令和6年2月分 金剛寺住職法話集


下記で過去の法話を読む事が出来ます。

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【追伸】毎月1日投稿の法話は、SNSを使えない人達(ご老人など)の為に、過去の法話をコピーして配布しているものです。少々長いですので、鬱陶しいと思われましたら、無視して下さいませ。

尚、法話が長い、と不快感を示されている方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』させてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦下さいませ。


【法話本文】

読者の若者が「人に対し、勝手なイメージを持って、その人の事を『こんな人間』と決め付ける。後でその決め付けが、間違いだったを知って、大恥をかいた事ってありますか、住職さんは」と。「勿論、あるよ」「実は、番組『酒のツマミになる話』を見ていて、上地雄輔さんが『元横綱の貴乃花さんが、ゆっくりと行動する理由は、怪我をしない為と言ってました。物を落としても、ゆっくり拾ったり、呼び止められても、ゆっくり振り返るは、慌てて動いたら、怪我(筋肉、筋を痛める)をする確率が高いからか』と、その様に言われていました。その話を聞いた時、私も貴乃花さんの事は『ふうたらぬるい人間やな。さっさと動けや、さっさと喋れや』と思っていたので、ほんと、猛省です。他にも、相手の事を殆ど知らないのに『何だ、あいつは』と勝手に決め付けて、周囲に同調を促す行為も何度かやってきました。ほんと、我ながら、恥ずかしい話ですわ」と。

対し、拙僧「SNS の中では、その様な傾向は頻繁にありそうだよね。誹謗中傷のターゲットになってる見知らぬ人を、寄って集って、人差し指1本(いいね砲)で自殺に追い込んだり。そろそろSNS も本格的に、抜本的見直しが必要かな。それにしても、貴乃花さんは、プロ中のプロだよね。『君子危うきに近寄らず』を徹底されていたんだね。君は知らないかもしれないが、金田正一さんという400勝投手がおられてね。現役中は、酒も煙草も絶っていたそうだよ。この方も当に、プロ中のプロ。本当のプロフェッショナルは、日常生活からそうなんだろうね。400勝って、簡単に言うが、毎年20勝を20年間だよ。これから先、恐らくこの記録が塗り替えられる事は。何にせよ、人を見た目だけで判断するは、大きな過ちを産むわな」と、この若者に。

更に、この若者に「拙僧には、お世話になった高僧がいて、その方は、口調が非常にゆっくりで、その様にされていた理由を、高僧が他界された後に、拙僧は知る事になった。その方は、酷い吃り(どもり、小児期発症流暢障害)だったそうで、本来は早口だったのを、ゆっくりと喋るを心掛ける事で『どもり』を抑えておられたと。拙僧も『めまい(メニエル病)』を20年以上も大事に持っているが、檀家の医師から『メニエルに効く特効薬はないですよ、住職。気圧の変化、ストレス、睡眠不足、疲労、几帳面な性格などが、その原因。気圧の変化は仕方ないとしても、他はどうにか、ご自分で工夫する事が出来るでしょ。言動をゆっくりする事で、手足の末端まで血流が行き届きます。これも、防御法です。回遊魚を返納しなさい、と、何度も言ってるでしょ、住職』と度々怒られてるよ。持って生まれた性格は、なかなか改善するは、難しいよね」と。

さて、ここからの話は「その時代、その時代に合わせた考え方をするは、そりゃ勿論、必要だとは思いますが、しかしながら、何事においても、基本を蔑ろにした考え方をすれば、歯車を狂わす事に、なりはしませんかね」というお話をさせて頂こうかな、と思います。

読者の女性が「先日ですが、住職さん。ある番組で小学校の運動会の『ジェンダーレス徒競走』が世間で物議を、の話がありましたよね。男女混合で競争させれば、体力的に上回る男子が、全て1位になるは、当然の事にて。オリンピックでも、男性の記録に女性の記録が上回ってる競技は、限られたものしかないですよね。男性と女性を同じ土俵で競わせるなんて、それこそ無理(無謀)な話にて。こだわるところが、違ってると思いませんか。糞も味噌も一緒にしてからに。頭脳による競争なら、まだしも、ですが。なんか、おかしくないですか、昨今の世の中は。無理矢理に分母を揃えて、何がしたいのかな」「平等と公平は、そもそも違うもんね」と拙僧。

