令和3年9月分 金剛寺住職短文法話集

陣中(コロナ自粛奮闘)お見舞い申し上げます     9月分手紙

読者女性が「昨年の秋口『そこまで委員会』で尊厳死、安楽死の議題が。2年前『全身癌激痛で親が安楽死を希望。余命僅かの人に我慢させる理由が』と投稿すると『私の親は泣き言など言わなかった』と反論メールが。同じ癌でも症状は様々なのに。安楽死、尊厳死の話が進まないのは、当事者でない人達が議論するから」と。安楽死、尊厳死は、日本では認められていないと思っていたが、ではなく、なかなか認可されないだけ、と。

【1995年、横浜地裁判決。「安楽死」4要件】

1,耐え難い肉体的苦痛               2,死が避けられず、死期が迫っている 

3,肉体的苦痛を除去、緩和するほかの方法がない   4,患者の明らかな意思表示

この時のこの女性(拙僧法話の読者)と、反論してきた方のやり取りは、拙僧も覚えています。拙僧の法話の中でのぶつかり合いだったので。拙僧も葬式を900人以上、その数倍の人の『生き死に』に携わってきましたが、同じ病気でも、激しく痛み苦しむ人もいれば、全く痛みのない人も。自分の経験を基準に自論を展開させ、相手を非難、批判、反論は、あかんよな、と当時、そう感じた事を鮮明に覚えています。この女性の言う通り、安楽死、尊厳死の議論をされているのが、例え、専門医であっても、そういう患者さんを相手にされている臨床医であっても、健康体で当事者(病人)じゃない人達(痛みを経験してない)が、議論してるんですよな。自分がその立場(痛みが耐えられない)になったら、どう希望するんだろうね。その立場(痛み苦しむ)の人達は、議論が出来ない(痛みで会話など、到底無理)から、この問題は永遠に平行線なんだろうね。難しい問題(命)ですな。読者が「住職はこの安楽死問題、どう思う」と。「人の生き死に、に関わっている関係上、常にこの事は頭を過ぎる。わが父も、激痛の中で他界を。その激痛は健康体の私には、到底わからん。何にせよ、正論の押し付けは、優しさが欠ける。本人が希望する選択権を認めてあげるも。が、これは難しい問題ですね」と。

【追伸、癌闘病による生き様】

江戸時代の禅僧、良寛さんが癌闘病の時に「貴方の様な高僧が何故、そんなに苦しむのですか」と。対し「裏を見せ、表を見せて、散る紅葉」と良寛さんが。曹洞宗開祖、道元さんも晩年、皮膚癌で闘病。拙僧の父もまた、晩年は癌闘病。その時、一部の心ない人達が「なんだ。信仰してても、癌になるんか」と。信仰すれば、死なん、とでも。大事なのは、生き様、なんだが。7月8日は、父の祥月命日(立ち日)。他界初七日の頃、夢に出てきた父が身長5m、墨の衣に金剛杖を手に持ち「我れ、行基菩薩なり。これよりは方々法話行脚」と。で、目が覚めた。その10年後に拙僧、出版社に拾われ、方々に講演、TV、ラジオと。夢とはいえ、父自身の姿を通し、私の今後を示唆かな。行基菩薩といえば、聖武天皇勅願大仏建立勧進を。行基さんが初めに寄付の声を掛けた相手が武士。が、けんもほろろに。が、行基さん、どこまでも、どこまでも、その武士の後を。堪り兼ねてその武士が「何故、そんなに付き纏う」と問うと「最初の1人目で諦めてたら、これからの長丁場、到底勧進など」と。

【生き様を教えてくれるが、戒名】

檀家爺様の7回忌で、この爺様の姉と思しき1歳で他界した100回忌の方が。爺様の子供達に「戒名が『〇〇院〇〇妙香孩児』、俗名は記されてないが、恐らくお名前は『妙か、妙子』だったかと。幼児に院号、とは珍しい。昔は余程、お寺や社会に貢献してないと、院号を授ける事などなかった。幼児の戒名は、通例『〇〇孩児』の4文字。孩児に院号など滅多にない、というより、拙僧は初めて見た。この家は恐らく、100年前は余程の名家か、祖父母、父母が、余程の貢献者だったんでしょうね。100年前は、お金を幾ら積んでも、お寺や社会に貢献がないと院号など、貰える事はなかった。自分の家のルーツを知りたいなら、菩提寺に残されているわが家の過去帳を調べた方が早い。戒名に使われている漢字から、先祖の職業、家柄、様々な発見が見つかる事が多い。拙僧の俗名は『博文』だが、戒名が『山本博文位』では、どんな生き方をした人か、どんな人間性だった人か、後世の子孫達に何のロマン(命のルーツ)も与えられない。家系の資料としても、戒名は大事かと」と。

