令和6年4月分 金剛寺住職長文法話

【はじめに】

檀家の老女さんが「先日、報道番組で『日本の若者の7割が信仰をしてない』と。これ、住職はどう思われますか。日本は、平和ですもんね。お金さえ出せば、何でも手に入し、至れり尽くせりの国だから、見えないものに頼る必要が。なのに、幽霊、亡霊、祟りなどを怖がり、お祓いだけはしてもらう、という面白い傾向の人達が」と。「そうだね。ただ、先祖の供養は信仰とは違いますもんね。命を繋いでくれた人達(先人)に感謝するは、当たり前の事。ここだけは、考え違いをしてもらいたくないかな」と。

今月は、お釈迦様の誕生日(花まつり)、わが寺では毎年、4月の第1日曜日に厳修を。2500年程前の4月8日に降誕されたとの事ですが、まあ、その降誕日論争(誰か確認したんか)は横において、花が咲く時期にお生まれになられたは、確かな事ではないかと。よって、日本の寺院では、2月から5月の間で、各々の考え方、お寺の事情によって、この仏生会(降誕会、灌仏会、花まつり)が行われているとの事。つまり、御礼報謝(誕生祝い)はそれぞれの思いで、という事ですね。

さて、毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)に、これまでの法話をまとめたものを、コピーして配布してする為に、少々長い文章になっております。鬱陶しいと思われる人は、どうぞ、無視を。


【今日の法話の本文】

2022年2月24日から始まったウクライナ戦争以降、国内外を問わず、下記の様な若者からのメールが時折、入ってまいります。先日もイスラエル紛争勃発後に、下記の様な会話が、読者外国人若者と拙僧との間で交わされました。拙僧妻の妹は英国人に嫁ぎ、4人の子供を。先日、2ヶ月ほど日本にいたその妹の息子(22歳)は、母親が日本人なので日本語が大変に流暢。この度、会話した外国人若者も、その様な経緯の子供なのかも。

この外国人若者読者が「住職さん。地上、どの位まで空に上がって下を眺めれば、地球が平和そうに見えるかな」と。対し、拙僧「面白い疑問(表現)だね。そうだな、地上の人間が見えなくなるまで、空高く上ったら、地球が平和に見えるかもね。いやいや、そうではないか。ロケット弾を撃ち込まれたら、火柱と煙が立ち、もしかしたら爆音までもが聞こえるかも。それを確認する事が出来ないくらい、地上高く上がらないと、駄目かも」「じゃ、相当だね。という事は、地球から人間が消えてなくならないかぎり、地球は平和に見えないという事か。人間が地球から消えたら、他の生物は過ごし易い環境になるのかな」「いやいや、人間が消えてなくならなくても、人間が欲さえ抑える事が出来たら、随分と地球は違ってくるんじゃないかな。そう思うけどね」と。

続けて拙僧、この外国人若者に「人間の総数は、地球の総生物の0、01%に過ぎず、誤差として無視出来る程に僅かであると、その筋の識者達が。地球上に生物は何種類いるかといえば、137万種以上もいるんだと。その内の7割が、最も地球で繁栄した生物で『昆虫』であると。地球に生物が現れて、約38億年。人間の得手勝手で生態系のバランスが崩れ、環境破壊(18世紀に英国から起こった産業革命以来、僅か300年程で、地球をこんな状態に)も加わって、今、6回目の大量絶滅(過去4回は火山の大爆発が要因、残り1回は、1億年前の白亜紀恐竜時代、隕石落下が要因)の危機状況にあると専門家達が。この見解が話半分だとしても、考慮せにゃならん問題である事には違いないわな。人間が人間以外の生物の弱肉強食(捕食の為の殺し)に、あまり関心がない様に、人間以外の生物も、人間(地球上の総生物の0、01%)同士の殺し合いには、何の関心もないだろうね。0、01%が消えようが、消えまいが、地球にとっては、何の影響もないだろうよ。何をやってんだろうね、人間は。昆虫(総生物の7割が昆虫)の星(地球)で、我が物顔で、高飛車に振舞ってくさ」と。対し、この外国人若者が「人間が地球から消えると、そう長くない期間で、地球はジャングルに変わる、と言われてますよね」と。「庭の草を放置していたら、一夏で草ぼうぼうになるもんな。そろそろ地球という生命体が『もう人間は、ここら辺でよくないか。黙っときゃ、好き放題やりやがって』と人間に対し、怒りを露わにし、排除(リセット)の方向に。その後、地球は、本来の自分の姿に戻して、新たな生命体に、この星の事(将来)を委ねていくかもしれないね。地球の長い歴史の中で、絶滅していない生命体は1種類もない、と言われてますもんな。もう既に、人間に対する地球の怒り(天災、感染病)が、あちこちに現れている様な気がするが」と。

