令和7年12月分 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人達など)の為に、コピーして配布させて頂いているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして、社員さん達に配布されている会社も。そうした意味合いから、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞスルーしてくださいませ。

【はじめに】

今年も早いもので12月に。『師走』の『師』は、お坊様の事。『お坊様が走り回る』と、何のこっちゃ。歳徳神(正月様)がやって来るから。歳徳神(正月様)とは、その家、その家の先祖の集合霊。よって、お坊様が「先祖が帰って来るぞ。出迎えの準備は出来ちょるか」と走り回ると。正月の三が日とお盆の三が日は、同義にて。大晦日とハロウィンは、同じ意味。日本の風習も大切にしましょうね。


令和 7 年 12 月分 金剛寺住職短文法話集

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【本文】

今年(令和7年度)の世界幸福度ランキングが出ましたが、フィンランドが8年連続1位になってましたね。それに続いて、デンマーク、アイスランド、スウェーデンと上位を北欧諸国が占めましたが。自然豊かで、手厚い福祉制度がその要因であるとの事で。他にも、北欧諸国が上位の要因は、自分と他者とを比べたがらない、という国民性が大きく影響しているとの事。イギリスは23位、アメリカは24位と。日本は、昨年の51位からランクを下げて55位になってました。人には大なり小なり、妬みというものが付きまとっておりますが、昨今の日本の世相(正義感の暴走)の流れを見ておりますと、どうも、妬みからくる攻撃(誹謗中傷)もあるのではないかと、そう感じているのは、拙僧だけでしょうかね。

嘗て『世界1幸せな国』として広く知られる様になったブータンですが、2013年には、北欧諸国に続いて世界第8位にランクインを。国民が皆一様に「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と、その様に答える姿が全世界に。ところが、2019年には95位に、それ以降はずっとランク外に。色々と考えられる理由はあるでしょうが、最も大きな理由は『スマホ』という事らしいですもんね。スマホが普及したが為に、他国の情報(生活水準など)が国民の中に浸透を。すると、それまで『情報鎖国』だったブータンが、自国と他国との比較が容易に出来る様になり、あっという間に幸福度が下降していったとの事。

時には、自分と他者とを比べる事で、向上心(やる気)や夢(将来設計)を抱く事も出来ますが、逆に、自分と他者を比べる事で、妬みや憎悪、苦しみが生ずる事もあるみたいで。北欧諸国の国民の様に『人は人、自分は自分』と、わが心と折り合いを付ける事が出来さえすれば、日本の幸福度ランキングも、もう少しなっとは、上がって来るのではないかと思うのですが。この国(日本)は今、お金さえ出せば、何でも手に入る国ですもんね。そうなると、それが当たり前になり、いつしか感謝の心も薄れて、口から出てくるは不平不満や愚痴ばかりに。欲(今よりも上を求める心)というは、どんどんとエスカレートしていきますもんな。

わが寺では、阪神淡路大震災(出張でこの地に)にも、奥尻島の津波(出張でこの地に)にも、東北大震災(この地に嫁いだ娘さんが新築の家を津波に)にも、日航機墜落事故(搭乗直前で会社に呼び戻され)にも、福岡西方沖地震(この地に在住)にも、9、11同時多発テロ(檀家息子がビル内で勤務。外回りの仕事でビルから出た瞬間に)にも、福知山脱線事故(檀家娘さんが、この時刻電車で毎日京都の大学へ。その日、腹の激痛で泣く泣く自宅に)にも、檀家さんが絡んでおりまして。有難い事に皆、無事でしたが。その檀家さん達(当事者)は、表現の仕方は様々ですが、異口同音に「今ここに、命があるに、何不足。人生をリセットされて、忘れていた事(様々なご恩)を思い出す事が出来ました。目に見えない物に助けられたとしたなら、ご先祖さんしか考えられませんので」と各々が後日、お寺の納骨堂に御礼報謝の参拝を。因みに、日航機墜落事故では、坂本九さんは大阪の仕事終わりに直接京都行きの予定が急遽、東京でのラジオの仕事が入り、羽田からこの日航機123便に。明石家さんまさんは、番組『俺たちひょうきん族』の撮影後は決まって、この123便を利用して大阪に。が、その日だけは撮影が早く終わり、前の便で大阪へ。さんまさんの「生きてるだけで、丸儲け」は、この日航機墜落事故から産まれた言葉であると。娘さんの「いまる」の名もまた、この事故から名付けたものであると。ほんと、人間は寿命ですよね。死ぬまでは、生きとかにゃならん。さて、どう生きるか、ですね。

