令和5年9月分 金剛寺住職法話


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毎月1日に投稿する法話は、スマホやタブレットを使えないご老人たちの為に、コピーして配布させて頂いているものです。また、幾つかのの会社では、この1日投稿文法話を有難くも、社員全員にコピーして配布して頂いている社長さんも。よって、少々長うございますので、鬱陶しいと思われる人は、無視して下さいませ。

【本文】

檀家男性が「SNS の中の知人のチェックをしてると、他界された人達の名前が何人か出てきて。名前まで消去するは、寂しい感じがして。住職はその様な人達をどうされてますか」と。「そのまま消去せずに残してるよ。名前を見たら、その人達を思い出す事が出来るし、もしかしたら、向こう(浄土)から、メールや電話が来るかもしれないでしょ」「んっ、えっ、メールが、ですか」「ロマンだよ。ロマン。拙僧にとっては、お墓や仏壇も、同じ意味合いなんだよな。その前に座ったら、故人を思い出す事が出来るでしょ。その場所に霊魂が『宿っている、宿っていない』などは、そう大きな問題ではないかな」と。

続けて、この男性が「ところで住職。戒名(送り名)って、必要なんですかね」と。「例えば、拙僧の俗名は、ご存じだと思うが、山本博文でしょ。『山本博文位』では、どんな人生を歩んだ人か、さっぱりわからんでしょ。わが寺には、江戸時代後期から過去帳に戒名が残っている檀家が。これは、何を意味するかといえば、誰1人として代々の子孫が、親を粗末に扱わなかった、という証拠なんですよね。拙僧の山本家は、明治初期からの戒名しか、過去帳に残ってない。恐らくその頃に、親不孝者がいた、という事なのかな。戒名に使われている漢字を見ると、この人は、武士だったのか、百姓、漁師、車引き、坊主だったのか、とか、いつ頃、どの様に他界されたのか、までわかる事が。向こうには浄土があり『名無しの権平』で逝かせる訳にはいかないので、住職は戒名を授けている、が建前だが、そんな想像上の事よりも、私達の家のルーツを知る為の資料としては、これ程に参考になる物はないですよね。昨今は拙僧、遺族の人達に「故人(生き様)を漢字1文字で表すとしたら、どの漢字を当てはめますか」と伺う事が。その漢字を戒名の中に入れる事が。因みに、高野山奥之院には、織田信長公の供養塔があって、発見されたは、約50年前の1970年にて。見つけられた手立ては、戒名からなんだよ。本能寺にある供養塔の戒名『総見院殿大相国一品泰巖尊儀』を参考に、高野山で『総見院泰巖大居士』の供養塔が発見されたんだって。本当にいたんだね、信長公。高野山に行けば、歴史のロマンに遭遇できるよ」と。

更に、この檀家男性が「ところで、戒名料って、高額過ぎると思いませんか、住職」と。「拙僧のお寺は、戒名料は、もらってないんだよね。全て『〇〇院〇〇〇〇居士(大姉、不生位)と、無料で授けているよ。お寺によれば、100万円、50万円は、ザラに。『こんな高額なら、戒名など貰わんでいい』と言う人達が増加しても仕方がない事だよね。ただ、戒名料が高額になったは、お寺側から出てきた話ではないんだよな。戒名の『院号、居士、大姉』は、昔は、お寺に貢献(お布施、米、野菜などの奉納、境内掃除、法要の奉仕など)された人達だけが貰えたもの。貢献されてない人達は、幾らお金を積んでも与えてもらえなかった。ところがこの国は、経済繁栄(昭和の時代)と共に成金さん達が。その人達の子孫が『私の父は、社会的地位も財産もある人間。その人の戒名が、〇〇〇〇、の4文字では、葬儀の時に恥をかきます』と、お寺側に申し立てを。昔は、戒名を見たら、欲得なしにお寺に貢献された人(人徳者)かどうかが、一目瞭然の時代にて。そこで、お寺側が『そこまで、院号、を望むなら、お寺に貢献して、院号、の戒名を頂いた他家の檀家から文句が出ない様に、それなりの戒名料を払いなさい』が高額戒名料が出てきた始まり。つまり、在家の見栄っ張りから始まったもの。それを後々坊主が逆手を取って、お金儲けに走り出し、現在の様な高額戒名料になっていった。それぞれのお寺さんの事情もあるでしょうが、まあ、そろそろ見直された方がいいかな。政界(憲法を含む)も、財界も、教育界も含め、そろそろ様々、この国は、見直す時期に来ている様に思えますな」と。

