天徳山金剛寺

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令和7年10月 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。【はじめに】10月1日は、アントニオ猪木さんの祥月命日(立ち日、2022年、行年80歳)ですね。あの「イノキ、ボンバイエ」の入場曲は、モハメドアリさんから貰った曲だそうですね。それと、10月5日は、達磨大師のご命日。武者小路実篤さんが「桃栗三年柿八年、達磨は九年、俺一生」という言葉を。桃や栗はその年数で実らせ、達磨は九年で悟りを。が、俺の修行は一生と。猪木さんも死ぬまで挑戦を。令和 7 年 10 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?【本文】読者の若者が「番組『アメトーク』で先日、さんまさんが『現状維持が、最も難しい』と言ってたんですよね。が、現状維持(現在の流行も)は、今が頂点。後は、落ちていくだけ、と思うんですが」と。対し、拙僧「例えば、だよ。後から入る人の為に、風呂のお湯をずっと40度に保たせるには、追い焚き機能を常に発動させておかにゃならんだろ」と。「ああ、なるほど、そういう事ですか」「そういう事かな。その番組、拙僧も見たよ。さんまさんが言ってたでしょ。『現状維持を続けていく為には、果敢に挑戦していかなきゃ、現状維持を保つ事は出来ないもんね』と。人間は徐々に歳も取っていくし、時代も変わっていくし、現状を維持するというは、そう簡単なものではないと思うよ」と。対し、この若者が「さんまさんといえば、60歳で引退すると、明言されていたでしょ。だけど、爆笑問題の太田さんが『いやいや、続けて下さい。このままやめられたら、カッコ良過ぎて、我々は困るんです。我々にさんまさんが、朽ち落ちていく姿を見せて下さい』と。そう言われたから、さんまさんは『引退するのをやめた』と。納得されたら、さんまさんは、切り替えるのも早い。だから、69歳まで変わらず続けられているんでしょうね」と。対し、拙僧「ボクシングのチャンピオンと同じだよね。今日まで倒してきた人達に対し、倒されて去っていくが、チャンピオンの使命(礼儀)であると。あの具志堅用高さんがある番組で『試合前のルーティンだったアイスクリームを食べなかったから、最後の試合は負けたんだよな』と、笑いながら言われていたが、本音は『最後の試合は怖くて、リングに上がりたくなかった。それでも、倒されて去っていくが、倒してきた人達に対しての礼儀』と、決めていたと言われていたもんね」と。続けて、この若者が「そういえば、元『雨上がり決死隊』の宮迫さんが、さんまさんに『引退する日の収録の最期は、粉になって消えて下さい』と言われたらしいですね。それでさんまさんは、テレビ局側に『俺の最期は、C Gで粉にして消してくれ、と頼んである』と言われたとか。漫画『明日のジョー』の最期も、白くなって終わったですもんね。燃え尽きて終わっていく人生って、そんな人生を歩みたいですよね。そういえば、さんまさんが『俺は、スピードが命なんだ。スピードがなくなったと感じたら、引退かな』と言われてたよな」と。更に、この若者が「さんまさんの衣装がいつも地味なのは、話(トーク)が散らない様にする為と。人物描写をするが仕事だから、控えめの衣装を選択すると。それと、さんまさんのエピソードで印象的な話は、面白い事が起きたり、思いついた事は文字にせず、全て頭の中のノートに書き留めていると。若手芸人が『忘れたらどうするんですか』と問うと『そんなに面白くないから、忘れるんや。喋る面白さと、文章の面白さは、全く違うもの』と言われていました」「拙僧の知人高僧も、見たもの、聞いたものは、書き留めず、一旦全てを忘れろ。思い出せたものだけが本物、と言われたよ。拙僧も、メモに書き留める事は、しないかな」と。続けて、拙僧「講演会に行くと偶に『住職さんは、講演会では原稿を書いて行かれるんですか』と聞かれる事があるんだが、今日までに200回以上の講演に招かれたけど、1度も原稿を書いた事がない。今日の参加者は、男性が多いな、女性が多いな、老人が多いな、子供が多いな、で、話す内容は自ずと違ってくるもんね。また、60分の約束で依頼されたのに『まだ話せ、まだ聞かせて』とせっつかれて、4時間以上話した事も何度かあった。原稿なんて書いていっても、何の意味もなさない。さんまさんが言われる様に、原稿と喋りは全くの別物だよ。原稿だと炎上するだろう内容も、しゃべくりでは皆、文句言わずに興味津々で聞いてくれる。もう大概、コンプライアンス問題は、やめてしまった方がいいかな。この頃は、過剰になり過ぎだわ。ドロドロした人間臭い話の方が面白いし、教訓に出来る事も絶対に多い。人間はそれほど綺麗なものではないもんね」と。対し、この若者が「なるほどですね。若手芸人さんがさんまさんに『話(回し)が詰まる事って、ないんですか』の問い掛けに『ない。お菓子をいっぱい持って行っているから』と。このお菓子というが、予備の知識なんでしょ」と。「そうだよ。話がどこに飛んでも、講演参加者から突然、とんでもない質問を受けても、切り返せる話(ネタ)をなんぼでも持って拙僧も、講演会に臨んでるよ。それにしても、さんまさんを含む、お笑い芸人の人達は凄いよね。勉強が出来るという事と、頭がいい(キレ)という事は、根本的に違う。彼ら(お笑い芸人さん達)は機転を含め、本当に頭がいいと思う。拙僧は録画してまで、お笑い番組を見てる。彼らの話し方、間の取り方を勉強させてもらう為に。人を怒らせるは簡単だが、人を笑わせ続けるって、難しいよ。如何に素晴らしい法話をしても、聞き手を飽きさせたり、眠気を誘ったりしたら、坊主の負け、だもんね」と。さて、この電話をしてきた若者とは、ある事を思い出しながらこの時、会話をしておりました。そのある事とは、東京オリンピックの前だったかな、コロナの関係で『トイレが最も密になりやすい場所。この対策が最も大事』なる話が方々で。この時期、東京在住の檀家の息子(当時小学6年生)と話をする機会があって、その子に「トイレで密にならない様な名案が、何かあるかい」と軽い気持ちで問い掛けると、その息子が「手洗い場所に鏡を置かなきゃいいじゃん」と。拙僧も一瞬でその答えに『そりゃ、大正解や』と心の中で。この小学生の男の子に拙僧「君、凄いな」と返すと「父さんから1度『男がいつまで鏡の前に立って、わが顔を眺めてるんだ』と、怒られた事があったんだよ。鏡がなければ、手を洗ったらすぐ、その場から離れるでしょ」と。この東京在住の檀家の息子の話、俄には信じ難いでしょうが、全て実話です。脚色なし。子供を侮(あなど)る事なかれ、ですばい。当に『真実は小説よりも奇なり』ですね。この電話を掛けてきた若者は、自分の思い出話や、社長である父親の下で今、汗だくになって従業員さん達と働いている話を熱心に拙僧に。話が一区切りすると「それじゃ、住職さん。また、連絡させて頂きます」と若者が電話を切ろうとしたので「おいおい」とそれを止めて「君さ、何か、相談があったんじゃないのか」と尋ねると「はい、ありました。でも、住職さんと話をしている内に、自然と答えが見つかって、自然とその問題が解決しましたので」と。「ほう、そうなのか。何のこっちゃか、さっぱりわからんが、何にしても、そりゃ、よかったな。また、電話しておいでや」「はい、必ず、近いうちに」と、この若者が。電話を切った後、この若者との会話の余韻の中で拙僧、本堂内陣に座する仏さん達を見ながら「拙僧もそろそろ、引退を考える時期がきたのかな」と、そんな心に。「暫く様子を見て、息子達に住職の代を譲ろうかな」と。「代を譲った後は、お寺に再就職させてもらって、息子達の下で働かせてもらうのもいいかもな」と。雇ってもらえたら、の話ですがね。還暦(暦が還って赤子戻るので、赤いちゃんちゃんこ)も、数年過ぎた事だし。代を譲った後は拙僧、亡き父(わが寺の先代)の下で何もわからず、懸命に働いていた40年程前の初心に返って、あの頃の様に1歩1歩こつこつと、お寺の雑用のお手伝いでもさせてもらうのも、悪くないかな。身体(からだ)が動かなくなるまで。さて、代替わりの成功例といえば、やはり、徳川家康公かな。2代将軍秀忠公が「大名達はわしを『上様、上様』と呼んではくれるが、心は皆、駿府(家康公在所、静岡県)の方に向いておる。が、10年も『上様、上様』と呼ばれ続けたら、それなりの姿になるわい」と言われたとか、言われなかったとか。拙僧も今の息子達の年齢の頃(30代半ば)に、住職の代を父から譲られ、大いに失敗し、大いに恥をかいて、徐々にそれなりの姿に。親が後ろに控えてくれていたので、拙僧が頼りなくても、関係者(檀家さんなど)は皆、落ち着いたものでしたね。『代替わりは、親が元気なうちに』が、やはり大事(理想)かな。令和 7 年 10 月分  金剛寺住職 臨時法話今年(令和6年)も早いもので、あと3ヶ月程になりましたね。11月、12月は毎年、お寺も拙僧も、方々への御礼報謝の時期となります。今年も11月9日は、わが寺の鬼子母神さんの法要が行われます。この神さんは実在した女性と言われておりまして、本当の名前は『訶梨帝母(かりていぼ)』といって、なんと、数百人の子供がいたとの事。その子供達を育てる(お乳など、栄養を得る為)為に、他の子供を食らっていたと。まあ、でも、こりゃ、どう考えたって、嘘(方便)ですわな。恐らく、恐らくですよ、いつの時代でも母親というは、我が子を守る為には、他人の子供を蹴散らしますもんな。それが度を超したんでしょうな。お釈迦さんに呼び出され、しこたま怒られて改心を。改心した後は、お釈迦さんを守護する為に、鬼子母神という神に。さて、その『鬼子母神』ですが『鬼』という字には『田』の上に『丶(点)』を付けない『鬼』を書きます。つまり、改心して鬼の角がとれた、という事の様で。鬼子母神さんには2種類あって、わが寺の鬼子母神さんは、如来型(天女型)でお優しいお顔をされておられますが、日蓮宗の鬼子母神さんは『法華経の守護神』の役目を担っておられるという事から、厳しいお顔をされている鬼神型にて。鬼の形相となると、そっち系を好きな人達が勝手に祟る対象物にして、怖い存在にしてしまいますが、懸命に誰かを、何かを守護しようとすれば、そりゃ、あんなお顔になりますわな。人間の迷い、煩悩を取り除いて、懸命に救おうとされている不動明王のお顔が、ああ(忿怒の形相、ふんぬのぎょうそう)である様に。あの怖い、厳しいお顔を見た時に私達は『人間も一生懸命になれば、自ずとあんな顔になるはず。あんな顔になるまで、お前さんは懸命に、何かに打ち込んだ事があるかい』と自分に問い掛けた事がありまっしょうかな。まあ、如来型であろうと、鬼神型であろうと、どちらにしても鬼子母神さんは『病気平癒、子授け、子育て』に、ご利益があるとの事。わが寺も、鬼子母神さんがお座りになられて随分になりますが『子授けや、子供が真っ直ぐ育つ様に』と多くの人達が願掛けに参拝して来られました。中でも、最も思い出深い出来事といえば、檀家の50代母親が「住職(拙僧)さん、もう7年も、娘の子授け祈願をしてるのに、一向に授からん」と憎々しい顔で文句を。その母親に拙僧「お母さんよ、あなたが子供を産むんですか」と問うと「何を言ってんの。娘に決まってるでしょうが」と不服顔で。「なら、なんで、本人が足を運んで来ないの。自分の願いを人に預けて、自分はのほほんとして。娘さんですが、本当に子供が欲しいの。神仏だから、いつでも門を開いて、待ってくれてはりますが、これが、頼む相手が人間だったら『なんという真剣味のない奴や』と、そうなりまっせ。人を頼ってばかりいる人間を、人はいつまでも助けてはくれん。本当に子供が欲しいのなら、自らが足を運んでくる様に言っといてちょうだい。来る気があるなら、娘さん1人でなく、ご主人も一緒に、と。『赤子世話=母親』と、とんでもない勘違いをしておる主人が、世の中には偶にいますからね」と拙僧、その檀家の母親に。母親の話に耳を傾けたか、次の日に娘さん夫婦が、鬼子母神さんのところへ参拝に。その後は、3日に1度は夫婦で必ずお寺に足を。すると、半年後、めでたく懐妊を。娘さん夫婦が「住職さん、すごいですね、8年も授からなかったのに。こんのものですか」と。対し、拙僧「知らんがな、偶然かもしれんよ。まあ、言うなれば、鬼子母神さんに願った事で、君達夫婦の心の中に、特に娘さん、あなたの心に『これで力を貸してもらえるかもしてない』という期待感が免疫を向上させ、子供が授かり易い体質に変わっていった、というが本当のところだと思うよ。信仰とはそういうもの(後押し)だよ。ただ、君達夫婦は偶然とは思わない方がいいかもね。命というものの意味を、ここで真剣に考える事で、今後、老いていく親への対応も、自ずと深いものになるから」と拙僧。この娘さん夫婦ですが、授かれたは、この子1人だけにて。所謂『間に合ったな』というところですかね。『縁に出会って、縁に気づかず。縁に気付いて、縁を活かせず』という言葉がありますが、縁に出会った後、その縁に気付いて、その縁を活かすは、本人次第ですもんな。さて、次の話は余談ですか、50年以上前に、2組のご夫婦が子授け祈願を。1組目のご夫婦は医師から「ご主人には子種がない」と、はっきり宣告を。そのご夫婦に拙僧の父が「何万年も昔から1つの命を、バトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今日、私達はこの世に生を。本当に子供が授かりたいなら、納骨堂に眠るご先祖さんに日参(毎日参拝)して願いなさい」と。それから10年以上も毎日、納骨堂へ。すると、男の子を2人も。2組目のご夫婦は、拙僧の父から「人はその土地を縁にして生まれてくるもの。近くの氏神(八幡さん)さんに日参(毎日参詣)して『あなたの子供を私達に育てさせて下さい』と願ってきなさい」と。すると3年後から、次々に3人、男の子が誕生を。この2組のご夫婦も恐らく「懸命に願えば、力を貸していただけるだろう」の期待感が免疫を向上させ、子供が授かり易い体質に変わっていったが、本当のところだろうと思います。当然の事ながら、神頼みだけではないですよ、医療の方もしっかりと受けられての結果です。しかし、簡単に10年、3年と言いますが、毎日参拝ですからね、余程に子供が欲しかったんでしょうね。この2組の夫婦の男の子達は今、皆々、50歳を超えておりますが、ほんの半年程前に話の流れから拙僧、この事(子授けの経緯)を口にすると皆々、その事を知らなかった様で「親のそんな思いを受けて、私達は生まれてきたのか」と、言葉をなくしておりましたね。この2組のご夫婦の他にも、懸命に不妊治療を為し、子授け祈願をされたご夫婦は何組もおられました。いや、今現在もおられます。が、その中には残念にも、授かる事が出来なかったご夫婦も。なれど、その様なご夫婦の大半は「あれだけ懸命に治療も、ご祈願も。恐らく私達夫婦には、子供の縁が薄かったんでしょうね」と、それなりにその結果に対し納得を。どんな事でも、後々に後悔している人達を見ると、その当時に動いてない人達が多いかな。「もし、あの時、動いていたなら」という、悔やみの言葉をよく耳に。子供は授かり物にて、よって、親の所有物と考えたらあかん。所有物と考えるから、自分の夢を子供に押し付け、歯車が狂う事に。七五三にお宮さんへ参詣に行くは「あなたから預けられた子供を、この歳までこの様に育てました」と、神さんに披露しに行く行事にて。そして、神さんへの披露の最後が成人式。この時、成人した子供を見て神さんが「この親に預けて、正解だったのかな」と思われん様にせんといかんですわな。新生児の誕生と同時に、新たな親もまた、同じく誕生を。両者共(赤子、親)に、ピッカピカの1年生にて。親は懸命に赤子を育てておりますが、赤子も懸命に親を育ててくれております。後から生まれてくる、自分の弟や妹の為に。ど素人から、育てるプロになってもらおうと。考えたら、育ててもらった経験しかない者が、育てるんですからね、そりゃ、戸惑うし、勘違いするし、大変だわ。なりゃこそ、爺婆の助言に耳を。これは余談ですが、昨年ですが、鬼子母神さんの法要後のお接待の時間に、ご老人達との会話の中で『終活』の話が出てまいりまして、みんな「ああしておかにゃ、こうしておかにゃ」と各々の考えを和気藹々と。その中で1人の爺様が「終活なんぞ、そんなのはせんでよかばい。子供に迷惑が掛かりそうなものだけ、片付けときゃ、それでよか。この世から消えてなくなる者が、そんな仕分けをしてどうなる。いらんこったい。わしらが仕分けをしたのを、子供達がまた、仕分けよるわい。子供らが自分達にとって、必要な物は残し、不要な物は捨てよるがな。わしらは、死ぬまで生きとかにゃならんから、今まで使ってきた物を大事に使って、最期は仕分けする費用を子供らに残して『ほな、さいなら』で終わりったい」と。そんな考えも、あり、かな。【日本人口の推移】我が国における総人口の推移は、今から25年後の2050年には、9515万人になるとのこと。高齢者率は、39%に。75年後の2100年には、4771万人になると。その時の高齢者率は、41%に。もうこうなれば、外国人労働者が数多に入り込んできて、どこの国かさっぱりわからん状態に。恐らく、今現在以上に、治安もズタズタな状態に。「結婚しない、子供はいらない、自分の人生だけが大事」のツケが、もうすぐそこにやってくる。人間の世界は、イソップ童話の『アリとキリギリス』にて。「そうすりゃ、そうなる。そうなっていってるのに、まだ、そうするか」ですよね。次回の投稿法話は、10月5日になります。

