平成30年12月 金剛寺住職短文法話集
「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『方程式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。
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0238 「対応一つで人は変わる。相手を変えようとせず自分を」
新社員の女性が古参の女性にいじめられると毎日泣いてお寺へ。この子は檀家娘で幼い頃から特別の癖が。正面に顔を置かず、対話は斜に構えて目だけを相手に。言葉語尾音を下げるから不服調に。常に無反応で無表情。全て改めよ、と。2週間後「相手に変化が」と喜んでお寺へ。「問題は君の方だった、ということだな」と。
0239 「類は類を呼ぶ、という意味は」
若者が「人の縁に恵まれん」と愚痴を。「家族以外で君の周りにいる人達を見れば、今の君のレベルが見えてくる。この人からはこれ以上得る物(知識も含)は、と判断すれば、人は自然と君から。気付けば周りは同じレベルの人達だけ。類は類を呼ぶ、とはそういうこと。より良き縁を望むなら、向上心を持って努力を」と。
0240 「長たる者は、様々な声に耳を傾けるが大事」
目の不自由な方を集め「象」を触らせる、という逸話が。ある人達はお腹を触り壁みたいなものだ、と。ある人達は足を触り丸太みたいだ、と。1人1人が自己主張を展開し、とうとう最後は大喧嘩に。その様々な主張に耳を傾けた者達が「象はこういうものだ」と結論付けを。政治を含め、組織を束ねる長のあるべき姿勢かな。
0241 「良かれ、の押し付けは、却って迷惑の場合も」
檀家が「大恩人が入院、の話が外から耳に入りお見舞いに、と思うが家族の方はそんな素振りも。伺っていいものか」と相談を。「私も父の時に経験がありますが『痩せ細って苦しんでいる姿を人に見せたくない』との本人と家族の意向もある。人がそうするからには、そうするだけの理由が。控えてあげるも思いやりですよ」と。
0242 「死んで姿がこの世から消えたら、受けた恩まで消えるんかいな」
読者女性が「お寺によっては、仏壇に茶やご飯を備える必要など、と。どう思う」と。「そりゃ、先祖がガツガツ食する訳じゃ。自身の感謝の有無の問題。生前と同じ様に接する事で受けた恩を心に。人は習慣にせずば、次第に心が離れていく。勉強も仕事も怠け出したら歯止めが。墓捨て人の増加は、この心の欠如が原因かな。
0243 「対岸の火事は、いずれ、わが岸の火事に」
ヨーロッパ在住知人達に「テロ問題大変ですね」と打診すると「少なくとも私の周りの人達はそう気にしてない。音楽会場の後方から、突然マシンガンが火を。電車内で突然爆発が。心配しても仕方がない。そこにいたことを不運と思うしかない」と。良寛さんの教えの『先ずは受け入れよ』が頭を過ぎった。これは他人事では。
0244 「上に立つ者が身を削ってこそ世の中は」
宮大工棟梁が「体の不自由な方が住み易い家は、健全者ならもっと住み易い」と。高僧が「子供が容易に理解出来る法話は、大人ならもっと理解出来る」と。満たされている側の方々がそういう基準で世の中を回せば、全ての人が幸せに。人の苦しむ姿を見るより、人の喜ぶ姿を見る方が圧倒的に幸せを体感。そんな世の中に。
0245 「仕事道具に拘らぬ人間は、プロではないと、棟梁が」
わが寺の棟梁から「お寺を継ぐ人間は、境内地に自らの汗を落とせ」と、各お堂の修理を長年に渡り手伝わされた。「弘法筆を選ばず、という言葉があるが、お大師さんは非常に筆に拘ってた、という話だ。当然だ。ノミ、カンナなど刃の手入れが不十分では、大工は仕事にならん。プロだからこそ、拘るところには拘るんだ」と。
0246 「昨今の医学部問題は度を越えているかな。何か、本末転倒しているような」
医学部は相変わらず狭き門にて。まあ仕方が。人の命を預かる仕事だから。唯、一点だけ。わが寺宮大工棟梁が「生まれつきの器用さは絶対に必要。ある程度までは伸びるが、名うての匠となる者は生まれ持ったものが違う」と。そう考えると外科医志望者だけは器用さの確認を受験前に。一発勝負で将来名医の卵を埋れさすは。
0247 「拘らない心が信仰の本当の姿、かな」
息子5歳頃、父と3人で奈良真言宗豊山派長谷寺へ。参拝後帰り道で「オンマカロニサラダ」と息子が何度も何度も。すれ違った老人が「こりゃ、父ちゃんよりもいただいとる」と笑顔で。よく聞くと「オンマカキャロニキャソワカ」という本尊千手観音の真言にて。子供は子供なりに。負うた子に教えられ浅瀬を渡る、だね。
0248 「力に応じて支給されるが、給料や賞与にて」
会社講演で安月給を不満とする新入社員達に「一人前の仕事も出来ぬ者に給料を払ってくれているのは、君らに投資をしてくれてるんだ。将来、利益をもたらす人材となってもらう為に。『今の時点では、私は給料泥棒』と、それぐらい謙虚であれ。給料に対する文句は、会社に利益を生み出せる様になってから言いなさい」と。
0249 「思慮深い人に講釈言い、文句言い、言い訳言い、は少ないかな」
江戸時代の高僧『白隠』さんが 詠んだ「手を打てば、はいと答える、鳥逃げる、鯉は集まる、猿沢の池」が。奈良猿沢池には旅館が多く、そりゃ、手を打ちゃ仲居さんは「はい」と。が、その音で鳥は驚き飛び立つ。鯉は餌を貰えると集まるわな。立場によって受け止め方は様々。自分の考えを人に押し付けるな、の教訓かな。
0250 「明日、命があるを約束されている人は、誰一人も」
祖母が脳出血で倒れる5日前、何故か千羽鶴が折りたくなり、新聞チラシを切り3日間で折りあげた。祖母が「鶴を折るとあなたが言った時、気付いていたら」と。が、これを気付くは無理。よく霊能者が「私は知ってた」と言うが、虫の声は全て結果の後付け。倒れる時は倒れる。この時子供ながらに、この世は一寸先は闇、を。
0251 「親の人生と子供の人生は別にて」
娘24歳の時、ワーキングホリデーを利用し2年間ロンドンへ。他の父親から「欧州は方々でテロ問題が。心配じゃないのか」と。「そりゃ、心配くさ。が、日本にいても災難に遭う時は、災難に遭う。本人が自己責任において可能性を試したいと望んでいるを親が止める権利はない。親が出来る事は、無事の帰国を願うだけ」と。
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