わが寺では、今年(令和5年)は、初盆の檀家さんが例年よりも多かったので、お盆の三ヶ日(正月三ヶ日もお盆と同義)は、そこの家々を優先してお盆(初盆)参りをさせてもらいました。よって、他の檀家さんのお盆(仏壇)参りは、8月に入ったらすぐに始めました。なるべく、お盆三ヶ日を超えない様に。ある檀家さんの仏壇参りに伺うと、小学生の男の子が家にいて、拙僧の対応を。「何や、今日、学校はどうした」と聞くと「住職、アホか。今、夏休みやんか。自分が子供だった頃の事を、大人になったら、何もかんも忘れるんかい。だから大人は、何でもかんでも上から目線で、子供を叱りつけるんだよ。住職なんて、度々そんな法話を話してるでしょ。『子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ』と、檀家さん達に」「あっ、そうか、そうだよな。すまん、すまん。そう怒るな」「ところで、住職。今からクイズを出すから、チャ、チャと答えてみ」と、この子が。「おう、答えてやるわい」「人がすれ違う時、ほぼ同時に『暑っ、涼し』の声が、1日に何度も聞ける場所って、どこと思うや」と。拙僧「〇〇じゃろ」と即答すると、じっと拙僧を睨みつけ「おもろない人間やで。ほんと、大人気ないわ、住職。少しは、悩む振りぐらい、したらどうや。相手は小学生の子供やで」と。

対し、拙僧「そりゃ、悪かったな。ところでな、君が出したクイズの答え『立場が変われば、捉え方が違う』だが、それと同様の意味の道歌があるんだが、聞きたいか」「どんなのよ」「こんな歌だよ。『手を打てば、ハイと答える、鳥逃げる、鯉は集まる、猿沢の池』というもの。奈良県にある猿沢の池の周囲には、宿屋さんが沢山あってな。お客さんが手を打てば、宿の人は呼ばれたと思って、はい、と答える。が、鳥は、手を打つ音を聞き、鉄砲と勘違いして、驚いて飛び立っていく。鯉は、手の音を聞いて、いつもの様に餌がもらえる、と集まってくる。手を打つ音だけで、受け取り方がこうも違ってくる。これは、この世の中『これ、正解』はない、という教えなんだよな。自分の意見と違うからといって、相手を否定する事はならん、という事だわな」「なるほど。このクイズ、もらった。どこぞで使うわ」と。「ところで、君のクイズだが、あれ、君のオリジナルだろ。どこで考え付いたんだい」「イオンの出入口で、お母さんを30分くらいかな、待ってた時だよ」「そうか、イオンだったか。不特定多数が利用する、どこかの出入口じゃないかな、とは思ったが。だが、君はいつ如何なる時でも、色んな事を見逃さないよな」「小学生が、好奇心を持たずにどうする」と、この子が、偉そうに。

わが寺の檀家さんには、こんな面白い、機転の利く、利発な子供が、次から、次に,出てきますよね。お寺との関わりも深いので、年に何度も、親と一緒に納骨堂参りや法要に。その時、拙僧がお寺に居れば、この子供達と色々、様々、萬の対話を。「家庭や学校では聞けない、レア(珍しい)な話がいっぱい聞ける」と、子供達は大変喜んでお寺に。このレアな話というがくさ、投稿すれば炎上必至の話にて。読者の皆さんが各々、わが心と折り合いを付けて、文句言わずに黙って、自己判断してくれるのなら、SNS にも載せられるのですが。まあ、難しいでしょうな。どこにでも、いつの時代にも、文句言いは一定数おられるし、それに釣られる人も沢山おられますから、世を騒がせる事になりますもんね。よって拙僧、その様な炎上必至話(間違いなく面白い話)は、講演会などで披露を。活字に残らないので、後から後から、文句言いが現れる事がないですからね。人間の泥臭い、自分にも当てはまる様な話ですので、講演参加者は皆、興味津々で、その話を聞き入っておりますよね。

さて、話を元に戻しましょうかね。拙僧と接見してきた檀家の子供達がもう、30歳、40歳になっている人もいて、今度はその子らが、わが子を連れて、定期的にお寺に参拝を。で、来られたら、彼らが子供時代の頃の様に、わが子達を交えて、拙僧と馬鹿話を。順送り(代々の繋がり)ほど、心和む事はないですよね。

