令和4年11月分 金剛寺住職法話集

陣中(コロナ自粛奮闘)お見舞い申し上げます     11月分手紙  

早いもので、あと2ヶ月で今年も終わりますね。願わくば、プーチンさんが暴走せにゃいいが、と思っております。今年は7月から、安倍元総理の話題一色となりましたが、次の様な話も入ってきました。

檀家爺様が「番組『ネタバレ』で『アベのマスク』の話があった。経産省出身の秘書官が安倍総理に『中国で発生のウイルスですが、日本にも必ず、と予想した業者が桁違いのマスクを輸入、買い占め、街に出さず状態に。恐らく先で大変な事に。私に任せて下さい。国民1人1人に配るマスクを考えます』と。これが経緯だったとよ。が、国がマスクを国民に配ると発表すると、買い占めてた業者が『これはまずい。売れなくなる』と慌てて一斉に小売店に流出。業者の買い占めで、街に全くマスクがなかった時には『有難い』と国民は国の無料マスク提供に感謝を。が、マスクが街に氾濫した後で、急ぎ作ったアベのマスクが遅れて世に出ると『何だ、このマスクは』と国民は猛烈に批判し、急激に支持率が低下したと。『動きゃ、叩かれ。動かにゃ、叩かれ』か。政治って、難しいよな、住職」と。「その番組なら拙僧も見たよ。マスクを発案、実行した秘書官が謝ってきた時、安倍さんは『君の言った事は、全く間違ってなかった』と、一切責任を問わなかったそうだね。そして、最後の最後までそのアベのマスクを着け続けたと。その姿に秘書官は『生涯この人に着いていこう』と決意されたって、でしょ。そんな上司の下で働ける人は幸せだよね。だけどな、爺様。番組『ネタバレ』で、このアベのマスクの情報をくれたは、元衆議院議員の杉村太蔵さんだよ。杉村さんが知ってるぐらいだから当時、野党の面々もアベのマスクの発案、作成経緯(上記記載)は知っていたはずだよね。知っていながら、あれだけ責任追求(無駄金と)したのかな。もし、知らなかったとなれば、野党の情報網(業者のマスク買い占め事実)は、いざという時に役に立たないという事になるよね」と。檀家の爺様が「何がどうあれ、結果的にアベのマスクは失敗策だった。本来なら『全て任せて下さい』と発案、実行した秘書官の責任は大きいはず。が、安倍さんは一切咎めずか。相当に国民から嫌味を言われ、馬鹿にされていたぞ、安倍さんは。角栄さんと同じだな。『責任は俺が背負う』だな」と。まあ、しかしですな、拙僧は安倍元総理の熱烈支持者ではないが、不支持者はそんなに悪口を言わんといかんのかな。そんなに悪口を言わにゃならん理由が何かあるのかな。悪口を言ってる人達の大半は、安倍さんに直接会った事も、話した事もない人達でしょ。誰の言葉を、どの何を信じて、悪口を。確かめてもないのに。

【北朝鮮ロケット】

先日「僕の事を覚えてますか」と16歳の男の子が連絡を。この男の子は3年前、関東から両親と3人でお寺に。父親が「住職は転校を、と言いますが、虐められて逃げていたら、こいつは常に逃げる人生を歩むことに」と。対し拙僧「この子が死んだ後でその言葉、もう1度言えますか。拙僧は逃げろと言ってるんではない。命を守りなさい」と言ってるだけ」と。この16歳の子が「父があの時『次の学校でも虐められたらどうするんですか』と返したら、住職が『また、転校すればいい。安息の地が見つかるまで、何度でも。死ぬよりマシでしょ。虐める様な奴らに付き合う必要などない』と。運良く、次の中学校が僕の安息の地に。外国では、いじめっ子の方が、転校をさせられる場合もある、って聞きました。昨今、住職が度々『戦争を仕掛けられない国力を持つ事が、最も戦争を回避出来る方策』と法話で。学校内の虐め問題と同じ。ただ違うは、日本は他所に転校(移転)する事が出来ないという事。そう考えると、国力を付け、安息の地を自ら築き上げるしかないですよね。先日、北朝鮮がロケットを発射し、日本の上空を超えて、太平洋に落ちたでしょ、住職」と。「平成29年に2回あったが、これで3回目だね。日本は憲法9条で自らの手足を縛り、反撃が出来ないから、北朝鮮にとっては最も安心して、ロケット実験(日本国土越え)が出来る領域。越えていったからいいが、失敗して日本国土に落ちたら、数多の命が犠牲に。政界、メディアはいつも、事が起こってから、大騒ぎを始める。もう大概、真剣に、国防の話をしてくれんかいな。日本に軍事力があったら、北朝鮮は日本の上空にロケットを飛ばしただろうか」「僕達、友人の間でも『これでも憲法改正の話をしないって、どういう事よ。いざという時に、慌てない国であってほしいよね』と会話しながら大人の対応に、ほとほと呆れ返ってるよ、住職」と、この16歳の男の子が。

