令和4年2月分 金剛寺住職短文法話

陣中(コロナ自粛奮闘)お見舞い申し上げます     2月分手紙

本来、節分というは、立春、立夏、立秋、立冬の4つ。現在残ってるは、立春だけ。昨年は124年振りに節分が2月2日に。1年は、365日と6時間。年に6時間づつずれる事で、立春の前の日の節分の日(旧暦の大晦日)も移り変わっていく。昨年は、福岡も緊急事態云々で、わが寺も常の賑やかな豆まきは縮小。僧侶と厄祓い希望者のみで法要を。寂しい限りでしたね。節分の法要は、奈良時代から催されていたと。当時は、現代の様な、魔(ま)を滅(め)する、で『豆』をまく風習ではなく、鬼は桃を嫌うという事から、青い桃をぶつけていたとか。これが桃太郎のお話が出来る事になった始まりに。また、魔(邪鬼)は、鬼門(丑寅)の方角から入って来る事から、虎のパンツをはかせ、角を付けた鬼を登場させたと。具体的な形がないと人間は、恐怖も恩も、鈍感になるからですね。通例、節分の日には厄祓いを。旧暦の大晦日に厄を払って新年(立春)を迎えようと。還暦の人には、暦が還る、赤ちゃんに還る事から、赤い物をプレゼントに。オーソドックスは、赤いちゃんちゃんこ、赤いパンツ、など。赤色は元気が出る事から、このような贈り物を。金剛寺の節分は、毎年、2月の第1日曜日に。子供達もご縁に会えるから。拙僧も今年は、還暦。赤い作務衣でも作ってもらおうかいな。

【追伸】

檀家男性が思い出し笑いしながら「30年前の節分の日、爺様が『わしが鬼に』と鬼の面を付け『わ〜』と。するとゴン(雑種中型犬)が『孫(私達)が危ない』と思ったか、思いっきり体当たり。豪快に転んだ爺様が『この野郎』と面を取った瞬間のゴンのひきつった顔、一目散に外へ逃げた。それを追っ掛けて爺様が外へ。『ほう、鬼は外だ』と思った記憶が。先に帰ってきたは、ゴンだった。その爺様も他界。その1年後にゴンも」と。

【子供の素朴な疑問】

檀家親子の面白い会話を聞いた。「パパ、大人になって台形の面積を求めた事あるか」と小学生息子が。「お前な。腹巻き巻いて、ステテコ履いて、頭にタオルを巻いた親に『パパ』はおかしいだろ。で、何だ。台形の面積ってか。ねえよ」「将来、使わん物を、何で勉強するの」「知るか。先生か、この住職に聞けよ」と。で、この小学生男の子が拙僧に「なら、住職。2つの三角形があって、面積が同じかどうかを答えよ、と、大人になってこんな事、答える場面に出会った事なんてありますか」と。「いや〜、ないね」「出会う事がない事を、何で時間を掛けて、勉強するの。5年生になって、円周率の勉強が始まったけど、この円周率、住職は使った事、あるの」と。「ないよ。だが、将来の職業によるかな」「なら、その職業を選択する人だけが、勉強すればいいじゃん」「君はクイズは、好きかい」「大好きだよ」「なら、クイズと思いな。頭の体操、脳の活性と思えば、よかじゃないかな」と。この会話は、非常に奥が深い。昨今の教育システムに一石を投じる小学生の疑問かと。さて、子供の「何で、何で」の問い掛けは、年齢と共に深刻な問題に発展を。初めは丁寧に答えていた親も、毎日毎日の事で、徐々にいい加減な対応に。それが知らず、知らず、親の信頼を失っていく事に。先日も、檀家で北九州内の優秀校に通う女子高生が「住職。私は塾に行かずに、有名大学を狙うつもりです。予備校(塾)に通う友人達が『今は凄いんだよ。AI が大学入試問題を予測して、予備校がそこを集中強化させるんだよ』と。『何それ、ただの点取りゲームじゃん。だから社会に出て応用が効かないんだ』と友人達に。私ね、住職。この国の教育、何か、違うと思う。勉強は出来るが、頭の悪い人間が多い」と。5科目が出来るを人生の成功者と勘違いして育てた親(大人)と、5科目が出来るを人生の成功者と勘違いして育った子供が現在、この国には数多に。その結果、社会に馴染めず、高学歴ニートが、あちらこちらに。拙僧周囲(檀家、知人)にも少なからず存在する。勿論、学問は大事。知識が豊富であれば、思考は深まり、視野も広がる。が、その知識を活かす知恵は、経験からしか得られない。親が悉く、過保護、過干渉から、学生時代に当然、経験させておかなきゃならん事を横取り。これじゃ、ね。学校講演では常に、保護者の方々に「世の中が、人間社会が、理不尽な矛盾で溢れ返っているを、子供がまず最初(物心付いた頃)に目にする、学ぶ場所は、家庭の中の親の言動からですばい。夫婦喧嘩、嫁姑戦争、浮気、浪費、嘘、二枚舌、自分勝手、DV 、虐待、過保護、過干渉と、数え上げれば、キリがない」と。

