令和6年3月分 金剛寺住職法話集


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昨年の8月13日の昼過ぎに、わが寺の檀家(重鎮)男性が、86歳を一期として、この世を去って逝かれました。男性は、裸一貫で会社を起こし、拙僧父(先代)の時代から、拙僧の時代まで50数年間、1度も欠かさず毎月1日、朝6時にわが寺へ参拝を。参拝目的は『事業繁栄願い、商売繁盛願い』ではなく、従業員の身体健全と家庭円満のみを。その男性曰く「従業員が心身共に健康で、各々の家庭が円満であれば、わが家庭を守る為に自ずと仕事も真剣に取り組む様になる。わざわざ会社の繁栄を願う必要などない」と。そういう社長(その男性)の心を授業員さん達は皆、受け取っていたので、社員も会社に愛着を持っているようで。これと同義の会社数社(熊本など)に拙僧、毎月1日には、安全祈願に何十年も、足を運ばせてもらっております。

13日の夕刻、自宅の方へ枕経に。その時、最期の様子を伺うと、全身癌でありながら、痛みは殆どなく、眠るように息を引き取られたとのこと。これも、この男性の人徳なのかな。ご家族が「実は住職、恐らく会葬者は300人を超えてくるものと。が、関係者の大半は盆休みで、各々用事で留守に。その人達を抜きに葬儀などしようもんなら、必ず『なんでよ、なんでよ』と恐らく怒られる事に。ほんと、有難い事ですよね。昨今、お世話になった人のお通夜、告別式にも『もうこの人(故人)からは、何もしてもらえないから』と会葬に顔を出さない人が増えてきたという時代に。よって、お通夜を盆明けの16日、告別式を17日と考えたのですが、ところがその日(17日)が友引でして。友引の日に葬儀は、やはり駄目ですよね。どう思われますか、住職」と。対し、拙僧「友引の日に葬儀をするは、駄目、など仏教の中ではそんな事、何も言ってないんだけどな。仮りに、友引の日に1000人の葬儀をしたら、1000人があの世に連れて逝かれるの、という話にて。そんなバカな事はないでしょ。なれど、多くの会葬者の中には『友引の日に、葬儀をするのか』と嫌がる人も一定数はいるだろうからね。『お世話になったから、故人を送らせて頂こう』と来られる人に、そんな嫌な思いをさせるは、遺族側としては申し訳ない、という事から、友引の日を避けるというは、あり、かな。49日法要もまた、同義にて。3ヶ月にまたがると『苦が身につく』という昔からの言い伝えが。これもただの語呂合わせなんだよな。まあ、そこのところは、家族で決めたら」と。家族はその場で話し合い、友引の次の日の18日に告別式をする事に決定を。13日に亡くなって18日に葬儀を、夏のこの暑い時期に。遺体の管理が大変ですね。東京近郊では火葬場不足(順番)で、随分(何日も)と待たされているとの事。死んで逝くのも、大変ですよね。

このご家族が選択した葬儀のやり方(会葬者側の事を考えた)に似た、某家族の葬儀の話を以前、SNS に投稿したところ、そのご家族が下した選択(葬儀のやり方)に対し、文句を付けてきた読者が何人かいましたね。人(他人)の家の事情の事なのに、自分の主観を『これが正解である』と言わんばかりに、ああじゃ、こうじゃ、と押し付けてきた人達が。こんな人は、自分の考えと違う事には、何にでも噛み付いてくるんでしょうな。この友引の話の後、この男性のご遺族が「ところで住職。私達の耳にも『悪霊祓い、祟り封じ』などで、拝み屋さんに高額供養料(祈願料)を収めた、なる話が入って来ていますが、悪霊が襲うとか、先祖が祟るとか、そんな事って、本当にあるんですか」と拙僧に。「例えば、だよ。本当にそんな事がある、と仮定(地獄、閻魔、悪霊、祟り)しての話だよ。悪霊になるという事は、人間の時代に悪霊になる様な悪さをしたから、悪霊になった、と考えるが妥当でしょ。人間界で悪さをした人は当然、地獄に堕ちて閻魔に接見。人間界で何かしらの悪さをして地獄に来たのに、また、人間界に赴いて悪さをするの。それを閻魔が『おう、おう、やれ、やれ』と黙って見てるっていうの。そうであるとしたなら、閻魔の存在価値なんてないやん」「ですよね。• • • という事は、悪霊なんていない、という事ですよね」「拙僧は、いないと思うけどね。悪霊になっているというその人(故人)に、24時間四六時中付き纏って、その人の人生(生き様)を、ずっと見てきた訳でもないのに、如何なる根拠(確信)を持って、その人(故人)を『悪霊、化け物』呼ばわりするのか、いやはや、訳がわからんよね。失礼にも程があると思うよ。先祖を愚弄するのも、大概にせにゃあかん」「まったく、そうですよね」と。続けて、拙僧「まあ、そんな話はここまでにして、とにかく18日は、しっかりとお父さんを送らにゃあかん。お父さんの『人間卒業式』だからね。葬儀の最後に遺族が、お礼の言葉を述べるは、本来なれば故人は、生きている内に、お礼を言っておかなければいけない人達が沢山いたのに、殆どの故人はそれを言えずに、この世を立つ事になる。『私(故人)の代わりに、お世話になった人達に、すまんがお前の口から、故人に成り代わりまして、とお礼を言っとってくれんか』が、葬儀最後の遺族答礼。そう考えると、お通夜、告別式は『有難うございました』の交換会にて。葬儀をするは、大事な事だと思うけどね。こんなよか風習が昨今、徐々に、徐々に、この国(日本)から。これでは人間関係が希薄になっていくも、仕方のない事なのかな、と思うよ」と、このご遺族に。