20代のベンチャー企業の社長が「私の考え方、間違ってますか」と、拙僧に電話連絡が。「どうしたの」と尋ねると「社員が精神疾患になって『仕事が出来ない』と怠けるので『俺の父親は、お前と同じ症状になったが、2ヶ月で自力回復したぞ。甘えるな』と厳しく。が、結局、退社しました。今年に入って、これで2人目です。自分は間違った事は、言ってないですよね、住職さん」と。そこで拙僧、この20代社長に「同じ病気でも、10人おれば、10人、100人おれば、100人の症状がある。君が持っている精神疾患患者のサンプルは、父親だけかい」と問うと、少し声を荒げて「俺の叔父も精神疾患でした」「なら、サンプルは2人だけかい。君って、自分が知ってる事だけが正解、という人かい」と返すと、それから約1時間、早口で自分の知ってる知識をフルに使って、拙僧に自分の正当性を主張してきた。ところがこの社長、拙僧に捲し立てる内に徐々に、話が自己主張とは別の方向に。気持ちが落ち着いたのか、「住職は何故、俺の主張(身勝手見解)に相槌を打つだけで、ご自分の意見を言わなかったんですか」と。「だって、君の話す内容が徐々に変化していって、拙僧が意見を言う必要がなくなってきたからね」「えっ、それって、どういう事ですか」と。「拙僧の父(金剛寺先代)は生前『相談者が来たら、お前は何も言わずに、ただ黙って、相談者の言い分を聞いてやるだけでいい。相談者は初めの内は、相手の悪口や文句だけを捲くし立ててくるが、徐々に、徐々に。『相手ばかりが悪い訳では』と自分の反省(懺悔)が始まりだし、最後には自分でその解決策にまで辿り着く』と拙僧に。この流れを今、君は拙僧との会話中にやってたんだよ。だから、拙僧は君に何も言う事がなくなっただけだよ」と。最後に拙僧、この若社長に「如何に自分が、正しい、と思っている事であっても、言い過ぎれば、押し付け過ぎれば、優しさが欠けるよ。失敗を許してくれない社会は、自由な社会とは言えないでしょ。社員は社長が選んでいると、勘違いをしている人が多いが、社長も社員から選ばれている立場であるを、忘れない様にした方が。ベンチャー企業は、一般に言われている数字(寿命)だが、創業から5年後の生存率が15% 、10年後が6、3% 、20年後は0、3%と言われているよね。この数字の真偽は兎も角として、継続していくは容易い事ではないよね。これまでに縁があった会社を見ていると、長年続いている会社は、やっぱ、人を大事にしている気がするよ」と。

【追伸】

因みに、創業100年以上の国別ランキングで、日本は世界1(世界で約8万社の中、日本は3万3千社)と。創業200年以上でも、日本は世界1で、1340社と。創業千年を超える会社も9社。世界1は、578年創業の金剛組(宮大工集団)。人(従業員)を大事にする日本なりゃこその結果かな、と思いますね。

