令和7年2月分 金剛寺住職法話

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

わが寺(金剛寺)では、子供達や会社員の人達が参拝できる様に、毎年2月の第一日曜日(今年は明日、2月2日)に節分法要を勤めさせて頂いております。撒かれる豆の中には、お菓子類や柔らかい餅などもあり、子供達も大人も、大いに楽しい時間を過ごします。お接待は、1年間の健康を願って『大根炊き』が振る舞われます。特に今年は巳年にて、蛇がお仕えする『弁財天(七福神唯一の女性の神)』さんを、45年振りに社(やしろ)の中から本堂へとお迎えして、参拝者さん達には、ご神体に触れて頂きながら、願いを掛けてもらいます。蛇は脱皮しながら成長していく生き物にて、よって、今年(巳年)は『成長と繁栄』の年。参拝者さん達には、向上を願う趣旨全般、子孫繁栄、家紋反映、事業繁栄、商売繁盛、学業上達、開運上昇、金運上昇、人生開花など、しっかりと弁財手さんにお願いしてくださいと。願う事により「よし、これで弁財天さん、きっと、後押しをしてくれるだろう」という期待感が、免疫を向上させ、やる気と努力に拍車を。

特に、各法要に参拝してきた子供達には拙僧「願いを持たなきゃ、願いが叶う事はないよ。夢を持たなきゃ、夢が叶う事はないよ。だけど、なんぼ、神仏にお願いしても、一生懸命に努力をしなきゃ、夢も願いも叶うなんて事はないよ。種は撒かなきゃ、芽は出らん。犬も歩かにゃ、棒にも当たらん。牡丹餅も、自ら作って棚の上において置かにゃ、落ちてくる事はない。いいかい、常に自分の心に『まず、動け』と発破を掛けなきゃ」と。添付写真は、わが寺の弁財天(水の神)さん。45年ぶりの衣装替えを。

【1日の投稿法話の本文に入ります】

令和 7 年 2 月分 金剛寺住職短文法話集

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【本文】

昨今、また、檀家、知人、拙僧の法話読者から、若者(小、中、高、大、から、30代まで)の引き篭もりや、自死の相談を受ける事が多くなってきました。その要因は様々なれど、拙僧が受けた相談の範疇では、その生い立ち(家庭環境、親子不和)が子供達の将来に、大きく影響(自死の回避、自死の決行)を及ぼしている様に見受けられます。そこで今日の法話は、『子供に関する相談(自殺防止)を受けた折に、親御さんに対し助言した『自殺防止となるやもしれない言葉』を紹介させて頂こうと思います。何かしらの参考になりますれば。

【責任を全て自分以外に押し付けるタイプの親御さんに】

「子供が物心付いて、最初に人間の理不尽(夫婦喧嘩、嘘、偽り、誤魔化し、人の悪口、噂話、誹謗中傷)を目にするは、親の言動からですばい。国や社会に文句ばかり言わず、親はまず、自らの姿勢に目を向けないとあかん。子供に見せたくないテレビ番組で『8時だよ、全員集合』や『俺たち、ひょうきん族』や『クレヨンしんちゃん』などが、子供に悪影響を、と敵視されておりますが、テレビ番組だけを叩いてもね。1歩外へ出たら、世の中は理不尽な事ばかり。子供達が社会において見聞きしてきた様々な不条理を、濾過する事が出来る家庭を構築する事が、まずもってやらなきゃならんこと。それこそが、親の役目ですばい」と。

【自分の子供時代を棚に上げるタイプの親御さんに】

「子供の言動に対し、頭ごなしに怒らず、何故そうしたのか、何故そうなったのかを、しっかりと聞いてあげて、アドバイスをしてあげてくださいな。されば、自分で解決出来ない重荷を背負った時には、必ず親に相談をしてきますから。大人であれ、子供であれ、嘘をつくは、我が身を守る為にて。嘘を付く必要のない家庭環境を親が構築すれば、子供は嘘を付く必要がないので、嘘を付かなくなりますよ。正論を押し付け過ぎたら、優しさが欠けますばい。失敗を許してくれない社会(家庭)は、自由な社会(家庭)とは言えない。失敗を許してくれる社会(家庭)を、自由な社会(家庭)と言うんですよ」と。

