天徳山金剛寺

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平成30年2月分 金剛寺住職短文法話集

「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。       金剛寺ホームページ  https://kongouji.amebaownd.com/ 金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093 金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0099  「口から出る言葉で、その人間の人格が大方判断出来る」家康公に仕えた徳川四天王、鬼の作左こと本多重次公が「趣味と服装を見れば、その人間の心根がよくわかる。その最たるものが、言葉遣いである」と。確かに、心の中にないものが表に出てくることなどは絶対にない。余程考慮して言葉は選ばないと「私はこんな人間である」と、世間に向けて自らを暴露してるに同じだよ。0100  「見て見ぬ振り出来るが、7本当の親」学校保護者会講演で「カワセミは、雛が巣立つ日を見据え、故意に急流上の枝に巣を作ると。時期がきたら親鳥は餌をくわえ「食べたいなら、飛んでこい」と川向こうの枝に。どんなに雛が鳴いても与えようとはしない。遂にひもじさに耐え切れず、勇気を持って親鳥の元へ。これで巣立ちが完了。鳥にに負けておりませんか」と。0101  「人間死んだら終わりよ、じゃ、あまりに寂しいよね」散々迷惑を掛け続けた元極道の息子が母親の葬式で号泣。対し「君な。人間の世界では人は「死んだ」と。が、仏の世界では「ご浄土へ生まれ変わった」と。生まれ変わるなら名無しの権兵衛で逝かせる訳には。そこで戒名を。お母さんな、やっと楽になって浄土へ旅立とうとされとるんだ。最期ぐらいは笑って送らんかい」と。0102  「実れば実るほどに、頭を垂れる稲穂かな」知人老僧が「世の中「先生」と付くほど馬鹿おらん。政治家、教諭、医者、物書き、その中には当然の事ながら坊主も。常日頃、上から物を言うばかりで、上から物を言われることがない。時には未熟だった時代を振り返り、謙虚心の復活を。曹洞宗故宮崎禅師管長様は、100歳を越えられても雲水と一緒に座禅修行を」と。0103  「何が悲しゅうして先祖が子孫を祟るかいな」初参拝の女性が相談に。「知り合いの紹介で僧侶が来られ、家の中に仏像を祀っているから先祖が中に入れん、と玄関先で怒っとる。祟りがあるからどけろ」と。「ほう、それは大変ですね。で、外へ出たらその玄関先の怒れる先祖と遭遇する事になるが、何かされたね」「いいえ、何も」「そう、なら、この話は終わりだね」と。0104  「何よりの親孝行は、子供が幸せな人生を歩んでいる姿」商工会議所講演質疑応答で「心配を掛け続けた親に孝行したいのだが、何をすれば親が喜んでくれるのかと。品物、旅行と色々思案を。が、これといって答えが出ない」と。「人は受けた恩に対し感謝している間は。が、忘れた途端に、また同じ過ちを。親が何より望んでおるは、子が真面目に社会に貢献して生きてる姿かな」と。0105  「人の心を変えられるのは、人の心」大正生まれの祖母は自他共に厳しく、母は私が8歳の時それが原因で離婚。30年前には当時21歳の妻も「孫の嫁であろうと嫁は嫁」と容赦なく。が、献身的に半身不随だった祖母の下の世話から生活全般の支えを。最期は妻の手を取り「この家に来てくれて本当に有難う」と。人の心を変えるは人の心と、私は妻から教訓を。0106  「神通力よりも行動力」超有名信仰創始者が数多の信者の前で遠くの山を指し「引き寄せる」と念力を。1度目、2度目までは信者達も「いかに尊師でも」と。だが3度目の挑戦でも失敗を。すると不信感を抱く者が続出。そこで創始者が一言、「山がこちらへ来んのなら、私が山へ向かって歩いて行こう」と。何事も自らが一歩踏み出せ、の教訓かいな。0107  「見る、言う、聞くの親の判断は大事かな」3年前、学校保護者会講演で「申年で思い浮かぶは、やはり「見ざる、言わざる、聞かざる」かな。だが、目、口、耳に当ててある手は、自分の意志でどうとでも。時と場合によっては「見てはならん、見らねばならん。言うてはならん、言わねばならん。聞いてはならん。聞かねばならん」等の使い道が。見極めが大事」と。0108  「講釈、文句を言う前にまず動け、だね」上杉家中興の祖、鷹山公は「為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」と当家の救済を。その手本は関ヶ原で豊臣方に味方、領地減封の上杉家を自らは領地を返上、家臣も禄を削る事で1人もリストラせず、家臣に百姓をさせて財政の立て直しをした家老直江兼続公の政策。「先ず動け」の教訓だね。0109  「自分は産んでもらっておきながら、わが子は闇から闇に」これは夢の話にて。女性3人が寺へ来て「私達水子の姉妹です。この度ここで私達の供養をして頂けると。そのお礼に」と。「水子さんですか。30代半ばに見えますが」と返すと「生まれていたらこの様な姿に」と。その夢の翌日、見知らぬ老女が「水子の供養を」と寺へ。聞くと40年前に次々3人。皆、女の子。凄い偶然。0110  「プライドが服を着て歩いてるが人間、かな」人に注意されて腹が立つ時は、身に覚えがあるか、濡れ衣を着せられた場合、かな。身に覚えがある場合でも、自分の欠点を面と向かって言われたら、人は聞く耳を持てないもの。しかし、不特定多数への注意なら「自分にも当てはまるところがあるな」と素直に照らし合わせる事が出来るもの。法話の存在意義は、これかな。0111  「親元こそが、わが故郷。でありたいね」中学校保護者会講演で「家康公に引退を命じられた石田三成公が「琵琶湖の鮎は春になれば必ず産まれた瀬に戻るそうです」との言葉を淀君に残し大阪城を後に。駆け引きなしに愛情を注いでもらった親とも慕う秀吉公への恩に報いる為、豊臣家存続の旗揚げを。親の愛情が無二のものなら、子が親を裏切る事はないですよ」と。0112  「あなたの物は私の物。私の物は私の物」ある女性が「義父母に気を遣う生活なんて」と結婚否定を。対し「貴女の親はそれをやって、今現在貴女が安らげている家庭を築いたんだがな」と。またある女性が「子供に時間を取られる生活なんて」と。対し「親に散々時間を取らせた貴女が、時間を取られるが嫌とは、何」と。してもらった事は、して返さにゃ、ね。

平成30年1月分 金剛寺住職短文法話集

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。    金剛寺ホームページ  https://kongouji.amebaownd.com/    金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093    金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0085  「楽して益を得ようなんて、そんな世界などない」あるドクターに「人体の何%位を把握出来てますか」と。「数%かな。後は手探り。細胞分解した状態で目の前に置かれ、人間作ってみろ、と言われても。無理ということは把握出来てないということ」と。先日檀家がドクターに怒られたらしい。「暴飲暴食止めんが体治せやと、私に何を期待しとるか」と。神仏への願掛けも同じ。0086  「人は誠でなければあかん、が、父の口癖だった」高校講演で「豊臣、徳川家に仕えた藤堂高虎公は、晩年眼病で失明を。二代将軍秀忠公は高虎公の為、江戸城廊下を改築。「何故、貴殿の為にそこまで」と問う大名達に「知らぬ。唯、わしは誰よりも早く登城し、誰よりも遅く下城してきただけだ」と。人がそう動くからには、動くだけの理由がある。人の心を動かす人間に」と。0087  「案ずるより産むがやすし、と簡単に言うが」思い知られよ己が身の誕生の日は母苦難の日、と。当たり前の様に誕生日は当人を祝ってもらう日と。が、よくよく考えたらその日は、かつて母親が命を懸けて産んでくれた日にて。なれば、自分を祝ってもらうのではなく、改めて母親にご恩を報ずる日とするが本当の誕生日のあり方ではないのかな。一分違えば万分の違い。0088  「所詮、人の営み。同じ生活風習は、どの国にも」10月31日、1年の終わりに家族の霊と共に悪霊が。古代ケルト人は身を守る為、恐ろしい面を被り悪霊を追い払う風習を、これがハロウイン。宗教行事と知ってか知らずか、馬鹿騒ぎ。まあ経済効果はね。だけど、同じ魔を払う行事なら日本にも。立春の前の日、旧暦の大晦日。ご存知、節分。わが国の伝統行事も大切に。0089  「人類誕生より、一つの命をバトンタッチのように」私には2人の親、2人の親には4人の親。2+4+8と代々の親を20代目まで足していったら約210万人に。この方々がもし1人でも欠けていたら、今の私は。先祖供養は信仰じゃない。感謝の心を形に表したもの。命を流してくれた方々に感謝するは当たり前のこと。これが欠如してきた結果、命を粗末に扱う世の中に。0090  「晩年息子と語り合えることが出来るが、父親の希望、かな」父と息子の理想の関係は、と問われ「息子から見た場合、幼い時は間違いなく怖い存在かな。青年期になるとライバルだね。特にこの時期、父親は頭ごなしに息子を否定したらあかん。本人は一人前でないと百も承知。そこをつけば意地でも反感を。その時期を上手く通り抜ければ、必ず同士に。この流れが一番理想かな」と。0091  「家の歴史を知る事が出来るは、菩提寺に残る過去帳」当寺檀家の中には、200年前から戒名が残っている家が。これは何を意味するか。誰1人として親を粗末に扱う子孫がいなかったという事。当然そういう家庭は円満。何故、円満か。根底に感謝が。信長公が好んで舞った「人間50年、下天は夢」は、この世の50年あの世の1日なる意味が。ならば200年は、たったの4日。0092  「あれから47年。小便をする度に確認し、心の中でお礼を」私が8歳の時、突然血尿が。「止まるだろう」と夕刻まで待ったが止まらず父に告げると「いつから出とるんだ」とその時の父の慌てぶりは今でも脳裏に。「聞いて極楽、見て地獄」という諺が。診断は膀胱炎だったが、何せ8歳。初めて「死」を感じた体験だった。以来今日まで47年。毎日小便をする度にその時の父の顔が脳裏に。0093  「頼れる人が消えて、初めて本腰に」父が他界の数時間前「仕事が」と寺へ戻りかけるとドクターが「間に合わんよ」と。「大丈夫、戻って来るまでは逝かん」と。この言葉に何の根拠も。「親が死んだくらいで仕事休むな」との、父の言葉に従ったまで。仕事後、戻ると同時に他界。「ご苦労様。今日だけは休んでよか。が、明日から手伝え。寺が潰れるぞ」と耳元で。0094  「親と言われる立場の人は、心に鬼一匹を」今日だけ、と奥様の懇願で主人が会社を休み学校へ。教室では授業中というに生徒は席を離れ勝手放題。参観の母親達は教室後方で井戸端会議を。その状況に主人が堪り兼ね「こんな授業見に来たわけじゃなかぞ」と一喝。参観後先生に「モンスターは弱い先生にしか文句は言わん。親の顔色伺うよりも子供の将来の為鬼に」と。0095  「掛け算覚えにゃ、高等数学は解けん」基礎なる力を苦労して体得しようともせず、高い給料だけを望む若者に「ある国の愚かな国王が隣国に招待され城の最上階へ。そこからの眺めに感銘し家来に『自国にも建てよ』と。数ヶ月後、視察に赴いた国王は家臣に『わしは最上階だけ建てよ、と命令したんだ』と。基礎工事を成し、1階建立中の様を見ての激怒」の話を。0096  「世代交代は、先代が元気なうちに」秀忠公が「大名達は、上様、上様と言っとるが、皆心は駿府(家康)に向いておる。だが、10年も言われ続ければそれなりの姿になる」と。世代交代は親が元気なうちにするが正解。従う人達も後ろに先代が控えておると思えば安心して従う事が。後継者はその間に大いに失敗し、恥をかいて、本物に仕上げることが大事。0097  「我慢する必要のない人生を送ってきた人なのかな」わが寺は、四国巡礼中は全日程において酒、煙草は禁止。巡拝は基本、空海修行の追体験。よって不平不満をこの地に落とす事ならず、が原則。以前、何番札所かで遭遇した老男性が「飯が不味い。布団が古い」などの不服を。それに対し連れの方が「セレブ旅行なら別の機会に」と苦言を。物見遊山とそうでない方の差かいな。0098  「お年寄りの知識は、宝の宝庫にて」金剛寺にはお節介な優しい老ドクターがいて「住職、うがいは喉の血流を良くする為に、ガラガラと音を立ててせい。オナラを止める時にキュっとケツの穴を閉じるじゃろ。その開閉を繰り返す行為で前立腺が鍛えられる。コーヒーは肝臓機能促進に効果があるんじゃ、必ず飲め」と。有難いですね。貴方もこれ、如何ですか。

