令和7年10月分 金剛寺住職法話
【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】
毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。
【はじめに】
10月1日は、アントニオ猪木さんの祥月命日(立ち日、2022年、行年80歳)ですね。あの「イノキ、ボンバイエ」の入場曲は、モハメドアリさんから貰った曲だそうですね。それと、10月5日は、達磨大師のご命日。武者小路実篤さんが「桃栗三年柿八年、達磨は九年、俺一生」という言葉を。桃や栗はその年数で実らせ、達磨は九年で悟りを。が、俺の修行は一生と。猪木さんも死ぬまで挑戦を。
令和 7 年 10 月分 金剛寺住職短文法話集
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【本文】
読者の若者が「番組『アメトーク』で先日、さんまさんが『現状維持が、最も難しい』と言ってたんですよね。が、現状維持(現在の流行も)は、今が頂点。後は、落ちていくだけ、と思うんですが」と。対し、拙僧「例えば、だよ。後から入る人の為に、風呂のお湯をずっと40度に保たせるには、追い焚き機能を常に発動させておかにゃならんだろ」と。「ああ、なるほど、そういう事ですか」「そういう事かな。その番組、拙僧も見たよ。さんまさんが言ってたでしょ。『現状維持を続けていく為には、果敢に挑戦していかなきゃ、現状維持を保つ事は出来ないもんね』と。人間は徐々に歳も取っていくし、時代も変わっていくし、現状を維持するというは、そう簡単なものではないと思うよ」と。対し、この若者が「さんまさんといえば、60歳で引退すると、明言されていたでしょ。だけど、爆笑問題の太田さんが『いやいや、続けて下さい。このままやめられたら、カッコ良過ぎて、我々は困るんです。我々にさんまさんが、朽ち落ちていく姿を見せて下さい』と。そう言われたから、さんまさんは『引退するのをやめた』と。納得されたら、さんまさんは、切り替えるのも早い。だから、69歳まで変わらず続けられているんでしょうね」と。対し、拙僧「ボクシングのチャンピオンと同じだよね。今日まで倒してきた人達に対し、倒されて去っていくが、チャンピオンの使命(礼儀)であると。あの具志堅用高さんがある番組で『試合前のルーティンだったアイスクリームを食べなかったから、最後の試合は負けたんだよな』と、笑いながら言われていたが、本音は『最後の試合は怖くて、リングに上がりたくなかった。それでも、倒されて去っていくが、倒してきた人達に対しての礼儀』と、決めていたと言われていたもんね」と。
続けて、この若者が「そういえば、元『雨上がり決死隊』の宮迫さんが、さんまさんに『引退する日の収録の最期は、粉になって消えて下さい』と言われたらしいですね。それでさんまさんは、テレビ局側に『俺の最期は、C Gで粉にして消してくれ、と頼んである』と言われたとか。漫画『明日のジョー』の最期も、白くなって終わったですもんね。燃え尽きて終わっていく人生って、そんな人生を歩みたいですよね。そういえば、さんまさんが『俺は、スピードが命なんだ。スピードがなくなったと感じたら、引退かな』と言われてたよな」と。更に、この若者が「さんまさんの衣装がいつも地味なのは、話(トーク)が散らない様にする為と。人物描写をするが仕事だから、控えめの衣装を選択すると。それと、さんまさんのエピソードで印象的な話は、面白い事が起きたり、思いついた事は文字にせず、全て頭の中のノートに書き留めていると。若手芸人が『忘れたらどうするんですか』と問うと『そんなに面白くないから、忘れるんや。喋る面白さと、文章の面白さは、全く違うもの』と言われていました」「拙僧の知人高僧も、見たもの、聞いたものは、書き留めず、一旦全てを忘れろ。思い出せたものだけが本物、と言われたよ。拙僧も、メモに書き留める事は、しないかな」と。
続けて、拙僧「講演会に行くと偶に『住職さんは、講演会では原稿を書いて行かれるんですか』と聞かれる事があるんだが、今日までに200回以上の講演に招かれたけど、1度も原稿を書いた事がない。今日の参加者は、男性が多いな、女性が多いな、老人が多いな、子供が多いな、で、話す内容は自ずと違ってくるもんね。また、60分の約束で依頼されたのに『まだ話せ、まだ聞かせて』とせっつかれて、4時間以上話した事も何度かあった。原稿なんて書いていっても、何の意味もなさない。さんまさんが言われる様に、原稿と喋りは全くの別物だよ。原稿だと炎上するだろう内容も、しゃべくりでは皆、文句言わずに興味津々で聞いてくれる。もう大概、コンプライアンス問題は、やめてしまった方がいいかな。この頃は、過剰になり過ぎだわ。ドロドロした人間臭い話の方が面白いし、教訓に出来る事も絶対に多い。人間はそれほど綺麗なものではないもんね」と。