令和7年10月分 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。【はじめに】10月1日は、アントニオ猪木さんの祥月命日(立ち日、2022年、行年80歳)ですね。あの「イノキ、ボンバイエ」の入場曲は、モハメドアリさんから貰った曲だそうですね。それと、10月5日は、達磨大師のご命日。武者小路実篤さんが「桃栗三年柿八年、達磨は九年、俺一生」という言葉を。桃や栗はその年数で実らせ、達磨は九年で悟りを。が、俺の修行は一生と。猪木さんも死ぬまで挑戦を。令和 7 年 10 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?【本文】読者の若者が「番組『アメトーク』で先日、さんまさんが『現状維持が、最も難しい』と言ってたんですよね。が、現状維持(現在の流行も)は、今が頂点。後は、落ちていくだけ、と思うんですが」と。対し、拙僧「例えば、だよ。後から入る人の為に、風呂のお湯をずっと40度に保たせるには、追い焚き機能を常に発動させておかにゃならんだろ」と。「ああ、なるほど、そういう事ですか」「そういう事かな。その番組、拙僧も見たよ。さんまさんが言ってたでしょ。『現状維持を続けていく為には、果敢に挑戦していかなきゃ、現状維持を保つ事は出来ないもんね』と。人間は徐々に歳も取っていくし、時代も変わっていくし、現状を維持するというは、そう簡単なものではないと思うよ」と。対し、この若者が「さんまさんといえば、60歳で引退すると、明言されていたでしょ。だけど、爆笑問題の太田さんが『いやいや、続けて下さい。このままやめられたら、カッコ良過ぎて、我々は困るんです。我々にさんまさんが、朽ち落ちていく姿を見せて下さい』と。そう言われたから、さんまさんは『引退するのをやめた』と。納得されたら、さんまさんは、切り替えるのも早い。だから、69歳まで変わらず続けられているんでしょうね」と。対し、拙僧「ボクシングのチャンピオンと同じだよね。今日まで倒してきた人達に対し、倒されて去っていくが、チャンピオンの使命(礼儀)であると。あの具志堅用高さんがある番組で『試合前のルーティンだったアイスクリームを食べなかったから、最後の試合は負けたんだよな』と、笑いながら言われていたが、本音は『最後の試合は怖くて、リングに上がりたくなかった。それでも、倒されて去っていくが、倒してきた人達に対しての礼儀』と、決めていたと言われていたもんね」と。続けて、この若者が「そういえば、元『雨上がり決死隊』の宮迫さんが、さんまさんに『引退する日の収録の最期は、粉になって消えて下さい』と言われたらしいですね。それでさんまさんは、テレビ局側に『俺の最期は、C Gで粉にして消してくれ、と頼んである』と言われたとか。漫画『明日のジョー』の最期も、白くなって終わったですもんね。燃え尽きて終わっていく人生って、そんな人生を歩みたいですよね。そういえば、さんまさんが『俺は、スピードが命なんだ。スピードがなくなったと感じたら、引退かな』と言われてたよな」と。更に、この若者が「さんまさんの衣装がいつも地味なのは、話(トーク)が散らない様にする為と。人物描写をするが仕事だから、控えめの衣装を選択すると。それと、さんまさんのエピソードで印象的な話は、面白い事が起きたり、思いついた事は文字にせず、全て頭の中のノートに書き留めていると。若手芸人が『忘れたらどうするんですか』と問うと『そんなに面白くないから、忘れるんや。喋る面白さと、文章の面白さは、全く違うもの』と言われていました」「拙僧の知人高僧も、見たもの、聞いたものは、書き留めず、一旦全てを忘れろ。思い出せたものだけが本物、と言われたよ。拙僧も、メモに書き留める事は、しないかな」と。続けて、拙僧「講演会に行くと偶に『住職さんは、講演会では原稿を書いて行かれるんですか』と聞かれる事があるんだが、今日までに200回以上の講演に招かれたけど、1度も原稿を書いた事がない。今日の参加者は、男性が多いな、女性が多いな、老人が多いな、子供が多いな、で、話す内容は自ずと違ってくるもんね。また、60分の約束で依頼されたのに『まだ話せ、まだ聞かせて』とせっつかれて、4時間以上話した事も何度かあった。原稿なんて書いていっても、何の意味もなさない。さんまさんが言われる様に、原稿と喋りは全くの別物だよ。原稿だと炎上するだろう内容も、しゃべくりでは皆、文句言わずに興味津々で聞いてくれる。もう大概、コンプライアンス問題は、やめてしまった方がいいかな。この頃は、過剰になり過ぎだわ。ドロドロした人間臭い話の方が面白いし、教訓に出来る事も絶対に多い。人間はそれほど綺麗なものではないもんね」と。対し、この若者が「なるほどですね。若手芸人さんがさんまさんに『話(回し)が詰まる事って、ないんですか』の問い掛けに『ない。お菓子をいっぱい持って行っているから』と。このお菓子というが、予備の知識なんでしょ」と。「そうだよ。話がどこに飛んでも、講演参加者から突然、とんでもない質問を受けても、切り返せる話(ネタ)をなんぼでも持って拙僧も、講演会に臨んでるよ。それにしても、さんまさんを含む、お笑い芸人の人達は凄いよね。勉強が出来るという事と、頭がいい(キレ)という事は、根本的に違う。彼ら(お笑い芸人さん達)は機転を含め、本当に頭がいいと思う。拙僧は録画してまで、お笑い番組を見てる。彼らの話し方、間の取り方を勉強させてもらう為に。人を怒らせるは簡単だが、人を笑わせ続けるって、難しいよ。如何に素晴らしい法話をしても、聞き手を飽きさせたり、眠気を誘ったりしたら、坊主の負け、だもんね」と。さて、この電話をしてきた若者とは、ある事を思い出しながらこの時、会話をしておりました。そのある事とは、東京オリンピックの前だったかな、コロナの関係で『トイレが最も密になりやすい場所。この対策が最も大事』なる話が方々で。この時期、東京在住の檀家の息子(当時小学6年生)と話をする機会があって、その子に「トイレで密にならない様な名案が、何かあるかい」と軽い気持ちで問い掛けると、その息子が「手洗い場所に鏡を置かなきゃいいじゃん」と。拙僧も一瞬でその答えに『そりゃ、大正解や』と心の中で。この小学生の男の子に拙僧「君、凄いな」と返すと「父さんから1度『男がいつまで鏡の前に立って、わが顔を眺めてるんだ』と、怒られた事があったんだよ。鏡がなければ、手を洗ったらすぐ、その場から離れるでしょ」と。この東京在住の檀家の息子の話、俄には信じ難いでしょうが、全て実話です。脚色なし。子供を侮(あなど)る事なかれ、ですばい。当に『真実は小説よりも奇なり』ですね。この電話を掛けてきた若者は、自分の思い出話や、社長である父親の下で今、汗だくになって従業員さん達と働いている話を熱心に拙僧に。話が一区切りすると「それじゃ、住職さん。また、連絡させて頂きます」と若者が電話を切ろうとしたので「おいおい」とそれを止めて「君さ、何か、相談があったんじゃないのか」と尋ねると「はい、ありました。でも、住職さんと話をしている内に、自然と答えが見つかって、自然とその問題が解決しましたので」と。「ほう、そうなのか。何のこっちゃか、さっぱりわからんが、何にしても、そりゃ、よかったな。また、電話しておいでや」「はい、必ず、近いうちに」と、この若者が。電話を切った後、この若者との会話の余韻の中で拙僧、本堂内陣に座する仏さん達を見ながら「拙僧もそろそろ、引退を考える時期がきたのかな」と、そんな心に。「暫く様子を見て、息子達に住職の代を譲ろうかな」と。「代を譲った後は、お寺に再就職させてもらって、息子達の下で働かせてもらうのもいいかもな」と。雇ってもらえたら、の話ですがね。還暦(暦が還って赤子戻るので、赤いちゃんちゃんこ)も、数年過ぎた事だし。代を譲った後は拙僧、亡き父(わが寺の先代)の下で何もわからず、懸命に働いていた40年程前の初心に返って、あの頃の様に1歩1歩こつこつと、お寺の雑用のお手伝いでもさせてもらうのも、悪くないかな。身体(からだ)が動かなくなるまで。さて、代替わりの成功例といえば、やはり、徳川家康公かな。2代将軍秀忠公が「大名達はわしを『上様、上様』と呼んではくれるが、心は皆、駿府(家康公在所、静岡県)の方に向いておる。が、10年も『上様、上様』と呼ばれ続けたら、それなりの姿になるわい」と言われたとか、言われなかったとか。拙僧も今の息子達の年齢の頃(30代半ば)に、住職の代を父から譲られ、大いに失敗し、大いに恥をかいて、徐々にそれなりの姿に。親が後ろに控えてくれていたので、拙僧が頼りなくても、関係者(檀家さんなど)は皆、落ち着いたものでしたね。『代替わりは、親が元気なうちに』が、やはり大事(理想)かな。令和 7 年 10 月分  金剛寺住職 臨時法話今年(令和6年)も早いもので、あと3ヶ月程になりましたね。11月、12月は毎年、お寺も拙僧も、方々への御礼報謝の時期となります。今年も11月9日は、わが寺の鬼子母神さんの法要が行われます。この神さんは実在した女性と言われておりまして、本当の名前は『訶梨帝母(かりていぼ)』といって、なんと、数百人の子供がいたとの事。その子供達を育てる(お乳など、栄養を得る為)為に、他の子供を食らっていたと。まあ、でも、こりゃ、どう考えたって、嘘(方便)ですわな。恐らく、恐らくですよ、いつの時代でも母親というは、我が子を守る為には、他人の子供を蹴散らしますもんな。それが度を超したんでしょうな。お釈迦さんに呼び出され、しこたま怒られて改心を。改心した後は、お釈迦さんを守護する為に、鬼子母神という神に。さて、その『鬼子母神』ですが『鬼』という字には『田』の上に『丶(点)』を付けない『鬼』を書きます。つまり、改心して鬼の角がとれた、という事の様で。鬼子母神さんには2種類あって、わが寺の鬼子母神さんは、如来型(天女型)でお優しいお顔をされておられますが、日蓮宗の鬼子母神さんは『法華経の守護神』の役目を担っておられるという事から、厳しいお顔をされている鬼神型にて。鬼の形相となると、そっち系を好きな人達が勝手に祟る対象物にして、怖い存在にしてしまいますが、懸命に誰かを、何かを守護しようとすれば、そりゃ、あんなお顔になりますわな。人間の迷い、煩悩を取り除いて、懸命に救おうとされている不動明王のお顔が、ああ(忿怒の形相、ふんぬのぎょうそう)である様に。あの怖い、厳しいお顔を見た時に私達は『人間も一生懸命になれば、自ずとあんな顔になるはず。あんな顔になるまで、お前さんは懸命に、何かに打ち込んだ事があるかい』と自分に問い掛けた事がありまっしょうかな。まあ、如来型であろうと、鬼神型であろうと、どちらにしても鬼子母神さんは『病気平癒、子授け、子育て』に、ご利益があるとの事。わが寺も、鬼子母神さんがお座りになられて随分になりますが『子授けや、子供が真っ直ぐ育つ様に』と多くの人達が願掛けに参拝して来られました。中でも、最も思い出深い出来事といえば、檀家の50代母親が「住職(拙僧)さん、もう7年も、娘の子授け祈願をしてるのに、一向に授からん」と憎々しい顔で文句を。その母親に拙僧「お母さんよ、あなたが子供を産むんですか」と問うと「何を言ってんの。娘に決まってるでしょうが」と不服顔で。「なら、なんで、本人が足を運んで来ないの。自分の願いを人に預けて、自分はのほほんとして。娘さんですが、本当に子供が欲しいの。神仏だから、いつでも門を開いて、待ってくれてはりますが、これが、頼む相手が人間だったら『なんという真剣味のない奴や』と、そうなりまっせ。人を頼ってばかりいる人間を、人はいつまでも助けてはくれん。本当に子供が欲しいのなら、自らが足を運んでくる様に言っといてちょうだい。来る気があるなら、娘さん1人でなく、ご主人も一緒に、と。『赤子世話=母親』と、とんでもない勘違いをしておる主人が、世の中には偶にいますからね」と拙僧、その檀家の母親に。母親の話に耳を傾けたか、次の日に娘さん夫婦が、鬼子母神さんのところへ参拝に。その後は、3日に1度は夫婦で必ずお寺に足を。すると、半年後、めでたく懐妊を。娘さん夫婦が「住職さん、すごいですね、8年も授からなかったのに。こんのものですか」と。対し、拙僧「知らんがな、偶然かもしれんよ。まあ、言うなれば、鬼子母神さんに願った事で、君達夫婦の心の中に、特に娘さん、あなたの心に『これで力を貸してもらえるかもしてない』という期待感が免疫を向上させ、子供が授かり易い体質に変わっていった、というが本当のところだと思うよ。信仰とはそういうもの(後押し)だよ。ただ、君達夫婦は偶然とは思わない方がいいかもね。命というものの意味を、ここで真剣に考える事で、今後、老いていく親への対応も、自ずと深いものになるから」と拙僧。この娘さん夫婦ですが、授かれたは、この子1人だけにて。所謂『間に合ったな』というところですかね。『縁に出会って、縁に気づかず。縁に気付いて、縁を活かせず』という言葉がありますが、縁に出会った後、その縁に気付いて、その縁を活かすは、本人次第ですもんな。さて、次の話は余談ですか、50年以上前に、2組のご夫婦が子授け祈願を。1組目のご夫婦は医師から「ご主人には子種がない」と、はっきり宣告を。そのご夫婦に拙僧の父が「何万年も昔から1つの命を、バトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今日、私達はこの世に生を。本当に子供が授かりたいなら、納骨堂に眠るご先祖さんに日参(毎日参拝)して願いなさい」と。それから10年以上も毎日、納骨堂へ。すると、男の子を2人も。2組目のご夫婦は、拙僧の父から「人はその土地を縁にして生まれてくるもの。近くの氏神(八幡さん)さんに日参(毎日参詣)して『あなたの子供を私達に育てさせて下さい』と願ってきなさい」と。すると3年後から、次々に3人、男の子が誕生を。この2組のご夫婦も恐らく「懸命に願えば、力を貸していただけるだろう」の期待感が免疫を向上させ、子供が授かり易い体質に変わっていったが、本当のところだろうと思います。当然の事ながら、神頼みだけではないですよ、医療の方もしっかりと受けられての結果です。しかし、簡単に10年、3年と言いますが、毎日参拝ですからね、余程に子供が欲しかったんでしょうね。この2組の夫婦の男の子達は今、皆々、50歳を超えておりますが、ほんの半年程前に話の流れから拙僧、この事(子授けの経緯)を口にすると皆々、その事を知らなかった様で「親のそんな思いを受けて、私達は生まれてきたのか」と、言葉をなくしておりましたね。この2組のご夫婦の他にも、懸命に不妊治療を為し、子授け祈願をされたご夫婦は何組もおられました。いや、今現在もおられます。が、その中には残念にも、授かる事が出来なかったご夫婦も。なれど、その様なご夫婦の大半は「あれだけ懸命に治療も、ご祈願も。恐らく私達夫婦には、子供の縁が薄かったんでしょうね」と、それなりにその結果に対し納得を。どんな事でも、後々に後悔している人達を見ると、その当時に動いてない人達が多いかな。「もし、あの時、動いていたなら」という、悔やみの言葉をよく耳に。子供は授かり物にて、よって、親の所有物と考えたらあかん。所有物と考えるから、自分の夢を子供に押し付け、歯車が狂う事に。七五三にお宮さんへ参詣に行くは「あなたから預けられた子供を、この歳までこの様に育てました」と、神さんに披露しに行く行事にて。そして、神さんへの披露の最後が成人式。この時、成人した子供を見て神さんが「この親に預けて、正解だったのかな」と思われん様にせんといかんですわな。新生児の誕生と同時に、新たな親もまた、同じく誕生を。両者共(赤子、親)に、ピッカピカの1年生にて。親は懸命に赤子を育てておりますが、赤子も懸命に親を育ててくれております。後から生まれてくる、自分の弟や妹の為に。ど素人から、育てるプロになってもらおうと。考えたら、育ててもらった経験しかない者が、育てるんですからね、そりゃ、戸惑うし、勘違いするし、大変だわ。なりゃこそ、爺婆の助言に耳を。これは余談ですが、昨年ですが、鬼子母神さんの法要後のお接待の時間に、ご老人達との会話の中で『終活』の話が出てまいりまして、みんな「ああしておかにゃ、こうしておかにゃ」と各々の考えを和気藹々と。その中で1人の爺様が「終活なんぞ、そんなのはせんでよかばい。子供に迷惑が掛かりそうなものだけ、片付けときゃ、それでよか。この世から消えてなくなる者が、そんな仕分けをしてどうなる。いらんこったい。わしらが仕分けをしたのを、子供達がまた、仕分けよるわい。子供らが自分達にとって、必要な物は残し、不要な物は捨てよるがな。わしらは、死ぬまで生きとかにゃならんから、今まで使ってきた物を大事に使って、最期は仕分けする費用を子供らに残して『ほな、さいなら』で終わりったい」と。そんな考えも、あり、かな。【日本人口の推移】我が国における総人口の推移は、今から25年後の2050年には、9515万人になるとのこと。高齢者率は、39%に。75年後の2100年には、4771万人になると。その時の高齢者率は、41%に。もうこうなれば、外国人労働者が数多に入り込んできて、どこの国かさっぱりわからん状態に。恐らく、今現在以上に、治安もズタズタな状態に。「結婚しない、子供はいらない、自分の人生だけが大事」のツケが、もうすぐそこにやってくる。人間の世界は、イソップ童話の『アリとキリギリス』にて。「そうすりゃ、そうなる。そうなっていってるのに、まだ、そうするか」ですよね。次回の投稿法話は、10月5日になります。

令和7年9月分 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。【はじめに】9月の1日(夏休み明け)は、1年間で子供さんの自殺が、最も多くなる日だそうです。毎年100人以上の子供さんが亡くなられているとのこと。わが寺の檀家さんの中にも、9月1日に自殺をした子供(中学生、高校生)が2人います。警察がスマホの中を調べても、自殺を思わせるメールのやり取りは、何1つも。邪魔をされたくないから、決行のその日まで、家族にも気づかれない様に振る舞って。年間に1人か2人だが、拙僧のところに「死にたい」と相談に来る子供さんが。が、相談に来る子供さんは、自殺はしない。生きたい、という思いがあるから、相談に。拙僧が檀家さん達に「子供達をお寺の行事(法要、お盆、彼岸、掃除など)に連れて来て下さい」とお願いするは「自分の悩みを聞いてくれる大人(住職)が、ここにはおられる」という場所の1つ作っておく為にて。悩みを聞いてくれる人(大人)が多ければ多いほど、自殺防止に繋がりますので。令和 7 年 9 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?今年の7月中旬に、息子(拙僧の次男坊31歳)が結婚をしました。これで3人(拙僧夫婦の子供達)とも片付きました。結婚写真だけ撮って、披露宴はしないとの事。結婚式は、わが寺で拙僧が導師を。上の長男と長女に習って、というか、そう2人で前々から決めていた様でして。次男夫婦には「君らが子供が欲しいと思うなら、計画出産だけはするなよ。結婚は命を流してもらった恩を、先に繋ぐも大事な役目の1つなんだから。されば、結婚の縁と同時に子供の縁が、その時期にあるやもしれん。父さんの知人、友人には『結婚して数年は、2人だけで楽しもう』とした夫婦に、子供が授かってない例が何例かある。結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかんからな。今流行りの精子、卵子を凍結させて、先で受精の成功率は、29%だからね」と進言すると「了解です。わかってるよ。計画出産はしない」と、次男夫婦が。次男(息子)においては、性格的(内気)に結婚は難しいだろうな、と思っておりました。次男は4歳まで言葉を発せず、大変心配しました。が、5歳を過ぎた頃から『おはよう、ただいま、いただきます』などの言葉も出せない程の極度の内気というがわかり、それからは挨拶を返してくるまで「おはよう」と何度も語り掛けを。そのせいか「お父さん、嫌い」と拙僧、随分次男には嫌われておりました。が、小学校に上がる頃には、通常の挨拶は出来る様になっておりました。次男が東京理科大学に入り、北九州を出る時「父さん、俺、なんのバイトをしたらいいと思うか」と聞いてきたので「どんなバイトでも構わんが、人間の幅を広げたいと思うなら、自分が不得意とする分野の職種を選んだらどうだ。居心地の良い場所よりも、居心地の悪い場所の方が、得る物は大きいと思うぞ」と。この言葉で次男は、東京都内の銀座アスターで大学院までの6年間、働かせてもらう事に。銀座アスターでは、接客、配膳、料理の説明と、最も不得意とする仕事を。親が子供を育てるには限界が。どうしても子供が可愛いという感覚が親には。次男は間違いなく、社会に育ててもらいましたね。次男は社会に出て、統計、設計の仕事を。その合間にお寺の仕事も。こんな正確(超内気)なもんで、女性とお付き合いするどころか、女性とは深い話をした事もなく、それを見兼ねた拙僧の娘(次男の姉)が「婚活に行きなさい」と厳しい口調で次男に。姉の言う事には素直に従う次男は、婚活に登録を。初めの内は、こんな性格から誰にも相手にされていなかった様ですが、こんな次男でも、という女性が出現。山口県下関の1人娘さん。縁は異なもの味なもの、ですね。犬も歩かにゃ、棒にも当たらんってやつですわ。付き合い始めて3ヶ月後、その娘さんが「お寺の裏方(法要時の弁当作りなど)を手伝わせて下さい」と、ご本人から。それから法要の度にお寺へお手伝いに。良い塩梅の付き合いが続いている様なので拙僧、次男に「彼女さんは、ご両親と娘さんの3人暮らしなんだろ。嫁いできたら、ご両親は2人だけに。将来、必ず、そのご両親の世話を、お前さんがしてやれよ」と言うと「父さんが、母さんの両親、爺ちゃん、婆ちゃんをお寺に迎え入れて、面倒を見ている姿を見て、俺は育ってきたんだよ。それが当たり前だという事は、わかってるよ」と。結婚前の事、次男が「父さん、彼女が数日前に『山本の姓に変わるから、色々手続きをしなくちゃならないよね』と、それはそれは嬉しそうに言ってたよ」と。「ほう、そうかい。今、国会で夫婦別姓問題が議論されているが、お前さん達の間では、その話は出ないのか」と問うと「出るよ。だけど彼女が『姓が変わるって、新鮮じゃない。新たな世界(第二の人生)に飛び込んでいくんだ、って感じがして。結婚、養子縁組以外に、姓が変わる事ってないでしょ。結婚したんだな、って感じる。夫婦別姓なんて、とんでもない、考えてもない。別姓を望んでいる人達って、結婚前から離婚の事が頭にあるんじゃないのかな』と言ってた。それよりも、俺の友人達だよ。3月に集まった時『彼女が出来た。結婚する』と報告したら『彼女や結婚など、最も縁遠いはずのお前が、どうしてそうなった。どうやって知り合ったんや』と興味津々で聞くので『婚活』と答えると皆が『その婚活の組織、俺達にも教えろ』と、その場で皆、登録を。こいつら、失礼と思わん、父さん」と。対し、拙僧「お前さんの曾祖父ちゃん(明治41年生まれ)は、生涯100組以上の仲人をした、と言ってたが、話半分としても、すごい数だ。その曾祖父ちゃんが『30歳を過ぎた子供が独身でいたら、親が売って回らんと、買い手はつかん』と。初めてこの言葉を聞いた時は、違和感を感じたが、現在行われている『親活(子供の代わりに親が婚活する会)』を見ると、爺様が言ってた『親が売って回らんと、買い手はつかん』の、当にそれだと思ったよ。檀家の独身女性達に『親活で親が選んできた男性と付き合うって、嫌なんじゃないのか』と尋ねると、皆『嫌じゃないですよ。親が選んで連れてきた男性でしょ。安心してお付き合いする事が出来ます。その男性と結婚までいくかどうかは、別の話ですよ』と。きっかけは、なんでもいいんだよな。結局は、縁の話だからな。何にせよだ、天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿だから、大事にせいよ」と拙僧、次男に。【余談】今月(9月)に入って「私の事を覚えておられますか」と、若者から拙僧に電話が掛かってまいりました。会話の冒頭で即「ああ、あの時の子供さんか。はっきり覚えとるよ。よく、ここ(金剛寺)の電話番号がわかったな」と返すと「当時、講演を主催された団体の人に、尋ね聞きました」と。それは15年以上も前の事、ある団体に呼ばれ、600人以上の参加者の前で法話講演をさせて頂いた事がありまして、その講演での質疑応答の時間に、お婆ちゃんに連れられ、参加していた男の子が、大きい声で手を上げて「住職さん。キリストさんが復活するって、本当にそんな事があるんですか」と、拙僧に疑問をぶつけてきました。対し、拙僧「こりゃ、たまげたな。君は、何歳 になるんだい」と問うと「8歳です」と。「キリストさんとは、何か深い関係でもあるんかい」と返すと「このお婆ちゃん(この子の横に座る50代半ば程の女性を指して)と、日曜日に教会へ行ってる」と。「そうか、そりゃ、感心だな。さて『キリストさんは、本当に復活するのか』の君の質問に対してだが、ところで、君の爺ちゃんは、ご健在かい」と尋ねると「今日は、どこかへ仕事に行ってる」「そうか。じゃ、爺ちゃん、婆ちゃんのその上の、爺ちゃん、婆ちゃんは、ご健在かい」と尋ね返すと「大爺、大婆は、数年前に死んじゃった」と。「君は、大爺、大婆の事は、覚えてるかい」「可愛がってもらったからね、当然、覚えてるよ」「覚えてるって事は、大爺、大婆は『今でも君の心の中で生きてる』って事だな」と返すと、この男の子が口を止め『ハッ』とした顔して、大きな声で「そうか、なるほど、そういう事なんだね」と、生き生きした表情を。「おっ、何か、気付いたんかい」と問うと「つまり、こうでしょ。僕がキリストさんの事を心の中で思ったら『いつでも、どこでも、復活してくれる』って事なんだよね」と。これには、再び驚いた。なんちゅう読解力や、と。この男の子の返しに、会場も少しザワザワとなりましたね。更に拙僧、この8歳の男の子に「それじゃ、君さ、1つ聞くが、君の心の中にキリストさんや、死んだ大爺、大婆が生き続けているとしたなら、君は日常生活において、どうしなくちゃならんと思うや」と問うと、速攻で「この人達が見てくれているから、心配を掛けない様にしなくちゃいけない、と思う。友達と仲良くして、一生懸命勉強して、お爺ちゃん、お婆ちゃん、お父さん、お母さんを大事にしなくちゃいけないと、そう思う」と。これには、再び三度と驚かされた。『育てた親の顔が見てみたい』という言葉がありますが、こんな子供を育てた親の顔がほんと、見てみたい、と思いましたね。『躾(しつけ)は、するものじゃない。躾は、見せるもの』ですもんね。子供は、親が育てただけしか、育っておりませんもんね。                           令和 7 年 9 月分  金剛寺住職 臨時法話今年の7月、仕事(檀家さんの初盆法要)で仙台に行った時、松島のある資料館で地球の起こりの説明を知人の大学教授から詳しく聞く機会がありました。地球が出来て約45億年、オゾン層が出来るまでは、紫外線によって地上で暮らす事が出来ず、生物は皆、海の中に。地上に生物が現れ出したは、約5億年程前の事と。地球はこれまでに5回、大量絶滅が起こっているが、その内の4回は火山が大爆発して、地球をCO2(二酸化炭素)が覆った為と。残りの1回は、白亜紀(恐竜時代)に隕石がぶつかったのが原因と。この時に恐竜は絶滅したとの事。今現在の地球は、火山の為にCO2が地球を覆い、過去に大量絶滅になった状態に極似しているとの事。1800年代の産業革命以来、人間が出し続けてきた二酸化炭素が、わずか200年で、地球をその様な状態にしてしまっていると。では、これらの産業を自粛すれば『温暖化は治まり、地球は改善の方向に向かうのか』と言えば、そう簡単な話ではないらしい。1度大気中に出た二酸化炭素を他に逃す方法はないとの事にて。二酸化炭素の排出を抑える事で、急激な悪化を、滑らかな悪化にするだけの話だと。急激と言っても、ここ数年でそうなる訳ではなく、100年で約3度(地球上の気温)上がる程度と。が、この3度程度がとんでもない状況を作り上げていくと。「どうにかする方法はないのですか」とその教授に問うと「今、地底にその二酸化炭素を封じ込めようという研究がなされています。それが可能になっていくには、まだ、10年は掛かります」と。「えっ、たった10年で」と返すと「但し、それをやるには莫大な資金が必要になる。日本1国でやれる様なものではなく、世界の国々が協力をしなければ、それを成し遂げるのは難しい」と。続けて、その教授曰く「トランプさんは二酸化炭素の排出制限を拒否したでしょ。発展途上国の国々も『先進国はこれまでに、散々二酸化炭素を放出してきて、今になって我々に自粛しろとは、そんな勝手な言い分があるかい』と拒否する姿勢の国も。結局、人間は、将来の人間の事よりも、今の欲(自分)の方が大事という事なんだろうね」と。話を聞いていて、人間という生物が地球内にいる限り、この問題を解決するは難しいのかな、と。平家物語の一節『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず。ただ春の夜の夢の如し』は、真理ですね。バクテリアなどを除き、地球上の生物で絶滅していないものは、一種類もないとの事にて。人類が誕生したのは、およそ500万年前のアフリカであると。その後、人類は、猿人(約500万年前に出現:アウストラロピテクス)・原人(約180万年前に出現:ホモ=エレクトゥス)・旧人(約20万年前に出現:ネアンデルタール人)・新人(約4万年前に出現:クロマニョン人など)の順に進化してきたと。絶滅するには、ちと早過ぎるかな。人間は自分達の事を『万物の霊長』と言って、万物の中で最も優れた生き物と言っているが、それほど優れていると思うなら、優れている生き方をせにゃ、ですね。地球上で生活しているは、人間だけじゃないんだから。他の生物に迷惑を掛けない様にしなきゃ、ですね。上記の話は、数時間詳しく説明頂いたものを簡単に掻い摘んだものであるが、まあ、何にしても、人間の世界(自然の世界)は『そうすれば、そうなる』が道理にて。イソップ童話の『アリとキリギリス』は真理ですよね。夏遊べば、その煽りを受けて、冬は辛い思いをするは道理にて。欲にまみれた生き方をしていて、まともな状況が保てるとは、到底思えないですよね。1人の『人間』の誕生と同時に、1つの『欲』もまた誕生してきよります。これが未来永劫に延々と続いていきます。石川五右衛門さんが、辞世で『浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』と放った言葉は、正しく真理でしょうね。人間は地球内で生きるなら、分相応に生きることを考えなきゃ、その内に地球から排除されるんじゃないのかな。「地球には、不適合」と決断されて。【余談1】因みに、結婚して子供が授かるまでの時間は、年齢に関係なく、そう大差はないとの事ですが、昨年の出生数が69万人だったとのこと。国の予想では、2050年には、総人口が9400万人になると。75年後の2100年には、総人口が4600万人になるとのこと。その内、1割が外国人労働者と。人口減少を防ごうと国は躍起になってますが、人口が減少している中では当然、赤ちゃんが産める年代の若者も減少を。加えて、初産の平均年齢が31歳では、産める数にも限度が。人口増加を望むは、とても無理な状況に。人口減少による問題は、色々な場面で顔を出し始めましたよね。英国人に嫁いだ拙僧妻の妹は、ロンドンに住んで25年に。その夫婦の息子(現在23歳、日本語ベラベラ)が「叔父(拙僧の事)さん、ロンドンは16時以降になると、雰囲気がガラッと変わり、危険な街に変わるんだよ。その最大の理由は、やっぱり移民制度かな。日本は移民制度をとってないが、人口減少による外国人労働者の増加で、恐らく近々、ロンドンと同じ状況になるんじゃないの。もう既にあちこちで、外国人労働者の犯罪や、外国人同士の喧嘩が勃発してるでしょ」と。以前、拙僧の講演会に参加をしてくれていた、学力優秀校の女子高生達に上記の話を。講演会の冒頭で「この中で結婚したくないと考えてる子は何人いるの、手を挙げてごらん」と問うと、何と8割近くが手を挙げた。対し、拙僧「この講演会が終わるまでには、その考え方を変えてやるからな」と上記の話を詳細に、様々な事例を加えて念入りに。そして、最後にもう1度「結婚をしたくないと、まだ、思っている子は、手を挙げてごらん」と尋ねると、8割いたのが、2割ほどに減少を。対し、拙僧「まあ、この先、君達の考えがどう変わるかはわからんが、このまま(日本の現状)いけば、かなりの確率で数十年後には、女の人が夜1人で歩けない国になるだろうね。『この国(日本)は昔、ものすごく安全な国だったそうだよ』という言葉が近い将来、人々の口から。そんなの嫌だろ、なれば、他者は関係ない、自分はどうあるべきかを、考えていこうな」と。その後、この女子高生の内の何人かからお寺に「絶対に結婚して、子供を育てるからね、住職」という手紙が届きました。人口減少を食い止める事は、この国はもう、無理な話になりつつあります。今後、様々起こりくるだろう問題を、どう予想して、どう対処していくかを、真剣に考えていく時期に来ているのではないかと。世界で唯一残っていた平和で安全な国(日本)も、その神話は近いうちに崩れていく事になるでしょうね、このまま手をこまねいて、ほっておいたら、ですばい。こういう話をすると読者から「本当に、もう、手立てはないんですかね」という問い掛けが。対し、拙僧「数多の男性が戦死した、第二次世界大戦敗戦からこの国(日本)は、僅か23年で、世界第2位の経済大国にのし上がった。その時の最大の功労者は、5人、10人産んで育てた女性陣にて。よって、人口減少に対する手がない訳ではない。武田信玄公が『人は城、人は石垣、人は堀』とその様に。人というをどう捉えるかで、今後の状況が大いに違ってくるでしょうね」と。【余談2】先日、久し振りに映画『関ヶ原(加藤剛さんが、石田三成役の)』を見ました。朝鮮出兵から九州に戻ってきた加藤清正公(藤岡弘さん)が、慰労会に姿を見せず、部屋の中で庶務処理(出兵後の処理)をしていた石田三成公(豊臣政権の番頭役)のところへ現れ「そうか、その筆で俺達を指図していたのか。お前の武器は、その筆か。その筆でこの刀と戦えるか。向こう(朝鮮半島)では、1粒の米もなく、1滴の酒もないわ」と刀を抜いたが、他の大名に止められ、三成公は一命を拾いました。この場面を見る度に、日本の防衛の事が頭に浮かんできます。筆では刀に立ち向かえないし、筆では抑止力にもなりませんもんね。偶に、檀家中高生達から「関ヶ原での勝敗の分かれ目は、何だったと思いますか。近年、関ヶ原の戦いでの東軍西軍の布陣状況を見た世界の軍事評論家達の大半が『西軍(石田側)の勝ち』と言ってるでしょ」と拙僧に。対し「人の心の掌握如何が、勝敗の決め手となったのかな。石田三成公は正義の人で、融通が効かない人だったとの事。正論は、押し付け過ぎれば、優しさが欠けるもんな。ただ、関ヶ原後に家康公が『こうも簡単によくぞ、主君筋を裏切られたものだ。心が冷えたわ。徳川家にも、三成の様な忠義の家臣が、どれだけ育ってくれるだろうか。三成の様な家臣がいて、太閤殿も報われたであろう』と言ったとか、言わなかったとか。が、家康公が、そう言われたんじゃないかな、と憶測される理由は、豊臣家子飼いの大名達は、江戸より遠国に配置されているもんね。『1度人を裏切った人間は、何度でも裏切りよる』が、家康公の考えの基本にあったのかな」と、檀家の中高生達に。

