令和8年8月分 金剛寺住職法話集
毎月1日に投稿させていただいております法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人達など)の為に、コピーして配布させて頂いているものです。中には、拙僧法話を読んでいただいております社長さん達が、この1日法話をコピーして、社員さん達に配布しておられる会社も。そうした意味合いから、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんにおかれましては、どうぞ、スルーしてくださいませ。
【はじめに】
信仰といわれるものは、2500年前の釈尊以来、人間の生き方を説いているもの。が、先祖の供養といわれるは、信仰ではない。よく「私は信仰心がないから、先祖の供養はしない」と言われる人達がいるが、その考え方は大きな間違いで、命を流してくれた先祖に感謝をするは、当たり前の事にて。何百年前、何千年前の先祖とまでは言わないが、せめて、この世で縁のあった曾祖父曾祖母、祖父母、父母に対してぐらいは、感謝の心(供養)を手向けてもいいんじゃないか」と拙僧、檀家の人達には、その様に言っております。
令和 8 年 8 月分 金剛寺住職短文法話集
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7月(先月)中旬に投稿した法話を読まれた、拙僧の法話読者の老齢男性が「住職さん、戒名って、本当に必要なんですかね」と。この手の質問は、度々受けますね。対し、拙僧「そうですね、じゃ、戒名の意味するところを、少しお話しをしましょうかね。戒名が一般庶民に与えられるようになったは、江戸時代の後期からといわれていまして、わが寺の檀家の中には数家ですが、その頃(江戸後期)から令和の世まで、脈々と戒名が過去帳に残っている家がございまして、これは何を意味するかといえば、誰1人として親を粗末に扱った子孫が出なかった、という証しでして。その家は今、非常に栄えておりまして。『先祖を大事にするから、先祖の功徳が子孫に』と言いたいところですが、そんなんじゃないですよ、とまでは言いませんが、実際は、親に感謝する、親を大事にする、という心が、つまり、感謝出来る子孫が、延々と育ってきているという事にて。そうなれば、当然、栄えていてもおかしくはないでしょ」「まあ、そりゃ、そうですわね」と、その老齢男性が。
続けて拙僧「でもって、戒名がいるか、という質問ですが、建前で言えば『阿弥陀の世界(あの世)に、名無しの権平、で逝かせる訳にはいかないから、戒名を』という事になる訳ですが、拙僧においては、それよりも、というところがございまして。その江戸時代後期から過去帳に残っているという、わが寺の檀家の先祖さん達の戒名を見てみると、使われている漢字の中に、どんな家柄の人だったか、どんなの仕事をしてきた人だったのか、いつどこで亡くなった人だったのか、どんな生き様をした人だったのか、どんな性格の人だったのか、それがわかる、読み取れる、戒名になっているものが、少なからずありまして。子孫にとっては、わが家の先祖を知る事が出来る、何よりの資料になるが、戒名、という事に。そう考えると、子孫にとって残っている戒名は、ロマン以外の何ものでもないという事でして。拙僧は、俗名を『山本博文』と申しますが『山本博文位』では、何をした人なのか、どんな人だったのか、さっぱりわからん。自分のルーツ(先祖、命の流れ)を知ろうと思ったら、区役所に行って戸籍を調べるより、菩提寺に行って、戒名を見てみよ、ですばい」と。
