令和6年1月分 金剛寺住職の法話


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明けましておめでとうございます。旧年中は、拙い法話にお付き合い頂きまして有難うございました。本年は、少しはお役に立てる話を載せたいと思いますので、宜しくお付き合いの程、お願い申しあげます。


檀家で中学2年生の男の子が「住職が、度々法話の中で『親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事。拙僧、数多の家族と関わってきて、親を反面教師として育つ事が出来た子供の確率は、そうは高くない印象があるかな。子供の頃は、親の諸行を批判しながら育っていたに、大人になるにつれ、知らず知らずに親の姿そのものに』なるお話を。僕はそうはなりたくないから、親は親、僕は僕と、自分に言い聞かせて、しっかり親を観察してるんだ」と拙僧に。この中学生が「実は住職。先日、父さんと母さんと少しだけ、口論になってね」と。「何があったんだい」と尋ねると「住職も知ってる様に、僕の親は2人とも高学歴で、自分の考え方に自信があるのか、何でもかんでも批判、反対する捻くれ者で、最近では毎日の様に、電子帳簿保存法に噛み付いてんだよね。それが聞くに耐えないから『今日まで(人間の歴史上)に何も失敗せず、成功した事例って、何かあったっけ』と言うと『反対したものが潰れて、それが正解だったって事も、沢山あっただろうが』と。『そんな事ぐらいわかってるよ。でも、父さんと母さんを見てると、まるで『何でも反対〇〇党』みたいだよ。新しい取り組みを悉く反対していたら、人間の世界は何の進歩もなく、ずっと原始時代のままだよ。まあ、これは極論だけど』と言うと、更に、ギャーギャー、僕に向かって文句を。どこ押しゃ、そんなに文句が出るのか、ほんと、呆れるわ。大人になった時、こうならん様にしなきゃ、と、いつも気を付ける様にしてるよ、住職」と。対し拙僧「ところで、なんだけどね。君が言った『何でも反対〇〇党』の事だが」と、ここまで言うと、拙僧の口を止める様に「住職、大丈夫、わかってるよ。〇〇党が、何でもかんでも反対してない事ぐらい。7割から、8割は、政府の持ち出し(法案)に、賛成してくれてるもんね」「さすがだな、君は」と。

更に、この中学生が「ところで、住職。A I が将来、人間の仕事の半分を担う様になり、人間の仕事が奪われるとか、世間では言われてるけど、住職の見解はどうよ」と。「そうだね。A I に関しては、随分先の将来では、そうなるかもしれんが、例えば、旅客機のボーイング737MAX の墜落事故の話を知ってるかい」と聞くと「報道番組で知った」と即答を。「ほう。A I とパイロットが操縦室で、操作手順を巡って大喧嘩した結果、経験豊かな機長の判断を退け、A I の判断が優先されて、2018年にインドネシア、2019年にエチオピア、と相次いで2機が墜落、合計346人が死亡したと。センサーの異常(誤作動)とA I が判断した事で起こった事故だってな」「こんな時、人間がA I を止める事が出来ないのかな。なんか、怖くないですか。特に、原発なんかを全面的にA I に任せる様な事になったら。そう考えると、少子化というは、危機感を感じるよね」と、この中学生が。対し拙僧「そうだね。A I が普及したら、人間の職業が失われるなんて事が言われてるが、そうでもないかもよ。所詮、機械だから、誤作動(異常)は起こすし、最終判断はやはり、経験豊富な人間が側に寄り添って操作をしなくちゃ。いつでも軌道修正が出来る状態にしておく事が大事だよね。『知識は学問から。が、その知識を活かす知恵は、経験から』だもんな。A I は、これからどんどん進歩を。が、今のところは、やはり、重大な事故を起こす様な分野においては、人間が最終判断をやらないとね。国会議員の書類作りをしたり、アナウンサーに代わってニュースを読み上げたり、人を観察してその人になりきり、オレオレ詐欺の片棒を担いだり、の程度ならな。因みに、この『その人になりきり詐欺』は、超古典的な方法『山、川』などの合言葉を決めておけば、ある程度は防げるかな」と。最後、この中学生に拙僧「2018年にノーベル生理学•医学賞を受賞された本庶佑先生が『教科書に書いてある事を信じないこと』と言われてたよね。経験なき知識は、いかに豊富な知識を修得しようと、ただの『物知りさん』に過ぎんもんな」と。「人間の古典的な対応が、まだまだ必要、という事だね」「拙僧は、そう思うけどな。A I はまだ、現時点では、ただの『物知りさん』に過ぎん、と思うよ」と。

