令和5年2月分 金剛寺住職短文法話集

陣中(コロナ自粛奮闘)お見舞い申し上げます     2月分手紙  

1月は行く、2月は逃げる。3月は去る、と。この3ヶ月は、何故か、月日の流れが早く感じられますよね。また、この3ヶ月は、新たな旅立ち(上の学校、新社会)への、準備期間でもあります。

さて、知人の社長さん達が、異口同音に「昨今の大卒は『この子は、勉強(5科目)だけは、出来るんだが』が、非常に多い気がする。住職がいつも法話で『知識は学問から、その知識を活かす知恵は経験からしか身に付かん』と。学校でも、塾でも、先生の支配下で勉強。家に帰ってまでも、学校や塾の先生の指示通り(宿題)に勉強を。常に、敷かれたレールの上で勉強を。そりゃ、自主性が身に付くはずがないわな」と。

読者男性が「昨年、9月に来た台風14号で、わが家は被害を。保険調査員さんが来たは、その2か月後。被害補修の見積は、知人の宮大工さんに依頼を。その方も立ち会ってくれたのですが、調査員さんが、ああじゃ、こうじゃ、と難癖を。『私は1級建築士の免許を』と口に出した途端、宮大工さんの顔つきが一変し『おたくさん、実際に建築の経験は』と。その質問に『えっ』と調査員(20代後半)さんが。『設計(机上仕事)だけでなく、ノコギリや釘打ち、墨付けなどの実践はあるのか、と聞いとるんだ』と。『いえ、それは』『そうか、もう帰ってくれていいぞ』と。その後に、棟梁は私に保険会社に電話をさせ、棟梁が直に『ペーパードライバー(免許だけ持ってる)の調査員ではなく、本物を寄こしてくれ』と。棟梁が私に『今日来た1級建築士さんだが、知識だけで、仕事が全くわかっとらん。あれじゃ、見積もりなど出来ん。話にならん』と。数日後、建築(大工)経験のある1級建築士(50代男性)さんが調査に。棟梁との話はスムーズに流れて、即日、見積り通りの保険料が支給されました。この宮大工棟梁は以前、台風損害の見積りを保険会社に提出。が、その時も大工経験が一切ない1級建築士が調査に。300万円の見積に対し、半額以下の査定が。そこで、保険会社相手に裁判を起こし、満額支給の判決を勝ち取ったと。棟梁曰く『家を自らの手で1度も建てた事のない者が、見積りなんぞ出せるはずがない。そんな簡単なもんではない』と、言われてましたもんね」と。

この話を拙僧の知人に話すと、その知人が「私も台風で被害を受けた時、見積書を保険会社に提出すると、20代半ばの女性調査員さんが来た。あまりに若いので「君は、建築知識はあるのか」と聞くと「全くありません」と。「なら、今日は何をするの」と聞くと「写真を撮って、調査書を作成して、本部に提出します」と。結局、見積の半額しか出せない、と通知が。保険会社を変更した。どこか、誠意ある保険会社ないかな、住職」と。