平成29年12月分 金剛寺住職短文法話

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。    金剛寺ホームページ  https://kongouji.amebaownd.com/    金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093    金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0071  「親離れ、それとも、子離れ、かいな」数十年前は大学受験に親が付いてくるなんて。ところが数年前からは、男の子の受験にまで親が。その頃の親がスライドかな、最近は入社式にまで。会社側も気を使って、何と親の席までも。その絆の強さからか、何かあったら泣きついて何と親が会社に辞表を。落胆して相談に来る親バカさんに「親は必ず先に死にますよ」と。0072  「縁に出会って、縁に気付いて、縁を活かせず」諺に「この親にしてこの子あり」と。中にはこの親から何でこんな良い子が育ったか、というケースも。どうもこの世は、その人に欠けているものを補ってくれるように縁が流れているようで。「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の言葉もその例の1つ、かな。但し、その縁に出会って気付いて活かせるかは、本人次第だが。0073  「礼節を重んじていた日本人は、いったい何処へ」四国では地元の方が巡拝者に食べ物を分け与えてくれる「お接待」という風習が。ところが最近、そのお接待をされる方々が極端に減少。理由は巡拝者のマナーの低下とか。捨て散らかしたゴミは地元の方々が後始末を。神社仏閣参拝は専ら観光が目的。手も合わせず、賽銭も打たず、おみくじだけ。日本人の礼節心は何処へ。0074  「騙す方が悪いに決まっとる。が、騙される側にも責任あり」「数十万、数百万とお布施を積まにゃ災難に遭うぞ、病気になるぞ、命を落とすぞ」と。「ちょっと待て、ちょっと待て、お坊さん。本来、布施って何ですのん」って話。となると、救われる人は基本お金持ちだけかいな。釈迦も、達磨も、各宗祖も、脅して人を導いたなんて話、聞いたことないがな。導かれる側も少し考えよう。0075  「2500年前に示された教えが、最近になって立証」以前、うつ病患者が次々お寺へ。皆30才以上の男性で、付き添いはいちいち横から口を挟む母親。「ちょっと黙らんですか。本人に話を聞いとる。この子がこうなった理由がよくわかる。君な、ゆっくりと深呼吸してごらん。脳内からセロトニンが分泌され心が落ち着くから。これは医学的にも立証。釈尊が示した禅の道だよ」と。0076  「今の世を守ってくれた多くの命に感謝を」戦中に最前線部隊を指揮していた檀家爺様が終戦日を迎える度に「戦闘に出たら夕刻には多くの部下が。チューンという音と共に若い命が次々に。中でも辛かったは、わしの足となってくれてた馬じゃ。撃たれて瀕死の状態に。苦しませない為、眉間に銃を」と。そこまで話すといつも嗚咽状態にに。多くの犠牲によって今の世は。0077  「追善供養は御礼報謝、先祖を忘れない為の法要にて」年忌法要は、1周忌、3回忌、7、・・50回忌と、えろうあるな、と。その方の恩や存在を忘れない為。親族の絆、安泰を再確認するが為。私はこの他に毎年、父の年忌を8回忌、9回忌と。その都度遠方の子供達に「今日は爺様の祥月命日10回忌。今ある幸せは全て爺様のおかげ。九州に向かって手を合わせよ」とメールを。0078  「ガサツな人間は、あかんですな」女房殿を待っておると、1人のおばさんが店頭カートの中にある特売品を取っては投げ捨て、取っては投げ捨てを。その扱いの何と荒いこと。男性にはあまり見かけない光景だね。睨んで見ておると気付いたのか、慌てて品を置き直し他の店へ。横にいた娘に「お前はまさかあんな事やってないだろうな。誰かが買う品物だぞ」と。0079  「四国遍路で、あの清原和弘さんと偶然に遭遇を」人は追い込んでも、追い込まれてもあかん。人間は基本、弱い生き物。弱いからこそ強がって見せる。存在が大きければ大きい程、弱い姿を封印。昨年の四国巡拝の折、ある札所のお寺で歩き遍路の清原さんと遭遇。声は掛けなかったが、足を引き摺り歩くその姿は真剣。何かを絶とうと葛藤していたのかな。今思うと、ね。0080  「親子、兄弟、夫婦などの近親間でも絶えぬ喧嘩」日本と外国では商談の考え方が全く違うようだ。特に追加注文は。日本はラッキーと割引をするが、外国では「もう利益は得た。これ以上に働けと言うなら倍額出せ」と。「ウサギとカメ」の話も。外国ではウサギを起こさなかったとカメを痛烈に批判。これ程に見解の不一致。余程話し合わんと折り合いはつかん。外交は大変だわ。0081  「主人側の親だけが親じゃない。女房殿の両親も大切に」妻の両親を我が家で世話する事が決まった時に娘が「何故」と。「嫌か」と聞くと「私は嬉しい。だけどお父さんの負担が」と。「有難う。が、母さんは女性だけの姉妹だろ。そんな家庭の娘さんをお嫁さんに貰おうとする男性は、その両親を見る腹がないんなら、初めっから結婚しようとは思わんことだな。そう思わんかい」と。0082  「通夜、葬儀での法話は、故人の最後の説法を坊主が代理で」通夜、葬儀後の説法には必ず「母死んで拝む両手があるなら、生きてる内に肩一つ揉め」の言葉を。死後に手を合わせ線香、誰でも出来る。が、老いた親を世話するは大変。我がままに加え、下の始末まで、汚い。だけどそんな体に誰がした。産んで育ててもらって、家の為に尽くしてきた挙句の果ての姿がそこに。今一度心に。0083  「幸、不幸は表裏一体。幸せな時にこそ、気を引き締めよう」「縁起のよい言葉を」と求められ住職が「家の外ぐるりと囲んだ貧乏神」と。憤慨して文句言うと下の句に「福の神外へ出られず」を添えられ一言半句返せず。災い転じて福となすだね。逆もまたしかり。おみくじ大吉を喜ぶ人は数多。が、後は落ちるだけ。順風満帆の時にこそ油断の心に魔の手が忍び寄る。余裕ある内に備えを。0084  「地球は人間だけが生活しているわけじゃなかばい」地球上で人類が生活を許可されている領域って何処までかいな。自力で呼吸が出来る範囲かいな。なら、上は8848mのエベレスト、下は素潜りが出来る深さかいな。その範囲内でも他の命との共存が。領域外においては、どうしても踏み込まなきゃならん用事がある時には、そこで生きている命に迷惑を掛けたらあかんよね。

