令和5年7月分 金剛寺住職法話


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先月、親子関係に大きな溝のあった父親を亡くした息子(長子)さんに拙僧、葬儀の当日、次の様な話をしました。

「平成15年7月8日、拙僧が父を亡くしたその年に、檀家の男性が他界を。平成15年6月28日、67歳で。ところが、その男性の父親も、昭和55年の6月28日、67歳で他界を。君の爺様と父親もこの度、他界日と他界年齢が同じだったよな。偶然とはいえ、不思議なもんだよね。そこの家族は、ちょっと複雑でね。平成15年に亡くなった男性(息子の方)の、最初の奥さんの子供が長男さんで、2人目の奥さんの子供が、長女さんと二男さん。つまり、親の離婚による腹違いの兄妹って事だな。葬儀は一応、その長男さんが喪主をされたが、その後の追善供養(1周忌、3回忌、7回忌、• • • )は、父親が大好きだった長女さんが引き受けた」と。

続けて「その父親の葬儀の時に拙僧、その長男さんに『わが寺の納骨堂に、次に入れるは、直系の君達家族なんだが、父親と一緒に入るがどうしても嫌なら、爺様と父親は永代供養にして、お寺が預かる事も出来るよ。つまり、お寺の納骨堂が、君の家の仏壇となる。そうされている檀家は何軒かある。長女さんと妹さんは嫁がれているから、いつまでも里の仏壇を嫁ぎ先に置いておく訳にはいかんし、わが寺の納骨堂にも入れん。現実的な話をしようかね。わが寺の納骨堂を君が継承しなかったら、君は、どこぞのお寺の納骨堂を契約するか、お墓を建てなきゃならん。継承すれば、お金は0円で永眠場所を君達家族は確保出来るが、別にお墓を建てようもんなら、安いお金の問題じゃない。そこら辺に自分達の遺骨は捨てても構わん、というのなら話は別だが。が、この、捨てても構わん、は、様々な問題が起こっている。まず、誰が捨てに行くのか。死体は自力で歩いて火葬場には行けないし、自分の遺骨を自分で捨てにも行けない。散骨、といえば、聞こえはいいが、あれは海に捨ててるに同じ。後々後悔して拙僧のところへ、どうすればいいですか、と相談に来る人は少なからず。どうすれば、と言われてもね、遺骨はもう海の中、戻ってくる事はない。10年経てば、知識、知恵、経験が増して、人の考え方は確実に変わる。わが寺の納骨堂は、あの位置から動く事はないから、じっくりと考えなさい」と。

更に拙僧、この度、父親を亡くした長男に「死んで逝った人間に、こだわりはない。こだわってるは、いつも残った人間の方だよ。喧嘩相手は、もうこの世にいないのに、腹を立て続けて何の得になる。心身ともに病む(疲れる)だけだよ。さて、この話の長男さんだが、数年後『私が金剛寺(わが寺)の納骨堂を継承させてもらいます』と拙僧に申し入れてきた。君は若いし、時間はたっぷりあるから、よくよく考えてみてごらん。君に対してのこの話は、あくまでも拙僧の提案に過ぎん。お寺から『こうしなさい。ああしなさい』と強制をするつもりは全くないからね。君達(長男、長女、二男)が下した決定に、お寺は従うだけだよ」と。

上記の家族のような話は、わが寺では結構にあるんですよね。葬式、お墓、先祖の継承に限らず、その場の感情だけで動いて、後々後悔した人達は、少なからず。その場の感情といえば、こんな話も。どこで聞いた話かは忘れましたが、父親の後を継ぎ、漁師になった息子に、親戚の叔父さんが心配して「お前の父親を殺した恐ろしい海に、何故、お前は毎日、毎日、出ていくんだ」と。対し、息子が「叔父さんの父親は、どこで亡くなったの」と。「布団の上だ」「じゃ、何故、叔父さんは、叔父さんの父親が死んだ恐ろしい布団の上で、毎日、毎日、寝てるんですか」と返した、と。この話、読者の皆さんの人生に、何かしらの参考にしてもらえれば。

葬儀といえば、こんな話も1つ。ご主人の7回忌を迎えた時、癌の為に主治医から余命1年を宣告された奥様が「住職さん。夫は他界前に『私の人生に悔いはないが、何が辛いって、君と別れる事かな』と寂しそうに。『一緒に逝きましょうか』と言うと『いや、50年以上も私の世話を。随分疲れたろ。ゆっくり休んでから、ボツボツ来なさい』と。思えば生涯を通じ、夫は私を大事にしてくれました。そろそろ夫のところへ逝きましょうかね。待ちくたびれているでしょうから。ご住職、夫に何か伝えてほしい事はありますか」と。その半年後に。