【人材育成にまつわる話】

某地方銀行では、拙僧の知るところ、40年前から新入社員に数日間、掃除を。掃除をさせたら、その人の人間性や、仕事が出来るかどうか、だいたい分かると。それを参考に配置を決める、と当時の頭取さんが。先般、檀家の父と子(息子9歳)が、参拝後に寺内の庭掃除を。その親子の会話が耳に。「ちょっと来てごらん。掃除は見える所だけすれば、いいもんじゃないぞ。垣根の裏を見てごらん」と。「あっ、凄い落葉」「あの落葉をほっといたら、腐葉土になって何倍も掃除が大変に。人生も同じ。この意味、わかるか」「少しだけ」と。よか親子。

【追伸、寺の境内地での出来事】

これは、数年前の話。秋も深まってきた頃、檀家の小学生が1人でお寺へ遊びに。その時、拙僧は、銀杏拾いの最中だった。「それ、何」と、その男の子が。「銀杏だよ。んっ、・・ああ、そうか。君は、食べる時の銀杏しか見た事がないんだな。銀杏、好きかい」「大好き」「なら、手伝うか」「やる」「じゃ、ゴム手袋を付けな。手が荒れるからな」と。それから3時間。銀杏数百個を拾って、洗って、干して、銀杏拾った後の落ち葉の掃除を。「こんなに大変なんだ」と、その男の子が。「食べれば、一瞬だけどな。何かを得ようと思えば、それなりの努力は必要なんだよ。10日後に、またおいで、君が仕事した銀杏をあげるから」「今度、父さんを連れて来る」と。

【追伸、上記の銀行にまつわる話】

数年前、某地方商工会議所の講演に招かれ、この上記の銀行の話を披露。その時「この会場に、まさか、この銀行の方は」と問うと、1人の男性が手を挙げた。「ああ、おられたんですか」と。すると男性が「住職、今でも新入社員には、掃除をさせてますよ。機転が効く人間かどうか、掃除させれば一発で、わかりますもんね」と。

【追伸、役員の引き際】

知人社長が拙僧に「今、引き際を考えてる。どのタイミングがいいかな、住職」と。「その道の専門家が『忘れずに記憶に残る物は、好奇心を持てるもの、強い感動を抱いたもの』と。好奇心がなくなり、感動する事が少なくなったら、その時が引き際だろうね。記憶に残らないは必ず、周囲に迷惑を掛ける様になるもんね」と。

【追伸】

引き際で手本といえば、やはり、徳川家康公かな。息子に将軍の座を譲り引退を。秀忠公が「大名は皆、わしを『上様、上様』と呼んではくれるが、心は皆、駿府(家康公居住地)じゃ。が、10年も『上様、上様』と言われれば、その姿になってくる」と。代替わりは親が健在の時に、が最適。苦労して、叩かれて、次第に本物に。拙僧の父(先代)も、68歳で、私(当時37歳)に金剛寺住職の座を。当時、父の住職仲間から「そんな前例を作ってもらったら困る」と批判を受けたが、父は聞く耳持たずで私に座を。父曰く「頭の柔らかい内に手渡しておかないと、80歳を過ぎたら、俺がやってきたお寺だ、と執着が出てきて、必ず、お前に迷惑を掛ける事になる。時代、時代で、社会は変化する。古い頭は、控えて助力に回るがよか」と。その4年後、父は他界。

【今月のおまけ話】

長嶋茂雄さんが放つ言葉は、実に面白い。「サバって漢字は、どう書きましたっけ。そうでした。そうでした。魚ヘンに、ブルーでしたね」と。「勝負は家に帰って、風呂に入るまで、わかりません」と。長嶋さんの感性を読み取ろうとするだけで、頭の体操になる。凝り固まった自論を、打破させるには、これ程の参考資料はない。

【追伸】

会社内で「しかしですね、逆にですね」と、全てに自論を展開、相手を否定し続ける檀家若者が、遂に孤立してしまった。落胆してお寺に。「境内を見てごらん。落葉1枚落ちてないだろ。拙僧が毎朝2時間掃除を。君、箒とチリトリ持って境内を見てきてごらん」と。戻って来ると若者が「結構、落ち葉が」と。「そういうこったい。簡単に言えば、諸行無常の理かな。同じ場所でも、1時間経ったら、1時間前とは状況が違ってくる。考えていた事も、テレビ、ラジオ、人との会話等が、間に入れば、たった1時間で、考え方が変わる場合も。長嶋さんには『昨夜は、遅かった。ホテルに帰って、シャワー食べて、うどん浴びたら、もう12時でしたから』という言葉も。様々考察する事が出来る。何でもがそうだが、否定、批判から入ったら、得るものは何もないよ」と。


