の後継者さん達に。

規定を守れない納骨堂契約檀家さん達に拙僧「以前ですね、他寺の檀家さんが『私の家の菩提寺は、3月の納骨堂参りで牡丹餅をお供えして帰ったら、8月のお盆の時には、その牡丹餅がカビだらけで、そのままそこに放置状態。こんなお寺をどう思いますか』と拙僧に愚痴を言いに来られまして。対し、その人に『それはお寺さんは、あかんよね。だが、あなたも、あなただよ。3月から8月まで、1度も納骨堂に足を運ばなかったの』と返すと、気まずそうにしておられましたよ。世の中にはですね、枕経にも通夜にも来ず、テープのお経を聞かせるお寺(住職)さんもあるとの事。葬式の時には、儀式後に法話もせず、お経を相手にぶつけて終わり、さっさと帰る『ドッチボール住職』もいるとの事。枕経、通夜、葬儀で、最も大事なのは、枕経にて。ご臨終と言われて、約8時間は耳が聞こえているは、検証済み。この枕経は『あなたは人間を卒業したんだよ。彼の地に向かう心構えを』と故人に向けて言い聞かせるが、枕経にて。通夜、葬儀は、故人に向けての御礼報謝の勤めにて。この様に供養を重視してない、いい加減なお寺は世の中には結構ありますから、構いませんので、どうぞ、そういうお寺に移って下さいませ』と、年忌法要をしたくない、と申し入れてきたわが寺の檀家さん達には、その様に拙僧、言っております」と。

すると、この後継者さん達が「厳しいですね、住職は」と。返して、後継者さん達に「だけどね、その様ないい加減な檀家さんは、それほど問題ではないんですよ。本当に問題なのは、真面目な檀家さん側の方でね。『なんだ金剛寺は、年忌法要などしなくていいだろ、と申し入れたら、簡単にそれを了承する様な、そんないい加減なお寺だったんかい。将来、私達の子孫がそんな事(年忌法要などしたくない)を言ってきたら、それを簡単に了承して、私達はほったらかされるんかい。そんな住職のお寺に、大事な先祖を私達は預けているんかい』と、こうなるが最もまずい。寺院の存亡にまで影響してきますからね。それに、やはり、親や先祖を大事にしない家を見ておりますと、あなた達(他宗の後継者さん)の言われる通り、感謝という心がないもんで、家庭崩壊の方向にジワジワと、向かっておる様に見受けられます。そうさせない為にも、厳しくしている面もあるといえば、あるのかな。親や先祖を大事にしない昨今の世の中の傾向、止めなきゃね」と、他宗の後継者さん達と話を。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

先日、社会の理不尽にもまれ、落胆の檀家20代若者に「10月5日は、達磨大師のご命日。武者小路実篤さんが『桃栗三年柿八年、達磨は九年、俺一生(桃栗柿は、その年数で実を結ぶ。達磨は、面壁九年で悟りを。が、俺は)』なる言葉を。世間の人は無責任に文句、否定、誹謗中傷を。言うだけ言うて、誰も助けてはくれん。自分を助けてくれるは、自分しかいない。自分を助けられる力を自分で付けな。じゃないと、人を頼ってばかりいる人間を、人はいつまでも助けてはくれないよ」と。


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檀家の仏壇参りに伺うと、その家の人が「住職は『ツチノコ』って、本当にいると思いますか」と唐突に。「何よ、どうしたの」と聞き返すと「いや、住職が時折『迷信は、解明されたら、迷信ではなくなる』と言ってるから、どうなのかな、と思って」と。対し拙僧「50センチ程の蛇が、大きな鼠を飲み込んだ直後に、偶々人に見られた、が伝説の始まりかも」と答えると「また、そんな夢のない事を」と。「ですよね。山奥にしても、深海にしても、宇宙にしても、未確認物体(人間が『ある』と信じているもの)が存在していると思うから『ワクワク、ドキドキ、好奇心、元気、健康』がもらえるんだもんね。そう考えたら、人間が夢見る『世界平和の実現』というのも、そうなのかもしれないよね。『人間の世界から、欲、が消える事はない。1人の人間の誕生と共に、1つの欲もまた、同時に誕生を。自分の欲を満たす為には、相手の欲を抑え付けるしかない。抑え付けたら自ずと、そこに争いが起こる。石川五右衛門さんが辞世で言った、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ、は、正論中の正論、真理中の真理にて』などと言っていたら、お先真っ暗ですもんな。人間には『折り合う』という心があるから、それを根付かせるしかないですよね」と、その檀家さんに。

続けて、この檀家さんに「折り合う、と言えばくさ、今年、パリでは五輪が。1889年の第4回パリ万博の時に、エッフェル塔(312メートル)が建てられましたが、その時に『著しくパリの景観を損なうじゃろ』と猛反対したが、フランスの自然主義作家のモーパッサン。彼はパリで唯一、この塔を見らずにすむ場所として、度々1階のレストランに足を運んだそうだね。この時に『エッフェル塔が嫌な奴は、エッフェル塔に行け』という諺までもが産まれたとの事。でもくさ、本当に嫌いだったら、そんなに度々、エッフェル塔に足を運ぶ事はないですわな。恐らく『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ』で、最初は嫌っていたのかも知れないが、エッフェル塔に足を運んでいる内に「満更でもないやんけ』という気持ちに変わっていったのかも」と。更に拙僧「自分の心と折り合いを付けられたら、案外に何でも、受け入れる事が出来ますもんな。実際問題、この世に『これ、正解』はないですもんね。今の自分にとって『正解か、否か』というだけで。今この時点で『正解』と思っている事も、知識、知恵、経験が増していくに連れ、自ずとその正解も変化をしていきます。だからこそ、その時の感情で人を否定、批判しちゃならんのだよね。特に、大人(親)が子供に対し、自分の考えを押し付けるは、愚の骨頂。『子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ』ですばい。因みに、東京タワー(333メートル)は『エッフェル塔よりも高い物を』と、張り合って作られたという話ですよ」と。

最後に、この檀家さんが「ところで住職、パリ五輪といえば開会式での『マリーアントワネット(自分の頭部を手に持って立つ女性の姿)』ですが、衝撃的でしたよね。それについてのご意見を」と。対し、拙僧「まあ、何でもがそうだが、人がそうする(そう動く)からには、第三者にはわからない、そうする(そう動く)だけの理由があるはず。フランスがどういう意図(目論見)があって、あの様な催し物を出したのかはわからないが、国内でも『こんな催し物を出すのか』と賛否両論、もめにもめたと思うよ。ある程度の批判を受けるは、百も承知だったと思うよ。恐らく、開会式を見ていた人達の多くは『誰、この女性』と一斉に『パリ五輪、開会式、首無し女性』でググったんじゃないかな。彼女の事を知らない若い世代の人達の間では、あの映像で、彼女は一気に超有名人に。フランス革命(ルイ16世)を説明しようとすれば、何時間も掛かるものを、あれ1発(マリーアントワネット)で、フランスの建国の歴史が全世界に知れ渡る事に」と。更に拙僧「フランス革命は、1789年7月14日に勃発した事により、この日(7月14日)がフランスの建国記念日に。この建国記念日に近い日に、五輪開会式があったので、その様な催し物を持ち出したのかな。『俺達はこの様な歴史を辿って、フランスという国を建国したんだ』と全世界にアピールを。歴史上の善悪は抜きにして、今ここにフランスという国が存在するは、歴史を担ってこられた人達がおればこそ、だもんね」「住職の言葉を借りて言うならば、マリーアントワネットさんの事を知らない人達にまで知れ渡る事で、彼女やフランス革命で他界された方々の供養にもなると、そういう事ですか。そう考えると、日本の靖国で祀られている人達も、同じ事が言えるのかな。ところで、靖国神社ですが、住職の位置付けは」と。「大戦後、朝鮮国もドイツも2分化され、お互いに歪み合いを。日本も大阪、名古屋辺りで壁を造られ、東西で2分化されていても、仕方がなかったはずだよね。が、実際にはそうはなっていない。恐らく、当時の誰かが懸命に阻止を。今この国の平和があるは、かの大戦で命を懸けて守ってくれた人達がおればこそ。『A級戦犯』なんていう呼び名は、戦勝国が付けたもの。他国がどう思おうと構わんが、せめて日本国民は。まあ、そんな思いかな。フランスが供養までも考えて、この催し物を出したかどうかは、わからないけどね。何にせよ、否定から入ったら、得るものはないよね」と拙僧、この檀家さんに。

更に、この檀家さんが拙僧に「話は少々変わるが、住職よ、自民党総裁選の時のポスターだが、あれはどう見ても、映画『アウトレージ』のポスターの完全パクリだぞ。あれってどうなんだ」と。対し、拙僧「それがくさ、拙僧周囲の狭い範疇だけどね、案外に若者達には評判がいいんだよな。このポスターで自民党の総裁選に、興味を持ったという若者の声も結構耳に入ってくるんだよ。若い人達の反応を見ると、満更失敗でもなさそうだよ。クソ面白くもない、インパクトも少ない、興味も抱かせないポスターよりは、マシ、でしょ。あのポスターを見て、歴代の総理をググって、以前に行われた政治を調べた若者も、何人かいたよ。あくまでも、拙僧周囲の狭い範疇の話ですが。今は、ググれる時代だもんね」と。するとこの檀家男性が「だけど、パクリは、パクリでしょ」と。「人間の世界は、過去の物をパクりながら、良い物を作り上げてきた歴史でしょ。パクリの何が悪いの。『0』から『1』を考え出す人は、そうはいませんよ。世に出てきた『1』を『2』や『3』に工夫していく事を悪いなんて言ってたら、何の進歩もないがな。何か昨今は『温故知新(古きを温ねて新しきを知る)』が死語になってる様な気がして。何をしたって、一定数の批判は集まるよ。文句言い、講釈言い、屁理屈言いは、次から次に生まれてくるんだから。やってみないと当たる(成功)か、当たらんかも、わからんでしょ。ほんと、否定から入ったら、得るものは少ないよ」「そういう解釈の仕方もあるのか、なるほどな」と、この檀家男性が。

