令和6年11月分 金剛寺住職法話
【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】
毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。
【はじめに】
昨日(10月31日)は、年に1度の御礼報謝で宮崎県の生目神社へ。11月末には、高野山へ御礼報謝に。宿泊はいつも別格本山大圓院さまに。夕食後にご住職の藤田先生と必ず、1、2時間程お話を。それがとても楽しみで。しかしながら、人というは本当に勝手なもので、叶えてもらいたい願いがあれば、1000キロ先の神社仏閣までも足を運ぶが、願いが叶った途端「御礼報謝に行ってきましたか」と問うと「遠いですから」と。例え願いが叶わなかったとしても「お願いに行かれたんでしょ。なら、報告と共に、お礼に行かなきゃ。もし依頼相手が人間だったら『なんという礼儀知らずや』と、次の助けはないですばい」と注意する事が度々。お守りもお札も、全て1年ものです。頼みっぱなしはあかん。年に1度は、けじめを付けなきゃ。お守りやお札を受けた神社仏閣へ足を運び、御礼報謝をした後、また新たに受けて帰るが常識です。その受けた日を忘れない様に、年の初めの正月か、自分の誕生日になど、特別な日をその日に当てると、忘れる事は少ないかと。
【1日の投稿法話の本文に入ります】
令和 6 年 11 月分 金剛寺住職短文法話集
読者の若者(10代男性、社会人)が「SNSの中で、自民党総裁選の真っ只中『誰が選ばれると思いますか』の質問に住職は『石破さんかな』と答えて、方々から『何でや、あんな信用出来ん人間を』と散々文句を言われてましたけど、何故、石破さんが選ばれると、そう思ったんですか」と問い掛けが。対し拙僧「誰になると思うか、と問われたから、そう答えただけ。石破さんを推しているとは、一言も言ってないのにな。結構『アンチ石破』さん達から反論が。『そんなに嫌われてるんだ、石破さんは』と驚いたよ。自民党の総裁だが、拙僧は、石破さんを本命に、高市さんか、林さんになるのかな、と予想していたけどね。そう思ったは、ちょっと話は逸れるけど、選挙の時、定期的に次の様な問い掛けを受ける事があるんだよ。『2世議員が出馬する事に、文句を付けるつもりはないんですが、親の地盤まで受け継ぐは、どう考えても不公平だと思いませんか。これから政界に打って出ようとする優秀な人間(才能ある者)を、潰す事になりかねないでしょ。親の地盤以外の場所から出馬せよ、と党がその様に規定すれば済む事ですもんね。そう思いませんか、住職は』という声が。拙僧の周りでは結構、こういう意見を持ってる人が多いんだよね」「私もそう思いますよ」と、この読者の若者も。
続けて、拙僧「確かにそうした意見は、至極真っ当な意見だとは思うが、でも、そう簡単な話ではないかもしれないよ。代議士を選ぶのは、地元を愛している、地元を活性化してほしい、と願う地元有権者の人達でしょ。人間は大なり小なり『自分にとって都合が良いか、悪いか。自分にとって利潤があるか、ないか』で、その是非を判断するからね。『当選後は即、力を発揮してもらわにゃ困る。我々は今現在の生活(おまんま)が大変なんだ』と思っている人達が、有権者さんだもんね。『この人は初出馬(政治経験なし)だが、有能な、優秀な人材だから、長い目で育ててやってください』なんて事を言われてもくさ、『そんな悠長な事を言ってる暇はない。同じ初出馬なら、代議士の2世の方が、学力が、能力が、優秀であろうがなかろうが、蛙の子は蛙、少なくとも親の仕事(背中)を長年、身近で見てきた分だけ、政治手腕(実践)に期待が出来る』と、特に地元有力者さん達(有権者)がそう思うは、至極当然の流れにて。つまり『門前の小僧、習わぬ経を読む』という事だね。
