令和8年4月分 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日に投稿させていただいております法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人達など)の為に、コピーして配布させて頂いているものです。中には、拙僧法話を読んでいただいております社長さん達が、この1日法話をコピーして、社員さん達に配布しておられる会社も。そうした意味合いから、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんにおかれましては、どうぞ、スルーしてくださいませ。

【はじめに】

現在の様に「嘘をついて、からかう」という習慣になったは、大正時代になってからだと。エイプリールフールは、そのまま日本語に訳され「四月馬鹿」と呼ばれる様に。しかし、エイプリルフールが伝わる以前の日本では、4月1日を「不義理(ふぎり)の日」としていたと。不義理の日とは、人をだますのではなく「不義理をしていて、ごめんなさい」と詫びる日であったと。江戸時代の人々は、4月1日になると、しばらく連絡を取っていない人や、義理を果たせていない人に連絡を取り、お詫びを伝えたといわれていますよね。

        令和 8 年 4 月分 金剛寺住職短文法話集

昨年の4月7日(日)にわが寺では、お釈迦さんの誕生を祝う花まつり(仏生会、灌仏会)の法要が厳修されました。当日参拝の女の子(10歳)が「住職さん、お釈迦さまが生まれたは、4月8日なんでしょ。何故、金剛寺は今日(7日)、花まつりをするの」と。「今日、法要をしたから、君は、来れたんでしょ」「• • •、ああ、そういう事か」「そういう事だよ。日曜日だったら、子供達も社会人も来れるもんね。縁を大事にしたいから、わが寺では毎年、4月の第1日曜日に法要をしてるんだよ」と。すると、この女の子が「ふーん、ところでさ、住職。お釈迦さまって、本当に4月の8日に生まれたの」と。「なんでよ」「だってさ、2500年も前の話なんでしょ。どうやって確認取れてるの」と。「君はいつも目の付け所が、他の子供達と違うよな。いやいや、実に面白い。本当かどうかなんて、拙僧も知らんわいな。誕生されて即、7歩歩いて『天上天下唯我独尊(命は尊い)』と言われたという話もあるが、馬じゃあるまいし、赤子が誕生即、歩けるはずもないし、言葉を喋るはずもない。後世の人達がそういう逸話を作り、お釈迦さんの尊さ(徳の高さ)を表現されたんだろうな」「じゃ、誕生を4月の8日としたは、何かしらの意味がある、という事なんだろうね」「恐らくは、そうだろうね」と。

続けて拙僧、この女の子に「キリストさんだって、そうだろ。12月25日を誕生日とした(クリスマス)は、当時の権力者の政治的目論見があって、欧州に根付いている有名な祭りに合わせた、という説があるもんね。お生まれになった場所は、エルサレムから南に約10キロにある町、ベツレヘムの小さな洞窟の中と言われているだろ。6月頃に誕生されたのではないか、と言われているもんね。お釈迦さんにしても、キリストさんにしても、こだわるところは、そこ(誕生日、誕生場所)じゃないよな。何せ、2000年以上前の事にて、確証が取れないから、論争にもならん。この世にお生まれになられた事が、重要な事なんだもんな。まあ、何せ、お釈迦さんは、花が咲いている時期に誕生されたは事実というから、日本の寺院では、2月から5月の間に、各々の事情で花まつりをされている様だよ」「ふーん、他にも何か、お釈迦さまの話を教えてよ」と、この女の子が。

