令和2年10月分 金剛寺住職コロナ関連短文法話集
人間の欲に歯止めが効かなくなった時、天はそれなりの人物(その他)を下生させ、荒療治を成し、リセットを。戦国時代には、信長公を。第二次大戦では、ヒトラーを。14世紀には、ペスト(1億人死亡)を。1918年には、スペイン風邪(5000万人死亡)を。地球は人間だけの物といわんばかりに、圧倒的に多い他生物の命(生息領域)を軽視し、自然破壊を繰り返し続けた結果、生態系が崩れ、方々で天変地異が。『そうすれば、そうなる。そうなったのに、まだ、そうするか』を自身に問い掛け『分相応に生きる』を、見直す時期に。
下記は、読者の質問に応じた拙僧の返答集。コロナ発生初期から、移り変わっていく人の心情が鮮明に。自然災に限らず、人生においても考慮すべき質疑応答にて。今後の参考にしていただきますれば、と。
【4月上旬法話読者の質問に答えて】
檀家が「コロナですが、世の中には様々なデマが。見分ける方法は」と。「薬や防御法の見分けは難しい。専門家でも正解を持たない。こんな話が。麦畑に敵が毒麦の苗を。家臣が『探して、抜きます』と。が、王様は『実るまで待て。良い麦まで抜くやもしれん』と。何でもがそうですが、否定から入ったら何も得られんよ」と。
【追伸】
諺に「馬には乗ってみよ。人には添うてみよ」と。確かめもせずに良し悪しの判断は。明らかに間違っているものなら拒否するも。専門家でも正解が出てないのに、これは『デマ』と。『デマ』は正解があって初めて成り立つ言葉。トイレットペーパーデマ問題の様に。「他者には効能なかったが、私には効能があった」なる、薬や防御法があるかも。それで少なくとも1人の命が助かる。今の時期は、試す事も必要。試せば『迷信は解明されたら、迷信でなくなる』の答えが見つかるかも。コロナ問題に限らず、何でもがそうですが、自分でやりもしない内から「あれは駄目、これは駄目」では、何の進歩も。コロナは、様々な教訓を人類に投げ掛けてくれてますね。
【4月上旬法話読者の質問に答えて】
檀家爺様が「転院で若医師の医院へ。パソコンばかりに顔を向け、検査数値の説明三昧。堪りかねて『あんた。問診、触診、顔色を見んのか。結果説明が大事はわかる。が、わしが求めとるはそんなんじゃない。安らげる言葉だ。死ぬはわかっとる。それを冷淡に死ぬ理由を淡々と説明するな』と。所詮、机上の仕事だな」と。
【追伸】
この話は、数年前の話。今、医師は、大変なご苦労を。では、何故、今、この話を。拙僧の周囲、特にご老人達が「テレビ報道は、悪い情報ばかりを。免疫を上げるが大事と言いながら、免疫が下がる話ばかり。明確になってない話でも『もしかしたら、これが期待出来るかも』という明るい兆しのある報道を何故しない。それがあれば『よし。頑張ろう』と。期待は期待でしかない事ぐらい百も承知じゃ。こんな時だからこそ、その手の話を弱い人達は求めとる。持続の心を保つ為に」と。嘗て『踊る大捜査線』で「事件は会議室(机上)で起こってるんじゃない。事件は現場で起こってるんだ。目の前で人が死んでるんだ」と。上はもう少し、現場を。
【追伸、否定から入ったら、得る物はない】
第4回パリ万博の時に、エッフェル塔が建設。「景観が崩れる」と反対派の先頭に立ったが、モーパッサン。が、彼はこの塔のレストランへ毎日の様に。理由は「ここが唯一、パリでエッフェル塔を見ずに済む場所だから」と。確かに。だが、本当に最後まで嫌ってたのかな。触れ合う事でその価値、良さを知る事も数多にある。
【4月上旬法話読者の質問に答えて】
知人寺院へ陣中見舞いに。そこの子供達に「マイナスを更にマイナスにせず、マイナスをプラスに変えろよ」と。「どういう事」「学校、塾が閉校なの、コロナが気になるの、と自分に都合よく理由付けして勉強を怠ったら、来年の受験の時、『この間に差を付けたる』と頑張った他の子達に。コロナは、時間までは止めないよ」と。
【追伸】