【おまけ】

檀家の子供達から「死ぬって、怖い事なの、痛いの、苦しいの」と問われる事が度々あります。その道に明るい専門家が「動物と同じく、人間の7歳までは、大脳が発達してないから、死の恐怖はない」との見解。そういえば、7歳の時に拙僧、結構多めの血尿が。その時、恐怖はなく「僕が死んだら、親は悲しむだろうな」と思った記憶が。朝、血尿が出て、夕方まで黙っていたが、止まらないので父親に拙僧「小便から血が出たら、大変なの」と尋ねると「出たんか」と父は血相変えて、即、病院へ。病名は膀胱炎、結構酷い病状でしたが。因みに、拙僧、この日(7歳)より毎日、小便をする度に血尿が出てないかを確かめ、心の中で「御礼報謝の為には、仏説摩訶 ・・・」と般若心経を唱える様に。62歳になった今でも、小便の度に「御礼報謝の為には、」と続けているは、7歳の時のあの気持ちを忘れない為にて。今日まで命があるは、当たり前、じゃないですもんね。

さて、檀家子供に聞かれた『死』の恐怖に対してですが、その子供達に「これまでに拙僧、1000人以上の葬儀、それ以上の『生き死に』に立ち会ってきたが、余命宣告された時点では皆、恐怖心を持ち、落胆を。そりゃ、そうだよね。初めての経験は、誰しも不安。ところが、徐々にその恐怖心が薄れ、落ち着いた状態で、その日を待つ人が大半だったかな。因みに『草食動物が生きたまま、肉食動物に食べられる時、激痛がきたら麻痺状態になり、痛みがわからなくなる』とその道の専門家が。海で泳いでいて、気付かない内(痛みなし)に、足がサメに食べられて、なくなっていたという話もあるよね。これに同じく『死』という恐怖を抱えた時、何かしらの作用が生じ『恐怖心』を消し去ってくれているのかもしれないね。数多の臨終間際の人達を見てきた拙僧には、そう思えるんだよね。但し、病気による苦痛は別義。あくまでも、心中の覚悟の話だよ」と檀家の子供達に。読者の方々は「こんな難しい話を、ほんとに子供達に話しているのか」と思われている方々も、恐らくおられるのではないかと。お察しの通りです。上記の言い回しは、SNS 内での大人向けに表現しているもの。子供達には、上記の話を時間を掛けて、わかりやすく、ゆっくりと、お話をさせてもらっています。


令和 6 年 4 月分  金剛寺住職 臨時法話

2月8日から5日間、拙僧の息子(30歳)は、四国霊場の歩き遍路に。コロナのお陰(工夫)でリモートでの仕事が出来る様になり、ネットで本社と遣り取り(設計、会議など)をしながら巡礼を。ちょっと前までは、考えられない仕事形態ですよね。1周1400キロを数回に分け、今年中に結願したいとの事。早い人は全行程(1400キロ)を35日間で。通常は45日間ぐらい掛かると。田舎(檀家)のご老人が「1里(約4キロ)を1時間で歩く」と言ってましたが、その計算でいけば、1日に8時間歩いたとしたら、32キロ。そうなると、全行程は、44日という事になりますよね。巡拝途中で「10番札所まで行った」と息子からメール連絡があったので「四国巡礼に限っては『何番まで打った』という言い方をするんだよ。四国巡拝を最初に行った衛門三郎さんが、弘法大師に直接会って謝る為に『あなたを追って今、巡拝しております』を知らせる印として、お寺に木札を打ち付けていったが『納め札』の始まり。よって、四国霊場に限っては『何番まで打った(参拝した)』という言い方をするんだよ」と息子に。衛門三郎さんの詳細は、スマホでググってみて下さい。