対し、この若者が「なるほどですね。若手芸人さんがさんまさんに『話(回し)が詰まる事って、ないんですか』の問い掛けに『ない。お菓子をいっぱい持って行っているから』と。このお菓子というが、予備の知識なんでしょ」と。「そうだよ。話がどこに飛んでも、講演参加者から突然、とんでもない質問を受けても、切り返せる話(ネタ)をなんぼでも持って拙僧も、講演会に臨んでるよ。それにしても、さんまさんを含む、お笑い芸人の人達は凄いよね。勉強が出来るという事と、頭がいい(キレ)という事は、根本的に違う。彼ら(お笑い芸人さん達)は機転を含め、本当に頭がいいと思う。拙僧は録画してまで、お笑い番組を見てる。彼らの話し方、間の取り方を勉強させてもらう為に。人を怒らせるは簡単だが、人を笑わせ続けるって、難しいよ。如何に素晴らしい法話をしても、聞き手を飽きさせたり、眠気を誘ったりしたら、坊主の負け、だもんね」と。
さて、この電話をしてきた若者とは、ある事を思い出しながらこの時、会話をしておりました。そのある事とは、東京オリンピックの前だったかな、コロナの関係で『トイレが最も密になりやすい場所。この対策が最も大事』なる話が方々で。この時期、東京在住の檀家の息子(当時小学6年生)と話をする機会があって、その子に「トイレで密にならない様な名案が、何かあるかい」と軽い気持ちで問い掛けると、その息子が「手洗い場所に鏡を置かなきゃいいじゃん」と。拙僧も一瞬でその答えに『そりゃ、大正解や』と心の中で。この小学生の男の子に拙僧「君、凄いな」と返すと「父さんから1度『男がいつまで鏡の前に立って、わが顔を眺めてるんだ』と、怒られた事があったんだよ。鏡がなければ、手を洗ったらすぐ、その場から離れるでしょ」と。この東京在住の檀家の息子の話、俄には信じ難いでしょうが、全て実話です。脚色なし。子供を侮(あなど)る事なかれ、ですばい。当に『真実は小説よりも奇なり』ですね。
この電話を掛けてきた若者は、自分の思い出話や、社長である父親の下で今、汗だくになって従業員さん達と働いている話を熱心に拙僧に。話が一区切りすると「それじゃ、住職さん。また、連絡させて頂きます」と若者が電話を切ろうとしたので「おいおい」とそれを止めて「君さ、何か、相談があったんじゃないのか」と尋ねると「はい、ありました。でも、住職さんと話をしている内に、自然と答えが見つかって、自然とその問題が解決しましたので」と。「ほう、そうなのか。何のこっちゃか、さっぱりわからんが、何にしても、そりゃ、よかったな。また、電話しておいでや」「はい、必ず、近いうちに」と、この若者が。
電話を切った後、この若者との会話の余韻の中で拙僧、本堂内陣に座する仏さん達を見ながら「拙僧もそろそろ、引退を考える時期がきたのかな」と、そんな心に。「暫く様子を見て、息子達に住職の代を譲ろうかな」と。「代を譲った後は、お寺に再就職させてもらって、息子達の下で働かせてもらうのもいいかもな」と。雇ってもらえたら、の話ですがね。還暦(暦が還って赤子戻るので、赤いちゃんちゃんこ)も、数年過ぎた事だし。代を譲った後は拙僧、亡き父(わが寺の先代)の下で何もわからず、懸命に働いていた40年程前の初心に返って、あの頃の様に1歩1歩こつこつと、お寺の雑用のお手伝いでもさせてもらうのも、悪くないかな。身体(からだ)が動かなくなるまで。
さて、代替わりの成功例といえば、やはり、徳川家康公かな。2代将軍秀忠公が「大名達はわしを『上様、上様』と呼んではくれるが、心は皆、駿府(家康公在所、静岡県)の方に向いておる。が、10年も『上様、上様』と呼ばれ続けたら、それなりの姿になるわい」と言われたとか、言われなかったとか。拙僧も今の息子達の年齢の頃(30代半ば)に、住職の代を父から譲られ、大いに失敗し、大いに恥をかいて、徐々にそれなりの姿に。親が後ろに控えてくれていたので、拙僧が頼りなくても、関係者(檀家さんなど)は皆、落ち着いたものでしたね。『代替わりは、親が元気なうちに』が、やはり大事(理想)かな。
