令和4年12月分 金剛寺住職法話集

陣中(コロナ自粛奮闘)お見舞い申し上げます     12月分手紙  

今年も、坊主が走り回る時節(師走)になりましたね。こんなに色々様々あった1年も覚えがないですね。その様々が片付かないままに年を超えそうですが、縁は全て、受け入れて乗り越えるしかないですもんね。

さて、次の話は、日本の教育制度と英国の教育制度の違い。特に、大学入試の違いを、この度は少しだけ紹介をさせて頂こうかな、と。これは良し悪しの問題ではなく、考慮、参考にして頂ければ、と。

これは、10年程前の話ですが、知人英国人の息子は、世界トップレベルの大学に行ける実力がありながら「自分の夢を追い掛けたい」と、頑なに親の意見を聞かず、高卒後に家を出て1人暮らしを。が、3年経っても、昼まで寝て起きず、バイトもそこそこ、お金は親頼み、そんな生活を。「住職、何とかして」と英国から親子でお寺に。英国は高校時代の学力で、受験出来る大学が割り振られる。高卒後、何年経っても、そのレベルに近い大学に無試験(書類審査はあり)で入学が可能なシステム。この息子と拙僧、何時間も議論を交わした。時間を長く掛けた理由は、この息子の根底に潜む物を知りたかったから。すると、夢を追い掛ける以外に、親への反感が根強く、意地を張っている部分も。頭がよかだけに、凝り固まった思考を変える事は無理、と判断した拙僧は、実弾を撃ち込んだれ、と。「君は『大学は行く価値なし』と言うが、行ってもないのに否定をするのか。これから先も、経験もしてないのに、今現在持っている知識と主観だけで、相手を否定しながら人生を歩んでいくのか。君の言う通り、大学という所が本当に行く価値なしかどうか、自分の目と耳で確かめてこいよ。それから、評価しても遅くないだろ。大学が本当に必要ないものなら、何十年も何百年も継続はしていない。さあ、そこでだ。拙僧の提案だが、君は大学に行きたくない。が、親は行ってもらいたい。その中間をとって『1年だけ行く』ってのは、どうだ。君の言う通り『やはり行く価値無し』と判断したら中退しても構わん。が、その1年は真剣に取り組め。何でもがそうだが、いい加減に取り組めば、その本質を見極める事など出来ん。懸命に取り組んで大学の価値を探ってから、是非の判断をしな。年齢に関わらず、人の意見を聞ける者を大人、人の意見に耳を貸さない者を子供(ガキ)というんだ。なあ、これで手を打とうや。君の夢を捨てろ、と言っている訳ではない。何をやるにも、知識というは必要だからだ」と。ここで読者の方は薄々感じてると思うが、こんな込み入った話を、英国人と住職が何故出来るんだ、と。この息子、母親が日本人で、日本語がベラベラなんです。。

話を戻して、この息子、この折衷案を受け入れ、大学に。その後、大学を3年勤め、1年間、大学院にも。この3年、1年は英国の制度。但し、大学入学前に1年間、猶予期間として、ギャップイヤー制度が。大学では得られない経験を学生達に体験させる目的で設置。自分がしたい学問をするもよし、ボランティアするもよし。制度を活用する、しないは、個人の自由。日本ではこの制度、まだ数ヶ所の大学しか。今現在、彼は、大学で知り合った学友と共に、彼の夢も現実化の方へ。10年前の話し合いの時、この息子の両親が「納得出来なければ、1年で退学していい、って、どういう事ですか」と拙僧に詰め寄った。対し「この世に『これ、正解』はない。今現在、自分が正解と思っている事も、知識、知恵、経験が増せば、その正解は変わっていく。マンネリ生活の環境では、その変化は得られない。大学に行き、様々な人と接し、環境が変われば、考え方も自ずと。それに期待をしただけですよ」と。昨今、老若男女に関わらず、理論、理屈から入ってくる人が多い様な気が。動かんうちから「これはこうなる、あれはああなる」と、自分の持ってる知識から導かれる答えだけが、正解と言わんばかりに。「なら、やってみな」と、させてみると大半が行き詰る。拙僧家系の家訓は「まず動け」にて。

