令和7年3月分 金剛寺住職法話
【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】
毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。
【はじめに】
大学時代に拙僧、何とも口の多い友人がいて、2人で度々通っていた京都の蕎麦屋さんがあって、営業時間がまちまちで、ほぼ、2、3時間の営業。ある日、友人が「いいよな、この蕎麦屋。2、3時間だけ仕事するだけで、飯が食えていけるんだから」と。対し、拙僧「あのな、お前さん。俺(拙僧)な、毎朝7時にバイトに出かけるんだが、その時、バイクで蕎麦屋さんの前を通るんだよ。月に数度だが、蕎麦屋の大将が仕事している姿を目にするんだよな。その時間から働いているとしたら、午後2時まで営業し、後片付けまで入れたら、10時間以上だぞ。氷山も見えている部分は、約2割か3割ほど。7割(開店するための準備)は、海の中だよ。自分が見えている部分だけを『それが全て』と決め付て、人を評価しちゃあかんよ。判断が鈍る事になるぞ』と友人に注意した事がありましたね。近頃(昨今)巷に起こっている正義感の暴走、誹謗中傷を見てると、この氷山の一角だけを見て、騒ぎ立ててる人が多い様に思われますよね。
【1日の投稿法話の本文に入ります】
令和 7 年 3 月分 金剛寺住職短文法話集
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【本文】
2005年(平成17年)3月20日、午前10時53分に発生した福岡西方沖地震は、春の彼岸中日法要開始の5分前の事でしたね。法要準備を整え、拙僧、本堂脇の客殿に控えていると、地面から「ゴー」という低い音が。洞海湾沿いの製鉄所で何か事故でもあったのかな、と思った瞬間、大きな揺れが突然に。咄嗟に、2年前に他界していた父(金剛寺先代)に「親父、ここにおらっしゃる参拝中の檀家さん達を死なすなよ」と必死に心の中で。石段(130段)下で駐車場の係をしていた人達(檀家男性)が「駐車中の車が波打って、上を見上げるとくさ、お寺の本堂が大きく揺れて、倒れりゃせんかと心配したわ」と。ところが、法要のため本堂内にいた檀家の爺様、婆様達は、そりゃもう落ち着いたもんで「住職よ、ここ(わが寺)で死ねたら、本望たい」と。
それから2年後、2007年(平成19年)7月16日に発生した、新潟県中上越沖地震の時ですが、テレビ局が福岡西方沖地震の時に被災した小学生達に「当時、全国の学校から届けられた支援物資ですが、有難かったですか」とインタビューを。問われた小学生達は、暫く無言で渋い顔をしておりましたが、重い口を開いて「今だから言いますが、届けられた支援物資の中には、使い古した汚れた服、汚れた下着、ボロボロの靴。使えそうにない短い鉛筆、消しゴムなど。お気持ちは勿論、有難かったですよ。でも、僕達は被災者であって、乞食じゃない。あなた達なら使いますか、この様な物を。僕達はこの様な物、新潟には絶対に送りません」と。このテレビ放送を見ていた拙僧の子供(当時高校生)が「父さん、全国の学校から届けられたこの支援物資だけど、梱包したのは間違いなく、先生と保護者達だよね。その時、何とも思わなかったんだろうか」と。この時(当時)、この被災した子供達の率直な意見に対し、SNS 内やその他方々で文句を言った人達が。何にでも文句を言ってくる人、噛み付いてくる人は、一定数はおりますもんな。「今は、そこじゃないだろ」と思いますけどね。