平成29年11月分 金剛寺住職短文法話

  「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。    金剛寺ホームページ  https://kongouji.amebaownd.com/    金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093    金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0057  「ヤクザの親分さんも女房殿には頭が上がらないとか」29年の結婚生活で2度ほど妻からマジ蹴りを、足に。堪忍袋の尾が切れたみたいで、未だ身に覚えが。しかし、かかあ天下と亭主関白を比べた時、絶対的に腕力の強い旦那の威張り腐った態度は見るに堪えんが、その強い旦那が奥さんに怒られて「シュン」としている姿を見るは、ほのぼのとしませんか。夫婦円満の基本はこれ。0058  「人は失って初めて、本当に大事なものの存在を」大便小便が出て、飯が食えて、睡眠が出来て、当たり前。が、この当然と思う事が出来なくなる事こそが最大の苦に。加えて本当に大事な物は目に見えん。親の心、子の心。酸素に太陽の恵み。わが命の基盤を作ってくれた先祖の存在と業績。この目に見えないものに感謝が出来る人間を育て上げる事こそが、親という者の役目。0059  「物事は全て年齢と経験によって、受け取り方が変わる」禅宗には、何十年もの間、一言一句違わぬ法話を貫かれる僧侶がおられると。「この話なら前にも聞いた」と不服を言う方に「人は刻一刻と変化を。抱える問題も日々変わる。今日聞いた法話と5年後に聞いた法話が同じに聞こえるということは、その人はこの5年、全く成長していないということ。それに気付かせるが為の手法。0060  「女房殿の幸せが、旦那にとって何よりの幸せ、だよ」思い出深い家も捨て、産んで育ててくれた親も捨て、今日までの経歴も、全てを捨ててあなたを選んでくれた女性を何故大事にしない。一度しかない人の人生を粗末に扱うなんて失礼千万。男性は重大な責任がありまっせ。基本、人は自分以外、第三者の人生は歩けない。その道を共に歩くと決意してくれた女房殿を何故大切に。0061  「仏教行事の風評は、巷の恐怖観念から産まれてきたもの」友引の葬式は誰かが連れて逝かれる、と。では、千人葬式したら千人が、ですか。四十九日法要は三ヶ月に股がったら苦が身『三』に付く『月』からするな、と。仏教ではそんなこと一言も。ただ、日本人は迷信、祟りの類に敏感。弔問者に嫌な思いをさせたくない、という理由からその日を避けるという考え方なら、有りかと。0062  「誠意を見せねば、人は決して動いてはくれん」先日、結婚を親に反対されている若者が「破談にした方がいいですか」と相談に。「ならやめろ、と言ったらやめるんかいな。2人顔を揃えてここに来たという事は、結婚したいからだろ。どうしたら親に許しを得られますか、と何故聞かん。そんなところじゃないか、両家の親が反対している理由は。現実逃避に明日はないよ」と。0063  「全ての物に感謝出来ない人間は、使い物にならん」松下電器の創業者幸之助さんは新入社員採用面接で「あなたはこれまで運が良かったと思うか、悪かったと思うか」と問うて「良かった」と答えた人だけを採用していたと。その理由は、数多の支えあっての今日のわが身。加えて今ここに命があるに何不足。感謝の心があれば必ずその答えが出るはずと。この確認方法は、正解。0064  「壁に耳あり、障子に目あり。如何なる分野にも見識者あり」Mー1でサンドウィッチマンが敗者復活から優勝した時、予選時の敗退審査に対しオール巨人師匠が不快感を。関係者全員大反対に対し当時長嶋監督は銚子商の篠塚さんをドラフト1位に指名。2軍で埋もれていたイチローさんを仰木監督が1軍へ抜擢。その人が本物なら、必ずその道に明るい人が手を。腐らず努力を怠るな。0065  「人を追い込んで、何が楽しい。人を泣かせて、何が嬉しい」人を絶対に追い込んじゃあかん。抱えきれる問題の数は人それぞれ。5つ抱えれば限界の人に5つ抱えさせたら、うつ病などの精神疾患を引き起こすことに。「この問題は急ぐことはないよ」と、たった1つ外してあげるだけで逃げ道が出来、心に余裕が。特に子育ては。親といわれる立場の人は、未熟だった頃の自分を忘れぬ様に。0066  「子は親を、親は子を選べんが、子は親の後ろ姿でどうとでも育つ」子供は良い事も、悪い事も外から吸収してくる。これは阻止出来ん。だからこそ家庭が濾過する役目の場所でなくては。芥川龍之介さんの「河童」では、生誕決定権は赤子の方にあるらしい。その赤子が「父よ、あなたの生き様を見ていたら、私もそうなるのか、と思ったら恐怖で産まれてきたくない」と。責任があるよね、親は。0067  「固定観念が人の足を止める事に。日本の企業の99・7%は中小企業」「一流大を出て一流企業」と洗脳のように言われ続けた青年が就職で初めて挫折、相談に。「印象派のゴッホは数千点の作品の中にひまわりがあるが、被写体には何の意味も。それが薔薇でも、百合でも。要は技法だよ」と。「わかった、畑だね」と。「そうだ、畑は何処でもいい。その畑で君が何を磨き、実らせていくかだ」と。0068  「昔話は老若男女を問わず、いずれの世代にも教訓を」2月の伝統行事に節分が。鬼の訪問は「鬼門」から。所謂、牛寅(北東)の方角。魔がこの方角から入るということで、魔「ま」を滅「め」っする、という意味から「豆」を撒き始めた。が、形がないと実感が。そこで牛の角をつけ、虎のパンツを。が、室町時代は豆ではなく桃を。そこで鬼退治の桃太郎伝説が。懺悔を促す方便。0069  「誰にでも、何もかんも投げ出したい時って、あるよね」家族問題に対し老いた母親が「私はもう知らん。後は死ぬだけじゃ」と。その投げやりな言葉に情けないと娘が。「それはお母さん、可哀想かな。若い時には背負えた荷物が、今はもう背負える精神力も体力もないんだよ。そんな風に責めなさんな。家族の幸せを願わん親なんていないよ」と。年寄り責めるな、行く道じゃ、かな。0070  「善悪に関わらず、全ての縁は、突如わが身の前に」龍樹菩薩が「この世は縁で繋がってないものは何一つない。偶然なる言葉は人間がつくった言葉だ」と。確かに「この道を通らなかったら。1日ずれていたら」と。「もし、あの時」を使いたくなる縁は多数。なのに、今日やらねば為らぬ仕事を先に延ばし「だってしょうがないじゃない」と人間は開き直る。今この時を大切に。

平成29年10月 金剛寺住職短文法話

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。    金剛寺ホームページ  https://kongouji.amebaownd.com/    金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093    金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0043  「40歳の人が80歳の人の知識、知恵、経験には、到底適わん」老人会講演で「あるはずのないものをあると思っちゃあかん。手に入るはずのないものを手に入れようと思っちゃあかん。過ぎ去ったことをいつまでも後悔しちゃあかん。このことを一番理解しているは皆さん方ご老人だよ。さあ、この世に居れる時間はあと僅か。培った知恵を子孫に。人の命に余りの人生なんてないよ」と。0044  「努力をする者に、努力をせん者は、絶対に追いつかん」人類最後はウイルスとの闘いに。例えばインフルエンザ。細胞変化をしてまで生き残ろうとするウイルスに、薬だけに頼っている人間がどうして勝つことが出来ようかいな。イタチごっこがどんどんと差を。まあ、これについては素人考えだが。何にせよ「努力するもんに、努力せんもんは絶対勝てん」よね。人間界も同じかな。0045  「大なり小なりはあっても、自分の都合で人は簡単に人を裏切る」どこであろうと人間関係はある。人は人の中でしか生きられん。逃げることなど到底。3人寄れば、必ず2対1に。大方は優位に立てる側に靡く。年代を問わずいじめの構図がそれ。優位もいつしか立場が変わり劣勢に。人は簡単に人を裏切りよるからね。この繰り返しが人の世。巻き込まれぬ為にはぶれない生き方をすること。0046  「人間社会は地位や名誉の向上と共に、欲にも歯止めが効かぬことに」老いたもと婦長方が異口同音に唱えるは「医学界が堕落し始めた原因の一つは間違いなく角栄政権下で高給料になってからだ」と。思えば教育界も宗教界も政界もお金儲けの構図を中心に置き始めた途端歯車が狂い始める。「医者の不養生」と言われる様に、自分を犠牲にしなきゃならん仕事ってのがある。初志貫徹は大事かな。0047  「何が悲しゅうして先祖が子孫を祟るかい。先祖を愚弄するもいい加減にせにゃ」土葬が主流だった昔、地域によっては遺体が起き上がってくると恐れ、その手足の骨を折って埋葬していた所が。それでも心配と「重し」として石で墓を作り始めたとか。「おいおい、そこまでせにゃならん程、故人から恨まれる様な事何かやったんかいな」と。たまに「先祖に祟られたくないから供養を」と依頼が。何か違うばい。0048  「先祖さんを祟りの対象にしちゃあかん。まったく失礼な話よ」義理の妹の嫁いだイギリスでは古家になればなる程その価値が高いと。加えて「ゴースト付き」となるとさらに高価格に。「守ってくれる」という考え方だとか。日本とは真逆。私はイギリス側に1票ですな。どうも日本は幽霊、祟るの類が好きな国民で。なのに異常な程に毛嫌いを。有り難いと感謝する人を祟るもんですかいな。0049  「ちょっと待て。その一口が豚の元」昨年、初めてツナ缶詰の売上を鯖缶詰が抜いたらしい。食べたら痩せるという情報が流れて。んっ、何、結局食べるんかいな。『ちょっと待て、その一口が豚の元』と思うが。人は失敗したらしたで何故別の道を、と悔やみ、成功したらしたでもっと他の道がありゃせんか、と欲を出す。「及ばざるは過ぎたるより優れり」ですばい。0050  「物の成り立ちの基礎を作った人を讃えよ。真似するは簡単」いっこく堂さんの腹話術を見て「あんなの簡単」と時間差腹話術を完璧にこなしドヤ顔する器用な人が数多に。いっこく堂さんという手本があるからね。今ある1から2を導き出すのはそう難しいことでは。が、何もない0から1を創り出していくはそう簡単なこっちゃない。先人の業績を軽んずるなかれ。真似は真似に過ぎん。0051  「恩賞だけの繋がりが、後に豊臣政権の崩壊を導き出した」戦後、池田首相の所得倍増、田中首相の日本列島改造、と2人の機関車がけん引。結果この国は経済大国に。だが代償も大きかった。特に人と人との繋がりが。欲と金に固執した結果、末端は町内会、家族の絆まで崩壊の一途を。今良ければの末路を表す教訓に「農薬は農毒薬の略語なり。虫は即座に、人はじわじわ殺される」が。0052  「親を反面教師として見れる子供はそうざらには。蛙の子は蛙にて」いい加減な親から、いい加減な子供が育ったんなら問題は起こらん。同様にいい加減な事をするだけ。問題はまかり間違って駄目親から誠実な子が育った場合。必ずこの子が家を立て直す役目を背負う事に。お墓や借金の問題。近所、親戚などの人間関係改善など。このケースはよく目にする。先人は「立つ鳥跡を濁さず」を心に。。0053  「ハングリー精神の欠如が、人間を堕落の道に」20年振り知人と遭遇。コックの仕事で東南アジアを点々としていたと。曰く「外からこの国を見ると恵まれとる。その国は風邪薬に限らず、全ての物に選択肢が無い。与えられた物を工夫して活かすしか。日本は金さえ出せば何でも。嫌なら捨てれば。今この国は工夫して活かす必要のない国に。知恵と忍耐が著しく欠如」と。0054  「頭隠して尻隠さず。嘘は必ず露見する。後に結果が出るからね」過去にサラ金で借金し自己破産寸前まで追い込まれた方の相談を数多く受けてきたが、何故かほぼ全員、借りた額の半分しか言わん。後々結果が出るから、嘘は絶対バレるんだが。露見するまでの時間が早けりゃ、小火程度で済むが。迷惑を掛けられる周りは大変。人間は2種類、嘘を付く人、付かぬ人。さあ、あなたは、どっち。0055  「誰にでも、忘れちゃならん「あの日」というものが」2月22日は長男の誕生日。この子のお産は「案ずるより産むが易し」とはいかず、母子共に最後の最後まで命の危険を伴った。次年より今年で28年になるが、この日には必ず本山へ御礼報謝に。女房と長男の命日になっていたかもしれない日。今の幸せは全てこの日が原点。忘れちゃならんものは、忘れちゃならん、よね。0056  「気違いに刃物、の諺が」原子爆弾開発に携わったアインシュタインは「まさか大量殺人に使用とは」と命尽きるまで反核を。京大山中先生のips細胞も私の個人的意見だが「暗躍に使用されねばよいが」と。このクラスの案件は表裏共に影響が大。かつてはパキスタンの女の子に平和賞を。「世界は17歳に何ちゅう重荷を」と。結局人の欲がその根底に。

