平成29年6月法話  自分本位の人間が大半を占める世の中って。


 いやあ、なんですな。最近頻繁に菩提寺であるお寺との揉め事話を持って愚痴を言いに来られるお方が増えてまいりまして。ニュースや新聞紙上では聞いてはおったんですが、直に耳にするのはそれぞれが初めてのことでして。その驚き話とはこうですたい。檀家寺を持たない親類が「どこでもいいや」と近くのお寺さんに葬式を頼んだところ、方々のお寺のご住職を何と10人も連れてきて、一人60万円、合計600万円の請求(お布施料)を突き付けられた話だとか。それも戒名料は別途請求だったとか。檀家寺に永代供養をお願いしたら、本来故人一体200万円の供養料に対し、300万円を請求された話だとか。ちなみにわが寺の約10倍で、その永代供養料を教えた途端そのお方、金剛寺に檀家替えを願われてこられましたが、丁重にお断りをさせてもらいました。断った理由はこの先のお話を参考にしてくださいませ。他には、お墓(納骨堂)の移転を願い出たら、「離檀料」として300万円、お寺によっては900万円を請求された話だとか。一般仏教界の常識相場では、離檀料というは30万円から50万円なんだそうですな。「なんだそうですな」という言い方、ちいとおかしいでっしゃろ。わが寺はもらっていないのでニュースで知るまでは「離檀料」という言葉さえも初耳でしたんでね。しかしこれは、お寺側が「お金が欲しい」というよりも、檀家さん離れを防ごうとしているのが本来の意味合いだそうですね。何せ、お寺の経営は大変ですもんね。さらに今一つは、本年3月分法話に書いてあるように、お寺側からいきなり「家族葬にしなさい」と指示され、何と葬式前に焼骨、葬式に8人の伴僧さんを連れてきて「一人につき、5万円払え」と。おまけにその日のうちに遺族を一人も立ち会わせず遺骨をお墓の土の中に埋め込み「このことは他言してはならん」と釘を刺された話だとか。にわかには信じがたく、耳を疑いたくなる話ばかりですが、よくよく話を掘り下げて聞いてみますと、お寺のご住職さんの資質ばかりの問題ではないようでしてね。要するに、ご住職さん方がそうするからには、そうするだけの理由があった、ということですたい。何年も、何十年も先祖(遺骨)を預けているお寺に足も運ばず、連絡も取らず、ほったらかし状態。用事が出来たとやって来て、「葬式をさせてやる」と言わんばかりの横柄な態度。そりゃ、ご住職さんも「どうせこの人たちは、今後もわが親をほったらかして、お寺に丸投げする気なんじゃろ。そんなら初めから、それ相応の対応と供養料をいただいとけ」となられたんじゃないのかな、と。ご住職さんがそうなる気持ちは、私にもわからんことはないんですな。私どものお寺にも、過去にはそのような檀家さんが少々ですがおられてですな。そんなこんなから納骨堂を永代契約してもらうときには、「金剛寺の納骨堂は姥捨て山みたいに、いらんものを捨てる場所ではありまっせんよ。何年も預けたままほったらかしたら、遺骨は突き返しまっせ。預かる方も真剣に預かるんですから、預ける方もいい加減な気持ちで預けてくださいますな。それが出来んのなら、初めから契約はせんことですな」と厳しく言い渡しております。現在は特にそういった人たちが増えておるからですかな、「その場さえ取り繕えられれば、それでいい」という「お坊さん便」なんてものも出てきておるようでして。

菩提寺と檀家さんの関係だけに限らず、親子の関係、親戚の関係、町内の関係、上司と部下の関係など、全ての人間関係が「インスタント食品」のような簡単にことを済ませる薄っぺらいものになってきておるようでして。まるで、根のない切り花ですな。根さえあれば次の年も、またその次の年も、咲いてくれるだろう花を楽しみに待つことができますが、しかし、根付けをしたら肥やしも水も与えにゃならん。面倒くさい、ってなもんでしょうな。こうした考え方がこの国の根幹を揺るがしている「結婚、出産、子育て」の問題にも露骨に表れておりますな。個人の価値観や信念なんてもんは、万人に通用するもんじゃありません。共感してくれる人もおれば、共感してくれん人も当然おらっしゃります。しかし、少なくともトップと言われる人たちは、その信念がぶれたらあかんですよね。その都度、その都度、コロッコロと変わられたら、周りはそれに振り回されてくさ、そりゃ大変ですばい。そのトップの信念に対し「自分の考えとは違う」と部下が思ったとしてもくさ、そのトップの考えに「ぶれ」がなければ、周りはそれに合わせて調整をしていけば済むことですもんな。

ところで余談ですが、調整と主観と言えばくさ、以前あるケーキ屋さんに入った時、お客さんとお店側との間の揉め事に遭遇しましてね。話はこうですばい。「アルコールを使っていないケーキを下さい」とお客さん。出されたケーキを見て不信に思い「このケーキ、本当にアルコールは入っていませんね」と再確認。恐らくケーキの照かり具合を見て疑問に思ったんでしょうな。すると厨房から店長が出てこられ「ほんの少量ですので、気にすることはないですよ」と。その瞬間、お客さんの顔が一変ですばい。「私はアルコールの入っていないケーキを出してくれ、と頼んだんだ。誰があなたの尺度で判断してくれ、と言ったかね。私はアルコールアレルギーを持ってるんだ。そう頼むには、頼むだけの理由があるんだ」と憤慨してお店を出て行かれました。「そんなに怒らなくても」とは思いましたが、だけんどその気持ち、わからんこともないんですよな。実は私もアルコールは1滴も駄目でしてな。常々同僚から「お前さんはお寺の仕事を半分出来んのと同じだな」と言われておりますもんね。だけんどくさ、ケーキ屋さんに行ったらいつも思うんですが、何故に「このケーキはアルコール含まず」と表示してないのかな、と。最近はケーキに限らず、特に洋菓子系統は軒並み洋酒入りですもんね。私たちのような体質のもんには食べたくても、ですな。すいませんな。愚痴を言ってしまいました。今でこそアレルギーは社会問題になっておりますが、それこそ以前ですが、檀家の息子さんで「そばアレルギー」の子がいましてね。親が担任の先生に「どうか、くれぐれも」と頼んでおったにもかかわらず、「そんなことあるか、気持ちの問題じゃ」と無理矢理食べさせ命を落としかけたことが。担任の先生が交代することで大事には至りませんでしたが。主観だけによる無知の個人的な尺度は大怪我の元ですな。

長い余談でしたが話を元に戻しましょうかね。先ほどのご住職さんたちの行為ですが、勿論、プロとしては褒められたものじゃないですが、檀家さん側も常日頃のいい加減な態度を改める必要がありますよね。先日も他宗のあるお寺のご住職が「檀家さんが親が他界したことを私共お寺に知らせもせず、遺骨だけを宅配便で送りつけてきおった」と落胆の電話が。また別のご住職は、「檀家さんが故意に親の遺骨を電車の中に置き去りにしおった。それもわざわざ住所と故人の名が記してある埋葬許可証を抜き取って。遺骨を持って来んので問い詰めるとそんなことを。現在駅の忘れ物置き場にはそんな遺骨が少なからずあるそうですな」と呆れ返った口調で。産んで育ててもらったことの恩も、感謝も、情もない自分本位の人間が溢れかえる世の中って、いったいどんな世界になるんでしょうかな。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。