【ここが変だよ、この国は】

東京在住の檀家爺様が「住職よ。食い物じゃがな。ミシュランの星の数がどうのこうのと、フランス人が日本の食文化を査定など、フランス料理だったら理解も出来るが。そんなのに日本人も踊らされて。日本料理はフランス料理とは違うばい。クロマグロのトロなどを、煮込んで、焼いて、クリームをかける料理人が、日本料理の真髄を知ろうはずがないわい。知らん者が査定などするな、ってんだ」と。対し拙僧「どうしたんね、爺様。えらく今日は、お怒りだが」「いやいや、昨年、東京五輪があったろうが。20年前の五輪柔道の篠原さんの悔し涙の事を思い出したら、波状して、ミシュラン査定に踊らされとる日本人が情けなくなってな。柔道も、五輪で金メダルを取るより、講道館で勝つ方がもっと難しい、というしな。日本人ってえのは、何でかいな。何でもかんでも、外国文化にかぶれてもうて、もう少し、日本文化の良さを見つめ直して、知識を付けなあかんぞ。わしは方々の外国で勤務したから、日本の良さがよくわかる。何が、ハロウィンじゃ。日本の大晦日、正月と同義じゃないか。そっちの方に目を向けい」と。京老舗割烹『浜作』3代目主人が『ミシュラン調査員撃退記』の中で「調査員はフランス人。30代、40代の若者達。対しご主人「貴方達の様な若者ではなく、人生経験を積んだ美食見識をお持ちの紳士に来て頂ければよかったかな」と注文をつけた。ご主人曰く「敷居は高くてもいい。敷居を低くすれば、今ある物を壊す事になるだろ。敷居の跨ぎ方を教えてあげれば、それで済むことだ」と。

【おまけ話】

お金にルーズな家族に、拙僧「周囲に散々迷惑を掛け続けた事により今、その煽りが自らに返って来ているだけだよ。諺に『錆は鉄より出でて鉄を腐らす。愚痴は人より出でて、人を亡す』と。今、あなた方に起こっている事は全て、身から出た錆、にて。誰や彼やが、やった訳ではない。自分達がやってきた事を清算させられているだけ。自分で清算しなきゃ、いつまでも残ったまま。残ってるものは、その時期が来たら、顔を出す」と。

