令和元年 11月分 金剛寺短文法話集
「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『方程式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。
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0392 「結婚と同時に子供の縁も。計画出産はあかん。縁を逃すかも、と常に新夫婦には」
姪夫婦が何年も費やし不妊治療を施した。が、子宝が。2人揃って参拝の折「人はその土地を縁にして生まれてくる。毎日氏神詣でをしてごらん。『あなたの子供を私達に育てさせて下さい』と願って」と。以来、2年間日参詣を。40歳で授かったが、残念にも流産を。が、姪は「お腹に宿ってくれただけでも」と以来供養を。
0393 「自ら節制もせず、努力もなく、困った時だけの神頼み。神に何を期待しとる」
小学生時代、私は重い小児喘息で呼吸困難から年間数か月は座椅子で睡眠を。父が毎日病気平癒祈願を。が、改善されず「神仏の加護なんぞ」と不満を。祖母は食の細い私に「病気は膳の下に屈むよ。食べろ、食べろ」と。その他、自らも摂生を。結果徐々に。当時私は子供心に「神仏も、努力に対し後押しか」と悟らされた。
0394 「葬式での子孫答礼は、世話になった方々にお礼を言えない故人に成り代わっての挨拶」
葬式後の法話で「拙僧は今日までに700回を越える葬式を。わが寺では基本、家族葬はさせません。故人に恩を受けたは、家族だけに非ず。最期の別れを望む人も少なからず。葬式は故人への御礼報謝、残った人間の為に行われるもの。最期ぐらい所縁ある人達で「ご苦労様でした」と労い、送ってあげたいものですね」と。
0395 「神仏は、何の道具も持たせず人間をこの世に生まれ落としてはいない、と思う」
学校講演で「檀家さんの中には心身不自由を背負う人達が。その方々曰く、神仏は必ず生き抜く為の力(道具)を人間に。例えば、目の不自由な方には耳や言葉に特別な力を。但し、それを会得する為には、その潜在能力を見つけ出してくれる親の眼力や私達の努力は必要不可欠、と。さて、君達には如何なる力を神仏は」と。
0396 「天から貰った最高の宝は、わが女房殿。その存在の大きさは計り知れん」
100円の佃煮を手に取り「ママ、これ買ってくれるかい」に「駄目、我慢しなさい」と。その会話を見ていた息子が「何ね、父さん。好きな物も買えんの。自分が働いたお金だろ」と拙僧に小声で。「んっ、それはちょっと違うかな。父さんの働く意欲は、母さんという存在があればこそだ。結婚したら、お前にもわかるよ」と。
0397 「先代は常々僧侶達に、我が家を円満に出来ず、どの面下げて他に円満を説くや、と」
男の子が「兄弟喧嘩をしていると『少しは相手の立場を考え、思いやりを持て』という親が、自分の主張を言い合って夫婦喧嘩を。『小遣いの使い方を考えろ』という親が、貯金もせず浪費三昧を。『信仰心は大事だ』という親が、お寺から帰るといつも人の悪口三昧。何なんだ」と呆れた顔で。良か環境で、良か子が育っとる。
0398 「怒ってくれる檀家の爺婆も、段々とこの世から。寂しい限りにて」
念珠と袈裟をお寺に忘れ檀家参りに。今日に限って15軒。口煩い爺婆の家にも。仕方がない、「忘れてきた」と正直に言おう、と。予想通り「たるんどるわ」と一喝。「まあ、念珠と袈裟にお経を唱えてもらうわけじゃないからのう」とお許しを。乞食坊主と追い返され、後日、新品の袈裟衣を置いて帰った一休さんとは逆の話。
0399 「一度ある事は二度、二度ある事は三度ある。反省しなきゃ、もっとある」
婚3の女性が「私には、ろくでなし、ばかりが寄ってくる」と。愚痴を聞いていると、どうも「こんな人」にしてしまっている様で。家事全般手抜きする為、外でご飯を食べてくる様になり浮気を。自分の事は棚に上げて追い込むから、堪り兼ねて手を出す様に。本人の反省が全くないから、相手が変わってもまた、同じ環境に。
0400 「夢でもいいから、亡き人に会えるというは、嬉しいもの」
初めて1日3葬式を。思えば嘗て老尼僧の夢に亡き父が立ち「息子が疲れとる」と。聞かされ「それ程に疲れてないがな」と。が、その後1ヶ月半で13人連続檀家他界。その中には葬式後に初七日を取り上げ、帰宅途中に他界の連絡。これが3度も繰り返した。「この事か」と。夢とは言え「草葉の陰から」は、本当かも、ね。
0401 「人は城、人は石垣、人は堀。人がいなきゃ、何も成り立たんがな」
息子達も私と同じ小学校に。50年前は全学年で700人。が、15年前の息子時代には150人に。今は併合され消失。お寺の法要は、職衆の僧侶、接待の厨房係、参拝者出迎えの駐車場係、回向祈願の受付係など、人がいるから成立を。さて、この国の将来は。打開選択肢として、負担増加、出生向上、外国人等があるが。
0402 「信仰は、逃げない心を育てる為のもの。動きもせんで、実りなどない」
何年間も同じ特別祈願をされる方がいる。何年間も加護待ち。1歩前に踏み出さないから、いつまでも成就が。この手の方々、少なからず。片付け易い問題はサッサとやるが、面倒臭い問題は全く動こうとせん。よって、一向に片付かん。挙げ句の果て「幾ら祈願しても成就せん」と不平不満を。神仏にいったい何を期待しとる。
0403 「借りる時には涙を流し、貴方は仏様、と。が、返す時には不服顔で鬼呼ばわりを」
任侠道の方が好意で貸してくれたお金を会社経営檀家が踏み倒した。怒りの電話がお寺に。危険を感じ遠方へ。自己破産手続きを。数年後「申請が。これで」と。「待たんかい。法的処置をしただけ。誰がお金を返さんでいいと言ったか。借りた物は返さんかい」と。10年後「完済した」と任侠の方からお礼の電話が。冷えるわ。
0404 「心の中にないものは、表には出てこん。その最たるものが、言葉遣い」
幼稚園保護者会で「子育ては親の主観を押し付けず、その子の性格(本性)の見極めを。三つ子の魂百まで、の諺が。幼児期に何に興味を持ち、どんな遊具を好んでいるかで、大雑把だが理系型か文系型か予想がつく。一例としてブロック遊び。拙僧の息子2人は好み、理系大学へ。娘は好まず、文系へ。以外に、判断材料に。
0405 「逃げればいいという問題ではない。誰かがやらにゃならんなら、貴方が」
この寺の檀家に、と来られた懇願者が「菩提寺が多額の寄付金を要求。『ない』と答えると『銀行で借りてこい』と。使途には住職が住む個人的な贅沢な家も。もう我慢ならん」と。「確かに、寄付金使途は個人的な物は除く、が基本。が、気に食わんから他へ、はあかんかな。他の檀家さんの為にも貴方がご意見番の役割を」と。
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