【追伸、国防】

家康公は、大坂冬の陣(1度目の大坂攻め)の時、朝早くから夜中まで、空鉄砲を撃ち鳴らし、大坂城内の者を一睡もさせない状況に追い込み、豊臣側の戦意喪失を狙った。同じ様な手法を今、日本は方々の国から。大坂夏の陣(2度目の大坂攻め)では外堀、内堀埋められ、豊臣側は一枚岩(意思統一)になれず(内紛)、遂に落城。籠城で成功した例は、殆どなし。家康公は嘗て、信長公から「信康(家康公の嫡子)が武田家と通じ、謀反の企てを。切腹させろ」と命令を受けた時「力がないというは、辛いのう。こんなに早く終わる命(行年21歳)なら、もっと別の生き方が」と悔やまれたとの事。一説によれば、信康公の武勇を恐れた信長公が、徳川家の力を削ぐ為に、難癖付けて切腹に追い込んだ、との話も。そうした教訓から家康公は「太閤とは、長生きが勝負と決めておった」と力の均衡が崩れ落ちるを待ち、力を蓄えていた徳川が天下取りに名乗りを。人間が1人生まれると同時に、1つの欲もまた同時に生まれてくる。1人の独裁者が消えてもまた、新たな独裁者が生まれてくる。人類は未来永劫にこの繰り返し。これは確信なき歴史の中の話(徳川の天下取り)ではあるが、今の日本にとっては、教訓となる話。日本で憲法改正の話が少しでも出ると、隣国達は大騒ぎを始め、日本に力を付けさせまいと躍起になって邪魔をし始める。が、竹島、尖閣はあの通り、日本上空にはミサイル、北海道はロシア領だ、と、やりたい放題、言いたい放題。いつどこで、何が起こってもおかしくない状況。どんな時にでも、対応出来る(戦争を仕掛けてこれない)国力を付ける以外に道はないと思うが。戦争で真っ先に死んで逝くは、決まって若者達にて。ここで余談ですが、歴史に「もし」というはないが、関ヶ原で家康公が勝てた要因は、豊臣家子飼いの大名達を引き込む事が出来たからにて。もし、あの時、秀吉公正室のねねさんが「家康を討て」と声を出していたら、恐らくその後の徳川の時代は。が、家康公は、そのねねさんの心までも掴んでいたとの事。日本が最も不得手とする策略(ロビー活動)にて。平和ボケ(起こった有事をすぐ忘れる)の先に、さて、何が待っているのやら。因みに、ねねさんは、三代将軍家光公の時代まで、徳川家から大事にされたとの事にて。

【追伸】

外国の友人達が度々拙僧に「日本は著しく危険な地域にあるのに何故、そんなに悠長な事(憲法改正反対)を言ってられるんだい」と。「悲しいかな、全てが『対岸の火事』にて。ほんと、平和な国なんだよ、日本は。平和な国で危機管理、防衛の話は無理かもしれんね。健康な人に暴飲暴食をやめるよう注意しても、聞く耳などないでしょ。大病になって初めて慌て出すもんね。まあ、でも、北朝鮮のロケットや核実験の度に思うが、核兵器保有数は、あまり関係ないんじゃないかと。6450発持つ米国が、推定保有数20発足らずの北朝鮮の暴走を止められん。1発でも飛んできたら大惨事だもんね。憲法9条で自らを雁字搦めにしている日本が舐められるは、仕方ない事かな」「日本国民は皆、その事はわかってるの」「どうだろうね。恐らく、わかってるとは」と。

