令和3年5月分 金剛地住職コロナ関連法話集
陣中(コロナ自粛奮闘)お見舞い申し上げます 5月分手紙
ここ最近、読者から「数年後に日本は、廃寺(住職不在)が半分になるというは、本当の話ですか」との問い掛けが、度々拙僧に。対し「現在、日本には寺院が7万7千ヶ寺。その内、既に廃寺は、2万数千ヶ寺ありますよ」と。「まだまだ日本には、先祖を大事にしている国民が少なからず存在を。この先、どうなるんですか」と。「さて、どうなるんでしょうかね。見当もつかないから拙僧、自分が出来る事だけをやろうかな、と考えております。還暦(来年)過ぎたら拙僧、宗派に関わらず、住職不在寺院に赴き、そこの檀家さん達に、法話提供の行脚をして歩きたいが、この先の望みにて。呼んでもらえたらの話、ですけどね」と。「ところで、住職さんのお寺の存続は、どんな感じですか」と。「我が金剛寺においては拙僧、山本家が継いでいくが大事とは考えてなく、あくまでも寺院の存続が大事、と念頭においております。ただし、あれが見えた、だの、これが聞こえた、だの、先祖が、水子が祟った、だの、先祖を愚弄する失礼な住職が座る事だけは、ご遠慮いただきたい。そんな僧侶に人生をズタズタにされた方々が現在、相談に来られるお寺になっておりますんで、『何だ、このお寺も、そんなんかい』と、落胆させたくないので。しかしながら、寺院継承に関して檀家さん達は、拙僧の考え方とは少し違い、先代や、拙僧の血を引く子供以外は、継いでもらいたくない、というのが大半にて。『蛙の子は、蛙』と皆、その様な認識を。有難い事ですね。本心は拙僧も、それが最も良い存続の形だと思っていますが」と。
【追伸、別読者が、家相の問い掛けを】
別読者が「話は少しズレますが、住職は『家相』といわれるものを、どう捉えておられますか」と。対し「家相を軽視、否定している訳ではないですが『便所の位置が悪いから、風呂の位置が悪いから、台所の位置が悪いから、悪難災難が降りかかってくる』と、どこぞの誰かに言われて、それを鵜吞みにして、毛嫌いを。毎日毎日、その便所で、大小便をさせてもらっておきながら、その風呂で、体を綺麗に、疲れを癒してもらっておきながら、その台所で、火や水を頂いて料理を為し、命を保たせもらっておきながら、毛嫌いするとは、何事よ。まずは「有難う」が先でしょ。感謝して過ごしたら『難』も自ずとなくなるよ。この手の相談、コロナ期に入って、非常に多い」と。対しこの方が「住職が度々法話で『自分以外の何かに責任を転嫁すれば、その場だけは楽になるが、何の解決にもならない。何事も、否定から入ったら、得るものは何もないよ』と。私の周囲にも、何人か、この様に、何かの責任に転嫁する人が。努力をしない人に、責任転嫁人が多いように見受けられますね」と。
【追伸、家相からの迷信話】
檀家女性が「童話『通りゃんせ』は、子供が7歳になった時、お詣りに行く歌でしょ。昔、その歌に合わせて『行きはよいよい、帰りは怖い、怖いながらも、通りゃんせ、通りゃんせ』の歌い終わりのタイミングで、捕まえて身動き出来なくしてしまう遊びを。子供の頃は、意味も知らずにこの怖い歌を。何故、天神様は怖いイメージがあるの」と。「天神様というは、実は菅原道真公の事。悲劇の人、というイメージの人、だもんね」と。
【追伸】
菅原道真公といえば、平安時代の人で、秀才で右大臣まで上りつめた人。が、朝廷の争いに巻き込まれ、九州の太宰府へと左遷。謀略により非業の死に至った人。その後、京都で落雷、火災が相次ぎ、疫病までもが流行り、道真公を陥れた人達が次々に死去。そうなれば人々は、お決まりの如く、道真公の祟りと怨念扱いに。霊を慰めにゃならんと当時、京都北野にあった天神社の側に社を建てたのが、今の北野天満宮。因みに、落雷が多数発生した時、道真公の家があった京都桑原の地域だけが落雷の被害がなかったと。それで人々は雷が鳴ると、身を守る為に「桑原(くわばら)、桑原」と文言を。道真公も、忙しいこって。その時の人の心の作用で、怨霊にされたり、神にされたり。これもまた、迷信の1つかな。利害関係にするは、迷信を受け取った側次第なんだが。
【追伸】