すると、読者の老齢男性が「戒名授戒の意味は少しわかりましたが、でも、でもですよ」と。「ですよね、高額な戒名料の事でしょ。拙僧のお寺では戒名料は無料にしておりますが、寺院によっては、お寺を維持していく為の貴重な収入源になっているところも。因みに、戒名料が高額になっていったは、仕掛けたのは寺院の側じゃないですよ。戒名に使われる『院号』や『居士、大姉』ですが、昔は、お金を幾ら積み上げても、寺院に対し、余程の貢献をした人でないと、与えてはもらえなかったもの。貢献とは、寄付(お金)だけではなく、長い長い間、境内地の掃除をされたとか、度々お米や、お野菜を奉納されたとか、お寺の法要やその他の行事の手伝い(裏方で接待準備)を献身的にされたとか、ですね。それが昭和に入り、成金という人達が世に出てくる様になってから、戒名の授戒に変化が出てまいりまして。戒名を見ると、その人が自分の為(強欲)だけに動いた人か、人の為(奉仕)に動いた人かが、一目瞭然なんです。葬式の時に子孫が『父は世間的に地位も名誉も財産も。この字数少ない『院号』なき戒名では、世間体が悪い。何とかなりませんか』と住職に『院号の授戒』を嘆願。対し、住職が『お寺に何の貢献もしてない人に『院号』などを与えたら、貢献して『院号』を授かった他の檀家さん達から、文句が出るは必定。どうしても世間体を気にされるなら、他の檀家さんから文句が出ない様に、それなりの姿勢を見せなさい』が、戒名料が高額になっていった経緯にて。つまり、戒名をもらう側の見栄から始まったもの。ところがそれをお坊さんが逆手に取って、超高額な戒名料に。が、わが寺だけでなく、戒名料を取らないお寺さんも結構に多いですよ。まあ、何にせよ、こんなに戒名料が高額になったら『戒名なんていらない』という人が増えてきても、仕方のない事ですよな」「そういう事だったんですね。だけど、戒名が『100年後の子孫の資料(ロマン)になる』なんて事を聞くと、考えさせられますな」と、この老齢男性が。
これは余談ですが、日本人の平均寿命は、縄文、旧石器時代が、15歳前後と。古墳、弥生時代が、20歳前後と。飛鳥、奈良、平安時代が、30歳前後と。鎌倉時代が、25歳前後と。室町時代が、15歳前後。室町時代はやはり、応仁の乱を皮切りに戦国時代へと流れていったが、大きく影響したんでしょうね。安土桃山時代が、30歳前後と。江戸時代は、40歳前後と。明治、大正時代が、45歳前後であったとの事。昭和30年の頃は、65歳前後で、平均寿命が80歳を超えたは、平成の時代に入ってから。戦時中の昭和20年前後は、30歳前後に。この時、平均寿命が下がった理由は、戦没者(兵隊さんも含む、戦争犠牲者)によるものでしょうね。思えば、大戦でボロボロにされたこの国(日本)が、昭和20年(終戦の年)から昭和43年の僅か23年で、世界第2位の経済大国に。日本人の努力、勤勉さが、伺える事例ではありますが、何といっても、その時の最大の功労者は、5人、10人と産んで育ててくれた女性陣の働きにて。それも、世界第2位の経済大国に押し上げる事の出来る、素晴らしい人材を数多く育て上げた、という事ですもんね。武田信玄公が言われたとされる『人は城、人は石垣、人は堀』は、真理の中の真理。国を支えるその『人』というが現在、この国は段々と。
長くなってすいませんが、もう少しだけ、お付き合いを。面白い話が舞い込んできましたので。檀家の爺様が「住職よ、先日な、凄く心根の優しい孫(高校男子)が『爺ちゃん、これから先の夏は、暑くなる一方だから、春先か、秋が深まって、雪が降る前に死なないと駄目だよ』と。『突然、何や』と聞き返すと『夏なんて時期に死んだもんなら、爺ちゃん、年忌法要(立ち日か、立ち日近くで法要、3回忌、7回忌、13回忌、など)をしてもらえないかもしれないよ。うちの親(爺様の子供)なら、そんな事をやりかねんからね。今から先は、わが家に限らず、死ぬ時期は大事だと思うよ。それと、死に顔は安らかな表情でないとあかん。うちの親(爺様の子供)の脳裏に、焼き付けとかにゃならんから』と。確かに、間違いないや、と思ったわい」と。対し拙僧「面白いお孫さんですね。まあ、しかし、生きるも大変だが、死ぬのも大変ですよね」と。