令和 7 年 10 月分 金剛寺住職 臨時法話
今年(令和6年)も早いもので、あと3ヶ月程になりましたね。11月、12月は毎年、お寺も拙僧も、方々への御礼報謝の時期となります。今年も11月9日は、わが寺の鬼子母神さんの法要が行われます。この神さんは実在した女性と言われておりまして、本当の名前は『訶梨帝母(かりていぼ)』といって、なんと、数百人の子供がいたとの事。その子供達を育てる(お乳など、栄養を得る為)為に、他の子供を食らっていたと。まあ、でも、こりゃ、どう考えたって、嘘(方便)ですわな。恐らく、恐らくですよ、いつの時代でも母親というは、我が子を守る為には、他人の子供を蹴散らしますもんな。それが度を超したんでしょうな。お釈迦さんに呼び出され、しこたま怒られて改心を。改心した後は、お釈迦さんを守護する為に、鬼子母神という神に。
さて、その『鬼子母神』ですが『鬼』という字には『田』の上に『丶(点)』を付けない『鬼』を書きます。つまり、改心して鬼の角がとれた、という事の様で。鬼子母神さんには2種類あって、わが寺の鬼子母神さんは、如来型(天女型)でお優しいお顔をされておられますが、日蓮宗の鬼子母神さんは『法華経の守護神』の役目を担っておられるという事から、厳しいお顔をされている鬼神型にて。鬼の形相となると、そっち系を好きな人達が勝手に祟る対象物にして、怖い存在にしてしまいますが、懸命に誰かを、何かを守護しようとすれば、そりゃ、あんなお顔になりますわな。人間の迷い、煩悩を取り除いて、懸命に救おうとされている不動明王のお顔が、ああ(忿怒の形相、ふんぬのぎょうそう)である様に。あの怖い、厳しいお顔を見た時に私達は『人間も一生懸命になれば、自ずとあんな顔になるはず。あんな顔になるまで、お前さんは懸命に、何かに打ち込んだ事があるかい』と自分に問い掛けた事がありまっしょうかな。まあ、如来型であろうと、鬼神型であろうと、どちらにしても鬼子母神さんは『病気平癒、子授け、子育て』に、ご利益があるとの事。
わが寺も、鬼子母神さんがお座りになられて随分になりますが『子授けや、子供が真っ直ぐ育つ様に』と多くの人達が願掛けに参拝して来られました。中でも、最も思い出深い出来事といえば、檀家の50代母親が「住職(拙僧)さん、もう7年も、娘の子授け祈願をしてるのに、一向に授からん」と憎々しい顔で文句を。その母親に拙僧「お母さんよ、あなたが子供を産むんですか」と問うと「何を言ってんの。娘に決まってるでしょうが」と不服顔で。「なら、なんで、本人が足を運んで来ないの。自分の願いを人に預けて、自分はのほほんとして。娘さんですが、本当に子供が欲しいの。神仏だから、いつでも門を開いて、待ってくれてはりますが、これが、頼む相手が人間だったら『なんという真剣味のない奴や』と、そうなりまっせ。人を頼ってばかりいる人間を、人はいつまでも助けてはくれん。本当に子供が欲しいのなら、自らが足を運んでくる様に言っといてちょうだい。来る気があるなら、娘さん1人でなく、ご主人も一緒に、と。『赤子世話=母親』と、とんでもない勘違いをしておる主人が、世の中には偶にいますからね」と拙僧、その檀家の母親に。
母親の話に耳を傾けたか、次の日に娘さん夫婦が、鬼子母神さんのところへ参拝に。その後は、3日に1度は夫婦で必ずお寺に足を。すると、半年後、めでたく懐妊を。娘さん夫婦が「住職さん、すごいですね、8年も授からなかったのに。こんのものですか」と。対し、拙僧「知らんがな、偶然かもしれんよ。まあ、言うなれば、鬼子母神さんに願った事で、君達夫婦の心の中に、特に娘さん、あなたの心に『これで力を貸してもらえるかもしてない』という期待感が免疫を向上させ、子供が授かり易い体質に変わっていった、というが本当のところだと思うよ。信仰とはそういうもの(後押し)だよ。ただ、君達夫婦は偶然とは思わない方がいいかもね。命というものの意味を、ここで真剣に考える事で、今後、老いていく親への対応も、自ずと深いものになるから」と拙僧。この娘さん夫婦ですが、授かれたは、この子1人だけにて。所謂『間に合ったな』というところですかね。『縁に出会って、縁に気づかず。縁に気付いて、縁を活かせず』という言葉がありますが、縁に出会った後、その縁に気付いて、その縁を活かすは、本人次第ですもんな。
