(平成28年11月お耳拝借)道を開くも閉じるもわが意欲にて
私は、桜も梅も柳も「しだれ」の姿が最も好きですな。ここぞとばかりに栄え(満開)ておるのに、頭(こうべ)を下げている姿が何とも言い様がない。枝葉は風に逆らわず、さらさらと流れておるのに、その幹は微動だにもせん。移り変わる世相の流れにうまく身を任せ、それでも信念だけは揺るがすなよ、と人(組織)の姿の手本を示しておるようでね。
先日ですな、自閉症の子供達を預かっている社会福祉法人に勤めておられるという若い男性がお寺に訪れ、とうとうと勤務先の愚痴を述べられました。聞くところによると、ホーム全体の傾向が子供達に対する扱いが酷すぎると。例えば、バスから降りんからと無理やり引き摺り下ろしたり、言うことを聞かんからと体罰を与えたりするなど。言って聞かせて時間をかけて納得させようとはせず、強制による指導が中心だとか。んなもんだから、子供達が反抗をして職員の体や腕に噛みついてくると。そう話すその若者の腕にも、数ヶ所にわたり生々しく噛みつかれた跡が。「自分の考え方と全く違うそんなホームなど早く辞めてしまえ」と、周りが助言してくるんですが、どうしたもんか、と相談にやって来たとのこと。
「職員の出入りの状況は、どんな具合だい」と尋ねると、「1割程が常に入れ替わっておる状態です」と。「ならば、9割は動かんで頑張っておるということだな。んっ、・・その中で君と同じ考えの職員はどのくらいおられるんだい」と。「それこそ、1割おるか、おらんかくらいです」と。「その1割の人達は、何年くらいそこで勤めておられるんだい」と。「3年から5年といったところですかね」と。「ところで君は、そこに何年くらい勤めているんだい」と。「まだ半年です」と。「・・・ふうん、・・・あのね、人類の歴史を振り返ってみたときにね、世の中を変えてきたのはいつの時代も少数意見側の勇気ある行動なんだよな。こんな職場は嫌だ、と逃げてやめてしまったら、君が可哀想に思っている子供達はいったいどうなるんだろうね。子供達からしてればくさ、見て見ぬふりや職場放棄している人も、不必要な体罰を与えている人達と、何ら変わらん対応なんじゃないのかな。その環境下の中で何年もの間、君と同じ信念をもって頑張っている人達がおられるんだろ。だったらくさ、そこから逃げるわけにはいかんだろ、頑張っている人達がおられる以上は。・・・まあ、だけど、君が精神的に追い詰められていて、その影響で眠れぬ夜が続いていたり、めまいや頭痛がしていたり、食欲不振になったり、吐き気がしたりする症状が頻繁に続いているんなら話は別だけどね。精神疾患が本病になってしまったら立ち直るのに時間が掛かるからね」と。
考えたらこの青年も、半年前にこの会社の代表者が、「この青年なら大丈夫だろう」と見込んで採用してくれたんですよな。世間にはいろんな話があります。例えばお笑いの「おぎやはぎ」の矢作さんなんかは、タレントになる前に外資系の企業に就職したとき、面接試験で「英語は話せますか」の問いに全く話せなかったのに「話せます」と答え、それから必死に勉強をして、結局、営業成績1番になられたとの話とか。他にも「ルビーの指環」で一世を風靡された俳優の寺尾聡さんなどは、黒澤明監督の映画にどうしても出たいがために「馬には乗れます」と嘘をついて採用された後に、必死に乗馬の練習をされたとの話だとか。この手の話を言葉じりだけで聞いたら、「はったりでも通じることがあるんだな」で済んでしまいそうですがね。だけど、そうじゃないよね。社長さんも、監督さんも、海千山千の兵(つわもの)でっせ。伊達や飾りでその位置に上り詰めた人じゃない。その眼は節穴ではないですばい。考えてみたらですな、その面接の場で当人に英会話をさせれば、乗馬をさせれば、嘘をついているかどうかなんて簡単にわかることでっしゃろ。なのに何故に敢えてその場でそれを確かめなかったのか。それはその人から、「やる気」というものを感じ取られたからじゃないのかな。「こいつなら間違いなく、時間までに仕上げてくるだろう」と、ね。
まあでも、「はったり」といえば、こりゃあかんやろ、というもんも中にはありまっせ。例えば、もう十数年前の話ですが、書店で買った占いの本をたった1冊読んだだけで「占い屋」を開業し、お客さんから占い料として数千円を取っていたお方がお寺に来られ「お店まで来て、よく当たる様にお祓いをして下さいませんか」と。そりゃ、どんな依頼内容でも頼まれりゃ伺いまっせ。その人も「食べる」為にやっていることですからね。そのことに関してとやかく私の持論を押し付けるつもりは毛頭ございませんが、ただ、「よく当たる様に」などのお祓いをする力は私にはありませんからね、その土地でご飯を食べさせてもらえるように、土地を貸してくれてはる「氏神」さんに、1週間手に入らなければ生きていくことが出来ない火の神「荒神」さん、水の神「水神」さんに、「宜しくご加勢を」とのお参りならば行かせてもらいますよ、と当人に。しかし、どうですか、世の中には勇気あるお方がおられまっしゃろ。私には到底無理ですな、こんな商売をする根性はありまっせんばい。
話を元に戻しましょう。求人募集を掛けている会社から、電話で断られたからと、年齢制限で弾かれたからと、世の中には何とも諦めの早い人がおられますが、駄目元で直接会社に足を運んで自分のことを売り込んでみんしゃい。会社側としては、やる気のない年齢制限内の人間よりも、案外にやる気のある制限外の人間のほうに目を向けてくれることがありまっせ。私にもそうした経験が何度もありましてな、諦めが悪いと言われればそれまでですがね。「人間は必ず感動で動いてくれる」と堅く信じておりましたんで、「わかった、雇ってやる」と言われるまで粘ったもんです。不平不満や文句言い、言い訳ばかりをする人間は、案外に忍耐力や感謝の心に欠ける人が多いみたいですな。「感動で動く」といえば、「何、今頃」と言われそうですが、先日娘と話をしておったら、音楽を聴くのに「ダウンロード」なるものがあるらしいですな。何か聞くところによると、たった今紹介された曲が無料で聞けるんだとか。娘が言うには助かる,有難いと言っておりましたが、「いやいや、ちょっと待ちなされ」っていう話ですばい。そうなりゃ、CDが売れんことになるってことでっしゃろ。したら、作詞家、作曲家、歌手の方々の報酬はどうなんの。みんな生活していかなあかんのに。ボランティア活動以外は、人が動いたらお金が発生するのは至極当然のことでっせ。こんな形態が蔓延してきたら、いつしかやる気も失せて、よか曲を書く意欲も失いまっせ、ね。
さて、人が動いたらお金が発生するは当たり前、といえば最近、講演会に伺う度にこの話をして世のご主人さん方に、「何いらんことを」と嫌われておるんですがね。ある専業主婦のお方が事故に遭遇して1か月間入院された時、その休業損害として「1日9700円×休業日数」を支払えとの判例が出たのをご存じでっか。ということはですたい。専業主婦のお方は休みなく働いておられますから、一か月の給料はざっと計算して30万円ということになりますわな。「俺が食わしてやってんだ」、なんてことでも言いようもんなら「はあ、(何か言ったか)」と、詰め寄られまっせ。時代は着々と変わっておりますよ、ご主人さん。
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