対し、拙僧「お釈迦さんは釈迦族(インドの小国)の王の息子として生まれてこられたんだが、ある日、生きる事の辛さ、老いていく事の辛さ、病気になる事の辛さ、死んでいく事の辛さ(生老病死の四苦八苦)、を目の当たりにして『これらを克服する手(策)は、何かないものか』と、家を出て(出家)6年間の山籠りを。しかしながら、それ(苦しい修行)では悟れず、山から降りて、尼連禅河で身を清め(沐浴)、身体を癒した後、菩提樹の木の下で瞑想し、縁起の法則を悟られた、と言われているんだよね」「縁起って、何よ」「この世の中は全て、縁によって成り立っているという事かな。その時、苦しい修行だけではあかん。苦しみと楽しみの真ん中、苦楽中道を歩むが最も大事である、という事も。つまり、こだわった、偏った考え方では、本当の悟りには行きつかん、という事だよな。勉強ばかりしてたら変化がないから、頭がボーッとして、はかどらんだろ」「確かに。思いっきり遊んでスッキリした後は、勉強に身が入る気がするわ」「そうだろ。新しい風を吹かせないと、マンネリになり、新発想は出てこんわな」と。

続けて拙僧「因みに、山籠りから下に降りて来られた時、お釈迦さんは激しい苦行生活のせいで、骨皮筋右衛門状態になってたんだと。それを癒してくれたが、村娘が作って与えてくれた乳粥だったそうだ。1970年代から1980年代に掛けて、CM ソングに使われた『スジャータ、スジャータ、白いひろがり、スジャータ』という心地良い曲があってね。コーヒーなどに使う商品『フレッシュミルク』のCM なんだが、その『スジャータ』が、お釈迦さんに乳粥をくれた女の子の名前なんだよ。ググってごらん、出てくるから」「へえ、そうなんだ。他にも何か、お釈迦さまの話をしてよ、住職」「欲しがるね、君」と拙僧。

対し、この女の子に「君は親から『仏の顔も三度まで、だからね』と怒られた事はあるかい」と問うと「何回もあるよ。『3回までは許すけど、4回目はないからね』と、ものゴッツ恐ろしい顔で」「そうなんだ。が、本来の意味は、違うんだよな。『仏』とは、お釈迦さんの事でね。釈迦族(小国)を滅ぼそうと、隣の国のコーサラ国が出陣を。その進軍途中の街道の枯れ木の下で、お釈迦さんが座禅を。それを見たコーサラの国王が『何故、そんなところで』と尋ねると『こんな枯れ木でも、私にとっては心身を癒してくれる存在なんです』と、お釈迦さんが。『枯れ木の下を選んだは、滅びゆく釈迦族の哀れを嘆いておられるのだな』と悟ったコーサラの国王は、兵を引いてくれたんだよね。これが3度繰り返された。4度目の出陣の時には、お釈迦さんは、もう、座らなかったんだよね」と。すると女の子が「なんで」と。「逃れられない縁(運命)だと知っていたからだよ」と返すと「滅びる事が運命だと知ってたんなら、初めから、座らなきゃよかったじゃん」「そこが、それ、人情ってもんだろ。どうにもならんとわかっていても、何とか出来ないものかと、足掻く(あがく)事ってあるだろ。お釈迦さんも、親や子を持つ、1人の人間だもんな」「そう言われりゃ、そうか。釈迦族が滅ぼされた後は、どうなったの」「国は滅ぼされたんだが、釈迦族の国王(釈尊の父)は、命を助けられたんだそうだ。コーサラの国王は、仏教を深く敬っていた人だった、という事もあるんだろうね。お釈迦さんは、父親の晩年を献身的にお世話されたという事だよ」「普通の親子だった、という事か。お釈迦さまも人間だもんね」「そういう事だな。何か、君のため(教訓)になったかい、この一連の話」と尋ねると「住職がいつも法話の中で『縁という縁は全て、いったんは受け入れろ。それを超えたところに、その縁が自分にやってきた、本当の意味がわかる』と言ってる意味が、少しだけわかった様な気がする」と、この10歳の女の子が。

読者の皆様、凄いでしょ、この女の子。この様な子供が数人ですが、わが寺の檀家さんの中にはおられるんですよな。親を見れば、子供がわかる様に、子供を見ても、やはり、親がわかります。そういう親子関係の子供達です。当に「躾(しつけ)は、するものじゃない。躾は、見せるもの」ですな。または「親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事」ですよね。お釈迦さんがおっしゃられた「人間、生まれを問うな、育ちを問え」は、真理ですね。