人間は追い込まれたら、心を楽にする為に、スケープゴート(生贄)を作り上げる習性があると。最も有名なケースは14世紀、世界人口7億の内、5億を感染死させたペストの時。的になったは、ユダヤ人と。頭が良く、商才に長けてた事への、やっかみ、からと。怨霊扱いもその1つ。責任の転嫁では、何の解決にもならん。
【追伸、責任話のついでに】
拙僧息子がYouTubeで石橋貴明さんと清原和博さんの会話を拙僧に。清原さんが「薬は駄目です。死ぬか、逮捕です」と。逮捕後、3年間、会えなかった息子さん達に会った時、清原さんが「すまん」と。対し息子さん達が「大丈夫、大丈夫」と。信じて、待ってくれてる人がいる。拙僧周囲でも、その存在の有無で明暗がくっきり。
諺に「栴檀(せんだん)は、双葉より芳(かんば)し」と。その意味は「白檀は、発芽の頃から早くも香りが。大成する人は幼い頃から、人並外れて優れている」と。清原さん、桑田さんも、まさにそれ。但し、その香りをもっと香らせた、努力があっての大成。拙僧が最も好きだったプロ野球での勝負は、清原和博さんと野茂英雄さんの勝負。野茂さんはストレート1本で勝負、狙うは三振。清原さんはそのストレートに対し、狙うはホームランのみ。一流と一流の真っ向勝負。勝敗の結果はどうでもいい。見ていて心が踊ったを、今でも覚えている。
【追伸】
読者が「例え、どんな理由があろうとも、やってはいけないものは、やってはいけない、と思いませんか」と。「世間は『心が弱いんだ』とか『自分に甘いんだ』とか、厳しい言葉を。が、人はそんなに強くはない。大木も上に行けば行く程、風当たりも強い。正論は言い過ぎれば、優しさが欠けますよ」と。数年前、四国巡拝中に足を引き摺りながら、遍路をしている清原さんに偶然遭遇しました。声は掛けなかったが、今思えば、何かを断ち切ろうとされていたのかな、と。その後に逮捕の報道が。捕まって最も安堵したは、ご本人かもね。
【追伸】
また、別読者は「薬は再犯確率、非常に高い。清原さんは大丈夫ですかね」と。「薬に限らず、どの犯罪も再犯確率は高いですよね。ライオンはわが子を崖から突き落とす、と。が、頑張って這い上がってきた子を、再び突き落とす様な事はしないでしょ。憶測の段階で『どうせ、また』は。拙僧は、疑うより、信じる、かな」と。
【塩野七生さんの話から】
イタリア在住50年の小説家、塩野七生さんが「イタリアは、家族を大事にする国民。家族が感染死して初めて、政府の言う事を聞かない国民が、聞く様になった。一方日本は、完璧を求め過ぎ。自由というは、失敗をしてもいいという事。失敗を許してもらえないは、自由がないという事。完璧を求め過ぎるから、人を追い込み、鬱、自殺が多発を。歴史はそれ自体が、繰り返される。過去に学べるものは、数多に。過度に強要(恐怖政治)すれば、確かに感染は抑える事は出来るだろうが、経済は止まって、結局、人の不満を煽り、人の命を脅かす事に。反対に自由過ぎれば、感染は鰻登りに。そのさじ加減を調整するが、政治家の役目。このさじ加減を成功させている指導者が、今は世界中に1国もない」と。確かに、それは言えるかな。が、指導される側も少しなっと、言う事を聞かにゃ。『そうすれば、そうなる。そうなってるのに、まだ、そうするか』だね。日本人は、真面目過ぎるが故に、お金さえ出せば、何でも手に入る国であるが故に、完璧を求め過ぎる。この世の中に「これ、正解」はない。自分にとって、正解か否か、だけ。環境、年齢、体調、時間帯、今背負う問題など、同一人物でも、それらの違いで正解がコロコロ変わる。正論は押し付け過ぎれば、優しさが欠ける。
【女性は、生き物が違う、の、因みにの話】
特別老人ホーム生活の92歳檀家婆様の所へ毎月仏壇のお参りに。先月、婆様が「80代の爺様から『好きです』と言われてな」と。「素敵な話じゃない」と言うと「わしは年上が好みじゃ、80代など鼻垂れ小僧にしか見えん、と無視してやったんじゃ」「可哀想に」「それでもしつこく『貴女を見てたら、動悸がする程です』と言うんで『そりゃ不整脈たい。医者に診てもらえ』とその爺様に」と。やっぱ、女性は凄い。生き物が違うわ。
【追伸】