【自分の子供に限って、というタイプの親御さんに】

「お寺の法要に子供達を連れて来てください。馬鹿話や面白い教訓話をして、お寺というものに子供達を溶け込ませますから。困った事が起こったら『あの住職なら聞いてくれるかしれない』と、お寺が子供達の心の拠り所に。自殺防止は、話を聞いてくれる大人を何人持っているか、が鍵となるようですよ。拙僧の経験の範疇では、相談をしてくる子供は『まだ死にたくない』の心があるから、死を選択する事はありません。死ぬ事を既に決めている子供は、邪魔をされたくないから、決行するその日まで、誰にもわからない様に明るく振る舞っております。過去に実行(自死)された子供さんは、スマホの中にも、その痕跡(友人との会話にも)は残されていませんでした(警察の調査)。わが寺でも、子供の自殺は数人おります。その数人の大半が、自殺の原因は、いじめや友人関係、進学問題ではなく、親子関係のもつれ、でしたよ」と。

【真剣に子供さんと向き合わないタイプの親御さんに】

「幼い頃から子供は『何故、何故』と親に疑問を投げ掛けてきます。子供が幼い頃は、親の方も丁寧に聞いてあげて、しっかりと答えてあげておりますが、何年もそれが続いてくると、段々と煩わしくなっていき、適当に相手をする様に。子供の方は、5歳、7歳、9歳と、年齢が上がっていく程に、切実な問題(勉強や人間関係、社会に対する疑問など)に変わってきているのに。いつの頃からか子供は『この人に話をしても』と、親に対し不信感を抱く様に。1度子供が親に対し、そんなレッテルを貼ったら、なかなか改善するは難しい。以前、子供さんから不信感を持たれ、落胆する親御さんに『今は、親から心が離れていても、本当に困った時には、子供が本当に頼れるは、やはり親だけです。数年後、頼ろうと思って振り返った時、不信感を抱いていた頃の変わらぬ親がそこにいたら、子供は頼ろうとはしませんよ。親から心が離れていても、子供は社会に揉まれ、成長をしていっております。親も子供と一緒に、成長していってください』とその親御さんに」と。

【何故、そうなっていったかを理解しようとしないタイプの親御さんに】

「暴走族の最盛期は、全国に約5万人も。が、昨今は、全国に約6千人程に減少を。そうなっていったは、個人主義が主流となり、徒党を組むのが煩わしくなった様で。世にいう『不良』と言われる子供達は、寂しい家庭の子供が大半であると。わが寺の檀家を見ても、大半はそれに同じでしたね。暴走族以外でも、徒党を組むを嫌がらなかった時代は、心を病んだ(寂しい環境)若者達が、身を寄せる場所(暴走族など)があった。つまり、死ぬ事以外に、選択肢(場所)があったという事です。暴走族という媒体は、そんな寂しい子供達が身を置ける場所であった、という事でしょうな。暴走族を肯定する訳ではありませんが、若者達にとっては、自分の逃げ場所でもあったという事にて。40年以上前、不良と言われた拙僧の友人達を見ても、そうであった様な気がします。若気の至りは、若い時の心の吐口だったのかな」と。

過去に何人かですが「私の子供は、大人しくて、素直で、親に逆らう事を一切しない、非常に良い子なんですよ」という勘違いの親御さんを相手をした事がありましたが、ある日突然、痛手(大反抗)を味わう事になり、拙僧へ相談にお寺へ。その親御さん達に拙僧「親に対し、わがままを言う、反抗をするが、子供にて。それをやりながら、子供は成長していきます。それをしないという事は、親に気を遣って生活をしていると、何故に気付かなかったのですか。15歳になっていきなり、暴れだす子なんていないですよ」と、子供の微妙な変化に気付かない親御さんに注意をした事が。この手の家庭は、檀家の中にも結構に多いかな。

【18歳自死者の葬式で】

会葬者(自死者の友人の保護者達含む)に向けて拙僧「自ら命を絶った者は『地獄に堕ちて未来永劫に成仏出来ない』と巷では、そんな話が真(まこと)しやかに。この話は方便(嘘)にて。元禄16年(1703年)、近松門左衛門が曽根崎心中を発表した時、世間で心中沙汰が流行を。それを止める為に『自死は地獄行き』と方便を使い、連鎖を阻止しようとしたが始まり。それが功を奏し、ある程度、自死を食い止める事が。方便(嘘)とはいえ、自死防止にそれなりの成果を上げられた事により、それが現在にまで残っているだけですよ」と。続けて、拙僧「事故死であれ、災害死であれ、病死であれ、老衰死であれ、突然死であれ、自死であれ、人間の命は、寿命にて。亡くなり方によって死後世界の環境(地獄、極楽)が決まるとは、人間が勝手に決め付けた事にて。哀しく旅立って逝かれた人に、更に、追い打ちを掛ける様な、根拠なき言葉を投げ掛けるは、やめた方がいい。最期がこうだったからといって、この子の人生の全てを否定する様な事を言うは、思うは、あまりにも可哀想過ぎる。この子も18年間、この子なりに一生懸命に生きてきたんだから。保護者の皆さん、決して他人事とは思わないでくださいね。あなた達の子供さんは、今、生きとりまっせ。しっかり、我が子と向き合っていきましょう。しっかり、会話をしていきましょうね」と、会葬者の皆さんに。