【余談】

先日、他宗副住職さんが「年忌法要する理由を住職は檀家に、どの様に説明を」と。「例えば、拙僧には33歳になる娘がいて、今年の2月で初誕生を迎えた息子を育ててますが、その娘に『度々実家に里帰りが出来るは、父さんと母さんが生きている間だけだと思うよ。『子は鎹(かすがい)』と言うが、親もやはり『鎹』だよ。今はそれほど、その実感は。が、その時が来たら、この意味がわかってくるよ。兄ちゃんも、弟も、各々独自の家庭を持つからね。早い家だと3代先(孫の代)ではもう、付き合いがなくなってる。NHK の番組『ファミリーヒストリー』を見ていたらわかるだろ。戸籍は繋がるが、付き合いはなくなる。が、兄弟姉妹間が全くの疎遠になるは、旅立った親にとっては何とも寂しいから、時にはわが子供達が顔を合わせ、少しでも交流が出来る様にと、祖父母、父母の年忌法要(3回忌、7、13、25回忌 ◦◦◦ )が営まれていると、そう思った方がいいかな。勿論、本来の意味は、産んで育ててもらった事、命を流してもらった事への御礼報謝だが』と先日、娘に話を。講演会など『年忌法要をする意味は、なんですか』と問われた時には、この様な類似の話を。家族1人1人、各々人生は別ですが、唯一共通しているものといえば、先祖が同じという事だもんね。その軸(先祖)に1人1人が心を向ける事で、家族がばらけないで済んでいる。その先祖を蔑ろにしている家が昨今、何と多い事か。『命を繋いでくれた先祖への感謝』を形にしたものが『先祖供養』というもの。感謝の心を持たない者ばかりで形成されている家族では、そりゃ、自己中心の主張をまくし立て、最後には、ばらけますわな」と。


令和 6 年 10 月分  金剛寺住職 臨時法話


昨年の9月、10月、フランスで行われた世界ラグビーの時、日本に来ていた拙僧家内の妹の子供(22歳男性、英国人に嫁いで授かった)が、日本がアルゼンチンに負けた時、酷く落ち込んで「叔父さん(拙僧の事)、日本のラガーは、やっぱ、海外に出て、レベルの高いところで切磋琢磨しないと、世界で勝ち上がっていくは、難しいと思うよ」と。因みに、この甥(英国人)は、母親(妻の妹)が日本人なので、日本語がベラベラ。加えて、世界ランクに入る様な大学、大学院に通っていた(昨年卒業)ので、日本の難しい言葉もある程度は。

この甥(英国では、ラグビーの大ファン)に拙僧「今後は、日本もどんどんと、ラグビー選手が海外に出ていくと思うよ。日本ではまだまだラグビーは、野球やサッカーに比べ、メジャー(人気のある)なスポーツとは言い難いもんな。世界大会になると『にわかファン』が、そこら辺から何処からともなく湧いて出てくるが。今ではファンも安定してきた日本サッカー界も、浸透するまでには、かなりの時間が掛かったんだよね。ドーハの悲劇以降、世界大会に毎回出られる様になって、その都度、そこら辺から溢れ出てくる『にわかファン』が自然と根付き、中田英寿さんが世界に出て戦う様になってからは、日本サッカー界も大きく前進したかな。日本ラグビー界も恐らく、その道を辿る事になると思うよ」と。

すると、この甥が「そうなんだ」と。「ところで、プロ野球界の野茂英雄という人を、君は知ってるかい」「いや、知らない。英国では、野球はそんなに人気のあるスポーツではないもんね」「そうか。今では、野球界も、サッカー界も、日本は当然の様に海外組が出ているが、その門を開いた人が、この野茂英雄という人でね。ググってみな。この野茂さんが、大リーグに挑戦すると言った時、マスコミが色んな書き方をしてね。当時所属していた球団と年棒の事で折り合いがつかなかったからとか、自分勝手に大リーグ挑戦を決めたからとか、その記事を鵜呑みにした人達が、そこら中から湧き出てきて『講釈師、見てきた様な嘘を付き(物を言い)』の如く『自惚れるな。お前なんか、通用するもんか』と、本当の事(真実)は本人にしかわからないのに、言いたい放題に批判や誹謗中傷を。そりゃ、酷いもんだったよ。ところが、渡米1年目で結果を出した途端に、掌を返す様に『野茂、野茂』と、この国の人達は大騒ぎして応援を。今現在もこの流れの風潮は、全く変わってない様な気がするけどね。この事は君(甥)にとっても良い教訓になると思うよ。努力し、力を付け、結果を出せば、人の口(批判など)は自然と止まる、という事を」と。

続けて、この甥に「嘗て、プロ野球の落合博満さんという人が、年棒1億に拘った事があった。この時も随分、落合さんは世間から『そんなに欲深いか』と総スカンを。が、落合さんは『自分がこの1億の大台を、ここで越えておかなければ』と追随するこれからの選手の為に、頑張ったんだよね。1億円貰ったって、税金で6割から、7割持っていかれるから、欲深いとか、そういう問題じゃないんだけどね。そこからだよ、2億、3億の年棒が世に出てくるようになったのは。世界で言うならば、やっぱ、プロボクシングのモハメド•アリ(カシアス•クレイ)さんかな。この人の事は、知ってるかい」「名前だけは、知ってる」「そうか。この人の口(歯に衣着せぬ口)が、それまで低収入だった世界中のプロスポーツ選手の年棒を、一気に引き上げたんだよ。『ホラ吹きクレイ』と揶揄されようが、それにめげずに。だから、モハメド•アリさんに恩を感じているプロスポーツ選手は、時代が流れた今でも非常に多いそうだよ。誰かが口火を切らなきゃ、誰かが無理矢理に扉をこじ開けなきゃ、事は変わっていかないんだよな。前例のない事をやれば、大叩きを喰らうは、世の常だけどね。先駆者達(パイオニア達)の苦労は、並大抵のものではなかったと思うよ」と。

すると、この甥が「日本の明治維新も、それに似たところがあったんでしょ」と。「明治維新の事まで知ってるのかよ。君には、驚かされるな」「マミー(妻の妹)の影響で、日本の歴史は結構好きだよ」と。「平安時代の平清盛公から700年以上続いてきた武士の社会を、ひっくり返した大事件だもんな。が、その時、活躍したは20代、30代の若者達。人生経験が浅いから、怖いもの知らずだったから、出来たのかもしれないね。反対に年配者は人生経験が豊富だから、人間の怖さ、世の中の怖さを知っているから、恐れてなかなか大胆に動く事が出来ない。明治維新が成功したは、無鉄砲な若者達と、その若者達のはやる心を抑えてくれた勝海舟の様な年配者が、見事にマッチ出来たからかな。常に世の中を動かしてきたは、少数意見側の勇気ある行動だよ」と。

因みに、この甥(妻に妹の息子)は何度も日本に。数年前、博多駅から小倉駅まで新幹線で。その新幹線の中に財布とスマホを。東京駅に問い合わせると「届けられていますよ」と返答が。甥は『信じられない』という顔で「叔父さん、日本は凄いね。ロンドンだったら、絶対に戻ってこないよ」と。その甥が小学医の時、初めて日本に来た時、街中に嚙み終えたガムが、全く捨てられてないのを見て、驚いていましたね。

さて、最後になりますが、偶に檀家の若者達には拙僧、こんな話をする事があります。「真面目に一生懸命に取り組んでいたら、ある日突然目の前に、牡丹餅が『ボトン』と落ちてくる事がある。その落ちてきた牡丹餅に気付いて拾う者もあれば、気付かずに通り過ぎる者もある。『縁に出会って、縁に気付かず。縁に気付いても、その縁を活かせず』とはこの事かな。が、基本は、自らが作って棚の上に置いておかなければ、牡丹餅が落ちてくる事は絶対にない。努力をすれば、全て実るなんて事は、まず持ってない。世の中は競争社会だからね。だが、努力をしなければ、実る事はほとんどない。『果報は寝て待て』という言葉も同じ意味だよ。ただ、人との勝負には負けても、努力をした分だけの実り(力)は、自分の身には付いている。努力を嫌ってちゃ、10年経っても、今の自分だよ。いや、今の自分以下かもしれないね。『怠ける』という心が加わっているから」と。

【余談】

読者男性が「自民党総裁選ですが、住職は誰が適任と思われてますか」と。「どの候補者も味があって決め難いですが、自民党を変えたいという声が多い事を鑑みると、自民党内で人気のない石破さんにしてもらう、という手もあるんじゃないかな、と」「えっ、石破さんですか。自民党議員でありながら、後ろから自民党関係者に射撃してくる人ですよ」「だけど、トップになったら、もう、後ろからは狙えないよ。面と向かってお互いが、引き金を引く寸前の議論になるだろうから、自民党内のマンネリ化は多少、違ってくるんじゃないかな」「失敗したらどうするんですか」「流石に国を滅ぼす事はないでしょ。短命内閣は過去には何例も。やってみないとわからない事って、結構にありますよ」と。