令和 3 年 9 月分 金剛寺住職(コロナウイルス関連)短文法話 【その18】

人間の欲に歯止めが効かなくなった時、天はそれなりの人物(その他)を下生させ、荒療治を成し、リセットを。戦国時代には、信長公を。第二次大戦では、ヒトラーを。14世紀には、ペスト(1億人死亡)を。1918年には、スペイン風邪(5000万人死亡)を。地球は人間だけの物といわんばかりに、圧倒的に多い他生物の命(生息領域)を軽視し、自然破壊を繰り返し続けた結果、生態系が崩れ、方々で天変地異が。『そうすれば、そうなる。そうなったのに、まだ、そうするか』を自身に問い掛け『分相応に生きる』を、見直す時期に。

下記は、読者の質問に応じた拙僧の返答集。コロナ発生初期から、移り変わっていく人の心情が鮮明に。自然災に限らず、人生においても考慮すべき質疑応答にて。今後の参考にしていただきますれば、と。

【令和2年5月中旬法話読者の質問に答えて】

読者が「家康公と三成公、勝敗の鍵は何だったと思いますか、住職は」と。彼の質問の意図が見えたので「人の心の掌握の差かな」と。「と、いうと」「三成公は、その生き様から正義の人、という印象が。正義、正論を押し付け過ぎれば、自ずと優しさが欠ける。人間は基本、未完成にて。欠点を必要以上に付けば、人心は乱れる。戦う相手は、コロナにて。人間同士の批判合戦、しとる場合ではないよ」と。仏教説話に、毒矢を射られた王様が「矢を抜く前に、誰が、どこから射たか、を確かめよ」と。対し、家臣が「その詮議は後の事にて。矢を抜いて治療しなければ、命を落としまするぞ」と。コロナ問題も、それに同じ。皆々、今少し冷静に対応を。

【追伸】

関ヶ原の勝敗の鍵は、豊臣子飼の大名達の心を掌握した、小山会議に尽きる。皆、リスクを背負って、この戦いに。あちらを立てれば、こちらが立たず、と。全てが丸く収まる解決方法など、どこにもない。人間は皆、自分にとって、都合が良いか悪いかで、是非の判断をする。家康公は重臣に「博打を打たずに、天下を取れた者がおるか」と、小山会議で大博打を。秀吉公の正室ねね(北政所)さんが、もし、関ヶ原の前に「家康を討て」と号令していたら、もし、豊臣秀頼公が光成公の陣に参陣していたら、小早川秀秋公の裏切りも、豊臣子飼いの大名が槍を向ける事も、恐らく。そうなれば、間違いなく徳川の天下はなく、日本の歴史も全く違った方向に。

【令和2年5月下旬法話読者の質問に答えて】

アルツハイマー新薬が、米国で承認を。痴呆症の中で、アルツハイマー型が約7割。平均的な患者で約600万円の年間治療費が必要。完治ではなく進行を止めると。初期治療が大事と。何故、痴呆者は凶暴になるのか。基本、病気から怠け者となり、行動が億劫になっているのに「あれしろ、これしろ」と。で、イラついて、暴力的に。拙僧の祖母も晩年痴呆症に。外野から見れば、明らかにおかしい事を言っているが、本人は超真面目にて。それを否定すれば攻撃的に。「痴呆の方は、否定するが最もあかん」と主治医から。これは、参考に。

【追伸】

アルツハイマー病新薬「アデュカヌバム」は、米国のバイオジェン社と日本のエーザイ社が共同で開発を。4週間に1回投与で、1回が47万円。高額が難点。日本が早く保険適用を認可してくれれば。因みに、癌治療の光免疫療法は1回約600万円。が、昨年11月保険適用で約30万円に。 日本の認知症患者の将来推計、2025年には、730万人超え。65歳以上の5人に1人が認知症になると予想。他人事では、ないですよね。

【目の不自由な方からの要望で】

5年程前に、息子から「最近の人達は、本を読まない。だけど、ツイッター法話なら短文だし、読んでくれるかもよ」で始めた法話が現在、2200話程に。この度も息子から「目の不自由な方々に、生声法話を。10分程度で」の進言で現在、『Spoon』なるアプリ(天徳山金剛寺)から、70話ほど投稿を。『この法話投稿(ツイッターなど)では、布教(勧誘)は、絶対にやらない』を『モットー』に、人生の参考資料としての活動を。