平成29年9月分 金剛寺住職150字短文法話

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自身が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。 金剛寺ブログ     http://blog.goo.ne.jp/junko-0808 金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093 金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0029  「男性は過去の事は。が、女性は何十年前の事でも」檀家の奥様が面白い話を。夜寝室に入ると主人が幸せそうな顔して能天気に寝ている姿が。それを見ている内に30年前借金で苦しめられた事を突然思い出し「ムカッ」ときて、いきなり枕を蹴り上げ大喧嘩になったと。これには笑ってしまった。私は当年で55歳だが、未だかつて気の弱い女性に出会ったことがない。失礼。0030  「人は自分の都合で垣根を作っちゃうんだよな。」キリスト教会の前で手を合わせ、頭を下げておると通りがかりの人から「何故、お坊さんが」と問われた。「住んでいるマンションの出入口でそこの住人とすれ違ったら、例え面識なくとも挨拶ぐらいはしませんか」と。京都の清水寺や奈良の東大寺、観光名所とはいえ人によっては他宗の寺。何を線引きの基準にしてるのかいな。0031  「出来れば協調性を身に付けて社会へ」高校講演で生徒に「人の忠告に耳を傾けない人間を子供、耳を傾ける人間を大人と。反抗期は成長段階の印だから自己主張は大いに結構。が、出来たら人に気を使わせる人間を卒業し、気を使える人間に成長して成人式を迎えたいもの。世に「必要悪」という言葉が。悪も善を知る為には必要不可欠。糧に出来て何ぼ、かな」と。0032  「何の目的があってこの場所に足を」評判のインド人住職の法話を聞きに他寺へ。どうも意図的に30分遅れて出て来られたようで。「皆さん。この待ち時間に心を仏に向けてたかい。えっ、向けてないって。今まで何してたの。『坊主遅い』とイライラかいな。10円玉を賽銭箱に投げ入れ、山ほどの願いかいな。それで叶う寺があるなら教えてくれ、わしが行く」と。0033  「自分が好きだからと、人の迷惑顧みぬ人間が何と多いことか」喫煙者が肩身の狭い時代となって久しい。まあ、仕方ないかな。喫煙に限らず、迷惑を掛けるだろう側の人が最小限にわが欲を抑える努力を。ペット関連も同じ。自分が好きだから皆も好きとは限らん。アレルギー体質の問題もあるし。他人の領域に土足で踏み込んじゃあかん。特に公の場は。得手不得手の基準は人それぞれにて。0034  「女房殿は何でも話せる大親友にて」最近子供達から「そんなに母さんべったりで、もし先に逝かれたらどうすんの」とあきれ顔で。「心配するな。母さんの体に温もりが残っている内に追っかけて逝く。母さんがいる場所が父さんの居場所。その時点で俺の人生も終わり。が、願わくば1日でも早く父さんの方が。母さんの死に顔を見たくない」と。あと何年一緒に。0035  「文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる」「親の経済力で大学を断念した」と愚痴を言いに来た若者に「私の友人でバイトの掛け持ちと奨学金だけで大学を卒業した人間が。加えて親へ毎月5万円の仕送りも。そうなれば当然の事ながら留年を。が、卒業後一流企業に就職。面接でその根性を社長が評価して。人生やる気さえあれば何とでもなる。この友人は女性だよ」と。0036  「申(猿)年は歴史を見ると世相が荒れる年が多いらしい」干支の「申」の横に「人偏」付けたら「伸」という字に。伸びる時期は活発となるが、行動が得手勝手になりがち。が、力を分散せず一つになれば大きな力に。これより想像出来る動物は、ボスを中心に群れを成す「猿」かな。申年の人、性格に身に覚えは。「見ざる聞かざる言わざる」の言葉は、協調力を発揮する為の格言にて。0037  「反抗しないのは、親に気を使って生きていると何故気付かん」先日自殺した高校生の葬式を。「家族葬で」との遺族の申し入れを「寂しく死んで逝った子を、また寂しく送るつもりですか。何歳であろうと一生は一生。この子はこの子なりに一生懸命生きてきたはず。最期がこんな結末だからといってこの子の生きた時間全てを否定する様な送り方はして下さいますな」と。多数の送り人が参列。0038  「何にしてもそうなる事情はある。が、犠牲はいつも子供達」講演会で「私も10歳の時に親が離婚したが悪い事ばかりじゃなかった。おかげで母親のする仕事は全て出来るようになった」と。この講演に参加していた同じ境遇の中2の女の子が手紙で「不貞腐れていた自分が恥かしい。前向きに考えます。唯、ひと言だけ。親は子供が物心ついたら勝手に離婚して、勝手に再婚するなや」と。0039  「15歳の子供が背負わされているもの」夜間高校の生徒達へ「命」についての法話を。講演後15歳の男の子が帰途につく車のそばにまで寄って来て「僕は9歳の時にお母さんを癌で失いました。友人の中に自分の母親の悪口ばかり言う人がいます。僕はそれを聞くのが一番辛い。この世に生きてくれているだけでも有り難いのに」と。人は失って初めてその大事さが。0040  「この国の民はいつからご都合主義の考え方が主流に」モンスターペアレンツで苦しむ幼稚園での講演会後、親の感想アンケートの中に「子供は親の所有物じゃない。手足を奪うような育て方はして下さいますな、と言われて涙が出そうになりました」とのご意見が多数。モンスターといわれる親達も、時代の犠牲者なのかも。自分の都合でしか生きられない様に育てられたのかな。0041  「自らを土俵際に立たせ、前に向かうしかない環境に」何年も赤字の大手スーパー社長が先祖代々の土地を40億円で売却。借金を返し、残ったお金が400万。内200万は苦労を掛けた奥様に。残りは「今回だけはすまんが、神頼みをさせてくれ」と16店舗各々が立つ場所の八幡様に全額賽銭に。現社長はその時大喧嘩になったと。だが、間違いなく今の繁栄は、そこが原点だと。0042  「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」明治の教育者森信三さんが「出会う人には必ず出会うようになっとる。それは一瞬早くも、一瞬遅くもなし」と。この言葉を2年間、親友と絶交状態になっているという男性に。「一休さんが遺言で『成るように成る。心配するな』と言ったが、成るように成らん時は、成るように努力せんとあかん。この縁、捨てていいんかい」と。
  平成 29 年 8 月分 金剛寺住職による150字短文法話 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自信が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。    金剛寺ホームページ  https://kongouji.amebaownd.com/    金剛寺ブログ     http://blog.goo.ne.jp/junko-0808    金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093    金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0015  「エスカレートする欲を抑え、本当の安らぎを」苦しみの根源はいったい何。贅沢したい、夢を叶えたい、など。この「たい」が叶った時はいいが、叶わなかった時は全て苦しみに変わる。苦しみたくなければこの「たい」を必要以上に望まんこと。うんこ、しっこが出る。ご飯が食べれる。この当たり前と思っている事が出来なくなった時こそが、本当の苦しみ。欲は程々に。0016  「目を閉じる時に、その人の人生の結果が」交通会社の方が低予算の行程希望を受けた場合、一泊目のホテルよりも、二泊目のホテルで満足感を与えさせるという。納得だね。人生も同じかな。若い時に散々苦労しても、目を閉じる時点で幸せなら、若い時の苦労は良き思い出に。神仏は「忘れる」という素晴らしいものを人間に。目を閉じる時に後悔する程辛いことは。0017  「世の中には「必要悪」という言葉が」石川五右衛門は時世で「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の数は尽きまじ」と。政権打倒を試み、秀吉公の命を狙って京都三条河原で釜茹に。作者不明だが「悪に強いものは善にも強い。中途半端が一番悪い」と。とことん悪い事する者は、心入れ替えればとことん善い事をすると。善悪問わず世に名を残した人は、後世に教訓を。0018  「離婚の度に相手の悪口だけを言う人は、バツを繰り返すかな」バツ2、バツ3と、繰り返す人達がいる。こういう人は多分に相手の悪口だけを。3対7、4対6の比率はあっても、基本喧嘩は両成敗。自身の反省がない限りいかに相手が変わっても、結局いつかは同じ状況を作り出す。隣の畑は良く見えるで、目先が変われば上手くいくとでも。次から次に信仰を梯子する人達も、また同じ。0019  「天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿」方々のお寺には、何故か狸の置物が。狸は一夫一婦制でお互いを非常に大事にするそうで。車に引かれた伴侶を2ヶ月近くも現場を離れず見続けていたという例も。私も今年で結婚29年。女房殿は何でも話す事が出来る大親友にて。なら、大事にするでしょ。「結婚は人生の墓場」という人が。誰が墓場に。狸に恥ずかしいよ。0020  「子供は国の宝にて。親の、家の、所有物ではない」友達の家を出る時、おばちゃんが蚊取り線香を。帰り着いてもその子は火が消えるまで家の周りをぐるぐると。「おばちゃんに悪いから」と。人間は「腹を立てた時、追い込まれた時、人が見ていない時」にその本性が表れるといわれている。釈尊が「人は生まれを問うな、育ちを問え」と。この子を育てた親の顔が見てみたい。0021  「人生でやり残している事は、直接の人の世話。と、老人介護の世界に」数年前、セメント会社元社長夫妻が来寺。多忙で親の介護も出来ず見送ったと懺悔を。第二の人生と老人ホームへ面接に。受けてびっくり、理事長が元部下。恐縮する理事長に頭を下げ入社。大学出たての理事長息子から毎日頭ごなしに叱咤。「昔は私も同じ事を」と猛省。社員二千人の長だった方が一から、出来る事じゃない。0022  「秀吉公の本当の敵は、人間一人一人の欲だったかも」人は皆全て利潤で動く。その大小はあっても。自分にとって都合良ければ正義、都合悪けりゃ悪の判断。世間の善悪基準は関係ない。秀吉公が半島に兵を向けた理由の1つがこれ。大名に分け与える土地がなくなったから。その秀吉公が晩年「起きて半畳、寝て1畳、天下取っても2合半」と。人間、個人が持つ器はその程度と。0023  「大事なものは、目に見えないものが多い」  大手食料品店ハローデイ代表取締役社長、加治敬通様から頂いた手紙の中に「私は社員教育で常に『親も先祖も大事にしない者が、人生を成功させたを未だ1人も見た事がない。この命の源に感謝が出来ん者が、お客様を大事にするはずがない』と厳しく指導を」と。確かに、感謝の出来る人の周りには、必ず多くの人な支えが。0024  「両手合わせて焼香、念仏。誰でも出来る。本当の供養とは」先代(父)の一周忌の時息子が「今日学校行ったら駄目かな」と。「何で」と問うと「爺ちゃんは口を開けば、学校は楽しいか、友達は、勉強は、とその事だけを。法要参列も大事だけど、爺ちゃんが一番喜ぶのは、僕が勉強する姿かな、と。焼香は帰ってからでも」と。父は孫にこんな心を。先祖を安心させる姿こそ、本当の供養。0025  「子供は、親が育てただけしか育ってませんよ」自分が育てた子供の文句を言う親が。オギャーと産まれた次の日に突然20歳になる子供はいない。蛙の子は蛙。トンビは鷹は産まない。その親が育てる環境の中でわが子は育っていくわけだから。親は棚の上に挙げた荷物を一旦降ろして、それを参考にに育てていけば、鷹に近いトンビが育つ事も。子供は育てただけしか育たん。0026  「家の中にお金がなけりゃ、泥棒は来んよ」国政策理解不足で檀家老人達の中にも銀行に預金せぬ者が。そこで「泥棒の思う壺。危ない橋を渡らずとも各家に照準を合わせた方が簡単に手に入る。傷害事件にならない事を願うばかり。基本、世の中は狐と狸の化かし合い。お金の奪い合いが経済。色々と不満はあってもお金は銀行に。家にお金がなきゃ、泥棒は来んよ」と。0027  「知っておっても、動かにゃ知らぬに同じ」何でも親頼みの男性に「学生は勉強せにゃ成績が伸びんは1人残らず知っとる。花瓶の花は水を注さにゃ枯れる事も。親孝行しなきゃならんことも。知らん者は一人も。するか、しないか、それだけ。人が唯一出来ない事は、他人の人生を歩む事。他人の人生まで何とかせい、とは言わん。が、自分の人生くらいは、自分で」と。0028  「手を変え、品を変えて、人は導かんとな」檀家の子供が「仏さんって、何故あんなに沢山いるの」と。「例えば、君にとって私は寺の住職。私の奥さんからは主人。わが子からは父親。同じ人でも立場変われば、呼び名も役割も。人は厄介な生き物でね。病気平癒なら薬師、子孫繁栄なら地蔵と、姿を変えてあげんと。肩書きに左右されるから人は。仏も大変なんだよ」と。

