令和4年7月分 金剛寺住職法話集

陣中(コロナ自粛奮闘)お見舞い申し上げます     7月分手紙  

親の年金で飯を食ってる高学歴ニート君が「憲法9条改正など言語道断だよ。『米国が日本から撤退したら、この国の防衛はどうなるんだ』という人がいるが、そんな荒唐無稽な議論をしても始まらん。そう思わんね、住職さん」と。「そんな事より君は、ご両親が同時に事故かなんかで亡くなったとしたら、どうやって飯を食っていくんだい」と。対し、高学歴ニート君が「そんなありもしない事を聞かれても。仮にあったとしたら、生活保護の申請を受けるだけだよ」「持ち家と貯金があったら、申請は通らないよ」「貯金がなくなったら、家を売ってお金を作って、そのお金が底を付いたら、申請すればいいだけの事。それより、親は死なないよ。俺が70歳になるまでは」と。「ほう、そうかいな」と拙僧。これで会話は切り上げたが、全てが他人任せなんだよね。自分で何とかしようなんて考えは、欠片もないようだ。どこぞの国、日本みたい、とまでは言わないが。限りある物は、いつかはなくなるんだが。日本人が全員、そうだとは言わないが、他国に比べ、危機管理能力が欠乏してるは、否めないかな。平和だもんね、日本は。数年前にこんな事が。交換留学で米国に訪れていた高校生が、ハロウィンで仮装した姿で、間違って無関係の家に訪問し、そこの家主に射殺された。射殺した男性は恐怖から「フリーズ(動くな)」と忠告したのだが「プリーズ(こっちへ)」と言われたと勘違いして近寄ったが為に。殺される前に、殺さなきゃいけない環境で住んでいる人と、そうでない日本人とでは、根本的に危機管理の意識に差が出てきて当然。檀家の中にも同様の経験をした若者(生存)が。米国では毎年の様に銃による惨事が。「なら、銃社会を潰せばいいじゃないか」と、能天気な事を言う日本人達が。これだけ銃が社会に浸透していて、今更、銃を放棄(撤去)する事など、絶対に無理。銃は自分の命に直結の問題にて。対し「じゃ、住職は、銃社会がいつまでも続いていいと言うのですか」と文句言う人が。「銃を放棄(破棄)しなさい」と言われ、隠し持つ者が1人も出ず、全ての人が従うのなら、銃社会根絶も夢ではないが。日本でさえ、一定の人達がドンパチを。米国では禁酒法時代、闇酒で大儲けしたアル・カポネが「百の講釈より、玉1発」と裏社会を支配。商売になるとわかっているものを、人が手放すはずがない。法律では限界があるとはわかっていても、法律を厳しくする以外に方法はない。因みに、日本が銃社会にならなかったは、豊臣秀吉公の『刀狩り』のお陰が大、と言われる専門家達も。一旦、社会に出回ったら、もう取り返しがつかない。人は1度手に入れたら放さん。核廃絶もそう。世界で決定されたとしても、隠し持つ国が必ず出てくる。正直に核廃絶した国が馬鹿を見る事になるだけ。理想と現実を、混同させたらあかん。すると読者が「では住職は、人類から『核兵器』を根絶する事は永久に出来ないと」「はい。絶対に出来ない。石川五右衛門さんが時世で『浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』と。これが真実。『核兵器を使わせない為には』を、工夫していくしかない。使うは国じゃない。使うは人(トップ)にて。危機管理能力の欠乏といえば、こんな話も。刑事ドラマ好きの知人が「麻薬調査のガサ入れで、袋を少し破り、小指に付けて、舌で確認を。あの場面がプロを感じて、好きでね」と。「袋の中の白い粉が、青酸カリだったら、どうするの」「あっ、そうか、危ないよね」「あれはドラマの中だけの話だと思うよ。実際は舌に付ける事はないと思うよ」と。