さて、この話も余談ですが、昨年の3月、春の彼岸中に納骨堂参りに来た檀家の高校生が「住職、春のお彼岸が来ると、僕は死んだ爺ちゃんの事を思い出すんだ。数年前、ちょっとした事の積み重ねで、父親に嫌悪感を抱く様になって、事ある毎に反抗を。そんな僕に爺ちゃんが『間もなく、お前の父さんは、父親(この高校生の爺様)を失う事になる。不憫な奴だ。爺ちゃんが死んだ後、今後はお前(この高校生男子)が、わしの代わりに、あいつを守ってやってくれんか』と。末期癌だった爺ちゃんは、僕達父子の関係に、心を痛めてたんだな、と。死んだ爺ちゃんに、心配掛けちゃいかん、とその後は、父さんとの関係を少しずつ改めていったんだ」と、この高校生が。これもまた、霊魂の存在(あの世の爺様)を信じているからこその、行動だったのかな、と。
最後になりますが、戒名といえば、これは余談ですが、90歳越えの檀家爺様から拙僧「住職よ、戒名は、生前戒名という言葉がある様に、生きている内にもらうのが本当なんだろ。わしにも授けてくれや」という要望を受け、奥様(婆様)に「これまでの爺様の生き様で授けるけど、それでよかかい」と尋ねると「ご存分に」と。よって拙僧「天寿院好色一代居士位、で、どうだい」と授けると、爺様は絶句、婆様は大爆笑。読者の皆様の推察通り、この爺様ですが、数えきれないほど女性と浮気を。すると爺様が「こりゃ、まずい、まずいぞ。後世の子孫達から『この人、余程のの好きものだったんだね』と笑いもんになる。なんとかならんか、住職よ」と拙僧に嘆願するので「爺様は、これから数年は生きるだろ。その間、婆様を大事にするかい。するなら『天寿院伴侶一筋居士位』にしてやってもいいよ」と言うと「約束する。約束するから、どうか頼むばい」と爺様が。拙僧は住職の仕事で何が最も好きかと言えば、戒名を授ける事かな。因みに、わが寺は戒名料は無料にて。
令和 8 年 8 月分 金剛寺住職 臨時法話
早いもので、今年の8月12日は、日航機123便が墜落(1985年)して41年になりますね。拙僧、実は事故の1週間前にこの便に乗っておりまして、大学生時代でしたが。8月12日にお寺でお盆準備をしている時「日航が落ちた」とテレビで。だいたい、飛行機は大嫌いで、余程の事がない限り敬遠しておりましたが、この事故以来、全く乗れなくなりましたね。坂本九(大島九)さんは、広島から直接大阪に入る予定が、急遽東京で仕事が入った為に、戻って仕事を済ませ、この便に搭乗されたとの事。逆に、明石家さんまさんは、本来はこの便に乗る予定が、番組『オレたちひょうきん族』の収録が早く終わった為に、123便をキャンセルして、1本前の便で大阪へ飛んでいたとの事。それ以来、新幹線で行ける所は、新幹線を使う様になったと。さんまさんの座右の銘『生きてるだけで、丸儲け』は、自身も命を落としていたかもしれない、この事故がきっかけで生まれた言葉だそうで、娘•のI MARUさんの名前の由来にも、なっているとの事ですもんね。