【余談】

今年の2月に法印となられた別格本山大圓院の藤田光寛ご住職が、黒い衣から法印の象徴とされる鮮やかな緋色(ひいろ)の衣に着替えられて式典が厳修を。金剛峯寺の大広間で営まれた式には、高野山内外の僧侶や信者ら数百人が参列。縁起物の昆布や米を受け取る「松三宝」と呼ばれる古式ゆかしい儀式となりました。この度、拙僧も家内と一緒に、藤田光寛ご住職に有難くも招待状をいただき、末席にお邪魔をさせていただきました。宿泊は大圓院に所縁の深い方々がお泊まりになるので、拙僧夫婦は高野山の門前町、橋本駅近くにある老夫婦が経営する1日3組限定の宿に泊まって、当日お山の方へ。(添付写真は、今年の法印転衣式)

法印というは、開祖・弘法大師空海の名代とされ、管長職や金剛峯寺座主職が途絶えていた時期(空位)においても、連綿と受け継がれてきた高野山(真言宗)内で最高位の僧職にて。任期は1年であり、真言宗寺院で住職を務める僧侶が就任します。つまり法印とは、即身成仏した(弘法大師は、今でも生きていることになっている)弘法大師空海に成り代わって、1年間にわたり「生き仏」として、高野山で執り行われる法要に導師として参列する、真言宗随一の重要な役職という事にて。毎年、年末になると、拙僧は家内と一緒に高野山別格本山大圓院に、御礼報謝で参拝をさせていただいております。祖父母、父母の永代供養をしていただいておりますので。その時に、藤田ご住職の時間が許される時には、約1時間程、ご住職と世間話(せけんばなし)をするのが、何よりの楽しみでして。藤田ご住職も今年で78歳になります。元気に長生きをしていただかないと、拙僧の楽しみが1つ減る事になりますので。

さて、これは余談ですが、高野山といえば拙僧、どうしても木食応其(もくじきおうご)さんが脳裏に。天正13年(1585年)、豊臣秀吉公は根来寺・粉河寺・雑賀を攻略した後、高野山に対して降伏を求めました。その時、応其上人は高野山使僧として秀吉公に謁見、その際「信長公は方々の寺院を焼き払い、最後は本能寺で非業の死を。あなたも同じ轍を踏むのですか」と。対し、秀吉公が「なれば高野山は僧兵を排除し、武器を捨てるか」と。このやり取りで高野山は焼き討ちされずに済んだと。その応其上人の供養塔は、高野山奥之院納経所の前にあります。拙僧は参拝時には、必ず、手を合わせに。


        令和 8 年 4 月分  金剛寺住職 臨時法話

これまで、何やかんやありながらも拙僧、今月の4月12日で満年齢の64歳にならせてもらいました。ほんまに「今ここに、命があるに、何不足」ですね。因みに、この日(4月12日)に人間界を卒業(他界)された有名人さんには、武田信玄公(1573年没)、天草四郎時貞公(1638年没)、フランクリン・ルーズベルト第32代米国大統領(1945年没)、ペギー葉山さん(2017年没)などなど。歴史上の有名人はさりながら、我々庶民においても、生まれた年月日よりも、他界の年月日の方が結構、心の中に刻まれておりますもんね。その人の生き様が、縁あった(夫、妻、子孫、知人など)人達の心に残っておるからでしょうかね。そう考えますと「人間、死んだら、終わりよ」は、ないですわな。

