平成29年5月分法話 後世に受け継がれてきたものの意義

 先日、檀家さんの葬式がありまして、その弔問客の一人から「このお経とわが宗の教えを読んでください」と数冊の資料を手渡されました。葬儀後の法話中「えろう熱い視線を向けられておる方がおられるな」と気になっておったのはおったんですがね。よくよく聞いておりますと、私のことを知っておられたみたいで、要するにその宗団へ勧誘したいみたいだったようですな。・・・んんっ、ね、私は他宗のお寺の住職なんだけどな。しかし、すごい信念だと思いませんか。生きとし生けるものの中で、今日しなければならない事を何らかんらと屁理屈をこねあげて明日や明後日に延ばそうとするのは、唯一人間だけですもんな。加えて嘘をつくのも唯一人間だけ。そう考えたらこのお方の実行力はすごいわな。「このお経とこの教えでないと絶対に人は救われない」と、2時間にも渡って他宗やその教えをぼろんけちょんに否定しながらご説明をされましたもんね。「へぇ、葬式後に2時間でっか。ようそんな長々とお付き合いしましたな」という声が聞こえてきそうですが、講演会なんかに呼ばれますと、長い時で3時間ほどの質疑応答もありますんで苦になることはありませんが、但し、講演会で質問される方々はさすがにそれなりの方々でして「恐らくここにおる参加者が聞きたいだろう」という質問を見事に推測してぶつけてまいります。「なんじゃ、そりゃ,何のことかさっぱりわからん」とみんなが毛嫌いする様な難解な仏教用語説明を求めたり、特定の知識や知恵を持たなければ理解出来ない様な質問などは決してしてきませんもんね。所謂、わが宗、第二世管長猊下がおっしゃられた「小学生でもわかる法話は、大人ならもっとわかる」ですばい。話を戻しますが、そりゃ、もうくさ、このお方、他宗をけなすわ、けなすわ、どこ押しゃそれだけの言葉が口をついて出てくるのやら。各宗がそれぞれに支持するお経さんや教えは、全てお釈迦さんのお言葉を形として表されたもの。つまり、間接的にお釈迦さんをけなしておるに同じ、なんだけどな。どうも気づかれてないみたいで。

ひとしきりお聞きした後でこうお話をさせていただきました。「あなたの信じておられる教えが素晴らしいことはよくわかりました。ただ、人間は十人十色にて、その価値観は親子兄弟、友人であろうと異なっておるもの。自分がよかと思うものを、相手もよかと思うとは限りませんよ。それぞれ人は生まれも違えば、生き方も違うし、おかれている環境も当然違っております。その人の能力と性格によって、天職とする仕事が違ってくるのと同じようにですね。自分勝手な決めつけや、偏った考えは、宗団選びに限らず、全てにおいて人が離れていく原因の一つになりはしませんかな。それとあなたがとうとうと話された他宗団批判ですが、こればっかりは感心出来ませんな。お釈迦さんが何故に十大弟子を持たれたと思われますか。「自分にに応じた羅針盤を選んで人生を有意義なものにして下さい」と敢えて門を広げられたもの。数百年も、千年以上も続いておられる宗団は今日まで、一人が持ち届けてこられたものではありませんよ。その時代、その時代において関わってこられた方々が、その時代の荒波を乗り越えて、必死に守って後世へと繋いできてくれたおかげ。その役割を担われてきた方々に対しても、また、その教えを信じ、糧にして、人生を必死に生きてきた、あるいは生きていこうとされている現在、過去、未来の信者さん方に対しても、表面の浅いところだけを見て批判するというは、大変失礼なことだとは思いませんか。信仰に限らず、まずは相手を認めることから始められては如何ですかな。新たな発見があるかもしれませんよ。人の話を聞かない人は、人からも話を聞いてはもらえないと、思いますよ」と。

まあ、その方との会話の中でふと思ったのは、その葬式の主人公であるお婆ちゃん(故人)からの試しの問いかけだったんじゃないのかな、と。「なあ、英照さんや。私達夫婦は子供もおらんし、親戚も誰一人としておらん。今後はあんたさんに頼るしかない。こんな話を持ち掛けられてもぶれずに、しっかりと私達の供養をしていってくれますかいな」とね。

価値観といえばくさ、先日京都から帰省の新幹線の中で桂川に差し掛かった折り「400年前、ここから光秀公は本能寺へと向かったんだよな」と女房殿に言うと「なんね、すぐやん」と。「・・・、んっ」と。ついさっきですな、「俵屋宗達と酒井抱一」を拝観している最中「この時代の人達と、現代に生きる人達とは、時空間の感覚に相当の差があるだろうね」と話したばっかりなのに。そりゃくさ、車で走れば桂川から本能寺まではすぐだろうけどくさ、15000人の家来を連れての進軍だからね、そりゃ、あなた、ね。わが女房殿は基本、とても賢い女性なんだけど、たまにこんな「すかたん」をやらかします。まあ、それが心をほっとさせる私の癒しにもなってるんですがね。以前、結婚前の話ですけど、福岡県宗像の鐘崎というところを車で走っていた時、「ここは海女さんの発祥の地なんだってよ」と言うと「へえ、そうなんだ。こんな海辺の近くからね」と。「絶対、勘違いしとるな」と詰めて尋ねてみると案の定ですばい。「海女」さんと「尼」さんを間違うとりました。坊主の私が放った言葉だから、そう思ったんでしょうがね。実に、笑いが絶えない女性です。

ところで、その「宗達と抱一」ですが、京都国立博物館に「風神雷神図屏風」を見に行ったんですよ。詳しいことは省きますが、時代を一世風靡した「琳派」は、その非凡な意匠感覚から「光琳模様」という言葉を生み出したように、つまり「模写」をその基本としている一派なんですよね。このユニークな図様(風神雷神)の原案は、国宝である宗達(江戸時代初期)のもの。それを光琳(江戸時代中期)が模写し、光琳の模写図を抱一(江戸時代後期)が模写。少しづつは特徴に差はあるようですが。しかしながら、やはり先人の知恵や知識、技術を大事に受け継いできた人達(組織)はそれなりに成功して、後世に残っておりますな。先人の教訓といえば小耳にはさんだ程度の話ですが、京都の町の中には、正月三が日は一休さんが杖の先に「しゃれこうべ」をつけて「門松は冥土の旅の一里塚、・・・」と練り歩いて来るからお店を開けないという老舗があるんだとか。今日まで栄えてこれた長年の伝統を重んじるとともに、正月様(各家のご先祖の集合霊)をお迎えする側としては「尽くす」ということを徹底されておられるのかな、と。また、大阪船場の地では先祖代々の暖簾(のれん)を永劫に守り続ける為に、甘えの出る息子を跡取りとせず、娘に婿養子を迎え入れるんだとか。確かにその方が、「自分の代で潰しては申し訳ない」と必死になるでしょうからね。そう考えたら「論より証拠」ですな。何百年も守り続けられてきたものは、先人の功績があればこそ。それを無視したり、けなすような言動は当然慎むべきでしょうな。最近はいつ火が付いたのか、ハロウィンなるバカ騒ぎが流行っておりますが、本来は宗教的行事にて、10月31日の夏の終わりに出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために成されているもの。その本来の意味を知っておったなら、ね。外国の行事もいいけど、まずは生まれ育ったこの日本の歴史をもう少し勉強して興味を、ね。ありますばい、この国も、よか伝統が。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。