令和7年1月分 金剛寺住職の法話

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、宜しくお付き合いのほど、お願い申しあげます。

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。

【はじめに】

今年、令和7年の巳年は、「成長と変革」の年と。蛇は、脱皮を繰り返し、成長していく事から、繁栄の象徴として崇(あが)められ、仏教の守護人である「弁財天」の使者としての役割を担い、特に、白蛇は「弁財天」の化身とされております。。努力をしただけの実りがある年、と言われておりますので、まあ、それを信じて、開運、もろもろの繁栄を、自力で引き寄せましょう。

【1日の投稿法話の本文に入ります】

令和 7 年 1 月分 金剛寺住職短文法話集

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読者が「住職さんは、霊魂は存在すると思いますか」と。「存在するとは思うよ。自然の流れとして、どこからか来たのなら、どこからかに帰るはず」と。「確証はありますか」「ないよ、そんなもの。死んだ事がないから、会った事もない」「じゃ、霊魂は存在してるんじゃないかな、と思われる理由は何ですか」と。対し「そうだね、21年前に、父(金剛寺先代)が他界(7月8日)を。その翌年の1月初旬、わが寺の女性僧侶(当時72歳)の夢の中に父が現れ『英照(拙僧の僧名)が疲れとる。自分で解決出来る案件ならば、相談に行くな。あいつの体を少し休ませろ』と。女性僧侶はその夢の事を気にして、わざわざお寺まで来て、拙僧にその夢の話を。確かに、疲れてはいたが、そこまでの事ではないかな、と。ところが、その数日後から、10日の間に13人連続して檀家が他界を。葬式、初七日の取り上げ法事を終えて、お寺に帰宅中、携帯電話に『別の檀家さんが他界』との知らせが。その足で即、その他界された檀家さんの枕経へ。このパターンが3回連続と、あとは個別で次々に。女性僧侶の夢の中で父が『英照(拙僧)が疲れとる』と言ったは、この事か、と。間違いなく偶然ではあろうが、偶然(夢の話)とはいえ、死んでからも尚、親は子供の心配をしてくれてるのかな、と感謝したよね」と。

この読者が「他にも霊魂の存在を感じた事例は、何かありましたか」と。「霊魂の存在、という話ではないが、これもまた、夢の中の話だよ。夢に父が出て来て、さっぱり訳のわからん場面を拙僧に見せたんだよ。拙僧は、夢とわかった上で、夢を見ている事が多い。夢の中の父に『何なのよ、この夢は。何が言いたいの』と尋ねても、一切無言。数日後、初めて参拝して来られた相談者の話を聞いていると『あれ、この話、どっかで触れた事があるな。そうだ、この相談の案件は、夢の中で父が見せてくれたものだ』と。これもまた偶然だとは思うが、不思議な事もあるもんだな、と思ったよ」「やっぱ、先祖って存在してるんですかね」と、この読者が。対し「それはどうかはわからんが、先祖は存在する、と信じた方が心強いし、何かと安心かもね」と。

更に、この読者が「他には」と。「将来、拙僧はわが寺に、三重塔(供養塔)を建てるのが夢でね。わが寺の宮大工棟梁(現在99歳)と度々、その夢物語の様な話をして、2人で楽しんでる。ある日、夢の中にまた、父が現れ『清水寺の三重塔を見て来い』と。夢の話ばかりで、ごめんね。別に、夢の中の父の言葉があったから行った、という訳ではないが『久し振りだから、行くか』と、棟梁と2人で京都の清水寺へ。清水の舞台から南側を見下ろすと、三重塔(日本1小さい重要文化財)が青色シートに包まれ、一般参拝者は見れない状態に。棟梁が『英照(拙僧の僧名)さん。あれでは見る事は出来んぞ』と。拙僧、心の中で『何や、親父(拙僧父)。夢とはいえ、清水寺に行って来いと言ったくせに。まあ、でも、父は生前、行動を起こしもせず、諦めるな、と常々言ってたもんな』と。そこで拙僧『とにかく、近くまで行こう』と棟梁に。行くと、シートは完全防備、入れる隙間なし。が、シートの中から作業中の音が耳に。拙僧、無理矢理にシートを掻い潜り、音がする上の方に向かって『棟梁、棟梁』と大声で。すると、上から『誰や。一般の人間は、中に入ったらいかんぞ』と。『わかっとる、とにかく、降りて来てくれませんか』と。降りて来られた棟梁に、ここに来た理由を説明すると『お前さん達は、運がいいな。この三重塔は600年振りの解体修理や。今、丁度、文化財の最高責任者(役所の人)が上に来ているから、許可を取ってこい。京都の文化財は、京都の宮大工しか扱えん。わし以外の宮大工だったら、絶対に見せてはもらえん。おまえさん達は、縁があるんだろうな』と。ほんとに、ついてたよ」と拙僧、この読者に。「住職の父上(先祖)のお導きですかね」「さあ、それは、どうだろ。これも単なる偶然じゃないかな」と。