【親子問題】

国を充実させるには、なにより人材育成が鍵。信玄公は「人は城、人は石垣、人は堀」と。拙僧への相談は、親子問題が最も多い。さて、ある日の夕方、本堂から大声が。50代の父と15歳息子が大喧嘩を。そこへ拙僧「おうおう、仏の前で喧嘩ば、おっ始めたか」と。すると息子が本堂から外へ。「どうしたんや」と父親に。「反抗期で昨夜、殴り合いの喧嘩を」「ほう、君に向かってきたんか。そりゃ、根性が座っとるな。血は争えんで。喧嘩の原因は、何や」と。「基本は反抗期ですが、息子が『パソコンが欲しい』と。対し『勉強が疎かになろうが』とそれで大喧嘩に。父親に拙僧「反抗期の話なら、君の方が1枚も、2枚も上だったろ。JR 〇〇線の〇〇言うたら、その名を知らん人間がおらん程、有名じゃったろうもん。何か、面白いな。警察まで名が知れ渡っとった君が、子供の反抗期で悩んどるとは」と。そこで外にいる15歳息子に拙僧「本堂に上がってこい」と。「いや、いい」と息子。「上がってこんかい」と再び。すると渋々。「高校はどこ受けるんだ」「〇〇です」「ほう、優秀校じゃないか。勉強は」「23時までやってます」と。すると父親が「こいつ、夜中2時までゲームを」「父さんは、勉強してる俺を見てないだろ」と。「成績はどうなんだ」「キープしてるようです」と父親が。「みんなが来春の入試に向けて猛勉強しているこの時期に、成績をキープ出来てるという事は、やってるって事だろ。それに、寝不足で辛くなるは、自分が辛くなるだけだから、パソコンも自分で考えるよ。ところで、寝不足で学校を休む事はあるんかい」「いや、それはないです」と父親が。「パソコン、そんなに欲しいか」と息子に。「はい。1年も待たされて」「勉強に支障をきたす事はせんか」「はい」「おいちゃんに、約束せい。男が1度、口に出した事は破っちゃならんぞ」「はい」「じゃ、外で待ってなさい」と。父親に「信じてやれ。親が否定から入ったら、子供は辛いぞ。お前さんも母親が信じ続けてくれたから、今があるんじゃろ」「わかりました。今からパソコン、買いに行ってきます」と。帰り際、この息子を側に呼んで「君の父さんは、朝4時に仕事に出かけ、帰ってくるは、夜10時。毎日4時間ほどの睡眠で仕事を。これを20年以上も。体を酷使して家族の為に働いてんだ。おいちゃんに言われなくても、わかってるだろ。ちょっとでいいから、父さん(親)が君を心配する心も、わかってやれ」と。

【追伸】

この本編登場の父親は中高時代、ほんと悪くて、卒業出来たが奇跡。が、卒業後は大卒でも合格困難な国家試験を次々に突破。基礎からやり直して、随分苦しい思いを。学生時代は頭が悪かったのではなく、勉強が嫌いだっただけ。昔から、悪に強い者は、善にも強い。とことん悪い事をしてきた人間が、心を入れ替えたら、今度はとことんいい事をする。中途半端が1番あかんと。この父親は子供の頃から、何をやるにも一生懸命。人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん、ですもんね。親の仕事は、待つ、が仕事にて。