知人介護士が「老人ホームの恋愛問題は深刻ですよ。嘗て、90代のお爺さんが、90代のお婆さんに夜這いを。そのお婆さんも部屋の鍵を掛けずに、そのお爺さんを。ご両人は頻繁にそんな事があるので、子供さん達にお知らせしたら『本当に私共の母が、ですか』と、かなりのショックを。なんか、哀しいな、と思いました」と。
令和 3 年 5 月分 金剛寺住職(コロナウイルス関連)短文法話 【その16】
人間の欲に歯止めが効かなくなった時、天はそれなりの人物(その他)を下生させ、荒療治を成し、リセットを。戦国時代には、信長公を。第二次大戦では、ヒトラーを。14世紀には、ペスト(1億人死亡)を。1918年には、スペイン風邪(世界で1億人死亡)を。地球は人間だけの物といわんばかりに、圧倒的に多い他生物の命(生息領域)を軽視し、自然破壊を繰り返し続けた結果、生態系が崩れ、方々で天変地異が。『そうすれば、そうなる。そうなったのに、まだ、そうするか』を自身に問い掛け『分相応に生きる』を、見直す時期に。
下記は、読者の質問に応じた拙僧の返答集。コロナ発生初期から、移り変わっていく人の心情が鮮明に。自然災に限らず、人生においても考慮すべき質疑応答にて。今後の参考にしていただきますれば、と。
【令和2年5月初旬法話読者の質問に答えて】
高校教諭が「9月入学、住職の見解は」と。「論点は空白になる時間。拙僧の親類英国人甥は、大学入学前に敢えて『空白の時間』を選択し、スキルアップに挑戦。所謂、ギャップイヤー制度を活用。国によっては、この制度に奨学金も。時間を有意義にする、しないは、本人次第。何月入学の是非は、時間の使い方次第、かな」と。
【追伸】
中学生が「もう少し、詳しく教えて」と。「勉強が出来るが人生の成功者、と勘違いして育てた、育った結果、一流大卒後、社会に馴染めず、リタイヤの親子が年間に何組もお寺へ相談に。時間も場所も進路も全て大人が口を出し、自主性欠如となる経験の横取りを。当然の結果にて。他国とは、そこが大きく違うかな。全て他国を真似する必要はないが、考慮する良い機会かな、と。但し、やるならコロナ終息後、今ではない、かな」と。
【追伸】
中学生が「法話の中の『空白の時間』ですが、外国の学生は、その時間を自主的にスキルアップ為の有意義な時間に使う器量がある、という事ですね。言われてみれば、僕に限った事ですが『半年、1年の、空白の時間を与える。好きに使っていい』と言われても、何をどうすればいいのか、さっぱりわからん。そこですね」と。
【追伸】
「人間は大きく分けて、働く気満々『1、自主的行動人間』、働く気ない『2、誰かがするだろう人間』、指示あれば働く『3、指示待ち人間』が。『2』は論外。空白の時間を与えられ、どう使えばいいかわからん子供は『3』のタイプに多いかな。『1』のタイプの子供は、学校、塾が閉校でも自主的に勉強を。『3』のタイプの子供は、勉強出来ない理由を閉校の責任に転嫁。コロナは、人の足は止めても、時間までは止めんのにね」と。
【追伸、別読者からの質問に答えて】
別読者が「現代っ子は、そんなに時間を持て余してますか、住職」と。「40年前の拙僧の大学時代でも、何のバイトもせず、講義、サークル、合コン、下宿でゲーム三昧と、只々、親の仕送りを待つ学生が山ほどいた。代々の親がそうしたレールを敷き続けての、現在にて。もう少し自立を促す教育が、この国には必要かな」と。
【令和2年5月初旬法話読者の質問に答えて】
超有名信仰創始者が数多信者の眼前で遠方の山を指出し「引き寄せる」と念力を。1、2度目までは皆も「如何に祖師でも」と。が、3度目失敗後には、不信を抱く者が続出。そこで祖師が「山が動いて来んのなら、私が山へ向かって歩こう」と。どの信仰も、いつからお陰信仰になっていったのか。ご祈願(お陰信仰)に重きを置く寺院の信者さん達には、大なり小なり共通点がある。最初に縁あった時には、神仏に願うと共に、自らも改善の努力を必死に頑張っていた。が、次に願い事が出来た時には、以前の『祈願した。願いが叶った』が先行、自らの改善努力を怠るように。さすれば当然ながら、良き結果が出るはずがない。人間はどうしても、楽な方に、楽な方に、と心が流れていく傾向が。挙句に「ここの神仏は力がない」と神仏の責任に転嫁して、甘い汁を探しに、信仰の梯子を。この様な方々は、お金儲けの拝み屋さんにとっては、願ってもない『カモ』の到来にて。