話は変わりますが、昨年、拙僧父の時代から35年以上、安全祈願に伺っていた会社の会長(現社長の父上)さんが他界されました。安全祈願とは、勿論『作業の安全』の事ですが、メインは『従業員一同の身体健全、無病息災、家庭円満』にて。会長さんが「従業員が健康で、彼らの家庭が円満であったら、事業繁栄など願わなくても、自ずとそうなる」と。

この様な考え方を持って、拙僧に月初め、現地(事務所、作業場)祈願を依頼している会社は、数社あります。この会長さんが他界された、次の月の1日、その会社に安全祈願へ伺うと、現社長(50代息子)さんが「実は住職(拙僧の事)さん、今年(昨年の事)の2月頃ですが『あと1ヶ月で、この会社も倒産だな』と追い込まれていまして。だが、父が創業したこの会社を、父が存命の内に潰す訳にはいかないと思い、メインバンクに頼んで、借金返済を少し待ってもらう事に。が、融資の方は、といえば、全くその気がなかった様で、わが社の倒産を見込んで『いつ、掛けた梯子を外そうか』の時期を見計らっていた様子で。住職は、ここの会社がこんな状況であるを、薄々気付いておられたんでしょ。昨年の暮れ、住職は『人間は死ぬまでは、生きとかにゃならん。会社も潰れるまでは、踏ん張らにゃならん。生活が掛かっている従業員の為にも』なる言葉を私に、そう言われたんですよ。その時、私が若い時(当時35歳)に、住職(拙僧の事)に言われた『犬も歩かにゃ、棒にも当たらん』の言葉が脳裏を過ぎりまして『メインバンクが塩対応で動いてくれんのなら、熊本工場(支店)近くの小さな地方銀行に、土地活用(熊本工場の1万数千坪)の話を持っていこう』と即、行動を。結果、その地方バンクさんが興味を示してくれて、わが社の意向を文章にして広域に公布を。すると2月の1ヶ月の間に、熊本の半導体関連で広大な更地を必要(作業員の住居、資材置き場など)とする40社以上が名乗りを挙げてくれました。3月末に倒産確実だったわが社が、僅か1ヶ月の間で、地獄から極楽、とまでは言いませんが、好転を。月極め賃貸で契約(月、数百万円)をしてくれた企業があり、どうにか一息つく事が出来ました。何の前触れもなく、いきなりのこの様なご縁が。正直、面食らっております」と拙僧に。

対し、拙僧「紀元前後に実在した、南インド地方の高僧が『この世の中は、縁で繋がっていないものは、何1つない。偶然というは、人間が言った言葉である』という言葉を。『縁』というは、網の目の様な物でね、正直に真面目に懸命に生きていたら、その噂(評価)が網の目を辿って、方々に流れていく。そして、その時期が来たら、その噂(あなたの人となり)を聞き知っていた人達(縁)が、物凄い勢いで網の目を辿って、社長さん、あなたの元へ。『何の前触れもなく』と、あなたはおっしゃったが、前触れの元は、あなたが徐々に築き上げてきたもの。全く縁のないものが、あなたのところへ届いた訳じゃないですばい。その網の目も、自分の生き方次第では、どんどんと広がっていく。人間は『今の自分を苦しめているも、喜ばせているも、過去の自分の行い。先の自分を苦しめていくも、喜ばせていくも、これからの自分の行い』ですもんな。自らが牡丹餅を作って棚に上げておかにゃ、落ちてくる事もないし、種も蒔いておかねば、芽が出てくる事は、ないですもんね」と。

更に、この社長さんに「世に『捨てる神あれば、拾う神あり』なる言葉が。その『神(人)』の心をどう動かすかは、自分の行い次第にて。また『正直者が馬鹿を見る』という言葉も。いやいや、人を支えているは、人にて。最後に土俵の上に立っているは、やはり、正直者ですばい。勿論、何にでも、例外というのはありますが。社長の会社の従業員の人達も、決してその目は節穴ではないはず。会社が倒産寸前だろう事は、肌で感じていたはず。なのに、1人も辞めず、黙って黙々と働いてくれてたんでしょ。会長さん、社長さんへの恩義を裏切らずに。網の目上に流れているあなたの会社の噂(評価)の中には、当然の事ながら、会長(現社長の父上)さんの生き様(築き上げてきたもの)も、従業員さん達の仕事に対する姿勢も、含まれているはず。みんなして乗り越えたこの度の峠ですもんね。この事を決して忘れちゃならんですわな。まあ、あなた(現社長)の事だから、忘れないとは思いますが」と。この会社の会長さんと現社長さんの生き様は、度々、檀家の若者達に人生の例題として話をする事があります。「自分の為だけに努力をしている者は、自分が努力をしただけしか、実りはない。給料を貰っての仕事なら、誰だってやる。何の損得も考えず、駆け引き無しに、人の為に動いてごらん。ここぞ、という時には、何処からともなく、救いの手がやってくるよ」と拙僧、檀家、知人の若者達には常に、その様に。