【追伸】

拙僧の法話読者が「私の子供(男子)は小学生。最近、国会討論を好んで見る様に。きっかけは、住職の法話だよ。野党が与党に『原発にロケット弾を撃ち込まれたら、防ぐ方法があるのか』に対し、住職が『自分で考えたら、わかろうもん。防げる方法があるなら、言うてみい』と。子供が『国会討論は、笑える。面白い』と、いつも楽しみにしてるんだよね」と。少々反省。考えて法話しなきゃ。また、別読者が「私の子供は13歳ですが、やはり、国会討論を好んで見ており、何かブツブツ言っております。『何を言ってるんだ』と尋ねると『内容がわかりやすくて、突っ込みどころ満載だから、頭の体操と、ストレス解消になる』と。んんっ、本当は深刻な問題を討論しておるんだが、と微妙な気持ちに。が、先日、その息子が『常識が通じない国に領空、領海、侵犯される度、日本は『遺憾、遺憾攻撃』や『看過出来ない、出来ない攻撃』ばかり。看過出来ないなら、じゃ、どうすんだよ、こんだけ舐められて。自分達の法律(憲法9条、専守防衛)が、自分達の首を絞めてるのに、なぜ変えようとしない。国力は対等でないと、喧嘩の回避は出来んのに。命の問題だぞ』と。ほう、と思った」と。

【菩提寺問題。先祖供養問題】

昨今、一部ではあるが、家の継承者の男の子がいるのに、お墓を潰したり、葬式もせず、病院から直接火葬場に遺体を持って行き、火葬場に遺骨を捨て置きしたり、火葬場から一旦、家に遺骨は持ち帰るが、埋葬許可証を抜いて(住所氏名が記載されてるから)電車や野原、とんでもないのになると、家庭生ゴミ置き場に捨て置きしたり、と。こうした行為自体だけを見ると「産んで育ててもらっておきながら、親に何という仕打ちをさらすねん」となるが『そうされても仕方がない親』を含め、人がそう動くには、そう動くだけの理由があるというもの。その1つの要因としては、子供にとって負担になっている、という事かな。例えば、今、わが寺では、次の様な整理をして、子供の負担を少しでも失くそうという取り組みをしている。ある家庭の場合、両親はわが寺の納骨堂に。が、この両親の子供は2人とも女性、2人ともが他府県在住。年忌法要の度にわが寺に足を。嫁いだ先の菩提寺の納骨堂に移骨すれば、お盆参りも、彼岸参りも、1つのお寺に足を運ぶだけで事が済む。「足を運ぶは、負担ではないから、2つのお寺の縁があってもいい」という子供さんもおられるが、孫さんの代になるとそうはいかない。「何で2つのお寺に、足を運ばにゃならんのか」と、いつかは負担になって、親の遺骨を火葬場に置き捨てるという行為に繋がってくる。子孫にそんな親不孝をさせる事によって、命の流れに感謝の出来ない子孫が次々に育ち、気付けば、昨今の様な希薄な日本に。先に生まれた者の責任は非常に大きい。そうさせない様にしておく事が親の役目にて。諺の『立つ鳥跡を濁さず』とは、そういう意味合い。また、この様な家にも拙僧、菩提寺替えを指導。娘さんの旦那が、結婚10年目にして婿養子を突然に承諾を。それまでこの家は、わが寺を菩提寺に。が、娘婿が養子に入ってくれたお陰で、娘夫婦の子供(息子)が家を継げる事に。この家の本家(兄達)には、男の子が1人も。そこで、その家に拙僧「本家の菩提寺(納骨堂には親の遺骨)を、貴方のこの家が継承する様にしなさい」と。この家の人達は渋ったが「離檀料、永代供養料、様々な経費、子孫の負担減少を考えた場合、本家の菩提寺を受け継ぐが正解にて。わが寺は離檀における費用は一切請求がないから、安心して菩提寺替えを」と指導を。因みに、もう1つ、大きな理由があるとしたら、信仰団体の増え過ぎもまた、そうなってきた要因かな。日本における全ての宗教法人数(神道、仏教、キリスト教、諸教)は、総数にして約18万法人。「わが宗でないと救われん。こっちへ来い」などと勧誘(信者の奪い合い)し、その家が代々世話になってきた菩提寺を裏切らせる、という行為をさせてきた結果が、この国の今を作り上げてきたのだと思う。1度、人を裏切った人間は、何度でも裏切りよる。そう考えてみると、宗教界の責任は、非常に大きいですわな。