更に続けて、この読者女性が「土俵といえば嘗て、大阪府知事の太田房江さんが、優勝力士に祝い品を手渡す為、女性が土俵に上がる上がらんで、世間が大物議に。あの時、私見ですが『いいじゃないの。伝統的にそうなってるんだから。大相撲は1642年以来、400年の間に横綱は、たったの70人程しか排出されていない伝統の世界。女性が男性の領域に入れない所、男性が女性の領域に入れない所、そんな場所があったっていいじゃない。そういう決まりがあってもいいんじゃないか、と思う。全て同じ方向では、メリハリもなく、それこそ公平さに欠ける事になりゃせんですかね」と。「えらく、大相撲に詳しいですね」と聞き返すと「大相撲女子、ですもんで」「あの時の事は、拙僧も覚えてますよ。その事に対し、米国の女性達にアンケートをとった時『伝統的に女性は土俵に上がれない、となってる事を、何故そんなに怒る必要があるの』という意見が多数あったですよね」「よくご存知で。京都府舞鶴市の市長が土俵で倒れ、土俵上に医療関係者と思しき女性が上がった時『土俵から女性は、下りてください』と言った八角理事長が『不適格な対応でした』と当時、ご本人が謝罪をしましたが、これはその通りだと思いますよ。命に関わる事でしたからね。されど、それと伝統儀式をごっちゃにするは、如何なものかと思います。因みに、3月に行われている東大寺の『お水取り』も、今でも女人禁制(参拝者は別)ですよね。1260回以上も、奈良時代から途絶える事なく行われておりますが、時代が移り変わっても、何らそのやり方は変わらずに。それに対し、異論を唱えるは、何か違うような気がしますよね」と。

この読者女性と拙僧の会話に、割って入ってきた読者の若者が「住職さん、その時代、その時代に合わせた考え方の事なんですが、何でもがスマホ頼りの時代に、アナログの方が間違いない事って、何かありますかね」と。「これは、ほんの1例だよ。昨年の5月、家族5人で久々に四国巡礼へ。43番明石寺を出る時、息子に『レンタカー屋にタクシーを2台呼んでおけ』と指示すると『スマホ調べでは、約5分でタクシーが来ると書いてあるよ。大丈夫だよ。前もってタクシーを呼んでおかなくても』と言うので『そうかい』と。が、実際に5分で来たは、1台だけ。先に、家内と家内の母を乗せて走ってもらい、もう1台を待ったが、来たは30分後、定刻の船に乗れず、次の便に。長男が『父さんの言う通りにしておけばよかった』と。すると次男が『俺は、基本的に間に合わんと思ってたから、前もってタクシーを呼んでも無駄と思ってた』と。拙僧、息子2人に『母さんと婆様は、出港10分前に、港に着いてたそうだぞ』と。すると、息子達が『間に合ったんだ。父さんならこの場合、どの様な手立てを』と。『父さんは昨夜、愛媛市内のレンタカー屋から松山観光港までの距離を調べ、出港30分前にレンタカー屋を出たら、間に合うと計算してた。30回以上毎年、四国巡礼に来ている経験があるから、大方の予想がつく。北九州では混んでおれば、10キロを30分では無理な話だが、愛媛の海岸線10キロは、30分以内で十分行ける。今回は、1分、2分を争う時間だったから、父さんならレンタカー屋に、料金メーターを発動させた状態で、2台待機してもらっていただろうな』『何故、僕らにそうさせなかったの』『父さんの指示通りにしろ、と言おうかな、とは思ったが、失敗も経験になると、そう思って言わなんだ。それに、船を1便乗り遅れたからとて、次の便もあることだし。父さんは基本、スマホ情報は信用してない。世の中は動いているので、情報通りにはいかない。時間に余裕があるのなら、スマホ情報でも構わんが。経験なき知識(スマホだけの情報)は、経験ある知識より、当然、失敗する可能性は高いわな』と息子達に」と読者の若者に。

更に続けて、この読者若者に「拙僧の檀家には、阪神淡路大震災にも、東北大震災にも、その場に檀家さん(被災者)がいた。彼ら曰く『震災時にはスマホ(携帯)は全く役に立たず、お年寄りの知識、知恵、経験にどれほど救われた事か』と言ってたよね。手先1つで、水も火も電気も、簡単に手に入るが当たり前になっていて、物が壊れりゃ、買い換えるが、当たり前の時代に。電車が止まれば、帰宅難民だらけに。ライフラインが止まった時点で、手も足も出らん。工夫して活かす必要のない環境で生活してるもんね、私達は。昨今、あまり耳にしなくなった言葉『温故知新』を、再確認する必要があるのかな、と最近、つくづくそう思うよ」と。