【古典的な知恵の話】

読者の高校生が「私は自称、歴女です。住職は戦国時代に軍師が行った戦略で『これは、凄い』と思ったものはありますか」と。「日本での話じゃないが、魏、呉、蜀の三国の力関係が均衡し、三国時代が始まるきっかけとなった戦の時、諸葛亮が考えた策かな」と。「それって、どんな戦略なの」と。対し「紀元208年、魏の曹操が大軍を率いて揚子江まで。揚子江の向こうには、蜀と呉の二国が。連合国とはいえ、呉の大将らは力量ある諸葛亮に嫉妬し、引き摺り下ろそうと『10日間で10万本の矢を準備しろ。出来なければ処刑する』と無茶振りを。対し『3日もあれば』と諸葛亮。2日間は戦略を立て、草船の準備を。残りの1日で10万本以上の矢を取得」「どうやったの」「20艘の草船に案山子を立て、揚子江を渡り敵陣近くで太鼓を乱打。慌てた魏の兵士が雨の様に矢を。その矢が案山子や草船に刺さり、いとも簡単に10万本の矢を。諸葛亮は前もって調査し、3日目に霧が出る事も承知を。猪武者では戰(いくさ)に勝つ事は出来ん。この話を聞けば『何だ、そんな事か』と思えるが、この『そんな事か』が、結構思い付かないんだよね。現在世の中に存在している1を参考として、2や3に工夫する事は結構に出来るが、何もない0から1を産み出すは、容易な事ではない。『出る杭は打たれる、出過ぎた杭は抜かれる』は、世の常にて。実生活の中にあるものから、対策となり得るヒントを見つけ出すは、数多の知恵、知識、経験が必要かな」と。更に、この女子高校生が「他に『この戦略は』と言われるものは、何かありますか」と。「軍師ではないが、徳川家康公が大坂城(大阪冬の陣、夏の陣)を攻める時、秀忠公に『城攻めの方策は、なんぼでもある』と、敵(豊臣側)兵の戦意喪失を狙って、夜中に、早朝に、空鉄砲を撃ちまくり、一睡もさせなかったというエピソードが。これが本当かどうかはわからんが、大河ドラマの『葵、徳川三代』が、この戦法を取り上げていたよね。戦わずして勝つ、の教訓かな。頭の使い様で、工夫出来る事は、なんぼでもありそうだね。拙僧の法話も、多くは拙僧の祖父母、檀家、知人ら、ご老人達の数多の経験をネタに」と。

猪武者といえば、義経と弁慶の話が脳裏に。彼らの師僧が、米からノリを作るを2人に競争させた。弁慶は力任せに杵を使って米を潰しに。義経の方は、ヘラを使って1粒、1粒、丁寧にすり潰す手法を。勝負は義経の圧勝だった。物の質を見極めていた義経の方に軍配が上がった。人生には「急がば回れ」は、数多にある。

【死を迎えるにあたり】

1人の知らない男性から手紙が届きました。「どれだけ後を追おうと思ったか。あれからもう30年に。子供達は大変優しくしてくれました。だけど、家内を失ったこの穴が埋まる事は。1年前に全身癌の診断が私に。この事は一切、子供達には。やっと、やっと、家内のところへ。自ら命を絶ったら、家内は決して私の事を許してくれないでしょうから、この日までずっと我慢をしておりました。やっと、大手を振って、家内のところへ逝けます」と、ほんとに嬉しそうな文面で。続けて、しみじみとこの男性が「思い返せば、あと1年で定年という時に、仕事ばかりで夫らしい事を何もしてない私に対し、何1つも不平不満を言わず、両家の両親の世話から、子供ら4人の子育てまで。その疲労が蓄積し、とうとう乳癌に。家内は最期の最期まで、笑顔を絶やさずに。学生時代に知り合って、40年。これからやっと夫婦の時間が、という時に。私の時間はその時(妻の死)から止まっております。家内の葬式は行いましたが、私の心の中では、家内の葬式はまだ、行ってはおりません。『私の葬式の時、一緒に家内の葬式もして下さい』と密かに、菩提寺のご住職には頼んでおります。それと、私の葬式には、さだまさしさんの『道化師のソネット』を流してくれ、と子供達に。私と家内の思い出の曲なんです。『笑ってよ、君のために。笑ってよ、僕のために』のフレーズ、いつ聞いても、涙が」と。