わが寺の檀家さんには、海上保安庁に勤務されてる方が数人おられまして、その方々が「住職、この被災(福岡西方沖地震)した子供達が訴えた事だが、本当の事だよ。支援物資を運んだも、仕分けしたも、自分達だったからね。『こりゃ、流石に使えんだろ』と思える物は、結構に多かったんだよな。『これは使える物、これは使えない物』と整理するだけでも、相当の時間と労力と費用(ゴミ処理料金)が掛かる。送って頂くのは、大変有り難い事なんだが、時間と労力を他の事(撤去作業など)に使いたいので、願わくば、支援金にして頂いた方が非常に助かるんだよね。被災地でいる物(不足している物、今、必要な物)は、被災地で(私達で)買い揃えますので。住職が時折、法話の中で、自分にとって『必要のない物、捨てる物、処分したい物』を分け与えるを、施しとは言わない、と。ほんと、そうだと思う。少しでもいいから『自分が被災者だったら』という気持ちになってもらえたら、と思います。勿論、大半は、そんな心の人ばかりだとは、思いますけどね」と。
さて、今月の3月20日は11時から、春の彼岸中日法要が。檀家さんがこぞって参拝されてきます。先祖の供養というは、産んでもらって、育ててもらって、お世話になってきた人達へのご恩返しにて。この受けたご恩ですが、自分の命が続く限り、消える事はありません。昨年の春の事ですが、檀家さんの家に彼岸の仏壇参りに伺うと、そこの家の高校生男子から「住職さん、彼岸って『彼の岸(かのきし、あの世)』っていう意味なんだろ。ほんとに『あの世』ってあるのかな。俺ね、絶対にあってほしいんだよな。死んだら終わりだなんて、哀し過ぎるでしょ。夢も希望もないもの(死)に向かって今、俺は生きてるなんて思ったら、やりきれんわ。絶対にある(あの世)よね、住職さん」と、この子が拙僧に。「絶対かどうかは、死んだ事がないからわからんが、ある(あの世が)と信じた方が、寂しくないし、夢も希望も膨らむだろ。拙僧も必ずあると信じてるよ。先に旅立った祖父母、父母、叔父叔母、知人、友人にも会いたいし、何より、向こうでもまた、妻と一緒に暮らしたいからね」と。余談ですが、わが寺では、春、秋の彼岸の法要には、常に手作りバザー(被災地支援の為)を。檀家さん達が手作りの惣菜や手作りの小物などを持ち寄って、それを若い人達が売り子になって、ご参拝者の方々に。売上金(全額)はこの度は、金沢に送らせて頂くと、係の人が言っておられましたね。
因みに、今年は3月23日をもって、7日間の春季の彼岸期間が終了致しますが、彼岸とは『彼の地(岸)』と言って『極楽浄土』の事を指します。彼岸の期間は、ご先祖様の供養は勿論の事、他には、私達が極楽浄土へ向かう為の修行の期間という意味合いもありまして。中日を挟んで、前半3日は、布施(ふせ、施しの心を持つ事)、持戒(じかい、戒律を守り、自己反省を)、忍辱(にんにく、忍耐の心を持つ)の修行(自己確認)を。後半3日は、精進(しょうじん、努力の実践)、禅定(ぜんじょう、精神を統一する)、智慧(ちえ、知恵を会得し、命のなんたるかを悟る)の修行(自己確認)を。まあ、これは、あの世(彼の地)があろうと、なかろうと、持っておかにゃならん、心の作用ですが。今日までの振り返りをこの期間に為し、自分の人生を見つめ直してみよ、という事。まあ、偶には、住職らしい話も、やらないとですな。
さて、昨年の事ですが、檀家の娘(40歳)さんが、お彼岸の納骨堂参りに。その時、拙僧に「私の実家は今、父が亡くなり、母だけですが、母(現在、肺癌で余命1年)が他界した後、実家の仏壇を嫁ぎ先の家に持って来るっていうのは、可能ですか。子供は私1人しかいないので」と。対し拙僧「ご主人さんが了承すれば、いいと思いますが、早かれ遅かれ、永代供養にしてお寺に預ける事になりますよね。『立つ鳥跡を濁さず』ですね。子供達、孫達に、母親の実家まで延々と世話させ続けるは、あかんかな。