平成29年7月分 金剛寺住職による150字短文法話

 「坊主の説法と結婚式のスピーチは短いほど有難い」と。但し、その短文法話の中には必ず含み言葉が。講演会でよく次の様な質問を。「法話によって参加者全員が抱える問題を網羅することが出来ますか」と。対し私は「法話は話し手より聞き手の受け取りの方が大事。法話は数学で言うところの『公式』に同じ。その話に自信が抱える問題を当てはめ、自らが解決の糸口を導き出していく為の道具にするもの。これは法話に限らず、人と人との関係全てにおいて言える事にて」と説明を。その様に理解して頂きますれば、この短文法話も何かのお役に。 金剛寺ブログ     http://blog.goo.ne.jp/junko-0808 金剛寺ツイッター   https://twitter.com/kongouji093 金剛寺フェイスブック https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/0001  「親というは、本当に有難いもんですな」わが寺縁の仏壇屋店長は母一人子一人で15歳の時熊本から北九州へ丁稚奉公に。これからは親孝行が、と毎月お小遣いを送金。その度に手作りの野菜が北九州へ。50年後その母が旅立つ時、店長を病院に呼ぶ付け手渡したは通帳の束。なんと毎月記載されたお小遣いの総額、1500万円。親というは有難いもんですな。0002  「信仰というは特別な物じゃない。特別な物にしている者がいるだけ」斎藤道三家臣から山梨県武田家菩提寺、恵林寺の住職になった快川は信長公に攻められ数百の僧侶と共に焼死。その時の時世「安禅は必ずしも山水を選ばず。心頭滅却すれば火自ずから涼し」は有名。同時代謙信公は欲深い家臣に嫌気がさし比叡山へ。家老に「百姓の手の中にも、赤子の泣き声の中にも仏は」と諫められ帰還。0003  「少子化問題は、長年の自業自得が原因の一つ」日本は昭和23年に中絶を容認する法律が施行。昭和64年までの40年間に葬られた命はなんと7000万人とも。もしこの子たちが産まれていたら少子化問題は如何に。自業自得の世界が今この国に。思えばわが身は生まれさせてもらっておりながら、わが子は闇から闇に。命を粗末にする者は、自分の人生も粗末に。0004  「たかが葬式。されど葬式。会葬者の目はシビアにて」葬式の会葬者の中には僅かであろうが世間体を考え、仕方なく忖度で来ている方々も。誰しも身に覚えがあるはず。が、その中には子供が親を送る様を真剣に見つめている方々も。その方々が故人亡き後、遺族の支えになってくれる人達にて。その人達が「なんだ、この親の送り方は」と心が離れていく様な葬式をしたらあかん。0005  「見習うべきは、夫婦の絆かな」大分県に仲睦まじい老夫婦の蒲鉾屋が。当時店主は92歳で現役。ある日奥様が体調を崩し入院。毎日早暁3時に起床、仕事を済ませ昼から病院へ。労いの声をかけると「この歳まで一緒におれただけでも。今はご飯を食べさせに病院へ会いに行くのが何よりの楽しみじゃ」と。当時この姿を見てどれ程の人が反省させられたか。0006  「不安の心は、疑う事から産まれてくる」信州長野の善光寺には本堂下に『戒壇院』という目を閉じても開いても漆黒の闇なる回廊が。そこを歩く時人はあまりの恐怖に少しの物音でも大騒ぎ。「人は疑う事により不安の心が沸き起こるもの。人は目が見えている様で実は全く見えてはいない」を悟れよ、が戒壇院の存在意義。されば、人は如何なる心構えで人生を。0007  「やっぱり女性は、生き物が違う。一枚も二枚も上手、だね」社員旅行で鹿児島の長崎鼻に行ったと話す爺様に「あんた馬鹿か。長崎県にあるから長崎鼻というんじゃ」の婆様の吐き捨てに怒り狂って外へ。数時間後勝ち誇った顔で買ってきた地図を開き「見ろ、鹿児島じゃろうが」と。が、婆様はその地図を見ようともせず「あんたがそう思うなら、思えばいい」と。さすがの爺様も絶句。0008  「一流と言われるプロの見分け方」奈良の国宝室生寺五重塔が台風で大木が倒れ補修を。が、問題は周囲の杉並木。景観を守る為に残すか、災害防止の為に倒すか。結局景観維持で話が決まり棟梁選出を。その棟梁が全国から名うての匠を募集。その選出方法は「道具箱だけ送れ」と。ノミ、カンナ等の手入れ状態を見れば腕がわかると。確かな判断材料、だね。0009  「嫁姑問題は万国共通永遠の課題にて」嫁姑問題は永遠のテーマ。噛み合わんは当然。嫁さんは現在に、姑さんは過去に生きている。加えて息子の奪い合い。が、昔の姑さんは炊事、洗濯、裁縫、子育てなど何もかんも出来た上での叱咤。自分は出来もせんで物言うなら嫁さんも文句のつけようが。が、その時は腹が立っても将来的には必ず役に。嫁もいずれは姑。0010  「人を育てるには、我慢とひと手間は必要不可欠にて」40年前、私が16歳の時、本山の管長様が法要導師でお寺に。その時私に「1000人の前で法話をしても理解してくれるは約1割。残り9割にまた同じ法話を。が、理解するはやはり約1割。坊主の仕事はこの繰り返し。裏切られても裏切られても、人を裏切らず、見捨てず、我慢の一途だよ」と。この言葉が今も私の耳に。0011  「信仰は種明かしのある手品とは違いまっせ」釈尊は「生老病死の四苦八苦は逃れられん」ときっぱり。なのに信者は「死にたくない」と無理難題を。いやいや、釈尊も、達磨も、各宗祖も皆死んだがね。一人でも不老長寿がいるならその願いも。人は容易い問題はさっさと片付けるが、面倒な問題は後回しに。仏に祈願したとて問題を受け入れ、動かにゃ、何の解決も。0012  「固定観念を持つ者は、新たな発想は産まれ難い」人は固定観念を持たねば、新たな発想が産まれる。アダムとイブの時代から林檎は木から。にもかかわらず、ニュートンだけが万有引力を。柳の枝に蛙が飛びつく様を見て人は「無理だ」笑ったが、小野道風は「励み」と悟った。道歌の「浜までは海女も蓑着る時雨かな」も、どうせ濡れる、ではなく、プロとしての心構えかと。0013  「もしかしたら、前世って、あるかもしれんね」若者から「前世ってあるか」と問われ「さあね。だけどそこが命の原点なら、理不尽と思えるこの差は納得出来んよな。産まれた途端目の前が戦争の国、平和の国。情深き親、虐待の親。五体満足、不満足、と。「人は自分がしたことだけが結果」がこの世の習い。そう考えると、前世でしてきたことにより与えられた環境かな、と。0014  「人間死んだら終わりよ、じゃなかばい」家康、秀忠、家光の三代に仕えた天台僧天海が100歳の時、柿を食べてその種を城内に埋めた。家光が「和尚は桃栗三年柿八年を知らんのか。実がなっても食べられませんぞ」と。対し天海が「この柿もかつてどなたかが。拙僧は食べられずとものちの世の誰かが。そんな考えで政が」と一喝。後に108歳で食べてあの世に。