【昨年の大みそかの法話】

さて、12月31日は、大晦日。1月1日の『初日の出』には、多くの人が海や山に出かけ、1年の幸せ(安泰)を願って手を合わせるが、12月31日の『1年納めの日の入り』に「今年1年間、あなた(太陽)が昇ってくれたお陰で、今年も無事、命を繋ぐ(保つ)事が出来ました」と、西の空(沈んでいく太陽)に向かって、手を合わせ、頭を下げ、感謝する人が、どれほどにおられるだろうか。拙僧は、今年1年の安泰を願う初詣でよりも、今年1年間の御礼報謝として毎年、年の暮れには、太宰府天満宮や、方々の神社、仏閣(特に、高野山)へ参詣に。さて、太宰府天満宮といえば、菅原道真公ですが、当時の人達が「左遷先(太宰府)で哀しく命を終わらせた恨みから、京都に数々の災い(疫病、落雷、天変地異)を齎(もたら)した」との風評を。ほんまかいな。その道真公の恨みの御霊(みたま)を鎮める為に建立されたが、北野天満宮との事。その数々の災いが、道真公が京都在住時に住んでいた桑原地区(御所南側の丸田町通り路上)だけ、難を逃れる事が出来たという事で、今でも雷が鳴れば『おお、くわばら、くわばら』と呪(まじな)いの言葉を発し、難逃れを願う人達がおられるとか。思えば、人間の都合で、日本三大怨霊(菅原道真公、平将門公、崇徳上皇)にされたり、神(特に、受験合格の為の学業の神)様にされたりと、ほんと、道真公も忙しいこって。

さて、神社のお参りは、通常は『2礼2拍手1礼』ですが、一般神社より位が高い、宇佐神宮、明治神宮、出雲大社などでは『2礼4拍手1礼』にて参詣を。それよりも尚、位が高い伊勢神宮では『2礼8拍手1礼』でのお詣りを。拍手(かしわで)を打つ時は『神さん、来たよ』と知らせる為に、大きな音を立てて手を打つ事が大事。お賽銭も字で表されている様に、お札ではなく小銭を投げ入れます。これもまた、参詣に来た事を神さんに知らせる為、大きな音を立てて小銭を賽銭箱に。ところが、現在、銀行では、枚数によって小銭は手数料が掛かるので、出来ればお札を入れてもらえれば、神社さんも助かるのではないかな、とお寺の坊主(拙僧)が勝手に心配して、いらん事を言っております。まあ、何せ、お札を入れる時にも「ジャラ、ジャラ」と大きな声を出し、奥で控えてござる神さんに、自分が来ている事をしっかりアピールしましょうね。

余談ですが、正月の三ヶ日は、お盆(盂蘭盆)の三ヶ日と同義にて。正月様(歳徳神、その家の先祖の集合霊)が帰って来られますので、家族みんなで、心からのおもてなしを。野菜を細かく切って、仏壇にお供えし、年が明けたらそれを下ろして、ごった煮にして、餅をぶち込んだが、お雑煮にて。こうした神仏、ご先祖に捧げたお供物を得る(戴く)事により、心身を清めさせてもらうを、直会(なおらい)と言います。因みに、お雑煮を食べる雑煮箸(柳の木で作られるから、柳箸)の両端が細くなっているは、片方は自分が食べる為ですが、もう片方は取り箸に使うではなく、ご先祖さんが食べる為のもの。また、おせち料理は本来、正月三ヶ日の保存食として作り置かれるもので、大晦日までバタバタと忙しく働いてくれたお母さんを、正月三ヶ日くらいは、ゆっくり休ませてあげよう、から始まったもの。さあ、年が明けましたら、労る心から1年を出発(船出)し、人間が最も幸せを感じる家庭円満を、皆(家族全員)で築いていきましょうね。

【おまけ】

今年は、12年に1度の巳年の弁財天。蛇は弁財天(七福神の1人。インドの神)の使い番。白蛇は弁財天の化身。拙僧も1度だけだが、わが寺の境内地で白蛇に遭遇。今年、わが寺では、2月2日(日曜日)の節分(新春)法要の時に、弁財天社(やしろ)より本体(弁財天坐像)を本堂内にお迎えして、参拝者に直に本体に触れていただき『家紋繁栄、事業繁栄、商売繁盛、子孫繁栄、家紋繁栄、金運、開運、成長など』を願っていただきました。願われた人の中には、道が開けた人も何人か。恐らく「願いを掛けたから、弁天さん、何とか力を貸して下さるだろう」という思いが、免疫を向上させ、本人のやる気の後押しを。そこで、12年に1度はもったいないので、毎年正月の三が日だけ本堂にお迎えして、参拝者に弁天様ご神体に触れていただき、昨年1年間の懺悔と共に、今年の繁栄(開運、成長)祈願をと思っております。願わにゃ、願いが叶う事はないですもんね。