その為の永代供養(この先は永代に、お寺にお任せする)です。あなたの実家と同じ様な家庭事情の家で、納骨堂を実家の仏壇にしている家が、わが寺では数家(仏壇位牌を納骨堂に。投稿写真参照)ありますよ」「えっ、そんな事が出来るんですか」と。「わが寺では、その様にしてあげてるよ。あなたが歳をとって、そろそろ嫁ぎ先の家から、実家の仏壇をお寺に預けようかな、と思われたら言ってきてください。そうしてあげますから。これから先は、結婚をしてない人が数多におらっしゃるから、こういう形になる家が、少なからず増えてくるかもしれないですね」と。
【余談】
昨年の暮れは、仙台で檀家82歳男性の葬儀をさせてもらいました。仙台のどこかのお寺さんに頼むという手もあるのに、わが寺が菩提寺という事で、わざわざ北九州の拙僧を呼んでくれました。ほんと、有難い事ですよね。因みに、檀家は宮城以外にも、大阪、愛知、神奈川、千葉にも。拙僧は高い所が苦手なので、如何に遠方でも、移動は全て新幹線です。小倉を10時頃の新幹線に乗れば、18時過ぎには仙台に着きますので、通夜の時間には十分に間に合います。何の問題もない。葬儀の後、奥様に「位牌は、夫婦位牌(めおといはい)にしましょうね」と持ちかけると「え〜、死んだ先まで、横に並ばないといけないの」と心にもない事を。「気心がわかっているから、楽でしょ。未来永劫の話なんだから。ご主人の戒名は、名前の『好(このむ)』を貰いましたよ。ご主人のご両親は恐らく、命名する際に『魅力的な人間に育ってくれる様に』との思いで、この『好』という漢字を選ばれたんではないかな、と推察します。実際、そんな人間に成長し、人情に厚い人生を過ごされましたもんね、ご主人さんは。そういう意味合いから『淳』の漢字を使い『〇〇院〇〇好淳居士位』と。先で奥様が他界した時には、お2人の遺骨を粉砕機にかけて粉状態にしましょうね。1つの骨壷に十分納まるから、寂しくない様に、その様にしましょう」と言うと、また「え〜」と嬉しそうに、心にもない声を。昨今、わが寺の檀家さん、特に旦那さんの方が、夫婦位牌、夫婦骨壺、を望まれる人が多くなってきましたね。やはり、奥さんというは、特別な存在なんでしょうな。拙僧も「天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿」ですもんね。
令和 7 年 3 月分 金剛寺住職 臨時法話
嘗て、北九州において、高校球児だった檀家男性(現在51歳)が拙僧に「住職は1992年の第74回全国高校野球選手権大会での2回戦、明徳義塾高等学校(高知県)対 星稜高等学校(石川県)の試合であった、松井秀喜さんへの5打席連続敬遠を覚えてますか」と。「どうしたの、今頃」「いや、テレビで松井さんを見てね、当時の事が脳裏に」「勿論、覚えてるよ。拙僧はその時、30歳だったもんな。マスコミが大いに騒ぎ立て『勝利至上主義』の物議が社会現象になったもんね。爆破予告まで出て、大変な騒ぎになったもんな。高校野球において、これほど真っ二つに意見が分かれた事例は、そう多くはなかったんじゃないかな。どちら(敬遠賛成、反対)の意見が正しいかなんて、それこそ、真剣勝負をしている当人さん達にしか、判断出来ないんじゃないかな。そういえば、確か、この大会(43年前)から、甲子園のラッキーゾーンが撤去されたんだよね」と。対し、檀家男性が「住職さんは当時、5打席連続敬遠は、認める派、認めない派、どっち側でしたか」と。「そうか、君は当時、松井さんと同じ年で、高校球児だったもんね。そうだね、どちらかと言うと、拙僧は認める派かな。その高校(明徳義塾)がどこに目標を置いていたか、だよね。あくまでも『優勝』というものに目標を置いていたのか、1試合でも多く試合をして、ベンチの選手を全員、甲子園に出場させてあげたかったのか、その時のチーム事情があったのか。負けたら即、引き上げの甲子園だもんね。甲子園出場の切符を勝ち取るまでに、地区予選において、どんなドラマがその高校(明徳義塾)にあったかなんて、部外者には全くわからん事でしょ」と。