平成29年6月法話  自分本位の人間が大半を占める世の中って。

 いやあ、なんですな。最近頻繁に菩提寺であるお寺との揉め事話を持って愚痴を言いに来られるお方が増えてまいりまして。ニュースや新聞紙上では聞いてはおったんですが、直に耳にするのはそれぞれが初めてのことでして。その驚き話とはこうですたい。檀家寺を持たない親類が「どこでもいいや」と近くのお寺さんに葬式を頼んだところ、方々のお寺のご住職を何と10人も連れてきて、一人60万円、合計600万円の請求(お布施料)を突き付けられた話だとか。それも戒名料は別途請求だったとか。檀家寺に永代供養をお願いしたら、本来故人一体200万円の供養料に対し、300万円を請求された話だとか。ちなみにわが寺の約10倍で、その永代供養料を教えた途端そのお方、金剛寺に檀家替えを願われてこられましたが、丁重にお断りをさせてもらいました。断った理由はこの先のお話を参考にしてくださいませ。他には、お墓(納骨堂)の移転を願い出たら、「離檀料」として300万円、お寺によっては900万円を請求された話だとか。一般仏教界の常識相場では、離檀料というは30万円から50万円なんだそうですな。「なんだそうですな」という言い方、ちいとおかしいでっしゃろ。わが寺はもらっていないのでニュースで知るまでは「離檀料」という言葉さえも初耳でしたんでね。しかしこれは、お寺側が「お金が欲しい」というよりも、檀家さん離れを防ごうとしているのが本来の意味合いだそうですね。何せ、お寺の経営は大変ですもんね。さらに今一つは、本年3月分法話に書いてあるように、お寺側からいきなり「家族葬にしなさい」と指示され、何と葬式前に焼骨、葬式に8人の伴僧さんを連れてきて「一人につき、5万円払え」と。おまけにその日のうちに遺族を一人も立ち会わせず遺骨をお墓の土の中に埋め込み「このことは他言してはならん」と釘を刺された話だとか。にわかには信じがたく、耳を疑いたくなる話ばかりですが、よくよく話を掘り下げて聞いてみますと、お寺のご住職さんの資質ばかりの問題ではないようでしてね。要するに、ご住職さん方がそうするからには、そうするだけの理由があった、ということですたい。何年も、何十年も先祖(遺骨)を預けているお寺に足も運ばず、連絡も取らず、ほったらかし状態。用事が出来たとやって来て、「葬式をさせてやる」と言わんばかりの横柄な態度。そりゃ、ご住職さんも「どうせこの人たちは、今後もわが親をほったらかして、お寺に丸投げする気なんじゃろ。そんなら初めから、それ相応の対応と供養料をいただいとけ」となられたんじゃないのかな、と。ご住職さんがそうなる気持ちは、私にもわからんことはないんですな。私どものお寺にも、過去にはそのような檀家さんが少々ですがおられてですな。そんなこんなから納骨堂を永代契約してもらうときには、「金剛寺の納骨堂は姥捨て山みたいに、いらんものを捨てる場所ではありまっせんよ。何年も預けたままほったらかしたら、遺骨は突き返しまっせ。預かる方も真剣に預かるんですから、預ける方もいい加減な気持ちで預けてくださいますな。それが出来んのなら、初めから契約はせんことですな」と厳しく言い渡しております。現在は特にそういった人たちが増えておるからですかな、「その場さえ取り繕えられれば、それでいい」という「お坊さん便」なんてものも出てきておるようでして。菩提寺と檀家さんの関係だけに限らず、親子の関係、親戚の関係、町内の関係、上司と部下の関係など、全ての人間関係が「インスタント食品」のような簡単にことを済ませる薄っぺらいものになってきておるようでして。まるで、根のない切り花ですな。根さえあれば次の年も、またその次の年も、咲いてくれるだろう花を楽しみに待つことができますが、しかし、根付けをしたら肥やしも水も与えにゃならん。面倒くさい、ってなもんでしょうな。こうした考え方がこの国の根幹を揺るがしている「結婚、出産、子育て」の問題にも露骨に表れておりますな。個人の価値観や信念なんてもんは、万人に通用するもんじゃありません。共感してくれる人もおれば、共感してくれん人も当然おらっしゃります。しかし、少なくともトップと言われる人たちは、その信念がぶれたらあかんですよね。その都度、その都度、コロッコロと変わられたら、周りはそれに振り回されてくさ、そりゃ大変ですばい。そのトップの信念に対し「自分の考えとは違う」と部下が思ったとしてもくさ、そのトップの考えに「ぶれ」がなければ、周りはそれに合わせて調整をしていけば済むことですもんな。ところで余談ですが、調整と主観と言えばくさ、以前あるケーキ屋さんに入った時、お客さんとお店側との間の揉め事に遭遇しましてね。話はこうですばい。「アルコールを使っていないケーキを下さい」とお客さん。出されたケーキを見て不信に思い「このケーキ、本当にアルコールは入っていませんね」と再確認。恐らくケーキの照かり具合を見て疑問に思ったんでしょうな。すると厨房から店長が出てこられ「ほんの少量ですので、気にすることはないですよ」と。その瞬間、お客さんの顔が一変ですばい。「私はアルコールの入っていないケーキを出してくれ、と頼んだんだ。誰があなたの尺度で判断してくれ、と言ったかね。私はアルコールアレルギーを持ってるんだ。そう頼むには、頼むだけの理由があるんだ」と憤慨してお店を出て行かれました。「そんなに怒らなくても」とは思いましたが、だけんどその気持ち、わからんこともないんですよな。実は私もアルコールは1滴も駄目でしてな。常々同僚から「お前さんはお寺の仕事を半分出来んのと同じだな」と言われておりますもんね。だけんどくさ、ケーキ屋さんに行ったらいつも思うんですが、何故に「このケーキはアルコール含まず」と表示してないのかな、と。最近はケーキに限らず、特に洋菓子系統は軒並み洋酒入りですもんね。私たちのような体質のもんには食べたくても、ですな。すいませんな。愚痴を言ってしまいました。今でこそアレルギーは社会問題になっておりますが、それこそ以前ですが、檀家の息子さんで「そばアレルギー」の子がいましてね。親が担任の先生に「どうか、くれぐれも」と頼んでおったにもかかわらず、「そんなことあるか、気持ちの問題じゃ」と無理矢理食べさせ命を落としかけたことが。担任の先生が交代することで大事には至りませんでしたが。主観だけによる無知の個人的な尺度は大怪我の元ですな。長い余談でしたが話を元に戻しましょうかね。先ほどのご住職さんたちの行為ですが、勿論、プロとしては褒められたものじゃないですが、檀家さん側も常日頃のいい加減な態度を改める必要がありますよね。先日も他宗のあるお寺のご住職が「檀家さんが親が他界したことを私共お寺に知らせもせず、遺骨だけを宅配便で送りつけてきおった」と落胆の電話が。また別のご住職は、「檀家さんが故意に親の遺骨を電車の中に置き去りにしおった。それもわざわざ住所と故人の名が記してある埋葬許可証を抜き取って。遺骨を持って来んので問い詰めるとそんなことを。現在駅の忘れ物置き場にはそんな遺骨が少なからずあるそうですな」と呆れ返った口調で。産んで育ててもらったことの恩も、感謝も、情もない自分本位の人間が溢れかえる世の中って、いったいどんな世界になるんでしょうかな。

