令和7年8月分 金剛寺住職の法話
【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】
毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。
【はじめに】
今日は、阿久悠(淡路島出身、作詞家)さんの祥月命日(2007年8月1日、尿管がん、行年71歳)ですね。阿久悠のペンネームの由来は、広告会社勤務の時代に、放送作家として兼業している事がバレない様に『悪友』の文字をもじった筆名として使い始めた事が始まりだと。生涯において作詞したは、5000曲と。阿久悠さんの戒名は『天翔院詩聖悠久居士位』と。戒名に使われている漢字は、故人の生き様、人間性、仕事などがわかる様に記されております。拙僧は俗名を、博文、と言いますが、山本博文位、ではどんな人間だったのか、さっぱりわからん。戒名はその家(先祖)の資料にもなり、後世の子孫においては、ロマンにもなります。そう考えたら、戒名は必要だと思いませんか。
令和 7 年 8 月分 金剛寺住職短文法話集
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さて、今月はお盆です。何万年も昔から、1つの命をバトンタッチの様に繋げてくれたご先祖さん達のお陰で、私達は今、この世に。先祖の供養とは、恩返しです。目を閉じるその日まで、このご恩は消えず。
さて、8月16日は『薮入り、宿下り(やどさがり)』と言って、奉公人(修行に出された子供)さんが、草深い田舎の実家に里帰りするを許される日、という事から、この様な名称に。『許される』という言い方をすると、昨今、巷(ちまた)で大流行りの『〇〇ハラ、コンプラ』を想像し、訳もわからず吠え立てまくる人も出てきそうですが、これは奉公に出した側の親が「里帰りを許してもらえる様に、一人前の仕事が出来るまで、最低3年は里に帰らず、頑張る様に」という親心を受けて、奉公先の主人が『里帰りを許す時期』を見定めての言葉にて。この時には、里帰りをさせる奉公先の主人の方も「この子は、常日頃から、しっかりやってくれていますよ」という気持ち(状況報告)も込めて、お小遣いやお土産をたんと持たせて、帰らせてあげるそうです。これは8月(7月)のお盆月だけでなく、お盆の三ヶ日と正月の三ヶ日が同義(ご先祖の帰省)という事から、1月の16日もやはり『薮入り』と。昨今では、もうこの習慣は、形としては残ってないでしょうけどね。
因みに、この薮入りの日は『地獄の釜の蓋が開く日』であるとも言われております。よって、正月の1月16日、お盆の7月16日(8月16日)は、閻魔大王の縁日とされております。特に1月16日は、初閻魔の縁日法要が方々の寺院で行われております。また、この16日以外でも、8月の1日を『地獄の釜の蓋が開く日、釜蓋朔日(かまぶたのついたち)』と定めている地方もあるようで。地獄の釜の蓋を開ける様に命じるは、もちろん閻魔大王にて。何故、1日に開けさせるかといえば、あの世からの道のりは遠く、1日(ついたち)に開けなければ、1日に出発しなければ、13日のお盆に間に合わないから、という事の様で。
この説に対しては「えっ、地獄の釜の蓋が開かないと、先祖は里帰りが出来ないの。じゃ、先祖はみんな、地獄にいるんかい」と色々、様々、突っ込みどころはありまっしょうが、そこはそれ、方便として聞き流してもらえたら。と。これは何に対する方便かといえば『働き詰めの人を休ませてあげよう』という優しさからきた方便にて。「この日は、閻魔はんも、地獄の鬼さんも、仕事を休んでるんだから、みんな(働き者)も働かずに休もうよ」と呼び掛けているもの。夏場は暑いし、疲れるし、熱中症にもなるしね。この呼び掛けは、浄土宗さんから始まったとの事にて。浄土宗の用語などを網羅した、浄土宗大辞典の中に、その言葉が記載を。
子供時代に奉公に出されたといえば、わが寺が長年に渡り、お世話になっている仏壇店の店長さんの話をここで一席、しておかにゃならんですかね。その店長さんは、現在76歳、欽ちゃんファミリーの齋藤清六さんに極似でして、若い人達はわからんでしょうな。興味があるなら、その名でググってみて下さい。その店長さんは、母1人、子1人で、15歳の時に熊本から北九州の仏壇店へ丁稚奉公に。北九州に来てからは、親孝行が出来ないからと、毎月欠かさず母親に小遣いを送金。その返礼として母親から毎月、手作りの野菜が。「この野菜のお陰ですかね、家族は皆、元気に、健康で」と、嬉しそうに店長さんがおっしゃられておりました。