【追伸、経験】

知識が全て、の様に論ずく若者が、社会に出て悉く意に沿わぬ方向に向かい、精神を病んで拙僧のところへ。対し拙僧「知識は人生を歩く為には、絶対に必要な羅針盤。だが、それに経験が加わらんと、何が待ち構えているか予想も出来ん人生を歩く為の知恵は授からん。自分以外の人は全員、自分とは違う思考だよ。知識、知恵、経験が豊富な海の男でさえ、大海原を航海する際、遭難して命を落とす事もある。例えば、知人の刑事さんが『現場100回という言葉がある。数回行けばもう、現場に証拠品など落ちてない。100回行くは、証拠品の探索じゃない。犯罪者の心理を読み取るため。人間は日によって、精神状態も、体調も、違ってくる。今日、現場に行ってみたら、こう感じた、10日後に現場に行ってみたら、今度はこう感じた、と犯罪者の心情を読み取ってるんだ。実際に足を運ばないとそれを感じ取る事は出来ん。刑事の直感は大事と言われる所以はそれだ。だが、それで全てが紐解ける訳ではない。全てが紐解けるのであれば、迷宮入りする事件などない。なるべく、解決に近づける為の手立ての1つとして、現場に足を運ぶんだ』と言ってたよ。経験なき知識人は、ただの物知りさんでしかない。人は人の中でしか生きていけない。折り合う心も身に付けなきゃ」と。

【おまけ】

かまやつひろしさんの『我が良き友よ』の歌詞で、最も友人を思い出すフレーズは『家庭教師の柄じゃない。金の為だと言いながら、子供相手に人の道、人生などを説く男』かな。何でもが熱い男で、屁理屈こきで、世の中の批判ばかりをしていたな。大卒10年後に、かまやつさんの歌詞を引用したのかな、『俺は今でも、この街に住んで、女房、子供に手を焼きながらも、生きている』という年賀状が届いた。60歳を超えて、20歳前後の事を思い出すと、あの頃に戻ってみたいな、と思う心が湧き起こってくる。60歳のこの状態(知識、知恵、経験を備えた)で20歳の頃に戻ったら、今度はどんな生き方をしていくんだろうな、と時折、考える事が。


令和 4 年 12 月分 金剛寺住職(コロナウイルス関連)短文法話 【その31】

読者が「12月8日は、釈尊がお悟りを開かれた日、ですが、ところで、お釈迦さんの悪口を言う人っていますか」と。「少ないがいるよ」「どんな悪口を」「そうね。ある屁理屈こきが『釈迦族国王の息子に生まれ、嫁をもらい、子供まで授かりながら、国の民や妻子までも捨てて、自分の疑問(生老病死)を解決させる為に出家し、山籠りを6年も。考えられん』と。更に、その屁理屈こき男性の悪口は続く。『6年で悟りを開けず、下山後、村娘(スジャータ)から乳粥をもらい、心身ともに回復を。菩提樹の下で瞑想し、悟りを開いたと。その疑問というが、生老病死の四苦八苦の理と。いやいや、上杉謙信公が、家臣の強欲に嫌気が差し、あの者たちの為に、わしは力など貸さん、と比叡山へ。それを追い掛けたが、直江兼続公の義父、直江景綱公。その景綱公が謙信公に、仏は比叡の山だけにおるではござらん。百姓の泥のついた手の中にも、赤子の泣き声の中にも、仏はおられまする。そういう民をお見捨てなされるか、と諭され、謙信公は自国へ。住職の父上もあなた(拙僧)に自分の家庭も円満に出来ない僧侶が、どの面下げて、家庭円満を説くか。酒飲んで醜態を晒す僧侶が、どの面下げて禁酒祈願を受けるや。異性にだらしない僧侶が、どの面下げて色情因縁を正すや。まず、自分がやれや、と言われるだい、と言われたんでしょ。それをそのまま、釈尊に言ってやりなはれ』と拙僧に」対し、読者が「この屁理屈こき男性、凄いね。正論と言えば、正論だが、罰が当たりゃせんかな」と。「罰は当たらんよ。釈尊を出汁にしてはいるが、自分の反省をしてるだけ。釈尊は身をもって、経験の大事さを説かれているを、この男性は重々承知しておるんでね」と。「世の中には、火のない所に無理やり火を付け、煙を出させる人間が数多に存在する。文句を付けようと思えば、何ぼでも付けられる。自分が気に食わん事を、口に出せばいいだけ。今年の安倍元総理の国葬もそうだったよね。が、終わってみれば、本当に反対者が7割もいたの、と感じたよね」と。