令和7年8月分 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。【はじめに】今日は、阿久悠(淡路島出身、作詞家)さんの祥月命日(2007年8月1日、尿管がん、行年71歳)ですね。阿久悠のペンネームの由来は、広告会社勤務の時代に、放送作家として兼業している事がバレない様に『悪友』の文字をもじった筆名として使い始めた事が始まりだと。生涯において作詞したは、5000曲と。阿久悠さんの戒名は『天翔院詩聖悠久居士位』と。戒名に使われている漢字は、故人の生き様、人間性、仕事などがわかる様に記されております。拙僧は俗名を、博文、と言いますが、山本博文位、ではどんな人間だったのか、さっぱりわからん。戒名はその家(先祖)の資料にもなり、後世の子孫においては、ロマンにもなります。そう考えたら、戒名は必要だと思いませんか。         令和 7 年 8 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?さて、今月はお盆です。何万年も昔から、1つの命をバトンタッチの様に繋げてくれたご先祖さん達のお陰で、私達は今、この世に。先祖の供養とは、恩返しです。目を閉じるその日まで、このご恩は消えず。さて、8月16日は『薮入り、宿下り(やどさがり)』と言って、奉公人(修行に出された子供)さんが、草深い田舎の実家に里帰りするを許される日、という事から、この様な名称に。『許される』という言い方をすると、昨今、巷(ちまた)で大流行りの『〇〇ハラ、コンプラ』を想像し、訳もわからず吠え立てまくる人も出てきそうですが、これは奉公に出した側の親が「里帰りを許してもらえる様に、一人前の仕事が出来るまで、最低3年は里に帰らず、頑張る様に」という親心を受けて、奉公先の主人が『里帰りを許す時期』を見定めての言葉にて。この時には、里帰りをさせる奉公先の主人の方も「この子は、常日頃から、しっかりやってくれていますよ」という気持ち(状況報告)も込めて、お小遣いやお土産をたんと持たせて、帰らせてあげるそうです。これは8月(7月)のお盆月だけでなく、お盆の三ヶ日と正月の三ヶ日が同義(ご先祖の帰省)という事から、1月の16日もやはり『薮入り』と。昨今では、もうこの習慣は、形としては残ってないでしょうけどね。因みに、この薮入りの日は『地獄の釜の蓋が開く日』であるとも言われております。よって、正月の1月16日、お盆の7月16日(8月16日)は、閻魔大王の縁日とされております。特に1月16日は、初閻魔の縁日法要が方々の寺院で行われております。また、この16日以外でも、8月の1日を『地獄の釜の蓋が開く日、釜蓋朔日(かまぶたのついたち)』と定めている地方もあるようで。地獄の釜の蓋を開ける様に命じるは、もちろん閻魔大王にて。何故、1日に開けさせるかといえば、あの世からの道のりは遠く、1日(ついたち)に開けなければ、1日に出発しなければ、13日のお盆に間に合わないから、という事の様で。この説に対しては「えっ、地獄の釜の蓋が開かないと、先祖は里帰りが出来ないの。じゃ、先祖はみんな、地獄にいるんかい」と色々、様々、突っ込みどころはありまっしょうが、そこはそれ、方便として聞き流してもらえたら。と。これは何に対する方便かといえば『働き詰めの人を休ませてあげよう』という優しさからきた方便にて。「この日は、閻魔はんも、地獄の鬼さんも、仕事を休んでるんだから、みんな(働き者)も働かずに休もうよ」と呼び掛けているもの。夏場は暑いし、疲れるし、熱中症にもなるしね。この呼び掛けは、浄土宗さんから始まったとの事にて。浄土宗の用語などを網羅した、浄土宗大辞典の中に、その言葉が記載を。子供時代に奉公に出されたといえば、わが寺が長年に渡り、お世話になっている仏壇店の店長さんの話をここで一席、しておかにゃならんですかね。その店長さんは、現在76歳、欽ちゃんファミリーの齋藤清六さんに極似でして、若い人達はわからんでしょうな。興味があるなら、その名でググってみて下さい。その店長さんは、母1人、子1人で、15歳の時に熊本から北九州の仏壇店へ丁稚奉公に。北九州に来てからは、親孝行が出来ないからと、毎月欠かさず母親に小遣いを送金。その返礼として母親から毎月、手作りの野菜が。「この野菜のお陰ですかね、家族は皆、元気に、健康で」と、嬉しそうに店長さんがおっしゃられておりました。その母親が、この世を旅立つ時が。「お前に渡さにゃならんものがあるから、来てくれんか」との連絡があり、店長さんが病院へ見舞いに行くと、手渡されたが通帳と印鑑。中を見てびっくり。15歳の時から送り続けていたお金が1円も使われておらず、店長の名義で入金されていたと。なんとその額、1千数百万円。母親の死後、店長さんは「親とは有難いものですね。が、このお金は贅沢には使えませんので」と、国に申し入れて、外国人受け入れのホームステイの費用に使用を。結果、娘達は外国人と会話が出来た事で、2人ともが英語がベラベラに。店長さんが拙僧に「人というは、何の見返りを求めなくても、誠意を持って動いていれば、動いただけの結果が、付いてくるもんですね」と。因みに、北野武さんの母親も、タケシさんが売れてより「毎月30万円くれ」と取っていたお金を、息子が落ちぶれた時の為に、1円も使わずに貯金していたとのこと。【余談】もうかれこれ10年程前になりまっしょうか、90代婆様と30代曽孫娘が、拙僧の前で面白い会話をおっ始めよりました。その婆様が「ところで、お前(曾孫娘)は、結婚する気はないんかい」と。対し、曽孫娘が「だって、素敵だな、と思った男性は皆、結婚してるんだもん。残ってるは、残念君、ばっかりで」と。対し、婆様が「あん、残念君ばっかり、じゃと。お前もその、残念さん、と向こうからは思われとるわい。わしらの時代は戦争で、金やら、銀やら、皆死んで、残っとる中から掘り出し物を嗅ぎ分けるしかなかった。その嗅ぎ分ける力も、女の器量じゃ」と。曽孫娘はその言葉に、一言も返せませんでしたね。この時、言い放つ婆様の言葉を聞きながら、拙僧『ドヒャー、この婆様、男性の事を、金やら、銀やら、と表現しおった。やっぱ、女性は生き物が違うわい』と心の中で大笑いを。この婆様ですが、身体は衰えたりとはいえ、現在101歳、口は相も変わらずの健やかにて。思えば、日本は戦争で多くの若い男性を失いましたが、終戦僅か23年後、昭和43年には、日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に成長を。その時の最大の功労者は、やはり何と言っても、5人、10人産んで育てた女性陣にて。『人は城、人は石垣、人は堀』ですもんね。武田信玄公が言われた言葉、という事ですが。この婆様と曽孫娘の会話の後、婆様に拙僧「ところで婆様は、その掘り出し物(夫)を嗅ぎ分ける事が出来たの」と尋ねると、婆様が「勿論、嗅ぎ分けたくさ。50歳そこそこで死んじまったがな」「その旦那さんは、金だったの、銀だったの」と返すと「金とまではいかんが、わしが銀にまで育ててやったわい。男(夫)は、女(女房)次第じゃ。頼朝(妻、尼将軍政子)も、秀吉(妻、ねね)も、女房の影の力があったからこそじゃ」と。もう、天晴れ、と言うしかない、敵わんわ。お寺もですね、栄えている寺院を見ると『住職の力』というよりも『奥さん(坊守さん、寺庭さん)の力』と言った方が間違いない。いやいや、女性というは、やはり凄いですな。漢字を見ても、それが的確に表現されております。素直な良い子の『娘(むすめ)』が、結婚して、他家に嫁いで『嫁(よめ)』となり、子を産んで育て、夫を支え、家を守っていく内に、鼻に付く『嬶(かかあ)』となり、晩年は、波風を超えてきた経験から、波風立てる『婆(ばあ)』となっていく。変化を続ける女性に、単細胞(男の漢字には変化なし)の男性が、如何に威張り腐っても、適うはずがないですよね。すいません、大変失礼な事を言いました。お許しを。この話は余談ですが、パリオリンピックの陸上、リレー競技を家内と見ていた時に拙僧「何万年も昔から、母が子を産み、産んでもらったその子が大人になって、また、子を産み、と、1人が1人に1つの命を延々と途切れさせる事なく、バトンタッチしてきてくれたお陰で、自分達は今現在、命を頂けてここ(今生)に。そう考えたら、先祖さん達に感謝せにゃならんですわな」と。対し、家内が「ほんとですよね。陸上のリレーを見ていると、バトンを受け取った選手は、一生懸命に自分の番を走っていますよね。親から命のバトンをもらった私達は『今度は、私の番だ』と一生懸命に人生を走って、わが子にバトンを渡せましたかね。こういう姿(懸命に走っている陸上競技選手)を見ていると、考えさせられますよね」と。職業柄(寺院勤め)ですかね、どうしても夫婦間では、この様な会話になっていきます。さあ、皆さん、お盆なっとは、ご先祖さん達に感謝の心を。         令和 7 年 8 月分  金剛寺住職 臨時法話現在、日本では、神社総数88000社のうち、70000社以上が宮司さん不在の状況。先日も拙僧法話の読者である神社の宮司さんが「私は1人で90社の世話を」と言われておりました。寺院においては、総数77000ヶ寺のうち、既に20000ヶ寺以上が住職不在(廃寺)の状況になっております。近い将来、50000ヶ寺が廃寺になるとの事。わが寺の檀家さんが横浜と仙台に仕事の関係で移住して、既に10年以上になりますが、今だ菩提寺が見つからず、7月末に拙僧、仙台へ初盆参りに。「先祖など、どうでもいい」と思う人なら、散骨とは名ばかりで、海に遺骨(先祖)を捨てて、清々する人もいるでしょうが、この2家の檀家の家族は、そんな人達じゃないので、拙僧を遠方までも呼んでくれます。菩提寺が見つからない理由は、わが寺を基準(戒名料無料、永代供養料安額など)にして菩提寺を探しているから。「人間関係(世の中)は全て、割り切れないものを無理やり割り切って、わが心と折り合いを付けるしかないよ」と拙僧、この檀家さん達に。お寺の永代供養料は、高額なお寺でも1柱(故人1人)100万円くらいかな。樹木葬の場合、高額なら150万円というところも。お寺の方が安価なのに、納骨堂を退堂し、墓じまいをし、樹木葬を選ぶという事は、結局、先祖の供養をしたくないんだろうね。わが寺にも樹木葬の業者が2度、来られた事がありますが、お話をしておりますと、この方々(樹木葬業者)に限っては、どう見てもど素人、商売の何物でもなかったですね。世の中、特に、コロナを迎えてからここ数年、世の中はガラッと変わりましたね。先祖、家族を含む人間関係が希薄な社会になりました。家族が5人いたとしたら、各々人生は別々にて。が、家族で1つ共通したものが。それは先祖が同じという事。その先祖という柱に家族全員が心を寄せているから、家族は崩壊せずに済んでいるもの。幼子がお菓子を貰って即、食べようとした時、親が「まず、爺ちゃん、婆ちゃんに、お供えしたらどうだい」と。「あっ、そうだね」と子供が仏壇にお供えして、手を合わせる。この行為で子供は『施す』という心が育ちます。仏壇の中に本当に先祖がおるか、どうかなど、どうでもいい事。拙僧はこれまでに、1000家以上の家族(檀家さん、縁者さん)と接してきましたが、その狭い範疇から見た拙僧の見解ですが、家の中に手を合わせ、頭を下げる対象物(仏壇)が、ある家とない家とでは、子供の成長に結構な差が出ておるという事。また、爺ちゃんや婆ちゃんと一緒に暮らしている子供達、もしくは、一緒に暮らしていなくても、頻繁に爺ちゃんと婆ちゃんとの交流がある子供達は、そうでない子供達とはやはり『思いやる心』というものに、大きな違いが出ておるという事。子供から見て、親が祖父母を大事に世話している姿を見て育っているからでしょうかね。躾(しつけ)というものは『するもの』じゃなく『見せるもの』ですもんね。子供は親が育てただけしか育ってない。余談ですが、爺ちゃん、婆ちゃんを海に散骨した親を見て、所縁のある中学生男子が「住職さん、人間は死んだら、ゴミ捨てか。電車の中や、野原や、生ゴミ置き場に骨壷を。うちの親は『爺婆は散骨を希望してたんだ』と僕に言ったが、爺ちゃん、婆ちゃんは『わしらはどうせ海に捨てられる』と悲しそうに僕に言ってたんだ。僕は爺ちゃん、婆ちゃんを海に捨てたそんな親でも、海に捨てる様な事は、絶対にしない」と。先祖の供養というは、御礼報謝を形にしたもの。産んで、育ててもらった恩を、先祖供養というもので、恩返しをさせて頂いているもの。これは自分がこの世を立つ日まで続きます。7月の施餓鬼盆、8月の盂蘭盆、9月の秋季彼岸と、3ヶ月に渡って供養月が続くは、何万年も昔から1つの命をバトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今、私達はここに命を貰って、好き放題、やりたか放題が出来ているという事を、今1度、この時期に認識して、10月、11月、12月の3ヶ月で、心新たに新年を迎える準備を、という事かいな。この様な話は、キリスト教関連団体にも「話をしてください」との要望を受け、赴く事があります。東京九段の暁星学園では、マザーテレサさんが唯一、日本で講演された同じ聖堂で、法話をさせて頂きました。。「背広で伺いましょうか」と拙僧、先方に尋ねると「いや、法衣で来てください。聖堂で法衣を着たお坊さんが、お話をされる事に意義がありますので」と。暁星学園といえば、卒業者に、北大路欣也さん、香川照之さん、松本幸四郎さん、中村勘三郎さん、賀来賢人さん、グッチ裕三さん、モト冬樹さん、などがおられますよね。【上記の法話を読まれた女性が】拙僧法話読者の女性が「ご住職が7月10日に投稿された法話(上記の先祖の御恩)を読んで思ったのですが、考えてみると私の友人、知人で幸せな結婚生活を送っている人の大半は、ご先祖さんやご両親に感謝している男性を選んだ女性達かな。基本、そういう男性は、優しく、誠実で、思いやりのある人、奥さんも子供さんも大事にしますよね。ご住職が以前、法話の中で、読者女性の問い掛けで『結婚相手を選ぶ時に何か注意する点はありますか』の質問に対し『まず、結婚したいと思う男性の家に伺いな。男性の父親が男性の母親に対し、どんな態度で接しているかを確かめてきなさい。将来、君が夫になる男性からどう扱われるか(将来の君の姿)が、案外に見て取れるよ』と。この住職の言葉も、私の周囲には当てはまっている知人、友人が何人かおります。続けてこの女性が「住職は常に法話の中で『躾(しつけ)はするものではなく、見せるもの』と。子供は親の姿を見て育ってますもんね。男性だけではなく、女性の方もまた然りです。男性は『結婚したいと思う女性の母親を見て決めろ』と。特に、料理をしない母親の元で育った女性は、料理をしない娘が多い。お金にルーズな親の元で育った子供は、やはり、お金にルーズな人間に育っている可能性が高い。昨今は、お墓を捨てたり、親の葬式もせず、火葬場に遺骨を置き捨てて帰ったり、散骨とは名ばかりで海に捨てたり、供養をしたくないから樹木葬にしたりと。そんな家庭って、命を流してくれた人達への感謝が足りない表れでしょ。その様な感謝する心を持たない家族は、崩壊していくんじゃないでしょうかね。私は結婚相手を選ぶ時には、ご先祖さんやご両親を大切にしている男性、家族ぐるみで菩提寺やお墓に足を運んでいる家の男性を見つけようと思ってます。数年で離婚したくありませんから。歳をとって、子供から捨てられたくありませんから」と。拙僧はこれまでに、数千人の人と関わってきましたが、その経験から言える事は、こっちに感謝が出来る人間は、あっちに向かっても感謝が出来る。あっちに感謝が出来ない人間は、こっちにも感謝は出来ない。人の心は1つですもんね。感謝の出来ない人間は、自然と人が離れていき、最後は必ず孤立する。因みに、わが寺の檀家さんの中には、江戸時代の後期から令和の世まで、過去帳の中に代々の戒名が残っている家が数家あります。これは何を意味しているかといえば、江戸時代後期から誰1人として親を粗末に扱った子供が出なかった、という証にて。そんな家は当然、栄えております。先祖のご加護のおかげで栄えてる、というよりも、感謝の出来る子供が代々繋がって、家が栄えてきた、という事なんでしょうな。先祖は家の土台にて、大事にしないとですな。余談ですが、昨日(7月14日)、拙僧の息子(次男)が入籍をしました。上2人(長男、長女)に習い、披露宴はしないそうです。これで3人(長男、長女、次男)とも片付き、孫も3人(男の子ばかり)授かりました。親としては、子供が歳を取った時、1人寂しく生きていく姿を見たくないですもんね。人は歳を取るにつれ、失っていくものばかりにて。職を失い、親を失い、友人を失い、伴侶を失い、健康を失い、と。だけど、そこに孫がおれば、心の癒しと夢(孫の成長)を頂く事が出来ます。これは実に有難い事です。これも余談ですが、檀家若者が「東北大震災を的中させた漫画家が、今度は漫画『私が見た未来』で7月5日午前4時18分に大災害が起こると夢で見たと。どう思う、住職」と。対し「トカラ列島の地震が1100回を超えたんだってね。海底地下で何かあってんだろうね。慌てなくていいよ。縁は全て、受け入れて、乗り越えりゃいいだけ」と。対し、若者が「ノストラダムスが、2025年7月に、日本で大地震か起きると予言してるでしょ」と。「1999年7月に人類滅亡と予言してたよね。ノストラダムスは500年前の人で、お医者さんでしょ。人間は、死ぬ時は死ぬ。死にとうても死ねん。人は寿命。死ぬまで生きときゃええ」と檀家の若者に。次回の投稿法話は、8月5日になります。添付写真は、東京九段にある暁星学園聖堂(マザーテレサが唯一、日本でこうえんされた聖堂)で、先祖の大事さを法話させてもらった時のものです。