【追伸】
何度でも言いますが、信仰は特別な物ではない。特別な物にしている者がいるだけ。今日までに自分がしてきた事の結果が、今の自分に出ているだけ。棚の上に自らが牡丹餅を作って上げておかねば、落ちてくる事などない。1度目、2度目の努力があって初めて、3度目の正直がある。単純明快な答にて。神仏は、公平に判断。
【追伸、お陰信仰類似の話】
檀家娘が「サプライズ好き男性は、ブラック彼氏(自分勝手のモラハラ系)の典型と、某女性弁護士が。結婚後に、事故物件(暴力男)と気付く事が多いと。どう思うよ、住職」と。「サプライズ好きで、長続きしたカップルの印象はないかな。信仰でも『祟る、ご利益』類のサプライズ好きは、長続きしない傾向があるかな」と。
【追伸】
読者女性が「私の祖父母、父母、親類の叔父叔母達、見事に賭け事好きが大集合。哀しいかな、環境というしかない。汗水流し、努力して得たお金じゃないから、有難みが分からず、即また賭け事に。結果、借金と。宝くじ当選者も、人生を狂わす人が多いとか聞く。こうした類もサプライズが欲しい人間達ですよね。以上」と。
【令和2年5月初旬法話読者の質問に答えて】
60代檀家男性が、突然の胃痛で検査入院。大病予感の恐怖でストレスから味覚障害に。また、頭には10円ハゲが2つも。寝られん、と拙僧に泣く様な声で毎日電話が。奥様に「一定音で流れるCD、川のせせらぎ、とか、鳥の囀り、とか。ストレスで神経が昂って寝られんのやろ、落ち着くから」と。その夜から徐々に回復を。
【追伸】
この男性、日頃は亭主関白で、人の言う事など全く耳を貸す事など。奥様が大病した時には「大した事あるか。死ぬ時は、死ぬんだ」と。が、自分がその立場になったら、奥様をずっと横におき「俺、癌かな、どうかな」と日に何度も、何度も。結局、暴飲暴食によるただの胃炎。少しは人間性が変わるかな、と期待したが『三つ子の魂百まで』だった。今の時期(コロナ)、こんな男性、あちこち目に付く。人は『追い込まれた時、腹を立てた時、人に見られてない時』の行動で本性がわかる。娘さんが「住職、偶に顔を見せる兄に父が、か細い声で『有難う』と。私や母には『有難う』なんて言葉は1度も言った事が。頭にくる」と。「甘えられる人間には、文句、わがまま、なんもかんもぶつけてくる。そう考えたら、甘えてもらえないお兄さんは、寂しいかもよ」と。
【追伸、コロナ期に入って、よく耳にする話】
読者女性が拙僧に「親を脅して高額請求、信仰に引き込み続ける僧侶に『私の知人住職は、鶯が鳴かずとも、陽気、風、虫、花、人の顔を見れば、春の訪れは容易に。が、そこに鶯が鳴いてくれたら、春に彩りを。信仰の役目はこの鶯の鳴き声にて、と言ってた』と、この僧侶に手紙を突き付けてもいいですか」と連絡が。コロナ期に入って、この手の話と、詐欺の話、所謂、火事場泥棒の如き話が、よく耳に入ってくる様になりましたね。
【追伸、信仰させたら危ない人】
家内の知人が来て「この桜、何処の桜かわかる、住職」と問うので「この寺のだろ」と答えると「凄い住職。やっぱ、わかるんだ。何でもお見通しだね」と驚くので「あのね、君のスマホで、その問い掛け。この寺しかないだろ。神通力、透視力など、拙僧には微塵もない。君な、気を付けなよ、思い込みで人を決め付けるは、大けがの元だよ。口上手の拝み屋さんに掛かったら、君なら50万円の壺、30分あれば売りつけられる」と。
【令和2年5月初旬法話読者の質問に答えて】
某旅館の玄関先で「自分のミスで試合に負けた」と泣いていた球児に、当時、横綱だった曙関が「人は負けて強くなる」と声を。この球児があの、イチローさんだったと。家康公が「不自由を常と思えば不足なし。勝つ事ばかりを知り、負ける事を知らねば、害、自らに至る。及ばざるは、過ぎたるより勝れり」と。コロナの試練は、人類には良き教訓に。普通の生活の当たり前が、どれ程に有難い事だったかを、分相応に生きるという事が、どれ程に大事であるかを、身をもって思い知らされた。後は、この心を子々孫々まで、どう繋げていくか。
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