続けて拙僧「その場だけの状況(5打席連続敬遠)を見て、部外者が是非の判断をするは、あまりにも軽々かな。人がそう動くからには、そう動くだけの理由が、必ずあるもの。43年前にSNSなんてものがなくて、本当によかったと思うよ。昨今の様に『正義感が暴走』出来るツールがあったら、相手投手(同高校、同高校球児達)は、どれだけ誹謗中傷を世間から浴びせ掛けられた事か、最悪の事態(人生ストップ)まで起こっていたかも。考えただけで、ぞっとするわ。それに対して松井秀喜さんはその後『5打席連続敬遠された、という事実に相応しい選手になろう』と心に誓ったそうだもんね。もちろん、この2人(松井秀喜さんと相手投手)、後に再会し、この事について談笑したそうだよ」と。
すると、檀家男性が「住職さん、この私との会話をSNSに投稿したら、昔の事とは言え、蒸し返されて、袋叩きに合うんじゃないの。昨今は、人を陥れる情報に飢えてる時代だから」と。対し、拙僧「その言葉だが、昨今、よく使われる言葉だよね。だけど、大丈夫だと思うよ。このあなたとの会話だけど、結構教訓も詰まってるし、懐かしむ人達もおられるだろうから。NHKの朝ドラ『おしん』が再放送されても、炎上なんてしてないでしょ。今現在にリアルタイムで放送されたら『おしん』なんて、間違いなく大炎上も大炎上だよ。再放送(昔の物)なら騒がず、静観して見る事が出来るなら、今現在リアルタイムのドラマも、その心で見りゃいいものを、と思うけどね。だから『拙僧は、松井秀喜さんの5回連続敬遠は、認める派でっせ』と言っても、43年前の事だから、文句言ってくる人など、恐らくいないでしょ。それにしても、この松井さんへの敬遠ですが、当に、球史に残るものになってるよね。ほとほと凄い選手だと思うよ」と。
続けて拙僧、この檀家男性に「凄い選手といえば、松井秀喜さんより1学年上には、イチロー選手がいるよね。イチローさんは、愛工大名電で2度、甲子園へ出場されているもんね。そのイチローさんにおいては、こんな話が。自分のせいで敗戦した時、宿泊所の玄関で座り込んで泣いていると『人間は負ける事で、力を付けていくんだよ』と声を掛けてくれた人がいたと。それが横綱の曙さんであったという事だもんね。徳川家康公が『勝つ事ばかりを知り、負ける事を知らざれば、その害、わが身に及ぶ。及ばざるは、過ぎたるより、勝れり』と後世に教訓を。愛知県出身の家康公の言葉というが、また、縁を感じるよね」と。因みに、イチローさんですが、ドラフトの指名は、4位であったと。信じ難いでしょ。他にも、工藤公康さんはドラフト6位、掛布雅之選手もドラフト6位、金本知憲選手はドラフト4位と。叩き上げから球史に名を残したは、他にも少なからず。イチローさんが「夢や目標を達成するには、1つしか方法はない。小さな事を積み重ねること」と。確かに、そうですね。人は自分がしてきた事、やってきた事が、今ここにある結果(答)ですもんな。
