平成29年12月分 金剛寺住職短文法話

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。

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0071  「親離れ、それとも、子離れ、かいな」

数十年前は大学受験に親が付いてくるなんて。ところが数年前からは、男の子の受験にまで親が。その頃の親がスライドかな、最近は入社式にまで。会社側も気を使って、何と親の席までも。その絆の強さからか、何かあったら泣きついて何と親が会社に辞表を。落胆して相談に来る親バカさんに「親は必ず先に死にますよ」と。

0072  「縁に出会って、縁に気付いて、縁を活かせず」

諺に「この親にしてこの子あり」と。中にはこの親から何でこんな良い子が育ったか、というケースも。どうもこの世は、その人に欠けているものを補ってくれるように縁が流れているようで。「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の言葉もその例の1つ、かな。但し、その縁に出会って気付いて活かせるかは、本人次第だが。

0073  「礼節を重んじていた日本人は、いったい何処へ」

四国では地元の方が巡拝者に食べ物を分け与えてくれる「お接待」という風習が。ところが最近、そのお接待をされる方々が極端に減少。理由は巡拝者のマナーの低下とか。捨て散らかしたゴミは地元の方々が後始末を。神社仏閣参拝は専ら観光が目的。手も合わせず、賽銭も打たず、おみくじだけ。日本人の礼節心は何処へ。

0074  「騙す方が悪いに決まっとる。が、騙される側にも責任あり」

「数十万、数百万とお布施を積まにゃ災難に遭うぞ、病気になるぞ、命を落とすぞ」と。「ちょっと待て、ちょっと待て、お坊さん。本来、布施って何ですのん」って話。となると、救われる人は基本お金持ちだけかいな。釈迦も、達磨も、各宗祖も、脅して人を導いたなんて話、聞いたことないがな。導かれる側も少し考えよう。

0075  「2500年前に示された教えが、最近になって立証」

以前、うつ病患者が次々お寺へ。皆30才以上の男性で、付き添いはいちいち横から口を挟む母親。「ちょっと黙らんですか。本人に話を聞いとる。この子がこうなった理由がよくわかる。君な、ゆっくりと深呼吸してごらん。脳内からセロトニンが分泌され心が落ち着くから。これは医学的にも立証。釈尊が示した禅の道だよ」と。

0076  「今の世を守ってくれた多くの命に感謝を」

戦中に最前線部隊を指揮していた檀家爺様が終戦日を迎える度に「戦闘に出たら夕刻には多くの部下が。チューンという音と共に若い命が次々に。中でも辛かったは、わしの足となってくれてた馬じゃ。撃たれて瀕死の状態に。苦しませない為、眉間に銃を」と。そこまで話すといつも嗚咽状態にに。多くの犠牲によって今の世は。

0077  「追善供養は御礼報謝、先祖を忘れない為の法要にて」

年忌法要は、1周忌、3回忌、7、・・50回忌と、えろうあるな、と。その方の恩や存在を忘れない為。親族の絆、安泰を再確認するが為。私はこの他に毎年、父の年忌を8回忌、9回忌と。その都度遠方の子供達に「今日は爺様の祥月命日10回忌。今ある幸せは全て爺様のおかげ。九州に向かって手を合わせよ」とメールを。

0078  「ガサツな人間は、あかんですな」

女房殿を待っておると、1人のおばさんが店頭カートの中にある特売品を取っては投げ捨て、取っては投げ捨てを。その扱いの何と荒いこと。男性にはあまり見かけない光景だね。睨んで見ておると気付いたのか、慌てて品を置き直し他の店へ。横にいた娘に「お前はまさかあんな事やってないだろうな。誰かが買う品物だぞ」と。

0079  「四国遍路で、あの清原和弘さんと偶然に遭遇を」

人は追い込んでも、追い込まれてもあかん。人間は基本、弱い生き物。弱いからこそ強がって見せる。存在が大きければ大きい程、弱い姿を封印。昨年の四国巡拝の折、ある札所のお寺で歩き遍路の清原さんと遭遇。声は掛けなかったが、足を引き摺り歩くその姿は真剣。何かを絶とうと葛藤していたのかな。今思うと、ね。

0080  「親子、兄弟、夫婦などの近親間でも絶えぬ喧嘩」

日本と外国では商談の考え方が全く違うようだ。特に追加注文は。日本はラッキーと割引をするが、外国では「もう利益は得た。これ以上に働けと言うなら倍額出せ」と。「ウサギとカメ」の話も。外国ではウサギを起こさなかったとカメを痛烈に批判。これ程に見解の不一致。余程話し合わんと折り合いはつかん。外交は大変だわ。

0081  「主人側の親だけが親じゃない。女房殿の両親も大切に」

妻の両親を我が家で世話する事が決まった時に娘が「何故」と。「嫌か」と聞くと「私は嬉しい。だけどお父さんの負担が」と。「有難う。が、母さんは女性だけの姉妹だろ。そんな家庭の娘さんをお嫁さんに貰おうとする男性は、その両親を見る腹がないんなら、初めっから結婚しようとは思わんことだな。そう思わんかい」と。

0082  「通夜、葬儀での法話は、故人の最後の説法を坊主が代理で」

通夜、葬儀後の説法には必ず「母死んで拝む両手があるなら、生きてる内に肩一つ揉め」の言葉を。死後に手を合わせ線香、誰でも出来る。が、老いた親を世話するは大変。我がままに加え、下の始末まで、汚い。だけどそんな体に誰がした。産んで育ててもらって、家の為に尽くしてきた挙句の果ての姿がそこに。今一度心に。

0083  「幸、不幸は表裏一体。幸せな時にこそ、気を引き締めよう」

「縁起のよい言葉を」と求められ住職が「家の外ぐるりと囲んだ貧乏神」と。憤慨して文句言うと下の句に「福の神外へ出られず」を添えられ一言半句返せず。災い転じて福となすだね。逆もまたしかり。おみくじ大吉を喜ぶ人は数多。が、後は落ちるだけ。順風満帆の時にこそ油断の心に魔の手が忍び寄る。余裕ある内に備えを。

0084  「地球は人間だけが生活しているわけじゃなかばい」

地球上で人類が生活を許可されている領域って何処までかいな。自力で呼吸が出来る範囲かいな。なら、上は8848mのエベレスト、下は素潜りが出来る深さかいな。その範囲内でも他の命との共存が。領域外においては、どうしても踏み込まなきゃならん用事がある時には、そこで生きている命に迷惑を掛けたらあかんよね。

天徳山 金剛寺

ようこそ、中山身語正宗 天徳山 金剛寺のホームページへ。 当寺では、毎月のお参りのほかに、年に数回の大法要も行っております。 住職による法話も毎月のお参りの際に開催しております。 住職(山本英照)の著書「重いけど生きられる~小さなお寺の法話集~」発売中。