令和 6 年 2 月分  金剛寺住職 臨時法話


正月の三ヶ日(盆三ヶ日と同義、ご先祖さんの帰省)には毎年、納骨堂参りに沢山の檀家さん達が参拝して参ります。ご先祖さんを敬うという心があるというは、いい事ですよね。今年の元日は、檀家の娘さん(20代)から事前(大晦日)に電話があって「父親に言い聞かせて下さい」と拙僧に懇願を。そこで拙僧、納骨堂参り後のその家族を本堂に招いて、何気ない話をしながら、娘さんに懇願されていた話題へと徐々に移行していきました。

「昨年は、こんな話をする機会が何度かあったんですよね。まだその子は赤ん坊なのに、若い父親が『住職、この子(娘)が将来、誰かに奪われるのかと思うと、堪らんですよ。この子は、絶対に嫁には出しません』と、すっとぼけた事を。そこで、その若い父親に拙僧『自分は嘗て、義父から娘さん(奥さん)を奪っておきながら、自分は娘を奪われるが嫌とは、どういう事やねん。自分が他界する時、親のいなくなった60代の娘が、1人で晩年を生きていく姿を想像してごらん』とその若い父親に。更に続けて『拙僧にも娘が1人いて、昨年の2月に孫(男の子)をプレゼントしてもらったが、この娘が3年前、結婚したい男性がいます。東京からリモートで挨拶をしていいですか、と連絡が。その頃はまだ、コロナ禍真っ只中だったからね。映像で対面した時、誠実そうで、優しそうで、凄く雰囲気のいい方で、何の文句もなかったが、結婚後の娘を守る事を考えた時、親の手立てはただ1つ、この父親を怒らせたら怖い、の抑止力を与えておく事と。そこで拙僧、心中とは裏腹に、猫の子をやる訳じゃないからな、とリモート越しで、娘の彼氏に。娘が言うには、暫くの間、猫の子、猫の子、と呟きながら、彼が怖がってたよ、との事。実はこのリモート対面の後に、家内から拙僧、なんて事を言うの、と無茶苦茶に怒られてね。娘に限らず、子供というは可愛いもんよ。幸せになってもらいたい、と思う親の心は皆共通のこと。だが、子供は親の所有物ではない、というを忘れちゃあかんよな。拙僧が何が言いたいかは、わかるよね』と、その若い父親に言ったんだよね。昨今では、こんな父親は減ってきた様な印象があったんですが、まだまだ、いるんですな、後先も考えず、娘を雁字搦めにしたいという父親が」と、元日に来られたその家族に。

後日(1月4日)、その檀家の20代の娘さんから電話があって「私の父ですが、住職の話を聞いて帰った後、娘溺愛の態度(日常的に何をするにも、娘を身近に置きたい)に少々変化が出てまいりました。折を見て、結婚したいと思っている彼氏を、父に合わせようと思います。実際、その場面に遭遇したら、父がどの様な態度に出るかは未知数ですが、少しは期待が持てそうな気がします。本当に有難うございました」と、お礼の電話が。うまく事が運ぶといいですよね。

さて、1月1日は、石川県で大地震が。どの震災でもそうですが、地震が起きる数分前まで、そんな事がこれから起こるなど、恐らく誰1人も予測は。正しくこの世は『一寸先は、闇』です。コロナもそうですが、縁という縁は全て、一旦受け入れて乗り越えていくしかないですもんね。その他の天災も、事故も、病気も、人間関係(夫婦、親子、友人なども)も、どれもこれも『何で私だけが、こんな目に』と文句を言っても、嘆いても、どうなるもんでもないですもんね。わが寺の檀家さん達には拙僧、仏さんにご祈願するなら、細々としたものは願わず、『どんな縁がやって来ようと、受け入れて、乗り越えられる、強い心を私に授けて下さい』と、この1点を願いなっせ、と指導を。しかしながら、この寒い時期に、被災者の皆様には、何とも物の言い様がございません。思えば、福岡沖地震、阪神淡路大震災、東北大震災、新潟地震、福知山脱線事故、9、11同時多発テロ(これ全て過去の法話で詳細に説明を)など、全てわが寺の檀家さんが、何かしらで絡んでおりました。皆、運良く命は助かりましたが、異口同音に「今ここに、命があるに、何不足」の類似言葉を、後に拙僧と対面された時に。