お通夜、葬儀の打ち合わせ(枕経時)の最後に、4人いる子供さんの次女さんが泣きながら「3日程前、お父さんに『住職(拙僧)さんは、お盆の三ヶ日は忙しいから、そこは避けて向こうに逝かないと、迷惑を掛ける事になるからね』と言ったら『わかった』と返答してたのに、よりにもよって、お盆の初日に逝くなんて。『ご臨終です』と医師に告げられたすぐその後、お父さんに『何をやってんの』と、その事の文句を」と。対し拙僧「8月13日なんて、大半の人は『お盆』と知ってる有名な日でしょ。俺の事を忘れるなよ、じゃないの」「実は不思議な事に、お父さんには、どれもこれも『1と3』の数字が付き纏うんだよね。生年月日も、昭和13年10月3日でしょ。両親が結婚して最初に借りた風呂無しアパートも、103号室でしょ。他にも様々『1、3』の数字が常に絡んでいて。まさか、他界日も『13』になるんじゃないか、と思って『お盆中は、駄目よ』と言ってたんですけどね。見事に13日に。偶然とはいえ、何とも面白い縁ですよね」と。

帰り際に拙僧「あっ、もう1つあった。戒名だけどさ。お父さんの人生を漢字1文字で表すとしたなら、何という字を当てはめたいかい。戒名を授ける時、遺族の方々には毎回、この事を聞いているんだけどね」と。すると長男さんが「父は常に人に恵まれた人生でした。会社を起こす時も、ここまで会社を維持出来てきたも、多くの人に支えられて。だから『豊』という漢字が相応しいかな」と。すると、今度は次女さんが「父は常に人から好かれ、父の周りには常に人集りが。寛容の『寛』を入れてもらえれば」と。「了解した。その2つの漢字を戒名に使おうかね」と。枕経での時間は、ずっと、泣き笑いの楽しい時間でしたね。戒名は『豊○院寛○一道居士位』としました。100年後に、この戒名を読み取れる住職がわが寺に座っていたなら、100年後のこの家族の子孫に戒名の意味を説明してくれるでしょう。因みに、わが寺では、戒名料はいただいてはおりません。

1918年から1920年までの、第1回パンデミックの時、当時の世界人口18億人の内、3分の1が感染し、全世界で5000万人、日本でも約40万人(外国在住まで含めると、70万人以上)が感染死したと。同時期に勃発していた第1次世界大戦での死亡者数が、約1000万人というから、感染病って、やはり怖いですよね。世界大戦中だった事も、感染死を増加させた理由であったとの事。自分の国の兵士が、訳もわからん感染病で次々に死亡。それが敵国に知れると「あの国は今、国力が落ちている」と攻め込んでこられるので、各国は口を閉じたと。そこに、中立国であったスペインが「俺んとこの国民が、変な風邪でどんどん死んでいるが、あんた達の国は、大丈夫なのか」と口を開いた事が『スペイン風邪』という名称の元に。情報が世に出なかった事で対応が遅れたは、この度のコロナも経緯は同じ。今年100回忌の子供達(わが寺の檀家)が多いは、恐らくこのスペイン風邪(インフルエンザ)によるものでしょうね。この子らの事を知っている人がこの世に誰1人いなくても、過去帳に残っている以上、お寺はしっかりと心(供養)を届けさせてもらいましょうかね。