令和 6 年 1 月分  金剛寺住職 臨時法話


昨年の11月5日、わが寺では鬼子母神法要が営まれ、多くの参拝者が御礼報謝で足を運んでまいりました。鬼子母神を祀られている寺院では、インドの神様という事で、お接待はカレーライスにしている所も多く、わが寺でも毎年、カレーに。何故、カレーか、といえば、深い意味はなく、インドだからカレー、の単なるこじつけです。ところが、このこじつけが「お寺でカレーが食べられる」と、喜んで多くの子供達が参拝を。こじつけ、とはいうものの、イチローさんが毎朝カレーを食べるは、体の為らしいですね。

さて、鬼子母神さんには、如来型と鬼神型の2種類があり、わが寺の鬼子母神さんは、如来型にて。一方、鬼神型は、主に日蓮宗の守護神として祀られている事が多く、因みに、東京都台東区入谷にある法華宗(日蓮宗とは親戚筋、詳細はググって下さい)真源寺の『恐れ入り屋の鬼子母神(どうも恐れ入りや(入谷)した、の洒落言葉)』は、あまりにも有名ですよね。鬼子母神さんは、お釈迦さんの時代に本当にいた女性(人間)で、その名を『訶梨帝母(かりていぼ)』と言ったそうです。500人の子供がいた、と言われていますが、それ程に『子沢山だった』という事でしょうね。人の子供を食べていた、と言われていますが、そんな訳はないですわな。母親特有の自分の子供を溺愛するあまり、人の子供を蹴散らしていたんでしょうね。その諸行があまりに目に付いた為、お釈迦さんに怒られ、諭され、改心して、お釈迦さんに帰依(信じる心)し、その後、お釈迦さんを守る守護神『鬼子母神』になったと、まあ、こういう流れですわな、簡単に説明しますと。

鬼子母神さんは、子供に関わる神さんという事で、わが寺でも『子授け祈願』に足を運ばれる人も非常に多く『その願いが、叶った』という人も少なからず。但し『本当に鬼子母神さんの功徳があったのか』と問われれば、それは甚だ疑問にて、全てが憶測の世界だもんね。『願った、後ろ盾を頂けた』という安心感(信じる心)から、免疫が向上し、子供の授かり易い心身になっていった、というが、本当のところじゃないでしょうかな。

これは、数年前の話ですが「住職さん、何年間も鬼子母神さんにお願いに来ているのに、一向に娘に子供が出来ません。どうなってるんですか」と拙僧に嚙みついてきた母親が。対し、拙僧「お母さん、あなたが産むんですかい。何故、当の本人の娘さんが来ないの。神であれ、仏であれ、人であれ、子授け願いに限らず、願い事を他人任せで頼んでくる者に、力を貸そうなんて人は、いないと思いますよ。『本当に子供を授かりたいなら、自分で足を運んで来な。それも夫婦2人で』と住職がその様に言ってた、と娘さんに言っといてくだされや」と。

続けて拙僧「それと、お母さん。これは余談ですが、過去(拙僧父の時代の話)に、こんなご夫婦がいました。そのご夫婦に父(先代)が『子供を授かりたいなら2人して、あなた(神様)の子供(授かりもの)を私達に育てさせて下さい、と氏神(八幡様)さんに、何度も、何度も、お願いに行ってきなさい。その土地を縁に、人は生まれてくるんだから。奥さんだけが足を運んでも駄目だよ、ご主人も一緒に』と指導をした事が。だが、このご夫婦、1度も氏神詣でに足を。晩年になってこのご夫婦が拙僧に『もし、先代住職(拙僧の父)に言われた通り、真剣に氏神詣でをしていたら、もしかしたら、と、この頃いつもそれを考えます。氏神詣でをして授からなかったとしても、あれだけ願っても授からなかったんだもの、私達には子供の縁がなかったんだろうね、と納得出来ていたんじゃないか、と思います』と悔やんでましたよね。何でもがそうですが、例え、同じ結果(残念な)になったとしても、動いた人間に、努力した人間に、後悔は少ないですもんね。動かなかった人間に、努力しなかった人間に、後悔はやって来ますもんな」と。