数年前、お盆で仏壇参りに伺った時の話ですが、その家の小学生に「1番の親孝行は、何かな」と問うと「親より先に死なない事」と返してきました。「ほう、その理由は」「病気で弟が死んだ時、父さんと母さんは、何年も悲しみ続けていたもんね、僕もだけど。それと、爺ちゃんと婆ちゃんに優しくする事かな。2人を大事にすると、父さんも母さんも、嬉しそうな顔をするんだよね」と。


令和 5 年 9 月分 金剛寺住職 臨時法話


檀家の男性が「神戸で6歳の男の子が、虐待されて殺された事件ですが、凶器で激しく殴られた打撲痕が10箇所以上もあったとか。警察に複数の鉄パイプが部屋内から押収されたんだってね。加害者は、母親とその弟と双子の妹だってよ。産みの母親と、叔父と叔母だよ、住職。押し入れに断続的に押し込め、虐待し続けていたんだと。この様な話を聞く度に、この事件と同じとまでは言わないが、虐待されて育った子供時代の、私の事が脳裏を過るんだよな。子供は生まれる時に、何の選択権もなく『これが、あなたの親』と有無も言わさず、押し付けられる。生まれた途端に、いきなり目の前に地獄、極楽が。私も子供の頃は『何でこんな親の元に』と、自分の定(さだめ)を恨んだ事もありましたが『そんな事を言っても仕方がない。親は親、子供は子供』と社会に出てからは、自分の人生だけに、心を向ける様に努めました」と。

更に、この檀家の男性が「虐待されて育った子供が、親になってわが子を虐待するは、統計上から見ても、少なからずと聞きますよね。子供の頃は『こんな親には、絶対にならんぞ』と親を否定していたにも関わらず、知らず知らずにそれが身に付いていて、いつしか親と同じ様な事(虐待)をわが子にする様になると。住職が度々法話の中で『親が作った家庭環境で、その親が育てる。親と同じ様な人間になる確率が高いは、当然の流れ』と。これって、わかる様な気がします。『自分も1歩間違えたら』と、感じる事が偶にあります。私は常にその事を心に言い聞かせながら、子育てをしております、虐待に限らず、知人達を見ても、お金にルーズな親の元で育った子供は、やはり、お金にルーズな子供が育ってますもんね。当に『躾(しつけ)は、する物ものではない。躾は、見せるもの』ですよね。良い事も、悪い事も、親が手本にて」と。

対し、拙僧「そうだよね。例え、親子であろうと、自分は自分、人(他者)は人、だもんね。『常識じゃ、考えられん』と嘆いたって、一定数は、こんな人間(虐待する親)は、必ず存在しております。問題の根本は教育ですが、法律で厳しく規制していくしかないですよね。人の命の話ですもんな。英国人に嫁いで25年以上、ロンドンに住んでいる妻の妹が言っておりましたが、英国では、3歳以上の子供と親が、一緒に風呂に入っていると、性的虐待を疑われ、近所から通報され、警察が有無も言わさず、家の中に乗り込んでくると。妻の妹も1度、子供と一緒に風呂に入っていて、近所から通報され、警察が乗り込んできたと。が、妹が日本人だとわかると、日本の習慣を理解されている様で、引き上げて行かれたと。子供に対する虐待に関しても、国が速攻介入し、親から子供を引き離し、施設に保護すると。妻の妹が言うには『子供は、神の子』という考え方から『あなたは親として相応しくない』という徹底した考えの元で、国家は動いているのではないか、との見解を」と。

この檀家男性が「英国の様に、ドカドカと家の中に、乗り込んで来るが良いとは言いませんが、この度の神戸の様な残忍な事件が、この日本でも頻繁に起こっている以上、ある程度は、その様な権限を警察に与えるも必要なのではないか、と思うんですよね。恐らく、ニュースになっているは、氷山の一角ではなかろうかと。無抵抗の幼児、無抵抗のご老人、の命の存続の問題にて。政治家さんには真剣に、この問題を討論して頂きたいものですね。死んだ(殺された)後で、事が起こった後で、議論するでなく、死なないで(殺されないで)済む方策を、考える方が先ではないかと、そう思うんですけどね」と、この檀家の男性が。