また、こんな話も。ある檀家の男性は、父親が大好きで、その父親が若くして他界した時、後追い自殺を希望。当時、若干20歳。が、母親から泣いて止められ、その場は何とか。それから58年後、その男性が他界を。大好きな父親の誕生日の日に。この様な月日の偶然というは、結構にあります。「残った者、私の事を忘れんなよ」という事なのかな。拙僧の爺様の祥月命日(立ち日)、5月13日も、拙僧兄の誕生日にて。恐らく偶然、偶々なんでしょうが、縁というは、異なもの味なもの、ですよね。自分の受け取り方次第では。

先日、檀家女性がこんな話を拙僧に。「住職、冠婚葬祭の仕事をしてると、こんな話が度々耳に。気分次第で、意味もなく、転々と菩提寺(先祖達の葬式をしてくれた寺院)を変えていく人達が。そんな話を聞く度に『高額離檀料を取られてもしょうがないよな』と思える様になった。菩提寺変更といえば、仏教からキリスト教に変える人も。その理由が『キリストって語句が、かっこいいから』だって。どう思うよ、住職。ハロウィン並みのノリだよ。この先、この国はどうなっていくんだろう」と。因みに、離檀料の話は、拙僧も何度か聞きました。300万、800万、最高額では1200万。「どうすればいいですか」の相談に対し、拙僧「どこぞの地裁が、上限50万と言いおった。鬱陶しいですが、裁判をすれば判例があるので、その額になりますよ」と。が、離檀料って実際、必要ないよね。大半の家は、それなりの理由があっての、菩提寺の変更だろうから。

さて、この話は余談ですが、先日、拙僧法話読者の高校生が「醤油差しを舐めた若者に、スシロー側が6700万円の賠償請求をしたんだってよ、住職。スシロー側が『これが社会というもの。今時の子供には、大人の社会を嘗めると、ごめんなさい、では済まない事がある、を教えた方がいい』と。俺もそう思うよ。それも、自分で動画を撮って、自分でSNS に投稿するなんて、アホ丸出しじゃん。わからんのかな、その後に大変な事が待ってるって事が。見つかってない行為まで含めると、どれほどあるのやら。関連被害(スシロー以外)を考えると、莫大な損失に。まずは、こんな低俗な行為を止める手立てを講ずる事が、最優先課題だわ。スシロー側の6700万円損害賠償請求だが、住職はどう思うよ」と。「まあ、ひと舐め(醤油差し)6700万円は、ごっついよね。中には、賠償金額が安過ぎる、と言う人もいると耳にするが、親は、大変だわ。が、スシロー側は、請求した後に示談にして、親の負担を軽減してくれるかもよ。家庭崩壊までは、望んでないだろうから。『若者達に社会の仕組み(嘗めたら、こうなる)を、わからせればそれでよか』と言ってね。これはあくまでも、拙僧の憶測だけどね。SNS でも陰口を言いたい放題だし、ほんと、おかしな世の中になったよね」と。

【先祖とは、命の恩人】

不当寄附勧誘防止法が、令和5年4月、第210回国会で、罰則(懲役、罰金)を含む法律が、成立、施行となりましたね。やっと、やっと信仰界にメスが入りましたね。「悪霊、先祖が祟っとる。除いてほしくば、金を出せ、と言われた」と拙僧への相談は、今日まで後を絶たず。釈迦も、達磨も、各祖師も、脅して導いたなんて話、聞いた事がない。ほんとに困ったもんで、何が悲しゅうして、わが子、わが孫を祟る先祖がおろうかいな。先祖を愚弄するのも、大概にせにゃ。失礼にも程がありますばい。僧侶に「先祖が祟っとる」と言われ「はっ」と思う人達は、何かしらの身に覚えがあるんでしょうな。お金なんぞで解決しようとせず、自分の生き様(先祖に心配をさせない様な生き方)で、先祖を喜ばせた方が、よっぽどよか。今から、1100年前、一休宗純さんが「欲を捨てよ、と言う側から、拾うてまわる寺の坊主」と。その頃から坊主は、そうだったんでしょうね。何度でも言いますが、信仰は特別な物ではない。特別な物にしている者がいるだけ、ですばい。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。