【教育問題、1】

次の様な相談を、特に、年末時期にお受けする事が。超進学校に合格した安心からか『俺は勉強が出来るんだ』からか、1年、2年と勉強を怠け、深刻な進級問題に。そうなったは、自分の責任以外には何もないに、親に当たり散らかして、不貞腐れるというパターン。何故か、拙僧の所へ相談に来るは、全て男子生徒。こんな子供達には、殆ど同じアドバイスを。「親でも、助けられる事と、助けられん事がある。親に当たり散らかして、どうにかなる問題ではない。親に当たり散らかしても、勉強するなら、まだよか。ストレス解消も必要だからね。が、当たり散らかすだけで、何もしないでは、話にならん。先生が親(保護者)と生徒を学校に呼び出し、この時期に厳しく指導するは、最後通告だよ。今の段階で『君が勉強に付いていくは、到底無理』は、先生達は百も承知。つまり、最後のチャンスを与えて、君のやる気(3年生に上げても、大丈夫かどうか、の判断)を見てるんだ。授業中は寝る、提出物は出さん、遅刻はする、と。それでは『やる気がないんだな』と先生達もサジを投げるわな。仮に、留年したとしても、君の友人達の何割かは、大学浪人するんだろ。高校でもう1年勉強するか、予備校でもう1年勉強するか、の違いだけ。超進学校の先生と予備校の先生、質に変わりはない。気持ち的に『下級生と勉強をするは、恥ずかしい』というプライドを捨てれるかどうかだ。なかなか入る事の出来ない高校に入ってるんだ。やれば、出来るはず。これから先の長い人生と、留年する1年とを、天秤に掛けてごらん。自ずと答えは出るはずだ。自分でやらかした事だ。自分でけじめを付けるしかない。人間の人生は全て『そうすれば、そうなる。そうなったのに、まだ、そうするか』だよ」と、相談に来られた生徒さんと保護者には、この様な話をじっくりと。防衛を含む諸問題にしても、この国は、何か妙に変な自信が。行き着くところまで、行き着かないと、本腰を入れる気にならない傾向が。人は教えられても身に付かん、人は気付かにゃ身に付かん、ですもんね。どっちを向いても、こっちを向いても、世の中に充満している平和ボケの弊害が、出ている様な気がしてならない。こうした高校留年相談の話を、何度か法話にしてSNS に投稿を。すると、身に覚えのある高校生達が「留年して、望みの大学に入れた人、いましたか」と。対し拙僧「そりゃ、いたよ。が、望みじゃない大学に入った人もいた。最悪の場合は、怠け者のまま歳を重ねていき、親が死ぬまで子供の面倒を見て、親の死後は生活保護で、という人もいたかな。どのような人生を選択するかは、本人の自由だけどね」と。もう大概、この国は、教育を見直す時期に、きてるんじゃないのかな。とことん手遅れにならないうちに。

【教育問題、2】

檀家の小学生が「住職さん。お父さんが『夏目漱石の、吾輩は猫である、を読んでみな』と。その中で猫が『人間ほど、ふてい奴はいねえ。人(猫)の獲った鼠を交番に持っていき、五銭を懐に入れやがった』と。面白い言葉だったので、お父さんに『これ、何』と問うと『住職(拙僧)に聞いてきてみな。面白い話が聞けるかもしれんぞ』と言うんで、今日来た。ねえ、教えてよ」と。そこで、拙僧「1894年に香港で発生したペストが、1899年に日本に上陸。その時に対応したが、ペストの原因菌を突き止めた北里柴三郎という医師。ペストは鼠、犬などを宿主に、蚤(ノミ)が媒介して人に伝染する病気から『鼠の駆除』を北里医師が提案したところ、商売人(商売繁盛所縁の鼠)から猛反発が。それがペストを広めた原因の1つに。そこで北里医師は考えた。『鼠1匹5銭で貰い受ける』と世間に。すると、次の日には数千匹の鼠が届けられたんだと。これでペストが減少の方向に」「漱石さんの『5銭』はその事だったのか」「まあ、そういう事だね。人は自分にとって都合の悪い事を押し付けられたら、必死になって抵抗する。が、その都合が、良いものに変わった途端、コロっと。人間って、面白いだろ。全ての人が納得出来る政策なんて絶対にない。全てが、シーソーだよ。片方が上がれば、片方が下がる。そのバランスをとるのが、政治家さんの仕事」「国会も、学級会も、同じなんだね」と。