令和 7 年 12 月分  金剛寺住職 臨時法話

偶に、拙僧法話の読者から「戒名を付ける意味を教えて下さい」との問い掛けが。対し拙僧「人間は死んだ、と言いますが、私達坊主は、阿弥陀の世界に生まれ変わった、という言い方を。生まれ変わったからには『名無しの権平』で逝かせる訳にはいかない。そこで、戒名です。まあ、でも、それは建前で、本当の意味は、故人の生き様を未来永劫、子々孫々に残す為です。一般庶民が戒名を頂き始めたは、江戸時代の後期からです。わが寺の檀家さんには、江戸時代後期から令和のこの時代まで欠ける事なく、戒名の残っている家が数家あります。これは何を意味するかといえば、誰1人として親を粗末に扱った子孫が出なかった、という事です。そんな家は当然、栄えています。先祖のご加護があるから栄えてる、というよりも、感謝の心が代々子孫に繋がってきたという事。そりゃ、そんな心を持った人間が集まった家族なら、当然の事ながら、家庭は円満になるでしょ」と。

ちゃんとしたお寺(菩提寺)の住職ならば、故人の生き様(職業、人格、功績)などを表す漢字を、戒名の中に使っております。この人は武士だったんだ、庄屋だったんだ、百姓、僧侶、医者だったんだ、と100年後の子孫にもわかる様に。区役所の戸籍では、記載されているは俗名だけで、どんな人だったのか、さっぱりわからない。戒名は、自分の命の根を知る事が出来る、家の資料となっております。若者達(子孫)にとっては、ロマンの何ものでもないですよね。何年かに1度ですが、わが寺に「こちらのお寺に、私の親戚筋の遺骨と過去帳があると聞いてきたのですが」と、後継者が途絶え、永代供養になっている家の、遠い親戚筋の人も尋ねて来られる事があります。暫くの間、納骨堂内で手を合わせ、帰られる時に「大切に預かって頂けるお寺に縁があって、わが先祖さん達も喜んでおられると思います」とお礼を述べられて、お寺を後に。

昨今では、散骨や樹木葬が流行って、菩提寺を辞めていく事から、家の過去帳(戒名の記された帳面)もなくなり、命の流れ(どんな先祖がいたか)を知る事が出来ない状態に。戒名料が高額(50万円、100万円)なのも、お寺離れになった理由の1つなんでしょうが、わが寺では、戒名料は無料にしております。檀家さんには、命を流してもらった先祖(親)を大事にしてもらいたいので、なるべく、葬式での負担を減らす様にさせてもらっております。散骨業者、樹木葬業者が、わが寺にも来られましたが、来られた業者に限ってですよ、話をしていると、どう見てもど素人、商売の何ものでもないですね。散骨と言えば、聞こえはいいですが、あれは海に捨ててるんですもんね。樹木葬と言えば、聞こえはいいですが、あれは野っ原に捨ててるんですもんね。「先祖の供養など知った事か。産んで育ててもらった恩など、どうでもいいわい」と思われる人なら仕方がないですが、そうではないという人は、今1度、先祖の供養(恩返し)が何たるかを考えてみて下さい。知人の中学生男子が拙僧に「住職、人間は死んだら、ゴミ捨てか」と言い放った言葉が忘れられません。

人は知識、知恵、経験が増せば、自ずと考え方が変わっていきます。これまでに何人も、拙僧の法話を読んだ読者が「もう少し早くこの法話に出会ってたら、散骨などしなかったのに」との後悔メールが。世に『History repeats itself 』という言葉が。『歴史はそれ自体が繰り返される』という意味ですが、30年前、40年前に流行したものが、再び流行するはよくある話にて。歌なんかが、その最たる例だが。お墓も納骨堂も再び見直される時期は必ずやって来ます。もう既に「何で、祖父母や父母は、お墓を倒して(菩提寺をやめて)散骨なんかしたんだ」と、子供や孫が悔しがる姿を何人も見ました。そこで拙僧、そんな考え方が変わる時期が来るまで、家で遺骨を保管が出来る様にと、石川県能美市の(株)丸栄の社長に依頼して、位牌を設けた骨壷を作って頂きました。「それはよか」と思われた方は直接、(株)丸栄の水上社長様の方にご依頼をして下さいませ。