【令和4年10月の時の話題】

拙僧法話の読者若者が「小室圭さんに対し、SNS やら何やらで、合格したら合格したで文句が。落ちたら落ちたで文句が。いったい、どうせい、っちゅうねん。動けば動いたで文句、動かにゃ動かにゃで文句。懸命に生きている人なら、他人の事など気にならないはず。日本人は今、暇を持て余してる人が多いのかな。それに今度は、沖縄に行かれた天皇陛下にまで文句を。どうなってしまったんだろ、この国の民は。中国共産党機関紙の人民日報が『琉球王国は、独立国家で中国の属国だった。琉球の帰属は、歴史的に未解決』と、日本の強奪を批判する論文の掲載を。何か、きな臭い匂いがしますね。私達の子供は将来、どんな環境で生きていく事になるんだろ」と。対し、拙僧「この国は平和過ぎて、至れり尽くせりが当たり前に。この至れり尽くせりが身に付いてしまったから、口から出てくるは文句ばかり。当たり前が、当たり前になれば、感謝の心は失くなる。何か打ち込める物を探せば、様々意識が変わると思うんだけどね」「私ね、住職の法話で最も意識改革させられた話は、道路拡張の為、多額の立退料を貰った父親が、そのお金を持って失踪。置き去りにされた母親と3人の子供(11歳、8歳、5歳)は住む家もなく、田畑の農具入れの中で雨露を。不憫に思った母親が3人を孤児院に。母親はその後、農具入れに戻り、その中で腐死(酷い糖尿病)した。5年後、長女は16歳で社会に。住職が『高校は』と問うと『国の補助金があるとはいえ、弟と妹を上の学校に行かせるには、お金が掛かります。偉そうに聞こえるかもしれませんが、社会(大人の世界)に出て感じた事は、文句を言える人は、まだ、幸せなんだな、と。私は世間に文句を言ってる暇などありません。弟と妹を必死に養っていかなければなりませんから』と。この話は、私に衝撃を与えました。今、日本人に最も欠けている心ではないかと思います。それと昨今は、他者に文句ばかり言ってるが、叩かれて埃の出ない人間なんて、誰1人もいないと思うんですが。何か、色んな意味で、日本が危うい様な気がするんですが」と。(この法話の登場人物は、読者の参考になれば、と、ご本人が投稿を希望)

【昨年の野田佳彦元総理の追悼演説】

檀家爺様が「10月25日、衆議院本会議での野田佳彦元総理の安倍さんへの追悼演説、見たか、住職」と。「後日、全文を」「どう思ったや」と。「まず感じたは、与野党に関わらず、演説中に凶弾に倒れた人、国の為に働いてきた同じ議員、への誹謗中傷に釘を刺したかったのかな、と。何とも遣る瀬無い感情が、野田元総理の言葉の中に見えてたよね」「わしも昔は会社の代表を。トップというは、孤独だもんな」と。対し拙僧「どの分野もトップといわれる人は、そうだよね。社長、学長、校長、師匠、任侠界の組長、管長、住職、家庭の柱である父親、あるいは、母親も、そうだよね。大なり小なり大半の人は、様々な立場で必ず、トップの辛さを経験する。Vシネマ『ミナミの帝王』では、クライマックスになると、舎弟である山本太郎(現議員)さんが、兄貴である萬田銀次郎(竹内力さん)さんに『兄貴、どうしますか』の言葉を投げ掛けるシーンが。必ずトップは最後『どうしますか』の言葉を向けられ、責任と決断を強いられる。国民全員が納得出来る様な政策など、あろうはずがない。人は自分にとって都合が良いか、悪いかで是非の判断をする。どちらかが上がれば、どちらかが下がる。シーソーと同じ。それを安倍元総理は、7年8ヶ月もの長い間。野田さんの演説は、これからの国会運営に、何かしらの影響を与えるんではないかと思います。様々、期待したいですよね」と檀家の爺様に。