【おまけ。天下取りでの敵中突破、追体験】

薩摩の島津義弘公といえば、敵中突破が先ず脳裏に浮かぶ。関ヶ原敗戦の逃走兵で渋滞の後方よりも、一か八か前方の敵中を、と強行突破。1500人いた兵隊が、薩摩に帰り着いた時には80兵に。が、その勇気に家康公は島津家との戦を避け、領地の安堵を約束。毎年8月になると、鹿児島の子供達が関ヶ原戦跡踏破隊として追体験する行事が。関ヶ原戦跡踏破隊とは、鹿児島の子供達が岐阜県の関ヶ原から、いなべ市を通り、多賀町、大阪まで踏破する行事(片道20キロ)。昭和35年(拙僧が生まれる2年前)から始まったこの催しは、関ヶ原合戦時における島津の武士達の退路を実際に歩くもの。温故知新の旗をかざして、陣羽織の勇壮な姿で。敵に背後を見せない心を、子供達に植え付けさせるために。そう言われれば、拙僧の狭い範疇(友人、知人、住職仲間)の見解だが、鹿児島の人達は、男らしい人達が多い様な気がする。皆さんの知るところでは、鮎川翔さん、長渕剛さん、山田孝之さん、上白石萌音さん、など、何となくだが、根性が座っとる印象が強いかな。明治維新の時、家康公はあの世で「自分が関ヶ原の後、島津に対し目を瞑ったが為に、270年後、江戸幕府を閉じさせる事に」と、悔やまれたであろうか、それとも「島津を残したお陰で、新たな世が生まれる事が出来た」と胸を撫で下ろされたであろうか。『天下は、持ち回り』を理解してはる家康公にて、そう考えたら、後者かな。


令和 4 年 11 月分 金剛寺住職(コロナウイルス関連)短文法話 【その30】

【伝統の継承】

拙僧の息子2人は30歳を超えて、ある日突然「父さん、お経を教えて下さい」と神妙な顔で。拙僧の体調を気にしての事かも。拙僧も父の体調不良がきっかけで、お寺に入る決意を。父は拙僧に「お寺を継げ」とは1度も。拙僧も息子達には1度も言った事が。人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん。強制的に押し付ければ、壊れてしまうだけ。以前は、男子がいない家庭で、家の存続の為に女の子に養子の縁を課して、家も潰した、女の子の人生も潰してしもうた、が少なからずあった。今、息子達は懸命に、お寺のノウハウを身に付けようと彼らなりに。拙僧、息子達に「お寺だけの収入でやって来れたは、爺ちゃん(先代)や父さん(拙僧)の代までだ。君らの時代は、そうはいかん。よって、2人共(バリバリ理系)、今の仕事を持った状態で檀家さんを守っていく事を考えろ。お寺に入ってくるお布施は全て、今後は、お寺の維持費用に回す事になると思う。実生活の費用は、外の仕事で得た収入で賄う事に、つまり、この先は兼業寺院になっていく、という事だな。檀家さんの家の年忌などは、数年に1度の法要。たった1時間の法要に2万円、3万円という多額のお布施を。お経の練習もせずに引き受けるは、何とも失礼だと思わんか。初めは誰しも、ぎこちないもの。父さんも最初はそうだった。『一生懸命のお経を有難うございました』の檀家さんの言葉が、いつしか『有難いお経を有難うございました』に変わってくる。が、そう簡単には変わらんぞ。父さんも、理趣経、観音経、声明(しょうみょう)、その他、お経の録音テープを仕事(布教)で走ってる車中においても、何年も聴き続けてきたもんだ。自信がなくとも、一生懸命大きな声でお経を唱えれば、先祖さん達にも、遺族の心にも、響いていくもんだ」と。先日、息子達に「練習ばかりでは上達は出来ん。無免許(得度研修中)だが、寺内に限り実践をしていこう」と、檀家の満中陰法要で初陣を。が、法要後の退席時に2人共、足が痺れて豪快にボテこけた。遺族らは大笑いし「亡き父は一生懸命のお経に加え、笑いまでも頂いて、本当によい法要でございました。有難うございました」と、大変喜ばれていた。どの分野においても、伝統を守っていくは大変な事。時によっては、子供の夢を奪い、子供の人生を親が、決定付けてしまう事にも。ダンサーのサムさんは、親も親戚も医師の家系。が、中学の時に家を飛び出して、今の道に。サムさんの父親は一切怒らず「何でもいいから、一生懸命にやれ」とだけ。素晴らしい親ですな。さて、今年の春、関西方面の仕事終わりに、京都の真言宗御室派の仁和寺へ、家内と御室桜のご縁に伺いました。与謝野蕪村が「ねぶたさの 春は御室の 花よりぞ」と、御室桜を詠んだ歌がありますよね。この真言宗御室派には、知人住職がいて、彼が若い頃、住職の免状を受けに仁和寺へ。この宗派の住職免状認可は非常に厳しく、1年間、仁和寺から1歩も外へ出ることが出来ず、外部(家族にも)との交流(電話も)も一切不可。認可後にわが寺へ挨拶に来られた時、肘から手先までが凍傷寸前。「これは」と問うと、修行中は「夏は涼取らず、冬は暖取らず、です」と。京都は4年程、大学でおりましたんで、夏の暑さと冬の寒さが特別は拙僧、百も承知にて。一般僧侶の免状取得(得度)とは、やはり違いますよな、住職になるには。この話を息子達にすると「そのくらい厳しい方が、得られる物も大きい様な気がする。何か、その方が、スキルが上がりそうだね」と。

