平成 29 年 8 月分 金剛寺住職による150字短文法話
「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自信が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。
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0015 「エスカレートする欲を抑え、本当の安らぎを」
苦しみの根源はいったい何。贅沢したい、夢を叶えたい、など。この「たい」が叶った時はいいが、叶わなかった時は全て苦しみに変わる。苦しみたくなければこの「たい」を必要以上に望まんこと。うんこ、しっこが出る。ご飯が食べれる。この当たり前と思っている事が出来なくなった時こそが、本当の苦しみ。欲は程々に。
0016 「目を閉じる時に、その人の人生の結果が」
交通会社の方が低予算の行程希望を受けた場合、一泊目のホテルよりも、二泊目のホテルで満足感を与えさせるという。納得だね。人生も同じかな。若い時に散々苦労しても、目を閉じる時点で幸せなら、若い時の苦労は良き思い出に。神仏は「忘れる」という素晴らしいものを人間に。目を閉じる時に後悔する程辛いことは。
0017 「世の中には「必要悪」という言葉が」
石川五右衛門は時世で「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の数は尽きまじ」と。政権打倒を試み、秀吉公の命を狙って京都三条河原で釜茹に。作者不明だが「悪に強いものは善にも強い。中途半端が一番悪い」と。とことん悪い事する者は、心入れ替えればとことん善い事をすると。善悪問わず世に名を残した人は、後世に教訓を。
0018 「離婚の度に相手の悪口だけを言う人は、バツを繰り返すかな」
バツ2、バツ3と、繰り返す人達がいる。こういう人は多分に相手の悪口だけを。3対7、4対6の比率はあっても、基本喧嘩は両成敗。自身の反省がない限りいかに相手が変わっても、結局いつかは同じ状況を作り出す。隣の畑は良く見えるで、目先が変われば上手くいくとでも。次から次に信仰を梯子する人達も、また同じ。
0019 「天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿」
方々のお寺には、何故か狸の置物が。狸は一夫一婦制でお互いを非常に大事にするそうで。車に引かれた伴侶を2ヶ月近くも現場を離れず見続けていたという例も。私も今年で結婚29年。女房殿は何でも話す事が出来る大親友にて。なら、大事にするでしょ。「結婚は人生の墓場」という人が。誰が墓場に。狸に恥ずかしいよ。
0020 「子供は国の宝にて。親の、家の、所有物ではない」
友達の家を出る時、おばちゃんが蚊取り線香を。帰り着いてもその子は火が消えるまで家の周りをぐるぐると。「おばちゃんに悪いから」と。人間は「腹を立てた時、追い込まれた時、人が見ていない時」にその本性が表れるといわれている。釈尊が「人は生まれを問うな、育ちを問え」と。この子を育てた親の顔が見てみたい。
0021 「人生でやり残している事は、直接の人の世話。と、老人介護の世界に」
数年前、セメント会社元社長夫妻が来寺。多忙で親の介護も出来ず見送ったと懺悔を。第二の人生と老人ホームへ面接に。受けてびっくり、理事長が元部下。恐縮する理事長に頭を下げ入社。大学出たての理事長息子から毎日頭ごなしに叱咤。「昔は私も同じ事を」と猛省。社員二千人の長だった方が一から、出来る事じゃない。
0022 「秀吉公の本当の敵は、人間一人一人の欲だったかも」
人は皆全て利潤で動く。その大小はあっても。自分にとって都合良ければ正義、都合悪けりゃ悪の判断。世間の善悪基準は関係ない。秀吉公が半島に兵を向けた理由の1つがこれ。大名に分け与える土地がなくなったから。その秀吉公が晩年「起きて半畳、寝て1畳、天下取っても2合半」と。人間、個人が持つ器はその程度と。
0023 「大事なものは、目に見えないものが多い」
大手食料品店ハローデイ代表取締役社長、加治敬通様から頂いた手紙の中に「私は社員教育で常に『親も先祖も大事にしない者が、人生を成功させたを未だ1人も見た事がない。この命の源に感謝が出来ん者が、お客様を大事にするはずがない』と厳しく指導を」と。確かに、感謝の出来る人の周りには、必ず多くの人な支えが。
0024 「両手合わせて焼香、念仏。誰でも出来る。本当の供養とは」
先代(父)の一周忌の時息子が「今日学校行ったら駄目かな」と。「何で」と問うと「爺ちゃんは口を開けば、学校は楽しいか、友達は、勉強は、とその事だけを。法要参列も大事だけど、爺ちゃんが一番喜ぶのは、僕が勉強する姿かな、と。焼香は帰ってからでも」と。父は孫にこんな心を。先祖を安心させる姿こそ、本当の供養。
0025 「子供は、親が育てただけしか育ってませんよ」
自分が育てた子供の文句を言う親が。オギャーと産まれた次の日に突然20歳になる子供はいない。蛙の子は蛙。トンビは鷹は産まない。その親が育てる環境の中でわが子は育っていくわけだから。親は棚の上に挙げた荷物を一旦降ろして、それを参考にに育てていけば、鷹に近いトンビが育つ事も。子供は育てただけしか育たん。
0026 「家の中にお金がなけりゃ、泥棒は来んよ」
国政策理解不足で檀家老人達の中にも銀行に預金せぬ者が。そこで「泥棒の思う壺。危ない橋を渡らずとも各家に照準を合わせた方が簡単に手に入る。傷害事件にならない事を願うばかり。基本、世の中は狐と狸の化かし合い。お金の奪い合いが経済。色々と不満はあってもお金は銀行に。家にお金がなきゃ、泥棒は来んよ」と。
0027 「知っておっても、動かにゃ知らぬに同じ」
何でも親頼みの男性に「学生は勉強せにゃ成績が伸びんは1人残らず知っとる。花瓶の花は水を注さにゃ枯れる事も。親孝行しなきゃならんことも。知らん者は一人も。するか、しないか、それだけ。人が唯一出来ない事は、他人の人生を歩む事。他人の人生まで何とかせい、とは言わん。が、自分の人生くらいは、自分で」と。
0028 「手を変え、品を変えて、人は導かんとな」
檀家の子供が「仏さんって、何故あんなに沢山いるの」と。「例えば、君にとって私は寺の住職。私の奥さんからは主人。わが子からは父親。同じ人でも立場変われば、呼び名も役割も。人は厄介な生き物でね。病気平癒なら薬師、子孫繁栄なら地蔵と、姿を変えてあげんと。肩書きに左右されるから人は。仏も大変なんだよ」と。
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