他にも、乗る予定で乗らなかった著名人は、東ちづるさんや笑点の大喜利メンバー、三遊亭圓楽さん、桂歌丸さん、林家木久蔵さん、林家こん平さん、三遊亭小遊三さん、三遊亭楽太郎さん、山田隆夫さんなども。また、ジャニー喜多川さんも搭乗予定だったが、11日(事故前日)に変更して、近藤真彦さんの舞台応援の為に大阪へ入っていたとの事。この事故で520名が尊い命を落としましたが、あの大惨事の中でも4名の人が、奇跡的に九死に一生を。後に4人の生存者の方々が、墜落直後は何人もの人の声が聞こえていたと。救助が早ければ、助かった命もあったのではないか、と言われていましたね。拙僧はこれまでに1000人以上の葬式と、それ以上の人の『生き死に』に関わってきましたが、その範疇で思う事は『人間は寿命』という事ですかね。こんな言葉で片付けられない事は、重々わかってはおりますが、しかし、こんな仕事(住職の仕事)をしておりますと「ジタバタしたって、人間、死ぬ時は、死ぬ。死にとうても、死ねん」を日々痛感しております。
人間は寿命、と思われるわが寺の事例ですが、檀家のご主人が出勤で、家を出た数十メートル先の信号で、車に引かれて絶命された事がございまして。家を出る時に奥さんから「ちょっと、あなた」と引き止められ「あっ、何や」の返しの数秒があれば、ご主人を引いた車は通り過ぎていたはず。何故、ピンポイントでそこにいなきゃならなかったのか。これに似た様な事故で、他界された50代男性も檀家の中におられました。外回りの仕事で会社を車で出るが、数秒早いか、遅いかで、大型トラックからの衝突を回避出来ただろうに、と。そう考えたら、さんまさんや笑点のメンバーの方々は、寿命があった、という事なのかな。まさに『今ここに、命があるに、何不足』ですよね。『1日一生(今日のこの1日がわが命)』という言葉もありますが、人間は誰1人として、明日の命を約束されている人はおりません。皆、自分だけは死なん、と思っとる様ですが。わが寺の檀家さんには、40歳前後で『朝、布団の中で死んでいた』という男性が6人います。ドクターの診断は、心不全でしたが、皆、恐らくは過労死だったのではないかと。休みなく働いていた人達ばかりだったので。人は死ぬまでは、生きとかにゃならん。なればこそ、今ここにある命を、無理(無駄)に過ごしてはいけないですよね。
この時期になると、方々から「住職は、よく東京へ仕事に行かれてますが、その折り、靖国神社に行かれる事はあるんですか」との質問を受ける事が。対し、拙僧「東京九段の近くに行った時には、必ず参拝してますかね。戦死された人達(国の為に戦ってくれた人達)のお陰で今、私達は平和な国で生活させてもらっている訳ですからね」と。するとすかさず「A級戦犯が祀られているのにですか」と返してくる人達が。対して拙僧「その事でやたらに噛み付いてくる人達がいるから、あまり答えたくはないんですが、A級戦犯って、外国の人達が言ってるだけなんじゃないの。日本人で彼らをA級戦犯と思っている人って、どのくらいいるんだろうね。人間は、知識、知恵、経験、年齢が増していけば、自ずと考え方も変わってくる。今現在、正しいと思っている事も、10年経てば考え方は変わる。なればこそ、人の考えを否定するは、やめたほうがよかですよね」と。
拙僧、靖国神社に対するこの問い掛け者達に「この時期になると、いつも思うんですが、第二次世界大戦後、ドイツは東西に分類されましたよね。近年、ベルリンの壁は壊されましたが、いまだに国民間は燻っているとの事ですもんね。欧州(ロンドン)に25年以上在住の、英国人に嫁いだ妻の妹がドイツの事について『ドイツの知人を見ていると、まだ、わだかまりが消えてない人達も、中にはいるんだよんね』と、その様に言ってますもんね。大戦後は、朝鮮国も南北に分類され、いまだに国同士は、いがみ合いをやっています。なれば、日本も敗戦国ですので、大阪、名古屋辺りで東西に分類され、東日本国、西日本国、とされていても、仕方がなかったはず。そうなっていたら、今頃、日本は、どうなっていたでしょうかね。でも実際は、そうなってはないでしょ。恐らく、当時の戦争関係者の誰かが、そうならない様に懸命に尽力されたんじゃないのかな、これは憶測ですよ。何にせよ、戦争はしない方がいいに決まっとるが、人間に欲がある以上は、ですね」と。