続けて拙僧「毎回言いますが、否定から入ったら、得るものは少ないよ。と。すると、この読者男性が「ところで住職、田中真紀子さんが『孤独に耐えられ、日本の顔として明日から諸国を相手に、その激務を務められる総理の器は1人だけ。あとは使い物にならない』と言い切りましたよね」「その1人とは、前に官房長官をされた人でしょ。まあ、田中真紀子さんの意見は意見として、その辺は私達庶民には、わからないところですからね」と。更に拙僧「ところであなたは『花の慶次』という漫画を知ってますか。その中で、真田幸村公、直江兼続公、伊達政宗公、前田慶次公が温泉に入って『時が時なら、我々が天下を取れていた』と話をしているところに、豊臣秀吉公が入湯してきて『ほれ、わしは今、丸裸じゃ。今ならわしの命を奪って、天下が取れるぞ』と投げ掛けると皆、無言に。その時、秀吉公が『天下人は、天が決める事だ』と。この話は秀吉公の謙虚さを表した漫画の描写とはいえ『世相の流れに逆らう事は出来ん』を考えさせられる話と思いませんか。時に天は遊び心で、それに相応しくない人物に歴史の流れを委ねる事がある。豊臣家を滅ぼす役目として生まれてきた小早川秀秋公(秀吉公正室ねねの甥)もその1人かな。明治時代の教育者、森信三さんが『出会う人には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』という言葉を残されてるが、やってくる縁は、全てそうなのかもしれないね。それに気付いて、それを活かせるかどうかは、本人次第だけど」と拙僧、この男性読者に。

次回の投稿法話は、10月5日になります。添付の写真は、わが寺の達磨大師。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

先日、社会の理不尽にもまれ、落胆の檀家20代若者に「10月5日は、達磨大師のご命日。武者小路実篤さんが『桃栗三年柿八年、達磨は九年、俺一生(桃栗柿は、その年数で実を結ぶ。達磨は、面壁九年で悟りを。が、俺は)』なる言葉を。世間の人は無責任に文句、否定、誹謗中傷を。言うだけ言うて、誰も助けてはくれん。自分を助けてくれるは、自分しかいない。自分を助けられる力を自分で付けな。じゃないと、人を頼ってばかりいる人間を、人はいつまでも助けてはくれないよ」と。

【1日の投稿法話の本文に入ります】


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檀家の仏壇参りに伺うと、その家の人が「住職は『ツチノコ』って、本当にいると思いますか」と唐突に。「何よ、どうしたの」と聞き返すと「いや、住職が時折『迷信は、解明されたら、迷信ではなくなる』と言ってるから、どうなのかな、と思って」と。対し拙僧「50センチ程の蛇が、大きな鼠を飲み込んだ直後に、偶々人に見られた、が伝説の始まりかも」と答えると「また、そんな夢のない事を」と。「ですよね。山奥にしても、深海にしても、宇宙にしても、未確認物体(人間が『ある』と信じているもの)が存在していると思うから『ワクワク、ドキドキ、好奇心、元気、健康』がもらえるんだもんね。そう考えたら、人間が夢見る『世界平和の実現』というのも、そうなのかもしれないよね。『人間の世界から、欲、が消える事はない。1人の人間の誕生と共に、1つの欲もまた、同時に誕生を。自分の欲を満たす為には、相手の欲を抑え付けるしかない。抑え付けたら自ずと、そこに争いが起こる。石川五右衛門さんが辞世で言った、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ、は、正論中の正論、真理中の真理にて』などと言っていたら、お先真っ暗ですもんな。人間には『折り合う』という心があるから、それを根付かせるしかないですよね」と、その檀家さんに。

続けて、この檀家さんに「折り合う、と言えばくさ、今年、パリでは五輪が。1889年の第4回パリ万博の時に、エッフェル塔(312メートル)が建てられましたが、その時に『著しくパリの景観を損なうじゃろ』と猛反対したが、フランスの自然主義作家のモーパッサン。彼はパリで唯一、この塔を見らずにすむ場所として、度々1階のレストランに足を運んだそうだね。この時に『エッフェル塔が嫌な奴は、エッフェル塔に行け』という諺までもが産まれたとの事。でもくさ、本当に嫌いだったら、そんなに度々、エッフェル塔に足を運ぶ事はないですわな。恐らく『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ』で、最初は嫌っていたのかも知れないが、エッフェル塔に足を運んでいる内に「満更でもないやんけ』という気持ちに変わっていったのかも」と。更に拙僧「自分の心と折り合いを付けられたら、案外に何でも、受け入れる事が出来ますもんな。実際問題、この世に『これ、正解』はないですもんね。今の自分にとって『正解か、否か』というだけで。今この時点で『正解』と思っている事も、知識、知恵、経験が増していくに連れ、自ずとその正解も変化をしていきます。だからこそ、その時の感情で人を否定、批判しちゃならんのだよね。特に、大人(親)が子供に対し、自分の考えを押し付けるは、愚の骨頂。『子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ』ですばい。因みに、東京タワー(333メートル)は『エッフェル塔よりも高い物を』と、張り合って作られたという話ですよ」と。

最後に、この檀家さんが「ところで住職、パリ五輪といえば開会式での『マリーアントワネット(自分の頭部を手に持って立つ女性の姿)』ですが、衝撃的でしたよね。それについてのご意見を」と。対し、拙僧「まあ、何でもがそうだが、人がそうする(そう動く)からには、第三者にはわからない、そうする(そう動く)だけの理由があるはず。フランスがどういう意図(目論見)があって、あの様な催し物を出したのかはわからないが、国内でも『こんな催し物を出すのか』と賛否両論、もめにもめたと思うよ。ある程度の批判を受けるは、百も承知だったと思うよ。恐らく、開会式を見ていた人達の多くは『誰、この女性』と一斉に『パリ五輪、開会式、首無し女性』でググったんじゃないかな。彼女の事を知らない若い世代の人達の間では、あの映像で、彼女は一気に超有名人に。フランス革命(ルイ16世)を説明しようとすれば、何時間も掛かるものを、あれ1発(マリーアントワネット)で、フランスの建国の歴史が全世界に知れ渡る事に」と。更に拙僧「フランス革命は、1789年7月14日に勃発した事により、この日(7月14日)がフランスの建国記念日に。この建国記念日に近い日に、五輪開会式があったので、その様な催し物を持ち出したのかな。『俺達はこの様な歴史を辿って、フランスという国を建国したんだ』と全世界にアピールを。歴史上の善悪は抜きにして、今ここにフランスという国が存在するは、歴史を担ってこられた人達がおればこそ、だもんね」「住職の言葉を借りて言うならば、マリーアントワネットさんの事を知らない人達にまで知れ渡る事で、彼女やフランス革命で他界された方々の供養にもなると、そういう事ですか。そう考えると、日本の靖国で祀られている人達も、同じ事が言えるのかな。ところで、靖国神社ですが、住職の位置付けは」と。「大戦後、朝鮮国もドイツも2分化され、お互いに歪み合いを。日本も大阪、名古屋辺りで壁を造られ、東西で2分化されていても、仕方がなかったはずだよね。が、実際にはそうはなっていない。恐らく、当時の誰かが懸命に阻止を。今この国の平和があるは、かの大戦で命を懸けて守ってくれた人達がおればこそ。『A級戦犯』なんていう呼び名は、戦勝国が付けたもの。他国がどう思おうと構わんが、せめて日本国民は。まあ、そんな思いかな。フランスが供養までも考えて、この催し物を出したかどうかは、わからないけどね。何にせよ、否定から入ったら、得るものはないよね」と拙僧、この檀家さんに。

更に、この檀家さんが拙僧に「話は少々変わるが、住職よ、自民党総裁選の時のポスターだが、あれはどう見ても、映画『アウトレージ』のポスターの完全パクリだぞ。あれってどうなんだ」と。対し、拙僧「それがくさ、拙僧周囲の狭い範疇だけどね、案外に若者達には評判がいいんだよな。このポスターで自民党の総裁選に、興味を持ったという若者の声も結構耳に入ってくるんだよ。若い人達の反応を見ると、満更失敗でもなさそうだよ。クソ面白くもない、インパクトも少ない、興味も抱かせないポスターよりは、マシ、でしょ。あのポスターを見て、歴代の総理をググって、以前に行われた政治を調べた若者も、何人かいたよ。あくまでも、拙僧周囲の狭い範疇の話ですが。今は、ググれる時代だもんね」と。するとこの檀家男性が「だけど、パクリは、パクリでしょ」と。「人間の世界は、過去の物をパクりながら、良い物を作り上げてきた歴史でしょ。パクリの何が悪いの。『0』から『1』を考え出す人は、そうはいませんよ。世に出てきた『1』を『2』や『3』に工夫していく事を悪いなんて言ってたら、何の進歩もないがな。何か昨今は『温故知新(古きを温ねて新しきを知る)』が死語になってる様な気がして。何をしたって、一定数の批判は集まるよ。文句言い、講釈言い、屁理屈言いは、次から次に生まれてくるんだから。やってみないと当たる(成功)か、当たらんかも、わからんでしょ。ほんと、否定から入ったら、得るものは少ないよ」「そういう解釈の仕方もあるのか、なるほどな」と、この檀家男性が。

【余談】

先日、他宗副住職さんが「年忌法要する理由を住職は檀家に、どの様に説明を」と。「例えば、拙僧には33歳になる娘がいて、今年の2月で初誕生を迎えた息子を育ててますが、その娘に『度々実家に里帰りが出来るは、父さんと母さんが生きている間だけだと思うよ。『子は鎹(かすがい)』と言うが、親もやはり『鎹』だよ。今はそれほど、その実感は。が、その時が来たら、この意味がわかってくるよ。兄ちゃんも、弟も、各々独自の家庭を持つからね。早い家だと3代先(孫の代)ではもう、付き合いがなくなってる。NHK の番組『ファミリーヒストリー』を見ていたらわかるだろ。戸籍は繋がるが、付き合いはなくなる。が、兄弟姉妹間が全くの疎遠になるは、旅立った親にとっては何とも寂しいから、時にはわが子供達が顔を合わせ、少しでも交流が出来る様にと、祖父母、父母の年忌法要(3回忌、7、13、25回忌 ◦◦◦ )が営まれていると、そう思った方がいいかな。勿論、本来の意味は、産んで育ててもらった事、命を流してもらった事への御礼報謝だが』と先日、娘に話を。講演会など『年忌法要をする意味は、なんですか』と問われた時には、この様な類似の話を。家族1人1人、各々人生は別ですが、唯一共通しているものといえば、先祖が同じという事だもんね。その軸(先祖)に1人1人が心を向ける事で、家族がばらけないで済んでいる。その先祖を蔑ろにしている家が昨今、何と多い事か。『命を繋いでくれた先祖への感謝』を形にしたものが『先祖供養』というもの。感謝の心を持たない者ばかりで形成されている家族では、そりゃ、自己中心の主張をまくし立て、最後には、ばらけますわな」と。