更に続けて拙僧「確かに、君の言う様に不公平だよ。が、その不公平をブチ破って、2世を蹴散らしてこそ、じゃないかな。が、2世を蹴散らして議席を勝ち取った人間も、何期か当選したら、将来は、自分にも2世というものが。この地盤問題は、政治家だけの問題ではない。地元有権者の欲も絡んでくるから、そう簡単に片付く問題ではないと思うよ。地盤を受け継いだ田中真紀子さんの例を出したら悪いが、2012年、68歳の時、田中王国と言われた新潟5区から出馬して、落選されたでしょ。親の威光があっても、大臣にまで上り詰めた人でも、落選する時は、落選する。落選の陰に何があったかは、知らないけどね。理想は、確かに一律公平だけど、その公平の土壌が確立されてない以上、ぐだぐだ文句言っても始まらん。その状況下で戦うしかない。因みに、嘗て、郵政民営化を争点に小泉純一郎元総理が、小泉チルドレンを各地の地盤に落下傘部隊として投入。83人もの新人を当選させたが、現在はその大半が姿を消したと。そう考えるとね、地元に根付くというは、そう簡単な話ではないのかな、と思うよ」と。すると、この若者が「なるほど、そういう事か、住職が『総裁は、石破さんかな』と思った理由は。つまり消去法、それ(即戦力)だったんですね」と。
対し拙僧「国内政治だけなら、どこの党がトップに立っても、誰が自民党総裁(総理)になっても、ある程度は無難に熟すだろうけど、こと、外交ばっかりは」と返すと「そうか、問題は外交ですもんね。総理になった途端、海千山千の諸国元首と対峙する事に。そう考えたら人選が、絞られるといえば、絞られますよね。だけど、石破さん、なんやらかんやらで、今、クソ味噌に。聞こえてくるは、嫌味ばっかりで、聞いていてヘキヘキする。まだ始まったばっかりだっていうのに。まるで、文句言いの人達は、日本が悪い方に向かうのを、望んでいるかの様な物言いですもんね。子供達もその様子を見てるっちゅうねん。仮に失敗したとて、日本が潰れる訳じゃあるまいし。現に、これまで誰が総理になっても、この国は潰れてないし。ほんと、しばらくの間は、黙って見とれや、と思いますよね」と。
最後に拙僧、この読者(男性、社会人)に「歴史を見ても、もし、もう少し早く生まれていたならば、もし、信長公、秀吉公、家康公がこの世にいなかったならば、天下を狙えただろう武将は、何人も。また、もし、もう少し都(京)に近い所に領土があったならば、上杉謙信公、武田信玄公は、天下人になれたやも。が、この『もし』は、残念ながら、この天下人と言われた人達以外の諸公には、与えてもらえなかった『もし』だもんね。秀吉公が『天下人は、天が決める』と言われたとか、言われなかったとか、これは、とても意味深い言葉だと思うよ。天下人には手が届かなかったものの、力ある諸大名は皆、自分の持ち場、持ち場で、それなりの成果を上げ、後世に名を残しておられるがな」と。それに対し、この若者が「という事は、この度は、石破さんに白羽の矢が立った、という事なんですね」「と、思うよ。ただ、歴史の中では『豊臣家を滅ぼす為だけに、この世に出てきた』とか『天は時折、それに相応しくない人物に、天下の流れを委ねる事がある』とか、酷い言葉を投げられた小早川秀秋公(関ヶ原で裏切り)の例も。そう言われない様に、頑張らないといけないよね、石破さんは」と。
続けて拙僧「文句を言っても、どうにもならん社会の仕組みに、文句を言ってもどうにもならん。自分に与えられた環境を、どう活かすかを考えた方がいい。関ヶ原の後、120万石から30万石に減らされた上杉家を、家老の直江兼続公は、家来の給料を一律3分の1に減らし、誰1人リストラせず、家臣(武士)に百姓をさせ、60万石まで石高を増やしたは有名な話。この時の兼続公の政策を、江戸時代中期ごろ、上杉家中興の祖と言われた上杉鷹山公がそれを手本にして、上杉家を立て直したとの事。この時、鷹山公が言われた『為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり』は、あまりにも有名な言葉。世の中を自分の思い通りに作り上げたい、と思うのなら、2世がどうのこうの、地盤がどうのこうの、と妬む前に、自分がやれる事を精一杯やって、頭(トップ)を取るしかない。拙僧が若い頃にね、父(先代)から1度だけ、こんな言葉を言われた事があったんだよ。『茶の道具、あるならあるで、茶を立てよ。ないならないで、茶を立てよ』とね」「どういう意味ですか」「ここまでの拙僧との会話から、意味は自分で考えな」と。