時折り、檀家の子供達から「人間の世界は悪い事をしたら、必ずあばかれて、罪の償いをさせられるでしょ。この罪って、死んだら逃げ切り、ではなく、死んだ後(来世)も償わされるのかな、住職」と。対し拙僧、質問してきた子供達に「さあ、実際、死んだ事がないからわからんが、仏教の逸話の中に、蚤(ノミ)の夫婦という話があってね。ある時、旦那ノミが、ハアハアと息を切らして家に逃げ帰って来て、女房ノミに『あの人間め、俺は何もしとらんのに、俺の姿を見た途端に、潰そうと追い掛け回してきおった。あの野郎め、次の世で俺が人間になったら、あいつを探し出して、必ず仕返しをしてやる』と鼻息荒立てて。対し、女房ノミが冷静な顔つきで『だったら、あんたはこの度、前世での仕返しをされただけじゃないの』と、その旦那ノミに。この話、どうや」と、檀家の子供達に。すると子供達が「その話って、住職さ、逸話の範疇の話なの。それとも、本当にある話(前世、来世)なの」と強張った顔で拙僧に。「前にも言ったが、死んだ事がないからな、そこら辺はわからんところだ。だけど、自分がこの世でやらかした事が、死んだ後の世界(次の命の世界)まで追っ掛けてきて、清算させられるなんて事が本当にあるとしたなら、なんか、それって怖くないかい。恐ろしいよな、やばいよな。人間という奴は、悪い事を全くしないなんて事は、絶対にありえん。だとすれば、悪い事をするならば、この世で清算出来る範囲で、留めておいた方がいいかもしれんな」と。

すると、返して子供達が「この世で清算出来る範囲に留められる悪い事って、具体的にはどういう事を言ってるの」と。「そうさな、事例をあげたらキリがないから、根本的な事を言えば、必要以上に欲を持たない、という事かな。欲が大きくなるにつれ、その欲を自分の物にしようと思えば、周囲に掛ける迷惑も当然の事乍ら、大きくなっていくだろ。まず『足るを知る、不足を言わない』から、身に付けていく事が大事かな」と話すと「わかった。そうする」と子供達は引き攣った顔で。わが寺の檀家の子供達って、ほんと、面白いでしょ。仏壇参りで家に伺った時や、大法要に参拝してきた時や、爺ちゃん、婆ちゃんの年忌法要(7回忌、13回忌、17回忌など)の時や、納骨堂に足を運んで来た時などに、拙僧の法話を腹一杯聞いているから、5科目の成績はそこまでなくても、読解力、推察力、判断力などが徐々に身について、拙僧が驚かされる様な機転の効いた言葉を、投げ返してくる事が結構にあります。

最後になりますが、今月の18日(昭和18年4月18日)は、山本五十六連合艦隊司令長官のご命日ですが、長官の語録「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」は、時折り、檀家の子供達にも、話して聞かせる事があります。ついでに、山本五十六連合艦隊司令長官のこの言葉は「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」で有名な上杉鷹山公(上杉家中興の祖、江戸時代中期の実在人物)の言葉「してみせて、言って聞かせて、させてみる」が元になっている、という事もついでに、檀家の子供達に話をしております。

これは余談ですが、昨日、拙僧の法話の読者という関東在住の女性から「愚痴になりますけど、聞いてもらえますか」と電話が。この話をここで紹介するは、この女性からの要望でして。女性曰く「同じ境遇の人が、世の中には必ずおられるでしょうから、この話を法話にしていただけたら、何かしら考えるきっかけになるのでは、と思いますので」と。確かに、類似の境遇にある人は拙僧の周囲にも、ちらほらとおられるには、おられますけどね。その女性が「住職が法話の中で『子供は、親が育てただけしか、育ってない。親が作った家庭環境の中で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事にて。鳶(トンビ)が、鷹(タカ)を産む事はありません。基本、蛙の子は、蛙にて。が、偶にですが、鷹(タカ)の様な鳶(トンビ)が育っている事が。その大半は、子供自身が自らの努力によって、鷹になってる様で。但し、これらの見解については勿論、例外というはありますよ』と。住職の言われる通り、基本は『この親にして、この子あり』だと思います。私の両親は、2人共が非常に温厚で、素晴らしい人達(人格者)でした。5人の兄弟、姉妹の中で、兄(当年72歳)だけが、住職の法話の例外に当たる人間で、両親に悉く反発し、我が強く、徹底した個人主義(利己主義)で、好き放題、やりたか放題の人生を」と。