令和 6 年 10 月分  金剛寺住職 臨時法話


昨年の9月、10月、フランスで行われた世界ラグビーの時、日本に来ていた拙僧家内の妹の子供(22歳男性、英国人に嫁いで授かった)が、日本がアルゼンチンに負けた時、酷く落ち込んで「叔父さん(拙僧の事)、日本のラガーは、やっぱ、海外に出て、レベルの高いところで切磋琢磨しないと、世界で勝ち上がっていくは、難しいと思うよ」と。因みに、この甥(英国人)は、母親(妻の妹)が日本人なので、日本語がベラベラ。加えて、世界ランクに入る様な大学、大学院に通っていた(昨年卒業)ので、日本の難しい言葉もある程度は。

この甥(英国では、ラグビーの大ファン)に拙僧「今後は、日本もどんどんと、ラグビー選手が海外に出ていくと思うよ。日本ではまだまだラグビーは、野球やサッカーに比べ、メジャー(人気のある)なスポーツとは言い難いもんな。世界大会になると『にわかファン』が、そこら辺から何処からともなく湧いて出てくるが。今ではファンも安定してきた日本サッカー界も、浸透するまでには、かなりの時間が掛かったんだよね。ドーハの悲劇以降、世界大会に毎回出られる様になって、その都度、そこら辺から溢れ出てくる『にわかファン』が自然と根付き、中田英寿さんが世界に出て戦う様になってからは、日本サッカー界も大きく前進したかな。日本ラグビー界も恐らく、その道を辿る事になると思うよ」と。

すると、この甥が「そうなんだ」と。「ところで、プロ野球界の野茂英雄という人を、君は知ってるかい」「いや、知らない。英国では、野球はそんなに人気のあるスポーツではないもんね」「そうか。今では、野球界も、サッカー界も、日本は当然の様に海外組が出ているが、その門を開いた人が、この野茂英雄という人でね。ググってみな。この野茂さんが、大リーグに挑戦すると言った時、マスコミが色んな書き方をしてね。当時所属していた球団と年棒の事で折り合いがつかなかったからとか、自分勝手に大リーグ挑戦を決めたからとか、その記事を鵜呑みにした人達が、そこら中から湧き出てきて『講釈師、見てきた様な嘘を付き(物を言い)』の如く『自惚れるな。お前なんか、通用するもんか』と、本当の事(真実)は本人にしかわからないのに、言いたい放題に批判や誹謗中傷を。そりゃ、酷いもんだったよ。ところが、渡米1年目で結果を出した途端に、掌を返す様に『野茂、野茂』と、この国の人達は大騒ぎして応援を。今現在もこの流れの風潮は、全く変わってない様な気がするけどね。この事は君(甥)にとっても良い教訓になると思うよ。努力し、力を付け、結果を出せば、人の口(批判など)は自然と止まる、という事を」と。

続けて、この甥に「嘗て、プロ野球の落合博満さんという人が、年棒1億に拘った事があった。この時も随分、落合さんは世間から『そんなに欲深いか』と総スカンを。が、落合さんは『自分がこの1億の大台を、ここで越えておかなければ』と追随するこれからの選手の為に、頑張ったんだよね。1億円貰ったって、税金で6割から、7割持っていかれるから、欲深いとか、そういう問題じゃないんだけどね。そこからだよ、2億、3億の年棒が世に出てくるようになったのは。世界で言うならば、やっぱ、プロボクシングのモハメド•アリ(カシアス•クレイ)さんかな。この人の事は、知ってるかい」「名前だけは、知ってる」「そうか。この人の口(歯に衣着せぬ口)が、それまで低収入だった世界中のプロスポーツ選手の年棒を、一気に引き上げたんだよ。『ホラ吹きクレイ』と揶揄されようが、それにめげずに。だから、モハメド•アリさんに恩を感じているプロスポーツ選手は、時代が流れた今でも非常に多いそうだよ。誰かが口火を切らなきゃ、誰かが無理矢理に扉をこじ開けなきゃ、事は変わっていかないんだよな。前例のない事をやれば、大叩きを喰らうは、世の常だけどね。先駆者達(パイオニア達)の苦労は、並大抵のものではなかったと思うよ」と。

すると、この甥が「日本の明治維新も、それに似たところがあったんでしょ」と。「明治維新の事まで知ってるのかよ。君には、驚かされるな」「マミー(妻の妹)の影響で、日本の歴史は結構好きだよ」と。「平安時代の平清盛公から700年以上続いてきた武士の社会を、ひっくり返した大事件だもんな。が、その時、活躍したは20代、30代の若者達。人生経験が浅いから、怖いもの知らずだったから、出来たのかもしれないね。反対に年配者は人生経験が豊富だから、人間の怖さ、世の中の怖さを知っているから、恐れてなかなか大胆に動く事が出来ない。明治維新が成功したは、無鉄砲な若者達と、その若者達のはやる心を抑えてくれた勝海舟の様な年配者が、見事にマッチ出来たからかな。常に世の中を動かしてきたは、少数意見側の勇気ある行動だよ」と。

因みに、この甥(妻に妹の息子)は何度も日本に。数年前、博多駅から小倉駅まで新幹線で。その新幹線の中に財布とスマホを。東京駅に問い合わせると「届けられていますよ」と返答が。甥は『信じられない』という顔で「叔父さん、日本は凄いね。ロンドンだったら、絶対に戻ってこないよ」と。その甥が小学医の時、初めて日本に来た時、街中に嚙み終えたガムが、全く捨てられてないのを見て、驚いていましたね。

さて、最後になりますが、偶に檀家の若者達には拙僧、こんな話をする事があります。「真面目に一生懸命に取り組んでいたら、ある日突然目の前に、牡丹餅が『ボトン』と落ちてくる事がある。その落ちてきた牡丹餅に気付いて拾う者もあれば、気付かずに通り過ぎる者もある。『縁に出会って、縁に気付かず。縁に気付いても、その縁を活かせず』とはこの事かな。が、基本は、自らが作って棚の上に置いておかなければ、牡丹餅が落ちてくる事は絶対にない。努力をすれば、全て実るなんて事は、まず持ってない。世の中は競争社会だからね。だが、努力をしなければ、実る事はほとんどない。『果報は寝て待て』という言葉も同じ意味だよ。ただ、人との勝負には負けても、努力をした分だけの実り(力)は、自分の身には付いている。努力を嫌ってちゃ、10年経っても、今の自分だよ。いや、今の自分以下かもしれないね。『怠ける』という心が加わっているから」と。

【余談】

読者男性が「自民党総裁選ですが、住職は誰が適任と思われてますか」と。「どの候補者も味があって決め難いですが、自民党を変えたいという声が多い事を鑑みると、自民党内で人気のない石破さんにしてもらう、という手もあるんじゃないかな、と」「えっ、石破さんですか。自民党議員でありながら、後ろから自民党関係者に射撃してくる人ですよ」「だけど、トップになったら、もう、後ろからは狙えないよ。面と向かってお互いが、引き金を引く寸前の議論になるだろうから、自民党内のマンネリ化は多少、違ってくるんじゃないかな」「失敗したらどうするんですか」「流石に国を滅ぼす事はないでしょ。短命内閣は過去には何例も。やってみないとわからない事って、結構にありますよ」と。

続けて拙僧「毎回言いますが、否定から入ったら、得るものは少ないよ。と。すると、この読者男性が「ところで住職、田中真紀子さんが『孤独に耐えられ、日本の顔として明日から諸国を相手に、その激務を務められる総理の器は1人だけ。あとは使い物にならない』と言い切りましたよね」「その1人とは、前に官房長官をされた人でしょ。まあ、田中真紀子さんの意見は意見として、その辺は私達庶民には、わからないところですからね」と。更に拙僧「ところであなたは『花の慶次』という漫画を知ってますか。その中で、真田幸村公、直江兼続公、伊達政宗公、前田慶次公が温泉に入って『時が時なら、我々が天下を取れていた』と話をしているところに、豊臣秀吉公が入湯してきて『ほれ、わしは今、丸裸じゃ。今ならわしの命を奪って、天下が取れるぞ』と投げ掛けると皆、無言に。その時、秀吉公が『天下人は、天が決める事だ』と。この話は秀吉公の謙虚さを表した漫画の描写とはいえ『世相の流れに逆らう事は出来ん』を考えさせられる話と思いませんか。時に天は遊び心で、それに相応しくない人物に歴史の流れを委ねる事がある。豊臣家を滅ぼす役目として生まれてきた小早川秀秋公(秀吉公正室ねねの甥)もその1人かな。明治時代の教育者、森信三さんが『出会う人には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』という言葉を残されてるが、やってくる縁は、全てそうなのかもしれないね。それに気付いて、それを活かせるかどうかは、本人次第だけど」と拙僧、この男性読者に。

次回の投稿法話は、10月5日になります。添付の写真は、わが寺の達磨大師。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞスルーして下さいませ。