令和 6 年 3 月分  金剛寺住職 臨時法話


縁というは、まことに不思議なもの。が、犬も歩かにゃ、棒にも当たらん。種も撒かにゃ、芽も出らん。自ら牡丹餅作って棚に上げとかにゃ、落ちてはこん。この仕事(住職)をしておりますと、様々な面白い縁がやってまいります。もうかれこれ10年以上前の事ですが、ある大手スーパーの社長(当時80歳くらい)が、書店で偶々、拙僧の法話本を手に取り「こいつ(拙僧の事)は、面白い坊主だな。寺もそう遠くないし、1度会ってみるか」で、呼び出された家が、そりゃ、ものゴッツでかい家でして。床の間に通されると、縦150センチ、横100センチ程の大きな神棚が4つ(明治神宮、宇佐神宮、伊勢神宮、出雲大社)、お祀りを。社長が拙僧に「これ、どう思うや。屈託のない意見を聞かせろ」と。風体は、言葉遣い通りの豪傑。対し、拙僧「この神棚、触ってもいいですか」と許可を得て、閉じていた扉を全部開け放すと「何でや」と社長が。「両手でわが目を覆ってごらん。鬱陶しいでしょうが」「んんっ、確かに」と、しばし無言に。更に、この社長が「ところで住職よ。わしは今、癌でな。医者は言い難いのか、はっきり物を言わん。これこれこういう状態なんだが、わしは助かると思うか」と。「その病状じゃ、難しいでしょうね。が、1000人近くを葬儀、それ以上の人の『生き死に』に関わってきた経験からして、人間は、死ぬ時は、死ぬ。如何に、死にとうても、死ねん。人間は間違いなく、寿命。病気じゃ、死なないかな」と。すると社長、仁王さんみたいな顔で、ニコッと笑って「わしに対し、ここまでズケズケ物を言う奴は初めてじゃ。あんた(拙僧の事)、気に入ったわい。毎月、ここに来てくれんか」と。そこからの縁で、社長が他界するまで7年間、お付き合い(神棚、仏壇参り)を。その7年間の間、様々な話が交わされましたが、それを全て書けば、膨大になるので、1つだけ『ほう』という話だけを、今日は書きましょうかね。

社長が「住職よ、わしは若い頃、田舎(生まれ里)で小さなスーパーから始めて、今日までに築き上げてきたが、30年程前、倒産の危機に見舞われ、先祖代々の土地を泣く泣く売却する事になったんじゃ。それが数十億で売れたが、借金を全て返済したら、残りがたったの400万円になった。その内の200万円は、長い間苦労を掛けてきた女房に『好きな事に使え』と。そんな事を言っても、無駄遣いをする様な女房ではないがな。残りの200万円は、その土地、その土地で、商売をさせてもらってきた事の御礼報謝として、10店舗が建つ土地の氏神(八幡様)さんに、数十万円づつお賽銭を。大学から戻ってきたばかりの息子(現社長)が『何という事をするんだ』と猛反対されたが『これだけは、わしの気の済む様にさせてくれ』と頼んだんじゃ」と。この事について、後に現社長(息子さん)から「住職。あの時、親父は、残りのお金を全て氏神さんの賽銭に。当時は『なんて事を』と思ったが、今の繁栄は間違いなく、あの時から始まったような気がする」と。これは、拙僧の憶測だが、恐らく社長(親父様)は『人間は裸で生まれてきたんだ。やり直そうと思ったら、丸裸になるが最も早い近道』と、土俵際までご自分を、自らで追い込まれたのではないかと。因みに、この社長(親父様)と、現社長(息子さん)は『拙僧との縁は、自分だけのもの』とお互いがそう思っておりました。お2人ともが、同じ書店で偶々、拙僧の法話本を手に取った事が、始まりの縁にて。縁とは実に、面白いもんですね。拙僧も「親父様(初代社長)の事を知ってますよ。7年間、ご自宅の方に毎月、伺っておりましたから」とは、ご本人(現社長)には、話してなかったですもんね。この大手スーパーの現社長(息子さん)に依頼され、拙僧、社長100人程の前で講演を。その時に「求人広告で『経験者優遇』の表示は如何なものですかな。経験者が仕事が出来るとは、経験者が真面目に仕事をするとは、限らんでしょ。『育てる』という一手間を嫌って、未経験者を直に確かめもせず、面接段階で切るは、将来の会社にとって、大変な宝となるやも知れん逸材を、みすみす逃す事になりはしませんか。やる気のある未経験者は、やる気のない経験者を、あっという間に追い抜いていきますよ。昨今、就職しても、数年でコロコロ職を変わる人が多いそうですよね。選択の自由、と言えばそれまでですが。そう考えると、求人においての年齢制限は、あまり意味がないのではないかと。数年で辞めていくなら、使える(仕事が出来る)60代、70代は、ばっさらおられますばい。求人で呼びかけて、その年齢で面接に来るという事は、意欲があるという事でしょ。老齢化社会の中で、会社の宝となる老齢者が数多に。若い人達にも良い刺激に」と。