更に続けて拙僧、この読者若者に「大正2年生まれで、多くの奉公人さんを雇っていた海沿いの、大きな庄屋の娘であった女性は、4歳の時に両親を海難事故で1度に亡くし、その歳で丁稚奉公に。その12年後、奉公先の家の息子(拙僧の爺様)と結婚を。第二次世界大戦時に満州に渡り、5人の子供を育てあげ、帰国後は、夫(拙僧の爺様)が起業した会社と、息子(拙僧の父)が住職で座るお寺を支えた。60歳の時、長年の無理が祟って脳内出血で倒れ、左半身が不随に。医師から『2度と左半身は動かん』と言われながらも、懸命にリハビリ(わが寺の本堂を這って、お百度参り)を繰り返し、何とか歩けるまでに回復を。その後は、身体不自由な状態でお寺の炊事(法要での檀家の接待)を、他界する82の歳まで勤め上げた。これは、母親なき拙僧を育ててくれた婆様の話にて」と。
続けて拙僧「この婆様には拙僧、幼い頃から事あるごとに『博(拙僧)ちゃん、文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとるんだよ。建設的な意見を持たない、自分から動こうとはしない、ただの文句言いの文句は、雑音でしかない。特殊技能を必要とする仕事以外は、人が出来ている仕事は、必ず自分にも出来る。そこには上手、下手があるだけ。その上手、下手も、時間と周囲の支えが解決してくれる。将来、親になったら、これは覚えときな。躾(しつけ)はするものじゃないよ、躾(しつけ)は見せるものだよ。親は、まず動け、だよ』と度々拙僧に。波乱万丈の人生を歩んできた婆様の言葉だったから、拙僧にとっては、何よりも説得力があった。今日、君と会話した内容は、政界だけの話じゃない。どの分野の仕事(生き方)にも当てはまるもの。だけどくさ、君がこんな質問をぶつけてくれたお陰で、10日前に石破さんの話を書いた時の様に『石破バッシング』がまた、わっさわっさ、と拙僧のところに、やってくるんだろうな。が、しかし、バッシングする人が多いという事はくさ、期待してる人もそれなりに、おらっしゃるという事、かもしれないよね」と。
この法話は、10月中旬に書いたものです。10月27日の衆議院総選挙がどのような結果になろうとも、石破総理はそれを受け止めて、工夫して、前へ前へと進んでいくしかないですもんね。真言宗の理趣経の内容を簡単に説明すれば「やってくる縁は全て受け入れよ。それを超えた先に、何故にこの縁が私にやってきたのか、その理由が悟れる」と。石破さんだけではなく、私達も、ですね。
令和 6 年 11 月分 金剛寺住職 臨時法話
現在、日本には、約77000の寺院があり、その内の約20000寺院以上が既に、廃寺(住職不在)になっているとの事にて。そう遠くない将来には、その廃寺になる寺院が50000ヶ寺に達すると言われております。廃寺になる理由は様々あれど、以下に記載のものも、その要因の1つにて。
他宗の20代、30代の後継者さん達から拙僧、随分と相談を受けてまいりましたが、彼らが訴えるには「檀家さん達は、自分達の用事(葬式、相談など)がある時には『あれをしろ、これをしろ、どうにかしてくれ』と困った時だけの神頼みの様にお寺を使い回して。が、例えば、納骨堂修理などで寄付をお願いすると『我れ、関せず』と言わんばかりに知らん顔して横を。自分達のご先祖さんが眠っておられるのに。納骨堂は、購入のマンションと同義でしょ。加入者さん達が協力して修理を施していくが筋なのに。私達はこんな自分勝手な人達(非協力的な檀家)を、相手にしなければいけないのですか」と悔やんで拙僧に、その胸の内を。