更に、この子が「ねえ、ペスト(黒死病)の話、他にないの」と。「ペストは6世紀に発生し、最も酷かったが、当時の世界人口4億5千万人のうち、1億人が感染死した14世紀。ユーラシア大陸の移動の活発化もあり、中国に攻め込んだモンゴル軍が、ペスト菌を媒介する蚤(ノミ)と鼠を欧州に齎したが、原因の1つと。他にも、鼠を駆除する黒猫を、欧州の人達は『魔女の使いである、こいつらのせいだ』と決め付け、大量殺戮を繰り返したもまた、感染拡大の原因の1つになったかな。この時、同時に魔女狩りも行われたと。フランスのジャンヌダルクも、魔女狩りにあった1人。人間というは、原因不明、解決不能の恐怖には、何かの(誰かの)せいにして、心だけでも安らぎを求めようとする。所謂『スケープゴート、身代わり、生贄(いけにえ)』と言われるものだね。知識がないというは、悲しいもんだよ」「そうか、知識か。それでか、子供の世界が残酷なのは」と。「でも、悲観的な事ばかりではないよ。17世紀のペストパンデミックの時には、学校が自宅勉強(ステイホーム)になり、そのお陰で研究が進んだニュートンさんが『万有引力の法則』を。りんごが落ちるを見ただけでは、その法則は流石に、発見出来んわな」「その頃から、自宅学習って、あってたんだ。コロナと同じじゃん」「そうだよ。コロナも、人間の足は止めたが、時間までは止めてない。仕事が出来る人間は、仕事が出来る為の工夫を探す。仕事が出来ない人間は、仕事が出来ない事の言い訳を探す。同じ時間を費やして探すなら、言い訳など探さず、勉強出来る工夫を探しな、と。この言葉を拙僧、この3年間で、何人もの学生さん達に、言ってきたよ」と。

それにしても、この檀家の小学生、凄いでしょ。父親といつも、政治や社会問題の話をしてるんだって。会話の最後、この小学生男の子に「ペスト(歴史)に興味があるなら、ペストを題材とした文学が出てるから、読んでごらん。『デカメロン』や『ロミオとジュリエット』や、日本なら、楳図かずおさん(漫画家)の『漂流教室』にも、少し取り上げられているよ」「わかった。すぐに読んでみる」と。


令和 5 年 2 月分 金剛寺住職(コロナウイルス関連)短文法話 【その33】

【檀家の独居老人】

仕立て直しを生業(職業)としている、86歳になる檀家の婆様がいる。先日、仏壇参りに伺うと「住職よ、インドネシアで看護師をしてる娘(59歳)がね、週に5日、和民で夕弁当を頼んでくれてるのよ。和民から娘に、私の安否報告まで入って来るんだって」と。「そりゃ、いいシステムだね」「でしょ。娘は毎朝、電話もくれるしね。もうすぐ定年だし、今暫くの辛抱だわ。そういえば、住職。この前、腹が立った事があってな。お客さんから電話で『今から服を貰いに行く』と。『電話など掛けとらんよ。まだ、仕立て直し出来てないよ』と返すと『何言ってんの。留守電に、取りに来い、と、あんたの声が入っとったがね。自分が電話した事もわからんの。痴呆の検査に行っておいで』と。私も年齢が年齢だから『電話したのかな』と随分落ち込んだのよ。すると次の日に『ごめん、ごめん、あんたのあの留守電、前回の時のだった』とその人、大笑いして終わり。『いつ、間違いだとわかったの』と聞き返すと『あれからすぐ』と。ムカっ、ときたので『間違いとわかったら、すぐに電話してよ。電話を掛けたも忘れる様じゃ、お客さんに迷惑が掛かる。廃業しよう、とまで考えたんだから』と、そのお客さんに。頭にきたけど、でも、改めて考えたら、そろそろかな、とも思った」と。 わが寺の檀家にも、独居老人は、少なからず。月に1度の仏壇参りに伺うは『そのご老人達の安否確認と、誰とも会話する機会のないご老人の話し相手になる為』も、伺う理由に含まれてるかな。