【余談】

檀家の女性が「昨年の大河ドラマ、松本潤さんの『どうする家康』が大コケだった、とヤフーN で度々掲載が。住職は、この評価ですが、どう思われますか」と。「拙僧は去年の大河(松潤家康)は、面白かったと思うけどな。嘗て、松山ケンイチさんの大河『平清盛』も『面白くなかった』という酷評が。『どうする家康』においては、世相の流れ(ジャニーズ問題)に影響(潜在意識)されて、糞も味噌も、一緒にしてしまってる感がある様な気がするんだが。それとも、歴史を楽しむ事が出来る、教養(様々な説)を持った人が、この国は減少してきたという事なのかな。視聴率だけで評価、是非の判断をするは、ちょっと違う様な気がするんだけどね。拙僧周囲の歴史好きの人達は皆、『どうする家康』も『平清盛』も好評だったけどね」と。

続けて拙僧「あなた(檀家の女性)の質問を受けた時、思い出した事があってね。実は、拙僧妻の妹は英国人に嫁いでいて、もう25年以上に。その息子達(双子現在21歳)が、毎年日本(わが寺)に来るんだが、その息子達(日本語が流暢)と映画館に洋画を見にいくと『何がそんなに面白いの』という場面で、大笑いするんだよね。映画終了後に『何で、あの場面で大笑いしたんだい』と尋ねると『英語をしっかり理解していないと、あの場面の面白さはわからないよ。横に出る日本語字幕とは、全く違うよ』と息子達に言われたんだ。そう言われて初めて『そうか、そういう事だったのか』と。映画館で洋画(日本語字幕)を見ている時、日本人客が笑う場面と、外国人客が笑う場面が違うに、少しだけ疑問を感じていたんだよ。この息子達(妻妹の子)のお陰で、その疑問が解決したんだ」と話すと、この檀家女性が「なるほど、なるほどですね。『どうする家康』を面白いと思った人と、面白いと思わなかった人、の違いは、それそのものの認識の差、という事ですね。何か、すっきりしました」「この世の中に『これ、正解』はないもんね。何でもがそうですが、否定から入ったら得るものは少ない。どんなものにも、教訓はある。教訓と受け取れるかどうかは、本人次第だけどね」と。

この時期になると偶に、檀家さん達から『節分』について問われる事が。そこで拙僧「まず、節分の日の決め方について話をしましょうかね。地球が太陽の周りを1周すると1年という事になりますが、1年は実は365日ではなく、厳密に言えば、365日と約6時間でね、毎年6時間づつ1年が長くなってしまうので、このズレを調整する為に設けられたのが、4年に1度の『閏年(うるうどし)、366日』という事に。しかし、閏年を4年に1回設けると、今度は合計時間が太陽4周分より約45分短くなる事になるので、これを調整する為に仕組まれたが、節分の日を前後させるという事。この関係で2021年には、節分の日が124年振りに2月2日に。2024年、つまり今年ですが、2月3日に。これから先はしばらくですが、4年おきに節分が、2月2日になっていくそうですよ」と。さて、その節分(春分の日の前日)ですが、実は、旧暦の大晦日に当たるんです。わが寺では、子供達が節分法要に参拝出来る様に、毎年、2月の第1日曜日に『豆まき』を行っております。昨年の法要の時、参拝して来た小学生の男の子が「住職さん、僕、思うんだけどさ、鬼は外、と言って、各々の家から鬼を追い出したら、外が鬼だらけになって、世の中が滅茶苦茶になるんじゃないのかな。家の中で鬼に『悪い事をしたら駄目だよ(家庭内教育、会社内教育)』と言って聞かせる事が出来たら、随分と住み良い、秩序ある世の中になるんじゃないのかな」と。「ほう、それって、君独自の考えかい」と問うと「お父さんとお母さんと話をしてて、そう思ったんだ」とその男の子が。当に『親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高くなるは、当然の事』ですね。子供は、親が育てただけしか育ってない。誰に育てられたかは、非常に大事。これ、近頃物議の様々な問題(政界、芸能界)において、参考になる話と思いませんか。

ついでですが、深く考えたら「なるほど」と思える言葉を2つ程、ご紹介を。その1つは「縁起の良い言葉を下さい」との要望に昔のある高僧が「祖父母死、父母死、子死、孫死」と。「死が4つも続いとんのに、何が縁起がいいねん」と。対し「この順番が狂うが最も悲しい事や」と。今1つは「家の外、ぐるりと囲んだ貧乏神。福の神、外へ出られず」と。その心(言葉の意味するところ)は、皆まで言わんでも、読み取れますよね。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。