【はじめに】

先月は、パリでオリンピックが。陸上のリレーを家内と見ていた時、拙僧が「何万年も昔から、母が子を産み、産んでもらったその子が大人になって、また、子を産みと、1人が1人に1つの命を延々と途切れさす事なく、バトンタッチしてきてくれたお陰で、自分達は今、ここに命を。先祖には、感謝せにゃならんよな」と。対し、家内が「陸上のリレーを見ていると、バトンを受け取った選手は、一生懸命に自分の順番を走ってるよね。親から命のバトンをもらった私達は『よし、今度は私の番だ』と一生懸命に人生を走って、わが子にそのバトンを渡せる事が出来ましたかね。なんか、こういう姿(懸命に走っている陸上選手)を見ていると、考えさせられますよね」と。職業柄(寺院勤め)ですかね。どうしても夫婦でこんな会話になります。

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【本文】

さて、先月の事ですが、20代の檀家若者が「住職さん、地縛霊って、ほんとに存在するの」と。「地縛霊ってか、また、妙な話を振ってきたな。この時期(盂蘭盆月)になると、決まってこの手の話が。先を話してみな」と拙僧。対し、若者が「ある家に60代の夫婦が2人で住んでいて、度々浴槽の底に足跡が付くので気味悪がって。それも決まって左足だけが。自分達の足跡かも、と思ったが、主人の足のサイズは26センチで、奥様は22、5センチだから、21、5センチの足跡は、この夫婦のものではないと。気持ちが悪いので、有名な霊媒師に尋ねてみたら『その家の近所を彷徨(さまよ)っている地縛霊が、その家を選んで住み着いたんだ』と言われたんだって。そんな事って、本当にあるんですか、住職」と、興味津々の顔で拙僧に。

対し、拙僧「浴槽の底に付くという地縛霊の足跡が、21、5センチだったの」と尋ねると「はい。そうらしいです」「ほう、そうなんだ。普通に考えたらくさ、生足の裏を定規で測る様な人は、まずもっていないから、奥様の22、5センチは恐らく、靴のサイズの事を言ってるんじゃないかな。という事は、その浴槽の底の足跡は、奥様のものと考えて間違いないじゃろ」と。「じゃ、何故、ご主人の足跡は付かず、奥様の足跡(21、5センチ)だけ、それも左足の跡だけ残ってるの」と。「奥様は常に、風呂の湯を抜いた後に、右足から先に浴槽から出るが習慣じゃないの。それと、ご主人よりも奥様の方が、油足だったって事じゃないのかな」と返すと、檀家若者は暫く沈黙して「この話ですけど、実はですね、テレビの番組で取り上げられていたものなんですよ。その道に明るい専門家が詳しく検証した結果、住職と同じ見解を出してました」と。

対し「何だ、お前さん、拙僧を試したんかい。ところで、そのテレビ番組は『地縛霊だ』と言った霊媒師を番組に呼んでたかい」と尋ねると「いや、呼んでなかった」「そうか、呼んでなかったか」「その番組の最後にお笑いの加藤浩次さんが『テレビの中で、こんな幽霊騒動を企画する度に、芸能人だけが、ギャーギャーと騒ぐのは、もうやめようよ。また、やっとるわい、と視聴者から白い目で見られるから』と言ってました」「そうだね、今は様々、検証が出来る時代だもんな。心霊写真といわれる物も、プロのカメラマンさんなら、簡単に心霊写真らしき物を撮れるそうだよ。光の屈折を利用して、この位置で、このタイミングで、シャッターを切ったら、その周辺にいる人達をカメラの中に、写し込む事が出来るんだって。まあ、そんな事が解明されてきたこんな時代になっても、一定数はこの様な話(幽霊、悪霊、祟った)が好きなマニアは、存在し続けるだろうけど。信仰は特別なものではない。特別なものにしている者がいるだけ、だもんな。ところでだが、君は、そっち側(悪い事が起こったら、何でもかんでも先祖、精霊のせいにする)のタイプの人間だったかな」「いえいえ」と。

更に、この若者に「人の思い違い(勝手な判断)といえば、こんな話もあるんだよ。『夜の蜘蛛は、親に似ていても殺せ。朝の蜘蛛は、鬼に似ていても殺すな』という言葉(迷信)が。この言葉の意味するところは簡単なんだよ。夜の蜘蛛は、抜き足差し足忍び足で、夜に侵入してくる泥棒さんに似てるから、殺せと。が、どこかの田舎町で見たな、『泥棒の昼寝は昔の事』という看板を。朝の蜘蛛は、巣を作っていく様が繁栄を象徴しているから、殺すなと。これに対し、恐らく蜘蛛さん達は『おいおい、勘弁してくれよ。人間の勝手な思い込みで、殺したり、殺さなかったり。朝出ようが、夜出ようが、あんた達(人間)の前に出てきているのは、同じ俺(蜘蛛)なんだよ』と、わが勝手に良し悪しを決め付け、命まで奪おうとしてくる人間に、呆れ返っているだろうね」と。

更に続けて「蜘蛛といえば、数年前だったか、檀家の子供ちゃんに『ほら、あそこに大きな蜘蛛の巣が。真ん中に大きな蜘蛛さんもいるな。あれを見て諺(言葉)か何かが、頭に浮かばないかい』と難しい質問をした事が。通常ならだよ、こんな難しい問い掛けを子供にはしないよ。が、この子(女の子)は大変利発な子で、本も沢山読んでる様だし、親の教育も多方面(五科目に拘らず)から。どんな答えを出してくるか、楽しみでね。すると、結構に時間を費やした後、この子が『果報は寝て待て、かな』と。対し拙僧『やっぱ、君は、視点、思考が違うよな』と驚いた。『これ以上、出来ない程の努力をして、後は、天命を待つ』が、この諺の本来の意味だもんね。この子には、この説明はしなかった。する必要がなかったからね」と、この20代檀家若者に。

因みに、蜘蛛といえば、こんな話もありましたね。檀家で幼稚園の先生(現在71歳、当時57歳)をしていた女性が拙僧に「蜘蛛の巣に捕まっていた蝶々を『あら、可哀想』と逃してやると、幼稚園児(男の子)から『蜘蛛が可哀想じゃないか。蜘蛛だってご飯が必要なのに』と注意をされ、ハッ、とさせられました。『蝶々は綺麗、可愛い、良いもの。蜘蛛は醜い、怖い、悪いもの』といつの間にか、勝手にその様な判断を、私は。そうですよね。この蜘蛛が命尽きるまで、餌を与え続けるという責任を、私達が負える事など出来ませんもんね、住職」と。対し、拙僧「そうだね。これは、人間の親子の関係にも、通じるところがありそうだね」「幼稚園で勤めておりますと、子供から教えられる事って、結構に沢山あるんですよね」と猛省されていました。

ついでにもう1つ。檀家の社長が「住職よ、先日な、同系列の社長とゴルフへ行った時、バンカー内で蛇がカラスに襲われているのを見て、思わず咄嗟の判断で、クラブを振り回してカラスを追い払ったんだが、2人して顔を見合わせて『これって、正解だったのかな』と。この出来事の少し前に『幼稚園の先生が、蜘蛛の巣に掛かっていた蝶々を助けて、園児に怒られた』という話を住職から聞かされていたのに。咄嗟にその様な対応を。人の上に立つ自分達が、その場の個人的感情で動く様では、先が思いやられるわい」と猛省を。

【余談】

知人の子供さんから、知人女性が95歳で他界、と連絡が。その女性のご主人は今年、25回忌だったと。その女性は老衰だったそうだが、ご主人はお酒の飲み過ぎが原因で、肝硬変から肝癌に。今でも鮮明に思い出す。ご主人の母親、姉、弟から、酷い仕打ちを受けたこの女性を、死後に包み込んだご主人の粋な計らいを。

小学校の先生をしていたご主人の母親は、息子の嫁さんが家政科卒業という事が気に入らず、長年に渡り、散々嫌味を。が、ご主人は一切仲立ちをせず、毎日、深酒、午前0時を回ってからの帰宅。それが原因で肝臓癌を患い、70歳で他界を。葬式の時、ご主人の母親と義理の姉、弟から「あんたは本来、他人。土地家屋の権利証と預金を全部持ってこい」と。が、いつ名義を切り換えていたのか、土地家屋、預金通帳の名義が全て、その知人の名前に変更が。更にご主人は、司法書士を通して、公正証書を作成し、全財産を奥さんに。それ以後、ご主人の家族とは全くの疎遠に。その知人女性が「住職さん。夫は1度も、夫の家族との間に立ってはくれませんでしたが、それは、立ったら余計に私が虐められると、そう思っていたのかもしれませんね。また、恐らく夫は自分の死後、自分の家族から私が、財産全てを奪われるを予想して、前もって対処してくれていたんだと。今思えば、結婚前にはそんなに飲んでいなかったお酒を、結婚後は浴びる様に。最も辛かったは、夫だったのかもしれませんね」と。ご主人の葬式の数年後、ご主人の母親が『子供達から捨てられて老人ホームに』という噂が風の便りで、その知人の耳に。可哀想に思った知人は、毎日老人ホームへ。が、通っていた数年間というは、この義母からずっと罵声を。それでも通って来るその知人に、老人ホームの理事長さんが「こんなに毎日来られるのなら、ここで働いたらどうですか」と。義母が他界した後、その知人が拙僧に「義母は、私に優しい言葉を一言もくれませんでしたが、この老人ホームの仕事を与えてくれました。義母の死後も数年、そのホームで仕事が出来た事に、義母には感謝を」と。『あの女性(その知人)が、亡くなられたのか』と拙僧、感慨深い思いに。