その母親が、この世を旅立つ時が。「お前に渡さにゃならんものがあるから、来てくれんか」との連絡があり、店長さんが病院へ見舞いに行くと、手渡されたが通帳と印鑑。中を見てびっくり。15歳の時から送り続けていたお金が1円も使われておらず、店長の名義で入金されていたと。なんとその額、1千数百万円。母親の死後、店長さんは「親とは有難いものですね。が、このお金は贅沢には使えませんので」と、国に申し入れて、外国人受け入れのホームステイの費用に使用を。結果、娘達は外国人と会話が出来た事で、2人ともが英語がベラベラに。店長さんが拙僧に「人というは、何の見返りを求めなくても、誠意を持って動いていれば、動いただけの結果が、付いてくるもんですね」と。因みに、北野武さんの母親も、タケシさんが売れてより「毎月30万円くれ」と取っていたお金を、息子が落ちぶれた時の為に、1円も使わずに貯金していたとのこと。
【余談】
もうかれこれ10年程前になりまっしょうか、90代婆様と30代曽孫娘が、拙僧の前で面白い会話をおっ始めよりました。その婆様が「ところで、お前(曾孫娘)は、結婚する気はないんかい」と。対し、曽孫娘が「だって、素敵だな、と思った男性は皆、結婚してるんだもん。残ってるは、残念君、ばっかりで」と。対し、婆様が「あん、残念君ばっかり、じゃと。お前もその、残念さん、と向こうからは思われとるわい。わしらの時代は戦争で、金やら、銀やら、皆死んで、残っとる中から掘り出し物を嗅ぎ分けるしかなかった。その嗅ぎ分ける力も、女の器量じゃ」と。曽孫娘はその言葉に、一言も返せませんでしたね。
この時、言い放つ婆様の言葉を聞きながら、拙僧『ドヒャー、この婆様、男性の事を、金やら、銀やら、と表現しおった。やっぱ、女性は生き物が違うわい』と心の中で大笑いを。この婆様ですが、身体は衰えたりとはいえ、現在101歳、口は相も変わらずの健やかにて。思えば、日本は戦争で多くの若い男性を失いましたが、終戦僅か23年後、昭和43年には、日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に成長を。その時の最大の功労者は、やはり何と言っても、5人、10人産んで育てた女性陣にて。『人は城、人は石垣、人は堀』ですもんね。武田信玄公が言われた言葉、という事ですが。この婆様と曽孫娘の会話の後、婆様に拙僧「ところで婆様は、その掘り出し物(夫)を嗅ぎ分ける事が出来たの」と尋ねると、婆様が「勿論、嗅ぎ分けたくさ。50歳そこそこで死んじまったがな」「その旦那さんは、金だったの、銀だったの」と返すと「金とまではいかんが、わしが銀にまで育ててやったわい。男(夫)は、女(女房)次第じゃ。頼朝(妻、尼将軍政子)も、秀吉(妻、ねね)も、女房の影の力があったからこそじゃ」と。もう、天晴れ、と言うしかない、敵わんわ。お寺もですね、栄えている寺院を見ると『住職の力』というよりも『奥さん(坊守さん、寺庭さん)の力』と言った方が間違いない。
いやいや、女性というは、やはり凄いですな。漢字を見ても、それが的確に表現されております。素直な良い子の『娘(むすめ)』が、結婚して、他家に嫁いで『嫁(よめ)』となり、子を産んで育て、夫を支え、家を守っていく内に、鼻に付く『嬶(かかあ)』となり、晩年は、波風を超えてきた経験から、波風立てる『婆(ばあ)』となっていく。変化を続ける女性に、単細胞(男の漢字には変化なし)の男性が、如何に威張り腐っても、適うはずがないですよね。すいません、大変失礼な事を言いました。お許しを。
この話は余談ですが、パリオリンピックの陸上、リレー競技を家内と見ていた時に拙僧「何万年も昔から、母が子を産み、産んでもらったその子が大人になって、また、子を産み、と、1人が1人に1つの命を延々と途切れさせる事なく、バトンタッチしてきてくれたお陰で、自分達は今現在、命を頂けてここ(今生)に。そう考えたら、先祖さん達に感謝せにゃならんですわな」と。対し、家内が「ほんとですよね。陸上のリレーを見ていると、バトンを受け取った選手は、一生懸命に自分の番を走っていますよね。親から命のバトンをもらった私達は『今度は、私の番だ』と一生懸命に人生を走って、わが子にバトンを渡せましたかね。こういう姿(懸命に走っている陸上競技選手)を見ていると、考えさせられますよね」と。職業柄(寺院勤め)ですかね、どうしても夫婦間では、この様な会話になっていきます。さあ、皆さん、お盆なっとは、ご先祖さん達に感謝の心を。