続けて、その女性が「実はその兄が先日、何を思ったか、突然私に『俺は誰の世話になるつもりもない。俺が死んだら、骨はそこら辺に捨てとってくれ』と。それを聞いた時、思わず『はっ、今、なんて言ったの。兄さんのその骨を、いったい誰が、いったいどこに、捨てに行くの。私が兄さんより先に逝ったら、そんな後味の悪い事を、私の息子、つまり、あなたの甥にさせるっていうの。冗談じゃない。人は産まれてくる時も、他者の手(産婦人科医など)を借りないと、この世に出てくる事は出来ない。人は死んでいく時も、自分で歩いて火葬場に行く事は出来ないんだから、他者の手を借りないと何の処理も出来ない。誰の世話にもならない、ですって、現に、捨てとってくれ、と私に頼んでるじゃないの。お父さん、お母さんが永眠している菩提寺の納骨堂がちゃんとあるんだから、そこに納めて俺の永代供養を頼む、ぐらいの事が言えないの。それだったら、私の息子も快く受けられるわよ。立つ鳥跡を汚さず、とはそういう事よ』と思わず、言いたい事をぶつけちゃいました。その後は流石に、屁理屈こきの兄も気まずい顔をして、閉口しました」と。

更に女性が「住職、兄という人間はですね、1度も結婚をせず、生涯独身を謳歌した人で、若い時からの口癖が『俺が一生懸命に働いた金を、何が悲しゅうして、妻や子供に使わにゃならんのや』と。対し、私が『産んで育ててもらった恩は、産んで育てて返すが、当然でしょ。縁が薄くて結婚まで至らなかった人や、子供が欲しくても授からなかった人は、別だけど。これが何よりの親に対しての恩返しでしょ。兄さんは、育ててもらった経験しかないから、育てた経験がないから、待つ事(子供が成長するを)や、我慢する事(子供が成長するまで)が出来ないでしょ。だから、いつまで経っても考え方が自分中心で、大人になってないでしょ』と。この様な口論は、度々ありましたね」と。

続けて、その女性が「恐らく、兄も気付いているんだと思います。今、自分が、強がった言葉を吐いているという事を。自分が選んできた人生を自分で否定するは、あまりにも辛いからですね。それが証拠に、私とのこの度の口論、最後は閉口を。こんな事を思ったらいけないのでしょうが、兄は可哀想な人だなと。せめて、晩年は素直になって、兄弟、姉妹、甥や姪と、親しく交流を持ってくれたら、と思うばかりです。住職が以前、法話の中で『人は晩年になると、失っていくものばかりにて。職を失い、親を失い、兄弟を失い、友人を失い、伴侶を失い、健康を失い、と。この失っていくものばかりの中で、孫、曾孫の存在は、掛け替えのないもの』と。ほんと、そうだと思います。住職、今日は愚痴を聞いてくれて、有難うございました。兄の愚痴を言いたくて電話をさせてもらったのに、兄の事を見つめ直すきっかけにもなりました。また、連絡します」と、この女性が。

人間というは、皆が皆、事情を抱えて生きているもの。事情の塊が人間ですから。第三者に迷惑を掛けずに生きている人間など、恐らく、誰1人もいないでしょうが、ただ、自分勝手な行動で人に迷惑を掛ける様な事だけは、極力、避けていきたいもんですな。わが寺(金剛寺)には、納骨堂の中に『永代堂』を設けております。3年程前に建立させて頂きました。建立理由は、今後、独身者が増加し「先だった親と共に永代供養をしてください」の依頼が必ず増加をしてきます。「そこら辺に捨てとってくれ」の人ばかりじゃないですもんね。また「自分の遺骨はどうでもいいが、流石に、親の遺骨を粗末にするは、忍び難い。なれば、自分も一緒に」と言って、お寺に相談に来られる人達も昨今は、ちらほらと出てくる様になりました。であれば、受ける側(寺院)もそれなりの準備を、で、永代堂の建立をさせていただいた次第でして。

次回の投稿法話は、4月5日になります。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。