【追伸】

その家族に「隠している物は、嘘をついている物は、必ず露見する。人は迷惑を掛けられたまま、いつまでも黙ってはいない。部屋の中で散らかした物は、掃除をしなければ、いつまでも汚れたまんま。その汚れたまんまの状態で、また散らかせば、何を散らかしてきたのかも、忘れてしまう。人生も同じにて。そんな人間に、まともな人間は寄っては来てくれない。自分が気付かにゃ、改善などない。次から次に問題が湧いて出て来るという事は、気付かない内に、何かをやらかしているという事にて。自分に縁のあるものしか、自分に関わりのあるものしか、自分にはやっては来ないよ」と。啐啄同時(そったくどうじ。鳥の雛が卵から出ようと鳴く声と、母鳥が外から殻を突くのが同時でないと、生まれ難い)という禅宗の言葉がある。またとない機会、という意味なんですが、この家族に「次々湧き出てくる問題も、考えようによっては、全ての膿(うみ)を出し尽くす、またとない機会かもしれない。膿(うみ)を出し尽くすまでは、まだまだ問題は出て来るとは思うが、この機会を逃したらあなた方は、将来、子孫に、様々な問題を背負わせる事になるよ。真剣に考えな」と。

【追伸】

啐啄同時といえば、この話もまた、その1つかな。檀家の老夫婦(子供なし)は、海沿いの丘に家が。90歳を迎え、生活が困難に。が、土地家屋の価値は0。絶対売れんと思った家が、不動産屋に頼んだ次の日に買い手が。普通に考えれば、到底あり得ない。それも破格の金額で。この老夫婦には、この様な不思議がよく起こる。正直だし、慎ましい生活はするし、親、先祖は大事にするし。周囲が、黙ってほっとかんのだと思う。

【追伸】

檀家の母親が娘さんの結婚で心配を。対し、拙僧「大丈夫だよ」と。「だって、25歳だよ」と。「貴女は何歳の時に結婚したの」「20歳。•••あら、私、若かったのね」「親が思ってる程、娘さんは子供じゃないよ。貴女が歩いて来た道を振り返ってごらん。娘さんは、お母さんを手本に、これから歩いて行かれるから。ある結婚披露宴での挨拶の時、父親が娘さんに『心配するな。お前は、お母さんが私達家族にしてきてくれた様にすればいい。そうすれば、幸せになれる』と。感動した。躾はするものじゃない、見せるもの、だもんね」と。

令和 4 年 2 月分 金剛寺住職(コロナウイルス関連)短文法話 【その23】

 1月は行く、2月は逃げる。3月は去る、と。気付いたら、桜が咲き、雨が鬱陶しいな、と思ったら、灼熱の季節。何とか乗り越え、ほっと一息付いたら、足元に落ち葉が。あと何度、正月を迎えたら、人間卒業となるんでしょうね。今年も「今ここに、命があるに、何不足」と、一日一生の心で、悔いの残らない歩みを。

さて、今年も早々「人材が育たたない」と苦悩する会社の社長が拙僧に「幹部クラスに向けて、何か話を」とご依頼が。その講演で役員さん達に拙僧「犬に『ワン』と鳴くな、と。猫に『ニャー』と鳴くな、と。牛に『モー』と鳴くな、と。赤ちゃんに『オギャー』と泣くな、と。では、彼らは、いったいどうやって意思表示をすればいいのですか。その鳴き声で彼らの意思を読み取るが、上役の器量でっしゃろ。拙僧は、喜怒哀楽で悩む相談者には、必ずこの言葉を。『悲しい時に泣くなとは、誰も言わん。嬉しい時に笑うなとは、誰も言わん。腹が立った時に怒るなとは、誰も言わん。楽しい時に喜ぶなとは、誰も言わん。もし、その様に強制してくる人がいたとしたら、事情を何も知らない、事情を聞こうともしない、無知な人間と思って、相手にするな』と助言しております。昨今の日本は、人を育てる、という一手間を面倒臭がる傾向が目立ちますよね。苗を植えて、水を与え、夏草と戦い、八十八夜経たんと、米は実らん。ノーベル賞クラスの人材は皆、研究にお金を惜しまない外国へ。拙僧の知人医師も、米国へ行って『日本には、帰る気はない』と。人材を育てないで、将来、この国をどう維持していくつもりなのかな。ここは1番、思案のしどころですよ。武田信玄公が『人は城、人は石垣、人は堀』と。この考え方は非常に大事にて。以前、北九州の親和会(社長グループ)に呼ばれて講演に伺った時、社長さん達に『求人広告の、経験者優遇、の言葉ですが、拙僧、個人的には、あれは大変不愉快な言葉にて。経験者が、仕事が出来る、とは限らんでしょ。経験者が、一生懸命仕事をする、とも限りませんよね。未経験者が飛び込んでくるという事は、やる気があるからでっしゃろ。人を直に確かめもせず、書類だけで不採用にすれば、将来の会社の宝となるやもしれん逸材を、逃す事になりまっせ。また、以前、中堅社員が新人を教育する時間がない為、仕事が覚えられず、やり甲斐が持てず、退社する若者が増加の会社代表に拙僧『定年された方々に、パートで新人教育を依頼されたらどうですかね。新人もじっくりと時間を掛けて習えるし、定年されてた方々も、生き甲斐と小遣いを貰えるし、両徳でっせ。日本は人材育成に目を向けんと』と。この会社は今、非常に充実を」と。