令和7年8月分 金剛寺住職の法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。【はじめに】今日は、阿久悠(淡路島出身、作詞家)さんの祥月命日(2007年8月1日、尿管がん、行年71歳)ですね。阿久悠のペンネームの由来は、広告会社勤務の時代に、放送作家として兼業している事がバレない様に『悪友』の文字をもじった筆名として使い始めた事が始まりだと。生涯において作詞したは、5000曲と。阿久悠さんの戒名は『天翔院詩聖悠久居士位』と。戒名に使われている漢字は、故人の生き様、人間性、仕事などがわかる様に記されております。拙僧は俗名を、博文、と言いますが、山本博文位、ではどんな人間だったのか、さっぱりわからん。戒名はその家(先祖)の資料にもなり、後世の子孫においては、ロマンにもなります。そう考えたら、戒名は必要だと思いませんか。         令和 7 年 8 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?さて、今月はお盆です。何万年も昔から、1つの命をバトンタッチの様に繋げてくれたご先祖さん達のお陰で、私達は今、この世に。先祖の供養とは、恩返しです。目を閉じるその日まで、このご恩は消えず。さて、8月16日は『薮入り、宿下り(やどさがり)』と言って、奉公人(修行に出された子供)さんが、草深い田舎の実家に里帰りするを許される日、という事から、この様な名称に。『許される』という言い方をすると、昨今、巷(ちまた)で大流行りの『〇〇ハラ、コンプラ』を想像し、訳もわからず吠え立てまくる人も出てきそうですが、これは奉公に出した側の親が「里帰りを許してもらえる様に、一人前の仕事が出来るまで、最低3年は里に帰らず、頑張る様に」という親心を受けて、奉公先の主人が『里帰りを許す時期』を見定めての言葉にて。この時には、里帰りをさせる奉公先の主人の方も「この子は、常日頃から、しっかりやってくれていますよ」という気持ち(状況報告)も込めて、お小遣いやお土産をたんと持たせて、帰らせてあげるそうです。これは8月(7月)のお盆月だけでなく、お盆の三ヶ日と正月の三ヶ日が同義(ご先祖の帰省)という事から、1月の16日もやはり『薮入り』と。昨今では、もうこの習慣は、形としては残ってないでしょうけどね。因みに、この薮入りの日は『地獄の釜の蓋が開く日』であるとも言われております。よって、正月の1月16日、お盆の7月16日(8月16日)は、閻魔大王の縁日とされております。特に1月16日は、初閻魔の縁日法要が方々の寺院で行われております。また、この16日以外でも、8月の1日を『地獄の釜の蓋が開く日、釜蓋朔日(かまぶたのついたち)』と定めている地方もあるようで。地獄の釜の蓋を開ける様に命じるは、もちろん閻魔大王にて。何故、1日に開けさせるかといえば、あの世からの道のりは遠く、1日(ついたち)に開けなければ、1日に出発しなければ、13日のお盆に間に合わないから、という事の様で。この説に対しては「えっ、地獄の釜の蓋が開かないと、先祖は里帰りが出来ないの。じゃ、先祖はみんな、地獄にいるんかい」と色々、様々、突っ込みどころはありまっしょうが、そこはそれ、方便として聞き流してもらえたら。と。これは何に対する方便かといえば『働き詰めの人を休ませてあげよう』という優しさからきた方便にて。「この日は、閻魔はんも、地獄の鬼さんも、仕事を休んでるんだから、みんな(働き者)も働かずに休もうよ」と呼び掛けているもの。夏場は暑いし、疲れるし、熱中症にもなるしね。この呼び掛けは、浄土宗さんから始まったとの事にて。浄土宗の用語などを網羅した、浄土宗大辞典の中に、その言葉が記載を。子供時代に奉公に出されたといえば、わが寺が長年に渡り、お世話になっている仏壇店の店長さんの話をここで一席、しておかにゃならんですかね。その店長さんは、現在76歳、欽ちゃんファミリーの齋藤清六さんに極似でして、若い人達はわからんでしょうな。興味があるなら、その名でググってみて下さい。その店長さんは、母1人、子1人で、15歳の時に熊本から北九州の仏壇店へ丁稚奉公に。北九州に来てからは、親孝行が出来ないからと、毎月欠かさず母親に小遣いを送金。その返礼として母親から毎月、手作りの野菜が。「この野菜のお陰ですかね、家族は皆、元気に、健康で」と、嬉しそうに店長さんがおっしゃられておりました。その母親が、この世を旅立つ時が。「お前に渡さにゃならんものがあるから、来てくれんか」との連絡があり、店長さんが病院へ見舞いに行くと、手渡されたが通帳と印鑑。中を見てびっくり。15歳の時から送り続けていたお金が1円も使われておらず、店長の名義で入金されていたと。なんとその額、1千数百万円。母親の死後、店長さんは「親とは有難いものですね。が、このお金は贅沢には使えませんので」と、国に申し入れて、外国人受け入れのホームステイの費用に使用を。結果、娘達は外国人と会話が出来た事で、2人ともが英語がベラベラに。店長さんが拙僧に「人というは、何の見返りを求めなくても、誠意を持って動いていれば、動いただけの結果が、付いてくるもんですね」と。因みに、北野武さんの母親も、タケシさんが売れてより「毎月30万円くれ」と取っていたお金を、息子が落ちぶれた時の為に、1円も使わずに貯金していたとのこと。【余談】もうかれこれ10年程前になりまっしょうか、90代婆様と30代曽孫娘が、拙僧の前で面白い会話をおっ始めよりました。その婆様が「ところで、お前(曾孫娘)は、結婚する気はないんかい」と。対し、曽孫娘が「だって、素敵だな、と思った男性は皆、結婚してるんだもん。残ってるは、残念君、ばっかりで」と。対し、婆様が「あん、残念君ばっかり、じゃと。お前もその、残念さん、と向こうからは思われとるわい。わしらの時代は戦争で、金やら、銀やら、皆死んで、残っとる中から掘り出し物を嗅ぎ分けるしかなかった。その嗅ぎ分ける力も、女の器量じゃ」と。曽孫娘はその言葉に、一言も返せませんでしたね。この時、言い放つ婆様の言葉を聞きながら、拙僧『ドヒャー、この婆様、男性の事を、金やら、銀やら、と表現しおった。やっぱ、女性は生き物が違うわい』と心の中で大笑いを。この婆様ですが、身体は衰えたりとはいえ、現在101歳、口は相も変わらずの健やかにて。思えば、日本は戦争で多くの若い男性を失いましたが、終戦僅か23年後、昭和43年には、日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に成長を。その時の最大の功労者は、やはり何と言っても、5人、10人産んで育てた女性陣にて。『人は城、人は石垣、人は堀』ですもんね。武田信玄公が言われた言葉、という事ですが。この婆様と曽孫娘の会話の後、婆様に拙僧「ところで婆様は、その掘り出し物(夫)を嗅ぎ分ける事が出来たの」と尋ねると、婆様が「勿論、嗅ぎ分けたくさ。50歳そこそこで死んじまったがな」「その旦那さんは、金だったの、銀だったの」と返すと「金とまではいかんが、わしが銀にまで育ててやったわい。男(夫)は、女(女房)次第じゃ。頼朝(妻、尼将軍政子)も、秀吉(妻、ねね)も、女房の影の力があったからこそじゃ」と。もう、天晴れ、と言うしかない、敵わんわ。お寺もですね、栄えている寺院を見ると『住職の力』というよりも『奥さん(坊守さん、寺庭さん)の力』と言った方が間違いない。いやいや、女性というは、やはり凄いですな。漢字を見ても、それが的確に表現されております。素直な良い子の『娘(むすめ)』が、結婚して、他家に嫁いで『嫁(よめ)』となり、子を産んで育て、夫を支え、家を守っていく内に、鼻に付く『嬶(かかあ)』となり、晩年は、波風を超えてきた経験から、波風立てる『婆(ばあ)』となっていく。変化を続ける女性に、単細胞(男の漢字には変化なし)の男性が、如何に威張り腐っても、適うはずがないですよね。すいません、大変失礼な事を言いました。お許しを。この話は余談ですが、パリオリンピックの陸上、リレー競技を家内と見ていた時に拙僧「何万年も昔から、母が子を産み、産んでもらったその子が大人になって、また、子を産み、と、1人が1人に1つの命を延々と途切れさせる事なく、バトンタッチしてきてくれたお陰で、自分達は今現在、命を頂けてここ(今生)に。そう考えたら、先祖さん達に感謝せにゃならんですわな」と。対し、家内が「ほんとですよね。陸上のリレーを見ていると、バトンを受け取った選手は、一生懸命に自分の番を走っていますよね。親から命のバトンをもらった私達は『今度は、私の番だ』と一生懸命に人生を走って、わが子にバトンを渡せましたかね。こういう姿(懸命に走っている陸上競技選手)を見ていると、考えさせられますよね」と。職業柄(寺院勤め)ですかね、どうしても夫婦間では、この様な会話になっていきます。さあ、皆さん、お盆なっとは、ご先祖さん達に感謝の心を。        令和 7 年 8 月分  金剛寺住職 臨時法話現在、日本では、神社総数88000社のうち、70000社以上が宮司さん不在の状況。先日も拙僧法話の読者である神社の宮司さんが「私は1人で90社の世話を」と言われておりました。寺院においては、総数77000ヶ寺のうち、既に20000ヶ寺以上が住職不在(廃寺)の状況になっております。近い将来、50000ヶ寺が廃寺になるとの事。わが寺の檀家さんが横浜と仙台に仕事の関係で移住して、既に10年以上になりますが、今だ菩提寺が見つからず、7月末に拙僧、仙台へ初盆参りに。「先祖など、どうでもいい」と思う人なら、散骨とは名ばかりで、海に遺骨(先祖)を捨てて、清々する人もいるでしょうが、この2家の檀家の家族は、そんな人達じゃないので、拙僧を遠方までも呼んでくれます。菩提寺が見つからない理由は、わが寺を基準(戒名料無料、永代供養料安額など)にして菩提寺を探しているから。「人間関係(世の中)は全て、割り切れないものを無理やり割り切って、わが心と折り合いを付けるしかないよ」と拙僧、この檀家さん達に。お寺の永代供養料は、高額なお寺でも1柱(故人1人)100万円くらいかな。樹木葬の場合、高額なら150万円というところも。お寺の方が安価なのに、納骨堂を退堂し、墓じまいをし、樹木葬を選ぶという事は、結局、先祖の供養をしたくないんだろうね。わが寺にも樹木葬の業者が2度、来られた事がありますが、お話をしておりますと、この方々(樹木葬業者)に限っては、どう見てもど素人、商売の何物でもなかったですね。世の中、特に、コロナを迎えてからここ数年、世の中はガラッと変わりましたね。先祖、家族を含む人間関係が希薄な社会になりました。家族が5人いたとしたら、各々人生は別々にて。が、家族で1つ共通したものが。それは先祖が同じという事。その先祖という柱に家族全員が心を寄せているから、家族は崩壊せずに済んでいるもの。幼子がお菓子を貰って即、食べようとした時、親が「まず、爺ちゃん、婆ちゃんに、お供えしたらどうだい」と。「あっ、そうだね」と子供が仏壇にお供えして、手を合わせる。この行為で子供は『施す』という心が育ちます。仏壇の中に本当に先祖がおるか、どうかなど、どうでもいい事。拙僧はこれまでに、1000家以上の家族(檀家さん、縁者さん)と接してきましたが、その狭い範疇から見た拙僧の見解ですが、家の中に手を合わせ、頭を下げる対象物(仏壇)が、ある家とない家とでは、子供の成長に結構な差が出ておるという事。また、爺ちゃんや婆ちゃんと一緒に暮らしている子供達、もしくは、一緒に暮らしていなくても、頻繁に爺ちゃんと婆ちゃんとの交流がある子供達は、そうでない子供達とはやはり『思いやる心』というものに、大きな違いが出ておるという事。子供から見て、親が祖父母を大事に世話している姿を見て育っているからでしょうかね。躾(しつけ)というものは『するもの』じゃなく『見せるもの』ですもんね。子供は親が育てただけしか育ってない。余談ですが、爺ちゃん、婆ちゃんを海に散骨した親を見て、所縁のある中学生男子が「住職さん、人間は死んだら、ゴミ捨てか。電車の中や、野原や、生ゴミ置き場に骨壷を。うちの親は『爺婆は散骨を希望してたんだ』と僕に言ったが、爺ちゃん、婆ちゃんは『わしらはどうせ海に捨てられる』と悲しそうに僕に言ってたんだ。僕は爺ちゃん、婆ちゃんを海に捨てたそんな親でも、海に捨てる様な事は、絶対にしない」と。先祖の供養というは、御礼報謝を形にしたもの。産んで、育ててもらった恩を、先祖供養というもので、恩返しをさせて頂いているもの。これは自分がこの世を立つ日まで続きます。7月の施餓鬼盆、8月の盂蘭盆、9月の秋季彼岸と、3ヶ月に渡って供養月が続くは、何万年も昔から1つの命をバトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今、私達はここに命を貰って、好き放題、やりたか放題が出来ているという事を、今1度、この時期に認識して、10月、11月、12月の3ヶ月で、心新たに新年を迎える準備を、という事かいな。この様な話は、キリスト教関連団体にも「話をしてください」との要望を受け、赴く事があります。東京九段の暁星学園では、マザーテレサさんが唯一、日本で講演された同じ聖堂で、法話をさせて頂きました。。「背広で伺いましょうか」と拙僧、先方に尋ねると「いや、法衣で来てください。聖堂で法衣を着たお坊さんが、お話をされる事に意義がありますので」と。暁星学園といえば、卒業者に、北大路欣也さん、香川照之さん、松本幸四郎さん、中村勘三郎さん、賀来賢人さん、グッチ裕三さん、モト冬樹さん、などがおられますよね。【上記の法話を読まれた女性が】拙僧法話読者の女性が「ご住職が7月10日に投稿された法話(上記の先祖の御恩)を読んで思ったのですが、考えてみると私の友人、知人で幸せな結婚生活を送っている人の大半は、ご先祖さんやご両親に感謝している男性を選んだ女性達かな。基本、そういう男性は、優しく、誠実で、思いやりのある人、奥さんも子供さんも大事にしますよね。ご住職が以前、法話の中で、読者女性の問い掛けで『結婚相手を選ぶ時に何か注意する点はありますか』の質問に対し『まず、結婚したいと思う男性の家に伺いな。男性の父親が男性の母親に対し、どんな態度で接しているかを確かめてきなさい。将来、君が夫になる男性からどう扱われるか(将来の君の姿)が、案外に見て取れるよ』と。この住職の言葉も、私の周囲には当てはまっている知人、友人が何人かおります。続けてこの女性が「住職は常に法話の中で『躾(しつけ)はするものではなく、見せるもの』と。子供は親の姿を見て育ってますもんね。男性だけではなく、女性の方もまた然りです。男性は『結婚したいと思う女性の母親を見て決めろ』と。特に、料理をしない母親の元で育った女性は、料理をしない娘が多い。お金にルーズな親の元で育った子供は、やはり、お金にルーズな人間に育っている可能性が高い。昨今は、お墓を捨てたり、親の葬式もせず、火葬場に遺骨を置き捨てて帰ったり、散骨とは名ばかりで海に捨てたり、供養をしたくないから樹木葬にしたりと。そんな家庭って、命を流してくれた人達への感謝が足りない表れでしょ。その様な感謝する心を持たない家族は、崩壊していくんじゃないでしょうかね。私は結婚相手を選ぶ時には、ご先祖さんやご両親を大切にしている男性、家族ぐるみで菩提寺やお墓に足を運んでいる家の男性を見つけようと思ってます。数年で離婚したくありませんから。歳をとって、子供から捨てられたくありませんから」と。拙僧はこれまでに、数千人の人と関わってきましたが、その経験から言える事は、こっちに感謝が出来る人間は、あっちに向かっても感謝が出来る。あっちに感謝が出来ない人間は、こっちにも感謝は出来ない。人の心は1つですもんね。感謝の出来ない人間は、自然と人が離れていき、最後は必ず孤立する。因みに、わが寺の檀家さんの中には、江戸時代の後期から令和の世まで、過去帳の中に代々の戒名が残っている家が数家あります。これは何を意味しているかといえば、江戸時代後期から誰1人として親を粗末に扱った子供が出なかった、という証にて。そんな家は当然、栄えております。先祖のご加護のおかげで栄えてる、というよりも、感謝の出来る子供が代々繋がって、家が栄えてきた、という事なんでしょうな。先祖は家の土台にて、大事にしないとですな。余談ですが、昨日(7月14日)、拙僧の息子(次男)が入籍をしました。上2人(長男、長女)に習い、披露宴はしないそうです。これで3人(長男、長女、次男)とも片付き、孫も3人(男の子ばかり)授かりました。親としては、子供が歳を取った時、1人寂しく生きていく姿を見たくないですもんね。人は歳を取るにつれ、失っていくものばかりにて。職を失い、親を失い、友人を失い、伴侶を失い、健康を失い、と。だけど、そこに孫がおれば、心の癒しと夢(孫の成長)を頂く事が出来ます。これは実に有難い事です。これも余談ですが、檀家若者が「東北大震災を的中させた漫画家が、今度は漫画『私が見た未来』で7月5日午前4時18分に大災害が起こると夢で見たと。どう思う、住職」と。対し「トカラ列島の地震が1100回を超えたんだってね。海底地下で何かあってんだろうね。慌てなくていいよ。縁は全て、受け入れて、乗り越えりゃいいだけ」と。対し、若者が「ノストラダムスが、2025年7月に、日本で大地震か起きると予言してるでしょ」と。「1999年7月に人類滅亡と予言してたよね。ノストラダムスは500年前の人で、お医者さんでしょ。人間は、死ぬ時は死ぬ。死にとうても死ねん。人は寿命。死ぬまで生きときゃええ」と檀家の若者に。次回の投稿法話は、8月5日になります。添付写真は、東京九段にある暁星学園聖堂(マザーテレサが唯一、日本でこうえんされた聖堂)で、先祖の大事さを法話させてもらった時のものです。

令和7年7月分 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。【はじめに】7月の施餓鬼盆月、8月の盂蘭盆月、9月の秋彼岸月になると、檀家の子供達から「仏壇に線香と蠟燭(ロウソク)をお供えするは、何か意味があるの」と問われる事が。対し、拙僧「色々あるが、1つには、線香も蝋燭も第三者の手を借りないと、火が着く事はないだろ。1度火が付いたら自然と無くなるまで、自ら消す事は出来ないだろ。その間、自らの身を削りながら、周囲を明るく灯しつつ、周囲に香の香り(癒し)を漂わせつつ、その役目を終えていく。蝋燭(ロウソク)と線香を仏壇にお供えするは「君は、そんな一生を過ごしているかい」と自分自身に問い掛ける為だよ」と。【本文】令和 7 年 7 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?暑中お見舞い申し上げます。これより先は、厳しい時節が続きますので、読者の皆様方におかれましては、熱中症に気を付けられて、どうぞ、お身体の方、ご自愛下さいませ。もうかれこれ1年程になりますかね。出勤前の毎朝6時頃、わが寺へ朝の散歩がてら、参拝に来られる近所の40代の男性(檀家さんではない)がおられまして。数日前のこと、彼に拙僧「あなたは、大阪出張が多いようですが、万博へは行く予定はあるんですか」と尋ねると「行く予定はありませんね。興味がないからですね」と。「ほう、例えばですね、お年寄りの人達が『1日の時間が経つが早い。1年が経つが早い』と、よく言われてるでしょ。でも、1年は1年、1日は1日、24時間は24時間、老人も子供も変わりはないですよね。なのに、何故、時間の遅い、早いを感じるのか、それは、好奇心を持つか、持たないか、だけですよ。人間は知っている事よりも、知らない事の方が圧倒的に多い。お年寄りが時間の流れを早く感じるは、長い間の経験から『こういう行動を取ったら、この先、こういう風になるのに』と結果が予想出来るから、行動よりも心の方が先に、そこへ飛んじゃうからなんだよ。知らない事に好奇心を持てば、時間の流れも多少は変わると思うよ」と。すると、その40代男性が「じゃ、そうですね、時間があれば、万博に行ってみましょうかね」と。対し、拙僧「時間があれば、なんて事を言ってたら、恐らく行かないよ。時間は、作るもんだよ」と。「じゃ、時間を作ります。だけどさ、住職、相変わらず、大阪万博に文句を言ってる人が多いですよね」と。「文句を言ってる人達は、万博に行ってない人達じゃないかな。『講釈言い、文句言いは、動かんと相場が決まっとる。動かん人間に限って、文句を言いよる』と言うからね。1889年に開催された第4回パリ万博の時、エッフェル塔が建設されたんだが『パリの景観が崩れる』と言って、モーパッサン他、大勢の人が大反対をされたんだと。だが、モーパッサン(自然主義の小説家)は万博後『ここが、パリで唯一、この塔を見らずに済む場所』と言って、度々、エッフェル塔(建設期間2年2ヶ月、高さ324メートル)内のレストランへ、足を運んだそうな」と。続けて、拙僧「でも、本当にそうかいな。足を運んでいる内に、その良さがわかってきた、が、本当のところじゃないのかな。口には出さなかっただけで。本当に嫌だったら、見るのも嫌だったら、背を向けていれば済む事にて。そんなに度々、塔に向かっては行かないでしょ。行く着くまでにどうしても、エッフェル塔は目に入ってくるんだからね」と。因みに、東京タワー(333メートル)は、エッフェル塔建設の70年後、1958年に対抗して建設されたと言われていますが、この『対抗して』というは、どうも違うそうですね。続けて、拙僧「昨今は、経験もしてないのに、自分の持ってる知識と感覚だけで文句を言ったり、SNSの情報を鵜呑みにして、勝手に決め付けて、全く知らない人を寄って集って追い込んだり、と。『ネット(本)の中だけで、生きてんじゃねえよ人間』や、経験なき知識人『唯の物知りさん』が一定数、この国には存在しておりますもんな。万博に対して文句を言いたい人間は、まずは、万博に足を運ばなきゃ。何が気に食わんのか、目で見て、耳で聞いて確かめないと、文句の言い様もないじゃろうに。第三者の評価(その人の個人的な意見)を借りて、(鵜呑みにして)文句、批評を言わず、まずは、自分で確かめに行ってみる事ですな。諺に『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ』という言葉も。何でもがそうだが、否定から入ったら、得るもんはなかですばい。揚げ足を取るような事ばかりをせず、どんな物にも必ず良いところ(自分にとって益になるところ)があるから、それを自分の人生の参考にしなきゃ、ですな。どげんよ、行く気になったかいな」と拙僧、この40代男性に。更に、拙僧「日本で初めて開催された万博は、昭和45年(1970年)に大阪で開催されたものだが、当時、拙僧は8歳、残念ながら生活にゆとりがなく、行けてないんだよね。77ヶ国が参加した万博で、入場者は6400万人以上だったと。この万博で広がったものといえば『歩く歩道、エアードム、モノレール、電気自動車、自転車、電波時計、温水洗浄機付き便座、ビデオテープレコーダー、缶コーヒー、ファストフード、ブルガリアヨーグルト、インスタント食品、レトルト食品、チーズ、ワイン』などなど。さて、この度の万博は、何が後世に残るのかな。こんな唄がある。『踊る阿呆(アホ)に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃ損損』と。同じ阿呆(あほ)なら、行って、見て、聞いてこにゃ、損損と。という事で、この度は拙僧も、万博には行こうと思ってるよ。何せ、自分の目で耳で味合わなきゃ、法話のネタにもならないしね」と、この40代男性に。【臨時法話】数週間前ですが、結婚に躊躇している、という檀家30代男性の話を1時間程聞きました。その話を聞きながら、以前(数年前)、法話の読者が胸の内を淡々と述べてきた話を思い出し、その話を拙僧、この檀家30代の男性に話をしました。彼に「その読者男性は拙僧に『吉本興業の坂田利夫さんが、生涯結婚をしない、と決めた理由は、自分が、アホ、と言われるは構わない。が、わが子が、アホの子供、と言われるは、可哀想過ぎるから、と言われてました。親の因果が子に報う、という言葉がありますが、私は就職の時にも、結婚の時にも、この親の子供か、が理由で駄目になりました。今は情報を得ようと思えば、結構簡単に手に入る時代ですもんね。それが犯罪ともなれば、尚の事ですよね。が、捨てる神あれば、拾う神ありで、親は親、子は子、と判断してくれる人との縁が幸運にも貰え、就職も、結婚も、ご縁が。腐らず、真面目にやっておれば、きっと誰かが見てくれている、と信じて。私は、運も良かったと思います』と、その様に拙僧法話の読者の男性が言ってたよ」と。続けて拙僧、その檀家30代男性に「君と少しだけ境遇が似てるだろ。他にも事情はそれぞれ違うが、気の毒な家庭環境の中で生活している子供が、檀家の中には今現在においても、何家かある。嘗ては、その気の毒な環境を乗り越えられた者も、乗り越えられなかった者も。乗り越えていった人達は皆、葛藤しながらも、自分で切り開いていったかな。挫けそうな時には拙僧のところに来て、鬱憤(うっぷん)をぶちまけていたが。黙って聞く事ぐらいなら拙僧にも出来るから、遠慮せずにお寺においで」「有難うございます」と、この男性が。【病気】石橋貴明さんが、初期の食道癌、咽頭癌との事。酒と煙草が、その要因の1つと言われているが。よって、その病気の多くは男性との事。煙草は膀胱癌のリスクも高いとの事ですもんね。拙僧の従兄弟は、ヘビースモーカーで、血尿が出て検査に。その段階で、寿命4日との診断を。その診断から1年後、50歳で他界を。が、この従兄弟は、日本債券信用銀行破綻で10年間、他の銀行に身を置きながら、その後処理(あとしょり)を。その間、まともな食事も取らず、ストレスで過度の酒と煙草を。膀胱癌、煙草、酒と言えば、脳裏に松田優作さんが。病気は口から入るので、口養生が出来ないは、やはり大きなリスクが。拙僧の従兄弟(いとこ)においては、銀行の破綻処理の過度の心身負担が、体を蝕む大きな要因となったのでは、と思うが。これは余談ですが、石橋貴明さんといえば、以前、大御所芸人(笑福亭鶴瓶)が若手の芸人に「ロケバスの中で寝るな。とんねるずも、ダウンタウンも、うんなんも、ロケバスの中で寝ている姿を見た事がない。その連中は皆、外を見たり、バス内での会話したりで、新たな情報を吸収していたぞ。時間を無駄にしている者に、成功した奴はいない」と。この事は拙僧も、若手の僧侶に、同じ様な事を言ってるかな。        令和 7 年 7 月分  金剛寺住職 臨時法話先日、、檀家の家へ仏壇参りに伺うと、夫婦位牌(めおといはい)と夫婦骨壷(粉砕機で粉にして、夫婦一緒に1つの骨壷に)の話になりました。昨今は、この夫婦位牌と夫婦壺、これを望まれるご主人達が、ちらほらと出てきましたね、拙僧の法話の影響かいな。ところが、この話になると、どの家庭においても奥さんが「どうして死んでまで、こん人と一緒におらにゃならんの。真っ平ごめん被るわ」と。まあ、本心かどうかは別にして、一応、拒否反応をされます。いやはや、ご主人さん達、今日までにいったい何を仕出かしてきたんでしょうな。まだ、取り返しの効きそうなご主人さん達は、急いで挽回をしなきゃ、残された時間は、結構に短かかですばい。さて、そんなこんなで、この話が盛り上がっていた時、この家の40代の奥さんが「住職さん、1つお願いが」と切り出してきた。対し「何ですかいな」と拙僧。「別に、主人が嫌いだとか、主人の家の納骨場所(わが寺の納骨堂)に入りたくないとか、そういう訳じゃないのですが、もし、もしですよ、私の方が主人よりも先に旅立った時には、少しの間でいいですから、実家の父と母が眠る、実家の納骨場所に入れてもらうっていう、わがままは可能ですか」と。対し、拙僧「それは、勿論、可能だよ」と答えた後、ご主人の方に目を向けると「この人(家内)は、前からそれを望んでいて。まあ、どっちが先に逝くかはわかりませんけどね。仮に、私が先に逝ったとしても、その望みは叶えてあげたいかな。ただ、その時は期限を決めて、私の方(嫁ぎ先の納骨場所)に帰ってきてもらいたいですが。同じ屋根(納骨堂)の下とはいえ、住む部屋が違ったら、やっぱ、寂しいですもんね」と。対し拙僧「了解しました。奥さんが先に旅立たれた場合は、そうしましょうね。ご主人が先に立たれた場合は、奥さんが後から追っかけていく事になるが、その場合でも、少しの間は、実家の納骨場所に父上と母上と共に、親子水入らずで奥さんを入れてあげようかね」「有難うございます。これで安心しました」と。続けて、拙僧「この件、了解しました、とは言いましたが、年齢的に拙僧の方があなた達夫婦より、10歳以上も年上だから『よし、心得た、任せい』と責任を持って胸を叩く事が出来ないので、その事を後継する息子達に言っておきますよ。その息子達が万が一、その事を忘れていたらいかんので、君らの家の過去帳に、その旨の事を書き記しておくからね。人が亡くなれば、戒名を記す為に必ず、過去帳を開くから、決して忘れる事はないですから。過去帳ってね、その家の人が他界された時の重要事が書き記してあるから、結構に面白いんだよ。所謂、過去帳は『〇〇家のメモ帳』というところかな。その家の資料にもなるんだよね。ところで、奥さん、あなたのその要望ってね、あなただけが言ってきた事じゃないんだよ。偶に、頼まれる事がある。あの世に逝ったからとて、親子だもんね。そりゃ、遺骨になっても甘えたいだろうし、親元というは、落ち着けるわな」と。最後に、拙僧「生まれ里と嫁ぎ先が、同じ納骨堂でよかったね」と言うと、ご主人が思い出したかの様に拙僧に「あっ、住職、1つ大事な事を言い忘れてました」と。「なによ」と聞き返すと「私が先でも、家内が先でも、2人共が旅立った時点で、2人の遺骨を一緒に粉砕機に掛けて粉にして、1つの骨壷に納めていただけませんか。以前、住職の法話でこの話を聞いた時『これだ。これがよか、これしかない』と、その時点で決めておりましたので」と。対し、拙僧「うん、うん、いいよ、了解しました。過去帳にその旨の事も、一緒に書き添えておきますね。だけど、あなた達はまだ、40代なのに、この話はちいと、早うございませんかいな」と返すと「何言ってんですか。住職は法話の中で度々『明日の命を約束されている人間は、誰1人もいない。自分だけは死なんと思うとりゃせんか』と言ってるじゃないですか」「おっ、おっ、そうじゃった、そうじゃった」と。【余談】この話は余談になりますが、先日、ある50代の読者の男性から、拙僧にこの様な問い掛けが。彼曰く「わが家の菩提寺(代々の先祖を供養、葬式をしてくれる寺院)の他に、父(80代)は、長年お世話になった他宗のお寺がありまして。その寺院のご住職に父は『戒名を付けてもらいたい。菩提寺は〇〇宗だけど、どうしても〇〇宗の〇〇上人さんとのご縁を結んで、この世を去りたい』という思いを持っておりまして。これって、菩提寺との間で、何か問題がありそうなんですが。どうですかね、住職(拙僧)さん」と。対し、拙僧「他宗寺院のご住職に授けてもらった戒名でも、快く受け入れてくれるご住職(菩提寺)も中にはおられますが、大抵は難しいでしょうな。各々の寺院には、各々の規定(使用する漢字、料金)というものがありますからね。お父上が『どうしても』と望まれるのなら、菩提寺では、菩提寺のご住職に授けてもらった戒名で供養していただいて、そのお世話になった他宗寺院においては、その寺院のご住職に戒名を授けてもらい、その戒名で永代に、そのご縁のあった寺院で供養して貰えばどうですかね。」と。対し、その息子さんが「戒名が2つあるっていうのは、問題ないのですか」と。「歴史の中では、複数の戒名持ちは、結構におられるんだよ。その寺院、その寺院、とのご縁が、個人的にある人がおられるからね。問題はないですよ」と。この拙僧の進言に対し、50代息子さんが「そうですか。じゃ、もう1つ、いいですか。その場合、これからの子孫は、どの寺院を重視(授かった戒名)すればいいのですか」と。「そりゃ、当然、菩提寺です。他宗寺院はあくまでも、その他宗寺院と故人本人さんとの関係(ご縁)ですので。その縁あった他宗寺院で未来永劫、供養をしてもらいたいという、故人本人の思いを子孫が受け入れた、というだけの話です」「なるほど、よくわかりました」と。【わが寺の閻魔地蔵盆法要】今月の7月20日は10時半より、わが寺では閻魔大王(地蔵菩薩の化身)の法要(施餓鬼地蔵盆)が執り行われます。この法要においては、参拝してくる子供達から「住職さん、閻魔大王さんって、本当にいるの」との質問が、毎年の様に向けられてきます。対し、拙僧「知らんがな、死んだ事がないし、会った事もないから。だけど、本当にいたら、どうするよ。死んで、あの世に逝った時、閻魔さんが本当にいたら、そん時はもう間に合わんぞ。だから、閻魔さんが本当にいても慌てない様に、この世で生きている内に、爺ちゃん、婆ちゃん、親を大事にしときな。何万年もの間、1つの命をバトンタッチの様に繋いでくれたご先祖さん達に、感謝しときな。友達や世間の人達も大事にしな。嘘や悪口、いじめや、盗みなど、そんな事はやめときな。そしたら堂々と、閻魔さんに会う事が出来るじゃろ」と。更に、子供達に「地蔵とは『地』に『蔵』と書くだろ。昔、宝物は『蔵』という建物に入れてたんだよ。大地の下には、水、油、人間以外にも、生物を育む様々な養分も。つまり、大地の下は宝だらけ、という事。そこで『地』に『蔵』と書いて『地蔵』という信仰が生まれたんだよ。その大地が全て『地蔵』なら、地蔵の化身である『閻魔大王』に、人間は皆、全てを見られとる、という事になる。よって、閻魔に嘘は通じん、という事になるんだよな。まあ、これが本当かどうかは知らんが、試しに悪い事ばかりやって死んでごらん。あの世に逝けば、わかる事だから。この世でも嘘は必ず露見するし、悪い事をしたら罰せられるだろ。人間は、自分がした事、やった事は、必ず背負わにゃならん。あの世でも続きがあるんじゃないのかな。死んだからとて、自分のやらかしてきた事が、チャラになる、とは到底思えないけどな。そこんとこ、どう思うや」と檀家の子供達に。この方便は、結構、子供達には効き目がある様で、これまでの態度を改める子供も少なからず。ただ、最も面白い光景は、この話しを横でコソッと聞いている大人達かな。身に覚えがあるのか、その時(閻魔さんとのご対面)が近いからなのか、わが寺の閻魔さんの顔を、まともに見れなくなる様で。身に覚えがあるなら、まだ間に合うから、これまでの生き方を懺悔して、改善すればいいだけなのにね。人間は死ぬまで、生きとかにゃならん。死ぬまで人間は、どうとでも改善が出来るからね。これは余談ですが、85歳を過ぎたご老人達から度々「住職、眠る様に死にたい。その様に祈願してくれんか」と頼まれる事が。対し拙僧「その事を口に出して言ってる人が、眠る様に旅立っている人が多い様に思えるよ。高杉晋作さんが『夢は大きな声で言って回れ。誰かが聞いてくれている』と。神仏や先祖の耳に入って、その願いを叶えてくれてるのかもよ。この度の閻魔地蔵盆の短冊に『眠る様に旅立てます様に』という思いで『安眠成就』と書いて祈願しなっせ。願いは持たないと、叶う事はないでっせ」と、その檀家のご老人達に。次回の投稿法話は、7月5日になります。