上記の葬式での法話は、この18歳で自死された子供さんの親御さんから「私達の様な思いをするは、私達だけでたくさんです。子供の友人の保護者さん達に、それなりのお話をしてあげてください」との依頼を受けて拙僧、その様なお話を会葬者さん達にさせてもらいました。


令和 7 年 2 月分  金剛寺住職 臨時法話

昨今は、自死や引き籠りの問題以外にも、ニート(20代から40代の働かない男女)に関する相談も急激に増加をしてまいりまして、拙僧がこれまでに相談を受けてきた、狭い範疇での事例ですが、そうなった要因(ニートになった)であろう、と思われるものを箇条書きにして、今回は紹介をさせて頂きます。これは100に満たない事例(拙僧が受けた相談)ですので、参考に出来るものだけを、参考にして頂けたらと思います。幼児、小学生を子供に持つ檀家の親御さん達には、今の内に、と事あるごとに、下記の話をさせて頂いております。

【要因1】

親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事かな。子供は、親が育てただけしか、育っておりませんもんね。「鳶(トンビ)が鷹(タカ)を産む」という言葉がありますが、鳶(トンビ)は鷹(タカ)は産みません。蛙の子は、やはり、蛙です。ただ、子供本人の努力で、鷹(タカ)のような鳶(トンビ)が育つ事はありますが。子供は、親の所有物ではありません。人はその土地を縁にして生まれてくる事から「あなた(神、氏神)の子供を私に育てさせてください」と願いを掛けて授かったもの。よって、七五三詣りに赴くは「3歳まで、5歳まで、7歳まで、あなたの子供をこの様に育てました」と氏神さんへ披露に行かせてもらう行事にて。そして、披露の最後が20歳の成人式。この時「この人間(親)に、この子を預けて正解だったのかな」と神さんに思われん様にしなきゃならんですよね。どんな子であろうとも「この人間(親)なら、この子は育てられる」と、期待されて渡されたのですから。

【要因2】

その筋の専門家が、物心が付いた頃から、義務教育(15歳)までの育ちを基礎として、16歳から20歳の間で、人間の人格が確立していくと。が、この国の教育形態を見ていると、学校でも塾でも、先生の指示(言われるまま、されるまま)の下(もと)で勉強を。家に帰っても、先生の指示の下(出された宿題、課題)で勉強を。いつ、自主的に勉強するのか。指示され続けて(小、中、高)12年。出来上がった人間は『指示待ち人間』に。結果、自主的に動くを求められる社会に馴染めず、就職してもすぐに離職を。こんな子が過去に何人、親に連れられて拙僧のところへ相談に来た事か。その相談に来た大半が、男性(息子)にて。勿論、世の中はそんな子供達ばかりではないですよ。しっかりしている子は、しっかりしております。知識は学問から、その知識を活かす知恵は、経験からしか身に付きませんもんね。経験なき知識の持ち主は、ただの『物知りさん』でしかない。ただの『物知りさん』では、実践の役には立ち難い。過去に、この『ただの物知りさん』が、物知りを盾に拙僧の前で、経験なき見地から親に的外れの文句、講釈を浴びせ掛けた事が。対し拙僧、余りの言い分に堪り兼ね、その物知り息子に「読んできた本の中だけで、生きてんじゃねえよ。動きもせん、仕事もせん、君が出来るは、勉強(五科目)だけか」と。その言葉が効いたのか、悔しかったのか、その息子、今ではガラッと変貌を。

【要因3】

育てられた経験しかない者、育てた経験のない者は、どうしても大人になりきっていない様に見受けられます。子供を育てるというは、自我(親自身)を抑え、子供が成長するまで『我慢、待つ事』にて。また、親は『子供を育てている』と思っている様ですが、親も『子供から育ててもらっている』というを自覚せにゃならん。この相互(相関)関係を経験していない人は、やはり、大人になりきってない様に思われますね。少し昔は、就職して仕事に慣れてきたら、結婚して家庭を持て、と上司から。これは、家庭を守り、子供を育てるというを経験せずば、部下を育てる事(会社存続の為の後継者育成)が出来ないからと。因みに、企業の平均寿命は、1980年代は、約30年であったと。2017年には、約23年という事。様々色々要因はありましょうが、人材育成不備(人材不足)も、その原因の1つなのかな。