【自殺の話】

常連読者が「昨年の1月8日のこと、住職(拙僧)の『すぐに大阪へ。連れて帰ってきなさい』の進言で、連絡が取れない息子のいる大阪へ。新幹線の中、先だった父と母に『どうか、あんた達の孫の命を助けてくれ』と心の中で必死に。住職、あれから1年が過ぎました。暗い部屋の中の押入れの中で、失語状態で蹲っていた息子の姿が、今でも脳裏に浮かんできます。今、思い返しただけでも『生きてくれていてよかった』と涙が出ます。もしかしたら1月は、息子の命日になっていたかも。今月、息子が仕事復帰を。有難うございました」と。

【追伸】

数年前、拙僧の家族団欒法話を偶々目にした静岡在住の40代男性が、会社ビルから投身自殺する直前に、自殺を思い止まった。会社での凄まじい虐めが、自殺を決意させた理由と。その後、定期的に「元気にやれてます。あの時は、追い込まれていた事もありましたが、自分の事しか考えていませんでした。ご住職に定期的に連絡をさせてもらうは、あの時の事を忘れないためです。本当に有難うございました」と、その男性から連絡が。『大切な人達(家族)を忘れさせるまでに、人は、人を追い込むか』と当時、ひどい憤りを覚えたを、今でも鮮明に記憶に残っております。拙僧、年間に何人かの「死にたい」という相談を受けますが、相談に来られる人達は「まだ、生きていたい」という心が本人に。よって、大半は自殺を思い止まってくれます。相談する人が、いる、いない、が大きく影響するみたいですね。因みに、真言宗の空海さんでさえも、弟子である、甥である、智泉(ちせん)さんが他界の時「悲しいかな、悲しいかな、重ねて、悲しいかな。悲しみの中の悲しみ」と落胆を。

【追伸】

自死の話が出る度に「自殺は、地獄へ堕ちて永劫に成仏出来んは、本当ですか」と問い掛けが。江戸時代、近松門左衛門が『曽根崎心中』を発表。その影響から心中が流行を。自殺を防止する為に「自死は、成仏出来ん」と方便を。この言葉が現代まで。この言葉が歯止めになる場合も。如何なる死も寿命。地獄行きという確証、証拠もないのに、悲しく逝った死者を更に、追い込む様な、あかん。中には「地獄行きじゃない、という確信も、ないのでは」と屁理屈を言う人達も。確かにそう。が、両方共に確信がないなら『地獄行き』という考えを残された者が持たない方が。ある読者が「住職。私も過去に心を追い込まれた事が。その時、気付いたら橋の上に立っていました。気付かなかったら、そのまま飛び降りていたかもしれません。友人にも、気付いたら、阿蘇山中岳の火口淵に立っていた、という人が。2人共、実生活で追い込まれていました。友人は仕事の重圧で阿蘇に。が、私は別の事情で橋の上に。住職、生まれた瞬間から、大きな荷物を背負わされている人がいます。誰が悪い訳でもないんです。私が当にそれです。ずっと、家の重圧が負担に。第三者は『君は、恵まれた環境に生まれて来れて、幸せだよな』と言いますが。第三者にはこの重圧は。神田沙也加さん。ご冥福をお祈り致します」と。