この知人寺院の住職は2年前、45歳で脳内出血によりこの世を。12月31日、ふと『年の終わりだから、顔でも見に行くか』と入院先へ。「おい、来たぞ」と声を掛けると、意識朦朧状態で半目を開け、私の立ち場所を探すかの様に、手を僅かに差し出した。それを握り「来年は意識を戻して、話せる様になれよ」と。次の日の正月1日に他界。今、思えば、動かない手を差し出したは「私の家族を頼みます」だったのかな、と。現在、突然住職の座に就かされた奥さんと、小中高の子供達は、悲しみを見事に跳ね返し、しっかりと人生を歩んでる。
【追伸】
檀家から早速「住職、有難う。子供に『ほら、この法話。親と一緒にテレビばかり見てんじゃないよ』と注意が出来ました」と。いやいや、子供達の為だけの法話じゃないんだが。『大人も報道ばかり見て、文句言う暇があったらこの際、自分を高める事に時間を』も同時に。コロナ後の格差は、経済だけでは。人間性の格差も。
【追伸】
大戦復興経験爺様が納骨堂参りに。「手洗いしろ、顔を触るな、感染防御に、と国が度々報道で。対し『気付かん内に触るんだよ』と。知るか、自分で考えれや。『そんな事言っても、子供はすぐ触るんだよ』と。知るかい、親の責任の範疇じゃ。何でもかんでも『どうする、どうする』と、責任を国家に。全く、呆れ返るわい」と。
【令和2年8月下旬、読者がコロナ期における信仰の役割は、と】
読者が「信仰の意義を」と。「人間は生老病死も、わが行動も、わが心でさえも、自分の思い通りには。1分先でさえ予想の世界。見えている様で、何も見えてない。コロナ、自然災害、何1つ止められん。信仰したからとて」「なら、何故、信仰が必要」「受け入れて乗り超える、心を育てるに必要。度々だが、信仰は特別な物じゃない。特別な物にしている者がいるだけ。信仰しなきゃ、死ぬとか、病気になるとか、先祖が祟るとか、脅しの組織かい。縁は自分に足らん物を補う様にやって来る。その縁に気付かせ、乗り越えさせるが、信仰の役目にて。
【追伸、上記法話を読んだ中学生が】
檀家中学生が「人は失敗すれば、必ず誰かに迷惑を掛ける事になるよね。特に、家族に。何時の時代の感染病も人災で感染拡大を。経済を止めてるは、コロナじゃないよね。守らにゃならん事を守らず、慣れて、舐め散らかした、愚かな人間の行動の結果、自分で自分の足を止めてるんだよね。国の舵取り者達は、大変だわ」と。
【令和2年8月下旬に読者中学生が、大人へ怒りの心情を】
読者中学生が「京都大学のウイルス専門医、宮沢孝幸教授が『酒を飲んだら大声になるだろ。それが危険だという事がわからん奴は、とっとと感染しちまえ』と。何か、心がスッキリするは、何故だろ。住職が時々『そうすれば、そうなる。そうなったのに、まだ、そうするか』と法話の中で。経済を止めてるは、コロナじゃなく、馬鹿な大人達だろ」と、上記の中学生読者と同じ事を。「宮沢教授の言葉は、日々奮闘されている医療従事者の怒りの代弁だね。自分が感染しなきゃ、所詮、他人事。時代が変わっても、人間は同じ事の繰り返し」と。
【追伸】
わが寺の先代(亡父)は常々拙僧に「子供達は、親だけが育てる訳ではない。世相(世の中の流れ)が育てる。世相とは、大人達の行動」と。親(世相)が作った家庭環境(国の環境)で、その親が育てる。親に似た(世の中に沿った)子供が育って当然、かと。子供のしつけは、するものではない。しつけは、見せるもの。
【追伸、突然にご連絡が】
驚きました。大変恐縮致しております。京都大学のウイルス専門医、宮沢孝幸教授から、拙僧のツイッター法話にフォローを頂きました。番組で視聴させて頂く度に「前向きな考え方は、世の中を明るい方向に導くもんな」と、この教授には度々好感を。まさか、その教授から。江戸時代後期、未知のウイルス、天然痘、コレラに対応した緒方洪庵医師が「正解(正式な治療法)が出てない以上、情報は全て共有すべきだ」と。何事もそうですが、否定から入ったら、得るものは、何もないですもんね。『先ずは聞く耳を持つ』は、大事かな。
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