ある宗団では、年収ですよ、10万円以下の寺院が10%で、年収50万円以下の寺院が40%であると。住職の給料、生活費どころか、お寺の水道光熱費、修繕代などの維持費にもならんと。『坊主丸儲け』といわれる寺院は、実際は、ほんの僅かの僅か、ですもんね。そこが目立ち過ぎてる事で、寺院全体がそんな印象(坊主丸儲け)に。拙僧の知っている他宗寺院(滋賀県)のご住職(80代)さんは「檀家さんが野菜やお米を持って来てくれた時だけ、人並みのご飯が食べられる。2日、3日、食べられない事も常にある」と言われておりました。こんな状況なら、潰れるお寺が出てきても当然ですよね。日本の寺院は今、大変な状況下にあります。後継者といわれる若者達は皆、生活が成り立たず、子供が育てられず、お寺を後継出来ずに、泣く泣く職種替えを。
話を戻しますが、その後継者さん達曰く「全国の廃寺(住職不在)になった寺院には当然、境内地の中にお墓や納骨堂があるところも。先祖に思いのない人達は、そのまま遺骨を放置し、納骨堂もお寺と共に朽ち果てていくもまた、よし、と。先祖に思いのある人達は、新たな寺院で納骨堂契約をするという事になりますが、初めから菩提寺に対し、協力的であったなら、新たな寺院で納骨堂を多額のお金を出して、契約する事もなかったろうに、と思うんですけどね。今、私のお寺の納骨堂に眠っておられる先祖さん達ですが、何の罪もない事は知っております。だけど、これ程までに檀家さん達が非協力的では、お寺の維持も生活も、成り立たないんです」と。
続けて、後継者さん達が「昨今は『寺院(その家の葬式、年忌法要を勤めてくれる菩提寺の事)など要らん。菩提寺が潰れようが、どうなろうが、知った事か。俺にとっては、なんの影響もないわい』という人達が増加を。ご住職(拙僧の事)の法話の中にある様に、病院に親の亡骸を貰い受けに行かない子供や、遺骨を火葬場に置き捨てて帰る子供、骨壷を野原や電車の中、生ゴミ置き場に捨てる子供など、私の周囲(地域)にもそんな事が起こっていると耳に入ってます。そこまではなくても、骨壷を押し入れの中に長年放置している家も。が、いつまでも、そのまま放置しておく訳にはいかないので、いずれはお墓か納骨堂に、となるのですが。まあ、でも、こんな人達は遺骨を海にでも持って行って、投げ捨てて来るんでしょうが。実際にそうする家も結構にあると聞きました。その様な家は、大半が家庭崩壊をしておるようですね。『ご先祖さんのバチが当たった』という事ではなく『躾(しつけ)はするものではなく、躾は見せるもの』ですので、親のその様な言動を見て育った子供や孫が、親の様な感謝の出来ない人間に育ち上がり、いつしか家庭が感謝の心を持たない人達(自分勝手)の集合体に。よって、自ずと自然崩壊の方向へと。勿論、そんな家ばかりじゃないですよ。ちゃんとした檀家もわが寺には、少なからずあります」と。
更に続けて、後継者さん達が拙僧に「住職(拙僧の事)のお寺の檀家さん達は、どうですか」と。「そうだね。わが金剛寺でも一昨年、水害で納骨堂がやられ、修理の為にご寄付をお願いさせて頂いたが、大半の納骨堂契約者さん達は、協力をしてくれましたが、知らん顔をされた契約者さんも、何家かはあったかな」と。「そうですか。住職(拙僧)のお寺でも、その様な檀家さんはおらっしゃるんですね。ところで、納骨堂の掃除なんかは、住職(拙僧)のお寺では、どうされておられるんですか」と。「毎朝(1年中)5時から、拙僧と息子達で境内と納骨堂を2時間ほど、掃除をさせてもらっていますが、11月の最後の日曜日に行われている『すす払い』の時には、納骨堂の契約者さん達に『せめて年に1度くらいは、納骨堂の掃除に来て下さい。ご自分達の大事な先祖が永眠されている場所なんですから。お墓を持っている人達は、年の初めの1月、春の彼岸、お盆、秋の彼岸、年の納めの12月には、御礼報謝として掃除に行かれているでしょ。納骨堂は、お寺が掃除するからしなくていいや、じゃないですよ』と、その様に言っております。勿論、その日に用事がある人や、体調不良(病気など)の人、ご老人達には、無理は言いませんが。聞くところによると、お寺さんによっては『納骨堂は、加入者であるあなた達が掃除をするが、当然の事でしょ』と、お寺側が全く掃除をしない寺院もあるとの事。まあ、それはそれでどうなの、とは思いますけどね。何か、様々、歯車が噛み合ってない様な感じがします」と。