令和7年6月分 金剛寺住職法話

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人など)の為に、コピーしてお配りしているものです。中には、会社の社長さんも何人かですが、この1日法話をコピーして社員さん達に配布されている会社も。そうした意味から、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者は、無視して下さいませ。【はじめに】わが寺では、毎年6月の第一日曜日(今年令和7年度は、6月1日)10時半より、夏越し護摩法会が行われます。護摩とは本来、インドの地で行われていた『火の神アグニ』を供養する事により、魔を除き、福を求める為の火祭りであったとの事。これを仏教が取り入れ、仏前に火を焚いて、先祖の供養を為し、菩提心を発起させる秘密修法となした。壇炉を不動明王の口に観じ、本尊のご加護によって煩悩を滅し、智の風化でこれを焼き尽くし、身口意の三業を清浄とならしめ、願いを叶えて頂く力を授けてもらうものである。この法要が終われば、梅雨の時期を迎え、本格的な夏が到来を。添付写真は、わが寺の護摩法要。令和 7 年 6 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?【本文】30代前半の檀家の未婚女性が「住職。私の友人の何人かは離婚を。中には、バツ3、なんてのも。その友人達が『結婚なんて、やめときな。人生の墓場でしかないよ』と。これって、どう思いますか」と。「各々の事情があるだろうから、何とも言えんが、その考えを他者に押し付けるは、如何なものかな、と思うけどね」と。「そうですよね。私の両親は結婚40年を超えましたが、今でも仲が良く、喧嘩など見た事が。それに、この離婚した友人達ですが、考え方が子供っぽいんですよね」と。「その友人達には、お子さんはおられるの」「いいえ、その前に離婚を」「これは一概には言えないが、お寺の檀家、知人らの狭い範疇での拙僧の印象だが、育てられた経験しかなく、育てた経験のない人達は、どうも、大人になりきってない感があるかな。子供を育てるには、我慢する心が必要だろ。成長を待つ心も必要。親が子供を育てている、と思ったら大間違いで、親も子供から育てられているという自覚も必要。この経験の『ある、なし』は、結構に違いが出るんだよな。勿論の事、例外はあるよ。例えば、忙しい母親の代わりに、下の子(弟、妹)達の世話をしてきた、とかね」と。対し、この檀家女性が「私も未婚だから、現在、子育て真っ最中の友人と自分とを比較すると、住職が言われる事を感じる事がありますね。育ててもらっているといえば、学校の先生も、生徒を育てていると思ったら大間違いで、生徒から育ててもらって、一人前の先生になっていくんですもんね。医師も患者さんから育ててもらっているし、上司も部下から育ててもらってるし。そうした経験のない人達は、特に、腹を立てた時、私も偶にありますが、子供の様な怒り方(只々、気に食わないから怒る)をしてますもんね。人間って、ほんと、経験は大事ですよね。住職が時折り『知識が豊富にあっても、その知識に経験が伴ってなければ、只の物知りさん、に過ぎん。只の物知りさんでは、実践の役には立たん』と。ほんと、そう思います」と。続けて、この未婚女性が「それに『結婚は人生の墓場である』という言葉は本来、世間で認識されている意味とは違いますもんね」と。「そうだね。墓場(永眠、安らぎの場所)まで一緒に行こうね、が本来の意味。それに、昨今の研究で結婚のメリットが様々出てきたよね。結婚すると『うつ病、心臓病、脳梗塞、心筋梗塞』のリスクが下がると。結婚する事で、ストレスホルモンが減少するというデーターも。『私は結婚した事で、ストレスだらけだ』と反論者が多数、声をあげそうだが。他にも、この流れ(結婚、子育て、孫育て)で様々メリットが。某大学の蜂の研究では、蜂の世界は、老いた蜂が外回り、若い蜂が巣内で子育て、の役目になっているとの事。が、高齢の蜂に子育てをさせると、若い蜂と同じホルモンが脳内で出ている事が判明したと。脳が若返る効果があるのではないか、と研究者が。これは人間にも当てはまるんではないか、と。そう言われれば、孫の面倒を見ている檀家のじいじ、ばあばは、見た目は若い様に見えるよね。子育てをさせると『認知症の予防に効いているらしい。神経保護作用があるタンパク質が溢れてる』というが判明したとも言ってましたよね。若い子の真似をするだけでも、脳が若返る効果があるというデーターも出ていると。つまり『刺激的な生活がいい』っていう事かな。拙僧も今年、63歳、孫(0歳2人、2歳1人、全て男の子)も3人。参考にしようかな」と。ここまで話した後に拙僧、この未婚女性に「さて、そこでだが、君は他人(ひと)の事より」と口火を切ると、拙僧の口を止め「住職、わかってるって。『結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかんぞ』でしょ。『精子、卵子の冷凍保存の成功率は、僅か29%だぞ』でしょ。耳にタコだよ。私も今年で33歳だし、どうしても子供が欲しいから。今年中に目処だけは立てようと思ってるよ。心配しなさんな、住職」と。因みに、余談ですが、昨今の研究で、味噌汁って、凄いらしいですね。食する回数が多い程、胃癌の死亡率が減少すると。胃癌原因と言われるピロリ菌を叩いてくれるのかな。また、乳癌、前立腺癌の予防にもなると。動物実験では、肺、肝臓、大腸の癌抑制効果もあったとの事。長崎市内への原爆投下の際、爆心地より1、8キロの位置にあった聖フランシスコ病院の秋月辰一郎医師は、救護、治療に当たった従業員に、ワカメ入り味噌汁を食べさせ続けた。その結果、1人も原爆症にならなかったというデータ(著書「体質と食物」)も。凄いよね、日本の発酵食品は。更に余談ですが、研究者が「自分の事を若いと思う60代は、身体も40代に相当を」と発表を。当然、人によって違いは。また「若い動物の血液を、高齢の動物に輸血したら若返った。逆に、高齢の血液を、若いのに輸血すると、老化が早くなる」という研究結果も。あくまでも研究段階ですよ。面白いですね。当に、迷信は解明されれば、迷信じゃなくなる、ですね。今後、どの様にこの研究が収まっていくんでしょうね。昨年の春、4年振りに家族で2泊3日の四国巡礼へ。その時期(頃)はまだ、コロナの影響がそこそこあって、巡拝者はまばら状態でしたな。某札所のご住職(80代後半)さんが「金剛寺さん(拙僧)、ここを見てんない、この環境を。海、山、川、こんな所にコロナなんぞはおらんよ。『コロナ如何なる物か』と、知識のない頃(コロナ初期)なら仕方がないが。まあ、それでも、コロナ全盛期の頃とは、多少は違ってきた(遍路人数)かな。バブル崩壊の時もそうじゃったが、他国は数年で方向転換していったが、日本はこの有事(コロナ)が来るまで『バブル、バブル』と言い続けましたもんな。恐らくその影響じゃろ、30年も給料が上がらなかったは。この国の人は、1度頭に捩じ込まれたら、なっかなか、そこから抜け出す事が出来んですもんな」と。続けて、ご住職さんが「空海さんは嘗て、鬱病を患った事があったと。どうやって克服されたか。高野山の山歩きだった、という事じゃ。同調音を聴き続ける事が、副交感神経の乱れを緩和させるに効果的、とわかったは最近の事だが、空海さんはご自身の体験から、鳥の囀り、川のせせらぎの音、木々を渡る風の音などによって、同調音が鬱(精神疾患)に効果的であるを気付かれたんだろうな。コロナ禍に入って日本は、主婦の自殺も増加、小学生の自殺においては、過去最高の数値を叩き出したというじゃないか。狭い所(家の中)に閉じ込められ、ネガティブな情報ばかりを聞かされ続けたら、そりゃ、心も萎縮してしまうで。親(大人、社会)は工夫せにゃ」と。「そうですよね。この国はお金さえ出せば、何でも手に入る環境。壊れりゃ、即、買い換える。工夫して活かす必要のない国だもんね。それがあっちこっちに影響してますわな」と、この四国霊場のご住職さんに。続けて拙僧、このご住職さんに「鬱病に同調音が効果があるは、拙僧も聞きました。変わったところでは、電車のガタンゴトンの音なども、それにて。同調音といえば他にも、クラッシック音楽や、お寺の法要もまた、そうかな。お経も木魚も一定調子音にて。法要中に眠気が刺し、すやすや寝入るは、副交感神経が緩和されるからなんでしょうね。わが寺でも、お寺にお参りに来る様になって、不眠症が解消されたという檀家さんも、ちらほらおらっしゃいます。家でじっとしていても、気が滅入るだけ。この際、空いた(もろうた)時間を使って、四国巡拝に訪れるもよかですよね。リモートワークを利用して、四国巡拝をされている人もおられると聞きました。何せ、心が洗われ、心が癒されますもんな」と。因みに、大きく深呼吸する事(脳内でセロトニンが分泌を)でも、副交感神経が緩和され、鬱病や精神疾患の改善、予防に繋がるという研究結果も。これは数年前の情報ですが。こうした情報は全て、その筋の専門家からの受け売りですが、それを実行された人達の意見(経験)を聞きますと、結構に効果がある様ですよ。読者の皆さんも、試されてみたらどうですかね。ここまでの話は、昨年の春、四国巡礼に訪れた時のものでございます。さて、今年も5月下旬に家族で四国巡礼に行こうかな、と思っておりますが。香川県(讃岐)を数ヶ寺、巡拝をしようかと。85番札所 八栗寺から車で3分程下った所にある『うどん本陣 山田屋 讃岐本店』のぶっかけうどんを食べるが楽しみ。徳島の個人タクシーの運転手さんが「このうどん屋が、香川で1番だよ」と言われていました。        令和 7 年 6 月分  金剛寺住職 臨時法話昨今、また、拝み屋さん関連の相談(苦悩)が、ちらほらと拙僧のところに。今年の事ですが、春のお彼岸に入って2日目(3月18日)のこと、拙僧とは初めてご縁の老女が電話で「住職さん、知り合いが、どこからか僧侶を連れて来て『この家には不動明王が祀られてあるから、この家の先祖さん達が家の中に入る事が出来んと、玄関の外で怒り狂っとる。大きな祟りがある前に、不動明王を排除せよ。私が排除してあげよう』と、その僧侶から言われまして」と。「ふーん。で、排除するのに、幾ら払えとか、言われたの」と尋ねると「はい。30万円と」「ほう、そりゃ、べらぼうな高額だね」「先祖の供養も含むからと。お金の事よりも、私のお婆ちゃんの時代(70年前)から、お大師さん信仰で大切にお不動さんをお祀りしてきているのに、排除なんて、気が引けて。だけど、玄関の外で先祖さん達が怒り狂っとる、なんて事を聞かされたら、もう怖くて、怖くて。どうしたらいいでしょうか」と。対し拙僧、この老女に「話はよくわかりました。では、明日ですが、私のお寺に来る事が出来ますか」と問うと「はい、有難うございます。必ずお伺いします」と老女が喜んで。翌日、約束の時間通りに老女がわが寺へ。その老女に拙僧、開口一番に「あれ、無事に来れたんですね」と言うと「えっ『無事に』とは、どういう事ですか」と。「だって、玄関の外に怒り狂った先祖さん達が、待ち構えてるんでしょ。それが本当なら、当然、なんかされるでしょ、怒り狂ってるんだから」と返すと「あっ、そう言われれば、そうですよね」「じゃ、この話はもう、終わりでいいですよね。70年も前から不動明王を祀られているんでしょ。何で今頃になって、先祖さん達が怒り狂うの。少し考えたら、わかる事でしょ。あなたが『えっ』という反応をされるから『しめしめ、この老女、身に覚え(先祖を大事にしてない)があるんだな。よし、よし、ラッキー、カモが来た〜』と、その僧侶が仕掛けてきたんじゃないの。それよりも何よりも、先祖は祟らんよ、失礼な。何が哀しゅうして、子孫を祟る先祖などおるもんか。先祖さんを愚弄するのも、大概にせにゃいかんよね」と、この老女に。嘗て、過去に1度だけですが、これと極似の相談を受けた事がありましたね。加えて、この老女に「今年に入ってね、わが寺の檀家さんではないですが、ある若者が『住職さん、ちょっと聞いてよ。両親がのぼせ上がっとる、怪しげな信仰の拝み屋さんが、全くこの信仰に靡(なび)かない私に、両親を通じて勧誘(下記)を仕掛けてきたんですよ』と拙僧に。その若者と拝み屋さんとの会話というが、このような話です。面白いから、まあ、参考にしてくださいや」と。【拝み屋さんから若者へ】「あなたの7代前の先祖が大変な事をやらかして、向こうの世界で彷徨い苦しんでいる。その祟りがあなたにも必ず来る。この信仰に入って、それを抑えなければ、あなたの将来に不吉な事が起こる」と。こう脅してきおったので、一応、黙って聞いていましたが、あまりにも辻褄の合わない事を、うだうだと言ってくるので、もう堪り兼ねて、この拝み屋に一言、申し上げてみました。【若者から拝み屋さんへ】「ちょっとあなた(拝み屋さん)、いいですか。確認ですけど、その7代前の私の先祖とやらに、あなたはコンタクトが取れてるんですよね。そこまではっきりと言い切っているんだから。なれば、その先祖とやらに、あなた(拝み屋さん)から言ってやってくれませんか。『あなた(7代前の先祖)がやらかした事を、私にどうしろと言うんだ。自分でやらかした事は、自分で責任を取りなっせ。7代先の子孫に、あんたがやった事の責任をおっ被せる様な、そんな情けない事はしなさんな。あなた(7代前の先祖)の近くには、阿弥陀さんも、閻魔さんもおらっしゃるんだろ。子孫に不吉な事を仕掛けようとしているのに、阿弥陀さんや閻魔さんは、何も注意をせずに黙って、あなた(7代前の先祖)の諸行を見て見ぬ振りをしようとしてるの。もしそうなら、仏の存在価値なんてないやん』と、その7代前の先祖とやらに、あなた(拝み屋さん)から言ってやってくれんかい」と。そこまで言うとその拝み屋さん、物が言えずに黙ってしまったんですって。しかしながら、この若者の両親は「あんたは、何て失礼な事を言うの、謝りなさい」と、その拝み屋さんを庇って、若者を責めてきたんだと。最後にその若者が「住職がいつも法話で言われている様に『人は教えられても、身に付かん。人は気付かにゃ、身に付かん』は、真理ですよね。私の両親はいつ、これが紛い信仰だと、気付くんでしょうかね」と。この老女にこの(上記)話をすると「この世の中に、こんな恐ろしい自称僧侶、どのくらいいるんでしょうか」と。対し拙僧「信仰は特別な物じゃないよ。特別な物にしている者がいるだけ。普通に菩提寺(その家の先祖代々を供養するお寺)で、先祖の供養に勤(いそ)しんでいたら、拝み屋系の僧侶に出会う事は、殆どないですよ。必要以上に欲を持つと、四方八方から勧誘の手が延びてくるので、そこを気を付けさえすれば」と。最後に拙僧、この老女に「ある高僧がですね、拙僧が若い頃に、こんな事を言われたんだよね。『信仰(団体)の起こりは全て初めは、見えた、聞こえた、付いた、祟った、病気になるぞ、死ぬぞ、の脅し信仰、おかげ信仰から始まる。そこから徐々に教理、経典が確立されていき、教育を受ける事によって、不思議信仰が段々と薄れていき、責任は全て自分にあり、の自業自得(自分がやってきた事が、今ここにある結果)、諸行無常の人の道を説く、まともな信仰に変わっていく。が、この教理、経典が確立されてないところは、いつまで経っても、見えた、聞こえた、付いた、祟ったの脅し信仰は、なくならない』とその様にその高僧が言われてたよね。まあ、でも、奇抜な信仰がなくなる事はないかな。一定数(責任を取りたくない、責任転嫁をする人)は、そんな信仰(お金を出せば、努力せずとも幸せになれる)が好きな人達が未来永劫、存在し続けるだろうからね」と。これは『ついで話』ですが、上記の法話を読まれた読者の若者が「住職(拙僧の事)さん、両親がここ数ヶ月、おかしな事ばかり言うので『何か、あったのか』と尋ねると、また、聞いた事のない様な信仰にのめり込んでるみたいで。お金も『祈願料、供養料』の名目で、結構に高額を出しているらしく『今度は、何をそんなに心配しているの』と尋ねると、父親、母親、共にいっちまった目で、鼻息荒く言うには、どうも、そのお参り所の僧侶(拝み屋)から『7代前の先祖がとんでもない事をしている。出てくるのは、皆、何故か、7代前なんですね。そのせいで、今後、夫婦の間に亀裂が入り、何もかもが、上手くいかなくなる。この先祖の供養をしっかりしないと、いつまで経っても夫婦の仲は、良くならない』と、まるで、その先祖がどんな生活をしてきたかを、見てきたかの様に言ったそうで。徳川15代で、270年でしょ。という事は、7代前って事は、およそ130年前の先祖って事ですよね。そう古(いにしえ)でもなく、かと言って、そう近くもなく、丁度良い、微妙な時期の先祖を持ち出してきましたよね。この僧侶は、この手の人間(私の両親)の扱いに慣れとるわ」と。続けて、この読者若者が拙僧に「私の両親の夫婦仲が悪いのは、今に始まったことではなく、お互いに自分勝手な事をしてきたからであって、第三者のせいでも何でもないですよ。その僧侶の前で、夫婦で罵り合う姿でも見せたんでしょうね。そんなのを見せられたら、何とでも理由付けが出来ますがな。そりゃ、その僧侶にしてみたら『よし、よし、カモが、ネギ背負ってやって来たわい』ってなもんでしょ。私、両親の様子を見ていて『これは、あかん』と思い、両親と一緒に、そのお参り所へ。その僧侶に会った印象を一口で言うならば『胡散臭い』としか、表現の仕様がなかったですね。その時、この僧侶(拝み屋)に『私の両親があなた(その僧侶)のお参り所に行き出して、もう1年近くになりますが、その間、供養料として、相当な額を渡していると思いますが、両親の自分勝手は、一向に治っておらず、毎日くだらん喧嘩を飽きもせずに続けております。これは、何ですか、あなたの供養力じゃ、私の先祖は永遠に浮かばれない、という事ですか。その間、永遠に高額の供養料を払え、という事ですか』と問い詰めると、その僧侶は無言に。その拝み所から帰りながら両親に『もう、大概にしいや。死ぬまでこんな事(拝み屋の鴨)を続けるつもりかい』と。やれやれですよ、住職」と若者が。次回の投稿法話は、6月5日になります。