令和 7 年 1 月分  金剛寺住職 臨時法話


檀家の高校生が「住職は、華岡青洲っていう人、知ってますか」と。「知ってるよ。確か、15年程前、NHK で『華岡青洲の妻』というドラマがあったよね」「僕ね、それを最近見たんだ。それを見て、医者の職業っていいな、と。感銘を受けた場面は、青洲さんの妹が乳癌になって、紀州(和歌山県)で最も腕のある名医と言われていた兄の青洲さんに、切開手術を懇願するが、研究に没頭していた麻酔薬が、まだ完成しておらず、手術が出来ずに妹さんは死去したと。その時『人が病気で死ぬのは、いつも、医術が至らないからだ』と言った場面。住職が時々法話の中で、知人医師が『病気は気から、じゃないから、我々の仕事があるんだ』と言われていた、とか、『医者は助かる人間しか、助ける事は出来ん。助からない人間を助ける事は出来んのだ』と言われていた、とか。そんな言葉を聞いた時、大変な仕事だけど、やり甲斐のある仕事だな、といつも思ってたんだ」と。

そう話す高校生に拙僧「知人のその医師はこんな事も言われていたんだよ。『人の命を救っているは、医者だけではない。どの職業(専業主婦も含)の人も、人の命を支えてくれている。医者だけが特別、だと勘違いしてはならん』と。ある時、檀家の男性が(60代)がこの医師に『暴飲暴食、酒、煙草、止める気はない。あんたはプロだろ。俺の体を治してくれればそれでいいんだ』と。対し『あんたは私に何を期待しとるんだ。やりたい放題やって、体を治せだと。酒や煙草、暴飲暴食をやめる気になってから、出直して来い』とこの男性に。お寺でもそうだよ。浪費、浮気、ルーズと利己主義を貫き、散々人に迷惑を掛けておりながら、神仏には『幸せにして下さい』と願う人達が一定数はおらっしゃる。神仏も呆れて『わしらにいったい何を期待しとるんだ。人は自分がやってきた事だけが、今の結果(答)だわい』と言われとりゃせんかな。この知人医師の所へは、檀家さんを相当数行かせたが、もう、この世にはおらっしゃれん。頭の低い、人情み溢れる人だったよな」と。

続けて拙僧、この高校生に「華岡青洲(1760年〜1835年)さんといえば、世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術に成功した人だもんね。麻酔薬というは、紀元前から存在していたらしいが、効き目が弱くて、副作用が酷かったらしいもんな。青洲さんが麻酔薬の研究で注目したのは、チョウセンアダガオ(曼荼羅華)だったと。鎮痛、麻酔効果があるが、毒性が強いので処方を謝れば、人を死なす恐れがあったと。動物実験を何度も繰り返して、動物では成功したんだが、あとは人間に通じるか、だったんだと。そこに『私の体を実験に使ってください』と名乗り出たが、清州さんの奥さんだったと。それが元で晩年、奥さんは失明されたそうだけどね。何でもがそうだが、1つの物を成功させる為には、何かしらの犠牲が伴うよね。いつの世も、そういった事情を知らない周囲は、その場の結果だけを見て、大騒ぎして、何じゃ、かんじゃ、と責め立ててくるけどな」と。

続けて拙僧、その高校生に「そうした家族の犠牲によって、遂に麻酔薬『通仙散』というが完成を。そして、1804年10月に、世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術を成功させたと」「だけど、住職、摘出手術の成功はしたけど、その女性は助かったのかな」と高校生が。「転移、または再発、って事かい。その事までは、知らんな。だけど、西洋で初めて麻酔による手術が成功したは、青洲さんの手術の42年後だった、というから、青洲さんの功績は非常に大きいよね。その後、青洲さんは、乳癌だけでなく、弾丸摘出、痔瘻、膀胱結石、白内障、舌癌、動脈瘤、結核性腫瘍、顔面整形、腦水腫の手術も、やったらしいよ」と拙僧。「それって、200年以上前の事なんでしょ」「そうなんだよ、これは200年以上も前の話なんだよ」「青洲さんが現在に存在していたら、どんなものを残していったんでしょうね。調べられる道具が、数多にあるから」と高校生が。