拙僧のこの一連の話を、母親から聞いたその娘さんは早速に、ご主人と一緒にわが寺の鬼子母神さんへ、度々願いを掛けに。その半年後、お腹に子供が。「こんな不思議な事って、あるんですね、住職」と、若夫婦が驚きと喜びで、お寺へ御礼報謝に。対し拙僧、この若夫婦に「そりゃ、知らんがな。ただの偶然かもしれんよ。だが、拙僧にとっては、ただの偶然でもいいが、あなた達にとっては、偶然と簡単に片付けない方がいいかもしれないね。これから先、子供を育てていく上においても、老いた親を世話していく上においても、命の流れというものをこの際、しっかりと真剣に、見つめ直していく事が、大事だろうね」と。このご夫婦は、この子(1人)で終わりました。縁が間に合ったみたいですね。

『結婚したい、子供が欲しい』という若者達に対してだけ拙僧、次の言葉を彼らに申しております。『結婚も、子供も、必要ない』という若者達には、次の様な言葉は掛けない。その言葉とは「結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかんよ。拙僧の経験範疇(数百の相談)での事ですが、計画出産(何年か2人で楽しく過ごして、その後に)は、どうも、あかん様な気がします。結婚と同時に、子供を授かる、という縁も来ている様な気がしてですね。その縁(子宝)を、そうする事で逃したのかな、と。ほんとこの話は憶測の範疇だが、そう思える夫婦が、そう思っている夫婦が、檀家の中には何組かおらっしゃりますもんね。勿論、子供が欲しくてたまらないのに、子供との縁が薄いのかな、と思われるご夫婦も」と。

さて、昨今では若い時に精子と卵子を保存し、自分がやりたい事をやった後、受精させてわが子を授かる、という選択が出来る時代に。が、その成功率は、50%と言われてますよね。赤子においては、親の若い時の精子、卵子だから、老いた親の精子、卵子じゃないから、受精が成功すれば、身体が丈夫で生まれてくる可能性は高いだろうが、親の方といえば、そうはいかない。40歳を過ぎて、初の子供を授かった夫婦が、お寺にも何組かおられるが、皆、異口同音に「住職、40歳過ぎからの初の子育ては、肉体的にも、精神的にも、とても大変です。2人目、3人目だったら、経験も加わって多少は」と。この方式(精子、卵子保存)を親に習って、同じ事を子供までもがすれば、80歳(仮に)で初孫の世話をする事に。色々、様々、研究、解明され、手立てが講じられる様になっていっても、時間軸(老い)に逆らったら、それなりのリスクを背負うを、覚悟する必要も。

因みに、11月15日は『七五三』ですよね。1年で最良の日といわれているから、この日に『七五三詣で』をもってきたのかな。何の為に『詣で』に伺うかといえば、子供は神からの授かりものだから『3歳まで、5歳まで、7歳まで、この様に育てました。ご覧ください』と神さんに見せに行く為にて。その披露の最後が成人式。その成人式の様子を神さんが見て『この親に預けて、正解だったのかな』と思われん様にせにゃ、ですね。

最後になりますが、昔の高僧が「この世の中、縁で繋がってないものは、何1つない。偶然という言葉は、人間が作った言葉である」と。その言葉に波状して「出会う人(物、病気、仕事、事故、縁は全て)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし」と。その縁について「縁に出会って、縁に気づかず。縁に気づいても、その縁を活かせず」という言葉が。こうした識者の方々の言葉から拙僧「出会うは、運命。出会ってからは、努力。最後には、感謝」という境地に至りましたね。つまり、縁を活かすは、自分自身。

【おまけ】

拙僧爺様は、生涯において、50組以上の仲人を。拙僧に「昔も今も、若者が結婚に尻込みするは、そうは変わらん。不安に思う心は同じ。今と昔の差は、世話する人間の有無。30歳を過ぎても子供が独身は、親が売って回らんと買い手はつかん」と。若い頃は拙僧「凄い言い方だな」と思っていたが、昨今『親活(独身の子供の代理で、子供の結婚相手を見つける会)』が方々で立ち上がってる様を見ると、爺様が言ってた事だ、と。

他にも拙僧、幼い頃から度々爺様から「博文(拙僧俗名)。何でもがそうだが、否定から入っちゃいかんぞ。得る物が少なくなる。人を極度に嫌っちゃいかん。好きになれない者を、好きになれ、とは言わんが、相手を極度に嫌えば、判断が鈍り、不利益を被る事になる。この事は、常に頭に入れておけ」と。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。