【今年最後に】

拙僧の父(わが寺の先代)が他界(72歳)した年、42歳だった拙僧にメヌエル(めまい)の症状が勃発。最も酷かったは、5年前(拙僧57歳)の2年間、車のハンドルを握ると、必ずめまいが起こってまして。この間は1度も車の運転が出来ない状態に。仕事(布教)で毎月約5000キロ、年間に60000キロ以上は走っておりましたので、代わりに運転してくれた家内には、大変申し訳なく、心身に負担を掛けてしまいました。時には、檀家さんにもお願いをして。現在(拙僧63歳)は、遠距離(1日300キロ以上)は難しいですが、少しは運転が出来る様になりました。檀家の医師(58歳)から「メヌエルに効く薬はないですよ。脳も内臓だよ、休ませてあげなきゃ。回遊魚(止まったら死ぬ、マグロ、カツオ。エラを動かせる回遊魚、マアジ、太刀魚は死なない)の生活は返上しろ、と言ってるでしょ」と、いつも怒られています。10年間、SNS に毎日投稿しておりました法話も、3年程前より脳を休める為、5日に1度のペースで投稿する様に。

ほんとに自律神経失調症とは、不思議な病気でございまして。数年前には緩和策として、大きく深呼吸をする事により、脳内からセロトニンが分泌する事が解明され、うつ病や精神疾患を和らげる効果があるとわかったり、同調音(電車のガタンゴトン、川のせせらぎ、波の音、鳥の囀り、木々を渡る風の音など)を聞く事によっても、自律神経を緩和させる効果があるとわかったり、と。面白いところでは、文言は1語1語異なっても、淡々と唱えるお経や、調子を整える木魚も、ある意味同調音にて。法要の時、お経を聞きながら、うつらうつらと船を漕いでいる参拝者が多いのは、その効果によるものなのかな、と。弘法大師空海さんも数年間、うつ病で悩まされた時期があったとの事にて。高野山の山歩きが功を奏したのでは、との説も。また、昨今においては、上記以外でも、様々な自律神経を整える対処法(下記のもの)が、世の中には発表されておるようでして。

さて、呼吸、血圧、代謝、消化を整える為に24時間、働き続けてくれているのが、自律神経といわれるものでして。脳のど真ん中にあって、この自律神経が乱れると、眠れない、疲れやすい、やる気が出ない、頭痛などの不調を招いて、酷くなれば、鬱などの精神疾患の症状が。自律神経は各機能に「あれをしろ、これをしろ」と偉そうに、命令を出す働きをしてくれているものですが、人が意識して出来るものではなく、所謂、自動的に勝手にやっているものなので『自律』という名が付いている訳でして。例えば、ハイキングの時に汗をかく、あれは体温調節を整える為に、自律神経が「汗を出せ」と命令しているからなんだと。呼吸が速くなるのは、酸素の吸収が不足している為、自律神経が「早い呼吸をしろ」と命令を出しているからなんだと。自律神経の機能が高い人ほど、体力のある人といわれておりますが、その体力とは『自律神経が機能した状態が、どれだけ維持出来るか』がその目安であるとの事ですもんね。維持する為には、如何に自律神経を疲れさせない様にするかが大事である、とその道のプロが言われておりますよね。その自律神経をスムーズに機能させる為には、なんと言っても、血流が大事であるとの事。自律神経が整っている人は、血流が良いとの事。血流が悪くなると、目の下にクマが出来るので、そこも判断材料に。水分のコントロールも、肌のコントロールも、乾燥肌も、自律神経が関係していると言われておりまして、よって、自律神経機能が低い人は、どうしても老け顔になりやすいと。どんな悪い環境であろうと、脳に酸素と栄養を安定供給させる為に、自律神経は働いてくれていると。この体力の高い人の代表者が、明石家さんまさん、であるといわれております。運動、緊張、人間関係の悩みにも、全て自律神経がコントロールして、良い方向に導いてくれているとの事。自律神経は、交感神経(イメージは、アクセル)と副交感神経(イメージは、ブレーキ)に分かれていて、常にアクセル踏みっぱなしの状態の交感神経が暴走しない様に、ブレーキを掛けているが、副交感神経げな。眠れない、便秘などは、この交感神経が過剰になっている為に起こる症状。その典型が、スマホの使い過ぎかな。交感神経過剰を抑える為には『ボーッとする時間』が何より大事であると。40歳になると20歳の頃に比べて、自律神経の機能は半分に落ち、50歳になると20歳の時の3分の1に、60歳では4分の1にまで落ち込むと。何となくですが、これ、わかる様な気がしますな。拙僧も年々、体力が落ちているを感じております。気を付けなくちゃ、ですね。

さて、今年も拙い法話にお付き合い頂きまして有難うございました。よいお年をお迎えくださいませ。

次回の投稿法話は、12月5日になります。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。