続けて拙僧、この問い掛け者達に「世相の流れを止める事は、非常に難しいですよね。SNS内での世相の流れは現在『見知らぬ人のつぶやきを、自分の目と耳で確かめもせず、何でも鵜呑みにして、こいつはこうだ、と決め付けて、一緒になって攻め立てる、正義感の暴走者』となっておりますが、これを食い止める事は、なかなか出来ないでしょ。その時期に、その場面に、直面した人達でないと、わからない事ってありますよね。人がそう動くからには、そう動くだけの理由というものが、必ずありますよね。80年経って、嘗ての戦争を知らない、経験してない人達が、書物でしか知識のない、ただの『物知りさん』達が『ああじゃ、こうじゃ』と騒ぎ立ててる様ですが、いやはや、何とも言いようがないですな。田中角栄元総理が『戦争を知ってる世代が、政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が、政治の中枢となった時が、とても危うい』と言われてましたよね。この言葉は非常に重く、深いですよね。何にしても、経験というは、非常に大事かな。知らない事には、口を出さないが利口かと」と。
戦争といえば、20年程前に他界された檀家の爺様(行年94歳)の事が、この時期(盂蘭盆)になると、いつも脳裏に浮かんできます。毎年8月15日になると「住職(拙僧の事)よ。馬の供養をしてくれんか」と必ず、お寺へ足を運んで来てましたね。その爺様曰く「わしは戦時中は将校で、最前線部隊を率いていた。兵隊(部下)の中にも色々いてな。刺青を入れた威勢のいいのに限って、明日出陣という夜になると、隠れて醤油をがぶ飲みして、故意に体調を崩し、居残れる様に仕組んでいたわ。常日頃、物静かな人間に限って、いざという時には勇気があったな。早朝出陣した50人程の兵隊(部下)が、夕方には半数以下になっとる。チューンと音(鉄砲の)がしたら、横でバタっと倒れるんじゃ。部下が死んでいくも辛かったが、わしが最も辛かった思い出は、わしの足となって働いてくれていた白馬じゃ。前足を敵の鉄砲の弾にやられてな、苦しみながら死なせるが忍びなくて、眉間に鉄砲を突き付け、引き金を、• • • 」と、そこまで話すと、いつも口が止まって、肩を振るわせて涙を。戦争体験者の話を聞く度に、今のこの国の平和があるは、と考えさせられますよね。
さて、これは余談ですが、拙僧が幼い頃、育ての親(拙僧の両親離婚で母不在)の婆様が「お盆が終わったら、朝晩が涼しくなるだろ。それはご先祖さん達が、お盆で供養してもらったお礼に、朝晩だけでも涼しくしてあげようと、暑さを持って帰ってくれてるからだよ」とその様に言っておりましたね。このお年寄りならではの『情緒ある言葉』に対し、拙僧は幼い時期から「これが、嘘か本当か、など、どうでもいい」と。お盆が来る度に、この言葉が聞けるのを楽しみにしておりましたね。『先祖に守られているんだ』という感じがして、非常に心地がよかったものです。また、婆様は「赤とんぼの赤い色は、ご先祖の血の色でな。とんぼの頭にご先祖が乗って来るから、捕まえたらいかんのだよ」という言葉も幼い頃の拙僧に。いやあ、懐かしいですな。婆様は早いもので、今年で33回忌になります。恩返しの為に毎年、祥月命日(立ち日)には、年忌法要(29回忌、30回忌、31回忌と)を勤めております。生きていたら、115歳になりますかね。拙僧はこの身が息絶えるまで、婆様に育てられた恩が消える事はありません。生きている間は、ずっと恩返し(供養)ですね。
次回の投稿法話は、8月5日になります。
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