続けて息子が「歩き遍路って、結構大変だね。父さんの叔父さんだが、90歳近くまで8回も周ったなんて、凄い事だよね」と。「なかなか出来る事じゃないよな。父さんも40回近く四国巡拝(1年に1周、高野山へ御礼参りまで)をしたので、歩き遍路がどれほどに大変か、という事は少なからずわかる。が、あくまでも、少なからずわかるだけだ。父さんの四国巡礼は毎回必ず、ご病人、時には今現在、命の遣り取りをされている人(余命宣告者)やご老人(檀家さん達)などが同行されるから、どうしてもタクシー巡礼となる。が、そういう人達は、タクシー巡礼でも楽じゃないんだよな。山門から100段、200段の石段はザラだからね。が、父さんは、実際に1400キロの距離を歩いた訳ではないから、歩き遍路の本当の大変さはわからん。だから、歩き遍路に関して父さんは『ただの物知りさん』でしかない。何でもがそうだが、経験して初めて、その本質がわかるもんだ。お前さんは、よか経験をさせてもらってるな。きっと、今後の人生の糧になると思うよ」と。

続けて拙僧、息子に「四国の人達(住人)に言わせれば『歩き遍路が最も贅沢な巡拝である』と口々に。まず、1400キロを歩ける健康な身体を持っているという事。これは、そんな体に産んでくれた親に対して、感謝だよな。40日という時間(日数)が確保出来るという事。これは許可(理解)してくれる会社や家族に、感謝だよな。それに対する費用(宿賃、食費、その他諸々)が工面出来るという事。これは仕事(収入)を頂いておる事に対して、感謝だよな。確かに、贅沢といえば贅沢だが、だけど実際、1400キロは大変だよ。もし足を痛めたら、無理をせず撤退し、次の機会を待ちなさい。若いからとて、無理をすると膝、足首に水が溜まり、回復が長引くぞ。意地を張らず、撤退するも選択の1つだよ。四国巡礼は、人生と同じだ」と。

更に、息子が「ところで、父さん。歩いてたら、地元(四国)の人がお接待(食べる物)をくれるんだよね」と。「そうか、お接待は絶対にお受けしろよ。巡拝したくても、様々な理由で出来ない人達が『私の心を巡礼に連れて行ってください』が、お接待が始まった基本だから。ところが数年前から、そのお接待を地元の人達が止めだしたんだよな。そうなった理由は、もらったお接待(食べ物)の空袋をその場に捨てていったり、弁当箱や空き缶、タバコの吸い殻を捨てていったり、と。そのゴミの後片付けは、地元の人達がやってるんだと。あまりのマナーの悪さに嫌気がさして、伝統(風習)の如く繋がっていたお接待が、いつの間にか風化する方向へ。コロナの間は巡礼者が減少していたので、恐らくその間は、本物(物見遊山じゃない人達)さん達が巡拝を。そういう人達は『四国巡拝は弘法大師の修行追体験』と自覚しておられるから、そんなマナーの悪い事はしないだろうからね。そうなるとまた、お接待の習慣もじわじわと戻ってくるのかもしれないね」「お接待をくれたお婆ちゃん(地元の人)も、父さんと同じ事を言われていたよ。だけど、父さん。地元(四国)の人達って、優しいね。『大丈夫か』とか『無理はするなよ』とか、声を掛けてくれるんだよな」と、息子が有難そうに。

【余談】

四国巡拝で約35年間、お世話になった徳島の個人タクシーの運転手さんが、73歳で引退される前(四国巡拝世話最後の時、今から約、15年程前の事)、次の様なお話を拙僧に聞かせてくれました。