【信仰、コロナ期にはいって】

コロナ期に入ってから、以下の様な話が幾つも入ってきましたな。どこぞの拝み屋さんに薦められたと、婆様と孫娘がわが寺へ。聞くと、その拝み屋さんから「嫁ぎ先の先祖より、実家の先祖を見る役目がこの孫娘にはある。金剛寺(拙僧の寺)を訪ねて行き、そこで僧侶になり、修行して、実家を守ってゆけ」と言われたと。対し拙僧「その拝み屋さんって、誰だよ」と聞いても、教えようとは。その孫娘に「ご主人はそれを承諾してるのかい」と。「いいえ。無理矢理納得させます」と。その娘の私生活全般を事細かく尋ねた後に「僧侶ってね、簡単な仕事と思ってる人が多いが、例えば時間軸だが、拙僧は、朝5時から境内の掃除を2時間、その後に1日の仕事が始まる。これが1年365日、毎日続く。就寝は夜の12時、休みは1日もない。修行ってね、念仏積んだり、お滝に入ったり、お百度したり、山に篭ったりと、そんな事ばかりが修行じゃないんだよ。坊主でも結婚するし、子育てもする。老いた親の世話も、夫婦で協力しながら。それも全て、修行の一貫。君の話を聞いてると、それを全て拒否し、ご主人に丸投げと。何かあれば、拝み屋さんか、占い師さんのところへ。指導された事を鵜呑みにして、その積み重ねで今また、嫁ぎ先を捨てようと。あなたがまずしなきゃならん事は、掃除、洗濯、食事の用意。子育てに親の世話だよ。あなたが働く必要のない、高給取りの、それも、あなたが怠けている間、家事全般をしてくれてる優しいご主人の負担を減らす事だよ。生活全般を見直しな。僧侶になるなど、論外。嫁ぎ先の先祖を捨てて、実家の先祖をあなたがお守りするなど、以ての外。あなたのお兄さん夫婦に対しても大変失礼な話。ご主人側の菩提寺の手伝いと、ご主人の家の先祖をお守りするが、君の役目。実家の先祖は定期的にお参りに行けば、それでいい。ところでくさ、拙僧のお寺を紹介した、その拝み屋さんって、どこの、誰なのよ」と聞いても、絶対に口を割ろうとは。「信仰は特別な物じゃない。特別な物にしている者がいるだけ。山に篭り、座禅に身を置かずとも、僧侶にならずとも、悟りの境地は、日常生活の中にいくらでもある。信長公に『武田家を擁護した』の理由で攻められ、山梨の恵林寺(武田信玄公菩提寺)で、300人の僧侶と共に焼き殺された快川紹喜さんは『安禅は必ずしも山水を須(もち)いず。心頭滅却すれば火自ずから涼し』の辞世を。『安らぎの心は必ずしも、山や川やお寺でないと貰えないものではない。心持ち次第で何処ででも悟りは得られる』が、この言葉の意味。形にこだわる事も時には必要だが、こだわり過ぎたら、本筋を見失う事になる」と、この孫娘に。