令和 6 年 9 月分  金剛寺住職 臨時法話


檀家さんの従姉妹(いとこ)の友人の友人という女性から「井戸を埋めたいから水神上げ(お祓い)をして下さい」との依頼が拙僧に。檀家さんが言われるには、その従姉妹の友人の友人(女性)は「そんな事、せんでええ」と。が、土木業者社長さんが「絶対にお祓いをしてもらってくれ。そうじゃないと仕事は受けない」と釘を刺され、仕方なくお祓いが出来る人を探し回って、拙僧にまで辿り着き、お願いに来られたみたいで。現地に伺うと、その女性が(依頼主)いて「土木の社長さんがここまで嫌がるは、やはり、祟られるからですか」と拙僧に。対し「水神さんは、祟りゃせんよ。失礼な事を言いなんな。社長さんは恐らく『100年以上も井戸の水を使ってきて、先祖代々に渡り、命を保たせて頂いてきたのに、有難うございました、と御礼報謝もせず、必要がなくなったからと、簡単に埋めてしまうんかい。あかんじゃろ、人の礼儀として』と言いたかったんじゃないのかな。土木の社長さん達の大半は、こういう恩義に厚い人って、結構に多いですよ。水でも火でも、10日も無けりゃ、人間は生きられんでしょ。だから、昔の人達は『水や火には、神が宿っておられる』と後世の人達に言い伝えて、粗末に扱わない様にしてきたんじゃないのかな」と拙僧、この女性(水神上げの依頼者)に。更に拙僧、この女性に「土地祓い、地鎮祭も同じ事だよ。依頼者の半数は『この土地ですが、悪霊はいませんか、変な死に方をした人はいませんか』とか、拙僧に。知らんがな、そんなこと。こんな狭い国なのに、人が死んでない土地なんぞ、あるもんか。京都四条河原町は、坂本龍馬さんと中岡慎太郎さんが、切り殺された場所だが、現在も、えろう栄えてまんがな。京都の人達は死人を忌み嫌わず、先人達の功績によって、私達は今、ここに住む事が出来ていると感謝してるんじゃないの。因みに、寺院が多い都道府県は、1位は愛知県、2位は大阪府、3位は兵庫県、4位は滋賀県、5位は京都府、東京都は7位。つまり、戦(いくさ)が多かった場所が、上位を占めてるでしょ。戦(いくさ)で亡くなった人達を供養する為なんだよ。この上位の都道府県内で『人が死んでない土地は、どこかないですか』なんて言おうもんなら『アホか、そんな土地などあるかい』と言われまっせ」と。

続けて拙僧、この女性(依頼者)に「地鎮祭を行う理由は、その土地の氏神さん、水の水神さん、火の荒神さん、そして、嘗て、この土地で懸命に生きて、死んでいった人達に『この度、この土地で生活をさせてもらう者です。どうか、宜しくお願い致します』と挨拶をするが、地鎮祭の主旨なんだよ。自分がお金を出して買ったんだから、自分の物と思うは大間違い。自分の物じゃないから、あの世に逝く時に、この世に置いていかにゃならん。お金も、宝石も、伴侶も、子供も、自分の体もまた然り。全てが借り物にて。借り物だったら、大事に扱い、返す時には『有難うございました』と礼を述べるは、当然の事でしょ。昨今、この国は、当たり前の事が、当たり前に出来なくなってきている。その結果、親の遺体を病院に置き捨てたり、遺骨を生ごみ置き場に捨て置きしたり、我が子を平気で虐待したり、殺したり、捨てたりと、鬼畜の様な諸行を。水は必ず、高い所から、低い所へと、流れていきまっせ、躾(しつけ)はするものじゃない、躾は見せるもの、ですばい。受け継がれてきた物を、自分の代で閉ざしてしまったら、子孫へは流れていかず、とんでもない世の中に。もう、そんな世の中になっている気配がするが。水神上げというは、お祓いというよりも、御礼報謝だよ」と拙僧、重ねてこの女性に。

井戸と言えば、度々登場しますが、わが爺様の話を1つ。ある知人社長が「住職(拙僧)よ。最新機器を使って水脈を探し、井戸を掘ったんだが、何度掘っても水脈に当たらん。何か良い知恵はないか」と。「迷信めいた方法なら、わが爺様に聞いた事があるが、聞きたいですか」「おう、聞かせてくれや」と。「日中快晴の日の夜に、漆塗りの重箱を、掘りたいと思う場所に、逆さにして何箇所か置いてみて下さい。次の日の早朝、重箱の内側に水滴が着いていたら、その下には水脈がある、と爺様が言ってましたけどね」と、その社長に。すると数日後、その社長から「あの方法で水が出た。凄いぞ、住職」とえろう喜んで。「わが爺様の受け売りですよ。へえ、ほんとに水が出たんだ。偶然とはいえ、昔の知恵はやっぱ、凄いですね」と。昔ながら、と言えば、こんな話も。1週間前から一昨日まで、家族で四国巡拝した折に、最後に泊まった遍路宿の女将さんが「住職さん。国や保健所から『ああしろ、こうしろ』と、お金が掛かる事(改築)ばかり注文がきて、多くの遍路宿(熟練宿)が、お金の用意が出来ずに廃業を余儀なく。特に、高知県は次々と廃業に追い込まれ、泊まる場所(遍路宿)がなくて、お遍路さん達が非常に難儀をしておられます。何でもがそうですが、現場を知らない上の人達が、庶民の足を止める様な事をして回って。『経済を回さにゃならん』と言いながら、自分達で経済を止める様な政策を。これ、どう思いますか、住職さん」と。「嘗て、映画『踊る大捜査線』で織田裕二さんが言い放った『事件は会議室で起こってるんじゃない。事件は現場で起こってるんだ』という社会風刺の台詞がありましたよね。国や役所の人は、皆が皆、とまでは言いませんが『本の中だけで生きてんじゃねえよ(経験少なきに加え、マニュアル通り)』っていう人、結構に多いんですよね」と返すと、遍路宿の女将さんが「まったく、その通りだと思います。あの人達は、結局は他人事ですもんね。何も理解してないから、的外れの指摘ばかりして」と悔やんで拙僧に。

四国霊場第21番札所『太龍寺』の下にあった『龍山荘』という遍路宿が。数年前、宿主の親父さんが「国から『ああしろ、こうしろ』と言ってきたが、数千万円の改築費用なんて、そうそう出せるもんじゃない」と泣く泣く、長い、長い間続けてきた実績ある遍路宿の廃業を決意。ご飯も美味しく、味わいのある、温かい雰囲気の遍路宿だったのに、何とも残念でならないですね。現在は既に、廃業を。萩原健一(ショーケン)さんは3度、歩き遍路をされた時、必ずこの宿に1泊の足休めを。宿泊した時の写真が、宿の鴨居に何枚も飾られていましたね。こんな事で、本当にいいんだろうか。日本の伝統、文化が、なくなっていきまっせ。

読者の女性(40代)が「住職の一昨日(上記))の法話ですが、『水神さんの祟り』って、本当にあるんですか。拝み屋(僧侶)さんにそう言われた、という人を何人か、知ってるんですが。住職さん(拙僧)は『神や先祖が祟るなどと、失礼な事を言いなんな』と法話の中で言われておられましたが」と。対し拙僧、この読者の女性に「日本三大怨霊という言葉を聞いた事がありますか。その3人の中にですね、菅原道真公がおられるんですが。左遷先(福岡太宰府)で他界後、京都で天変地異や疫病、道真公を左遷させた人達が次々に、落雷に当たったり等で、変死を。『道真公の祟りじゃ』と恐れた京都の人達が、御霊を鎮(しず)めるため、北野天満宮で道真公を神(天神様)として祀った。太宰府天満宮では、学業の神として。だけどね、天変地異も、疫病も、人の死も、自然の流れだよ。明治時代の教育者、森信三さんが『出会う人(もの)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』とその様に。それこそ、拙僧が度々法話で言っておりますが『出会うは、運命。出会ってからは、努力。乗り越えさせてもらった最後には、感謝』ですよ。それにしても、人間の都合で『神』にされたり、『怨霊』にされたりと、道真公も、なんともまあ、忙しいこって」と。更に、この読者女性に「加えて、道真公が京都に住んでいた時の桑原地区(現在は京都御所南の丸太町通の道路上、投稿添付写真)だけが、落雷の被害がなかった為、余計に『道真公の祟り』と思われる結果に。今現在も、落雷が起こる度に『おお、くわばら、くわばら』と呪文の様に唱えて『被害が自分に及ばない様に』と願う人が偶におられる様で。さて、水神さんの祟りの件ですが、一昨日の法話の中で拙僧『水も火も10日も無けりゃ、人間は生きていくに困難でしょ。水の神、火の神がいると昔の人達が設定したは、粗末にしない為の方便』とその様に。『神』と付けば、拝み屋さんは『祟りの対象、お金儲けの対象』に、し易いですもんな」「そういう事ですか」と。

最後に、この読者女性が「ところで住職さん、太宰府天満宮に受験合格祈願に行ったら、やっぱ、ご利益はあるんですかね」と。「合格出来る定員は、決まってるからね。全員を合格させる事は、神でも無理だわな。ご利益があるとしたら、頑張りに応じたものになると思うよ。勉強もしないで、遊んでばかりで、合格だけを願ったって、そりゃ、無理でしょ。嘗て『暴飲暴食、酒、煙草を止めるつもりはない。あんたは、俺の病気だけを治せば、それでいいんだ』と主治医に悪態ついて『私にいったい、何を期待しとるんだ。暴飲暴食、酒、煙草を止める気になってから、出直して来い』と怒られた60代の檀家男性がいたもんな」「そういう事ですよね。住職がいつも法話で『人間は今日まで、自分がしてきただけが、今ここにある答え』と。息子にもそう言います」と。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞスルーして下さいませ。

