平成30年8月分 金剛寺住職短文法話集

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。

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0183   「今日を懸命に生きず、明日があるさ、などはない」

明日があるさ、という言葉は、前向きに生きている人にこそ相応しいと思える。今日をいい加減に生きている人が発しても説得力はない。親が苦労して財を成し、子が好き放題に浪費し、孫がその煽りを受ける。所謂、「長者三代続かず」はいつの時代にも存在。「子孫の為に財を残さず」の西郷隆盛公の言葉もまた、真理にて。

0184   「人間は切磋琢磨して向上を」

学校保護者講演で「人間関係は、片一方に力が偏れば偏るほど総合力は低下する。掛け算で表せば一目瞭然。5分と5分の力がぶつかれば25力に。6分4分では24力、8分2分では16力、と。例に出せば、ワンマン社長に亭主関白。過保護、過干渉の親、など。相手のやる気を削げば、如何なる結果を産むかを今一度」と。

0185   「人間、最期の最後は目に見えぬものに」

常日頃「わしは誰の力も借りず一人でここまで登り詰めた」と傍若無人を貫いてきた方が癌に侵され大手術を。前日電話で「住職。親父とお袋に頼んどってくれ」と。勿論、亡き親が力を貸してくれるとは本気で思われてはいない。が、最後の最後はやはり、甘えられる相手は両親だけなんだろうな。親という存在は有難いね。

0186   「何でもかんでも親がしゃしゃり出てきて。子が自立するはずが」

知人の会社役員が「大卒男性が入社1ヶ月後に父親同伴で退社願いに。『石の上にも三年、それ位の時間を掛けんと座り場所は確保出来ん。何処に行っても同じだぞ』と説得を試みたが。その3年後、今度は父親だけでその子の再度の入社願いに。根本的な姿勢に全く成長が見られん、と却下した」と落胆を。こんな話が多過ぎる。

0187   「捨てられるには、捨てられる理由あり」

夫婦の意識調査では常に、離婚を考えた事も、来世は違う相手との結婚を望むも、同じお墓はご免、なる思いも全て、主人の割合は低く、奥さんの割合は高い。長年の結婚生活で主人は何をやらかしてきたんだろうね。私は2人並べて書く「夫婦位牌」を必ず薦めるんだが、断るのは決まって奥様。まだ間に合うご主人は急げ。

0188   「自己管理を出来ん者が何を言っても」

釈尊と同年代に論語で有名な孔子が。時の権力者の「天下を取るには」の質問に答えて「修身、斉家、治国、平天下」の言葉を。「自分の修養も出来ん者に、家庭もまとめる事が出来ん者に、国も治める事が出来ん者に、天下など取れるかい」と。確かに。亡き父も寺内僧侶達や私に同じ事を。「常に自己管理能力を鍛えよ」と。

0189   「人を追い込んで何が楽しい。人を泣かせて何が嬉しい」

自閉症、多動症の子供が多くなってきた背景には一つの要因として、胎教時の母親の不安やストレスが影響との見解が。亭主関白が当たり前の時代には、怒りを抑え、耐える人に多い膵炎(膵癌)は女性特有の病気であったとか。勿論、要因はそれだけでは。昨今は立場逆転夫婦も多いが、心を追い込む事だけは、避けた方が。

0190   「あなたもいずれは死人の仲間に」

たまに「家を建てたい。この土地に死人は出とるか」と相談に来る方が。「知りまへんがな。何万年も昔から、人は生き死にを繰り返してきとる。人が死んでない土地なんかあるもんか。龍馬さんが斬殺された四条河原町は今えろう栄えとりまっせ。京都人は過去の人達の死を忌み嫌わず、感謝して住んどるからじゃないの」と。

0191   「その人が本当に大事なら、心に鬼一匹を」

甘物が大好物の父に食べてもらおうと檀家が腕を振るって。彼岸参りなどは1日20家、つまり牡丹餅を20個、全て食べよる。当然体調に支障が。檀家さんに「接待はお茶だけに」と。が、「折角住職に」と不機嫌に。「早死にさせたいですか。本当の愛情とは何ですかね」と。「何だ、あの副住職は」と、当時は嫌われたもんです。

0191(番号打ち間違い)   「験を担ぐのも程々に」

出陣前「風林火山」の旗に鳩が。すると家臣が「この戦、味方大勝利」と雄叫びを。対して武田晴信(信玄は僧名)公は、弓矢で鳩を射殺し「この度は鳩であったが、烏だったら負け戦か」と。その信玄公は出陣前には諏訪大社へ。無神論者の信長公も出陣前には、熱田神宮に戦勝祈願を。信仰の捉え方が全く違うんだろうね。

0192   「終末医療は本人の意思を尊重が大事、かな」

檀家男性が「今でも心の片隅には「痛み止めを」と懇願全身癌の父に「これ以上打ったら心臓に負担が」と言い聞かせながらも「余命僅かの人に今ここで、我慢をさせる理由がどこにあるんだ」と問答を繰り返した葛藤の日々が。奇跡を望む子供の心が、親の切望する痛み緩和の邪魔を。看病する者、される者、難しい問題」と。

0193   「机上の空論ばかりを述べる者」

高校講演で「諺に、真実は小説よりも奇なり、と。が、小説も想像だけでは書けん。経験なければ頭には浮かばん。絵空事では読み手の心は打てん。老いた親の世話、子育て、病人看病なども同じ。未経験者に限って理想的な机上論を。理想と現実の違いは、経験者のみぞ知る。その道で本物になりたければ多くの経験を」と。

0194   「命あるものの最期は必ず死が」

葬式を受けたは700回越え。人の最期に触れた数はそれ以上にて。余命宣告後の様子は大きく分けて3つに。「死にたくない」と泣き喚く人。諦めて殻に閉じ籠る人。そしてこの姿が大半の「世話になったな」と悠然と構える人、最期の姿が子孫に与える影響は大きい。それまでの生き様が後悔の姿、充実の姿、として形に。

0195   「わが足元の確認の為に信仰が」

信仰否定者が「マルクスや毛沢東が「宗教、信仰は麻薬である」と定義した理由は」と。「麻薬は使用者によっては、薬にも毒にもなる。それを危惧されたのかも。人はわが身に降り掛かる現実から目を背けては駄目。自分がしてきた事の結果が今ここに突き付けられているだけ。ここを否定すれば全てが間違った方向に」と。

天徳山 金剛寺

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