【追伸】

拙僧の爺様(明治41年生)は、満州からの引揚者で帰国後は、小さな会社の社長を。当時、大臣との付き合いが。拙僧も度々爺様とそこへ足を。爺様が「枝葉の先になればなる程、風当たりは強く、上は汚い世界。が、上の人間は力がある。その力ある者が、政治家に近寄ってくる。無碍に排除すれば世の中は回らん。特に外交は、綺麗事だけでは片付かん。1億人に飯を食わせにゃならん。1億人の命を守らにゃならん。人間の欲を相手にするが、政治家の仕事だ。それをバランスよく使い熟せる人間が、トップに立つんだよ」と若い頃の拙僧に。

【補足】

縁というは、自分に足らない物を補うかの様にやってきます。夫婦の縁が、当にそれにて。自分とは真逆の人を伴侶に選ぶ事が多い。自分が持ってないから、魅力に感じたり、嫉妬したり、と。見えてくるもの、聞こえてくるものも全て、自分に足らない物を補うかの様に、目と耳に入ってきます。政治を含む世相(社会)の流れも、そういう風に理解して受け止めれば、自分にとっては、よき教訓となるものばかりにて。

【世界でトップクラスの危険地域に位置する日本】

7ヶ月前に、ユーチューブに出演の菅元総理が「民主党政権の時、鳩山由紀夫さんが『米軍の沖縄基地は、最低でも県外』と言った途端、尖閣で中国船が日本の船に体当たり。折角捕まえた船長を中国の恫喝で釈放。その後に即、露大統領が北方領土に。韓国首脳が竹島に上陸。弱腰を見せた途端にこうなるのか、の教訓を。外交というは冷徹」と。日本周辺はどの国も「ここまでしたら、日本はどう動くや。じゃ、ここまでしたら、日本はどう動くや」をじわじわ繰り返し、日本の出方を。が、日本は相も変わらず『遺憾、遺憾の遺憾砲』だけ。常任理事国が1国でも異議を申し立てたら、どんな議案でも頓挫。国連はあってないようなもの。世界情勢がこれでは、個別的自衛権では、国を守る事は不可能に近い。どこかと同盟(集団的自衛権)を結んでおかねば、国を守る事は。が、しかし、日本の法律は同盟国に「あなた達が攻撃をされても助けには行かんが、私達が攻撃をされたら助けに来てね」と。いやいや、何をすっと呆けた事を言ってんの。そんな身勝手な。いつか、愛想尽かされるよ。いや、もう愛想を尽かされとるかもしれん。平和過ぎるんだよね、日本は。健康な人に「暴飲暴食はやめな。病気になってから泣いても遅いよ」と注意しても、聞く耳ないもんね。あくまでも個人的な願望ですが、菅さん、もう1度だけ、上に立ってくれんかな。将来の有望者達を横に付けて。安倍長期政権の時、安倍さんの横には菅さんがいた。が、菅政権の時には、菅さんの横には、菅さんがいなかったもんね。まあ、しかし、世界でトップクラスの危険地域に位置する日本でありながら、防衛の話が全く進まんとは、いったいどういう事やねん。

【追伸】

わが寺の檀家に潜水艦に乗っている男性が。彼が1度だけ「住職。専守防衛って、凄いでしょ。相手から武力攻撃を受けた時だけ、武力の行使が。私達の命を国はどう思ってるんだろ。人は死んだら、生き返ってこれないんだが。死んだ人間が、反撃など出来ないんだが。所詮、机上で決める人達の発送だよね」と。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。