更に、この檀家男性が「これは、住職の法話の受け売りですが、釈尊が2500年前に『人間、生まれを問うな、育ちを問え』と、教育の大事さを世間に説かれたでしょ。教育、教養なきが故に、様々な問題が引き起こされていると。当に、世の安定、安穏は、教育ですよね。それと、法律に関しては、紀元前1700年頃、古代バビロニア帝国の初代国王、ハンムラビ王が『目には目を、歯には歯を』の法典を、無法者を取り締まる為に。この法律は『やられたら、やっちまえ』と、復讐を煽っている様に勘違いされていますが、実は『同じ程度の復習をするにとどめなさい』と制限(抑止の意図)を施しているものなんですよな。という事は、されただけは、して返してよい、と。虐待されて、無惨に殺された無抵抗の幼児、ご老人の報道がある度に『その人にした(虐待)事と、まったく同じ事をして返してやれ。されば、虐待しながら、捕まったら今度は、俺がこんな目に遭わされるのか』と、少しは考える様になるんじゃないかと」と。

続けて、この男性が「この私の考え方ですが、必ずしも正しいとは思いませんよ。思いませんが、何の罪もない人が殺されていく姿を見ると、何かしらの阻止する方策を見つけないとですね。日本は、事件が起こらないと、警察は動きませんもんな。こんな意見を言うと『虐待されて育ったが為に、そんな人間になった可哀想な人もいるんだぞ』とか『育児ノイローゼで、そんな行為に至った、可哀想な人もいるんだぞ』とか、反論してくる人達が必ず出てきますが、確かに、加害者にも可哀想な境遇の人はおられるでしょう。が、何の罪もなく殺された人の事を思いますとね。被害者(命を奪われた人)よりも加害者(命を奪った人、生きている人)の方が、人権を盾に擁護される世の中って、どう考えてもおかしいと思いませんか。殺された人はもう死んでいるので、人権を考える必要がないって事なのかな。それじゃ、あまりに、被害者とその家族が可哀想ですよね」と。

この檀家男性ですが、言いたい放題の事を言っている様に、聞こえている読者もおられるかもしれませんが、それは、それは、親からひどい虐待を受けてきた人でして。この男性は自らで心の闇を克服し、今では親のお墓参り、親の年忌法要も、滞りなく勤めております。ただ、ただ『虐待をしない、させない、の世界を作りたい』だけ。「私は自力で立ち直せましたが、そんな人ばかりでは。虐待されてきた人間にしかわからんものがありますよ、住職」と、時折溢すようにその様な言葉を。余談ですが、石川五右衛門さんが辞世で「浜の真砂が尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」の言葉を、後世に残しておられますよね。いじめも虐待も、人間が存在し続ける以上は、決して絶える事はないでしょうね。『人よりも優位に立ちたい』という意識は、大なり小なり誰しもが、必ず持っているもの。なれば、決め事(法律)で、抑えていくしかないですよね。人の命(幸せ)の問題ですもんな。綺麗事で片付けられる問題では、ないと思いますけどね。

拙僧、お寺の仕事に就いて40年程に。檀家やSNS 内の若者達から「どうして私は、こんな親のところに生まれてこなければならなかったのかな。前世で私は、いったいどれ程の悪い事をしてきたのかな。その報いなのかな」なる悩みを聞く事が偶にあります。対し、拙僧「如何なる縁も、受け入れて乗り越えるしか」と。

【教育とA I 】

この檀家男性が「住職、その教育についてですが、少し話はズレますが、実はA I の事です。先日、番組『そこまで言って委員会』で、旅客機のボーイング737MAX の墜落事故の話が。A I とパイロットが操縦室の中で大喧嘩した結果、A I の判断が優先させられて、2018年にインドネシア、2019年にエチオピア、と相次いで2機が墜落したと。その事故で、合計346人が死亡されたと。センサーの異常(誤作動)とA I が信じた事で起こった事故らしいですが。こんな時、人間がA I を止める事が出来ないのだと。なんか、怖くないですか。特に、原発なんかを全面的にA I に任せる様な事になったら」と。対し、拙僧「そうだね。A I が普及したら、人間の職業が失われるなんて事が言われているが、意外にそうでもないかもですよ。所詮機械だから、誤作動(異常)は起こすし、最終判断はやはり、人間がしなくちゃ。いつでも軌道修正が出来る状態にしておく事が大事。『知識は学問から。が、その知識を活かす知恵は、経験から』だもんね。A I は、これからどんどん進歩していくでしょうが、今のところは、やはり、人間が最終判断をした方が、間違いは少ないかな。2018年にノーベル生理学•医学賞を受賞された本庶佑先生が『教科書に書いてある事を信じない』と言われましたよね。経験なき知識は、いかに豊富な知識を持とうと、ただの『物知りさん』に過ぎんですもんな。人間の古典的な対応が、まだまだ、必要ではないかと思いますね」と。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。