「住職よ、わしは今日まで、事故も違反も1度も。まだまだ、運転には自信があるが、今後、お客さんを乗せている時に事故を起こし、周囲から『歳を考えて、ハンドルを置くという選択はなかったのか』と言われた時、これ程に辛い事はないので、そうなる前に引退する事にした。わしの1番の思い出といえば、40年程前、10年間、ある社長夫婦の四国巡拝のお手伝いを。その社長の奥さんは酷い腰痛持ちで、社長と社員さん(1人)が介護をしながら巡拝を。山門からお寺(何番札所)まで100段以上ある石段の上り、下りに掛かるは、約2時間。10年目のある札所(お寺)で、わしと社長と社員さんが話をしている時、目を離していた奥さんが石段から転落。3人共が青ざめて急ぎ駆け寄ると、奥さんが『ちょっと待って』とゆっくり起き上がり『腰の痛みがない』と。こんな事ってあるんや、と驚かされた。その場で社長が社員さんに『会社は君に任せる。私は引退して家内と四国巡拝者の為の遍路宿を開き、御礼報謝の晩年を生きる』と。余程に嬉しかったんだろうな」と。

この話をわが寺の檀家さん達に話すと「お大師さんも人が悪いよね。10年目じゃなく、1年目の巡拝の時に、この奥さんを転ばせてやればよかったのに」と。この言葉を冗談で言われたは承知の上で「普通ならこんな身体(腰痛)で、四国巡拝(健全者でも大変)なんてしないよね。それも、続けて10年なんて。途中(数年目)で巡拝を断念していたら、この10年目のご縁(転んで腰痛改善)には、出逢えてないですよね。お大師さんの加護というよりも、只々、御礼報謝と先祖の供養で巡拝を続けていたご夫婦が『10年先に待ってくれていたご縁にたどり着いた(継続は力なり)』というが、正しい言い方かもしれませんね」と檀家さん達に。読者の皆さんも『こんなご縁だったのかな』と後になって気付かされる、という経験は、何かしらあるんじゃないですか。

さて『大師(だいし)』といえば、弘法大師空海さんが頭に浮かびますが、他にも『大師』を授かった高僧は、隠元さん、最澄さん、法然さんなど、25人ほど。が、あまりにも空海さんが有名である事より「大師は、弘法に奪われ」の言葉が。また『太閤(たいこう)』といえば、豊臣秀吉公が頭に浮かびますが、太閤は、摂政、太政大臣に対する敬称にて、秀吉公以外に何人も。が、これについても「太閤は、秀吉に奪われ」の言葉が。檀家、知人の若者達には拙僧、この『大師、太閤に奪われ』の例え言葉を度々引用して「この仕事を(これを)させたら、こいつの右に出る者はいない、と言われるくらいの、一角の人物になりなよ」と。

話が長くなりましたが、今1つだけ。妻の妹が昨年の春、3週間程、日本(わが寺)に滞在(病気の治療為)を。その時、幼児虐待の話に。妹曰く「英国では、5歳児と親が一緒に入浴すると、近所から通報(性犯罪疑い)され、警察が問答無用で家の中に。私も近所から訴えられたが、警察が来て私(親)が日本人だとわかると『日本人なら(生活慣習)』と引き上げて行った。それと、両親共に親の自覚(毒親)がなくば、国が介入し、施設で子供を保護するんだよ」と。「拙僧周囲でも昨今『子供は親を選ぶ事は出来ん』の類の相談が結構に。1年程前も、お金遣いが荒く、浮気三昧の母親と、子供に全く関心がなく、自分の欲が中心の育児放棄の父親が離婚裁判で、親権の擦り付け合いを。子供達は祖父母に引き取られ、何とか生活の基盤は、確保する事が出来たが」と。因みに、この手の話をすると、決まって「親も子供は選べない」と反論してくる人(親)達が登場を。対し、拙僧「それは少し部が悪くないですか。無色透明で生まれてきた子供に色を付けてきたは、親ですばい。親が作った家庭環境の中で、その親が育てるんです。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事だと思いますよ」と。思えば、赤子(子供)は「ほれ、この人が親」と選択権も与えられずにこの世へ。何かしらの縁とはいえ、与えられた親によって、子供時代が地獄、極楽に。悪い環境に生まれてきた子供達は「なんで、私はこんな家に」と拙僧に。但し、お金持ちでない事を不満に思う子供達は、拙僧周囲には、ほとんどいないかな。

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次回の投稿法話は、4月5日になります。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。