【追伸、追悼】

上島竜兵さん、ご冥福をお祈り申し上げます。また1人、惜しい人材を亡くしましたね。さて、「自死は永久に浮かばれない」との風評が世間にはあるが、あれは、単なる方便(嘘)にて。江戸時代に近松門左衛門が『曽根崎心中』を発表。その影響で当時、心中が連鎖反応を。それを止める為に、当時の高僧達が方便で「自死は、地獄行きぞ。2度と浮かび上がられん」と。それが功を奏し鎮静を。その方便が現在まで残っているだけ。自死も寿命にて。哀しく去って逝った人に、更に追い打ちを掛ける様な『祟りを及ぼす。悪霊、化け物になっとる』などと、何の根拠もなき言葉を向けたらあかんで。以ての外にて。故人を愚弄するのも、大概にせにゃ。

【追伸】

拙僧の法話読者から偶に「人の人生とは、一口で言えば、どんなものですか」と問われる事がある。対し、拙僧「人生は、蝋燭(ろうそく)の様なもの、かな。誰かに火を着けてもらわなければ、自ら自力で灯る事など出来ない。火が灯れば、今度は、自然と火が消えるまで蝋燭は、自らの身を削りながら、周囲を明るく照らしながら、一生を過ぎていかにゃならん。本体が無くなるまで、火を灯し続けていく蝋燭もあれば、途中で風(不慮の事故)に吹かれて、火が消えてしまう場合もある。いずれにしても、寿命にて。この蝋燭(ろうそく)と同じく、線香もまた、火を着けてもらい、身を削りながら、周囲に香の香り(癒し)を与え続ける生涯を過ごしていく。寺院仏閣や、各々家の仏壇に、蝋燭や線香を灯すは「あなた達は、こういう人生を、送っておられますかい」と、仏様や、ご先祖様からの、問い掛け、と思った方がよいかな。


令和 4 年 7 月分 金剛寺住職(コロナウイルス関連)短文法話 【その28】

檀家参りに伺うと、爺様が「東アジア諸国は、日本に対して言いたい放題だな。どうにかならんか、住職」と。「諸国は『何を仕掛けても、何を言っても、日本は怒らん』と思ってるんだろうね。政治家は『遺憾攻撃』だけだし。政治家は当てにならんから、国民が嘘でもいいので、本気で怒る姿勢を見せた方がいいかも」「本気で怒る姿勢を見せたら、諸国は考え方を変えるかな」と。「アメリカ、イギリス、フランス相手に、四つに組んで世界大戦を。ドイツが降伏した後も、日本は。天皇陛下が幕を引かなかったら、本土決戦の覚悟まで。知能は高いし、勤勉だし、真面目だし、こんな国民を本気で怒らせたら、と諸国も一目置いていると思うよ」「そうだよな。日本人には、知識、知恵、勤勉、真面目、という基礎が。こんな基礎(底力)を持った人間が本気で怒ったら、怖いよな」と。「ボクシングは昔、不良の力試し。チャンピオンになっていったは、元不良の人達が主流。が、井上尚弥さんの出現で、それが一変したよね。幼い頃からしっかりと、ボクシングの基礎を身に付けた人に、不良(ただの喧嘩屋)が太刀打ち出来なくなった。この井上尚弥さんのお陰でボクシングも、野球、サッカーと同じく、ただの殴り合いの競技ではなくなり、スポーツとして子供達の夢になってきた。日本も底力を本気で付ける方向に、舵を切って行った方がいいと思うが。番組『僕らの時代』で、那須川天心さん、朝倉未来さん、朝倉海さん、が対談を。そこで天心さんが『路上ファイト(喧嘩)は、1回もやった事がない』と。井上尚弥さんと同じく、他の格闘技も本格的なスポーツの時代に入ってきたみたいだね。これが完全に根付くまでには、まだ、時間が掛かるだろうが。嘗て、中村勘三郎さんが『若い人達はすぐ、型破りをやりたがるけれど、型を会得した人間がそれを破る事を、型破り、というのであって、型の無い人間がそれをやろうとするのはただの、形無し、です』と。人間が持つ、知識、知恵、経験もそれにて。身に付ければ、付ける程、思考も深まり、視野も広がる。どの分野も本物が少なくなってきた今、井上尚弥さんは、ボクシングでそれ(基礎の大切さ)を世界に示してくれたかな。現在、ウクライナで戦争があってるが、こうした戦争で産まれた技術が転用されて、便利な生活道具になった物は、少なからず。電子レンジ、腕時計、携帯電話、デジタルカメラ、ティシュペーパー、缶詰、ロケット、など。原子炉も、そうかな。軍事技術は厳格な規格が定められている為、それを利用すれば、人類の平和、発展に繋がる。使い方次第だよね。混沌とした、希望なき世の中にあっても、基礎を固める事で本物が産まれてくる。井上尚弥さんの生き様が、人類に与えた影響は大きいかな。当に、見るもの、聞くもの、全てが教訓にて。