【はじめに】

先月は、パリでオリンピックが。陸上のリレーを家内と見ていた時、拙僧が「何万年も昔から、母が子を産み、産んでもらったその子が大人になって、また、子を産みと、1人が1人に1つの命を延々と途切れさす事なく、バトンタッチしてきてくれたお陰で、自分達は今、ここに命を。先祖には、感謝せにゃならんよな」と。対し、家内が「陸上のリレーを見ていると、バトンを受け取った選手は、一生懸命に自分の順番を走ってるよね。親から命のバトンをもらった私達は『よし、今度は私の番だ』と一生懸命に人生を走って、わが子にそのバトンを渡せる事が出来ましたかね。なんか、こういう姿(懸命に走っている陸上選手)を見ていると、考えさせられますよね」と。職業柄(寺院勤め)ですかね。どうしても夫婦でこんな会話になります。

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【本文】

さて、先月の事ですが、20代の檀家若者が「住職さん、地縛霊って、ほんとに存在するの」と。「地縛霊ってか、また、妙な話を振ってきたな。この時期(盂蘭盆月)になると、決まってこの手の話が。先を話してみな」と拙僧。対し、若者が「ある家に60代の夫婦が2人で住んでいて、度々浴槽の底に足跡が付くので気味悪がって。それも決まって左足だけが。自分達の足跡かも、と思ったが、主人の足のサイズは26センチで、奥様は22、5センチだから、21、5センチの足跡は、この夫婦のものではないと。気持ちが悪いので、有名な霊媒師に尋ねてみたら『その家の近所を彷徨(さまよ)っている地縛霊が、その家を選んで住み着いたんだ』と言われたんだって。そんな事って、本当にあるんですか、住職」と、興味津々の顔で拙僧に。

対し、拙僧「浴槽の底に付くという地縛霊の足跡が、21、5センチだったの」と尋ねると「はい。そうらしいです」「ほう、そうなんだ。普通に考えたらくさ、生足の裏を定規で測る様な人は、まずもっていないから、奥様の22、5センチは恐らく、靴のサイズの事を言ってるんじゃないかな。という事は、その浴槽の底の足跡は、奥様のものと考えて間違いないじゃろ」と。「じゃ、何故、ご主人の足跡は付かず、奥様の足跡(21、5センチ)だけ、それも左足の跡だけ残ってるの」と。「奥様は常に、風呂の湯を抜いた後に、右足から先に浴槽から出るが習慣じゃないの。それと、ご主人よりも奥様の方が、油足だったって事じゃないのかな」と返すと、檀家若者は暫く沈黙して「この話ですけど、実はですね、テレビの番組で取り上げられていたものなんですよ。その道に明るい専門家が詳しく検証した結果、住職と同じ見解を出してました」と。

対し「何だ、お前さん、拙僧を試したんかい。ところで、そのテレビ番組は『地縛霊だ』と言った霊媒師を番組に呼んでたかい」と尋ねると「いや、呼んでなかった」「そうか、呼んでなかったか」「その番組の最後にお笑いの加藤浩次さんが『テレビの中で、こんな幽霊騒動を企画する度に、芸能人だけが、ギャーギャーと騒ぐのは、もうやめようよ。また、やっとるわい、と視聴者から白い目で見られるから』と言ってました」「そうだね、今は様々、検証が出来る時代だもんな。心霊写真といわれる物も、プロのカメラマンさんなら、簡単に心霊写真らしき物を撮れるそうだよ。光の屈折を利用して、この位置で、このタイミングで、シャッターを切ったら、その周辺にいる人達をカメラの中に、写し込む事が出来るんだって。まあ、そんな事が解明されてきたこんな時代になっても、一定数はこの様な話(幽霊、悪霊、祟った)が好きなマニアは、存在し続けるだろうけど。信仰は特別なものではない。特別なものにしている者がいるだけ、だもんな。ところでだが、君は、そっち側(悪い事が起こったら、何でもかんでも先祖、精霊のせいにする)のタイプの人間だったかな」「いえいえ」と。

更に、この若者に「人の思い違い(勝手な判断)といえば、こんな話もあるんだよ。『夜の蜘蛛は、親に似ていても殺せ。朝の蜘蛛は、鬼に似ていても殺すな』という言葉(迷信)が。この言葉の意味するところは簡単なんだよ。夜の蜘蛛は、抜き足差し足忍び足で、夜に侵入してくる泥棒さんに似てるから、殺せと。が、どこかの田舎町で見たな、『泥棒の昼寝は昔の事』という看板を。朝の蜘蛛は、巣を作っていく様が繁栄を象徴しているから、殺すなと。これに対し、恐らく蜘蛛さん達は『おいおい、勘弁してくれよ。人間の勝手な思い込みで、殺したり、殺さなかったり。朝出ようが、夜出ようが、あんた達(人間)の前に出てきているのは、同じ俺(蜘蛛)なんだよ』と、わが勝手に良し悪しを決め付け、命まで奪おうとしてくる人間に、呆れ返っているだろうね」と。

更に続けて「蜘蛛といえば、数年前だったか、檀家の子供ちゃんに『ほら、あそこに大きな蜘蛛の巣が。真ん中に大きな蜘蛛さんもいるな。あれを見て諺(言葉)か何かが、頭に浮かばないかい』と難しい質問をした事が。通常ならだよ、こんな難しい問い掛けを子供にはしないよ。が、この子(女の子)は大変利発な子で、本も沢山読んでる様だし、親の教育も多方面(五科目に拘らず)から。どんな答えを出してくるか、楽しみでね。すると、結構に時間を費やした後、この子が『果報は寝て待て、かな』と。対し拙僧『やっぱ、君は、視点、思考が違うよな』と驚いた。『これ以上、出来ない程の努力をして、後は、天命を待つ』が、この諺の本来の意味だもんね。この子には、この説明はしなかった。する必要がなかったからね」と、この20代檀家若者に。

因みに、蜘蛛といえば、こんな話もありましたね。檀家で幼稚園の先生(現在71歳、当時57歳)をしていた女性が拙僧に「蜘蛛の巣に捕まっていた蝶々を『あら、可哀想』と逃してやると、幼稚園児(男の子)から『蜘蛛が可哀想じゃないか。蜘蛛だってご飯が必要なのに』と注意をされ、ハッ、とさせられました。『蝶々は綺麗、可愛い、良いもの。蜘蛛は醜い、怖い、悪いもの』といつの間にか、勝手にその様な判断を、私は。そうですよね。この蜘蛛が命尽きるまで、餌を与え続けるという責任を、私達が負える事など出来ませんもんね、住職」と。対し、拙僧「そうだね。これは、人間の親子の関係にも、通じるところがありそうだね」「幼稚園で勤めておりますと、子供から教えられる事って、結構に沢山あるんですよね」と猛省されていました。

ついでにもう1つ。檀家の社長が「住職よ、先日な、同系列の社長とゴルフへ行った時、バンカー内で蛇がカラスに襲われているのを見て、思わず咄嗟の判断で、クラブを振り回してカラスを追い払ったんだが、2人して顔を見合わせて『これって、正解だったのかな』と。この出来事の少し前に『幼稚園の先生が、蜘蛛の巣に掛かっていた蝶々を助けて、園児に怒られた』という話を住職から聞かされていたのに。咄嗟にその様な対応を。人の上に立つ自分達が、その場の個人的感情で動く様では、先が思いやられるわい」と猛省を。

【余談】

知人の子供さんから、知人女性が95歳で他界、と連絡が。その女性のご主人は今年、25回忌だったと。その女性は老衰だったそうだが、ご主人はお酒の飲み過ぎが原因で、肝硬変から肝癌に。今でも鮮明に思い出す。ご主人の母親、姉、弟から、酷い仕打ちを受けたこの女性を、死後に包み込んだご主人の粋な計らいを。

小学校の先生をしていたご主人の母親は、息子の嫁さんが家政科卒業という事が気に入らず、長年に渡り、散々嫌味を。が、ご主人は一切仲立ちをせず、毎日、深酒、午前0時を回ってからの帰宅。それが原因で肝臓癌を患い、70歳で他界を。葬式の時、ご主人の母親と義理の姉、弟から「あんたは本来、他人。土地家屋の権利証と預金を全部持ってこい」と。が、いつ名義を切り換えていたのか、土地家屋、預金通帳の名義が全て、その知人の名前に変更が。更にご主人は、司法書士を通して、公正証書を作成し、全財産を奥さんに。それ以後、ご主人の家族とは全くの疎遠に。その知人女性が「住職さん。夫は1度も、夫の家族との間に立ってはくれませんでしたが、それは、立ったら余計に私が虐められると、そう思っていたのかもしれませんね。また、恐らく夫は自分の死後、自分の家族から私が、財産全てを奪われるを予想して、前もって対処してくれていたんだと。今思えば、結婚前にはそんなに飲んでいなかったお酒を、結婚後は浴びる様に。最も辛かったは、夫だったのかもしれませんね」と。ご主人の葬式の数年後、ご主人の母親が『子供達から捨てられて老人ホームに』という噂が風の便りで、その知人の耳に。可哀想に思った知人は、毎日老人ホームへ。が、通っていた数年間というは、この義母からずっと罵声を。それでも通って来るその知人に、老人ホームの理事長さんが「こんなに毎日来られるのなら、ここで働いたらどうですか」と。義母が他界した後、その知人が拙僧に「義母は、私に優しい言葉を一言もくれませんでしたが、この老人ホームの仕事を与えてくれました。義母の死後も数年、そのホームで仕事が出来た事に、義母には感謝を」と。『あの女性(その知人)が、亡くなられたのか』と拙僧、感慨深い思いに。


