【「プロ」といわれる仕事とは、何か】

7月といえば13年前の8の日、旅立って逝った父(先代)のことをどうしても思い出してしまいますな。考えたらほんと、苦労して苦労してお寺を守っておりましたもんね。時には自分の年金までもお寺につぎ込みながら、ですな。父はお寺の住職になる前には40歳過ぎまで、新日鉄八幡製鉄所本事務所に勤めておったので、多少年金がありましたからね。今だから言いますけど父が他界する10カ月前、体調を崩してすぐの時でしたかな。その時初めてお寺の現状を洗いざらい私に見せてくれましてね。手持ち金が170万円、借金がなんと数千万円。私はそれまで檀家参りに伺った時のお布施の封筒は全て封を切らずに父に渡し、お寺の経営にはほとんど皆無状態、そんなことになっていたなんて夢にも思ってなかった。 これには正直、「どげんしょ」と途方に暮れましたな。ちなみにこの借金ですが、これは父が放蕩三昧をしてこしらえたものじゃなく、この金剛寺は父が先代から引き継いだ時にはそりゃあもうボロボロのお寺でして、第二次世界大戦時に落とされた爆弾(不発)の穴までが屋根に開いている状態でしてな。私もそんなお寺に9歳まで住んでおりましたもんで、鮮明に記憶の中に残っております。よって、そこからの建て直しでしたんでね。しかしそのこと(借金)を父は目を閉じるまで「・・すまんな」と言い続けておりましたな。それに対し私は「気にすることはないよ。一般のサラリーマンの人たちだって家を建てる為に、3000万程は借金しとられるばい。お寺ならこれぐらい背負うくさ」と。ちなみに、普通一般の家屋は坪50万円ほどで家が建ちまっしゃろ。ところがお寺というもんは、数百年持たせなあかんから、坪50万円じゃ建たんのですな。だから借用金もでかくなりますわな。特に父は檀家さん方に極力寄付を募らず、銀行さんと交渉して事を進めておりましたもんでね。 さてさてですたい。父には安心させる為に「気にしとらんよ」という態度で接しておりましたが、本心は震え上がっておりましたよ。何で震え上がっておったか、それは父の亡きあと、この借金を抱えたまま継いでいく自信が到底なかったからです。お寺という所は人心が相手ですので、信用、信頼が住職になければ、成り立たない職場なんですよね。「お布施を封も切らずに渡しておった」と聞けば、「何と何と、お金に執着せん謙虚な、よか副住職ですがな」という印象を与えますが、要はですたい。父の傘下で何の責任も負わず、悠々自適に自分の仕事だけをやってきただけ、ということです。つまり、老いた親に甘えておった、ということですわ。父が健在の間は、「副住職さん、英照さん」と檀家さん方も、ちやほやしてくれますが、親が消えてしまったらそうはいきません。他人が自分に頭を下げてくれておるのは、この身の後ろに何が見えておるからでしょうかいな、ってことですたい。それぐらいのことは、なんぼ「バカボンちゃん」の私でもわかりますがな。これはどの畑の後継者にも少なからず当てはまりはせんですかな。所謂、駿府(家康公)と江戸(秀忠公)の習い、ってことですたい。ただ、秀忠公の場合は、諸大名方が駿府に目を向けている間に、将軍としての権威を確立されましたけどね。よって私も秀忠公に習って、親がこの世に存在している間に、何とか檀家さんの信用、信頼を得ようと、当時は必死でもがいておりましたな。 しかし、今思えばですよ、父の時代(40年前)は、銀行さんですが、ようもまあ、こんなオンボロ寺に力を添えてくれました。あの時代は、現在のような本部決済の仕組みとは違い、銀行さんも現場の長に決定権を与える支店長決済が主流だったようで、融資のスピードも速かった覚えがあります。思えばその頃の方が町(地方経済)も元気だった様な気がします。人間の体内にある血液が順調に流れておれば人も元気であるように、経済界の血液(お金)が順調に流れておれば、当然町にも活気がみなぎってまいりますよね。その血液の流れを握っておるのは、やはり銀行さんだもんね。銀行さんといえば以前、知り合いの社長さんがこんな話をされておりましたな。「ここ10年程前の話だけどね、ある社長さんが銀行に足を運ぶ度に毎回駐車場で車を誘導されている警備員さんに必ず何かしらの差し入れ(お菓子、飲み物など)を、「御苦労さま」と言って手渡されていたそうな。その社長さんがある時、会社の経営に支障を来たし、銀行さんに融資を願い出たところ、即座に審査が通り実行されたとのことですばい。これ、何故だと思いますか。その社長さんと警備員さんとの度々の交流を、支店長さんが駐車場を映している監視カメラ越しに見ていて、この社長さんなら間違いない、信用できる、と決断を下したという事なんですな」と。このお話を聞いた時、「この国もまだまだ、捨てたもんじゃないな」とそう思いましたな。決められたマニュアル通りに動かないと上から警告を受ける、というくそ面白くもない雁字搦め時代に、こんな人情な動きをされるお方も中にはおられるんだ、とね。いつの時代も人の心を動かすのは、やはり感動ですからね。ところでですが、ご存じでしたか。日本の通貨の単位をわざわざ「円」にしておるのは、「縁」に引っかけるためだそうですな。「円」は「丸い」という意味合いから、ぐるぐると天下の回りもの(縁)としなければならぬ、ということなんだそうです。 ところでですが、最近ある銀行の本部の方との交流があり、「現在の銀行業務についてのご意見を」と問われましてね、先方さんがその銀行の役員というプロ中のプロのお方だったので、屈託のない意見を失礼にもぶつけてしまいました。「極端な意見ですが、私は、銀行家は元来、博打打ち、相場師だと認識させてもらっております。お金にお金を産ませて、成り立たせている商売だと思っておりますので。しかし最近はどうも、マニュアル重視の事務屋の仕事に変わってしまわれたみたいで。数年前に融資をしていただいた時、特にそれを感じましたね。確かに事務系の業務も絶対に必要だとは思いますが、せめて支店長さんクラスくらいは、ですね。銀行に限らず、現場の長に権限を与えていない仕事場は、どうも活気が掛けているように思えてならないんですよね。まあ、銀行さんは特殊な業務ですからそんなことはないでしょうが、昨日まで全く畑違いの仕事をされていた人が、「これ読んどけ」とマニュアルを渡されただけで、その日からすぐに仕事が出来る職場なんて、これはプロの仕事場ではないですよね。私達僧侶の世界でも、昨日まで人に迷惑を掛けながら生きてきた人が、得度して坊主となった途端に、基本的な仏教の知識が欠乏しておるにもかかわらず、んっ、何、もう人の人生を左右する言葉を吐くの、ってなことになっております。少なくとも「一瞬の判断が利益の損得を産む」、という仕事に携わっている人たちは、やはりプロとしての基本と自覚は必要不可欠かと。そう考えると銀行家はやはり博打打ちの才覚があるほうが、世の中面白くなるかも。なんたって、血流を握られていおるわけですから。そうなってくれば、もしかしたらタンス預金1400兆円(話半分としてもすごい額)の行方も変わってくるかも、ですね。人は絶対に感動(利潤も含む)でしか動きませんからね」と。   私は女房殿にしか見せない素人の顔があります。皆さんも、仕事の癒しはそこにて。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。