今1つ、凄いと言えば、野球選手ではないですが、米国の映画俳優シルベスタースタローンさんですかね。拙僧の好きな俳優さんの1人ですが、自分の愛犬を売らなければならない程、お金がない困窮時代に、ボクサーの映画を世に出したいと脚本を書き、映画界に持ち込むと、その筋の人達から注目を浴びたと。だが「主役は自分がしたい」のスタローンさんの要望に対し、プロデューサーから「主役は有名俳優を使うので、諦めてくれ」と大金を積まれたが、断固としてそれを拒否し、主役として成功を掴み取り、現在の地位を手にする事に。案外にプロの人達が否定(シルベスタースタローンさんが主役ではヒットしない)するものが、成功するものって多いですよね。寺尾聰さんの『ルビーの指環』などもその1つで「こんなお経みたいな歌、売れませんよ」とその筋のプロの人達から。が、その結果は、みなさんもご存知の通りですもんね。ほんと、犬も歩かにゃ、棒にも当たらん、ですわな。何でもがそうですが、否定から入ったら、得るものはないですよね。まず動いてみよ、ですよね。拙僧は映画『ロッキー』も当然好きですけど、歳を取られてから、燻し銀の老俳優さん達を集めて制作されたアクション映画(エクスペンダブルズなど)の方が、どちらかと言えば好きですかな。70歳を超えてのあのアクションシーンですが、常日頃、どれだけ体作りに努力をされているんでしょうね。並大抵の努力ではないと思いますよ。70歳半ばの矢沢永吉さんも、小田和正さんも然りです。それを考えたら、拙僧はまだまだ、63歳にて。人間は死ぬまで、生きとかにゃならん。どう生き抜くか、大いにその参考になる人達ですね。
【おまけ】
時折、読者の女性達、檀家や知人の若夫婦達から「子育てで、気を付ける事は、何かありますか」と問われる事があるんですが、その問い掛けに拙僧「短所を抑え過ぎたら、長所までも萎みますよ。その短所、長所も親の主観による勝手な決め付けでしょ。正論(自分勝手な正論)を押し付け過ぎたら、優しさが欠けますばい。そうなると、家庭の中がギスギス、ギクシャクして、気まずい雰囲気になるので、気を付けましょうね」と問い掛けをしてくる人達には、その様に話をしております。昨今の日本国内が当に、こんな状態ですもんな。世相の流れが家庭の中にも浸透してきて、ほんとこの国は今、正義感の暴走状態にて」と。また、この問い掛け者達には拙僧、次の様な話も付け加えて、話をさせてもらっています。「その昔、敵対する2国があって、一方の国が敵国の麦畑に毒麦の苗を植えた。その情報を掴んだ国の重臣達が王様に『家臣達に、毒麦の苗を探しだせ、と命令して、すぐに抜き取らせますので』と進言すると、王様が『いや、麦が成長するまで待て。今の時点で抜き取れば、良い麦までも抜き取る事になりかねん』と重臣達を止めたそうですよ」と。この話は、子育ての相談に来た若い夫婦達には、結構参考になるみたいですね。時間をじっくりと掛けた方が良いもの、時間を掛けず、即座に動いた方が良いもの、その見極めが大事である、というを考える参考にしておられるみたいです。
すると、この上記法話を見た読者女性が「この王様の様な冷静な判断の出来る人達が増えたら、もう少しは、昨今のギスギスした社会が回避出来るのではないか、と思うのですが。住職さんが1ヶ月程前に投稿された法話の中で『清廉潔白で人畜無害、真面目ではあるが、仕事の出来ない政治家さんと、破天荒で英雄色を好み、豪快、横柄ではあるが、仕事の出来る政治家さんと、さて、どちらのタイプが政治家として国民の益になりますか』との問い掛けをされてましたよね。その時、私、一応考えたのですが、仕事が出来る政治家さんを個人的なスキャンダルで失うは、あまりにも勿体無いかな、と。政治家さんが浮気、不倫したからとて、私達国民の生活には何の影響もない話にて。が、如何に人畜無害で真面目でも、政治手腕がないは、私達国民にとっては、不利益でしかない。仕事と個人の問題を、ごっちゃにしたらあかん。糞も味噌もごっちゃにしたら、それこそ住職が言われる『短所を抑え付け過ぎたら、長所までも萎んでしまう』という事に、なり兼ねないですよね」と。
次回の投稿法話は、3月5日になります。
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