【プロと言われる人達】

檀家で柔道の有段男性が「嫌がらせを後部座席から、ずっと続けてきた男性を、タイソンさんが、とうとう爆発を。何度も殴り付ける映像が世界中に。住職は、あれ、どう思いますか」と。「その映像、見たよ。タイソンさんだが、初めのうちは前方を向いたまま、苦笑いで、言われっぱなしに我慢を。あの嫌がらせ男性だが、何か別の目的があったんじゃないのかな」「別の目的って、何ですか。やられた後の保険金(示談金)、狙いかなんか、ですか」と。「わからんけどね。米国は訴訟の国だからね。タイソンさんの試合は、あの嫌がらせ男性も、少なからずは見てるはずでしょ。タイソンさんと知って、ちょっかいを掛けてるんだから。ヘビー級のボクサーをたった1発でダウンさせるパンチ力を持つタイソンさんに、ちょっかいを出すんだから、それなりの目的がないとやらんでしょ。普通なら怖くてそんな事は、と思いませんか。大怪我に見合うだけの利益でもないと」「手加減まで計算してたのかも、ですね。報道番組でやたらに『世界1のボクサーが、あんなに何度も殴ったら、危ないと思わないのか』と言ってたが、本気で殴ってる訳がないでしょ。ヘビー級のボクサーを1発で仕留めるタイソンさんだよ、老いたりとはいえ、その威力は。だけど、住職。自分も有段者なんだよね。あんな場面に私も、1度出会った事が。その時は、笑って対処したが。実際は、我慢にも限度があるんだよな。そんな場合、どう対処すれば、正解なのかな」「難しい問題だよね。それこそ、法律で明確にしてもらわないと。言いたい事(自論正義)を言う人達も、世間には数多にいるもんね」と。因みに、拙僧の中学時代の友人は空手3段。街で不良に絡まれると、一目散に逃げていた。理由を聞くと「大怪我などさせたら、まずいだろ」といつも、笑いながら。