令和 6 年 9 月分  金剛寺住職 臨時法話


檀家さんの従姉妹(いとこ)の友人の友人という女性から「井戸を埋めたいから水神上げ(お祓い)をして下さい」との依頼が拙僧に。檀家さんが言われるには、その従姉妹の友人の友人(女性)は「そんな事、せんでええ」と。が、土木業者社長さんが「絶対にお祓いをしてもらってくれ。そうじゃないと仕事は受けない」と釘を刺され、仕方なくお祓いが出来る人を探し回って、拙僧にまで辿り着き、お願いに来られたみたいで。現地に伺うと、その女性が(依頼主)いて「土木の社長さんがここまで嫌がるは、やはり、祟られるからですか」と拙僧に。対し「水神さんは、祟りゃせんよ。失礼な事を言いなんな。社長さんは恐らく『100年以上も井戸の水を使ってきて、先祖代々に渡り、命を保たせて頂いてきたのに、有難うございました、と御礼報謝もせず、必要がなくなったからと、簡単に埋めてしまうんかい。あかんじゃろ、人の礼儀として』と言いたかったんじゃないのかな。土木の社長さん達の大半は、こういう恩義に厚い人って、結構に多いですよ。水でも火でも、10日も無けりゃ、人間は生きられんでしょ。だから、昔の人達は『水や火には、神が宿っておられる』と後世の人達に言い伝えて、粗末に扱わない様にしてきたんじゃないのかな」と拙僧、この女性(水神上げの依頼者)に。更に拙僧、この女性に「土地祓い、地鎮祭も同じ事だよ。依頼者の半数は『この土地ですが、悪霊はいませんか、変な死に方をした人はいませんか』とか、拙僧に。知らんがな、そんなこと。こんな狭い国なのに、人が死んでない土地なんぞ、あるもんか。京都四条河原町は、坂本龍馬さんと中岡慎太郎さんが、切り殺された場所だが、現在も、えろう栄えてまんがな。京都の人達は死人を忌み嫌わず、先人達の功績によって、私達は今、ここに住む事が出来ていると感謝してるんじゃないの。因みに、寺院が多い都道府県は、1位は愛知県、2位は大阪府、3位は兵庫県、4位は滋賀県、5位は京都府、東京都は7位。つまり、戦(いくさ)が多かった場所が、上位を占めてるでしょ。戦(いくさ)で亡くなった人達を供養する為なんだよ。この上位の都道府県内で『人が死んでない土地は、どこかないですか』なんて言おうもんなら『アホか、そんな土地などあるかい』と言われまっせ」と。

続けて拙僧、この女性(依頼者)に「地鎮祭を行う理由は、その土地の氏神さん、水の水神さん、火の荒神さん、そして、嘗て、この土地で懸命に生きて、死んでいった人達に『この度、この土地で生活をさせてもらう者です。どうか、宜しくお願い致します』と挨拶をするが、地鎮祭の主旨なんだよ。自分がお金を出して買ったんだから、自分の物と思うは大間違い。自分の物じゃないから、あの世に逝く時に、この世に置いていかにゃならん。お金も、宝石も、伴侶も、子供も、自分の体もまた然り。全てが借り物にて。借り物だったら、大事に扱い、返す時には『有難うございました』と礼を述べるは、当然の事でしょ。昨今、この国は、当たり前の事が、当たり前に出来なくなってきている。その結果、親の遺体を病院に置き捨てたり、遺骨を生ごみ置き場に捨て置きしたり、我が子を平気で虐待したり、殺したり、捨てたりと、鬼畜の様な諸行を。水は必ず、高い所から、低い所へと、流れていきまっせ、躾(しつけ)はするものじゃない、躾は見せるもの、ですばい。受け継がれてきた物を、自分の代で閉ざしてしまったら、子孫へは流れていかず、とんでもない世の中に。もう、そんな世の中になっている気配がするが。水神上げというは、お祓いというよりも、御礼報謝だよ」と拙僧、重ねてこの女性に。

井戸と言えば、度々登場しますが、わが爺様の話を1つ。ある知人社長が「住職(拙僧)よ。最新機器を使って水脈を探し、井戸を掘ったんだが、何度掘っても水脈に当たらん。何か良い知恵はないか」と。「迷信めいた方法なら、わが爺様に聞いた事があるが、聞きたいですか」「おう、聞かせてくれや」と。「日中快晴の日の夜に、漆塗りの重箱を、掘りたいと思う場所に、逆さにして何箇所か置いてみて下さい。次の日の早朝、重箱の内側に水滴が着いていたら、その下には水脈がある、と爺様が言ってましたけどね」と、その社長に。すると数日後、その社長から「あの方法で水が出た。凄いぞ、住職」とえろう喜んで。「わが爺様の受け売りですよ。へえ、ほんとに水が出たんだ。偶然とはいえ、昔の知恵はやっぱ、凄いですね」と。昔ながら、と言えば、こんな話も。1週間前から一昨日まで、家族で四国巡拝した折に、最後に泊まった遍路宿の女将さんが「住職さん。国や保健所から『ああしろ、こうしろ』と、お金が掛かる事(改築)ばかり注文がきて、多くの遍路宿(熟練宿)が、お金の用意が出来ずに廃業を余儀なく。特に、高知県は次々と廃業に追い込まれ、泊まる場所(遍路宿)がなくて、お遍路さん達が非常に難儀をしておられます。何でもがそうですが、現場を知らない上の人達が、庶民の足を止める様な事をして回って。『経済を回さにゃならん』と言いながら、自分達で経済を止める様な政策を。これ、どう思いますか、住職さん」と。「嘗て、映画『踊る大捜査線』で織田裕二さんが言い放った『事件は会議室で起こってるんじゃない。事件は現場で起こってるんだ』という社会風刺の台詞がありましたよね。国や役所の人は、皆が皆、とまでは言いませんが『本の中だけで生きてんじゃねえよ(経験少なきに加え、マニュアル通り)』っていう人、結構に多いんですよね」と返すと、遍路宿の女将さんが「まったく、その通りだと思います。あの人達は、結局は他人事ですもんね。何も理解してないから、的外れの指摘ばかりして」と悔やんで拙僧に。

四国霊場第21番札所『太龍寺』の下にあった『龍山荘』という遍路宿が。数年前、宿主の親父さんが「国から『ああしろ、こうしろ』と言ってきたが、数千万円の改築費用なんて、そうそう出せるもんじゃない」と泣く泣く、長い、長い間続けてきた実績ある遍路宿の廃業を決意。ご飯も美味しく、味わいのある、温かい雰囲気の遍路宿だったのに、何とも残念でならないですね。現在は既に、廃業を。萩原健一(ショーケン)さんは3度、歩き遍路をされた時、必ずこの宿に1泊の足休めを。宿泊した時の写真が、宿の鴨居に何枚も飾られていましたね。こんな事で、本当にいいんだろうか。日本の伝統、文化が、なくなっていきまっせ。

読者の女性(40代)が「住職の一昨日(上記))の法話ですが、『水神さんの祟り』って、本当にあるんですか。拝み屋(僧侶)さんにそう言われた、という人を何人か、知ってるんですが。住職さん(拙僧)は『神や先祖が祟るなどと、失礼な事を言いなんな』と法話の中で言われておられましたが」と。対し拙僧、この読者の女性に「日本三大怨霊という言葉を聞いた事がありますか。その3人の中にですね、菅原道真公がおられるんですが。左遷先(福岡太宰府)で他界後、京都で天変地異や疫病、道真公を左遷させた人達が次々に、落雷に当たったり等で、変死を。『道真公の祟りじゃ』と恐れた京都の人達が、御霊を鎮(しず)めるため、北野天満宮で道真公を神(天神様)として祀った。太宰府天満宮では、学業の神として。だけどね、天変地異も、疫病も、人の死も、自然の流れだよ。明治時代の教育者、森信三さんが『出会う人(もの)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』とその様に。それこそ、拙僧が度々法話で言っておりますが『出会うは、運命。出会ってからは、努力。乗り越えさせてもらった最後には、感謝』ですよ。それにしても、人間の都合で『神』にされたり、『怨霊』にされたりと、道真公も、なんともまあ、忙しいこって」と。更に、この読者女性に「加えて、道真公が京都に住んでいた時の桑原地区(現在は京都御所南の丸太町通の道路上、投稿添付写真)だけが、落雷の被害がなかった為、余計に『道真公の祟り』と思われる結果に。今現在も、落雷が起こる度に『おお、くわばら、くわばら』と呪文の様に唱えて『被害が自分に及ばない様に』と願う人が偶におられる様で。さて、水神さんの祟りの件ですが、一昨日の法話の中で拙僧『水も火も10日も無けりゃ、人間は生きていくに困難でしょ。水の神、火の神がいると昔の人達が設定したは、粗末にしない為の方便』とその様に。『神』と付けば、拝み屋さんは『祟りの対象、お金儲けの対象』に、し易いですもんな」「そういう事ですか」と。

最後に、この読者女性が「ところで住職さん、太宰府天満宮に受験合格祈願に行ったら、やっぱ、ご利益はあるんですかね」と。「合格出来る定員は、決まってるからね。全員を合格させる事は、神でも無理だわな。ご利益があるとしたら、頑張りに応じたものになると思うよ。勉強もしないで、遊んでばかりで、合格だけを願ったって、そりゃ、無理でしょ。嘗て『暴飲暴食、酒、煙草を止めるつもりはない。あんたは、俺の病気だけを治せば、それでいいんだ』と主治医に悪態ついて『私にいったい、何を期待しとるんだ。暴飲暴食、酒、煙草を止める気になってから、出直して来い』と怒られた60代の檀家男性がいたもんな」「そういう事ですよね。住職がいつも法話で『人間は今日まで、自分がしてきただけが、今ここにある答え』と。息子にもそう言います」と。