最後に、この高校生に「拙僧はこれまでに、1000人以上の葬儀と、その数倍の人間の『生き死に』に関わってきたが、その中の1例だけどね、あるご主人(当時80代)が他界する1ヶ月程前、奥様のいる前で拙僧(当時40代)に『住職よ、俺が死んだら、形だけの葬式はしてもいいが、浄土へは送るな。この家で家内が死ぬまで付き添って、一緒に浄土へ逝きたい。その時、一緒(夫婦共)に葬式をしてくれ』と。続けて奥様に向かって『どこにも行かん。ここにおる。が、言葉を掛けても、物は言わんぞ』と。すると奥様が『それは、一休宗純さんの言われた言葉ですよ』と微笑みながら、ご主人に言われていたな」と。この檀家の高校生との会話は、昨年の拙僧の誕生日、4月12日(拙僧62歳)の夕方、わが寺の本堂前で交わされたものですが、この高校生が帰り際に「住職さん、お大師さん(修行大師、石造)の後方の藤の花だけど、綺麗ですね」と。「そうだな。ところで君は、こんな詩を知ってるかい。『下がるほど、人の見あぐる藤の花』という言葉だが」と尋ねると「いいえ、知りません。どんな意味ですか」と。「藤の花は下がれば、下がるほど、人が『綺麗な花ですね』と見上げるだろ。その様に、人間も謙虚な人ほど、頭を下げるから、周りの人達から『この人は素晴らしい、立派な人だ』と敬われる。医者を目指すなら、そんなお医者さんにならにゃあかんよ」と、この高校生に。

【おまけ】

昨年の11月、京都へ仕事で伺った折、時間が許しましたので、久し振りに家内と大原の寂光院(聖徳太子が父君用明天皇の菩提を弔う為に建てられたお寺)に参拝しました。このお寺は、平成12年(2000年)5月の夜中、放火(油が検出)によって、見るも無惨に全焼を。今だに犯人は捕まっていない、との事ですもんね。このお寺は天台宗の尼寺で、平清盛公の娘さんである建礼門院徳子さん所縁のお寺。壇ノ浦でご子息安徳天皇と共に入水自殺を。が、徳子さんは敵(源氏側)に助けられて一命を。その後は、安徳天皇と平家一門を弔いながら、余生をこの寂光院で過ごされたとの事にて。だが、何の恨みかは知らないが、平家物語にも登場するこの名刹に火を。そうあってほしいの願いだが「よくもわが娘のお寺に、火を付けおったな」と既に、平清盛公からその犯人、鉄槌を喰らっておるんじゃないのかな。人の目は誤魔化せても、自分の心を誤魔化す事は、出来ないですもんね。悪い事をした、という心は生涯付き纏う事になる。それこそが、清盛公の鉄槌かな。

罰(バチ)といえば、こんな話がありますよね。弟子が師匠の山岡鉄舟に「神仏の罰(バチ)とは、本当にあるのですか」と尋ねてきた。「どういう事か」と問い返すと「罰(バチ)というは、本当に当たるものなのかなと、この1年間、神社の鳥居に小便を掛け続けましたが、一向に罰(バチ)など当たりませんでした」と答えると、山岡鉄舟が弟子に「もう既に、お前には罰(バチ)が当たっておるわ」と。「えっ、どんな罰ですか」と聞き返すと「そんな事(鳥居に小便掛け)をしても、恥ずかしいと思わない心になっておるが、既に、神仏の罰(バチ)が当たっておる、という証拠だ」と。拙僧も含め、この言葉(そんな事をしても、恥ずかしいと思わない心)に当てはまる、身に覚えがある、そんな人って世の中には、結構に多いかもしれませんね。

家内と2人で、寂光院の本堂に座り『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き、盛者必衰の理』をしみじみ味わっておりますと、そこに60代ぐらいかな、観光客らしきご夫婦が参拝して来て、本堂に足を踏み入れるや否や、旦那さんの方が「何だ、この寺の回廊(1メートル程の高さ蟻あり)は。落ちたらどうするんだ、大怪我するぞ。手すり(欄干)ぐらい付けておけよ」と、やや大きめの声で文句を。すると、奥様の方が旦那さんを白けた目で睨みつけ「落ちない様に気を付ければ、済む事でしょ。文句を言えば、何にでも対応してくれると思いなさんな。こんなに長い間、回廊に手すりが付いてないという事は、誰も落ちてない、という事なんじゃないの。危険だと思えば皆、それなりに気を付けるわよ」と小さな声で一喝された。この奥様の言葉は、言いたい放題文句を言う、今の日本の縮図を、見せ付けられている様な気がしましたね。この奥様の言葉は、寂光院に漂う清々しい空気と共に、拙僧夫婦の心をスッキリさせてくれましたな。

次回の投稿法話は、1月5日になります。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。