令和 7 年 8 月分 金剛寺住職 臨時法話
現在、日本では、神社総数88000社のうち、70000社以上が宮司さん不在の状況。先日も拙僧法話の読者である神社の宮司さんが「私は1人で90社の世話を」と言われておりました。寺院においては、総数77000ヶ寺のうち、既に20000ヶ寺以上が住職不在(廃寺)の状況になっております。近い将来、50000ヶ寺が廃寺になるとの事。わが寺の檀家さんが横浜と仙台に仕事の関係で移住して、既に10年以上になりますが、今だ菩提寺が見つからず、7月末に拙僧、仙台へ初盆参りに。「先祖など、どうでもいい」と思う人なら、散骨とは名ばかりで、海に遺骨(先祖)を捨てて、清々する人もいるでしょうが、この2家の檀家の家族は、そんな人達じゃないので、拙僧を遠方までも呼んでくれます。菩提寺が見つからない理由は、わが寺を基準(戒名料無料、永代供養料安額など)にして菩提寺を探しているから。「人間関係(世の中)は全て、割り切れないものを無理やり割り切って、わが心と折り合いを付けるしかないよ」と拙僧、この檀家さん達に。お寺の永代供養料は、高額なお寺でも1柱(故人1人)100万円くらいかな。樹木葬の場合、高額なら150万円というところも。お寺の方が安価なのに、納骨堂を退堂し、墓じまいをし、樹木葬を選ぶという事は、結局、先祖の供養をしたくないんだろうね。わが寺にも樹木葬の業者が2度、来られた事がありますが、お話をしておりますと、この方々(樹木葬業者)に限っては、どう見てもど素人、商売の何物でもなかったですね。
世の中、特に、コロナを迎えてからここ数年、世の中はガラッと変わりましたね。先祖、家族を含む人間関係が希薄な社会になりました。家族が5人いたとしたら、各々人生は別々にて。が、家族で1つ共通したものが。それは先祖が同じという事。その先祖という柱に家族全員が心を寄せているから、家族は崩壊せずに済んでいるもの。幼子がお菓子を貰って即、食べようとした時、親が「まず、爺ちゃん、婆ちゃんに、お供えしたらどうだい」と。「あっ、そうだね」と子供が仏壇にお供えして、手を合わせる。この行為で子供は『施す』という心が育ちます。仏壇の中に本当に先祖がおるか、どうかなど、どうでもいい事。拙僧はこれまでに、1000家以上の家族(檀家さん、縁者さん)と接してきましたが、その狭い範疇から見た拙僧の見解ですが、家の中に手を合わせ、頭を下げる対象物(仏壇)が、ある家とない家とでは、子供の成長に結構な差が出ておるという事。また、爺ちゃんや婆ちゃんと一緒に暮らしている子供達、もしくは、一緒に暮らしていなくても、頻繁に爺ちゃんと婆ちゃんとの交流がある子供達は、そうでない子供達とはやはり『思いやる心』というものに、大きな違いが出ておるという事。子供から見て、親が祖父母を大事に世話している姿を見て育っているからでしょうかね。躾(しつけ)というものは『するもの』じゃなく『見せるもの』ですもんね。子供は親が育てただけしか育ってない。
余談ですが、爺ちゃん、婆ちゃんを海に散骨した親を見て、所縁のある中学生男子が「住職さん、人間は死んだら、ゴミ捨てか。電車の中や、野原や、生ゴミ置き場に骨壷を。うちの親は『爺婆は散骨を希望してたんだ』と僕に言ったが、爺ちゃん、婆ちゃんは『わしらはどうせ海に捨てられる』と悲しそうに僕に言ってたんだ。僕は爺ちゃん、婆ちゃんを海に捨てたそんな親でも、海に捨てる様な事は、絶対にしない」と。先祖の供養というは、御礼報謝を形にしたもの。産んで、育ててもらった恩を、先祖供養というもので、恩返しをさせて頂いているもの。これは自分がこの世を立つ日まで続きます。7月の施餓鬼盆、8月の盂蘭盆、9月の秋季彼岸と、3ヶ月に渡って供養月が続くは、何万年も昔から1つの命をバトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今、私達はここに命を貰って、好き放題、やりたか放題が出来ているという事を、今1度、この時期に認識して、10月、11月、12月の3ヶ月で、心新たに新年を迎える準備を、という事かいな。
この様な話は、キリスト教関連団体にも「話をしてください」との要望を受け、赴く事があります。東京九段の暁星学園では、マザーテレサさんが唯一、日本で講演された同じ聖堂で、法話をさせて頂きました。。「背広で伺いましょうか」と拙僧、先方に尋ねると「いや、法衣で来てください。聖堂で法衣を着たお坊さんが、お話をされる事に意義がありますので」と。暁星学園といえば、卒業者に、北大路欣也さん、香川照之さん、松本幸四郎さん、中村勘三郎さん、賀来賢人さん、グッチ裕三さん、モト冬樹さん、などがおられますよね。