さて、次の話は余談ですか、50年以上前に、2組のご夫婦が子授け祈願を。1組目のご夫婦は医師から「ご主人には子種がない」と、はっきり宣告を。そのご夫婦に拙僧の父が「何万年も昔から1つの命を、バトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今日、私達はこの世に生を。本当に子供が授かりたいなら、納骨堂に眠るご先祖さんに日参(毎日参拝)して願いなさい」と。それから10年以上も毎日、納骨堂へ。すると、男の子を2人も。2組目のご夫婦は、拙僧の父から「人はその土地を縁にして生まれてくるもの。近くの氏神(八幡さん)さんに日参(毎日参詣)して『あなたの子供を私達に育てさせて下さい』と願ってきなさい」と。すると3年後から、次々に3人、男の子が誕生を。この2組のご夫婦も恐らく「懸命に願えば、力を貸していただけるだろう」の期待感が免疫を向上させ、子供が授かり易い体質に変わっていったが、本当のところだろうと思います。
当然の事ながら、神頼みだけではないですよ、医療の方もしっかりと受けられての結果です。しかし、簡単に10年、3年と言いますが、毎日参拝ですからね、余程に子供が欲しかったんでしょうね。この2組の夫婦の男の子達は今、皆々、50歳を超えておりますが、ほんの半年程前に話の流れから拙僧、この事(子授けの経緯)を口にすると皆々、その事を知らなかった様で「親のそんな思いを受けて、私達は生まれてきたのか」と、言葉をなくしておりましたね。この2組のご夫婦の他にも、懸命に不妊治療を為し、子授け祈願をされたご夫婦は何組もおられました。いや、今現在もおられます。が、その中には残念にも、授かる事が出来なかったご夫婦も。なれど、その様なご夫婦の大半は「あれだけ懸命に治療も、ご祈願も。恐らく私達夫婦には、子供の縁が薄かったんでしょうね」と、それなりにその結果に対し納得を。どんな事でも、後々に後悔している人達を見ると、その当時に動いてない人達が多いかな。「もし、あの時、動いていたなら」という、悔やみの言葉をよく耳に。
子供は授かり物にて、よって、親の所有物と考えたらあかん。所有物と考えるから、自分の夢を子供に押し付け、歯車が狂う事に。七五三にお宮さんへ参詣に行くは「あなたから預けられた子供を、この歳までこの様に育てました」と、神さんに披露しに行く行事にて。そして、神さんへの披露の最後が成人式。この時、成人した子供を見て神さんが「この親に預けて、正解だったのかな」と思われん様にせんといかんですわな。新生児の誕生と同時に、新たな親もまた、同じく誕生を。両者共(赤子、親)に、ピッカピカの1年生にて。親は懸命に赤子を育てておりますが、赤子も懸命に親を育ててくれております。後から生まれてくる、自分の弟や妹の為に。ど素人から、育てるプロになってもらおうと。考えたら、育ててもらった経験しかない者が、育てるんですからね、そりゃ、戸惑うし、勘違いするし、大変だわ。なりゃこそ、爺婆の助言に耳を。
これは余談ですが、昨年ですが、鬼子母神さんの法要後のお接待の時間に、ご老人達との会話の中で『終活』の話が出てまいりまして、みんな「ああしておかにゃ、こうしておかにゃ」と各々の考えを和気藹々と。その中で1人の爺様が「終活なんぞ、そんなのはせんでよかばい。子供に迷惑が掛かりそうなものだけ、片付けときゃ、それでよか。この世から消えてなくなる者が、そんな仕分けをしてどうなる。いらんこったい。わしらが仕分けをしたのを、子供達がまた、仕分けよるわい。子供らが自分達にとって、必要な物は残し、不要な物は捨てよるがな。わしらは、死ぬまで生きとかにゃならんから、今まで使ってきた物を大事に使って、最期は仕分けする費用を子供らに残して『ほな、さいなら』で終わりったい」と。そんな考えも、あり、かな。
【日本人口の推移】
我が国における総人口の推移は、今から25年後の2050年には、9515万人になるとのこと。高齢者率は、39%に。75年後の2100年には、4771万人になると。その時の高齢者率は、41%に。もうこうなれば、外国人労働者が数多に入り込んできて、どこの国かさっぱりわからん状態に。恐らく、今現在以上に、治安もズタズタな状態に。「結婚しない、子供はいらない、自分の人生だけが大事」のツケが、もうすぐそこにやってくる。人間の世界は、イソップ童話の『アリとキリギリス』にて。「そうすりゃ、そうなる。そうなっていってるのに、まだ、そうするか」ですよね。
次回の投稿法話は、10月5日になります。
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