令和7年5月分 金剛寺住職法話集

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。【はじめに】娘さんの結婚式、披露宴の後、お寺に御礼報謝に来られたご夫婦が拙僧の前で「住職、この人ね、結婚式、披露宴の間、ずっと泣き続けていたのよ。まったく女々しいったらありゃしない」と奥様がご主人をボロカスに。ご主人さんがあまりに気の毒だったので「まあ、でも、父ちゃんは、結婚式の日まではメソメソしますが、一旦手放したら、後はスパッと。が、母ちゃんときたら、お嫁さんに息子を渡した後も、何十年も息子夫婦に介入して、お嫁さんに小言を。どっちがどうかと言えば」と言ったら拙僧、思いっきり睨まれてしまった。これは、20年以上前の話です。昨今は、この手の話をとんと聞かなくなりました。若者が結婚をしないから。令和 7 年 5 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?拙僧法話読者の高校生が「住職の法話を読んでたら、住職は家庭環境ズタズタ(嫁姑戦争、親夫婦の不和、親の離婚、再婚など)の中で子供時代を過ごされたんですね。その環境下で最も学んだ事って、何でしたか。僕は今、住職が歩んだ同じ様な家庭環境のど真ん中で、悪戦苦闘しています」と。対し、拙僧「んっ、そうさな、最も学んだ事っていえば『リセットして、心を切り替える』という事かな。この教訓は拙僧のその後の人生に、多大な影響を与えたかな。だから、おかしな言い方に聞こえるかもしれんが、そんな環境を与えてくれた親には、感謝しとるよ」と。「リセットして切り替える、という心になった具体的なきっかけ(出来事)って、何かあったんですか」と、この読者の高校生が。対し、拙僧「両親が離婚した9歳の時、父の弟である叔父さんが拙僧に『ヒロ(博文が拙僧の本名)よ、お前の家庭は色々、様々あって楽しそうだな。毎日が退屈しないだろ。俺の家庭なんてさ、平々凡々で何もない。退屈で、退屈で、つまらんぞ』と、笑って拙僧に言ったんだよ」と。続けて、拙僧「言われた時は『何を言ってんだ、この叔父さん』と思ったが、暫く日を置いて考えると『なるほどな、そういう考え方もあるよな』と、その言葉には目から鱗を落とされたよ。その叔父(現在86歳)さんが陰で『あいつ(拙僧の事)が、可哀想過ぎる』と泣いてくれていたと、後になって聞いた時は、有り難くて胸が熱くなったよ。この事が考え方の変わる大きな分岐点となったかな」と。「そうなんですね。僕にもそんな叔父さんが1人ですが、おるにはおります。その様な言葉はまだ、もらってはないですが、事あるごとに、僕に気を遣ってくれてます」「そうか、そんな人が近くに1人でもいるという事は、有難く、心強いよな」と。続けて拙僧「因みに、リセットといえば、五輪柔道を三連覇(アトランタ、シドニー、アテネ)した野村忠宏さんは、試合前は国内大会であろうと、怖くて眠れなかったそうだよ。『会場が潰れてくれないかな。選手は全員、計量で落ちろ』と思ってたそうだ。じゃ、いつ気合が入るかといえば、試合会場で畳に上がる瞬間に、リセットされて、心が切り替わるんだって。『窮鼠猫を噛む』は、人の心を切り替える起点になるんだろうね」と。続けて拙僧、この高校生に「嘗て(2013年調査)、発展途上国ながら、世界1幸福を感じている国民の国として、ブータン(インド周辺の国)が有名になった事があったでしょ。実はあれ、1位じゃなくて、北欧諸国に続いて8位だったんだって。そのブータンの国民が一様に、幸福を感じるは『雨風がしのげる家があり、食べる物があり、家族がいるから幸せ』と言ったんだって。が、そのブータンが2019年の調査では、幸福度が156カ国中、95位まで転落。それ以降は毎年、ランキング外になったんだと。その理由としては、スマホの普及が最大の要因であったと。情報鎖国だった国(状況)がスマホを手に入れた事によって、他国の情報が入ってくる様になり『なんなんだ、私達の生活水準の低さは』と、若者達を中心に不満が広がっていったらしいよ。他(国、人など)と比べる事により、幸福度が下がるは仕方がない事だよね。日本人の幸福度が低いは、他と比べたがる気質(国民性)があるからだそうだよ。北欧諸国の人達が幸福度が高いのは、他人と自分を比べたがらない、横並びを嫌う性質があるからなんだと。まあ、でも、このランキング(幸福度)の決め方には、甚だ疑問はあるけど、その疑問の中にあっても教訓になるは『隣りの芝生は青く見える』という諺がある様に、他と比べる事によって、心に何かしらの作用(優越感や妬み)が起こるという事かな」と、この読者の高校生に。続けてこの高校生が「住職、話は変わるけど、麒麟(お笑い)の川島さんが以前、こんな話を。『土日は、休みを貰う事にした。エピソードトーク(経験話)が出来なくなるんですよ。タクシーネタ(移動手段)ばかりでは、間(話が続かない)が持たない』と。これ、住職さんも以前、法話のネタは街中で拾える、と言ってましたよね」と。「真実は小説よりも奇なり、かな。教訓も含め、街中には面白いネタ(出来事)が、なんぼでも転がっとる。ボーと歩いてたら、それに気付かんけどね」と。続けて拙僧「以前、勝俣州和さんが、笑福亭鶴瓶さんに次の様に言われたと。『スタジオの中ばかりで仕事をするな。ロケに出ろ。ロケバスの中では寝るな。とんねるずも、ウンナンも、ロケバスの中で寝ている姿を見た事がない』と。確か、君は、小説家志望だったよな」と、この読者高校生に。「はい。そうです。休みの日は家に篭って、何時間も試行錯誤しています」と。「そうか。でも、家に篭ってばかりじゃ、自分の『浅い、狭い、少ない』知識と経験の範疇でしか想像が沸かないだろ。それじゃ、面白い小説なんて書けないでしょ。本ばかりを読み漁って、如何に知識を豊富にしても、その知識を裏付けする経験が伴ってなければ、ただの『物知りさん』でしかないよ。ただの『物知りさん』では、人を惹きつける様な話は、書けないんじゃないの」と。すると、この高校生が「だったら住職、法話のネタになった街中での面白い話、幾つか教えて下さい」と。「そうやな、30年以上前だったかな、繁華街でヤンキー数人が車を止めて、救急車が来ても動かず、妨害を。そこへ極道風の男性が現れて、ヤンキーが屯している所に寄って行き、大声で捲し立てるではなく『救急車がどれ程に有難いものか、1度、怪我して乗ってみるか、お前ら』と。ヤンキー達は顔色を変えて、即退散を。そこに居合わせた人達が、その極道風の男性に拍手喝采。男性は照れながら街中へ。これは格好良かったな。極道さんって、どうだい。悪いイメージしかないだろ、頭の中だけの印象では」と。続けて拙僧「それと、今1つ。極道さんといえば、こんな思い出もあるよ。拙僧が大学生だった40年程前、京都は大半の銭湯にはサウナがあってね。ある日、友人(龍谷大学教授の息子、滋賀県出身)と銭湯へ。サウナに入っていると、全身総刺青の親分(当時、見た目60歳超え)さんらしき人と、若い衆が一緒にサウナの中に。その親分さんが拙僧らに『なあ、学生さんら。フランスにある自由の女神だがな』と話し掛けてこられた時、拙僧の友人が間髪入れず『おっちゃん、自由の女神は、アメリカだよ』と。拙僧、心の中で『このドアホ(友人)が。いらん事を言いおって』と思ったが、時既に遅しだよ。親分さんが『フランスからアメリカに送られた自由の女神、と言いたかったを、間違えただけじゃろうが。人の言い間違いをいちいち訂正せず、黙って話を聞く事も大事やで、学生さん』と。そこからサウナの中で、30分以上説教タイムが始まった。一緒におられた若い衆達が、拙僧らの顔を恨めしそうに横目で見ながら『こいつら、いらん事を言いおって』という表情を浮かべ、汗だく状態で小さな溜息を。帰り際、その親分さんが着替えの場所で拙僧らに『大丈夫か、ほら、飲め』と冷たい飲み物を。口の多い友人だったが、この事で少しは、軽口を叩くを慎む様になったかな。なあ、君(読者高校生)、家の中に閉じ籠ってばかりでは、こんな面白い縁に遭遇するなんて事はないだろ。犬も歩かにゃ、棒にも当たらんばい」と。「そうですよね。これからは、外に出る様にするよ」と、この息子さんが。【おまけ】読者の若者が「住職、知ってますか。文化庁が実施した2023年度の『国語に関する世論調査』によると、1ヶ月に1冊も本を読まない人が6割を超えたと。読書離れが進んでる様ですね」と。「その数字は大人の分でしょ。小学生は約12冊、中学生は約5冊、高校生は約2冊、1ヶ月で読んでるそうだね」と返すと「住職の投稿法話は長文でしょ。私は誤った理解をせずに済むから助かりますが、これだけ長文離れ(読書離れ)が進んでくると、読む人も限られてくるんじゃないですか」「だろうね。拙僧の投稿法話を読む人が20歳以下が結構に多いのは、それ(本を読んでる)が理由なのかもね。書店が潰れていくはずだわ。短文だと、読解力、推察力不足の読み手が自分勝手な解釈をして、それが悪口に繋がっていく様で。人差し指1本で、全く知らない人を寄って集って自殺に追い込んだ事例が、これまでにも少なからずあったでしょ。黙って読むのなら、勝手な解釈もそれはそれで、自分の心の中のだけの問題だから、面白い読み方だと思うけど。拙僧は、読んでくれる人だけでいいので、長文は続けますよ。何人かぐらい、長文書きがSNSの中にいてもいいでしょ、と思う」と。令和 7 年 5 月分  金剛寺住職 臨時法話将来は政治家を目指している、という読者の若者が「住職さん、政治家を目指すに当たって、何か教訓になる様な話がありますか」との問い掛けが。対し拙僧「教訓になるかどうかはわからないが、政治家さん達との付き合いが深かった、拙僧爺様(明治41年生)の言葉を教えてあげようかね。ただ、明治生まれの人だから、今の時代には少し合わない内容があるかもよ。そこはそれ、文句、批判は言わずに参考にしてちょうだいや。因みに、拙僧の爺様は、第二次世界大戦中に満州に渡り、土建業の社長を。この時に満州国政府におられた三原朝雄さん(文部大臣、防衛庁長官、爺様が1つ年上)と知り合い、この付き合いは晩年まで続いた。『遠賀(福岡県)へ連れて行け』と拙僧(当時20歳前)に度々、爺様が。三原事務所では、三原さんと爺様が並んで座っていたら『ここは怖い事務所なの』という雰囲気だったな。帰りの車中(三原朝雄さんと爺様の会話を見せた後)では、必ず爺様が、事務所で見た、聞いた事の教訓を拙僧に話してくれた。それを掻い摘んで話そうかね」と。【爺様からの教訓】悪に強い奴は、善にも強い。とことん悪い事をやってきた人間が、心を切り替えたら、今度はとことん善い事を。中途半端が1番駄目だ。人間には大きく分けて3種類ある。自ら積極的に動く人間。指示をされないと動かない人間。全く動く気のない人間。さて、お前はどの種類の人間だ。時間にルーズな奴は、全てにおいてルーズだ。人の時間(命の時間)を平気で盗む奴に、人を平気で待たせる様な奴に、信用出来る人間などおらん。人が動けば、必ず文句を言う奴が出てくる。文句を言われるのが嫌なら、何もせず、目立たず、大人しくしとけ。クソ面白くもない人生になるだけだが。この国は今、金を出せば、何でも手に入る。壊れたらすぐに買い替える。工夫して活かす事をしない、工夫して活かす必要のない国に。このツケは、いつか払わされる事になる。人を当てにするから、人に期待をするから、裏切られた時に腹が立つんだ。人を頼ってばかりいる人間を、人はいつまでも助けてはくれん。まず、自らが動け。むやみやたらに人を頼るな。受けた恩を忘れず、感謝しとる間は、同じ過ちはせん。恩を忘れた途端にまた、同じ過ちをやりよる。1度、人を裏切った人間は、何度でも裏切りよる。1度ある事は2度も、3度もある。反省しなきゃ、もっとある。続けて、この政治家志望の若者に拙僧「まあ、こんなもん(上記)かな。因みに、この明治生まれの激しい爺様だが、買い物などで、婆様に荷物を持たせている姿を見た事がないんだよね。この爺様は口癖の様に『頭が高いと言われる人間に、力のある奴などおらん。力がないから、威張り散らかしてくるんだ。亭主関白と言われる人間が、その典型だ。本当に力のある人間は、弱い人間を支える様に動いとる。能ある鷹は爪を隠すというが、能(力)がないから、爪を剥き出しにして威嚇してくるんだ。弱い犬ほどよく吠えるもんだ』と、拙僧が幼い頃から、度々この言葉を。参考に出来る話だけを、参考にしてちょうだいね」と。更に続けて、この若者に「夫婦関係、親子関係に限らず、基本、人間関係は『割り切れないものを無理矢理割り切って、わが心と折り合いを付ける事』かな。長年の間、これをお互いがやっていくうち、知らず知らずに夫婦は『似た者夫婦』という境地に。じゃ、今度は、将来、君の参考になるやもしれない話をしてあげようかね」と拙僧、下記の例題を【例題 1】結婚10年を超えたご夫婦がいて、浮気が原因で家庭内孤立のご主人が拙僧に「確かに、浮気をした私に非があるは承知です。だけど、疲れて家に帰っても、お帰り、の言葉もなく、風呂も夕食の用意も。偶に夕食が用意されていたとしても、即席物かスーパーの惣菜。掃除もせず、家の中は汚れっぱなし。昼間は度々友人とランチへ。お金遣いも荒い。実家に入り浸り(それを諫めない義父母)で、私の親の家には全く顔を。そこに、心癒される女性が。救われたんです、心が」と。が、流石にご主人の言い分だけでは、と思い、奥様の方の言い分も長い時間を掛けて聞いてみたが、この夫婦のケースに限っては、ご主人の方が気の毒だったかな。『人がそう動くからには、そう動くだけの理由が、必ずある』が基本かな。だから、一方的に相手を批判せず『何故この人は、そういう行動をとったのかな』と深く考えてみる必要があるよね。喧嘩は常に両成敗だもんね。6対4、7対3、8対2、9対1、の割合はあっても、全面的に相手が悪いなんて事はない。【例題 2】結婚相手についての相談を若者達に受ける事が結構にある。対し拙僧「結婚相手を決める時には、女性なら彼氏の父親を、男性なら彼女の母親を、じっくり見てから結婚を決めなはれ。親が作った家庭環境の中で、その親が育ててるんだから、親に似た人間が出来上がってる確率が高いは、当然の事にて。『結婚してもいいかな』と思える男性が出来た時には、必ずその男性の家に足を。その男性の父親がその男性の母親を、どの様に扱っているかをじっくりと確かめてきなさい。結婚後(将来)のあなたの姿(状況)が、その男性の母親を通して見て取れるかもよ」と、その様に助言を。この話には当然の事ながら、例外(親を反面教師として成長)も沢山ある。「そんなに親に似る確率は高いですか」との問い掛けも数多に。対し「悪いところも、良いところも、ね。長年の間、数多の親子を眺めてきて、子供の頃は親の諸行を批判していたのに、親の歳になると、親と全く同じ事(お金にルーズ、異性にルーズ、酒乱、など)をしている子供も結構に多いかな。人間は見てきたもの、聞いてきたものが、知らず知らずに身に付いているからね。少しは、結婚相手を選択の参考にはなるかな」と。【例題  3】ある雑誌でこんな話が目に入ってきた。ある小学生の男の子が作文で「祖父母の注意を全く聞こうとしないお父さんが、親の言う事を聞け、と僕に言う。人を誹謗中傷するな、人には優しくしろ、と言うお父さんが、お母さんを聞く耳痛い言葉で怒鳴りつけ、思いやりもなく罵る。ご飯を食べる時は行儀良くしろ、と言うお父さんが、食卓に肘をついて、立膝ついてご飯を食べている。テレビを見ながら、お前はこんな大人にはなるなよ、と僕に言うお父さん。お父さん、あなたはそんな大人をいつ卒業するんですか」と。また、ある雑誌にはこんな話が掲載されていた。夏休みの課題(工作)で小学生男子が、ダンボールを使って、何やらテーブルの様な物を作っていた。この子の両親が「何を作ってるの」と尋ねると「お父さんとお母さんが歳をとった時、廊下でご飯を食べる為のテーブルだよ」と。この言葉に両親は、思わず絶句した。読者の皆さんのご察しの通り。その時、この夫婦は、汚いからと老いた父親に対し、その様な仕打ちをしてたそうな。【最後に】政治家志望のこの男性に「この例題3は、拙僧が中学生の時代、つまり平均寿命がまだ60歳代の約50年程前に目にしたものでね。当時の60歳代は、現在の60代と違い、当に『ザ、老人』だった時代だったもんね」と。対し、この男性が「50年も前の話だと、現在とでは親子関係にも、かなりの違いがあるんじゃないですか」と。「人間は、朝起きて、飯食って、大小便して、昼間働き、夕刻に帰宅したら、風呂に入って、飯と酒を食らって、寝る。原始時代から殆ど変わってない。変わってきたは、使う道具だけ。親子関係、夫婦関係に限らず、人間関係は、然程変わってないと思うよ。人間は自分の欲を基軸に生きてるからね」と。続けて拙僧「世界地図を見ると、イギリスの上に、アイルランドという国があるでしょ。その国のピースウォールには、嘗てのベルリンの壁の様な物がある。その壁(北アイルランドとベルファストの街を分断する壁)がある近郊住民が『この壁があるから平和が保たれ、安心して生活が出来ている』と。過去の歴史(北アイルランド紛争、詳細はググって下さい)を今も尚、子孫達が背負っているとの事。人間関係というは、難しいもの。如何に親しき間でも、それなりに踏み越えてはいけない壁、踏み込んではいけない領域、というものがある。押し付け合うより、分かち合うが円満の秘訣かな」「親しき中にも礼儀あり、という事ですかね」「御意です。今回のこの話にも、教訓がわんさか入ってる。じっくりと読み取りなっせ」と、政治家志望の男性に。次回の投稿法話は、5月5日になります。