【おまけ、プロと言われる人達】

他宗の若住職さんが「映画『浅草キッド』で、北野武さんの師匠が『芸人は、笑われるな。笑わせるんだ』と。これは私達坊主の世界でも、同じ事が言えますよね、住職(拙僧)」と。「拙僧もわが寺の僧侶さん達には度々「法話は、聞いてもらうんじゃない。聞かせるんだよ。この強気がなければ、聞いてはもらえない。僧侶は信仰界では、素人じゃないんだから」と。「ご住職(拙僧)のお寺の僧侶さん達には、法話をさせる時、原稿を書かせてますか」と。「法要終了後に『今から法話』と突如、1名を指名します。常に、ぶっつけ本番です。頭が空白の状態で法話が始まれば、必ず懺悔から話し始めます。数百人の前で話す場合には、仕方がないから原稿を書かせますが、法話本番直前にその原稿は回収します。人の顔を見ず、下を向いたまま話して、人が心を向けてくれますかいや。1時間話せ、2時間話せ、と突然言われて、話せない様じゃ、プロとは言えんでっしゃろ。何の世界(職種)でも、素人さんから仕事に対し、指摘をされる様では、プロの仕事をしたとは、言えませんよね」「住職は受けた講演会で、最も長時間話したは、どれ程ですか」と。「某中学校の講演で、60分の依頼が、5時間になった時かな。質疑応答まで入れると、6時間を超えましたね。原稿などあっても、何の役にも立たん。そのかわり、法話の中の言葉を切り取られたら、今流行りの炎上になるは、間違いなしですな。が、そんな話の方が面白いんだけどね。昨今日本人は、文句の言い過ぎ。恐らく文句言いという人達は、暇を持て遊んでんだろうね。何か打ち込めるものを持てば、人の粗など探す暇などないと思うんだが。文句の対象の大半は、自分の心の中で処理をしようと思えば、処理出来るものばかりではないかと。昨年の暮れ、Mー1王者に50歳の『錦鯉』さんが。この大会は、企画した島田紳助さんが『その期間で準決勝までいかなければ、もう見切りを付けて、別の道(仕事)に方向転換した方が賢明』との優しさから、出場の期限を10年に設定されたとの事にて。夢を追ったまま、人生を終わらせない為に。夢を追う為には、必ず誰かの支えが。その支えている人の人生も潰さない為に、と。時に、人によっては、お笑いを軽視する人がいるが、世の中に笑いを提供する為に、大人が超真剣に、超真面目にふざけている姿は、素晴らしいよね。法話でもそうだが、人を引き付ける話をするって、そう容易いものではない。世の中は、需要と供給の世界。笑いが必要でない人は、見なきゃいいだけ。如何なる職業も、否定される様な職業はない。北野武さんの師匠の言われた「笑われるなよ。笑わせるんだ」は、プライドを持って仕事をしろ、かと。育てられた経験しかない者が、親(育てる側)になる。教えられた経験しかない者が、教師(教える側)になる。治療された経験しかない者が、医者(治療する側)になる。社会に出て1年目は、肩書きだけは貰えるが、何の経験もない唯のど素人にて。拙僧知人医師が若い頃、初執刀で震えている時、ベテラン看護師に『しっかりしなさい』と怒られてた姿が、今も脳裏に浮かんできますね」と、この他宗の若住職に。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。