平成29年5月分法話 後世に受け継がれてきたものの意義

 先日、檀家さんの葬式がありまして、その弔問客の一人から「このお経とわが宗の教えを読んでください」と数冊の資料を手渡されました。葬儀後の法話中「えろう熱い視線を向けられておる方がおられるな」と気になっておったのはおったんですがね。よくよく聞いておりますと、私のことを知っておられたみたいで、要するにその宗団へ勧誘したいみたいだったようですな。・・・んんっ、ね、私は他宗のお寺の住職なんだけどな。しかし、すごい信念だと思いませんか。生きとし生けるものの中で、今日しなければならない事を何らかんらと屁理屈をこねあげて明日や明後日に延ばそうとするのは、唯一人間だけですもんな。加えて嘘をつくのも唯一人間だけ。そう考えたらこのお方の実行力はすごいわな。「このお経とこの教えでないと絶対に人は救われない」と、2時間にも渡って他宗やその教えをぼろんけちょんに否定しながらご説明をされましたもんね。「へぇ、葬式後に2時間でっか。ようそんな長々とお付き合いしましたな」という声が聞こえてきそうですが、講演会なんかに呼ばれますと、長い時で3時間ほどの質疑応答もありますんで苦になることはありませんが、但し、講演会で質問される方々はさすがにそれなりの方々でして「恐らくここにおる参加者が聞きたいだろう」という質問を見事に推測してぶつけてまいります。「なんじゃ、そりゃ,何のことかさっぱりわからん」とみんなが毛嫌いする様な難解な仏教用語説明を求めたり、特定の知識や知恵を持たなければ理解出来ない様な質問などは決してしてきませんもんね。所謂、わが宗、第二世管長猊下がおっしゃられた「小学生でもわかる法話は、大人ならもっとわかる」ですばい。話を戻しますが、そりゃ、もうくさ、このお方、他宗をけなすわ、けなすわ、どこ押しゃそれだけの言葉が口をついて出てくるのやら。各宗がそれぞれに支持するお経さんや教えは、全てお釈迦さんのお言葉を形として表されたもの。つまり、間接的にお釈迦さんをけなしておるに同じ、なんだけどな。どうも気づかれてないみたいで。ひとしきりお聞きした後でこうお話をさせていただきました。「あなたの信じておられる教えが素晴らしいことはよくわかりました。ただ、人間は十人十色にて、その価値観は親子兄弟、友人であろうと異なっておるもの。自分がよかと思うものを、相手もよかと思うとは限りませんよ。それぞれ人は生まれも違えば、生き方も違うし、おかれている環境も当然違っております。その人の能力と性格によって、天職とする仕事が違ってくるのと同じようにですね。自分勝手な決めつけや、偏った考えは、宗団選びに限らず、全てにおいて人が離れていく原因の一つになりはしませんかな。それとあなたがとうとうと話された他宗団批判ですが、こればっかりは感心出来ませんな。お釈迦さんが何故に十大弟子を持たれたと思われますか。「自分にに応じた羅針盤を選んで人生を有意義なものにして下さい」と敢えて門を広げられたもの。数百年も、千年以上も続いておられる宗団は今日まで、一人が持ち届けてこられたものではありませんよ。その時代、その時代において関わってこられた方々が、その時代の荒波を乗り越えて、必死に守って後世へと繋いできてくれたおかげ。その役割を担われてきた方々に対しても、また、その教えを信じ、糧にして、人生を必死に生きてきた、あるいは生きていこうとされている現在、過去、未来の信者さん方に対しても、表面の浅いところだけを見て批判するというは、大変失礼なことだとは思いませんか。信仰に限らず、まずは相手を認めることから始められては如何ですかな。新たな発見があるかもしれませんよ。人の話を聞かない人は、人からも話を聞いてはもらえないと、思いますよ」と。まあ、その方との会話の中でふと思ったのは、その葬式の主人公であるお婆ちゃん(故人)からの試しの問いかけだったんじゃないのかな、と。「なあ、英照さんや。私達夫婦は子供もおらんし、親戚も誰一人としておらん。今後はあんたさんに頼るしかない。こんな話を持ち掛けられてもぶれずに、しっかりと私達の供養をしていってくれますかいな」とね。価値観といえばくさ、先日京都から帰省の新幹線の中で桂川に差し掛かった折り「400年前、ここから光秀公は本能寺へと向かったんだよな」と女房殿に言うと「なんね、すぐやん」と。「・・・、んっ」と。ついさっきですな、「俵屋宗達と酒井抱一」を拝観している最中「この時代の人達と、現代に生きる人達とは、時空間の感覚に相当の差があるだろうね」と話したばっかりなのに。そりゃくさ、車で走れば桂川から本能寺まではすぐだろうけどくさ、15000人の家来を連れての進軍だからね、そりゃ、あなた、ね。わが女房殿は基本、とても賢い女性なんだけど、たまにこんな「すかたん」をやらかします。まあ、それが心をほっとさせる私の癒しにもなってるんですがね。以前、結婚前の話ですけど、福岡県宗像の鐘崎というところを車で走っていた時、「ここは海女さんの発祥の地なんだってよ」と言うと「へえ、そうなんだ。こんな海辺の近くからね」と。「絶対、勘違いしとるな」と詰めて尋ねてみると案の定ですばい。「海女」さんと「尼」さんを間違うとりました。坊主の私が放った言葉だから、そう思ったんでしょうがね。実に、笑いが絶えない女性です。ところで、その「宗達と抱一」ですが、京都国立博物館に「風神雷神図屏風」を見に行ったんですよ。詳しいことは省きますが、時代を一世風靡した「琳派」は、その非凡な意匠感覚から「光琳模様」という言葉を生み出したように、つまり「模写」をその基本としている一派なんですよね。このユニークな図様(風神雷神)の原案は、国宝である宗達(江戸時代初期)のもの。それを光琳(江戸時代中期)が模写し、光琳の模写図を抱一(江戸時代後期)が模写。少しづつは特徴に差はあるようですが。しかしながら、やはり先人の知恵や知識、技術を大事に受け継いできた人達(組織)はそれなりに成功して、後世に残っておりますな。先人の教訓といえば小耳にはさんだ程度の話ですが、京都の町の中には、正月三が日は一休さんが杖の先に「しゃれこうべ」をつけて「門松は冥土の旅の一里塚、・・・」と練り歩いて来るからお店を開けないという老舗があるんだとか。今日まで栄えてこれた長年の伝統を重んじるとともに、正月様(各家のご先祖の集合霊)をお迎えする側としては「尽くす」ということを徹底されておられるのかな、と。また、大阪船場の地では先祖代々の暖簾(のれん)を永劫に守り続ける為に、甘えの出る息子を跡取りとせず、娘に婿養子を迎え入れるんだとか。確かにその方が、「自分の代で潰しては申し訳ない」と必死になるでしょうからね。そう考えたら「論より証拠」ですな。何百年も守り続けられてきたものは、先人の功績があればこそ。それを無視したり、けなすような言動は当然慎むべきでしょうな。最近はいつ火が付いたのか、ハロウィンなるバカ騒ぎが流行っておりますが、本来は宗教的行事にて、10月31日の夏の終わりに出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために成されているもの。その本来の意味を知っておったなら、ね。外国の行事もいいけど、まずは生まれ育ったこの日本の歴史をもう少し勉強して興味を、ね。ありますばい、この国も、よか伝統が。

平成29年4月分 不動明王のお顔は、必死の姿の表れ

 金剛寺の檀家さんの中には、会社からの辞令で外国勤務をされておられるお方が何人かおられましてな。先日、その中の一人のお方から面白い話を聞かせてもらいました。お話の内容はこうでございました。「ご住職、この話は現地の人から聞いた話ですがね。ある時、大雨続きで川が氾濫し、多くの町や村が大水の被害を受けたそうでして。そこで国が予算を出し、河川工事を含め、その川に鉄筋の大きな橋を架けよ、との指令が下ったとのことですわ。ところがですたい。その受注を受けた大手の会社がそのまま下請け業者へと丸投げ。丸投げされた下請け業者が、またその下へとさらに丸投げ。これが繰り返され、丸投げされる度に国から出たお金を下へ流す業者がその都度抜き取っていき、とうとう最後はお金(予算)が無くなり、「竹の橋」しか作れなかったということですわ。現地の人は笑い話のように語っておりましたが、これは笑いごとじゃないよね」と。確かに、笑いごとではないですよな。これは他国の河川工事の話ですが、私たち自身のことに置き換えたらどうじゃろうかいな。「鉄筋の橋」でなく、「竹の橋」を子孫に残そうとしておらんじゃろうかいな。これに似通った話なら私も持っておりまして。学生時代、アルバイト先でご縁の合ったお方が、さも自慢げにこんな話をされておられました。大手企業である自分の会社が数十億円の仕事を請け負い、その担当部長を任されたとき、「その予算から500万円抜いてわしの家に車庫を建てろ、と指示したんだよな」と悪ぶれもせずにしゃあしゃあと言ってのけられておりました。まあ、その話が本当かどうかは。別に裏付けを取ったわけじゃありませんからわかりませんがね。私が若僧であったことから、「俺は力があるんだぞ」とただ単に見せつけたかっただけなんじゃないのかな、とその時はそう思いましたが。しかし、人というは経験と体験の中からしか、知識も知恵も教訓も身につきませんから。そのお方が仮にハッタリだけだったとしても、そんな言葉が出るということは、恐らく会社の上司にそんなことをした人がいたんだろうな、と推測してしまいますよね。そう考えたとき私は、その500万円があればどれほどの中小企業が助かるんじゃろうか、と内心憤りを感じましたな。以前4,5人の従業員を持つ会社の社長さんが、こんな悲痛なことを言っておられました。「大手会社に見積もりを出しても受け取れるお金は、半額の8掛けじゃ」と。つまりですたい。100万円の見積もりを出しても、半額というと50万円、さらにその8掛けとなりゃくさ、受け取れるお金は50万円×0,8、つまり40万円になると。下手をしたら材料費にもならないと。しかし、その仕事を受けなければ、次の仕事が入ってこないから、どうしても受けるしかないと。先般、お寺の工事を請けてくれた土建屋の社長さんがこんなことを言っておられました。「住職さんや、わしらの仕事は、1割抜ければ蔵が立つといわれておるんじゃ(1000万円の仕事で純利益100万円)。しかし、1割抜けるどころか、どうにかして赤字を出さんようにするのが必死じゃよ」と。何か、こんな話ばかりを聞いていたら、「落穂集」の中にある家康公の「百姓は生かさず、殺さず」の言葉が頭をよぎりますな。請負と言えばそれこそ昨年は、あちこちでマンション杭打ち問題が世の中を騒がせよりましたな。丸投げされた業者が仕出かしたミス(偽装)だといわれておりましたが、もし、もし万が一ですばい、上記のような見積もりの半額8掛けでやれ、なんてことを言われていたとしたら、下請け業者さんも生活をしていくためには、不本意ながらでも手抜きをしなければならなかったんじゃないか、とそう思ったんですよね。あくまでも私の憶測の範囲ですけどね。しかし、単なる儲け主義によるものだったんなら考えもんですけど。んんっ、・・だけど、マンションに住んでおられる人(第三者)にとっては、たまったもんじゃないよね。信じて買った、というよりも、そんなこと(手抜き工事)億尾にも考えてなかったでしょうからね。大方の人は、家というは一生に一度の買い物ですからな。そういえば昨年のこの時期ですが、空家の問題についても世間で取り上げられておりましたな。なんと今現在において800万戸ですって、数十年後にはその何倍も空家が出るとか。素人考えで申し訳ないんですが、マンションを方々で建てている業者さんですが、この空家に目を向ければいいのにね。安く買ってリホームして、賃貸で貸せば諸問題の解決にも繋がると思うんですがな。先月の法話でも言いましたが、プロと言われる人達は、素人さん達を納得させることが出来て初めてプロですもんね。不信感を抱かせるようではプロとは言えませんよね。私達の宗教の世界でも、これと同じことが言えます。昨年の11月、15年ぶりにわが寺から僧侶(得度出家)さんが生まれました。私の代になって2人目です。その折、本山のある若い徒弟さんからこんなことを問われました。「住職さんは、何故そんなにお坊さんを輩出しようとしないんですか」と。乱暴な言い方だとは思いましたが、「平仮名、片仮名、漢字を知らんと本は読めんだろ。足し算、引き算、掛け算を知らんと数学は解けんじゃろ。ある程度の知識や人格がないと、世の中を騒がせよるだけだよ。成り立ての僧侶とはいえ、プロは、プロだからね」と、そう返答しました。その年の11月の中旬、御礼報謝で高野山に参拝させていただいたのですが、その折り奥の院では法衣をまとった100人ほどの僧侶さん方が、何かしらの法要を営まれておられました。しかしながら、そこに参列されている信者さんはまばらにて。実はこのような状況は、時折高野山では目にすることがあるんですが、その度にくさ、真言宗のお坊さま方の揺るぎないプロ意識を感じるんですよね。参拝者が多かろうと、少なかろうと、人が見ていようと、見ていまいと、しっかり勤めるべきことは勤めるという姿勢を、ですな。また、この時のご縁の中で今一つ、改めて振り返りをさせられたものがございました。あるお坊さまから、「英照さんは、不動明王ですが、何故あんな恐っろしいお顔をされていると理解されておられますか」と。実は、不動明王を含む明王といわれる方々は、「忿怒(ふんぬ)の形相」といってですな、みんな怒りのお顔をされておりましてね。諸説いろいろある中で私が一番好きな説といえば、例えば不動明王ですが、慈悲をもって私たち衆生(迷える人間)をどうでもこうでも救おう、という必死の姿を表わしたものであると。つまり、「お前さん方よ、何事も必死に成し遂げようと思えば、自然とこんな顔にならんかい。こんな顔になるほど、必死に成し遂げようと努力をしておるかい」と問いかけられておられるものだと。まあ、これが一番しっくりくるかな。ところがこうなるとくさ、屁理屈こきが一言ですばい。「なら、優しいお顔の如来や菩薩は、衆生(人間)を必死で救おうという気がないんかい」と。あのですな、例えば子供を教育する時、全員怒りの顔で攻めあげたらどうなりますかいな。大人は一人一人役割がありまっしゃろ。ただ、その役割を担う人達は、決して手抜きをしないことですな。子供は、工事でいうところの「基礎」でっせ。手抜きをしそうになったら、不動明王のお顔を思い出してくださいませ。