令和7年4月分 金剛寺住職法話集

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。【はじめに】3月20日の春季彼岸中日法要の後、初めて檀家の娘(35歳)さんが、旦那(41歳)さんを連れてお寺(納骨堂参り)に。「住職さん、ほら、8月12日が予定日(初産)」とお腹を指さして。「ほう、どっちや」と聞くと「産医は初め、男の子と言ったのに。女の子なんだって。まあ、どっちでもいいんだけどね」「そうか。それにしても、優しそうな旦那さんやな」「うん、優しいよ」「許してくれる人がいるから、人間関係が成り立っておるというを、忘れちゃあかんぞ」と言うと、娘さんは苦笑いを、旦那さんは下を向いて、笑みを。この檀家の娘さんが「住職もご存じの様に、私って、物凄いわがままでしょ」「そやな」「あっさりと認めんでよ。しっかり子供を育てる事が、私に出来ますかね」と。「大丈夫だよ。君よりも、もっとわがまま(英国では、3歳の子を『デビルエイジ』と表現)が世に出てくるから。自分のわがままなんぞに、構っとる暇なんてないよ。しっかりとした親に、子供(赤子)から育ててもらえるから、心配せんでもよか」と。          令和 7 年 4 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?【本文】今から10年程前、拙僧がSNS に法話の投稿を始めて間もなしの頃、その法話を読まれたという初老の男性が匿名で「親の遺骨を海水浴場にばら撒いたが、それがどうした」と長々文句の電話を掛けてこられまして。対し拙僧、その初老男性に「身分を明らかにせず、陰口を叩くは、SNS の中だけにされたらどないですか。電話までしてきて、文句を言うなら、どこの、何の、誰がしを名乗って、面と向かって話をされたらどげんですか。小学生の頃『意見のある人は手を挙げて、名乗ってから発言をしてください』と先生から教わりませんでしたか。連絡をくれたら待っておりますので、どうぞ、お寺(北九州市)の方へ、お越しくださいませ」と。1週間後、その男性が事前連絡もなく、関西から突然お寺へ。拙僧は1年365日、外出布教のない日は1日もないので、ほんと、こういう訪問は非常に困るんですよね。その日、偶々偶然に居合わせたは、この初老男性との縁があった、という事なんでしょうな。お寺へ来るや否や、電話での文句と全く同じ内容を捲し立てて拙僧に。文句の内容を掻い摘んで言いますと『親らしい事を何もやっていない父親を、葬式もせず、火葬場で遺骨にして、海水浴場に捨てたのが、何が悪い』という自分の正当性を延々と。その間、拙僧は一言も返さず、黙ってその話を。その状況を『糠に釘』とでも思われたのか「もう、ええわい」と舌打ちをして帰ろうとしたので、拙僧「ちょっと、待ちんさいや。3時間も、4時間も、拙僧を拘束しておいて、言いたい放題言って、どこかスッキリした様な顔をしてくさ、お布施の1つも置いて帰らんのかいな」と投げ掛けると、口元を捻じ曲げて「幾ら置いていけばいいんだ」と返されたので「1000円」と答えると、気の抜けた声で「おっ、おう、1000円やな、ほら」とテーブルに裸銭を、トン、と音を立てて置き、初老の男性は下山して行かれました。その1週間後、また、その初老男性が連絡もよこさず、お寺へ。その日も偶々、拙僧はお寺に。この初老の男性には余程、会わなきゃならん縁があるんでしょうかね。その日の男性は、以前とは打って変わって、礼儀正しい姿勢で拙僧に話を。「この前の話ですが、住職、私自身の事情(感情)だけで、父親の葬儀もせず、遺骨を海水浴場に投げ捨てたんです。実は、この話は2年前の事だったのですが、それより後、子供達から距離を置かれる様になり『俺の気持ちなど、何もわからんくせに、こいつらは』とイラついていたところに、住職の『散骨とは、名ばかり。聞こえはいいですが、あれは海に捨ててるんでっせ』の法話に縁があって、気持ちをぶつけるところがなかったので、つい、住職に噛み付いたという次第でして」と。続けて、その初老男性が「ほんと、申し訳ありませんでした。住職に噛み付いていた数時間の間、住職が黙って聞いてくれていた事で、途中で何度も『父親にもそれなりの事情があったは、知ってただろ。遺骨を人が踏み付ける海水浴場にばら撒くは、あまりにも可哀想だという事を、お前もわかっていたはずだ』と、自分自身の心に言い聞かせる瞬間が、何度も、何度もありました。住職のところから帰って1週間、ずっとその事で自分なりに反省をしておりました。しかし、現在も尚、子供達からは、一定の距離を置かれている状態でして。非常識な事をやったんだから、仕方がないのですが。これが、非常に辛くて、ですね。何か、子供達との間を改善する手立てはないでしょうか」と。対し、拙僧「あなたの父親とあなたの関係は、子供達には知らない世界の話ですもんね。子供達にとっては『大好きな爺ちゃんに、こんな仕打ちをした』という事実だけが残っているだけで。投げ捨ててしまった遺骨を今更、拾い集めるは到底無理な話ですが、投げ捨てたピンポイントの場所(海辺)の砂をひと摘み、喉仏を入れる小さな骨壷に入れて、納骨堂か、お墓に納めてみては如何ですか。菩提寺(先祖を供養しているお寺、自分達の葬儀をしてくれるお寺)は、ありますか」と問うと、初老男性が「はい、あります。父の時は不義理を致しましたが」「そこのご住職に、その一連の話をして、改めて葬儀(密葬)をして頂き、お父さんの戒名を授けてもらって下さい。参列は家族と親しい親族、お父さんと所縁(ゆかり)の深い友人、知人だけでいいですから。今、あなたに出来る事は、これだけです。これで、子供達の心がどう変わるかは、子供達次第ですけどね」「わかりました。本当は気になっていた事(父親の葬式、供養)なので、そうしてみます」と初老の男性が。1ヶ月後、その初老男性、今度は連絡をよこしてから、お寺に。そして拙僧に「有難うございました。無事に父の葬儀(密葬)と納骨(拾ってきた浜辺の砂)が終わりました。浜辺の砂(遺骨の代わり)については、住職(拙僧)に教えてもらった通り、菩提寺のご住職さんにその事を説明し、骨壷の中にある遺骨が砂である事の訳を、わが家の過去帳に記載してもらいました。これで、後世の子孫も『何故、骨壷に砂』の理由が納得出来ると思います。一連の流れ(私達親子が不和になった経緯も含)を話した事で、子供達との距離も随分縮まりました。考えてみたら、住職(拙僧)に文句を言いに行った事が、この様な縁に繋がるとは、ほんと、縁というは有り難く、不思議なもんですね。本当はあの時、住職(拙僧)に文句を言いに行こうか、行くまいか、迷ったんですけどね。どう考えても、ただの八つ当たりですから。が、言いに行った事が、今となっては正解となりました。『虫の声』とは、こういう事を言うんでしょうかね。本当に、有難うございました」と、この初老の男性が。このご縁により10年近く、この世に存命の間は、この初老男性、遠方からわざわざ定期的(年2回程)にわが寺へ足を運んで来られました。拙僧とは信仰の話は一切せず、意味のない馬鹿話をする為だけに。縁というは、ほんと、異なもの味なもの、ですよね。この初老の男性が亡くなられたは、子供さん達がわざわざ関西から足を運んで知らせてくれました。その折に「10年前にご住職のところへ行ってから、父はガラッと変わりました。早くお礼に、と思っておりましたが、ご住職と父のご縁の関係に割って入るはよくないと考え、今日まで控えておりました。本当に有難うございました。骨壺内の砂(祖父の遺骨代わり)の事ですが、50年後、100年後の子孫達が見た時に『その時の感情だけで散骨すれば、後々に、こうしなければならなくなる』という子孫達の良き教訓になるとなると思います。本当に有難うございました」と。この初老男性は、しっかりと子供さん達を育てられていたんだな、と思いました。因みに、拙僧の法話を読んだ人達が、年間に何人かですが「親の遺骨を散骨(海に捨てる)にした事を今、非常に後悔しています」といった連絡が、時折入ってきます。余談ですが、この手の話(散骨)は何度かSNSで投稿させて頂きましたが、その度に必ず数人ですが「私も親の遺骨を海に散骨したが、後悔など全くしてない。皆が皆、後悔してると勝手に決め付けるな」と的外れな、明後日の方角から噛み付いてくる人達が。この法話のどこをどう読んだら、そんな理解になるのか、と。最後に、先日、この様な話が読者の女性(母親)から入ってきました。その母親が「息子が大学(有名大学)を中退し 、俺の夢は『ああじゃ、こうじゃ』と自分が共感(心地よい)出来る本ばかりを読んで、理想ばかり吠えまくるので、堪り兼ねて、住職さんの言葉を借り、息子に『文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる。建設的意見のない文句、講釈は、雑音でしかない』と言ってやりました。情報過多の時代背景から、頭でっかちになって、自分が知ってる事だけが正解、と言わんばかりに捲くし立ててくる。経験なき知識ばかりが身に付いて、ほんと『ただの物知りさん』ですよ。この『勉強だけは出来るんだが』の典型息子に、怒りもマックスになり『本の中だけで、生きてんじゃねえよ。さっさと社会に出ろや』と言ってしまいました。講釈言いの息子が、初めて閉口しました。すいません、言葉が汚くて。結局のところ、親がこんな風に育てたんですけどね」と。「そんな激しい言葉を、拙僧が法話で書きましたかね」と返すと「書かれてましたよ。家に篭りっぱなしで、全く外へ出ず、本ばかりを読み漁っている物書き(小説家)志望の青年に、以前、住職が放った言葉です。まあ、私ほど激しい言葉遣いではなかったですが」と。よっぽど、腹が立ったんでしょうね、この読者のお母さんは。          令和 7 年 4 月分  金剛寺住職 臨時法話昨年の秋に拙僧、ある団体で講演をさせてもらいましたが、その講演に参加していた女子高生(優秀校)から、連合で電話がありまして。彼女達曰く「住職は私達女子高生(約40人)に、少子化がもたらす様々な問題を指摘してくれましたが、その話を聞いていて、かなりの友人達が『早く、若い内に、結婚をしなきゃ』と心を動かされました」と。その電話の中の1人が「実は住職さんのお話の中で、私の心に響いた事が2つあって、その1つは『一概には言えないが、育てられた経験しかない者、育てた経験のない者は、いつまで経っても、大人になってない様に感じる。子育てというは、1に我慢、2に我慢。子供が成長するを、ひたすらに待つが、親の仕事。その間に親も、子供からしっかりと育てられていく。常日頃は、その差(育てた経験のある者、ない者)は、殆どわからないが、腹を立てた時の怒り方が、育てられた経験しかない者は、子供と変わらん怒り方をする』と住職が。その言葉を聞いた時、親戚の叔父や叔母の事が脳裏に。父には独身の弟、妹が2人、母には、独身の姉が1人。当に、住職が言われる通り、独身の叔父、叔母は、腹の立て方が当に、子供の怒り方のそれ。私も結婚せず、子供を育てるという経験をしなかったら、ああなるのかな、と思ったら、ゾッとしました」と。続けて、この女子高生が「今1つの衝撃は、子供を授かる話です。女性は生涯の卵の数が決められており、卵の数が年齢を増すごとに、急降下で落ちていく(出生児200万個、思春期30万個、25歳前後10万個、35歳前後5万個)という話です。また昨今は、第一子を産む平均年齢が、31歳であるという事。4組に1組が、ドクターの力を借りて、不妊の治療や検査を。不妊治療の検査で、問題は女性の方ばかりでなく、男性の精子が極端に少ない事が問題、というケースも少なからずあるという事。また、凍結卵子を解凍し、顕微授精が成功する確率は、非常に低い(ある年は、29%であったと)という事(詳細は、ググって)。凍結した時の年齢が、35歳以下と、35歳以上では、極端に差が出るという事も。この凍結保存方法ですが、私は『赤ちゃんは、この方法をとれば、絶対にできる』という認識でしたので、かなり衝撃的な数値でした」と。更に、この女子高生が「日本国(政治家さん達)は『少子化、少子化』と騒ぎ立てる前に、中学で、高校で、この数値を絡めて、現実の話をしてもらいたい。恐らく、この現実を皆、知らないと思う。そりゃ、中には『私は結婚する気もないし、子供も欲しいとは思わない』という生徒も一定数はいるでしょうが、住職がSNS内の様々な法話の中で度々『今、正解と思っている事も、時間が経ち、知識、知恵、経験が増していけば、自ずとその正解も変わっていく。10年経てば、人の考え方は変わる』と。この度の講演でも住職さんは『結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳には、いかんのだよ』と真剣に私達に話をしてくれました。ことごとく、つくづく、考えさせられました。ただ、1つだけ、国に対して文句があるんですよね」と。「何よ」と返すと「不妊治療に掛かる金額があまりに高額、という事です。『子供を産みましょう』と広く投げ掛けるのなら、国は、この不妊治療代を低額(無償)にしろよ、と。そう思わないですか、住職さん」と。最後に、この女子高生達が「だけど、住職さんは、勇気ありますよね、この時代にこんな話(結婚、出産)を。下手したら、袋叩きになるのに」と。【結婚、離婚、年金の話】数日前にもまた、知人の奥様(60歳)が「住職さん、もう我慢出来ない。同じ部屋で同じ空気を吸ってると思っただけで、耐えられない。夫(60歳)が定年と同時に、協議離婚します」とお寺に来て拙僧に。この話を持ってきたは、これで何度目かな。対し拙僧、この奥様に「どうしようもなく、感情が抑えられないと言うのなら、仕方がないですので、止めはしませんけど。まあ、こんな話が以前にありましたので、聞くだけでも聞いてみてください。嘗て、檀家の80代母親が、あなたと同じ思いのわが娘(50代)に対し『離婚してスッキリするんなら、私は止めはしないが。旦那の定年後に財産を分け合って離婚するなら、退職金やら、共有財産やら、等分されてお金は入ってくるが。お前の旦那なら等分しても2000万円以上は、恐らく旦那の手元に残るやろ。その旦那が死んだ時、その遺産が残る事になるが、離婚をしてたらお前には1円も入ってこない。お前のその『固い決意』とやらに、2000万円もの価値があるというんかい。私の周囲を見渡した時、特にお金に関しては、老後は旦那の方は何とかやっていけてるが、奥さんの方は皆、お金に苦労してる人が多い。年金にしても、お前の旦那は高給取りだから、離婚せずにいたら、旦那が死んでも3分の2という年金が入ってくる事になるが、お前のその『固い決意』とやらに、その年金を捨てるほどの価値があるというんかい。パートで手に出来る金額じゃないぞ。お金、お金と連呼すれば、いやらしく聞こえるかもしれんが、特に老後においては、お金というは非常に大事になってくる。嘗て、徳川家康公が、太閤(秀吉公)とは長生きが勝負と決めておった、と言われたとか、言われなかったとか。お前も根性入れて、離婚なんて馬鹿な事を考えず、長生きで勝負をせいよ。30年以上も我慢して旦那を支えてきたのに、ここでケツを割って、その財産を全て棒に振る気かい。旦那の事を、あれば便利な家財道具(掃除機、洗濯機、など)の1つ、と思えばよかろうもん。それでわが心と折り合いを付けて、もう少し辛抱してみたらどうだ』と、この80代母親は、わが娘に言ったんだって」と。この話を黙って聞いていた、この離婚相談に来られた知人の奥様が「家の中にある家財道具の1つと思え、ですか。そう考えたら、少しは我慢が出来そうな気もしますね。しかし、この話の80代のお母様(婆様)ですが、凄い人ですね」と。「うん、凄い御仁だよ。まあ、あなたも、もう少し考えてみなっせ。ここまで長年我慢してきたんだから、これまでの我慢を無駄にしなさんな。あるご夫婦なんぞは、70歳を超えて奥様の方が『もう辛抱ならん』と離婚したんだけど、その奥様が『なんか、昔の勢い(偉そうな態度)がなくなって、夫が可哀想で、哀れで』と、相変わらず文句を言いながらも最期を迎えるまで、ご主人の世話(介護含む)をされましたばい。拙僧から見たら、あなたもその様に旦那の世話をしていきそうなタイプと思いますが。この80代の母親が述べた遺産相続の話ですが、制度の理解はともかくとして『わが娘に離婚をさせたくない』の一心で、この様な話を方便を交えて、わが娘に」と拙僧、離婚相談に来られた知人の奥様に、この様なお話を。さて、付け加え話ですが、この檀家の母親(80代)ですが、度々拙僧に「住職さん、年金の事なんだけどさ、夫は満額貰えて、奥さんはその額の3分の2というは、どう考えても納得がいかんのだよね。夫が長年に渡って会社に貢献が出来てきたも、夫の働きで会社が利益を上げて国にお金(税金)が入ったも、その夫が気持ちよく、元気に働ける様に家庭を守ってきた奥さんの働き(支え)があっての事でしょ。住職が法話で『専業主婦が交通事故で入院を。加害者に、1日9800円×入院日数を支払え、と、どこぞの地裁が言いおった』と。つまり、専業主婦の月給は、約30万円相当という事でしょ。この金額が高いか、低いかは、人それぞれ、その見解は違うだろうけど」と。更に、この80代母親が「考えてみなされ、旦那が会社で日中働いている間、奥さんも日中、家事、育児を懸命にやっとる。旦那は家に帰ってきたら、ゆったりと出来ようが、奥さんの方といえば、そこから旦那の世話という残業が始まる。そう考えたら国は、3分の2(夫死後、奥さんに入る年金額)なんてせっこい事を言わずに、奥さんにも夫と同様に、夫死後には満額の年金を支払えよ、と思う。夫が死んだ後、せいぜい支給するは10年前後でしょ。満額が支払われるとなれば、これを放棄するは、実に勿体無い話だから、離婚も減少するかもしれんし、離婚減少(両親揃い踏み)の中で子供が育てられるケースが増えれば、結婚に対する印象が変わり、結婚する子供も増えるかもしれないし、そうなれば少子化の問題、財政の問題(子供が国にもたらす利益)にも、好影響をもたらす事になるやもしれん。そう思わんね、住職」と。対し「まあ、そうだね」と返事を濁すと「わかっとるよ、1人、1人が各々個別の事情(夫婦関係)を抱えとるぐらい。昨今は、自分はこうだ、自分はこうだ、と自分の事情が正解(模範)と言わんばかりに、他の見解に文句を言ってくる人がいるからね」と。まあ、しかし、女性は現実的ですね。特に、婆様は。拙僧の知人社長の中には数人ですが「家を守ってくれている人がいるからこそ、夫は会社で思う存分働く事が出来、会社や国に利益を齎してくれている」と内助の功に感謝して、社員の奥様の誕生日の日に、社長が贈り物や家族旅行のプレゼントを。星野仙一さんも監督時代、選手の奥様達に、そうした事をされていたと。

令和7年3月分 金剛寺住職法話

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。【はじめに】大学時代に拙僧、何とも口の多い友人がいて、2人で度々通っていた京都の蕎麦屋さんがあって、営業時間がまちまちで、ほぼ、2、3時間の営業。ある日、友人が「いいよな、この蕎麦屋。2、3時間だけ仕事するだけで、飯が食えていけるんだから」と。対し、拙僧「あのな、お前さん。俺(拙僧)な、毎朝7時にバイトに出かけるんだが、その時、バイクで蕎麦屋さんの前を通るんだよ。月に数度だが、蕎麦屋の大将が仕事している姿を目にするんだよな。その時間から働いているとしたら、午後2時まで営業し、後片付けまで入れたら、10時間以上だぞ。氷山も見えている部分は、約2割か3割ほど。7割(開店するための準備)は、海の中だよ。自分が見えている部分だけを『それが全て』と決め付て、人を評価しちゃあかんよ。判断が鈍る事になるぞ』と友人に注意した事がありましたね。近頃(昨今)巷に起こっている正義感の暴走、誹謗中傷を見てると、この氷山の一角だけを見て、騒ぎ立ててる人が多い様に思われますよね。【1日の投稿法話の本文に入ります】令和 7 年 3 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?【本文】2005年(平成17年)3月20日、午前10時53分に発生した福岡西方沖地震は、春の彼岸中日法要開始の5分前の事でしたね。法要準備を整え、拙僧、本堂脇の客殿に控えていると、地面から「ゴー」という低い音が。洞海湾沿いの製鉄所で何か事故でもあったのかな、と思った瞬間、大きな揺れが突然に。咄嗟に、2年前に他界していた父(金剛寺先代)に「親父、ここにおらっしゃる参拝中の檀家さん達を死なすなよ」と必死に心の中で。石段(130段)下で駐車場の係をしていた人達(檀家男性)が「駐車中の車が波打って、上を見上げるとくさ、お寺の本堂が大きく揺れて、倒れりゃせんかと心配したわ」と。ところが、法要のため本堂内にいた檀家の爺様、婆様達は、そりゃもう落ち着いたもんで「住職よ、ここ(わが寺)で死ねたら、本望たい」と。それから2年後、2007年(平成19年)7月16日に発生した、新潟県中上越沖地震の時ですが、テレビ局が福岡西方沖地震の時に被災した小学生達に「当時、全国の学校から届けられた支援物資ですが、有難かったですか」とインタビューを。問われた小学生達は、暫く無言で渋い顔をしておりましたが、重い口を開いて「今だから言いますが、届けられた支援物資の中には、使い古した汚れた服、汚れた下着、ボロボロの靴。使えそうにない短い鉛筆、消しゴムなど。お気持ちは勿論、有難かったですよ。でも、僕達は被災者であって、乞食じゃない。あなた達なら使いますか、この様な物を。僕達はこの様な物、新潟には絶対に送りません」と。このテレビ放送を見ていた拙僧の子供(当時高校生)が「父さん、全国の学校から届けられたこの支援物資だけど、梱包したのは間違いなく、先生と保護者達だよね。その時、何とも思わなかったんだろうか」と。この時(当時)、この被災した子供達の率直な意見に対し、SNS 内やその他方々で文句を言った人達が。何にでも文句を言ってくる人、噛み付いてくる人は、一定数はおりますもんな。「今は、そこじゃないだろ」と思いますけどね。わが寺の檀家さんには、海上保安庁に勤務されてる方が数人おられまして、その方々が「住職、この被災(福岡西方沖地震)した子供達が訴えた事だが、本当の事だよ。支援物資を運んだも、仕分けしたも、自分達だったからね。『こりゃ、流石に使えんだろ』と思える物は、結構に多かったんだよな。『これは使える物、これは使えない物』と整理するだけでも、相当の時間と労力と費用(ゴミ処理料金)が掛かる。送って頂くのは、大変有り難い事なんだが、時間と労力を他の事(撤去作業など)に使いたいので、願わくば、支援金にして頂いた方が非常に助かるんだよね。被災地でいる物(不足している物、今、必要な物)は、被災地で(私達で)買い揃えますので。住職が時折、法話の中で、自分にとって『必要のない物、捨てる物、処分したい物』を分け与えるを、施しとは言わない、と。ほんと、そうだと思う。少しでもいいから『自分が被災者だったら』という気持ちになってもらえたら、と思います。勿論、大半は、そんな心の人ばかりだとは、思いますけどね」と。さて、今月の3月20日は11時から、春の彼岸中日法要が。檀家さんがこぞって参拝されてきます。先祖の供養というは、産んでもらって、育ててもらって、お世話になってきた人達へのご恩返しにて。この受けたご恩ですが、自分の命が続く限り、消える事はありません。昨年の春の事ですが、檀家さんの家に彼岸の仏壇参りに伺うと、そこの家の高校生男子から「住職さん、彼岸って『彼の岸(かのきし、あの世)』っていう意味なんだろ。ほんとに『あの世』ってあるのかな。俺ね、絶対にあってほしいんだよな。死んだら終わりだなんて、哀し過ぎるでしょ。夢も希望もないもの(死)に向かって今、俺は生きてるなんて思ったら、やりきれんわ。絶対にある(あの世)よね、住職さん」と、この子が拙僧に。「絶対かどうかは、死んだ事がないからわからんが、ある(あの世が)と信じた方が、寂しくないし、夢も希望も膨らむだろ。拙僧も必ずあると信じてるよ。先に旅立った祖父母、父母、叔父叔母、知人、友人にも会いたいし、何より、向こうでもまた、妻と一緒に暮らしたいからね」と。余談ですが、わが寺では、春、秋の彼岸の法要には、常に手作りバザー(被災地支援の為)を。檀家さん達が手作りの惣菜や手作りの小物などを持ち寄って、それを若い人達が売り子になって、ご参拝者の方々に。売上金(全額)はこの度は、金沢に送らせて頂くと、係の人が言っておられましたね。因みに、今年は3月23日をもって、7日間の春季の彼岸期間が終了致しますが、彼岸とは『彼の地(岸)』と言って『極楽浄土』の事を指します。彼岸の期間は、ご先祖様の供養は勿論の事、他には、私達が極楽浄土へ向かう為の修行の期間という意味合いもありまして。中日を挟んで、前半3日は、布施(ふせ、施しの心を持つ事)、持戒(じかい、戒律を守り、自己反省を)、忍辱(にんにく、忍耐の心を持つ)の修行(自己確認)を。後半3日は、精進(しょうじん、努力の実践)、禅定(ぜんじょう、精神を統一する)、智慧(ちえ、知恵を会得し、命のなんたるかを悟る)の修行(自己確認)を。まあ、これは、あの世(彼の地)があろうと、なかろうと、持っておかにゃならん、心の作用ですが。今日までの振り返りをこの期間に為し、自分の人生を見つめ直してみよ、という事。まあ、偶には、住職らしい話も、やらないとですな。さて、昨年の事ですが、檀家の娘(40歳)さんが、お彼岸の納骨堂参りに。その時、拙僧に「私の実家は今、父が亡くなり、母だけですが、母(現在、肺癌で余命1年)が他界した後、実家の仏壇を嫁ぎ先の家に持って来るっていうのは、可能ですか。子供は私1人しかいないので」と。対し拙僧「ご主人さんが了承すれば、いいと思いますが、早かれ遅かれ、永代供養にしてお寺に預ける事になりますよね。『立つ鳥跡を濁さず』ですね。子供達、孫達に、母親の実家まで延々と世話させ続けるは、あかんかな。その為の永代供養(この先は永代に、お寺にお任せする)です。あなたの実家と同じ様な家庭事情の家で、納骨堂を実家の仏壇にしている家が、わが寺では数家(仏壇位牌を納骨堂に。投稿写真参照)ありますよ」「えっ、そんな事が出来るんですか」と。「わが寺では、その様にしてあげてるよ。あなたが歳をとって、そろそろ嫁ぎ先の家から、実家の仏壇をお寺に預けようかな、と思われたら言ってきてください。そうしてあげますから。これから先は、結婚をしてない人が数多におらっしゃるから、こういう形になる家が、少なからず増えてくるかもしれないですね」と。【余談】昨年の暮れは、仙台で檀家82歳男性の葬儀をさせてもらいました。仙台のどこかのお寺さんに頼むという手もあるのに、わが寺が菩提寺という事で、わざわざ北九州の拙僧を呼んでくれました。ほんと、有難い事ですよね。因みに、檀家は宮城以外にも、大阪、愛知、神奈川、千葉にも。拙僧は高い所が苦手なので、如何に遠方でも、移動は全て新幹線です。小倉を10時頃の新幹線に乗れば、18時過ぎには仙台に着きますので、通夜の時間には十分に間に合います。何の問題もない。葬儀の後、奥様に「位牌は、夫婦位牌(めおといはい)にしましょうね」と持ちかけると「え〜、死んだ先まで、横に並ばないといけないの」と心にもない事を。「気心がわかっているから、楽でしょ。未来永劫の話なんだから。ご主人の戒名は、名前の『好(このむ)』を貰いましたよ。ご主人のご両親は恐らく、命名する際に『魅力的な人間に育ってくれる様に』との思いで、この『好』という漢字を選ばれたんではないかな、と推察します。実際、そんな人間に成長し、人情に厚い人生を過ごされましたもんね、ご主人さんは。そういう意味合いから『淳』の漢字を使い『〇〇院〇〇好淳居士位』と。先で奥様が他界した時には、お2人の遺骨を粉砕機にかけて粉状態にしましょうね。1つの骨壷に十分納まるから、寂しくない様に、その様にしましょう」と言うと、また「え〜」と嬉しそうに、心にもない声を。昨今、わが寺の檀家さん、特に旦那さんの方が、夫婦位牌、夫婦骨壺、を望まれる人が多くなってきましたね。やはり、奥さんというは、特別な存在なんでしょうな。拙僧も「天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿」ですもんね。令和 7 年 3 月分  金剛寺住職 臨時法話嘗て、北九州において、高校球児だった檀家男性(現在51歳)が拙僧に「住職は1992年の第74回全国高校野球選手権大会での2回戦、明徳義塾高等学校(高知県)対 星稜高等学校(石川県)の試合であった、松井秀喜さんへの5打席連続敬遠を覚えてますか」と。「どうしたの、今頃」「いや、テレビで松井さんを見てね、当時の事が脳裏に」「勿論、覚えてるよ。拙僧はその時、30歳だったもんな。マスコミが大いに騒ぎ立て『勝利至上主義』の物議が社会現象になったもんね。爆破予告まで出て、大変な騒ぎになったもんな。高校野球において、これほど真っ二つに意見が分かれた事例は、そう多くはなかったんじゃないかな。どちら(敬遠賛成、反対)の意見が正しいかなんて、それこそ、真剣勝負をしている当人さん達にしか、判断出来ないんじゃないかな。そういえば、確か、この大会(43年前)から、甲子園のラッキーゾーンが撤去されたんだよね」と。対し、檀家男性が「住職さんは当時、5打席連続敬遠は、認める派、認めない派、どっち側でしたか」と。「そうか、君は当時、松井さんと同じ年で、高校球児だったもんね。そうだね、どちらかと言うと、拙僧は認める派かな。その高校(明徳義塾)がどこに目標を置いていたか、だよね。あくまでも『優勝』というものに目標を置いていたのか、1試合でも多く試合をして、ベンチの選手を全員、甲子園に出場させてあげたかったのか、その時のチーム事情があったのか。負けたら即、引き上げの甲子園だもんね。甲子園出場の切符を勝ち取るまでに、地区予選において、どんなドラマがその高校(明徳義塾)にあったかなんて、部外者には全くわからん事でしょ」と。続けて拙僧「その場だけの状況(5打席連続敬遠)を見て、部外者が是非の判断をするは、あまりにも軽々かな。人がそう動くからには、そう動くだけの理由が、必ずあるもの。43年前にSNSなんてものがなくて、本当によかったと思うよ。昨今の様に『正義感が暴走』出来るツールがあったら、相手投手(同高校、同高校球児達)は、どれだけ誹謗中傷を世間から浴びせ掛けられた事か、最悪の事態(人生ストップ)まで起こっていたかも。考えただけで、ぞっとするわ。それに対して松井秀喜さんはその後『5打席連続敬遠された、という事実に相応しい選手になろう』と心に誓ったそうだもんね。もちろん、この2人(松井秀喜さんと相手投手)、後に再会し、この事について談笑したそうだよ」と。すると、檀家男性が「住職さん、この私との会話をSNSに投稿したら、昔の事とは言え、蒸し返されて、袋叩きに合うんじゃないの。昨今は、人を陥れる情報に飢えてる時代だから」と。対し、拙僧「その言葉だが、昨今、よく使われる言葉だよね。だけど、大丈夫だと思うよ。このあなたとの会話だけど、結構教訓も詰まってるし、懐かしむ人達もおられるだろうから。NHKの朝ドラ『おしん』が再放送されても、炎上なんてしてないでしょ。今現在にリアルタイムで放送されたら『おしん』なんて、間違いなく大炎上も大炎上だよ。再放送(昔の物)なら騒がず、静観して見る事が出来るなら、今現在リアルタイムのドラマも、その心で見りゃいいものを、と思うけどね。だから『拙僧は、松井秀喜さんの5回連続敬遠は、認める派でっせ』と言っても、43年前の事だから、文句言ってくる人など、恐らくいないでしょ。それにしても、この松井さんへの敬遠ですが、当に、球史に残るものになってるよね。ほとほと凄い選手だと思うよ」と。続けて拙僧、この檀家男性に「凄い選手といえば、松井秀喜さんより1学年上には、イチロー選手がいるよね。イチローさんは、愛工大名電で2度、甲子園へ出場されているもんね。そのイチローさんにおいては、こんな話が。自分のせいで敗戦した時、宿泊所の玄関で座り込んで泣いていると『人間は負ける事で、力を付けていくんだよ』と声を掛けてくれた人がいたと。それが横綱の曙さんであったという事だもんね。徳川家康公が『勝つ事ばかりを知り、負ける事を知らざれば、その害、わが身に及ぶ。及ばざるは、過ぎたるより、勝れり』と後世に教訓を。愛知県出身の家康公の言葉というが、また、縁を感じるよね」と。因みに、イチローさんですが、ドラフトの指名は、4位であったと。信じ難いでしょ。他にも、工藤公康さんはドラフト6位、掛布雅之選手もドラフト6位、金本知憲選手はドラフト4位と。叩き上げから球史に名を残したは、他にも少なからず。イチローさんが「夢や目標を達成するには、1つしか方法はない。小さな事を積み重ねること」と。確かに、そうですね。人は自分がしてきた事、やってきた事が、今ここにある結果(答)ですもんな。今1つ、凄いと言えば、野球選手ではないですが、米国の映画俳優シルベスタースタローンさんですかね。拙僧の好きな俳優さんの1人ですが、自分の愛犬を売らなければならない程、お金がない困窮時代に、ボクサーの映画を世に出したいと脚本を書き、映画界に持ち込むと、その筋の人達から注目を浴びたと。だが「主役は自分がしたい」のスタローンさんの要望に対し、プロデューサーから「主役は有名俳優を使うので、諦めてくれ」と大金を積まれたが、断固としてそれを拒否し、主役として成功を掴み取り、現在の地位を手にする事に。案外にプロの人達が否定(シルベスタースタローンさんが主役ではヒットしない)するものが、成功するものって多いですよね。寺尾聰さんの『ルビーの指環』などもその1つで「こんなお経みたいな歌、売れませんよ」とその筋のプロの人達から。が、その結果は、みなさんもご存知の通りですもんね。ほんと、犬も歩かにゃ、棒にも当たらん、ですわな。何でもがそうですが、否定から入ったら、得るものはないですよね。まず動いてみよ、ですよね。拙僧は映画『ロッキー』も当然好きですけど、歳を取られてから、燻し銀の老俳優さん達を集めて制作されたアクション映画(エクスペンダブルズなど)の方が、どちらかと言えば好きですかな。70歳を超えてのあのアクションシーンですが、常日頃、どれだけ体作りに努力をされているんでしょうね。並大抵の努力ではないと思いますよ。70歳半ばの矢沢永吉さんも、小田和正さんも然りです。それを考えたら、拙僧はまだまだ、63歳にて。人間は死ぬまで、生きとかにゃならん。どう生き抜くか、大いにその参考になる人達ですね。【おまけ】時折、読者の女性達、檀家や知人の若夫婦達から「子育てで、気を付ける事は、何かありますか」と問われる事があるんですが、その問い掛けに拙僧「短所を抑え過ぎたら、長所までも萎みますよ。その短所、長所も親の主観による勝手な決め付けでしょ。正論(自分勝手な正論)を押し付け過ぎたら、優しさが欠けますばい。そうなると、家庭の中がギスギス、ギクシャクして、気まずい雰囲気になるので、気を付けましょうね」と問い掛けをしてくる人達には、その様に話をしております。昨今の日本国内が当に、こんな状態ですもんな。世相の流れが家庭の中にも浸透してきて、ほんとこの国は今、正義感の暴走状態にて」と。また、この問い掛け者達には拙僧、次の様な話も付け加えて、話をさせてもらっています。「その昔、敵対する2国があって、一方の国が敵国の麦畑に毒麦の苗を植えた。その情報を掴んだ国の重臣達が王様に『家臣達に、毒麦の苗を探しだせ、と命令して、すぐに抜き取らせますので』と進言すると、王様が『いや、麦が成長するまで待て。今の時点で抜き取れば、良い麦までも抜き取る事になりかねん』と重臣達を止めたそうですよ」と。この話は、子育ての相談に来た若い夫婦達には、結構参考になるみたいですね。時間をじっくりと掛けた方が良いもの、時間を掛けず、即座に動いた方が良いもの、その見極めが大事である、というを考える参考にしておられるみたいです。すると、この上記法話を見た読者女性が「この王様の様な冷静な判断の出来る人達が増えたら、もう少しは、昨今のギスギスした社会が回避出来るのではないか、と思うのですが。住職さんが1ヶ月程前に投稿された法話の中で『清廉潔白で人畜無害、真面目ではあるが、仕事の出来ない政治家さんと、破天荒で英雄色を好み、豪快、横柄ではあるが、仕事の出来る政治家さんと、さて、どちらのタイプが政治家として国民の益になりますか』との問い掛けをされてましたよね。その時、私、一応考えたのですが、仕事が出来る政治家さんを個人的なスキャンダルで失うは、あまりにも勿体無いかな、と。政治家さんが浮気、不倫したからとて、私達国民の生活には何の影響もない話にて。が、如何に人畜無害で真面目でも、政治手腕がないは、私達国民にとっては、不利益でしかない。仕事と個人の問題を、ごっちゃにしたらあかん。糞も味噌もごっちゃにしたら、それこそ住職が言われる『短所を抑え付け過ぎたら、長所までも萎んでしまう』という事に、なり兼ねないですよね」と。次回の投稿法話は、3月5日になります。