【追伸、神田沙也加さん】

数年前に19歳の孫娘を失った檀家女性が「松田聖子さん、当時、10日後には紅白に出場が。が、ご辞退を。そりゃ、そうですよね。その時、私の脳裏に、ちあきなおみさんの『喝采』のメロディと『届いた知らせは黒い縁取り。喪服の私は祈る言葉さえ失くしてた。暗い待合室。話す人もない。いつもの様に幕は開く。それでも私は、恋の歌、歌ってる』の歌詞が。この辛さ、人にはわからん。神田沙也加さんの他界理由を、お決まりの如くマスコミが早速、ほじくり返し始めましたね。死者を愚弄する様な事を、何でやるのかな。人間は全員、叩きゃ埃が出るくさ。そっと眠らせてやる事が、出来んのですかね。口を開けば『知る権利』と主張するが、知ってどうすんだ。酒の肴にでもするのか。心が冷えますよね。マスコミが、事もあろうに、ご両親に『今の気持ちはどうですか』と、呆れ返るわい。死者を、その家族を、真実も知らずに、自分の暇潰しの為に、言いたい放題言って愚弄を。全く知らない人をSNSの中で便乗して、寄って集って誹謗中傷を浴びせ掛け、指1本で自殺へと追い込んだり。そんな人生を歩んで楽しいのかな。可哀想な人間だな、と、いつもそう思います」と。

【追伸、自殺防止講演で】

講演会で中学生達に「蝋燭(ろうそく)、って知ってるだろ。蝋燭は、誰かが火を付けてくれないと、燃える事は出来ないんだよな。火が付いたあとは、自然と消えるまで燃え続けるだけ。自分の意思で消す事も出来ない。人間も蝋燭と同じにて。自分の身を削りながら、周りに光を与え続けながら、生涯を終わっていく。無理に消さずとも、そのうち、自然と消える。いいかい、君ら。無理に消しちゃ、あかんぞ。勿体ないからね」と。

【おまけの話】

読者が「昨今、心の沈む話ばかり。何か、面白い話はないの。例えば、住職の高校時代の話、とか」と。「あるには、あるが、引かないでよ。実は高校時代、友人達と駅前商店街にあった(今はない)爺様の経営するチャンポン屋へ度々足を。食べてると、拙僧の丼の中に小さなゴキブリの死骸が。箸で摘んで捨てて、気にせず食べてると、友人が『ゲッ』と。『何が、ゲッ、や。熱湯で既に消毒されとるわい。君らのその汁も同じ出汁やど』と。それくらいかな」と。すると「げっ」とその読者も。「だから、引くな、って言ったろ」と。この読者が「住職のこの話、ドン引きしたけど、今ここで、この話を敢えて持ち出されたは、社会風刺を兼ねてるんでしょ」と。「こんな話があってね。良寛さんが、一夜の宿を願い出た旅人に、快く承知し、足洗い桶を。翌朝『顔を、これで』と、夕べと同じ足洗桶を差し出した。躊躇する旅人に、良寛さんが『早くしてくれんか。その桶で米を洗うて、飯を炊かにゃならんでな』と。良寛さんらしいでしょ」と。するとこの読者が「この話の教えは『知らずば、使えるのに』でしょ。『人間のこだわりが、人間の足を止める』という事ですよね」と。「何年も前の話だが、お寺の本堂で檀家の奥様が「住職、ツナ缶が初めて、サバ缶に売上げが抜かれたんだよ。何でか知ってる。サバ缶を食べたら、痩せるんだって」と嬉しそうに。すると横にいたご主人が小さな声で「何やねん。結局、食うんかい」と。日本は『これがよか』とTVで言うと、次の日には品不足に。すぐ洗脳されるんだよね、日本人は」と。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。