平成29年3月分 プロは素人を納得させる仕事をして初めてプロ

 実は先日のことですたい。ある檀家の婆様が疑念の意を露わにしながら「ちょっとくさ、英照さんや、聞いちゃってくれんかん」とある地方での叔母の葬式に列席した折りの話を、やや興奮気味に捲し上げてこられましてな。まあ、その、話というのはこうですたい。 まず、友引の日に遺体を火葬にして、次の日に葬儀をしたことに対し「施主側がそう希望したんじゃないの」と問うと婆様が「んにゃ、うちの親戚は葬儀の知識などほとんど持っとらん。お寺側が「そうします」といきなり言い渡してきたんじゃ、こんなことってよくあるんかい」と。「んんっ、まあ、時と場合によっては、ね。例えば、遺体が見せられない状態であるとか、遠方で亡くなられたので遺骨にして持って帰って来られたとか、ね。特別な事情かなんかあったんじゃないの」と問うと、「なんもないわい。最期の10日間は、わしが付き添ったんじゃ。・・・それとな、その葬儀に連れてきた伴僧(脇にいる僧侶)じゃが、なんと8人や、それもアルバイトじゃと、一人5万円払えじゃと。このことは世間の人には内緒にしておいてくれ、と住職はんに言われたんじゃ」と。「・・・んっ、内緒、・・何、どういうこと。内緒って、そんなこと出来んやろ。会葬者がおられるじゃん」と聞くと「家族葬だったんや。それもお寺側の指示で。誰も会葬者が来んから、施主側が黙っときさえすれば世間にはわからん。恐らくそういう計算ずくや」と。「そりゃ、お布施料も高かったろうね、伴僧さんだけで40万円だもんね」と。「・・・家族葬で質素な葬儀だったのに、掛かった費用は250万円じゃ。わしは内容の詳細は聞いてはおらんが、お寺のお布施だけでいったい何ぼほど取られたもんやら。あんたんとこ(金剛寺)は戒名料を取らんから、わしらは見当もつかんが。お寺によってはえろう高いんじゃろ」と。「まあ、ね、院号、居士,大姉が付いたら50万円、100万円ってお寺もあるにはあるけどね。だけど、お寺側をかばうつもりはないけどさ、本来「院号」を貰えるお方というのは、そのお寺にすごく貢献されたお方だけだったんだよね。寄付金だけに限らず、体を使っての奉仕を長年に渡り勤められたお方とかね。例えば、高野山(真言宗)の本山は金剛峯寺というお寺なんだけど、その山内にある塔頭(たっちゅう)は全て、大圓院、地蔵院、普賢院、蓮華院というように、「院」が付いていてね、これは本山との縁(ゆかり)が深いお寺を意味しておるんだよね。戒名の「院号」もそういう意味あいから来ているんだよ。ところが近年になって、腕一本で莫大な富を稼ぎ出す、所謂、成功者と言われる人達が生まれてくるようになり、その頃からかな、戒名に大金が付き始めだしたのは。どういう意味かというと、例えば一つ例を挙げればね、成功はしたが自分の利益だけが中心、わが先祖を回向してくれている菩提寺には何の貢献もなし、という人がいたとしましょうかね。貢献された方の戒名が、「○○院○○○○居士位」の10文字とすると、貢献されてない方の戒名は、「○○○位」の4文字。戒名を見ただけで、その方の奉仕の心の度合いがうかがい知れるので「なんだこの人は、成功はしとるようだが、私利私欲だけの人生だったのか」と当然世間の目はそう見ることとなりますわな。そうなったら子孫は「成功者であるわが親が死後、世間からそんな風に思われるのは忍びない」とご住職はんに、「親の戒名に院号を付けてくれませんか」と泣きつく。ところが二言返事で「いいですよ」というわけにはいかんのですわな、これが。お寺に貢献をしてきた檀家側から当然文句が出てきよりますわな。「なんでや、何も貢献しとらんもんに」とね。そんなことから「貢献度同一」を繕うために、戒名に多額の金額が設定され始めたんですよね。だから、多額戒名料の起こりは元々お寺側から出た話じゃないんですよ。ただ、現在の設定基準は知らんですよ。お寺によってもまちまちでしょうからね」と。「・・・なるほどな」と婆様一応納得を。ところがさらに、「もう一つあるんじゃが。葬儀が終わったその日に納骨(お墓)をやりおった。それもさらしの袋に入れてそのまま土に埋めおったんじゃ。施主側の喪主や親戚一党を一人も立ち会わせずに、お寺の関係者だけで墓地へ行き納めおった。不審に思ったからお寺さんに尋ねたら、「この地方の習わしです」と言いおった。これ、どう思うや、英照さんは」と婆様が。「そうやね、地方には地方のしきたりというもんがあるからね、・・・んんっ、でも、あまり聞かない話かな。まあ、50回忌過ぎたら骨壺から出して、戒名を書いたさらしの袋に遺骨を入れ替えて、お墓の中の土に埋めるという作法はあるにはあるけどね。その故人の50年ともなると、その故人を知っている人(子孫)たちもこの世からいなくなっている確率が高いから、50回忌を最期に永代供養という形にするんだよね。そうだね、んっ、あとはだね、そんなやり方をお寺さんがされた理由としてはくさ、子供さんがいないとか、女の子だけで跡取りがおらっしゃれんとか、そんなんじゃなかったんかい」と返すと、「息子もおれば、孫も男の子じゃ」と婆さま憤慨治まらず、です。 私にはこの婆様の愚痴を聞いてあげることしか出来なかったですな。そのお寺さんの習わしを知らんからですね。まあ、でも、50年かけてやる仕事を1日で済ませたという印象だけが残りましたな。49日の間家の中で、線香立てて、ご飯を供えて、遺影を見ながら話しかけることによって、しんみりとこれまで受けてきた「恩」というものを噛み締めることが出来るんですけどな。最近は何でも簡単にことを済ませてしまおう、面倒くさいのはうんざりだ、御免だ、という傾向が主流になってきたみたいでね。「お前さんの言うことは聞く耳なんてない。だけど、俺の言うことは聞け」という面倒くさい人間が増えているせいですかね。まあ、しかしね、どの分野においても、プロといわれる人はアマチュアの人を納得させることが出来て初めてプロでっしゃろ。不審に思われるようではプロとは、ですな。ただそうした中で、一つだけこの婆様の心の荷を落とさせたことが。付き添った最期の10日の間、息を引き取りかけた場面が数度か。「何で叔母はこんなに頑張ってくれたんじゃろうか」と婆様。そこで私は「昔ね、明治天皇の侍講(じこう)を勤められていた元田ながざねという方が示した「幼学綱要」というものがあってね。その第一篇に「痛ましや、お父上様、お母上様、私を育てていただいて骨折りご苦労あったとうかがっております。私を生んだばっかりにお疲れが出てご衰弱なされたと聞き及んでいます。お父上がおいでなければ相談する相手もなかったこの私、お母上がおいでなければ誰を頼りと致しましょうぞ」と親に対して「申し訳ないことをした」と今は亡き親の恩に悔み、空しい心が痛むとつづられたものがあってね。多分だよ、「こんな心を姪であるあなた(婆さま)が持つんじゃなかろうか」とこの叔母様、あなたが受けた恩をしっかり返しきったと思えるように、10日間頑張ってくれたんじゃないのかな。あなたが悔いを残さないために。私は、そう思うけどな」と言うと婆様「その言葉は嬉しい」と涙を。「じゃ、嬉しついでにお寺さんを許してあげな。あなたが怒り狂ったままじゃ、叔母さんも辛かろうよ」と。一件落着。