令和7年2月分 金剛寺住職法話

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布しているものです。知人社長には、社員にコピーして配布している会社も。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ「スルー」して下さいませ。【はじめに】わが寺(金剛寺)では、子供達や会社員の人達が参拝できる様に、毎年2月の第一日曜日(今年は明日、2月2日)に節分法要を勤めさせて頂いております。撒かれる豆の中には、お菓子類や柔らかい餅などもあり、子供達も大人も、大いに楽しい時間を過ごします。お接待は、1年間の健康を願って『大根炊き』が振る舞われます。特に今年は巳年にて、蛇がお仕えする『弁財天(七福神唯一の女性の神)』さんを、45年振りに社(やしろ)の中から本堂へとお迎えして、参拝者さん達には、ご神体に触れて頂きながら、願いを掛けてもらいます。蛇は脱皮しながら成長していく生き物にて、よって、今年(巳年)は『成長と繁栄』の年。参拝者さん達には、向上を願う趣旨全般、子孫繁栄、家紋反映、事業繁栄、商売繁盛、学業上達、開運上昇、金運上昇、人生開花など、しっかりと弁財手さんにお願いしてくださいと。願う事により「よし、これで弁財天さん、きっと、後押しをしてくれるだろう」という期待感が、免疫を向上させ、やる気と努力に拍車を。特に、各法要に参拝してきた子供達には拙僧「願いを持たなきゃ、願いが叶う事はないよ。夢を持たなきゃ、夢が叶う事はないよ。だけど、なんぼ、神仏にお願いしても、一生懸命に努力をしなきゃ、夢も願いも叶うなんて事はないよ。種は撒かなきゃ、芽は出らん。犬も歩かにゃ、棒にも当たらん。牡丹餅も、自ら作って棚の上において置かにゃ、落ちてくる事はない。いいかい、常に自分の心に『まず、動け』と発破を掛けなきゃ」と。添付写真は、わが寺の弁財天(水の神)さん。45年ぶりの衣装替えを。【1日の投稿法話の本文に入ります】令和 7 年 2 月分 金剛寺住職短文法話集金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?【本文】昨今、また、檀家、知人、拙僧の法話読者から、若者(小、中、高、大、から、30代まで)の引き篭もりや、自死の相談を受ける事が多くなってきました。その要因は様々なれど、拙僧が受けた相談の範疇では、その生い立ち(家庭環境、親子不和)が子供達の将来に、大きく影響(自死の回避、自死の決行)を及ぼしている様に見受けられます。そこで今日の法話は、『子供に関する相談(自殺防止)を受けた折に、親御さんに対し助言した『自殺防止となるやもしれない言葉』を紹介させて頂こうと思います。何かしらの参考になりますれば。【責任を全て自分以外に押し付けるタイプの親御さんに】「子供が物心付いて、最初に人間の理不尽(夫婦喧嘩、嘘、偽り、誤魔化し、人の悪口、噂話、誹謗中傷)を目にするは、親の言動からですばい。国や社会に文句ばかり言わず、親はまず、自らの姿勢に目を向けないとあかん。子供に見せたくないテレビ番組で『8時だよ、全員集合』や『俺たち、ひょうきん族』や『クレヨンしんちゃん』などが、子供に悪影響を、と敵視されておりますが、テレビ番組だけを叩いてもね。1歩外へ出たら、世の中は理不尽な事ばかり。子供達が社会において見聞きしてきた様々な不条理を、濾過する事が出来る家庭を構築する事が、まずもってやらなきゃならんこと。それこそが、親の役目ですばい」と。【自分の子供時代を棚に上げるタイプの親御さんに】「子供の言動に対し、頭ごなしに怒らず、何故そうしたのか、何故そうなったのかを、しっかりと聞いてあげて、アドバイスをしてあげてくださいな。されば、自分で解決出来ない重荷を背負った時には、必ず親に相談をしてきますから。大人であれ、子供であれ、嘘をつくは、我が身を守る為にて。嘘を付く必要のない家庭環境を親が構築すれば、子供は嘘を付く必要がないので、嘘を付かなくなりますよ。正論を押し付け過ぎたら、優しさが欠けますばい。失敗を許してくれない社会(家庭)は、自由な社会(家庭)とは言えない。失敗を許してくれる社会(家庭)を、自由な社会(家庭)と言うんですよ」と。【自分の子供に限って、というタイプの親御さんに】「お寺の法要に子供達を連れて来てください。馬鹿話や面白い教訓話をして、お寺というものに子供達を溶け込ませますから。困った事が起こったら『あの住職なら聞いてくれるかしれない』と、お寺が子供達の心の拠り所に。自殺防止は、話を聞いてくれる大人を何人持っているか、が鍵となるようですよ。拙僧の経験の範疇では、相談をしてくる子供は『まだ死にたくない』の心があるから、死を選択する事はありません。死ぬ事を既に決めている子供は、邪魔をされたくないから、決行するその日まで、誰にもわからない様に明るく振る舞っております。過去に実行(自死)された子供さんは、スマホの中にも、その痕跡(友人との会話にも)は残されていませんでした(警察の調査)。わが寺でも、子供の自殺は数人おります。その数人の大半が、自殺の原因は、いじめや友人関係、進学問題ではなく、親子関係のもつれ、でしたよ」と。【真剣に子供さんと向き合わないタイプの親御さんに】「幼い頃から子供は『何故、何故』と親に疑問を投げ掛けてきます。子供が幼い頃は、親の方も丁寧に聞いてあげて、しっかりと答えてあげておりますが、何年もそれが続いてくると、段々と煩わしくなっていき、適当に相手をする様に。子供の方は、5歳、7歳、9歳と、年齢が上がっていく程に、切実な問題(勉強や人間関係、社会に対する疑問など)に変わってきているのに。いつの頃からか子供は『この人に話をしても』と、親に対し不信感を抱く様に。1度子供が親に対し、そんなレッテルを貼ったら、なかなか改善するは難しい。以前、子供さんから不信感を持たれ、落胆する親御さんに『今は、親から心が離れていても、本当に困った時には、子供が本当に頼れるは、やはり親だけです。数年後、頼ろうと思って振り返った時、不信感を抱いていた頃の変わらぬ親がそこにいたら、子供は頼ろうとはしませんよ。親から心が離れていても、子供は社会に揉まれ、成長をしていっております。親も子供と一緒に、成長していってください』とその親御さんに」と。【何故、そうなっていったかを理解しようとしないタイプの親御さんに】「暴走族の最盛期は、全国に約5万人も。が、昨今は、全国に約6千人程に減少を。そうなっていったは、個人主義が主流となり、徒党を組むのが煩わしくなった様で。世にいう『不良』と言われる子供達は、寂しい家庭の子供が大半であると。わが寺の檀家を見ても、大半はそれに同じでしたね。暴走族以外でも、徒党を組むを嫌がらなかった時代は、心を病んだ(寂しい環境)若者達が、身を寄せる場所(暴走族など)があった。つまり、死ぬ事以外に、選択肢(場所)があったという事です。暴走族という媒体は、そんな寂しい子供達が身を置ける場所であった、という事でしょうな。暴走族を肯定する訳ではありませんが、若者達にとっては、自分の逃げ場所でもあったという事にて。40年以上前、不良と言われた拙僧の友人達を見ても、そうであった様な気がします。若気の至りは、若い時の心の吐口だったのかな」と。過去に何人かですが「私の子供は、大人しくて、素直で、親に逆らう事を一切しない、非常に良い子なんですよ」という勘違いの親御さんを相手をした事がありましたが、ある日突然、痛手(大反抗)を味わう事になり、拙僧へ相談にお寺へ。その親御さん達に拙僧「親に対し、わがままを言う、反抗をするが、子供にて。それをやりながら、子供は成長していきます。それをしないという事は、親に気を遣って生活をしていると、何故に気付かなかったのですか。15歳になっていきなり、暴れだす子なんていないですよ」と、子供の微妙な変化に気付かない親御さんに注意をした事が。この手の家庭は、檀家の中にも結構に多いかな。【18歳自死者の葬式で】会葬者(自死者の友人の保護者達含む)に向けて拙僧「自ら命を絶った者は『地獄に堕ちて未来永劫に成仏出来ない』と巷では、そんな話が真(まこと)しやかに。この話は方便(嘘)にて。元禄16年(1703年)、近松門左衛門が曽根崎心中を発表した時、世間で心中沙汰が流行を。それを止める為に『自死は地獄行き』と方便を使い、連鎖を阻止しようとしたが始まり。それが功を奏し、ある程度、自死を食い止める事が。方便(嘘)とはいえ、自死防止にそれなりの成果を上げられた事により、それが現在にまで残っているだけですよ」と。続けて、拙僧「事故死であれ、災害死であれ、病死であれ、老衰死であれ、突然死であれ、自死であれ、人間の命は、寿命にて。亡くなり方によって死後世界の環境(地獄、極楽)が決まるとは、人間が勝手に決め付けた事にて。哀しく旅立って逝かれた人に、更に、追い打ちを掛ける様な、根拠なき言葉を投げ掛けるは、やめた方がいい。最期がこうだったからといって、この子の人生の全てを否定する様な事を言うは、思うは、あまりにも可哀想過ぎる。この子も18年間、この子なりに一生懸命に生きてきたんだから。保護者の皆さん、決して他人事とは思わないでくださいね。あなた達の子供さんは、今、生きとりまっせ。しっかり、我が子と向き合っていきましょう。しっかり、会話をしていきましょうね」と、会葬者の皆さんに。上記の葬式での法話は、この18歳で自死された子供さんの親御さんから「私達の様な思いをするは、私達だけでたくさんです。子供の友人の保護者さん達に、それなりのお話をしてあげてください」との依頼を受けて拙僧、その様なお話を会葬者さん達にさせてもらいました。令和 7 年 2 月分  金剛寺住職 臨時法話昨今は、自死や引き籠りの問題以外にも、ニート(20代から40代の働かない男女)に関する相談も急激に増加をしてまいりまして、拙僧がこれまでに相談を受けてきた、狭い範疇での事例ですが、そうなった要因(ニートになった)であろう、と思われるものを箇条書きにして、今回は紹介をさせて頂きます。これは100に満たない事例(拙僧が受けた相談)ですので、参考に出来るものだけを、参考にして頂けたらと思います。幼児、小学生を子供に持つ檀家の親御さん達には、今の内に、と事あるごとに、下記の話をさせて頂いております。【要因1】親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事かな。子供は、親が育てただけしか、育っておりませんもんね。「鳶(トンビ)が鷹(タカ)を産む」という言葉がありますが、鳶(トンビ)は鷹(タカ)は産みません。蛙の子は、やはり、蛙です。ただ、子供本人の努力で、鷹(タカ)のような鳶(トンビ)が育つ事はありますが。子供は、親の所有物ではありません。人はその土地を縁にして生まれてくる事から「あなた(神、氏神)の子供を私に育てさせてください」と願いを掛けて授かったもの。よって、七五三詣りに赴くは「3歳まで、5歳まで、7歳まで、あなたの子供をこの様に育てました」と氏神さんへ披露に行かせてもらう行事にて。そして、披露の最後が20歳の成人式。この時「この人間(親)に、この子を預けて正解だったのかな」と神さんに思われん様にしなきゃならんですよね。どんな子であろうとも「この人間(親)なら、この子は育てられる」と、期待されて渡されたのですから。【要因2】その筋の専門家が、物心が付いた頃から、義務教育(15歳)までの育ちを基礎として、16歳から20歳の間で、人間の人格が確立していくと。が、この国の教育形態を見ていると、学校でも塾でも、先生の指示(言われるまま、されるまま)の下(もと)で勉強を。家に帰っても、先生の指示の下(出された宿題、課題)で勉強を。いつ、自主的に勉強するのか。指示され続けて(小、中、高)12年。出来上がった人間は『指示待ち人間』に。結果、自主的に動くを求められる社会に馴染めず、就職してもすぐに離職を。こんな子が過去に何人、親に連れられて拙僧のところへ相談に来た事か。その相談に来た大半が、男性(息子)にて。勿論、世の中はそんな子供達ばかりではないですよ。しっかりしている子は、しっかりしております。知識は学問から、その知識を活かす知恵は、経験からしか身に付きませんもんね。経験なき知識の持ち主は、ただの『物知りさん』でしかない。ただの『物知りさん』では、実践の役には立ち難い。過去に、この『ただの物知りさん』が、物知りを盾に拙僧の前で、経験なき見地から親に的外れの文句、講釈を浴びせ掛けた事が。対し拙僧、余りの言い分に堪り兼ね、その物知り息子に「読んできた本の中だけで、生きてんじゃねえよ。動きもせん、仕事もせん、君が出来るは、勉強(五科目)だけか」と。その言葉が効いたのか、悔しかったのか、その息子、今ではガラッと変貌を。【要因3】育てられた経験しかない者、育てた経験のない者は、どうしても大人になりきっていない様に見受けられます。子供を育てるというは、自我(親自身)を抑え、子供が成長するまで『我慢、待つ事』にて。また、親は『子供を育てている』と思っている様ですが、親も『子供から育ててもらっている』というを自覚せにゃならん。この相互(相関)関係を経験していない人は、やはり、大人になりきってない様に思われますね。少し昔は、就職して仕事に慣れてきたら、結婚して家庭を持て、と上司から。これは、家庭を守り、子供を育てるというを経験せずば、部下を育てる事(会社存続の為の後継者育成)が出来ないからと。因みに、企業の平均寿命は、1980年代は、約30年であったと。2017年には、約23年という事。様々色々要因はありましょうが、人材育成不備(人材不足)も、その原因の1つなのかな。【要因4】10年程前の6月、7月の2ヶ月間に、来寺された日は別々ですが、次から次と20人以上、それも30代の男性(就職して、すぐ離職)ばかりが母親に連れられて、人生相談(人間関係の不和、絡れ)に拙僧のお寺へ。その男性(息子)達に、そうなった理由(経緯)を引き出そうと話し掛けていると、横から母親が度々口出しを。「今、息子さんに尋ねていますので、宜しいですかね」と何度注意しても、母親が横から息子の言葉を遮ってまで、口出しを。拙僧、とうとう堪り兼ねて「お母さん、あなた、少し黙らんですか。拙僧はこの子に聞いとる。息子さんがこうなった理由がよくわかる」と過干渉の母親達に。男性(息子)達に「君が拙僧に、本気で相談したいなら、今度は1人で来なさい」と全員に。その後に来たは、2人。その2人は今でも時折、自分の家族(妻子)を連れてお寺に来ては、拙僧と馬鹿話や四方山話を。【要因5】ここでは、親の子育ての事例を1つ。先頃亡くなられた、歌手の谷村新司さんは、父親が衣類関係の会社の社長だったと。生前、テレビ番組で谷村さんが「アリスの稼ぎが大きくなっていき、その勢いで事務所の社長が米国に投資(進出)を。が、それが大きく失敗し、大きな負債を。私たちアリスもその煽りを受け、半年から1年程、給料なしで仕事をする有様。あまりに生活が苦しくなったので、関西にいる親のところへ。少し加勢(生活費)してもらおうと、父親にその事(会社の危機)を話すと『そうか、それは大変だな。まあ、頑張れ』の言葉だけ、1円の援助もありませんでした。その時の父親の厳しい突き放しがあったればこそ、今の私があると思います」と言われておりましたね。子供が可愛いくない親なんて、どこにおりまっしょうや。が、ここぞの時に親は『心の中に鬼1匹』を飼う事が出来るかどうかが、大きな分かれ道になるでしょうね。【最後に】わが寺の本堂内には、鬼子母神の社(やしろ)が。その社の屋根には、三猿が。三猿(見猿、言わ猿、聞か猿)の極意とは「見てはならん、見なきゃならん。言うてはならん、言わにゃならん。聞いてはならん、聞かにゃならん」の判断にて。この判断は、結構に難しい。般若心経の文言の中に「眼耳鼻舌身意」という六文字が。意味は「見たいものだけ見る目なんていらない。聞きたい事だけ聞く耳なんていらない。言いたい事だけ言う口なんて必要ない。この世の中、したい事だけすれば、それで事が済むんかい。よくよく考えな」というもの。人間関係というは全て、割り切れんものを無理矢理割り切って、わが心と折り合いを付けていく事ですもんね。子育てといえば、先日、こんな話が檀家さんから。その檀家女性が「住職さん、これは、知人から聞いた話なんですが、その知人(女性)が、ある家族の話を私に。その話とは、こうです。そこの子供(30代男性)が、こんな事を言ったそうなんです。『親が100歳まで生きると仮定するだろ。そう考えたら俺は、親が定年するまでは、親の給料で飯を食っていけるという事になる。親の定年後は、親が死ぬまで、親の年金で飯を食っていける事になる。俺が70歳までは、これで何とかなる。残りの70歳以降は、贅沢な事を望まなきゃ、生活保護で死ぬまで飯を食っていける。全くもって、この国は天国だぜ。日本に生まれてきてよかったわい』と。働ける頑丈な体を持っていながら、ただの怠け者だよ。これって、どう思いますか、住職さんは」と。続けて、この檀家女性が「実は住職(拙僧)、私の親戚の中にも、こんな『寄生虫予備軍』が1人、いるんだよね、男性(高学歴ニート)だけど。住職は、この様な話(寄生虫予備軍の存在)を耳にした事がありますか」と。「似た様な話は、何度か聞いた事もあるし、相談を受けた事もあるかな。これからは、人間100年時代になるらしいが『結婚もしない、子供もいない。寄生虫で生きていく』が増加していくとなると、その内に尻窄みとなって、国も、各々の家庭も『長者三代続かず、をまっしぐら』という事になっていくんだろうね。拙僧の知人の中にも、お寺の檀家さんの中にも、この様な家庭、徐々に増えてきたかな。『そうすりゃ、そうなる。そうなっていってるのに、まだ、そうするか』だよね。過保護、過干渉が作り出した、世の中の流れ(世相)だね」と。次回の投稿法話は、2月5日になります。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】明けましておめでとうございます。

【臨時法話】 初夢のはなし。昨日、2日に、檀家さんの家族が納骨堂参りに。「正月の三ヶ日は、お盆の三ヶ日と同じですよ」と常々法話で言っておりますので、檀家さん達は皆、納骨堂参りに。参拝してきた中学生男子が「住職は、初夢を見ましたか。縁起の良い夢と言われているは『一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)』なんでしょ。僕は初夢を見れなかったんですよね」と残念そうに。対し、拙僧「初夢と言われる基準は色々あってな、今年に入って、君が初めて見た夢が、君にとっての初夢だよ。半月先になろうが、1ヶ月先になろうが」と。続けて拙僧「ところで『一富士二鷹三茄子、の続きがあるを、君は知ってるか」と問うと「知らない。続きって、何なの」と。「それは『四扇五煙草六座頭(しおうごたばころくざとう)』と続くんだよ。富士は『無事』と掛けて、富士を見上げて運気上昇と。鷹は『高い』と掛けて、鋭い爪でチャンス(可能性)を掴み取ると。茄子は『成す』と掛けて、価値の高い実りある物を得ると。扇は縁起の良い小道具で末広がりを意味し、煙草は煙が上昇する事から運気上昇と、座頭は毛がない事から『怪我なし』と掛けて、家内安全を意味してるんだと」「へえ、そうなんだ。他に縁起の良い夢ってあるの」と。対し拙僧「そうだね、金運、繁栄に恵まれると言われる『蛇』の夢とか。今年(巳年)がそうだが、蛇は脱皮しながら成長していくだろ。『日が昇る』夢は運気上昇とか、『うんこ(大便)』の夢は運が付く、金運上昇とか。そうたい、拙僧の初夢は、これだったな。夢の中に横綱旭富士さん(63代、昭和35年生まれ)が出てきて『住職、尻から背中に掛けて、うんこが着いちゃった。すまんが、洗ってくれまいか』と横綱が。見たら、見事にうんこがべっとり。拙僧は大半が、夢とわかった上で夢を見てるから『何で拙僧が、うんこなんか』と思いながら洗ってると『そうか、うんこか。何か良い事があるかもしれん』と夢の中で、欲ったらしい事を考えながら洗ってあげたが、拙僧の初夢だったな。他にも『火事』の夢も縁起の良い夢と言ってたよ。炎が強いほど、運気上昇(繁栄)と。そんなところかな」と。すると「じゃ、僕も今年の初夢は『うんこ』の夢を見る。見れる様に、毎日『うんこ』の事を考える」と。「そうか、頑張れ」と拙僧、この檀家中学生男子に。最後に拙僧「まあ、何にしても、夢に拘る必要はないわな。『幻想を楽しむ』という程度でいいと思うよ。元来、この『一富士二鷹三茄子』というのも、江戸幕府を開かれた徳川家康公が、風景では富士山、趣味では鷹狩り、食材では茄子(なす)が、事のほか好きだった事が、元になったという説もあるもんね。自らで作って、棚の上に牡丹餅を置いておかねば、落ちてくる事はない。何もせずに、運を待っていても来ない。自らの努力で運を開かせな」と拙僧、この中学生男子に。【付録】拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が。何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/ 拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。次回の投稿法話は、1月5日になります。