令和 2 年 2 月分 金剛寺住職短文法話集
この短文法話の中で最も反応が大きかったは、「出会うは運命、出会ってからは努力、最後の別れには感謝」の言葉。夫婦、親子、友人など、人間関係全てにおいてこの流れは。目を閉じる時、後悔のない旅立ちを。
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0434 「石の上にも三年、の諺は、死語になっとるんかいな、昨今は」
昨今、ほんとに多い。理想ばかりを抱き、基礎固めの段階で会社を辞める若者が。何人も親同伴でお寺へ相談に。対し「今日1日だけ、と思えば、人は暑さ、寒さも耐えられる。今日1日だけ、と思えば、不足あろうと我慢も出来る。なれば如何なる時も、今日1日だけ、と思って踏ん張ってごらん。多少は辛抱も必要だよ」と。
0435 「男の子の大学入試、入社式、退社届まで、親が付いて来る時代だからね」
わが寺専属造園業の方に大きく育った木の植え替えを頼んだら「何年も植木鉢で育てられた木を野に植え替えても根が付かん事が多い。自然の木は水を求めて自らが根を伸ばし生きようとするが、植木鉢の木は、それをする必要がない。簡単に水が手に入るから。過保護による子育てと同じ。早く野に出すべきだったね」と。
0436 「こんな会話が出来る親子って、いいよね。最高の息子の愛情」
余命僅かの父と息子の会話。「家父長制の時代、長男として我儘一杯、そりゃ自分本位にもなるわ。横にある物も人の手を使い、腹一杯食べた残り物を子供に。自覚があっかい。腹を痛めて産んでくれた母親を泣かせ続けたから、腹の癌に。時間ある限り反省しようや。逝って婆様に合わせる顔、ないやろ」「・・・そうだな」と。
0437 「当時、女房殿は21歳。妻のお蔭で我が家は、やっとまともな家庭に」
知人が「当時21歳、第一子懐妊した妻に『婆様に』と。その日から毎夜涙を。何度尋ねても理由を。2年後の第二子懐妊時、当時の涙の理由を問うと『婆ちゃんを責めんと約束よ。あの時、身体不自由児なら、うちの家の子じゃないって』と。一瞬で顔色変えた私に笑顔で『約束よ』と。その婆様は最期まで妻を頼りに」と。
0438 「人は知ってる事よりも、知らない事の方が、圧倒的に多い。聞く耳持つは大事」
高校講演で「今でこそアレルギー問題は多くの国民の知るところに。が、40年前は。友人にそばアレルギーの子がいて、親が『くれぐれも』と先生に頼んでたにも関わらず『気のせいや』と無理に。危なく一命を。C型肝炎拡散原因の注射打ち回しも同じ。人間の無知ほど悲しいものはない。知識、知恵は自信を守る鎧」と。
0439 「昨今は、上司も部下も、先ず自分の主張が先、だもんね」
会社に不平、不満三昧の若者に「管理職の主な仕事は、責任を負うこと。間違っても、部下に責任転嫁は。責任を負う事が出来ない人間は、その立場を担う資格はない。だからこそ部下も考えなきゃ。己の失敗は、全て上司や会社の責任に。そうなれば会社は、信用を失い収益も減少。会社の繁栄が、君の生活の基盤だよ」と。
0440 「お寺側からのお接待は、仏さんからのお裾分け。少量でも有り難く」
わが寺では年末に「奉納餅つき」を開催。1年の御礼と次年の無事息災を願って。参加者にはその場で黄粉餅等を接待。手伝えず申し訳ない、と「餅米代」を供えられた方には後日、餅を。中には、奉納奉仕の意味をはき違え「千円も出したのに」と不服を言う者も。代価に見合った数の餅が欲しいなら、街の餅屋さんへ、と。
0441 「子育ては、親の主観をどれだけ抑えられるか、が勝負。子は親の所有物に非ず」
学校講演で母親の質問に対し「15歳で突然暴れ出す子などいない。全てが積み重ね。失った親の信用を取り戻すには相当の時間が。が、いつかは、親に目を。そこに以前のままの親がいたら。貴女も子供と一緒に成長を」と。数日後、その問題児から「講演聞いてた。住職の『追い込んだ親の責任は』で心が楽に。」と電話が。
0442 「根深い人の欲を引き抜くには、土から掘り返さにゃ」
高校生男子が「昨今、この国の人達は、文句は言った者勝ち。欲は歯止めが効かず、善悪の判断は全て自分の都合。殺人に関しても、誰でもいいからやっちまえ、と。幼児虐待に弱い者虐めの横行。こんな社会環境で生活を。皆、何も疑問に思わないのかな。戦国時代、信長公が荒療治したみたいに、誰か大鉈を振るう人が」と。
0443 「以前のCMである俳優さんが、早く言ってよ、と。確かに。早く言ってよ、だった」
昨年、拙僧父の17回忌。父が癌で倒れた時、初めて借金7千万あるを。「一般の人でも家を建てたら数千万は。廃寺をここまでに。気にしなんな」と父に。が、内心はそうでは。そんな中、女房殿が「何とかなるよ。考えなさんな。日々やれる事を。倹約は任せとき」と微動だに。肝が座っとる。「一生ついて行こう」と心に。
0444 「勘違い親子の末路は。人を当てにばかりする者を、人は助けてはくれない」
大学卒業後、1度も就職せず60歳を越えた2人の独身息子と、夫の年金だけで暮らす90歳過ぎの母親がいた。この40年間、母親は「この子らが可哀想」の一点張り。息子らも「社会が俺達を認めてくれん」と言い訳三昧を。人間形成を司る根本的な問題は、今も昔も同じ。こんな家族形成の予備軍、拙僧の周りにも数多に。
0445 「爺様曰く。30過ぎの子供の結婚は、親が売って回らんと、買い手はつかん、と」
明治男の亡き拙僧爺様は、大変な世話好きで、生涯50組以上仲人を。自慢は「離婚は1組も」と。と言うより、顔も性格も政界の暴れん坊、浜幸さん似の爺様に離婚相談など、が真相みたい。昔は、仲人責任は3年間。迷惑が掛かると夫婦も踏ん張ったんだろう。が、大半の夫婦が晩年「爺様の威圧歯止めのお陰で」と感謝を。
0446 「信仰は、眉間にしわを寄せ、のぼせ上がるまで、深入りしたら、あかん」
女房殿に「65歳を目処に引退し、説法行脚するが、今の夢かな。あと7年。その時、実在した人物を神にした淡島大明神の様に、金剛寺第3世ご内室として『淳々大明神(妻名、淳子)』の像を作って残そうか。日々の仕事を淡々と笑顔で務めれば、幸せになれる象徴像として」と言うと、妻が「あほか」と冷めた顔で拙僧を。
0447 「全ての縁は、『出会う時期に出会う様になっとる』と古の高僧達が」
20年程前、高野山参拝の折、仏壇店に大日如来像が。目を奪われていると檀家老婆が「私に奉納を」と申し入れを。あまりに高価にてその時は。以後3年の間に、十数ヵ寺からその仏像の購入話が。が、購入直前で全て破談。店主が「仏が座る場所は、仏自らが決めますよ。縁は金剛寺だと思いますよ。」と。現在、わが寺に。
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