【上記の法話を読まれた女性が】
拙僧法話読者の女性が「ご住職が7月10日に投稿された法話(上記の先祖の御恩)を読んで思ったのですが、考えてみると私の友人、知人で幸せな結婚生活を送っている人の大半は、ご先祖さんやご両親に感謝している男性を選んだ女性達かな。基本、そういう男性は、優しく、誠実で、思いやりのある人、奥さんも子供さんも大事にしますよね。ご住職が以前、法話の中で、読者女性の問い掛けで『結婚相手を選ぶ時に何か注意する点はありますか』の質問に対し『まず、結婚したいと思う男性の家に伺いな。男性の父親が男性の母親に対し、どんな態度で接しているかを確かめてきなさい。将来、君が夫になる男性からどう扱われるか(将来の君の姿)が、案外に見て取れるよ』と。この住職の言葉も、私の周囲には当てはまっている知人、友人が何人かおります。
続けてこの女性が「住職は常に法話の中で『躾(しつけ)はするものではなく、見せるもの』と。子供は親の姿を見て育ってますもんね。男性だけではなく、女性の方もまた然りです。男性は『結婚したいと思う女性の母親を見て決めろ』と。特に、料理をしない母親の元で育った女性は、料理をしない娘が多い。お金にルーズな親の元で育った子供は、やはり、お金にルーズな人間に育っている可能性が高い。昨今は、お墓を捨てたり、親の葬式もせず、火葬場に遺骨を置き捨てて帰ったり、散骨とは名ばかりで海に捨てたり、供養をしたくないから樹木葬にしたりと。そんな家庭って、命を流してくれた人達への感謝が足りない表れでしょ。その様な感謝する心を持たない家族は、崩壊していくんじゃないでしょうかね。私は結婚相手を選ぶ時には、ご先祖さんやご両親を大切にしている男性、家族ぐるみで菩提寺やお墓に足を運んでいる家の男性を見つけようと思ってます。数年で離婚したくありませんから。歳をとって、子供から捨てられたくありませんから」と。
拙僧はこれまでに、数千人の人と関わってきましたが、その経験から言える事は、こっちに感謝が出来る人間は、あっちに向かっても感謝が出来る。あっちに感謝が出来ない人間は、こっちにも感謝は出来ない。人の心は1つですもんね。感謝の出来ない人間は、自然と人が離れていき、最後は必ず孤立する。因みに、わが寺の檀家さんの中には、江戸時代の後期から令和の世まで、過去帳の中に代々の戒名が残っている家が数家あります。これは何を意味しているかといえば、江戸時代後期から誰1人として親を粗末に扱った子供が出なかった、という証にて。そんな家は当然、栄えております。先祖のご加護のおかげで栄えてる、というよりも、感謝の出来る子供が代々繋がって、家が栄えてきた、という事なんでしょうな。先祖は家の土台にて、大事にしないとですな。
余談ですが、昨日(7月14日)、拙僧の息子(次男)が入籍をしました。上2人(長男、長女)に習い、披露宴はしないそうです。これで3人(長男、長女、次男)とも片付き、孫も3人(男の子ばかり)授かりました。親としては、子供が歳を取った時、1人寂しく生きていく姿を見たくないですもんね。人は歳を取るにつれ、失っていくものばかりにて。職を失い、親を失い、友人を失い、伴侶を失い、健康を失い、と。だけど、そこに孫がおれば、心の癒しと夢(孫の成長)を頂く事が出来ます。これは実に有難い事です。
これも余談ですが、檀家若者が「東北大震災を的中させた漫画家が、今度は漫画『私が見た未来』で7月5日午前4時18分に大災害が起こると夢で見たと。どう思う、住職」と。対し「トカラ列島の地震が1100回を超えたんだってね。海底地下で何かあってんだろうね。慌てなくていいよ。縁は全て、受け入れて、乗り越えりゃいいだけ」と。対し、若者が「ノストラダムスが、2025年7月に、日本で大地震か起きると予言してるでしょ」と。「1999年7月に人類滅亡と予言してたよね。ノストラダムスは500年前の人で、お医者さんでしょ。人間は、死ぬ時は死ぬ。死にとうても死ねん。人は寿命。死ぬまで生きときゃええ」と檀家の若者に。
次回の投稿法話は、8月5日になります。添付写真は、東京九段にある暁星学園聖堂(マザーテレサが唯一、日本でこうえんされた聖堂)で、先祖の大事さを法話させてもらった時のものです。
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