続けて拙僧、この他宗後継者さん達に「わが金剛寺では、大半の檀家さん達は、多分に協力をしてくれておりますので、今のところはまだ、お寺の存続に関しては大丈夫ですが、世相の流れに飲み込まれないとは、言い切れませんよね。先日、ある知人の中学生が、亡くなった祖父に対する両親の扱い方を見て『住職さん、人間は死んだらゴミ捨てか』と言い放った言葉は衝撃的でしたね。実際に金剛寺でも昨今『年忌法要はしない。葬儀はしない』と言ってこられた檀家さんが、数家ありましてね。しかしながら、わが寺では納骨堂の契約書の中に『わが寺の納骨堂は、要らない物を捨てる場所に非ず。納骨堂を姥捨山状態にしたり、維持費未支払い、年忌法要拒否など、その様にされる檀家様は、退堂して頂きます』との条文が記されてありまして、契約者は皆、その契約書に署名捺印をされて、わが寺の納骨堂に」と。続けて拙僧「大半の納骨堂契約者様は、ご先祖さんを大事にされておられますが、そうでない契約者様には、個別に対面させて頂き、次の様な話をその檀家さん達にはさせてもらい、今後の身の振り方(菩提寺を変える)を決めて頂いております」と、他州の後継者さん達に。
規定を守れない納骨堂契約檀家さん達に拙僧「以前ですね、他寺の檀家さんが『私の家の菩提寺は、3月の納骨堂参りで牡丹餅をお供えして帰ったら、8月のお盆の時には、その牡丹餅がカビだらけで、そのままそこに放置状態。こんなお寺をどう思いますか』と拙僧に愚痴を言いに来られまして。対し、その人に『それはお寺さんは、あかんよね。だが、あなたも、あなただよ。3月から8月まで、1度も納骨堂に足を運ばなかったの』と返すと、気まずそうにしておられましたよ。世の中にはですね、枕経にも通夜にも来ず、テープのお経を聞かせるお寺(住職)さんもあるとの事。葬式の時には、儀式後に法話もせず、お経を相手にぶつけて終わり、さっさと帰る『ドッチボール住職』もいるとの事。枕経、通夜、葬儀で、最も大事なのは、枕経にて。ご臨終と言われて、約8時間は耳が聞こえているは、検証済み。この枕経は『あなたは人間を卒業したんだよ。彼の地に向かう心構えを』と故人に向けて言い聞かせるが、枕経にて。通夜、葬儀は、故人に向けての御礼報謝の勤めにて。この様に供養を重視してない、いい加減なお寺は世の中には結構ありますから、構いませんので、どうぞ、そういうお寺に移って下さいませ』と、年忌法要をしたくない、と申し入れてきたわが寺の檀家さん達には、その様に拙僧、言っております」と。
すると、この後継者さん達が「厳しいですね、住職は」と。返して、後継者さん達に「だけどね、その様ないい加減な檀家さんは、それほど問題ではないんですよ。本当に問題なのは、真面目な檀家さん側の方でね。『なんだ金剛寺は、年忌法要などしなくていいだろ、と申し入れたら、簡単にそれを了承する様な、そんないい加減なお寺だったんかい。将来、私達の子孫がそんな事(年忌法要などしたくない)を言ってきたら、それを簡単に了承して、私達はほったらかされるんかい。そんな住職のお寺に、大事な先祖を私達は預けているんかい』と、こうなるが最もまずい。寺院の存亡にまで影響してきますからね。それに、やはり、親や先祖を大事にしない家を見ておりますと、あなた達(他宗の後継者さん)の言われる通り、感謝という心がないもんで、家庭崩壊の方向にジワジワと、向かっておる様に見受けられます。そうさせない為にも、厳しくしている面もあるといえば、あるのかな。親や先祖を大事にしない昨今の世の中の傾向、止めなきゃね」と、他宗の後継者さん達と話を。
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