平成30年3月分 金剛寺住職短文法話

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。

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0113  「釈尊、達磨、各宗祖。皆んな、生きて、死んだ」

江戸時代の禅僧良寛さんが、晩年癌で苦しんでいた時「あなたのような高僧が何故」との信者の問いに「裏を見せ表を見せて散る紅葉」と辞世で。曹洞宗開祖道元さんも晩年皮膚癌苦を。わが父も癌で。その時「あれだけ信仰してもこんな病気に」と心無い声が。信仰したら「病気にならん、死なん」とでも。大事なのは生き様。

0114  「死んだ人間は、自分で歩いて火葬場には行けん」

結婚もせず、好き勝手に生きてきた兄の態度にブチ切れた妹さんがお寺へ。「兄が「俺が死んだら骨は川に捨てろ。誰にも迷惑は掛けんわい」と。冗談じゃない。誰が捨てに行くの。後味の悪い。身内が無視したとしても、警察、検死、火葬、納骨と、人は誰1人として人に迷惑を掛けずに死ねる人なんていない」と。正論だね。

0115  「偉そうにしても所詮、男性は女性の腹から」

違うんだよな、特別なんだよな、女房殿は。現役時は偉そうな態度をしていた主人も、定年後はかなりの確率で立場が逆転しよる。その現役の時の態度も、所謂「甘え」かな。寂しんぼちゃんだからね、男性は。人生は必ず放物線にて、帳尻が合うようになっとる。檀家の奥様方には「愚かな奴。今に見とれ」と暫し辛抱を、と。

0116  「どちらが欠けても成り立たぬもの、それが夫婦にて」

奥様に「俺が飯を食わせてやってんだ」と日々豪語するご主人が珍しく法要に。良い機会と法話で「先日交通事故で1か月入院した専業主婦への賠償として、1日9800円×30日を支払えと地裁が言いおった。つまり、休みなく働く奥様の月給は約30万円との判例。お互い支えあって成り立っておるが夫婦、って事かな」と。

0117  「仏壇もお墓も、そこにあるから手を」

一休さんが「今死んだ。どこにも行かんここにおる。尋ねはするなよ。ものは言わんぞ」と。先祖は心の中にある。では何故に墓が必要。人には対象物が不可欠。見えない物に感謝はし難い。酸素、日光、親心など。墓は心の中の親を思い出す対象物。いかに使い捨ての時代でも、大事にせにゃならん物は、大事にせにゃならん。

0118   「お釈迦さんは、超現実主義にて」

四国霊場本堂前には全身真っ赤な仏が。通称「撫で仏」と。その正体は、五百羅漢筆頭の賓頭盧(びんずる)尊者。不本意にも庶民の前で神通力を使い、釈尊から烈火の如く怒られ、その恥ずかしさから真っ赤な体に。釈尊は「神通力など見せたらそれに頼り、人は努力をしなくなる。天は自らを助くる者を助く」と常に指導を。

0119   「厄払いは自覚を促す為、転ばぬ先の杖として為すもの」

新年を迎えて節分までの間にお寺では、今年厄年の人達が続々とお祓いに。唯、皆さん、どうも勘違いされている節が。「お祓いさえしとけば1年安泰」と。いやいや、暴飲暴食すれば体には支障が。病気は口から入りますんで。自分本位に得手勝手をすれば、人間関係が崩れるは必定。厄祓いは自覚を促す、転ばぬ先の杖にて。

0120   「自分の目と耳で確かめもせずに、好き嫌いの判断は不利益を産むことに」

世に、合縁奇縁と言われるものが。例えば、第三者にはヤブ医者でも、私には名医というケースも数多に。大学合格直後に息子が「何のバイトを」と聞くので「世に「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」なる諺が。人間の幅を広げたいと思うなら、自分が不得意とする分野の職種を選べ。好き嫌いは見識を狭める事になる」と。

0121   「可愛い子には旅をさせよ、なる諺は、現代には必要不可欠」

檀家ご主人が「住職。毎月親から400万円の仕送りがあるお笑い芸人がいるらしい。残高が減るとお金が自動的に銀行から振り込まれてくると。漫画「俺の空」の安田財閥御曹司を思い出した。親は子供の為と。だけど「為」に「人偏」付けたら「偽り」という字に。力ある親の自己満足と揶揄されても仕方がない」と自己反省を。

0122   「地獄極楽を恐れるなら、恐れんでよい生き方を」

わが寺本堂には畳一畳程の地獄絵図が。檀家の子供達が「本当に閻魔大王っているの」と。「さあ、死んだ事がないからな。でも、いたらどうする。本当に閻魔がいたら。その時はもう間に合わんぞ。だから閻魔がいても堂々と会える様に、この世では正直に、人に優しく、親孝行を」と。この方便は子供達にはかなり影響大にて。

0123   「知ったかぶりは、自他共にマイナス要因でしかない」

亡き父(先代)は常々当山僧侶達に「知らんものは知らん、とさらけ出す勇気を持て。知ったか振りは人から新たな知識を貰えんばかりか、時と場合によっては人の人生をも狂わす事に。武者小路実篤公は「桃栗三年柿八年、達磨は九年、俺一生」と。人は一生掛けても悟りに至る事など。だからこそ謙虚であれ」と厳しく指導を。

0124   「勉強が出来るから、仕事が出来るとは限らん」

ある銀行では全新入社員に1週間掃除をさせるという。掃除をさせれば、その人間が機転が利くかどうか大方判断が付くと。人間判断といえば、やはり信長公。「誰かある」の声で家来が「何か」と。「もうよい。下がれ」と信長公。これを繰り返す中、森蘭丸だけが小さなゴミを拾って下がったという。使える人間の発掘だね。

0125   「私なりに懸命に子育てを、と嘆く親に、なれば真逆の子育てを、と」

PTA講演で「わが子の「何故」の問い掛けに、初めは丁寧に答えていた親も、毎日の事からいつしか適当対応に。子供の方は成長と共に切実な問題に変化しておるに。そんな対応をする親を子供は「頼りに出来ん」と見限り、気付けば親子の間に溝が。ある日突然反抗する子供などはいない。全て積み重ねによるものだよ」と。

0126   「人は簡単に頭を下げるが、簡単に頭を持ち上げ、恩を仇で」

大学時代バイト先で知り合った金貸し業の方が「家を建てる資金として銀行が金を貸す。プロが返済可能と判断したに滞る。そんな金にルーズな人間がわしらの所に。そんな奴は数ヶ月もしたら借りとることすら。借りる時には仏様、と。返済求めりゃ、鬼呼ばわり。踏み倒されりゃせんか、と心配で眠れんのはこっちじゃ」と。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。