【要因4】

10年程前の6月、7月の2ヶ月間に、来寺された日は別々ですが、次から次と20人以上、それも30代の男性(就職して、すぐ離職)ばかりが母親に連れられて、人生相談(人間関係の不和、絡れ)に拙僧のお寺へ。その男性(息子)達に、そうなった理由(経緯)を引き出そうと話し掛けていると、横から母親が度々口出しを。「今、息子さんに尋ねていますので、宜しいですかね」と何度注意しても、母親が横から息子の言葉を遮ってまで、口出しを。拙僧、とうとう堪り兼ねて「お母さん、あなた、少し黙らんですか。拙僧はこの子に聞いとる。息子さんがこうなった理由がよくわかる」と過干渉の母親達に。男性(息子)達に「君が拙僧に、本気で相談したいなら、今度は1人で来なさい」と全員に。その後に来たは、2人。その2人は今でも時折、自分の家族(妻子)を連れてお寺に来ては、拙僧と馬鹿話や四方山話を。

【要因5】

ここでは、親の子育ての事例を1つ。先頃亡くなられた、歌手の谷村新司さんは、父親が衣類関係の会社の社長だったと。生前、テレビ番組で谷村さんが「アリスの稼ぎが大きくなっていき、その勢いで事務所の社長が米国に投資(進出)を。が、それが大きく失敗し、大きな負債を。私たちアリスもその煽りを受け、半年から1年程、給料なしで仕事をする有様。あまりに生活が苦しくなったので、関西にいる親のところへ。少し加勢(生活費)してもらおうと、父親にその事(会社の危機)を話すと『そうか、それは大変だな。まあ、頑張れ』の言葉だけ、1円の援助もありませんでした。その時の父親の厳しい突き放しがあったればこそ、今の私があると思います」と言われておりましたね。子供が可愛いくない親なんて、どこにおりまっしょうや。が、ここぞの時に親は『心の中に鬼1匹』を飼う事が出来るかどうかが、大きな分かれ道になるでしょうね。

【最後に】

わが寺の本堂内には、鬼子母神の社(やしろ)が。その社の屋根には、三猿が。三猿(見猿、言わ猿、聞か猿)の極意とは「見てはならん、見なきゃならん。言うてはならん、言わにゃならん。聞いてはならん、聞かにゃならん」の判断にて。この判断は、結構に難しい。般若心経の文言の中に「眼耳鼻舌身意」という六文字が。意味は「見たいものだけ見る目なんていらない。聞きたい事だけ聞く耳なんていらない。言いたい事だけ言う口なんて必要ない。この世の中、したい事だけすれば、それで事が済むんかい。よくよく考えな」というもの。人間関係というは全て、割り切れんものを無理矢理割り切って、わが心と折り合いを付けていく事ですもんね。

子育てといえば、先日、こんな話が檀家さんから。その檀家女性が「住職さん、これは、知人から聞いた話なんですが、その知人(女性)が、ある家族の話を私に。その話とは、こうです。そこの子供(30代男性)が、こんな事を言ったそうなんです。『親が100歳まで生きると仮定するだろ。そう考えたら俺は、親が定年するまでは、親の給料で飯を食っていけるという事になる。親の定年後は、親が死ぬまで、親の年金で飯を食っていける事になる。俺が70歳までは、これで何とかなる。残りの70歳以降は、贅沢な事を望まなきゃ、生活保護で死ぬまで飯を食っていける。全くもって、この国は天国だぜ。日本に生まれてきてよかったわい』と。働ける頑丈な体を持っていながら、ただの怠け者だよ。これって、どう思いますか、住職さんは」と。続けて、この檀家女性が「実は住職(拙僧)、私の親戚の中にも、こんな『寄生虫予備軍』が1人、いるんだよね、男性(高学歴ニート)だけど。住職は、この様な話(寄生虫予備軍の存在)を耳にした事がありますか」と。「似た様な話は、何度か聞いた事もあるし、相談を受けた事もあるかな。これからは、人間100年時代になるらしいが『結婚もしない、子供もいない。寄生虫で生きていく』が増加していくとなると、その内に尻窄みとなって、国も、各々の家庭も『長者三代続かず、をまっしぐら』という事になっていくんだろうね。拙僧の知人の中にも、お寺の檀家さんの中にも、この様な家庭、徐々に増えてきたかな。『そうすりゃ、そうなる。そうなっていってるのに、まだ、そうするか』だよね。過保護、過干渉が作り出した、世の中の流れ(世相)だね」と。

次回の投稿法話は、2月5日になります。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。