【プロと言われる人達】

他宗住職さんが「映画『浅草キッド』で北野武さんの師匠が『芸人は、笑われるな。笑わせるんだ』と。これは私達、信仰の世界でも同じですよね、住職(拙僧)」と。「拙僧もわが寺の僧侶さん達には度々、法話は、聞いてもらうんじゃない。聞かせるんだよ。この信念がなければ、聞いてはもらえないよ。僧侶は、素人じゃないんだから」と。「ご住職(拙僧)のお寺の僧侶さん達には、法話をさせる時、原稿を書かせてるんですか」と。「法要終了後に『今から法話』と唐突に1名を指名します。ぶっつけ本番です。頭が空白の状態で法話が始まれば、必ず懺悔から話し始めます。数百人の前で話す場合には、仕方がないから原稿を書かせる事もありますが、法話本番直前にその原稿は回収します。利き手の顔を見ず、下を向いたまま、原稿の棒読みでは、人が心を向けますかいや。『1時間話せ、2時間話せ』と突然言われて、話せない様じゃ、プロの僧侶とは言えんでっしゃろ。何の世界(職種)でも、素人さんから仕事に対し、指摘をされる様では、プロの仕事をしたとは、言えないよね」と。この他宗住職さんが「住職は受けた講演会で、最も長時間話したは、どれ程ですか」と。「某中学校の講演で、60分の依頼が、4時間になった時かな。質疑応答まで入れると、6時間を超えましたね。原稿などあっても、何の役にも立ちません。そのかわり、法話の中の言葉を切り取られたら、炎上は間違いなし。が、そんな炎上話の方が、絶対に面白い。昨今日本は、文句の言い過ぎ。恐らく、文句言いという人達は、暇を持て遊んでんでしょうね。何か1つでも打ち込めるものを持てば、人の粗など探す暇はないと思うんだけどな。文句の対象の大半は、自分の心の中で処理をしようと思えば、処理出来るものばかりだと思うが」と。昨年の暮れ、Mー1王者に『錦鯉』さんが。この大会は、企画した島田紳助さんが、出場の期限をデビューから10年と設定。『その期間で準決勝までいかなければ、もう見切りを付けて、別の道(仕事)に方向転換しろ』との優しさから、だと。夢を追ったまま、人生を終わらせない為に。夢を追う為には、必ず誰かの支えが必要。その支える人の人生も考慮して。

時に、人によっては、お笑いを軽視する人達がいるが、世の中に笑いを提供する為に、大人が真剣に、真面目にふざけている姿は、素晴らしいよね。法話でもそうだが、人の心をひきつけるって、そう容易いものではない。世の中は需要と供給の世界。笑いが必要でない人は、見なきゃいいだけ。如何なる職業も、否定される様な職業はない。北野武さんの師匠は「笑われるなよ。笑わせるんだ」と。皆、プライドを持って、人生を。

【おまけの話】

檀家高校生の優秀君が「住職。何で日本は近代歴史を、学年末に早足で終わらせようとするんだろ。間違いなく平成、昭和、大正、明治の歴史の方が重要でしょ。『こうなった理由は、このしてきたから』の『こうなった理由』から逆戻りして勉強していかないと。現代人は竪穴式住居で暮らしている訳じゃないんだから」と。この優秀君に「拙僧も40年以上前、高校の日本史の先生に同じ事を言った事があったかな。『近代史に時間を掛けたくない国家の事情でもあるのかな』と。最近でも、教育委員会に呼ばれて講演した時に、その事(近代から過去に向かって勉強を)を先生達に。明智光秀公1人とっても、昨今、山崎の戦いで死んではおらず、関ヶ原の戦い当日に、徳川軍に加勢の為、参陣中に川で溺死との資料が、某寺院で発見されたと。これもまた、どこまで信憑性があるのかは、わからんが。資料を書き残した者が、都合のいい様に記したのかも。どちらにしても現代人が、数百年前に戻って確認する訳にはいかないんだから。歴史は、ロマンの域から脱する事は、未来永劫ないだろうからね。それよりも、近代の歴史の方が、より重要じゃないのかな」と。因みに、イルカとチンパンジーが人間に近いと言われる理由は、凶暴性という事らしい。同族同士で『虐めや、殺し合い』をすると。嘗て、某信仰団体が27年前、化学兵器(サリン)を使って、東京地下鉄日比谷線に。多数の人を傷付け、世界中を震撼させた。今現在でも、その後遺症に苦しんでおられる方々が。当時、その教団をわが寺の僧侶達も相当に非難したが、拙僧はそれに対し「この事件は絶対に許されるものではない。だが、日本中、世界中の信仰関係者は、人は殺めずとも、人を傷付けたり、騙したり、嘘を付いたり、脅しを掛けたりして、人を惑わした事は1度もないと、心に誓って言えるのかな。見るもの、聞くものは全て『あなたは、どうなんですか』と自分に問い掛けられているものと思って受け取らないと、明日は自分がやらかす事になるよ」と当時、わが寺の僧侶さん、檀家さん達に。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。