【今月のおまけ話。夫婦関係改善に失敗した話】

無駄足とは承知で、ご主人に懇願され、離婚解消の嘆願の為、拙僧、奥様の元へ足を。奥様曰く「ご住職は、本気で仲裁に来られたのですか。あの人はこの度、絶対踏んではいけない私の地雷を踏んだんです。これまでにも、結婚後は、私を長年所有物扱い。釣った魚に餌を与えない姿勢を貫き、私の親を、親とも思わず、結婚以来27年間、1度も私の里へ足を運んだ事が。覆水盆に返らず、です」と。この手の離婚話に立ち会ったは、拙僧、約30年で20組以上かな。奥様が1度、旦那様を嫌ったら「同じ部屋で同じ空気を吸うのも、吐き気がする」と。我慢の限界まで、我慢しての決断にて。回避は、ほぼ不可能。晩年まで連れ添った夫婦でも、同じ墓に入るは真っ平ご免も、来世では違う相手と結婚したいと望むも、奥様の方が圧倒的に確率は高い。いったい旦那さん達は、奥様に何をしてきたんだろうね。間に合いそうな旦那は、急いで心を悔い改めましょうや。但し、昨今は、この逆(奥様に問題有りが高め)の相談のケースも、ちらほらと。因みに、昨今の離婚率は4割と。その4割の中の比率は、恋愛結婚での離婚が8割、見合い結婚での離婚が2割、と。拙僧が離婚相談を受け、離婚した夫婦の馴れ初めは、全て恋愛結婚にて。それも親に猛反対された結婚が大半。全面的に親の意見が正しいとは言わないが、少しは耳を傾け、熟考する事も大事かと。見合い結婚の場合は、少なくとも、親が了承した結婚にて。

【四国巡拝に同行された奥様】

25年間、夫婦の会話がないという奥様が、縁あってわが寺の四国巡拝に同行を。巡拝中、全くご主人に連絡をしない奥様に「ご主人に『このご縁を許して頂きまして、有難うございます。1週間も不自由をさせて申し訳ありません。明日、戻ります』とメールをしてあげなさい」と。それで、渋々。次の日『了解』と返信が。後日、その奥様から「帰宅すると、主人の態度が一変してました」と。さてさて、何が原因だったんかいな。

【追伸】

法話読者女性が「サボテンの花が咲かん、と文句を言う友人に『サボテンは、人の声を聞き分けるそうだよ。優しく話し掛けてごらん。そうすれば、花が咲くってよ』と。友人は馬鹿にして、信じてなかったが、翌年『本当だった。咲いたよ』と友人が。対し『へえ、やっぱり聞き分けるんだね、サボテンは。なら、今度は、旦那さんに、優しい言葉を掛けてあげたらどうね。もしかしたら、心を開いてくれるかもよ』と、その友人に」と。

【コロナ期に結婚を申し込んだ男性】

檀家男性が「住職。何度彼女にプロポーズしてもよい返事が。嫌われてる風では、ないんですが」と。拙僧は彼女の事を全く。口を出す立場では。そんな折、彼女の方から拙僧に「彼が『僕の良きパートナーに』と。彼はいつも求める事ばかり。どうもそこが引っ掛かって」と。「そうか。了解」と。後日、この男性を呼び出し「彼女に何と言って、プロポーズしたんかい」と尋ねると「僕のよきパートナーになって下さい、と言いました」と。「なって下さい、か」「いけなかったですかね」「言葉とは微妙なものでな、『僕の為にこうして下さい』と『あなたの為にこうしたい』では、大きく印象が変わってくるんだよな。一生を賭けての判断だからな、女性の結婚は」と。1週間後、男性から「住職がおっしゃられた通りでした」と喜びの連絡が。後日、2人でお寺の方へ。この男性に「女性は結婚式までは、夢見る夢子ちゃん。が、これはあくまでも仮の姿。結婚相手を決定する前から、現実主義。女性にとって結婚相手を決めるは、競馬で馬券を買うに同じ。どれが勝ち馬か、負け馬か、を真剣に見定めにゃならん。たった一言の言葉、たった1つの仕草が、その判断の材料に。女性にとっては、一生一代の大博打やど。先日、こんな話があった。檀家60代奥様が『住職、夫がある日突然、私に優しくなって』と。対し『何となくだが、拙僧も気付いてたよ。何か、後ろめたい事でもしたのかな』『気持ち悪いから住職、今度、聞いてくれない』と。後日、話す機会があり、その話の流れからご主人の方から『実は住職、家内が先立つ夢を見てな。辛くて、寂しくて』と。この話を奥様に。夢というは、有難いと、思わんかい」と、この若い2人に。

【おまけ話のおまけ】

江戸時代の禅僧良寛さんの庵に1人の旅人が。「よくおいでに」と足洗い桶を良寛さんが。翌朝「これで、洗顔を」と、昨晩使用した足洗い桶を。躊躇する旅人に「早くしてくれんかい。その桶で米を洗わんといかんのでな」と。良寛さんは、いったい、何が言いたかったのかな。禅のお坊さまは、心の中枢を突いてくるよね。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。