この婆様が「安否確認方法だが、他にも何かあるや、住職」と。「そうだね。拙僧の知人がね、ペット用の室内確認カメラを台所に設置して、パソコンで母親の行動が見れる様にしてたよ」と。「何故、台所じゃ」「絶対に行くでしょ。そこにずっと姿を出さなかったら『もしや』と、なるでしょ」「そんなこと言うなら、気張って倒れやすい便所や、血圧の変動を起こしやすい風呂も必要じゃろ」「そりゃ、そこまでやれば、完璧だけど。如何に娘さんとはいえ、気張ってうんこしてる姿を見せるは、恥ずかしいでしょ」「そうだな、それは困るな」と。因みに、わが寺の在所である八幡東区の大宮町は、日本1の独居老人の町なんですよね。

【美空ひばりさんの最期のステージ】

美空ひばりさんの最後のステージは、平成元年2月7日、北九州は小倉の九州厚生年金会館。拙僧夫婦は、ひばりさんのステージの1年前に、そこで結婚式を。肝硬変で立つもやっとの状態で、20曲を熱唱。『川の流れのように』が最後の曲だったと。終了後、そのまま入院。4ヶ月後、52歳という若さで他界を。52歳で他界といえば、石原裕次郎さんも、そうでしたね。ひばりさんは、43年間の歌手生活に終止符を。ひばりさんは、最期の最期まで、歌い切って人生を終えられましたね。先日も最後のステージの番組が。博多でのステージの後、ヘリコプターで小倉に。初めて異動でヘリに乗られたとの事。体調不良で、80キロの車移動が出来ずに。小倉の会場では、僅か2段のステージ脇階段も、人に支えられないと足が上がらない状態。それでもステージに立ったら、その体調不良を全く観客に悟られる事なく熱唱を。歌い終わった直後、マイクを置く瞬間に、口を一文字にさせて、首を少し振った表情(納得のいく歌をお客さんに届けられてない)を見せたを、この追悼番組は捉えていた。プロだよね。それでも、命を削って頑張ったは、息子(ひばりさんの弟の息子を養子に)を一流のプロデューサー(息子さん本人の希望)に育て上げる為。息子さんは当時、若干17歳。ひばりさんは、私生活の部分で、様々色々言われた人ですが、本職の歌で、どれ程の人達を勇気づけ、癒し続けて来られた事か。

【追伸】

拙僧も、東近江に講演依頼で講師として伺った時、京都駅地下のポルタで食べたピザで、アナフィラキシィが発症。会場には、観客が400人以上も。症状悪化で目の前は真っ白、視界は0に。脈拍は200以上の状態で、1時間半の法話を。初めて、最初から終わりまで、椅子に座って。講演終了直前になって、やっと視界が少し。講演の途中『このままでは、死ぬかもしれん。救急車をよんでもらおうかな』と、何度思った事か。帰省後、病院へ。主治医から「アナフィラキシーは、怖いんだよ。運が悪かったら、死ぬぞ」と。

【躾(しつけ)は、するものじゃない。躾は、見せるもの】

思えば、段々と日本の風習(伝統)が、消えていっておりますな。『コンプライアンス』という、今流行りの儀式の様なものによって。自分達の足を自らで止めて、くそ面白くもない社会を現在、日本は構築中。『コンプライアンス』と言われるものの中には、自分の心の中で十分、対応出来るものも少なからず。自分達で自分達の住む社会を締め付けて、いったい、何が面白いんだろうか。何にでも、程度というものがあるよね。

他にも、子供達には見せたくないテレビ番組、なるものがあるという。「子供達が真似をするでしょ。中止してください」と保護者達がテレビ局に苦情を。いやいや「親が、子供達に真似をさせないで下さいね(経験、教育、指導、免疫)」で済む話にて。社会(世の中)に出れば、子供達に見せたくない場面など、うじゃるほどある。テレビ番組だけに噛みついて、どうなる物でもなかろうに。それよりも、考えなくちゃならんは、人間界の理不尽(嘘、誤魔化し、喧嘩、押し付け、ルーズなど)を子供が、まず最初(生まれたのち)に目にするは、親の言動から、ですもんね。他に噛み付くより前に、親は、考えなきゃならん事が、ありそうですよ。