【脅し勧誘の話】

今年の1月4日の事ですが、布教(仕事)で外回り(檀家の仏壇参り)をしていた時、通りすがりの女性が「お坊さん、少しお話、いいですか」と声を掛けられ「何ですか」と聞き返すと「そんなに親しくない知人から『信仰をしないと、あなた、死ぬよ』と勧誘されたんですが、これってどうなんでしょうか。何か、気持ち悪くて」と。「あなたの知人さんに『信仰してても人間は、死ぬ時は死ぬよ、と通り縋りの坊さんが言ってた』と言ってあげなさい」と。まだ、こんな『脅し勧誘』する信仰者がいるんですね。昨年の4月に法律(不当寄附勧誘防止法)が出来て、実刑(懲役、罰金等)を喰らわす、と国は言ってるんだね。釈尊、達磨大師や、弘法大師、伝教大師など、日本の各祖師が『脅して信仰に導いた』なんて話、聞いた事がない。脅しでもって勧誘してきたら眉唾にて、気を付けましょうね、皆さん。ところで最近、法律と言えば、この度の事で「自民党はどうなると思うか」とか「野党は日本を背負えるか」とかの問い掛けが、偶にやってきます。対し、拙僧「日本国内だけの政治なら、どの党でも出来るんじゃないのかな。日本は基本、平和だからね。が、問題は外交だよね。国民の生命に関わる事例が数多にあるもんな。野党の中に、外交が担える人材が存在しているとは、思えないんだけどね」と。

さて、嘗てこんな話が。70代の女性が「友人の紹介でやって来られた僧侶(拝み屋)さんが『この家は不動明王を祀ってあるから、家に入る事が出来ん』と、玄関先であなたの先祖達が怒り狂っとる。出て行ったら祟られるぞ』と。どうしたらいいでしょうか」と拙僧のお寺へ。「そりゃ、大変だ。ところで、ですよ。ここ(わが寺)に来る時にあなたは、その怒れる先祖達が待ち構えているという玄関を通り抜けて来らっしゃった訳ですが、その時、何かされましたか」と。「んっ • • • いいえ、何も」「そうですか。じゃ、この話は、もう終わりだね」と言うと「あっ、本当だ」と何やら気付かれた様子で。最後にその女性に「1つだけ、言っときますよ。何が悲しゅうして、わが子、わが孫を祟る先祖など、おるもんですかいな。先祖を愚弄するも大概にせにゃ、失礼にも程があるよ。先祖1人、1人の数え方を、1柱、2柱、と『柱』の字を使うんですが、これは、私達子孫を支えてくれているという意味。その支え(先祖の心)を傷付けて、どないすんねん、という話ですよ」と。

【自殺の話】

著名人(芸能関係者含)の自殺報道の度に、読者や檀家、知人から「自殺者は地獄に堕ちて、永遠に浮かばれないって、本当ですか」の問い掛けがきます。テレビを見ていると、初めの内は同情的ですが、時間が経つに連れ、根掘り葉掘り掘り起こして、死者を冒涜する方向に。その様子を見ていて、以前、どこぞで耳にした『自殺は罪、永遠に浮かばれる事はない』の言葉が、頭を過ぎるんでしょうな、拙僧に問い掛けてこられる人達は。

今年も早々から「友人が自殺を」と読者さんから、上記と同じ様な問い掛けが。対し拙僧「江戸時代に近松門左衛門さんが『曽根崎心中』を発表。その影響で心中が流行。危機感を持った当時の僧侶達が、それを食い止める為に『自殺は地獄行き』と方便(嘘)を使って。それが功を奏して、心中が収まっていったとの事。結果的に嘘とはいえ、悪い事(自殺防止策として)ではないので、その言葉が今日(現代)まで続いているだけ。悲しく(哀しく)死んで逝った人を、更に追い込む様な心無い言葉を、投げ掛けたらあかんよね。その人(自殺者)も命を落とすまでは、懸命に生きてきたんだから。その人が生きてきた人生の全てを否定する様な、そんな言葉や思いを残った者が投げ掛けるは、あまりにも可哀想過ぎる。自殺も、病死や事故死も、老衰と同じく寿命。自殺未遂で終わる人もおられるでしょ」と。加えて、この読者さんに「人間は寿命、といえばね、こんな話も。20年以上前の話ですが、拙僧のお寺の檀家で、朝、出勤で家を出て、数十メートル先の横断歩道で車に突っ込まれ、絶命した男性が。家を出る時、奥さんが『ちょっと、あなた』『あっ、何や』のやり取りが数秒あったなら、その突っ込んできた車は通り過ぎていたはず。何故、ピンポイントでそこにいなければならなかったのか。この様な類似の事例(過去の法話で紹介済み)は、拙僧の周りだけでも数例あります。人間、死ぬ時は、死ぬ。死にとうても、死ねん。死ぬまでは、生きとかにゃならん。なれば、如何に生きるかが大事。その『人の死』を出汁に使って、お金儲けをする輩(信仰者)も数例ですが、今日まで対応してきました。そんな輩(信仰者)の『自殺は、地獄行き』なる言葉で、君の友人の死(自殺)を見つめる様な事をしたら、友人さんが可哀想だよ」と。「わかりました」と、その読者さんが。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。