コンプライアンスと言えば、こんな話も。ある読者男性から「祖父母、父母から『もうすぐ〇〇ちゃん、初誕生だね。1升餅を背負わせにゃならんね』と。この風習って実際、どういう意味があるんですか。実は今月(2月)、私の娘が1歳に」と拙僧に。対し「拙僧の祖父母から聞いていた話では、誕生日を祝う風習って、本来、日本にはなかったらしいよ。外(特に欧米)から入ってきたものじゃないか、と。そんな事(ハロウィンなど)って、この日本には多いよね。但し、1歳の誕生日を祝う行事は、昔からあったんだと。無事に1歳を迎えられる事って、昔は大変に難しかったんだって。縄文、弥生時代から、室町時代まで日本は、平均寿命は20年前後、江戸時代に入って30年、昭和に入ってやっと50年超えに。80年を超えたは、平成になってから、だもんね。因みに、1升餅とは、1升の餅米から作られた餅で、お祭りやお祝いなどで、縁起物として用いられてきたもの。『1升と1生』を掛け言葉にして、餅の形状を丸く、平たいものにして『一生(1升)、食べられる様に。一生(1升)、健やかに、円満である様に』との思いで、行われてきた行事だと。で、実際に1升(約2キロの重さ)の餅を背負わせて『立ち上がれたら将来、身を立てられる。座り込んだら将来、家にいてくれる、家を継いでくれる。転んだら、厄落としになる』と、どの様な結果になっても、子供の将来に幸あれ、との思いから。檀家の婆様が言うには『男の子は家から出ない様に、無理矢理に倒す、転ばす。女の子はいつまでも家に居座らない様に、手を添えてまでも、立たせて歩かせるんじゃ』と言ってたよね。その事から『ぶっ倒し餅』なる別称もあるとか。昔は、餅をおんぶ紐の様な物で、1歳児に結んでいたが、昨今は、リュックに餅を入れて、背負わせる事が多いそうだよ」と読者男性に。

最後にこの男性が「そういう意味合い(伝統)があっての、1升餅だったんですね。私は『親が子供の事を願う、素晴らしい風習だな』と思うけど、コンプライアンス過激時代の昨今『子供に対する虐待だ』と騒ぐ輩も出てきそうですよね」と。対し、拙僧「それがくさ、もうそんな風に騒ぎ立てる人達が、出てきてるんだよな。この餅の風習意外にも、方々の分野で、いちゃもんを付けて、自己主張を押し付けて、社会の足を止めてる人達が」「ところで、コンプライアンス過激時代って、いつまで続くと思いますか、住職は」と。「そうは続かないと思うよ」「その理由は」「鬱陶しくないかい。そんな事ばかりを気にして、生きなきゃならん社会って、息が詰まらないかい。みんな、もうそろそろ、気付くと思うよ。何にしても、程度というものがある、という事を。まずは、人に期待せず、自分から『誹謗中傷、文句、いじめはしない』という事を、自ら率先してする事だね」と。

【おまけの話】

檀家若者が友人3人と、九州1周のドライブに、車4台で出かけたと。『んっ、んっ、んっ。 ・・・、何故、どうして』と疑問を持ち、彼らに「何故、1台で行かなかったの。会話もしないで、黙々と運転して、何が面白いんだよ」と問うと「会話は、スマホで、出来るでしょ」「・・・、あっ、そっか。・・・、あっ、そっか、じゃないよ、何だよ、それ」と聞き返すと「個人のエリアは、確保したいじゃん」「・・・、その考え方だと、ホテルの部屋は、旅行中、ずっと、シングルかい」「当然です」と。時代とはいえ、協調性が欠乏するはずだわ。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。